小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

風刺画事件 揺れるデンマークー7


 デンマークであったイスラム教徒の数人に聞くと、一方でイスラム教が生活の中心になるという人がいるかと思うと、「自分は世俗派イスラム教徒。イスラム教のバックグランドを持つ、というだけで、生活上はまったく関係ない」という人の二派に分かれた。

 デンマーク自体がキリスト教国でありながら、無神論者が多いということなので、お国柄にあっているのかもしれないが、欧州に住むイスラム教徒の中で、最もイスラム教徒らしくないイスラム教徒、いわば最も欧州社会になじんでいるのがデンマークのイスラム教徒のような気がした。

 ほとんどのデンマーク国民にとって、2005-2006年の風刺画事件以前は、イスラム教徒は遠い存在であり、議論にも上らない感じだったのではないか。つまりイスラム教徒の国民の社会への融合度が非常に高いので、という意味で。

 見た目にもその感じは表れる。英国にいると、イスラム教徒の人はそれらしい感じ、つまり男性だったらあごひげがあるし、女性もイスラム教の装束を身に着けていたりする。デンマークはそれが少ないように思った。一見したところ、まったく見分けがつかない。おそらく自然にそうなったのだろう。
 
ベリタ2006年04月12日掲載

「沈黙するムスリムの声を取り上げたい」

 連載の6回目で紹介した穏健派ムスリム作家タビシ・ケアー氏は、イスラム教徒であることを明確にして議論に加わることを提案した。これを一歩進めたのが、シリア出身のイスラム教徒の国会議員ナッサー・カーダー氏が旗振り役となった市民グループ「民主ムスリムネットワーク」だ。民主主義、人権、法のルールを宗教上の価値観よりも優先することを基本精神とする。

 風刺画事件でムスリム・非ムスリム市民の間の対話を進める必要性が強く叫ばれるようになったこともあって、2006年2月の旗揚げから、2ヶ月で1500人以上が会員となった。カーダー氏と共にネットワークを立ち上げた世俗派ムスリムのファティー・エルアベド氏にコペンハーゲンで話を聞いた。
 
―これまでの経歴は? 
 
エルアベド氏 イスラム教のバックグラウンドを持つパレスチナ人。デンマークには17年暮らしており、結婚し、娘が1人。現在、民間企業で、人材コンサルタントとして働いている 
 
―ネットワーク形成までの経緯は? 
 
 過去7-8年、デンマークーパレスチナ友好協会の副会長として活動してきた。政治家ナーサ・カーダー氏もパレスチナ人なので、つながりができ、二人で新ネットワークを立ち上げることにした 
 
―あなた自身は、「穏健派ムスリム」か? 
 
 違う。例えるなら、世俗派ムスリムだ。カーダー議員も含め、様々な国の出身の私たちにとって、宗教は日常生活の上では何の意味もない。他のデンマーク人たちも、キリスト教徒とは言っても、文化としてキリスト教であるだけだ。その意味で、私たちは、イスラム教の文化を共有するだけのムスリムともいえる。

 イスラム諸国に行くと分かるが、全員が非常に信心深いというわけではない。全員が日に5回拝むわけではない。私はアルコールを飲むし、妻はデンマーク人だ。多くの先住デンマーク人同様の暮らしだ。デンマークのイスラム教指導者たちは、イスラム教を文化として共有しているだけのムスリムは存在しない、というだろう。イスラム教徒かイスラム教徒でないかだけであり、それ以外にはないのだ、と。しかし、こういう見方は現実を反映していない。 

 「ユランズ・ポステン」紙による風刺画の掲載に抗議するため、指導者たちは昨年末中東諸国を訪問した。彼らはデンマークのムスリムを代表しているわけではないーこの点を、ネットワークを立ち上げることで、はっきりさせたかった。 
 
―いつ頃から構想を? 
 
 以前から同様の団体を作ろうと思っていたが、年末、立ち上げを決心した。2006年1月中旬ごろには、興味を持つ人は60人ほどだった。2月4日、国会で設立のための最初の集会を開いたとき、集まったのは250人になっていた。

 それからは毎日のようにメディアで紹介されて、現在会員は1500人ほどで、賛同会員が5000人ほどだ。デンマーク人の投資家や銀行などが資金援助もしてくれた。 
 
―どんな人が会員、あるいは支持者なのか? 
 
 さまざまな国の出身者がいる。イラク、レバノン、トルコ、パキスタンなど。女性、先住デンマーク人もいる。 
 
―具体的には、どんな活動を? 
 
 まだ詳細を決めていないが、社会の相互理解を促進するためのワークショップも一案だ。 
 
―2月13日、首相との会談があったそうだが? 
 
 首相の政策に同意しているわけではないが、社会融合と相互理解のために共に行動を起こそう、という話をした。先住デンマーク人たちと、ムスリム市民との間の懸け橋になりたい。やることはたくさんある。 
 
―「世俗派ムスリム」としては、風刺画を見て、どう思ったか? 
 
 確かに世俗派ムスリムではあるが、反感を持った。特に、頭に爆弾がついているのがいやだった。ムハンマドが描かれていたこと自体がダメだと思ったわけではない。 
 
―政治的挑発だったと思うか? 
 
 そう思った。私に対してではないが、宗教熱心な人たちに対しての挑発行為だと思った。2001年9月11日の米国大規模テロ以降、多くの人がテロとイスラム教を結び付けるようになった。ムハンマドとテロとを結びつけるような風刺画は、この点から、特にダメだと思う。侮辱されたように感じたのは確かだ。今回の風刺画は、信仰に対する敬意の欠如から起きたのだと思う。 
 
―ネットワークの名称には「ムスリム」とある。「デンマーク民主ネットワーク」なら賛同するが、「ムスリム」とついているので、入るのに躊躇する、というムスリムの声を聞いた。あえて「ムスリム」という枠で、自分のアイデンティティーをくくりたくない、という理由だ。また、イスラム教指導者たちのグループと反対位置にあることになると、デンマークのムスリム人口を二つの極端なグループに分断してしまう、という懸念もあるが。 
 
 20万人のイスラム教徒がいれば、20万人の異なる意見があるだろう。

 国内のムスリム人口を二分するつもりはない。むしろ、これまでは議論の場に出てこなかった、沈黙していたムスリムたちの声を集約したい。私自身、イスラム教や社会融合に関しての議論に、これまで全く参加してこなかった。「声なき過半数」の一部だった。ずっと眠り続けているようなものだった。自分が参加しなくてもいいだろう、と思っていたからだ。 

 しかし、もはやそうではなくなった。毎年、状況は悪化するばかりだ。今このようなネットワークを立ち上げなければ、今後、イスラム教徒に対する憎悪感がどんどん強くなるだろう、と思った。デンマーク人たちが見てきたのは、過激なイスラム教徒だけだった。自分がここにいること、世俗的なムスリムとして生きていることを示すこと、声をあげるときが来た、と思った。自分たちの物語を外に向けて語ることは、これまでなかったが、今がそのときだと思った。何かをすることが重要だった。強くなるばかりの憎悪をとめるために。 
 
―詳細は決まっていないというが、大まかな方向性として、どんなことを考えているのか? 
 
 デンマークの社会融合政策に関わりたい。首相と会談の機会も持てたし、融合のためにアイデアを出したいと思っている。4月中に、何らかの具体的な活動策のアイデアをまとめる予定だ。 (続く。次回は第1部の終わり:ポリティケン紙の編集長インタビュー)

by polimediauk | 2007-07-24 20:57 | 欧州表現の自由