自治政府がもう直ぐ再開する北アイルランド (1)
「メディア」ということからかなり離れてしまうので恐縮だが、北アイルランドのことを新しい雑誌「Ripresa」(リプレーザ、社会評論社発行)に書いた。創刊からまだ2号めが13日、発売された。(1期2年8冊という期間限定雑誌で、定期購読は4冊(1年分)送料込みで6000円。一冊1400円。申し込みはリプレーザ社 ripresa0211@yahoo.co.jp。小型B5サイズの雑誌だが、最近日本ではこういうサイズがはやっているのだろうか?「ベリタ」もこの大きさだし、日本の家族がたまたま送ってくれた雑誌「WILL」もこのサイズ。横になって読むと読みやすい大きさとは思うけれど・・・。)
北アイルランドの話は結構説明がしずらいというか、分かりにくい。5月8日から自治政府が復活するので、もし興味のある方は、その背景として見てもらえれば幸いである。(3月の選挙の話に触れているが、原稿は2月上旬時点で書いたもの。ご了承ください。)
北アイルランド:忘れられた場所のアパルトヘイト
―ベルファーストの悲劇
「アパルトヘイト」──。英領北アイルランドの中心都市ベルファーストに住むプロテスタントの牧師ノーマン・ハミルトン氏は、北アイルランドの現況をこう呼ぶ。
かつて、南アフリカ共和国で白人と非白人を差別的に規定した人種隔離政策アパルトヘイトが強制的に北アイルランドで実行されているという意味ではない。カトリック系住民とプロテスタント系住民とがそれぞれ宗派ごとに固まって住み、お互いの行き来がほとんどない傾向が近年ますます強まっている思いがする、と言うのだ。
ハミルトン牧師の自宅は、ベルファーストの中でもカトッリク系住民とプロテスタント系住民の争いが特に頻発したアルドイン地区近辺にある。北アイルランドのガイドブックが観光客に足を踏み入れることを勧めない場所の1つだ。
私がアルドイン地区を初めて訪れたのは2002年だった。英外務省が主催した在英外国人ジャーナリストのための取材旅行に参加した私は、ベルファースト市内のあちこちで、英国旗やアイルランド共和国の国旗が掲げられていることに気づいた。英国旗はプロテスタント系住民の、アイルランドの国旗はカトリック系住民の居住地を指すことを、観光バスのガイドが教えてくれた。
プロテスタント地区とカトリック地区の間にある広場の一角にバスが停まると、両宗派の住民が信奉する自警団の団員が覆面をし銃を構えた様子を壁画に描いた建物が並び、プロテスタント、カトリックの陣地を示す旗が互いに向き合うように掲げられていた。子供たち数人が広場を横切っていく。頭上にはそれぞれの旗が翻っているのが見えた。
現在でも続く対立の象徴を子供たちは毎日目にし、学校に行き、遊びに出かける。何と残酷なことか、と胸をつかれる思いがした。この光景が、その後何度か北アイルランドを訪れるきっかけとなった。
2001年、アルドイン地区でカトリック、プロテスタント両派の大きな衝突が起きた。カトリックのホーリー・クロス・ガールズ小学校に通う少女たちは、毎朝、プロテスタント系住民の家が片側に並ぶ一本道を通る。9月初旬、この一本道にプロテスタント系住民が立ち並び、少女たちにつばをはく、悪態をつくなどの行動に出た。プロテスタント系住民によればカトリックの住民が家の窓に石や火炎瓶を投げつけて威嚇行動に出たので、自衛として反撃に出ただけだと言うのだが。
泣きながら通学路を親と共に進む少女たち、親や子供を脅かそうと罵詈雑言を吐くプロテスタントのデモ参加者、プロテスタントやカトリックの自警団の脅し、ものものしい機動隊の防御活動は、連日メディアで報道され、異なる宗派同士の醜いいさかいの様子が北アイルランド中に伝わった。
5年半前の出来事を、ハミルトン牧師は「本当にひどい事件だった」と振り返る。現在、アルドイン地区で大きな衝突は見られないという。「何もない、普通だということでは、何の記事にもならないでしょうね。申し訳ない」、と筆者に微笑む。
それでも、北アイルランドの約170万人の人口をほぼ2分するプロテスタント系(53%)とカトリック系(43%)の住民がそれぞれ一定の地域に住み、交流をしない傾向は強まっていると指摘する。「一言で言うと、アパルトヘイトだ」。
2001年の国勢調査を見ると、ベルファーストのアルドイン地区には圧倒的にカトリック系住民が多く、プロテスタント系は1%だけ、逆にプロテスタント系が多いシャンキル地区ではカトリック系は3%のみとなっている。ベルファーストだけに限らず、北アイルランドの大部分の地域ではいずれかの住民が宗派ごとに固まって住む傾向がある。多くの人が自分が所属する宗派同士で住んだほうが安全だと考えるからだ。ある地域で少数派となれば、いじめや暴力行為の対象になりやすく、それぞれの宗派の自警民兵組織(実際は「暴力団」と言ったほうが近いのだが)に、出て行けと様々な脅しを受けることも珍しくない。
といっても、北アイルランドの住民たちが信仰熱心なあまりにいがみあっているのではない。元をたどれば、カトリック教国だったアイルランド半島にイングランド(後の英国。プロテスタント)が勢力を伸ばした過去の歴史があった。半島の南は独立への歩みを進め、現在はアイルランド共和国となった。欧州連合(EU)の加盟国となり、EU助成金や外国企業への投資優遇策を提供しながら経済成長を遂げ、首都ダブリンはロンドンをしのぐほどの多彩な国籍の人々が働く、国際的な都市となった。
一方、プロテスタント系住民が多く居住していた6州は「英領北アイルランド」となることを選択。地理的には南同様アイルランド半島にいながら、政治的な所属は海の向こうの英国、というねじれ現象が続く。
それぞれの宗派を代表する政治家の間でも互いへの不信感は非常に強く、アイルランド共和国政府と英政府の支援で1998年成立した北アイルランド自治政府は、2002年以来機能停止状態だ。今年3月には総選挙が開かれ、自治政府再開が予定されているものの、今後の成り行きは確実ではない。(続く)