小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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ブレア政権のメディア操作(中)


 多様性を自負する英メディアが何故政治のプロパガンダを拒絶できなかったのか?

 背景にあったのはメディア環境の激変と言われている。

 英国では、90年代以降、政治報道のアウトレットが大きく拡大していた。各紙は政治報道の頁を増やし、24時間ニュースのテレビ局もスカイ、BBC、ITN(90年代半ば時点)があった。報道局は視聴率争いに明け暮れ、オンラインニュースも人気となり、インパクトの強いトピックが常時必要とされた。

 マンデルソン氏やキャンベル氏は「スピン・ドクター」と呼ばれるようになった。「スピン」とは、ニュースの文脈ではある出来事に自分たちにとって最善と思われる色をつけることで、スピン・ドクターとは、「政党の(後に政府の)広報担当者」を指す。

 フィナンシャル・タイムズ紙6月12日付けによると、この10年間で政府の広報担当者はそれ以前の10倍の3000人以上に増えている。

 スピン・ドクターの仕事は通常、表には出ない。スピン・ドクター側が選択するトピックは、国民が気づかない間に政府側に都合の良い文脈で紹介されるのが最善だからだ。

 しかし、01年9月11日、米国で同時多発テロが発生し、「(これほど大きなニュースが出たので)悪いニュースを消すには丁度いい」と、スピン・ドクターの一人、ジョー・モア氏が電子メールに書いた。これが大きく報道され、既に国民の中にあった政府のメディア・スピンに対する反感は一層強まった。

 政府のメディア戦略を便利だと思う記者がいる一方で、お気に入りの仲間に入れなかった記者の間では不満が高まった。

 政府は政策の出し方・見せ方にばかり力を入れ、実質的な中身や政策実行の面では努力が足りないのではないか、とする批判も出た。これに対し、キャンベル氏らは「見せ方に力を入れるのはメディアの方ではないか」と批判。メディアとスピン・ドクターたちの関係は、時が経つに連れて敵対的になっていった。

 先のグールド氏は、ある目的のために政党にとって最も最善な方法で政策などを提示することは「批判の対象であるべきでなく、むしろ誇りだ」。

 しかし、こうした見方は少数派だ。多くの英国民にとって政治への不信感を表す際に、真っ先に出るのがこの言葉だ。ブレア政権といえばスピン、という表現がすっかり定着した。

 自分自身もこのメディアチームの一員だった、先のプライス氏によると、政権取得から二、三年経ち、「労働党内でもこうした『メディア操作』はやり過ぎなのではないか、という声があがったという。「何とかしなければとは思っていたが、伝えたいメッセージがあり、これが思うようにメディアに出るという状態が非常に効果的だったので、続けていた」と語っている。

 一方、首相就任当初から「オープンな政府を目指す」としたブレア氏は、政治に関わる情報の公開という点ではいくつか初の試みも行っている。

 ロビー記者と呼ばれる議会詰めの記者に対し、歴代の官邸広報官は定期的にブリーフィングを行ってきたが、ブリーフィングがあること自体が非公表という旧式な世界だった。

 ブレア政権下では「官邸広報官によると」と書くことが許され、02年からは官邸内で行っていた朝のブリーフィングの場所を外国プレス協会に移動。出席はロビー記者だけでなく、記者証を持つ者であれば国籍を問わずにオープンとなった。

 互いに馴染みのある政治記者と官邸広報官との間の時には緊張感をはらんだ議論の習慣は、これで終わったとするロビー記者は少なくなく、「キャンベル氏の一部政治記者へのいじめ」(通信社PA記者談)とする声も出た。

 また、毎月、ブレア氏は官邸で1時間強の会見を実施。年に2回、英議会の特別委員会で、内政面や外交面での政策実施の過程に関し議員から質問を受ける機会も設けた。

 どちらの場合もブレア氏の受け答えはテレビ放映された。05年からは情報公開法が施行され、公的機関が持つ情報を市民やメディアが公開請求をしやすい仕組みを作った。

 こうしたオープン策にも関わらず、政治に関する情報が正しく国民に行き渡ったかと聞かれて、これを認める国民は少数派だ。イラク戦争開戦を巡る情報操作の暴露がこうした認識を作り上げていた。(下につづく)
by polimediauk | 2007-07-18 05:07 | 政治とメディア