小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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アルジャジーラ特集-1 アルジャジーラは今(上)

アルジャジーラ特集-1 アルジャジーラは今(上)_c0016826_21444475.jpg   私のアルジャジーラ(英語)との関わりは、2005年に始まった。それまでは数少ない日本語のアルジャジーラに関する資料を読み返し、自分もいつかは本拠地のあるカタール・ドーハに行ってみたいものだと漠然と思っていた。機会があって、05年、訪れることになった。当時は広報室の人も非常に親切で、「日本人がやってきた」ということで珍しがられ、日本のブログやネット状況に関しても知っている限りのことを話した。

 現在はアルジャジーラに関する日本語の本も数冊出ているようだ。私が特におすすめなのが、前にも書いたが、ヒュー・マイルズという人の書いた「アルジャジーラ・報道の戦争」で、訳も非常にうまい。私自身、知らなかったことがたくさん書かれてあった。

 2005年の訪問記、2006年、ロンドンでのアルジャジーラ英語社長インタビュー(既に05年に会っていたので再会だったが、広報会社の人がぴったりくっつき、非常に緊張した中での取材だった。笑顔がこわばってしまった・・・)、07年、ロンドンでのアルジャジーラ英語ロンドン支局長の会見の様子を順に流してみたい。

ベリタ2005年11月05日掲載

<アルジャジーラはいま(上)> 「米政府からスタジオ閉鎖命令が」?

 中東諸国を中心に視聴者が世界に4500万人いると言われる、カタールの衛星テレビ、アルジャジーラ。米国同時多発テロの首謀者と言われるウサマ・ビン・ラーディンのビデオ映像を、テロ直後の2001年10月にスクープ放映し、アラビア語以外の地域でも認知度が一気に高まった。米ブッシュ政権からは「テロリストの手先」と見なされ、米国からの圧力もうわさされるが、当のアルジャジーラは中立、公平を基本方針に、今日もニュースを流し続けている。独自の映像が米大手テレビ局や英BBCなどに配信されることも少なくない。欧米の情報支配に風穴をあけた新興メディアは何をめざしているのかをさぐろうと、カタールの首都ドーハのスタジオを訪ねた。 
 
▽砂漠の中から24時間放送 
 
 アルジャジーラは、よく「中東のCNN」といわれるように24時間放送のテレビだが、アラビア語であるために、日本の視聴者からすると、やや遠い存在かもしれない。そもそもドーハ、というとどんなイメージがあるだろうか? 
 
曲がりなりにも「首都」であるから、高層建築物が建ち並ぶ様子を期待すると、やや違ってくる。中東諸国の中で最大級の店舗面積を持つといわれるショッピングセンターがある地域には、確かに高層ビルがいくつかあり、都市の喧騒を垣間見ることができるものの、これは例外だ。ドーハ市内のほとんどでは、広い砂漠の中に建物がぽつん、ぽつんと散在し、ややさびしげな光景が続く。こうした建物のほとんどは新築か建築中。地元の英字新聞を読むと、ドーハでは今、建設ラッシュが起きているという。 
 
 人口約70万人のカタールだが、人口の80%以上は首都ドーハとその近辺に集中している。大部分は仕事を求めてやってきた移民労働者たちで、生粋のカタール人は、約8万人ほどと言われている。 
 
 ドーハではアルジャジーラの存在を知らない人はほとんどいない、と言っていいかもしれない。朝、ホテルのフロントに「テレビ局のアルジャジーラに行きたい」というと、住所などを言わなくてもすぐ車の手配をしてくれた。車で約10分の場所にあるアルジャジーラの建物の隣には、まだ鉄筋コンクリート状態の建物があった。「あれが、英語放送のスタジオになる」とインド人の運転手は誇らしげに話す。アラビア語のアルジャジーラに加え、来年から英語放送のテレビ局アルジャジーラが活動を開始することになっている。 
 
 車の中で、広報担当者の名前をもう一度確認しているうちに、タクシーは、国境付近の検問所を思わせる白いゲートに近づいた。ゲートの前には、大きな銃を腕に抱えた警備員が立ち、こちらをにらんでいる。一抹の不安が心に広がる。スタジオに入るには、「ゲート・パス」が必要だということは既に聞いていたが、広報担当者の名前を告げるだけで、分かってくれるだろうか? 
 
 案の定、広報担当者の名前とこちらの所属を書いたメモを運転手を通じて渡してもらうが、「パスがないと入れない」と警備員は言っているようだ。日本の会社のように、まず会社を訪れ、訪ねる先を受付に告げ、そこで何らかのパスをもらう、という経過を想像していた私は、自分がいかに甘かったかを思い知らされた。銃を腕に抱えたまま、こちらをにらみ続ける警備員は、ゲートの中にいる同僚に、アルジャーラ本社の誰かに電話をかけさせているようだ。どきどきしながら見守っていたが、「駄目だ。通せない」。私は、すぐに入れると思っていたので、携帯電話を持ってきていなかった。無理に突破しようとすれば、発砲することも辞さない構えで、警備員は立ちはだかっている。運転手が、ホテルに戻って、電話をかけて出直しましょうと、あきらめたように言う。 
 
 15分後、ホテルに戻り、フロントからアルジャジーラの広報担当者に電話をかけてもらう。電話口に出てくれたので、事情を話すと、「既にゲートにゲートパスを送っておいたのに」という。「本当に、送ったんですね?」と念を押して、もう一度、タクシーに乗った。 
 
同じ道を通ってまたゲートに戻った。運転手に事情を話してもらうと、また誰かが電話をかけている。「ファックスで確認書を送ってもらえるよう手配したそうです」と運転手が教えてくれる。10分ほどたって、運転手が、ゲートの男性から手渡された紙をもってきた。アラビア語で書かれた一枚のファックス用紙。私の名前のところだけがローマ字だった。この紙がゲートパスだった。 
 
▽最新設備で英米メディアにも映像配信 
 
 アラブのトップ・メディアのひとつ、という割には小さな玄関先だなあという場所(実は裏玄関だった。表の入り口はあまり使わないそうである)に、国際広報担当のターヒル・ホルズック氏が待っていてくれた。「ようこそ、アルジャジーラに」といって手を差し出す。ホルズック氏は南アフリカ共和国出身で最近アルジャジーラに勤務を開始したばかりだ。アラビア語は不得手だそうだが、仕事には全く支障がない、という。 
 
 細い廊下を通って歩き出すと、間もなくしてスタジオに着く。昼時のせいか、誰もいなかった。「実は、スタジオ閉鎖令が出たんですよ」とホルズック氏。「誰がそんなことを?」「最近のアルジャジーラの報道が米政府の怒りを買ってしまい、今朝、急遽、閉鎖命令が出たんです」。 
 
 米政府がアルジャジーラの報道を快く思っていないことは周知だが、アルジャジーラ本部のスタジオ閉鎖という大胆なことが果たして可能なのだろうか?カタールの主権を度外視できるわけがない・・・半信半疑で、数秒考えているうちに、ホルズック氏はにやりと笑い、「冗談ですよ。」 
 
 そのスタジオは古いもので、現在は6月に完成した新スタジオで作業が行われているという。数台の機材が並ぶスペースとニュースキャスターが座る部分とに分かれているが、小ぶりな印象を受けた。「エジプトのムバラク大統領がここを訪れたとき、あまりにも小さいので、驚いた、と聞いています」とホルズック氏。 
 
 廊下に戻って、両端にある数々の小部屋を見ていったが、それぞれが会議室、編集室、ミニ・スタジオなどになっている。白いアラブ風装束を着ている男性たちが機材を使っているのを見て、ああ、中東の国のテレビ局に自分はいるのだな、と思い出していた。数は少なかったが、女性も働いていた。 
 
 最新設備を駆使したスタジオも見学させてもらったが、丁度著名キャスターがニュースを読み出す直前で、何度も咳払いをしたり、頭髪をなでつけているのが印象的だった。 
 
 アルジャジーラが撮った映像は、自社だけでなく、世界中の著名テレビ局が欲しがる。このため、アルジャジーラで放映後に即座にBBCやCNNなど他局に送れるような設備も整えてある、という。 
 
 イラク政府の反感を買って、アルジャジーラのバグダッド支局は現在閉鎖されているが、イラクの状況の映像には「不自由しない」とホルズック氏は言う。現地にストリンガーやボランティアの記者、情報提供者が無数におり、映像や情報を送ってくれるからだという。「支局がなくても、アルジャジーラのイラク報道の水準の高さには誇りを持っている」。 
 
 アルジャジーラが生まれたのは1996年11月。当初は1日に2-3時間の放映だった。現在は24時間の衛星チャンネルで、ニュースは1日に約15時間。依然としてニュースが中心のチャンネルとなっている。従業員は記者、制作者、総務や経理を含めて1250人以上となっている。  (つづく) 

by polimediauk | 2007-07-28 21:47 | 放送業界