小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk

英法廷侮辱罪 サッチェル氏インタビュー


「開かれた司法制度を」

新聞やテレビ局などの編集長らで構成する「ソサエティー・オブ・エディターズ」
http://www.societyofeditors.co.uk/index.php
ボブ・サッチェル代表

 (*英国では、後の裁判で被告が不当な扱いを受けないよう、事件報道には法廷侮辱罪などを通じて規制がかかる。多くの場合、逮捕後、あるいは裁判開始時点で容疑者に対する報道に規制がかかる。容疑者・被告に不利な報道を陪審員が読み、評議に影響することを避けるためだ。)

―5月末、ゴールドスミス法務長官(当時)が、英国の法廷侮辱罪の事件報道への適用を緩和するとも受け止められる発言を行なった(*注1)。どう見たか。

サッチェル氏:報道の自由と報道侮辱罪の適用に関して非常に真剣な懸念があることを、分かってもらえたのだろうと思う。常日頃から適用緩和を訴えてきたので、うれしかった。

―何故今になってこのような発言が出たのか?

 おそらく、私たちの議論を聞いて、その論旨が強いと思ったのではないか?最後に会ったのは発言があった講演の1週間前だったけれども、こちらの論を繰り返した。インターネットもあるし、ニュースは地球規模、24時間になっている、古い法廷侮辱罪をつかってもうまくいかない、と。

 英国では、裁判の開始時と最後に評議結果を出す時に、裁判官が12人の陪審員に対し、裁判所での証拠を基に決断するように、と言う。私自身もたくさんの裁判に出席した。そこで思うのは、陪審員たちは、実際に裁判所で聞いたことのみを基にして、判断を下そうとしている。陪審員は自分に課された義務を非常に真剣に受け取めている。

―メディア界と政府のコンタクトは頻繁に行なわれているのだろうか?

 そうだ。私自身、ソサエティー・オブ・エディターズの代表として連絡を取り合うことを率先している。心地良すぎない範囲で連絡を維持することが非常に重要だ。意見が不一致となることもしばしばあるが、知的で、友好的な不一致だと思う。
 
―メディア側は法廷侮辱罪をどう見ているか?

 ある報道が「重大な偏見を与える大きな危険性がある時」、法廷侮辱罪が適用される、と定義されている。この定義を難しいと思う人もいる。重大な偏見や大きな危険性のことを本当に真剣に考えたら、容疑者の逮捕時から一切の報道ができなくなる。しかし、国民は逮捕以降、最も容疑者に関して知りたがる。こんな時に規制がかかるのは、おかしい。メディア側は米国のように何でも報道できる状態を望んでいるわけではない。しかし、状況が改善されることを望んでいる。

 私たちが法務長官に言ったのは、24時間のグローバルニュースの時代に、もう一度現状を見直す必要があるのではないか、学問的調査をする必要があるのではないか、ということだ。陪審員がどのように結論に至るのか、報道の悪影響があるのかないのかを調査するべきだと言ったのだ。

―英国では陪審員がどのように評議結果に至ったかを取材・調査できないと聞いたが。

 確かにそうだ。違法だ。陪審員には生涯守秘義務が課せられるし、メディア側も名前や連絡先を知らされないので、こちらから連絡のつけようがない。

―とすると、調査をするには法律の一部を改正しなければならないのか?

 そうだ。現在の法律の範囲内で、あるいは法律を修正することによって、法務担当者や政府側が調査を行い、人々がこの点に関して議論を行えるようにするべきだ。今のところ、情報が少ない。情報がなければ、法廷侮辱罪が正しいかどうかの議論が十分にできない。

―英国民は法廷侮辱罪に関連して報道規制を少なくするという、メディア側の姿勢を支持しているのだろうか?

 国民がメディア側を支持することは非常にまれだ。英国ではメディアは高い地位にはない。今回のメディアの立場を理解してもらうには、非常に洗練された、難しい議論が必要だ。最終的には国民の知る権利や開かれた司法制度の確保に関わる問題で、メディアのために特別なお願いをしているのではない。
 
 法廷侮辱罪は司法制度が公正に行われること目指すが、司法制度の第2の原則は開かれていることだ。メディアが国民のために報道することに対しても「開かれて」いるべきだ。

 家裁の問題もある。現在、家裁の審判にメディアは出席できない。正義が行われていないのではないかという疑いがある。民主主義体制の心臓部にあるのは、公正で効率的な司法制度だ。人々の司法制度への信頼感を生み出すためにも、開かれているべきだ。

―メディアが容疑者が有罪か無罪かを決め付けるような報道を行なうなど、「メディアによる裁き」への不快感が国民の間にあると思う。これをどう見るか

メディアが裁いたとは思わない。どのような場合でも、容疑者が裁判所に連れていかれ、そこで裁きが行なわれる。

 近年、英南部で小学生の少女2人を殺害したイアン・ハントリーの事件でも、確かに様々な報道が出たが、裁判所でハントリー自身が自分の殺害行為を認め、判決が下った。あなたの言いたいことは分かるが、メディアが裁いたわけではないと思う。犯罪を行なった人たちがメディアで厳しく報道されたことを、それほど「可哀想に」と思う必要はないのでは。最終的には12人の陪審員が、裁判官から偏見を入れてはいけない、新聞やテレビで見たことに影響されてはいけない、と言われて評議をするのだから。

 英国の場合学問的調査がなされていないので、逸話で判断するしかないけれども、これによると、陪審員たちは裁判官の言葉を真剣に受け取っている。陪審員は法廷の中で出されたものだけを基にして判断するようにという規則を厳密に守っているようだ。裁判官はまた、もし少しでも疑いがあったら、「疑わしきは罰せず」にするように、という。これが不正義が行なわれないようにする、安全装置になる。

―ゴールドスミス法務長官は退任した。今後どうなるのか。

 この議論は政治家や裁判官たちと長年続けてきたので、また最初からやり直さなければならないのかもしれないが、議論をあきらめてはいないと思っている。

 メディアに規制をかけるのは非常に危険な動きだ。理想的な世界では規制は全くないほうがいい。メディアの活動に制限を作ってしまうと、必ず基本的な価値観である、言論の自由を侵害してしまう。どんな制限でもそうだ。

 しかし、司法制度が公正に行われるために審理の公開性やメディアの報道範囲に規制がつくこともあると思う。もしジャーナリスト側に責任と分別を求めるなら、司法制度のほうも、「開かれている」部分を厳守するべきだ。報道への規制は、絶対に必要なものだけにするべきだ。私たちは裁判所にカメラを入れるべきとも言っている。

―現在は、人権擁護の視点も考慮に入れる必要があるが。

 そうだ。しかし、人々が人権に関して言う時、現在は、主に個人の人権の擁護のことを言っている。欧州人権条約ができたのは、第2次世界大戦後で、ヒットラー、スターリンなどの暴君から人々を守る、ということだった。今は、人権の法律のほとんどは、個人の人権を守るという意味で解釈されている。もちろん、個人にも人権がある。しかし、個々の人権は、私の考えるところでは、一般大衆の人権・権利の上に来るべきではないと思う。

―労働党への資金融資疑惑の報道で、今年3月、時の法務長官はBBCに対し、報道差止め令を出したが。

BBCに対して差止め令があったので、当局側が何かを隠しているのではないか、という疑念が起きた。

―BBCへの差し止め令の後、同様の報道がガーディアン紙に出た。報道後、特に何か大きな悪影響があったとは思えないのだが。

 そうだ。英国の問題は、こういうことが起きると、秘密にすることに取り付かれてしまう。知識は権力であるし、古い中国のことわざで、「もっと知れば、もっと統治が難しくなる」と。政府側がこうした態度を取れば、人々は疑念を持つようになる。誰かが情報を隠そうとしているな、と。

 最終的には、オープンで正直であるほうがいい。そうすれば、メディアの側にもそして国民の側にも、政府や警察、裁判所などの団体が、「特別な理由があって、今回はこの情報を出せないが、後で出せる」と言った時、これを受け入れやすくなる。ここまでくればもうけものだ。しかし、私たちはまだこの段階まで行っていない。人々は非常に疑り深いし、政府の側にも秘密主義があるからだ。メディアも含めて、学ぶ必要がある。まずオープンであること、そしてメディアが責任を持って行動することだ。

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*注1:この件に関しては前回の原稿参照
* ゴールドスミス英法務長官の講演の原文を研究などの目的で入手希望の方は、メールでご連絡を。ginkokoba@excite.co.jp
by polimediauk | 2007-07-27 22:50 | 新聞業界