小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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デンマーク風刺画 揺れるデンマーク・4


 デンマークの移民・非移民問題や風刺画事件で私が???と思ったのは、「私たち」という言葉の定義だった。特にドイツの新聞の編集長が使っていたのが「私たちの文化」。「先住の白人・キリスト教をベースにした私たち」という意味だと思ったが、違和感を感じ続けた。

 デンマークに住む米国人のケビン・マッグイン氏も、この微妙な点に気づいていたようだった。

ベリタ2006年03月09日掲載

「『私たち』とは何か再考の時」
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  デンマークの首都コペンハーゲンで最も広く読まれている英字紙「コペンハーゲン・ポスト」(www.cphpost.dk)は、市内の約8万人の外国人居住者と、海外からの旅行客らが読者層だ。2006年2月、風刺画掲載の影響が世界中に広がる中で、風刺画がイスラム教を冒涜しているとする声とデンマークの表現の自由を受け入れるべきだという声の両方を掲載し、オンライン版には海外からも投書が殺到した。同紙の副編集長で米国人のケビン・マッグイン氏は、今回の事件を機に欧州諸国は、イスラム教徒とともに「私たちとは何か」を問い直すべきだ、と提言する。
 
▽ポスト紙は風刺画を転載せず 
 
──ユランズ・ポステン紙が、昨年9月、イスラム教徒の預言者ムハンマドの12枚の風刺画を掲載した。紙面で見たときに、どう感じたか? 
 
 マッグイン氏:個人的には、特に強い印象はなかった。デンマークの風刺画はかなり戯画化が強いので、これまでの風刺画と別に変わったものとは思わなかった。女王が風刺画に出ることもあるし、もしイスラム教徒でなければ、通常のデンマークの風刺画の1つ、といってよいと思った。 
 
──コペンハーゲン・ポストのスタンスは、どういうものだったのか?転載は? 
 
 マッグイン氏:ポスト紙では、既に掲載されているものを転載するという計画はなかった。 
 
 転載することで、イスラム教徒の感情を傷つけるであろう事は想像できたし、それ以上に、新聞のスタンスとして、中立であることを心がけている点があったからだ。私たちの新聞には社説もないぐらいで、デンマークを初めて訪れる人、あるいは海外からウエブサイトにアクセスする人、また英語での情報にたよっているデンマーク在住の外国人に対して、様々な情報を提供し、情報の判断は読者にまかせるというやりかただ。 
 
──読者の反応は、どのようなものだったのか? 
 
 マッグイン氏:2月初め、ドイツとフランスの新聞が風刺画を転載してから、世界中に波紋が大きく広がったが、その後の2-3週間で、1000通ほどのメールが来た。風刺画を掲載するべきでなかったとする意見、あるいは掲載して良かったという意見と、両方の見方が寄せられた。風刺画家は殺されるべき、とか、デンマーク人は人種偏見主義者だ、など、極端な意見も少数だがあった。自分の意見の理由付けをきちんと書き込んだ人の投書を紙面に掲載した。海外からの読者の意見も掲載するようにした。 
 
──市民のデモなどはあったのか? 
 
 マッグイン氏:2005年9月の掲載以降、イスラム教徒の国民を中心に、2,000人、あるいは3,000人規模で抗議デモがあったが、それほど大きなものではなく、ほとんどが平和的デモだった。中東諸国では暴力に発展したデモもあったようだが、ここデンマークではデモは平和的だった。 
 
▽米国とは異なるデンマークの表現の自由 
 
──個人的には、どのように状況を見ていたか? 
 
 マッグイン氏: 両方の側が、お互いをもっと理解するべきだ、と思っていた。例えば、デンマークに住むイスラム教徒たちは、イスラム諸国に住んでいるわけではないのだから、デンマークのルールをより理解して、タブーなしに多くのことを戯画化するのがデンマークの文化であることを認める努力をするべきだ、と思った。一方、他のデンマーク人も、表現の自由を行使した結果、傷つく人がいるかもしれないことを、もっと踏まえてもいいのではないか。 
 
 それでも、デンマークを含め、どの国にもタブーはあるし、人を傷つけるトピックもあるだろうが、こうしたタブーがおかされたり、自分が侮辱されたりした時に、建物を焼いたりしてはいけないのだと思う。中東諸国ではデンマーク大使館が襲撃された。暴力を使っては絶対にいけない。 
 
──デンマークの表現の自由をどう見てきたか? 
 
 マッグイン氏:米国人としてみた場合、違った状況が見える。デンマークでは何でも掲載できるので、驚いてしまう。例えば、米国の新聞で、赤裸々な裸の女性のイメージが新聞に堂々と出ることはないだろう。ののしりの言葉も米国ではメディアには出ない。デンマークの表現は時として度を越しているように感じることもある。 
 
 また、米国では、人々は宗教に関わる事柄の報道に気を使う。沢山の人が教会に通っているし、表現行為には配慮がなされる。書いてはいけないもの、掲載してはいけないものが米国にはある。表現や報道の権利がないのではない。権利はあっても義務ではない。 
 
 デンマークでは、閣僚が互いに放尿している場面を描いたものなど、いくつかの風刺画を見て、最初の頃、私もショックだった。しかし、段々慣れてきた。デンマークの人にとっては、こうしたレベルの風刺画は当たり前だ。 
 
 デンマークのメディアには、表現の許容範囲を狭められるのはいやだ、という思いがあると思う。しかし一方では、イスラム教徒にとっては、非常に神聖で戯画化しない事柄もある。だからといって、イスラム教徒のタブーに考慮すると、描いてはいけないトピックがどんどん増えてしまう恐れもある。 
 
──風刺画掲載を決めたユランズ・ポステンの文化部長フレミング・ローズ氏は、事態の影響が世界中に広がる中で、今度はホロコーストに関する風刺画を掲載しようとした。現在は休暇中だが、何故このように非常に対決的と見られるやり方をするのだろうか? 
 
 マッグイン氏:それがローズ氏のやり方なのだと思う。風刺画を掲載することで、問題を提起したい、と。イスラム教徒の読者が預言者ムハンマドの風刺画を受け入れられないものと感じるだろうということを確実に知っていて、あえて出したのだと思う。デンマークのメディアとして、自己検閲が起きているのかどうか、テストするべきだ、と思ったのだろう。挑発のためというよりも、状況をテストするためだったのだと思う。 
 
▽両者の率直な意見交換が必要 
 
──この事件以降、デンマークのジャーナリズムは変わったと思うか? 
 
 マッグイン氏:印刷する前に、その影響を考えるようになっているのではないか、と見ている。 
 
──風刺画を転載したドイツの新聞の編集長が、宗教上の権威を含め、全てのことを笑いのめすのが「私たちの文化」だとBBCテレビで発言し、英ジャーナリストから「私たちの」とはどういうことか?と問われた。つまり、欧州には多い場合には人口全体で10%の移民が既にいるからだ。 
 
 マッグイン氏:確かに、元々欧州に住んでいなかった人も増えている。今後の大きな問題になってくるだろう。つまり、移民たちが、「私たち」の一部になるのかどうか、「私たち」とは何なのか、を定義しないといけない。 
 
 米国の場合は、移民の立場をより良く理解できている部分があるようだ。米国では、「私たちの」文化とは、米国に住む、移民を含めた様々な人の文化だからだ。 
 
──しかし、あまりにも多文化に対する配慮が強すぎて、米国の一部では、クリスマスのときに、「メリークリスマス」といっては「政治的に正しくない」と解釈される場合がある、と聞くが? 
 
 マッグイン氏:確かにそうだ。時々、行過ぎるときがあるだろう。あまりにも配慮が強すぎて、表現の自由が狭まる状況だ。 
 
 こういう方向に行かないように、ということで、ユランズ・ポステンが風刺画を掲載したのだと思う。行過ぎを防ぐために。 
 
──デンマークの旗が焼かれたことに関しては、どう思うか? 
 
 マッグイン氏:自分自身は米国人で、米国の旗が焼かれている映像をこれまでにも見てきたので、ある意味では慣れていたけれど、多くのデンマーク人にとっては、大きなショックだったと思う。デンマークは世界中に広く知られている国、というわけではなかったし、イメージは良い国だったと思う。それが、急に悪い国として見られるようになったからだ。 
 
 結果的に悲しい状況が起きた。対立が明確になった。しかし一方では、デンマークを含めて欧州諸国に住むイスラム教徒の問題を、多くの人はあまり議論をしてこなかったと思う。無視してきた、と言ってもいいだろう。社会の一部だとは見られていなかったのではないか。従って、対立が表面化することが必要だったのだと思う。人々が、率直にこの問題について話し合うことができるようになった、という意味では、良い結果をもたらしたと思う。(つづく) 





by polimediauk | 2007-07-11 21:32 | 欧州表現の自由