小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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ブレアと欧州 フェデラル・トラストより



 ブレア首相は海外にばかりいるこの頃だが、「欧州」というキーワードで考えると、改めていろいろなことに気づかされる。

 親欧州のシンク・タンク「フェデラル・トラスト」の代表者に先日インタビューし、その内容をベリタに出したが、この人が書いた欧州と英国の関係のブリーフィング・ペーパーが参考になった。2006年9月に書かれたものだが、ここで紹介してみたい。ブレンダン・ドネリー氏は元保守党の欧州議会議員だった。

 対欧州ということで見ると、ブレア政権を「失敗」と見る人が多いようだ。国民の反欧州(EU)感情は強く、ユーロ参加もなく、いつ参加するのか皆目見通しが立たない状態で、ブラウン財務相は欧州経済の不効率さを長年批判してきた。「欧州に比べたら、英経済はすごい」というわけである。そして、ブレア首相は、「親欧州」でなく、「反・反欧州」。ニューレーバーは常に選挙で勝つことを狙いとし、欧州に関してはどっちつかずで終わりつつあるようだ。

 (以下はブリーフィングペーパーから一部を抜粋して和訳)

「ユーロと英政治」
 ブレンダン・ドネリー、フェデラル・トラスト代表

 近年の英国内での欧州単一通貨ユーロに関する論調を追っていると、それぞれ自分の立場を強調しているだけのように見える。ここでは英国の政治と欧州の歴史的関わりの経緯を振り返ってみたい。

 1990年代、英国の政治は、1997年に総選挙で勝った労働党とそのリリビジョニスト的な考え『ニュー・レーバー』によって、大きく変わることになった。

 ニュー・レーバーの政治哲学の中心にあったのは、伝統的な労働党では選挙に勝てないという信念だった。つまり、労働党に関して世間が想像するのはいくつもの不人気な政策で、例えば懲罰的な税率、経済のへたな管理、経済の主要部分の国有化の要求、違法行為に過度に寛容すぎるなどだった。こうした魅力的ではないイメージがあったので、労働党は1979年以降、4回連続、総選挙で負けた。1992年の総選挙では与党・保守党の人気が低下していたにも関わらず勝てなかった。

 現在の労働党党首(かつ首相)トニー・ブレア氏のこうした分析を、前党首(亡くなった)ジョン・スミス氏も一部では共有しており、1994年の急死直前には、党の近代化に着手していたと言われている。しかし、ブレア氏が党首になってから10年以上が経ち、労働党はニューレーバーとして近代化され、果たしてスミス党首が生きていたらここまで改革を成し遂げたかどうかは今となっては疑問である。

 ブレア氏による徹底した労働党政策の再モデル化とプレゼンテーションの結果、現在の英国民の労働党に対するイメージは15年前と比べてすっかり変わってしまった。経済状態は控えめに言っても尊敬に値するほどになり、国内の治安に対する議論も活発で、かつ過度の平等主義にはならないようにしている。

 労働党内の反ブレア派が、選挙で勝つという短期的な目的のために労働党の伝統的な原理を捨ててしまったという批判に対し、ブレア氏は1997年以降、選挙で勝ってきた業績を示すだけで黙らせることができる。

 現在、伝統的な支持者のグループを除いては支持を広げることができない、不人気の政策を持つ政党と見なされるのは労働党ではなく保守党だ。もし選挙で勝つという短期的な目的のために労働党がかつての原理原則を投げ捨ててしまったのだとしても、こうした犠牲は、現状を見ると成功したと言わざるを得ない。現在の英国の政治の「主流」は、紛れもなくニューレイバーとなった。

 ニューレイバーは「親欧州」と言われてきた。しかし、果たしてそうだろうか?私の見たところでは、選挙で票を増やすために、「反・反欧州」になったのだと思う。これはブレア首相の欧州に対する態度を見ても分かる。

―ニューレイバーと欧州

 1960年代以降、欧州は労働党内で大きく議論が分かれるトピックとなってきた。長年、労働党は反欧州共同体(EC,後のEU)の立場を取ってきた。1972年、英国がローマ条約を批准してECの一員となった時、これを支持した労働党党員はわずかだった。

 1974年、労働党政権になると、ECへの加盟を続けるべきかどうかで、党内は大きく分かれた。1975年、労働党政権のハロルド・ウイルソン首相は、加盟を続行するべきかどうかを国民投票にかけた。労働党内の一部は、これを機に加盟継続をしないようにというキャンペーンを行ったがこれは不成功に終わった。(当初の予想に反して、国民は加盟継続を支持した。)

 1979年、労働党が選挙に破れ政権を失うと、EC加盟に関して敵対感情を持つグループが党を分断化し、党指導者への反感も生んだ。こうした中で、社会民主党(SDP)ができた。SDPの指導者シャーリー・ウイリアムズやロイ・ジェンキンスは、かつて、1972年の英国のローマ条約批准を支持した少数派の労働党議員たちだった。

 労働党が1980年代初期左に向かうと、党全体としてECに対する敵意も強まっていった。反欧州とする理由は、将来労働党政権が真の社会主義的政策を進めようとしても、ECの域内自由貿易や政治統合の価値観がこれを妨げるから、というものだった。

 1983年の総選挙で、労働党のマニフェストはECからの脱退を求めた。1987年の総選挙では、脱退こそは文章化しなかったものの、ECに対する不信感をあらわにしていた。現在ニューレイバーとされる労働党議員も、1983年や1987年の総選挙では反ECの労働党のマニフェストを否定していなかった。

 1980年代後半になって、ようやく、労働党の伝統的な反ECという姿勢はやわらぐようになった。1988年、当時のECの委員長だったフランスの政治家ジャック・デロール氏が、英国の組合の大会で演説した。この中で、デロール氏は、ECは英国の労働運動に大きな貢献ができると述べ、具体例として新しい社会主義的法律の法制化を挙げた。これを聞いていた聴衆は非常に喜んだと言われているが、同時に、当時の保守党政権を率いていたサッチャー首相はECに対して大きな敵意を抱くようになった。

 1992年、(1972年に英国のEC加盟に反対した労働党議員の一人だった)ジョン・スミス氏が労働党首になった。スミス氏の指導の下、労働党と欧州の他の左派系政党との溝が少しずつ小さくなっていた。英国以外の欧州諸国の左派系政党のいずれもが欧州統合の深化を熱狂的に支持していた。

 これにも関わらず、1990年代初期、欧州の統合をさらに進めたマーストリヒト条約の批准に関し、政権党保守党内で意見が分かれていた時、メージャー首相はジョン・スミス氏率いる労働党議員から何の支援も得られなかった。

 スミス労働党党首は、欧州問題で保守党が割れていることを察知し、これをさらに悪化させようと、マーストリヒト条約を批准する法案の成立に反対の立場をとることにした。この動きは、2大政党が政権取得を競い合う英国政治でよく起きるなわばり感覚による行動で、英国の外の政治状況や文脈とは無関係の動きとなる。

 1994年、ブレア氏が労働党党首になると、労働党の近代化の一環として、反欧州主義を何とかしようと考えた。自分自身のこれまでの生い立ちや知的な背景からすると、党内左派や労働組合が欧州のことになるとなんでも反対する姿勢にはいやな思いを抱いていた。こうした敵意は、まさに「古い労働党」のやり方であり、ニューレイバーが支持を拡大しようとしている、英国の中流階級には到底受け入れられないものだと感じていた。中流階級の大部分は、保守党内の欧州に関する感情的な議論について、一歩引く思いもしていた。

 そこで、ニューレーバーは、古い労働党のような、欧州に対する古臭い国家主義を持っていないと中流階級に訴えることにしたが、これは優れた政策だったと言えよう。しかし、ブレア氏の新しい欧州主義とは、無条件に欧州を受け入れることを意味しなかった。特に欧州単一通貨のユーロに関して、ニューレーバーが焦点を置いていたのは選挙でどう影響がでるか、だった。

 1997年の総選挙の直前の数ヶ月、労働党の選挙戦略は、英国がユーロを導入するかどうかに関して、2段構えの政策を展開した。労働党は、何でも反欧州というこれまでの古臭い考え方を捨てるという姿勢を選挙民にアピールしながら、EUのことなら何でも無条件に受け入れたと後で追及されないような姿勢も見せる必要があった。英国民は、当時政権を取っていた保守党が展開していた欧州問題に取り付かれたかのような議論は嫌うけれども、欧州の中で英国の国益を優先することが最も重要だと、当時(そしておそらく現在も)考えていた。

 そこで、ブレア氏は、ユーロを導入する際には国民投票を行うという保守党の誓約に同調しているとしながらも、選挙日の直前には、反欧州で著名なタブロイド紙「サン」のコラム中で、いかに英国の通貨ポンドを愛するかを書いた。ニューレイバーは、過度に欧州に熱狂的である様子を見せることで、票を減らしたくないと思ったのだった。

 ニューレイバーの欧州戦略は、EUに対する確信からではなく、何が利益になるかという点から決定されていた。

 -政権に就いてからのニューレーバーと欧州

 1997年の政権発足後、欧州の単一通貨ユーロの議論が注目を浴びた。労働党内の一部の欧州推進派は、政府が近いうちに国民投票を行い、何年ごろユーロを導入化するかを決めることを望んでいた。

 しかし、ブレア首相とブラウン財務相は、ユーロに関する5つのテスト(経済の一致性、雇用問題、海外投資、金融街への影響、経済の柔軟性)を行うことで合意した。今後2,3年で、このテストを行い、テストの結果、導入が英国に経済的利益をもたらすとなった時にのみ、導入することになった。あくまでも経済面の効果で決める、ということになった。これは、英国民の中でEUは経済上の関係のみとして認識されており、政治面は無視されてきた経緯があった。

 この5つのテストは現在でもユーロ導入に関する政府の立場を示すものになっている。

 中間テストとして2003年に行われた5つのテストは、まだ状況が整っていないという結果となった。結果が出た後で、一部のコメンテーターたちが、これで近いうちに(条件が整えば)導入することになったと発言したが、その後のブラウン財務相やブレア首相の発言を見れば、そうではなかったことが分かる。

 現在では、英国のユーロ導入は少なくとも今後十年以上はなさそうだ。しかし、ニューレイバー政権の政治上の立場がどこにあるかをよく表しているのがこの5つのテストだったのかもしれない。つまり、テストはそれぞれが解釈に柔軟性があり、ある時はユーロ導入の障害に見え、またある時は導入への道を作ったようにも見えるのだ。

 最近まで、首相は欧州に関する立場を、反欧州の保守党と親欧州の第2野党自由民主党の間に置いてきたようだ。前者はどんなに経済的利点があってもユーロには絶対参加しないとう立場で、後者はたとえ経済的に不利でも導入しようという立場だ。

 ブレア政権は、特定のイデオロギーにはよらず、経済状況にしたがってユーロ参加を実利的に決定する、と述べている。これは、1990年代末、ユーロが最初に他の国で導入された頃の英政府の立場だった。英国民は絶対にユーロに参加しないという姿勢には懐疑的だが、ユーロを導入して欧州に政治的にさらに統合されることを決定をするにはちゅうちょするのだった。ブレア政権が、5つのテストを使って反ユーロ派とユーロ推進派の二つの立場の間に立つのは、国民の感情を反映していた。

 ブラウン財務相よりも、ブレア首相の方が、英国のユーロ参加に熱意を持っていたと言われる。ブラウン氏はユーロ導入を武器にして、早期に次期首相になろうとしていたとも言われる。

 ブラウン財務相は、5つのテストを使うことで、自分はブレア首相から独立していることを示すことができた。ブラウン財務相は長い間EC・EUや加盟国の経済状態、予算を批判し続けてきた。ブレア氏は財務相の判断を覆すほどの力がなかったのだと推測される。また、もし財務相の判断をくつがえせば、党内が割れると側近らにアドバイスされていた可能性もある。ニューレーバー体制の維持が重要視されていた。

―結論

 政治哲学としてのニューレイバーに関する批判でよく挙げられるのが、世論調査など国民の声に頼りすぎているという点だ。この批判があたらない政策の一つはイラクぐらいであろう。

 1997年以降、多くのメディアが、政府あるいは首相が、ユーロに関する国民の反感を変えるために組織的なキャンペーンを行うと報道してきた。こうしたキャンペーンは行われず、ユーロ導入を政府が真剣に議論をした様子もない。ニューレーバーはユーロに関する国民感情を変えるために何もしてこなかった。失敗したのだ。

 英国のユーロ参加の議論では、まずこれに反感を持つ国民感情があり、これを変えようとする政府の動きはあまりなかった。反ユーロ・キャンペーン側はたくさん資金を使っており、メディアや野党もこれに乗った。反感を変える政府側の動きはばらばらだった。最初から、ニューレイバーのユーロ導入への姿勢はみせかけものであり、条件付きだった。導入を反対するプロパガンダが勝ったのだ。

 欧州憲法草案が2005年オランダとフランスで否決されて以来、ニューレイバーの欧州に関する関心はこれまでにないほど低い。もし2006年以内に英国でも国民投票が行われていたら、否決されていただろうと政権内の大多数が思っている。近い将来、欧州に関して何らかの国民投票をしようという気持ちは政府側にはないようだ。

 サッチャー氏が首相だった時を除き、英国のEU(あるいはEC)参加に関して熱意を持ってきたのは保守党政権だった。

 民主政治では何事も永遠のままではない。英国の政党やその指導者にとって、欧州が驚くような動きをもたらす可能性がある。

 (以上、フェデラル・トラストのブレンダン・ドネリー氏の2006年9月「ユーロと英国政治」ブリーフィング文書より、一部を抜いての再構成)
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 ちなみに、ドネリー氏は2009年とも言われる次の総選挙で、過半数に至らなくても労働党がまた勝つ、と考えている。理由は野党保守党のキャメロン氏は人気があるものの、まだまだ党内では少数派で、政権を取るところまではいっていないためだ。そして、労働党が第2野党の自由民主党と連立政権を作るのでは、と予測している。また、後15年ぐらいで、保守党政権の時に英国はユーロ参加をする、と述べている。あたるかどうかは分からないが・・・・。

 総選挙まであと2年あるかないかになった(もし2009年として)。保守党も労働党もまだブレア政権が終わってもいないのに、既に総選挙での勝利を巡るレースが始まっているような行動、発言が出ている。キャンペーンの最初の段階がもう始まっているように私は感じている。

by polimediauk | 2007-06-03 08:46 | 政治とメディア