小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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プロパガンダに揺れた拘束英兵事件


 イランに拘束されていた英海軍の15人が、4月上旬、イラン大統領の「恩赦」によって解放された。帰国直後、英国中が歓喜にわいたもが、国防省の許可の下、英兵たちが体験談をメディアに売り、巨額の報酬を得ていたことが発覚すると、国防省ばかりか英兵全員に対する非難が噴出。非難の矛先はやがて英海軍の管理能力にも向けられるようになった。

 この件では今調査が続行中で、1つは拘束にいたる経緯、もう1つはメディア戦略の是非だ。5月一杯に報告が出ることになっている。

 以下、元英兵で本を書いた人の話を入れて、振り返ってみた。

―イランのプロパガンダに捕まった?

 3月末、ペルシャ湾岸でパトロール中だった15人の英兵が「イラン海域を侵犯した」としてイラン軍に拘束された。約2週間の拘束状期間中、英兵たちの一挙一動はイランのメディアを通して広く放映され、「侵犯」(英政府側は否定)に関してテレビカメラの前で謝罪させられるなど、様々な形でイラン側のメディア戦略に使われた。

 4月4日、アフマディネジャド・イラン大統領は、突如、恩赦と称して英兵たちの解放を表明。英兵たちの一人一人が拘束した国の大統領と談笑し、おみやげの紙袋を手に取る様子は、多くの英国民にとって屈辱的な光景でもあった。

―メディア戦略の是非

 英兵たちが帰国すると、間もなくして大きなバッシングが起きた。国防省が、英兵側に報酬付き取材を特別に許可したことがきっかけだった。

 元英兵で除隊後、「スクワディー(新兵)」を書いたスティーブン・マクログリンさんの話によると、現役兵士は国防省の許可なく取材を受けることは許されない。オフレコでもメディアの取材を受け、報酬を得ることは禁止で、禁止令解除は国民の関心が特別に大きい場合などの例外のみ。国防省の許可の下で取材を受ける場合でも、内容などに細かい規制がつく。また、インタビュー記事が出る前に国防省高官が内容を点検し、場合によっては一定箇所の削除やあるいは拡大するなどを決める場合が多いという。

 5月1日付ガーディアンに、英軍の従軍記者となってアフガニスタンに行った特派員のレポートが出ている。原稿は出す前に国防省あるいは現地上官が目を通した、と書かれている。

 今回、「もし禁止しても、メディア側の関心が高いので話す人が出てくる。それなら正式に許可したほうが良い」(国防省)という考えだったという。

 ところが、女性兵士が体験談を10万ポンド(約2300万円)で売るなどの巨額報酬を手にしたことが分かると、イラクで兵士だった息子あるいは娘を亡くした遺族から怒りの声が出た。「自分の子供は亡くなっても巨額の報酬は出ない」、「不公平だ」。

 また、敵に拘束された兵士は、通常、名前やランクなど最低限の情報以外は出さないのが原則だが、今回の15人はイラン側の言いなりになりすぎたのではないか、とする批判も出た。英兵の一人が「Mrビーンに似ていると言われて、泣き明かした」と語ったエピソードは兵士の未熟さも示唆した。

 英兵たちが、「お金をもらうこと自体は悪いことではないと思う」とメディアに語ると、さらに国民の反感は強まった。

 歴史家アンドリュー・ロバーツ氏は、「現役兵士が体験談で巨額の報酬を得ても構わない」、「おみやげをもらってもいいじゃないか」と思えたら、その人は「新英国人」で、怒りを感じるようだったら、「旧英国人」と分析している(サンデー・タイムズ4月8日付け)。

 「新英国人」を所轄する国防省は、9日までに謝礼付きインタビューを当面禁止する方針を発表。ブラウン国防相は、国防省のメディア戦略が間違いだったことを、16日、議会で正式に認めた。

―英国、イランのプロパガンダに利用された拘束兵

 元英兵の作家マクログリンさんによると、帰国した英兵たちは、「今度は英政府に都合の良いことがメディアに出るように」という目的の下、英政府のプロパガンダに利用された、という。

 実際に大きなインタビュー記事がメディアに出たのは、20歳の「MRビーンに似ているとされて泣いた英兵」と、「母親でもある英兵」だったが、この2人は「意図的に注意深く選ばれた」英兵たちであり、「おそらく、インタビューの中で何を言うかに関し、国防省から細かい指示があった」、「決して自由に、一個人として話していたわけではない」と、マクログリンさんは主張する。

 ちょっと「陰謀説」のような見方かもしれないが、国防省、海軍上層部(+官邸?)の、体験談を売ることへの異常な情熱のかけ方を見ると、「意図的に体験談販売を許可した」と思われても仕方ないだろう。プロパガンダ戦争、メディア戦争といっていい。どの戦争でもあるのだろうと思う。(今回は2国間が武器を使った戦闘状態にあったわけではないけれども。)もしこれがプロパガンダ戦争だったとしたら、英国は負けたのだろう。

 一方、メディア以外の話になると、無事に英兵が解放されたことで、英政府側は「英国は勝った」と述べたものの、英兵が近隣海域でイラン側に拘束されたのは2004年に続いて今回が2度目。再度イラン側の拘束を許してしまったのは、「大きな失態」(複数の国会議員)と言うしかないだろう。

 また、「例え禁止しても、英兵側の誰かが体験談を売る可能性があった」とブラウン国防相が議会で繰り返すたびに、「兵士に規律を徹底できない国防省」という印象が裏打ちされるばかりだ。

 「英海軍も国防省も、すっかり威厳がない存在なのだ」―。英メディアの分析が、核心を突いているように思えた事件だった。

 問題になったSHATT AL-ARABだが、アラビア語読みではシャットル・アラブ(シャタル・アラブ)川(「アラブの海岸」の意味)、ペルシャ語ではアルバンドラド川と呼ぶようだ。ペルシャ湾のイランとイラクの国境にある。近隣の水域支配は何世紀も前から紛争の元になってきた。

 最初の協定は1639年、時のペルシャ帝国とオスマン・トルコ帝国で結ばれた。現在のイランとイラクにとっては重要な貿易路で、70年代両国間で国境線の合意が交わされたが、フセイン元イラク大統領がこれを破棄。1980年代のイラン・イラク戦争勃発の理由の1つとなった。2003年のイラク戦争では同盟国軍の重要な軍事拠点となり、戦後は国連決議により英国が近隣をパトロールする権限を与えられた。2004年、イランは領海を侵犯した疑いで英兵8人を2日間拘束し、後解放した。

 今回の英兵たちはどこにいたのか?イラン側はイランの海域にいたとしており、英国側はイラク海域にいた、としている。かみ合っていないのだ。「どちらでもない」、「議論が続いている」というのが正確だろうか。(まとめのおおよそは「英国ニュースダイジェスト」4月26日号掲載。)

ー英兵拘束事件の主な流れ

3月23日 ペルシャ湾岸で商船の検査をしていた英海軍兵士15人をイラン革命防衛隊が拘束。「イラン領海侵犯」とされる。
25日 ブレア首相、領海侵犯を否定。
28日 拘束中の英女性兵士が、イランのテレビで領海侵犯を認める。
30日 イラン大統領、英政府に謝罪要求
31日 国連安全保障理事会が、イランの英兵拘束に「重大な懸念」を表明。
4月2日 イランのテレビが、英兵全員が領海侵犯を認め、謝罪したと報道。
3日 イランの高官が外交的解決を呼びかけ
4日 イラン大統領、英兵全員の解放を決定
5日 英兵が帰国。
6日 英兵たちが記者会見で、イラン領海への侵犯はなく、脅かされ謝罪した、
   と語る。
   英国防省、元拘束英兵に対し、報酬付き取材を特別許可。後、国内で批
   判高まる。
イラン外務省、「会見はやらせ」と批判
9日 英兵の会見を「サン」などが掲載。ITVでも放映。
   英国防省、謝礼付きインタビューを当面禁止する方針を発表。
16日 ブラウン国防大臣が議会でメディア戦略での間違いを認める。
by polimediauk | 2007-05-03 02:22 | 政治とメディア