風刺画事件 揺れるデンマークー3
2005年9月末、デンマーク紙に掲載された預言者ムハンマドの風刺画が世界的なトピックになった1つのきっかけは、同年末、デンマーク内のイスラム導師アブラバン氏が中心になって、風刺画(掲載されていない分もあったという)を携えて中東諸国を回ったことだったと言われる。06年年明けに欧州各紙、雑誌が再掲載し、大きな問題になってゆく。
このアブラバン師が、BBCラジオでインタビューされている様子を私は自宅で聞いていた。コペンハーゲンのモスクで記者会見が行われ、BBCの記者は「あなたが騒動を広めたんですね。何故そんなことをしたのか」と、詰問調で、質問をしていた。糾弾する感じだった。ダミ声で答えるアブラバン師。「わけの分からない、怖いイスラム教イマーム」というイメージが伝わってきた。
しかし、本当かな?とも思った。どうして最初から相手を悪人として問い詰めるのか?この人物が「悪人」なのかどうか、私には分からなかったが、もしそうだとしても、最初から戦闘態勢の質問は、いかにも西欧的だとは思ったが、何か重要なヒントがこぼれ落ちる部分があるのではないかとも思った。
コペンハーゲンに06年02月行き、アブラバン師に会う機会を得た。
師はなぜか、毎週金曜日の説教を英語で行っていた。「何故デンマーク語でやらないのか、と批判がある」と地元紙の記者が教えてくれた。この記者自身、アブラバン師が非常におもしろいキャラクターであると見ており、「密着取材をしたい」と話していた。
師が来るモスクは、2階建ての建物をモスクとして使っているだけなので、外側から見ただけではモスクとは分からない。
説教を終えたアブラバン師が、私と地元紙記者が待つ場所にやってきた。祈りをする場所の上にある図書館兼応接間には、黒いソファーと低いテーブルが置かれている。テーブルの上にはチョコレートの箱やお茶が並べられた。
風刺画騒動がおきてからは、説教の後、毎回記者会見を開き、世界中からやってきた記者と会話をしたという。その日は私を含めて取材者は二人だけ。チョコレートを勧められ、お茶を飲みながらの取材だった。穏やかな、あたたかみを感じさせる雰囲気があった。パレスチナ人だが、「デンマークは自分の国。この国を愛している。民主主義を愛する」といっていた。
そのほぼ1年後、アブラバン師は60歳でがんで亡くなった。
06年の秋には、一連の騒動に疲れ果て、体調を悪くし、「デンマークを出たい」とも言っていたという。最後に私が電話で話したとき、「体調は何とか戻った。デンマークにいることにした」と言っていたのだが。妻と7人の子供を後に残した。
ベリタ2006年03月04日掲載
「イスラム教徒の価値観に理解を」

デンマークで最もよく知られているイスラム教イマーム(導師)のアーマド・アブラバン師は、イスラエルの海港ジェッファでパレスチナ人家族の子供として生まれ、1984年に政治的亡命者としてデンマークにやって来た。預言者ムハンマドの風刺画掲載への抗議の一環として、昨年末、エジプト、レバノンなどの中東諸国を訪問したグループの一人だ。新聞に掲載された風刺画とともに、ムハンマドをブタに見立てた写真なども持参し、中東諸国の中で反デンマーク感情を扇動した人物とも言われている。コペンハーゲン市内のイスラム教礼拝所の1つで、金曜礼拝の儀式を終えて声を枯らせたアブラバン師に話を聞いた。
▽イスラム教徒挑発が目的
――これまでの経緯を確認させて欲しい。風刺画を掲載したユランズ・ポステン紙とはどのようなコンタクトをとってきたのか?
アブラバン師:昨年12月8日、掲載を企画したユランズ・ポステン紙の文化部長フレミング・ローズ氏らと面会した。ムハンマドに関する知識を深めるためのセミナーを一日か二日で共催しないか、と誘った。ユランズ・ポステンやイスラム教徒のコミュニティーが資金を出して、大学にも協力を呼びかけよう、と。こうしたセミナーを開くことで、デンマークは反イスラム教ではないというメッセージを世界中に広げることができる、と言った。
――会談はどのような雰囲気で進んだのか?対立的?
アブラバン師:和やかな雰囲気で進み、ローズ氏と握手もした。
――今回の12枚の風刺画のどこが侮辱になるのか?
アブラバン師:最も侮辱的だったのは、一連の風刺画が、ムハンマドやイスラム教に対して否定的なイメージを伝えていた点だ。
誰しもがテロリストのことを話すこの時代に、爆弾の形をしたターバンを巻いたムハンマドの風刺画があれば、ムハンマド自身が、そしてイスラム教徒たちがテロリストだという印象を与えるだろう。非常に悪いイメージだ。
ユランズ・ポステン紙の編集長カーステン・ユステ氏は、社説の中で、頻繁に「暗闇の人々の脅し」という言葉を使ってきた。イスラム教を信仰する人々を、彼は「暗闇の人々」と形容していた。掲載にイスラム教徒を挑発する目的があったことは確かだ。
――デンマーク政府に謝罪を要求したのか?
アブラバン師:決してそんなことは要求していない。決して。
私たちは、首相宛に公開書簡を書いた。何故私たちが(11月から12月にかけて)中東諸国を訪れたのかを説明した手紙だ。この手紙の中で、これは政府の問題ではない、ユランズ・ポステンの問題だ、と書いた。
――では、ユランズ・ポステンに謝罪を要求したのか?
アブラバン師:していない。ユランズ・ポステンへの英語の手紙を一緒に読めば、分かる。フレミング・ローズ氏に手渡した手紙の中では私たちはこう書いた。「私たちは、両者が勝つような状況を作りたい。私たちは、デンマーク政府や制度、人々に対して怒っているのではない。大きく考え、大きく行動したい」
「現在の状況は一触即発の雰囲気になっている。私たち全員が力をあわせてこの状態を変えなければならない」
「私は楽観的だ。ゲームのルールは変わるだろう。大学の教授などに話しかけて、ムハンマド・セミナーなどを開いたらどうだろう。ムスリムコミュニティーが75%を払い、デンマークの大学が払い、ユランズ・ポステンは5%払うという形ではどうだろう」。
この提案をいくつかの大学にも送った。
▽真剣な反応示さぬ政府・新聞社
――反応は?
アブラバン師:大学側の答えは否定的だった。
今年1月12日には、公開書簡を首相に送った。この中で、私たちはデンマーク国民であり、他の国民と同様の平等な扱いが欲しい、と書いた。中東諸国を訪問したのは、風刺画問題に関して、文化的かつ知的アドバイスを受けるためだった、と説明した。そして、私たちイスラム教徒のコミュニティーは首相を支持する、と書いていた。
この書簡以前にも、文化大臣宛てに昨年から、意見交換のための書簡を送っていたが、返事はなかった。
政府や新聞社に声をかけても、何度も何度も何の反応もない、という状況が続いていた。
――確認だが、これまでに、政府にもユランズ・ポステン側にも謝罪の文面を要求したことはないのか?
アブラバン師:ない。しかし、いつでもまともに扱ってもらえなかった。話を一応は聞いてくれたとしても、答えに真剣さがなかった。結果的に、中東諸国の訪問につながった。
――訪問をすることで、デンマークに対する憎悪感を扇動した、という報道がされているが?
アブラバン師:そんなことはない。カイロ大学などでイスラム教の権威に会ったのだが、カトリックの人がローマのバチカンに行って相談するのと同じだ。私たちは、デンマークの指導者たちが私たちを真剣に受け止めていない、聞いてくれない、と感じていた。そんな時、私たちは道に出て抗議デモを組織化するような行動はとらない。中東に行って、スピリチュアルなリーダー達に会って、これからどうするべきかを相談したのだ。
――ユランズ・ポステン紙に掲載されていない、しかしムハンマドを侮辱するような風刺画や画像などを持って行き、このおかげで怒りを故意に増幅させた、とも報道されているが?
アブラバン師: 単なる疑惑だ。どれが掲載された風刺画でどれがそうでないのかは、一目見ればすぐ分かる。イスラム教徒が侮辱されている状況の説明をしたかっただけだ。問題の指摘はできたと思っている。
▽スケープゴート探し
――BBCを初めとした西欧のメディア報道では、あなたを悪者として描くものが多いが、どう思っているか。
アブラバン師:それはそれで生きていくしかない。私たちは独立した宗教グループだ。人材がたくさんあるわけではないし、新聞やテレビ局を持っているわけでもない。しかし、神が助けてくれる。
世界中の10億人にも上るイスラム教徒が感じている風刺画掲載への怒りに耳を傾ければ、真実が分かる。紳士、淑女の皆さん、全人類のみなさん、私たちは全員、人間だ。しかしそれぞれ違う。中にはイスラム教を信じている人もいる。イスラム教徒にはイスラム教徒の価値観がある。この点を最も訴えたかった。
――あなたは「過激的な(ラディカルな)イマーム」と言われているが、これは正しいと思うか?
アブラバン師: 自分ではいえない。デンマークでは20年間、ラディカルなイマームということになっている。しかし、イスラム教は過激な宗教ではないと思っている。これもまた不正確な報道なのだ。
――世界中のイスラム教徒が各地でデンマーク製品のボイコットを始め、抗議運動が広まっていった時、あなたは中東のテレビ局アルジャジーラの取材の中ではボイコットを奨励し、同じ日のデンマークのテレビではボイコットをしないように、と言っていた。このため、ラスムセン首相は、あなたのことを「二枚舌の人物」と呼んだが。
アブラバン師:誰かスケープゴートを探そうとして、必死なのだろう。二枚舌のことを言うならば、イスラム教徒を侮辱するつもりではなかったと言いながら、あのような風刺画を掲載するというのは、どう考えるべきか。
例えば、フレミング・ローズという名前のラディカルなイマームがいるようなものだ。ユランズ・ポステンは、毎日のようにイスラム教やムスリムに関する否定的な文脈の報道をしてきた。ユランズ・ポステンもラディカルなイマームとしての面があったのだ。
批判的であることは、民主主義の権利だ。しかし、誰かを2枚舌だというなんて、こういっては申し訳ないが、政府こそ二枚舌なのではないか。中東で、ムスリムたちをだましたり、うそをついている。だから人々は怒りを感じているのだ。
▽文明の発展に力を合わせたい
――「表現の自由」をどうするべきだと思うか?
アブラバン師:欧州や世界が、この問題をもう一度じっくり考えてみることを望んでいる。政府の上層部は表現の自由を弁護し続けているが、私たちは、モラル上のそして倫理上の配慮が伴うべきだ、と思っている。
表現の自由は、内戦を引き起こすためにあるのではなく、他人を侮辱するためにあるのでもないだろう。表現の自由とは、人種上あるいは宗教的背景の違いを盾にして、他人を貶めるためのものではない。この点に同意して欲しいのだ。これが、最初からの私たちの要求だ。
ユランズ・ポステンのユステ編集長は、もし風刺画がこれほどの怒りをかうのだったら掲載していなかった、と今は書いている。掲載が間違いだったと認めた、と私たちは受け止めた。
――イスラム教徒に対するメッセージは何か?
アブラバン師:金曜礼拝の時にも言ったが、平和的な手段での抗議を勧めている。私は将来に関して非常に楽観的な思いを抱いている。世界中が、叫び声を上げているイスラム教徒たちの存在に気がついたからだ。世界中が目覚めた状態になったのだと思う。
――西欧に住みながら、西欧に敵対心を抱いているのか、あるいはその価値観に反対してるのか?
アブラバン師: 反対していない。敵対心もない。例えば、たくさんのジャーナリストが西側や日本から来たが、ここでゲストとして迎えている。欧州に住むイスラム教徒として、文明の発展に参加したい、と思っている。
世界中の非ムスリムの人たちには、客観的に物事を見て欲しい、と思う。メディアには正しい文脈を伝えて欲しい。
小さいときに虫歯があって、父に歯医者に連れて行かれたが、私は怖かったので、痛くない歯を見せた。結局、おかげで今でも同じ虫歯に悩んでいる。もし、ジャーナリストや政治家が違う歯を見ていたら、私の子供のときのように、虫歯を治すことはできない。私たちは、協力して、虫歯を治療し、痛みを取り去らなければならないと思う。 (つづく)