小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk

デンマーク諷刺画 揺れるデンマークー1

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  ロンドンとグラスゴーのテロ未遂で逮捕された8人の結びつきが詳しく新聞やテレビで報道され、やはり読んだり見たりしてしまう。

 何となく、「またか」と思ってニュースを見ている人は多いのではないか。どうしてここまでなってしまったのか。驚くほど、ぽろぽろ、出てくる。

 水曜日、イスラム教「過激集団」のヒズボタヒリールを何故、解散措置にしないのか、とキャメロン保守党党首が、首相に議会で聞いていた。

 首相はうまく答えられなかったが、リード元内相が、解散措置にしたかったが、裁判では解散措置をするほどの証拠がなかった、と答えていたようだ。

 英国のヒズボタヒリールの人に話を聞いたことがあったのだが、どこが「過激」となるのか?と思った。確かに、英国をイスラム社会・シャリア法で統治される国にしたい、というビジョンを持っていると言われた。しかしアイデアを持っているだけでは、政府は解散措置にするわけにはいかないのだ。まだまだ疑問で一杯だ。

 デンマークの風刺画事件が世界的に大きくなったのは2006年初頭。このブログでもだいぶ書いてきたが、「現地の生の声」をしばらく出していきたい。

(ベリタ2006年02月26日掲載 )

「ムスリム移民は疑念の対象」 

  イスラム教の預言者ムハンマドの中傷漫画騒ぎは、火元のデンマークではどのように受け止められているのだろうか。人口約540万の国の一新聞が世界に広げた波紋の大きさに、多くの国民は戸惑いを覚えているようだが、この騒ぎで浮き彫りになった様々な問題を真剣に考えようとする人びとも少なくない。首都コペンハーゲンで、ジャーナリスト、移民問題専門家、ムスリム、作家らの声に耳を傾けてみた。 
 
 ユリー・クリスチャンセンさんは、デンマークの通信社リツァウスの外報デスク(2006年2月当時)。現在7ヶ月目の出産休暇中だが、自宅で長男の面倒を見ながら、合間を縫っては原稿を書いてきた。「ここほぼ一ヶ月は、ニュースといえば風刺画の事件ばかり。他にニュースはないの?」と文句を言いながらも、テレビやラジオにかじりついてきたという。 

 コペンハーゲンの北30キロほどにあるヒレロドのカフェで、今回の事件が移民の融合策に及ぼす影響、政府の対応、言論の自由、「寛容」とされるデンマークの国民性などについて聞いた。 
 
▽イメージだけの「寛容な国」 
 
──今、一番の懸念は何か? 
 
 クリスチャンセン:まず、ムスリム系移民の社会融合が今回の風刺画事件のおかげで遅れることになるだろう点だ。新聞は宗教の話ばかりで、ニュースも30分の番組があれば25分は風刺画の話だ。他のニュースはないのか?と思った。阻害されているムスリム系移民の社会融合をいかに進めるか、という話は全くなかったのが残念だ。 
 
──20万人いるといわれるイスラム教徒の国民に対する、デンマーク国民の感情はどうなのか? 
 
 クリスチャンセン:懸念を持っていた、というのが正確だと思う。不審の目を向ける存在だ。例えば、名前がムスリム系を示唆すると、まともな仕事を見つけるのは非常に難しい。 
 
 また、一生懸命デンマーク語を話そうとする外国人に対して閉鎖的だ。例えば私がかつてジャーナリストの研修でオランダに行き、市場にいって一生懸命オランダ語を話そうとしたとき、みんな喜んでくれた。逆にデンマークでは、外国人がデンマーク語を話すとき、まともなデンマーク語でないと喜んでくれない。もしアクセントがあるデンマーク語を話すと、「言っていることが分からない」で終わってしまう。寛容精神が低い。 
 
──デンマークは寛容精神に富む、と聞いていたが。 
 
 クリスチャンセン:イメージだけだ。もちろん、法律などはリベラルだが、人々の心は非常に狭いと感じている。 
 
──今回の事件での政府の対応をどう評価するか?首相側は、独立メディアに干渉できないという理由で、イスラム諸国からの大使との面会を断り、これが問題を悪化させたとも言われているが。 
 
 クリスチャンセン:今から思うと、良くない言い訳だった。そう言えば、問題が消え去ると思っていたのだろう。 
 
──デンマークの旗が燃やされる場面をテレビで見て、衝撃だったか? 
 
 クリスチャンセン:それ自体はショックではなかった。他のニュースがないのだろうか、他の情勢を知りたい、と思った。良い面を見ようとして、少なくとも国旗は売れたのだ、と考えていた。 
 
▽表現の自由には慎重さが必要 
 
──ユランズ・ポステンは、風刺画を掲載するべきではなかったと思うか? 
 
 クリスチャンセン:うーん…非常に難しい質問だ。ジャーナリストとしては、表現の自由、報道の自由はもちろん支持する。 
 
 しかしユランズ・ポステンは、デンマークという小さな国のたった一つの新聞が掲載するだけだ、と考えていたのではないだろうか。デンマークの外に世界があることに気づかなかった。この点からは、間違いを犯したのだと思う。メディアにはパワーがある。間違いをすれば、その影響は非常に大きい。何を掲載するかに関して、念には念を入れて考えることが重要だ。 
 
──風刺画自体をどう見たか? 
 
 クリスチャンセン:風刺画は、ある意味では、確かに非常に挑発的だと思った。こんな挑発は、ムスリムたちを疑念の対象としてとらえる傾向が強まっていたデンマークには必要なかったかもしれない。表現の自由は大切だし、タブーがあれば風刺画は描けない。デンマークの風刺画は何でも対象にするし、徹底的に戯画化する。しかし、自殺や中絶の場面が風刺画に出ることはない。タブーが実際にはあるのなら、なぜ預言者ムハンマドの肖像もタブーのひとつとしないのか、とも思う。 
 
▽移民融合策の逆戻りを懸念 
 
──イスラム諸国では大規模な抗議デモがあったが。 
 
 クリスチャンセン:イランなど、人々が非常に暴力的になっている様子をテレビで見た。しかし、例えばシリアだが、人々が自分で思いついて大規模なデモをするということはありえない。政府が何らかの指示を出しているのは確かだ。 
 
 しかし、ああいう反応を見ていると、ある意味では、風刺画の掲載も意味があったと言わざるを得ない。つまり、暴力の威嚇を通じて表現を封じようとしている人々が存在していることが表に出たからだ。こういう状態は変えなければいけない。何かに異論があれば、威嚇ではなく議論をするべきだ。 
 
 デンマークの国民のイスラム教徒に対する見方が、今回の件でどのように変わるのかを注視している。移民の融合策の進展は、今回の事件で、一度に何十年か前のレベルに戻ってしまった。 
 
 反移民、反ムスリム感情を増幅させることを狙ってきた極右のデンマーク国民党はきっと、事態の進展を心から喜んでいるだろう。選挙が今なくてよかったな、と思う。きっと大量の票を得ただろうから。人々が移民に対してポジティブなイメージを持つようになるまでには、かなり時間がかかるだろう。 
 
──例えば国民党はどのような発言をしているのか? 
 
 クリスチャンセン:あるメンバーが、ムスリムはがん細胞だ、と言った。こうした発言を許す雰囲気がデンマークにはある。これは風刺画事件の前からだ。それでも、誰もムスリムのために抗議デモをやったりはしない。ここが恐ろしい点だ。 
 
──風刺画事件の後、デンマーク国民は、「彼ら(ムスリムたち)と私たち(非ムスリム)」という考え方になってしまっているだろうか? 
 
 クリスチャンセン:まさにそうだ。 
 
 メディアにも責任がある。デンマークのメディアは、世論形成に大きな影響力を持つが、移民やムスリムに関して否定的なことのみを書く傾向があると思う。 
 
 成功例の話は少ないが、例えば中国人移民のコミュニティーがあるが、中国系移民たちはほとんどが職を持っており、税金も払っている。生活保護を受けていないので、「良い移民」として受け取られている。移民のためには税金を使いたくない、という感情が人々の中にある。 
 
 デンマークに来るなら、自分たちのように行動し、話して欲しい、と思う人が多い。できれば、自分たちのような外観を持って欲しい、と。そうすれば、私たちは移民たちの存在を気づかないですむ、と。嘆かわしい。フランス人が傲慢だというけど、デンマーク人もすごく傲慢だ。 
 
──デンマークの国民の大部分がキリスト教徒ということだが、実際、どれほど宗教が身近なのか? 
 
 クリスチャンセン:クリスマスの時だけキリスト教徒になる人は多いと思う。この点からは、ほとんどのデンマークの国民からすると、なぜあの風刺画がこれほどの注目を集めているのかを理解するのが難しい。ムスリムに聞くと、預言者ムハンマドに対して、自分の家族、子供や親に対する感情と同じぐらいの、あるいはそれ以上の強い感情を持っているという。これをデンマーク人は理解することができない。自分たちにはそういう感情がないからだと思う。(つづく) 
 
<デンマーク風刺画事件をめぐる主な動き 2005年から2006年2月> 
 
2005年9月30日
デンマークの保守系有力紙「ユランズ・ポステン」紙がイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画12枚を紙面に掲載 
10月17日
エジプトの新聞が風刺画の何枚かを転載し、「侮辱」であると表明。 
10月20日
イスラム諸国からの大使らが、デンマーク首相に風刺画に関して抗議 
2006年1月10日
ノルウエーの雑誌が風刺画を転載 
1月26日
サウジアラビアがデンマーク大使を帰国させる。 
1月30日
武装集団がガザ地区にある欧州連合(EU)の事務所を襲撃し、風刺画掲載への謝罪求める 
同31日
ユランズ・ポステンが謝罪。デンマーク首相は謝罪を歓迎するが報道の自由を支持 
2月1日
フランス、ドイツ、イタリア、スペインの新聞が風刺画を転載。この後、欧州を中心に転載する新聞が増えてゆく 
同2日
転載をしたフランス・ソワール紙の上級編集者が解雇される 
同4日
シリアのデモ参加者が首都ダマスカスのデンマーク及びノルウエー大使館を襲撃。国連事務総長アナン氏が事態の沈静化を呼びかけ 
同6日
アフガニスタンやソマリアでデモ参加者が命を落とす 
同7日
イランがデンマークとの外交関係断絶を宣言。テヘランにあるデンマーク大使館を数百人のイラン人らが襲撃。 
同8日
フランスの週刊誌が風刺画を転載。シラク仏大統領が「挑発的」と批判。 (資料:BBC他) 
by polimediauk | 2007-07-06 05:51 | 欧州表現の自由