小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk

裁判と報道 英国法廷侮辱罪

 日本では、2009年から裁判員制度が導入される。

 日本新聞協会によると、「市民が参加する新しい裁判員裁判を念頭に、編集委員会は年内をめどに、報道のあり方について基本方針を自主的に作成する方向で検討に入った。取材方法も、最高裁と協議している」という。

 英国は陪審員制度を長年採用しており、事件報道の場合は後の裁判で被告に不利な判断が下されることがないよう、法廷侮辱罪に抵触しないようにという配慮が求められる。

 そこで英国の現状を「新聞協会法」(7月17日号)にまとめた。最終稿に加筆したものと関連インタビューを載せていきたい。

 法廷侮辱罪の理解のために Media Law for Journalists by Ursula Smartt (Sage), Media Law by Peter Carey and Jo Sanders (Thomson), Media Law by Geoffrey Robertson and Andrew Nicol (Penguin)などを参照にした。最も参考になったのは実際に関係者にインタビューして得た情報だった。

 話を聞けば聞くほど、意見は二手に分かれた。侮辱罪を大幅改正して報道の自由を広げるべきだ、という声と、侮辱罪はそのままでもこれを厳しく適用し、報道できない部分を死守するべき、という声だった。

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英・法廷侮辱罪見直しの声
「陪審員に予見」説に疑問

 英国では法廷侮辱罪に、見直しを求める声が高まっている。インターネットの普及による一国での報道規制の限界のほか、裁判が報道から一定の時間を経て始まるため、陪審員に与える予見にも疑問が呈されている。この機運とともに、法廷侮辱罪のこれまでの運用と限界、報道機関の対応をまとめた。

 ゴールドスミス英法務長官(当時)は5月末、ロンドン市内で講演し、「公正な司法審理と、表現の自由とのバランスについて、メディアと定期的に論議したい」「報道の陪審員への影響を調査したい」と述べた。この発言は事件報道に関し、規制を緩和する可能性を示唆したと報道関係者に受け止められた。

 「報道側の要望に応える講演だった」。新聞やテレビ局などの編集長らで構成する「ソサエティー・オブ・エディターズ」のボブ・サッチェル代表は、こう評価した。同氏は講演の一週間前、法務長官に法廷侮辱罪の不合理さを説いていた。

 サッチェル氏は、法廷侮辱罪を「時代遅れだ。英国でしか適用できない規制には意味がない」と指摘する。インターネット上にニュースが24時間、地球規模で流れるなか「報道規制は英司法当局が情報を隠していると見られ、司法制度への信頼を損なう」。

法律を厳守すると、逮捕時から一切、報道できないことも問題だと話す。「読者・視聴者が事件に関する情報を最も求める時の規制は、知る権利に反する」

 メディア法が専門のダンカン・ラモント弁護士は、裁判までに人々の記憶から報道内容が薄れる「フェイド・ファクター」を、法廷侮辱罪の限界だと述べた。

 具体的には、昨年末の英東部イプスイッチでの女性連続殺人事件を挙げた。当初、容疑者として逮捕された地元男性の映像や名前が大きく報道された。侮辱罪に抵触する可能性を何度も、法務長官から警告される。間もなく、別の地元男性が逮捕。この公判が来年一月、開かれる。事件の発覚から約一年後となる。「報道は過熱気味だった。それでも、詳細を覚えている陪審員は少ないのではないか」。

 ランカシャー・イブニング・ポスト、ニューズ・オブ・ザ・ワールド両紙などで長く法廷を取材したサッチェル氏は「陪審員は、裁判官の注意を真摯に受け止め、公判で示された証拠や証言だけで判断するよう努めている」と言う。「陪審制度は、公正な裁判のために導入された。陪審員の判断を信頼すべきだ」

■陪審員への報道規制

 現行の法廷侮辱罪は、陪審員への取材を厳しく制限する。男女の構成比率や最後の評議結果の報道は許されるが、その他の情報(人種、職業など)は法廷で公開されず、報道も不可。写真撮影やイラストによる描写も不可だ。評議の結果を理由にした嫌がらせなどを防ぐためだが、報道機関は評議の検証手段すら持たない。

 西ロンドンで治安判事を務め大学でメディア法を教えるウルスラ・スマート氏は語る。「陪審員の匿名性の厳守で自由な議論が保証される。陪審員制が英国の司法審理の公正性の根幹となっている」。

 一方のサッチェル氏は、「任務が終了すれば全てを話せる陪審員制度を持つ米国に倣うべきとは思わない」としながらも、報道が陪審員にどのような影響を与えたかに関する調査を支持。法廷へのカメラの導入も目指すべき、という。「報道規制は少なければ少ないほうがいい。どんな規制も言論の自由を狭めることになる」と語る。「司法審理の公開度を高める方向で制度を見直すべきだ」

 「民主主義社会は、公正で効率的な司法制度が中核となる。開かれたものであってこそ、信頼を得られる」

 ロンドンのゴールドスミスカレッジでメディア法などを教えるティム・クルック講師は、さらに一歩先を行く。「法廷侮辱罪は抑圧的なアナクロニズムで、広い範囲の検閲だ」。メディアの刑事事件報道に何も問題はないと言う。報道が正確、不正確、偏見を持たせるものであったに関わらず、陪審員が影響を受けることはない、と言う見方だ。「陪審員は眼前に提出された証拠に集中すると思う」。

 また、日本には、英国の法廷侮辱罪に関連するような報道規制は必要ないと言う。陪審員(日本では裁判員)裁判官と一緒に評議を行なうことになるため、裁判官のプロフェッショナリズムや厳格さに支援を受ける。偏見を与えるようなメディア報道は裁判の進行の過程で無視される、と言う。「もし唯一の規制があるべきとすれば、それは、その裁判が終わり、全ての評決が出るまで陪審員が事件に関して(外部に内容を)出さないということだけで良い」。

―「メディアは裁判官ではない」

 法廷侮辱罪は1981年の成文化まで、慣例法を基に運用されてきた。70年代初めのサリドマイド事件での適用は、現在にも影響を及ぼす。

 ドイツで50年代、睡眠薬サリドマイドが販売された。英国でもこれを服用した妊婦から、多くの奇形児が生まれる。60年代、製薬会社への訴えが相次ぐ。この和解金額などをめぐり71年から400件近い民事訴訟が発生した。

 サンデー・タイムズ紙は72年9月、「十分な治験後に売り出すべきだった」「補償金の額が不十分」など、製薬会社の対応を批判する連載を始めた。民事訴訟が続く中での報道は、「重大な予見」を与えるとの製薬会社の訴えが認められ10月、差し止め命令が出される。しかしタイムズ紙は「公益性がある」と主張して控訴審で勝訴し、約1週間後に命令は解除された。

 11月から73年2月までに再度の差し止め命令と解除が繰り返される。最終的には3月、最高裁(上院)で差し止め命令が確定した。

 上院裁判官は「新聞やテレビが裁判所の役目を果たすことは避けるべきだ」と述べた。扇情的な報道が「メディアによる裁判」と呼ばれる1つの契機となった。

―自主対応、法的手段で対抗

 法廷侮辱罪は、陪審員に「重大な予見」を与える「重大な危険性」があると判断された報道に適用される。具体的には容疑者の前科や容疑者を有罪と見なす報道(過剰報道、扇情的な報道)などが該当する。

 しかし実際には、裁判官の判断に委ねられる。報道機関は自主的な報道対応や、法的手段などで対抗してきた。論議を呼んだ事例は次の通り。

―過去を上回る「予見」が決め手

 テールフォース事件

 デーリー・メール紙のコラムをきっかけに全国紙5紙が95年、人気女優ジリアン・テールフォースさんのパートナーの男性が、かつて暴力事件で有罪になっていたと報道した。男性が、タクシー運転手に対する別の暴力事件で裁判所に出頭する矢先のこと。有罪ならば、終身刑になる可能性もあった。

 公正な審理が行なわれないとして、裁判は一時停止された。法務長官は、前科を報道した全国紙に法廷侮辱罪の適用を求めた。新聞社側は控訴した。

 上級審は、これまでの報道を上回る「重大な予見」は与えなかったとして、侮辱罪を適用しなかった。「重大な」予見の有無が、決め手になることを鮮明にした。

―夜ニュースで抑制し適用回避

 ITN事件

 ITNは95年、夕方のニュースでアイルランド人二人が警察官殺害事件で逮捕されたと伝えた。一人はアイルランド共和国軍(IRA)の一員で、テロリストとして収監されていたものの、脱獄していたとも述べた。翌日付の全国紙早版と地方紙も「IRAの脱獄犯が警官を殺害した」とした。一方、夜のITNのニュースと全国紙の遅版は、IRAのことにはふれなかった。侮辱罪の適用を考慮したとみられる。

裁判は、殺害から9か月後に始まる。報道は陪審員に重大な予見を与える重大な危険性があるとして、弁護士は裁判の一時停止を主張。侮辱罪の適用を求めた。

 この申請は却下された。当時、IRAをめぐる報道は多く、特定の人物に関する特定の報道の印象は薄いことや、公判までに時間が経っていることに加え、報道が全国紙は早版、ITNも夕方ニュースにとどまったことなども理由に挙げた。

―評議中に記事、罰金科される

 リーズ・サッカー選手暴行事件

 サンデー・ミラー紙は2001年、リーズ・ユナイテッドのサッカー選手による暴行事件で、被害者の父親のインタビューを掲載した。陪審員が、判決を評議していた中でのこと。父親は暴行の背景に、人種差別があると訴えた。陪審員に重大な予見を与える可能性が高いとして、裁判は一時停止され、数ヵ月後に陪審員を新たに選出し再審理された。

 取材した記者は、掲載を裁判終了後となると父親に約束していたことも明らかになる。同紙は編集長が引責辞任した。7万5000ポンド(約1800万円)の罰金と、侮辱罪適用(2002年確定)にかかった費用10万ポンドの負担も命じらた。

―陪審員に対しBBCが取材

 05年3月、ロンドンの地下鉄工事をめぐる汚職疑惑裁判が停止された。21か月と裁判が長期化し、陪審員や被告に健康を害する者が出たことなどがきっかけ。停止から3ヵ月後、陪審員の1人(実名報道)がBBCに連絡し、ラジオでストレスに苦しんだと訴えた。陪審員への取材・報道は珍しい。
 
 陪審員には裁判終了後も、評議内容について守秘義務が課されている。しかし、感想を話すことには規定がない。BBCは「評議内容でなく、個人の感想のみを述べた取材は法廷侮辱罪に反しない」、と判断しての報道だった。法務長官は侮辱罪適用に動かなかったが、これをメディアの勝利と見るか、法定侮辱罪の適用が恣意的に行なわれていると見るかは判断が分かれている。

 昨年9月にもBBCは、殺人事件で陪審員を務めた2人が事件の感想を話すインタビューをテレビのドキュメンタリー番組で放送。1人は実名で登場した。

―英国の法廷侮辱罪とは

 1981年、成文法となる。①司法審理の品位の維持②容疑者・被告に公正な裁判を保障する③陪審員に予見を与えない――の三点を目的とする。司法審理の開始後の報道を対象とする。

 「審理の開始時」は、刑事事件では容疑者の逮捕時、逮捕状発行時、起訴時など。民事事件では公判時期の開始決定時あるいは開始時などで、必ずしも一律ではない。違反には、罰金か最大で二年の禁固刑が科される。禁固刑は、ほとんどない。

 英国のメディア法をまとめた「Media Law for Journalists」(Sage社)は、 ①起訴判断の批判、例えば控訴局の判断や検察側の証言者の批判②判決の憶測③被告の前科や、性格が悪いなどの逸話――を適用されやすい報道に挙げる。「十分に取材して背景を伝える報道は、公益にかなうとの理由で適用を免れることもある」

 適用の申請には、議論を呼び起こす目的で公益にかなうと判断したなどと反論することを勧めている。
by polimediauk | 2007-07-26 23:13 | 新聞業界