小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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欧州特派員の視点 (2) 朝日新聞


6月末のロンドンでの朝日新聞ヨーロッパ総局長(当時)木村伊量氏・インタビュー

―国民の野党に対する視線は、一般的に否定的なものが多いのではないか?野党に政治はまかせられない、と。これは自民党以外に選択肢がない状況に置かれているせいもあるだろうか?

木村氏:自民党は総合デパートみたいなものなので、一番リベラルな人から、本当に右翼の人もいる。それが自民党の良さであり、欠点でもあったわけだが。

 選択肢となると、本当に民主党が対案を出してくれているかというと、そうでもない。自民党も民主党も(政策が)一緒だとしたら、どこに入れるのか。シンクタンクなどいろいろな機関が、もっと強く、「なるほどこういうものがあるのか」という選択肢を出せばいいのだが。私はメディアがもっと選択肢を示すべきだと思う。

 自分たちのエディトリアル・ラインはそれぞれあると思うが、しかしもっとフォーラム機能というか、朝日新聞はこう考えるけれど、他の新聞が何を考えているかが朝日新聞を読んでいる限りでは分からない、ということだとだめだと思う。読売はこう書かれていて、産経はこんな主張をしている、ということで、読者、あるいは国民に、判断する材料を幅広く公正に提供することが、すごく大事なメディアの機能だと思う。

  野党や政治家の側にも選択肢を出していかないと、非常にモノトーンな政治になる。オルタナティブな選択肢を出すことは、日本の民主主義を高める、言論性を高めていく、一つの大きなポイントだと思う。

―日本で野党が弱いのは国民の側があまり現状変革を求めていないこともあるのかどうか?

 かつての55年体制の下では、自民党のデパートの中にいけば、何でもそろっているから、野党はともかく自民党にスキャンダルがあったときとか、こらしめのための(存在だった)。自民党の中で社会党に変えたほうがいいや、と思った人は多少はいるとは思うが、多数派は、少し自民党にお灸をすえようということで野党に(票を入れる)。野党がそのときたまたま勝って、「時代が動いた!」ということになっているが、実際は自民党を中心としたところで、それぞれが、そのときそのときには問題があるけれども、まあまあ許容されてきたのが自民党だった。

 だけどもう、そういう時代ではなくなって、政権交代が本格的に望まれている。読者の側も、国民の側も、自民党と野党の側の違いは何なのか?クリアにしてくれないと分からない。

 今や自民党と民主党の間は、ほとんど同じようなところを目指しながら、掲げる政治目標は似ている。どこから富士山に上っていくかというところだけが違う。自民党と民主党は違って欲しい。しかし、あまりに大きく違って欲しくない、というところが、一般の世論。野党もまだまだ選択肢を示していないもどかしさがある。野党は、自分で自前の政策を鍛え上げるという力を持たないことには、自民党のアンチ・テーゼでしか生きられない。

 野党が信頼感を勝ち取っていかないと、野党への不満が結局は政治への不満につながる。低投票率になって、国民は政治に背を向けてしまい、政治不信を構造化してしまうのではと思う。

―日本は中にいると不満があるかもしれないが、外から見ると、幸せな国に見える。政権交代は必要だろうか?

 政権交代は絶対に必要だと思う。もちろん、イギリスを見ても、前のサッチャー政権の場合は17年-18年保守党が続き、今は労働党で10年続いている。30年近くの間に、政権交代が1回しかなかった。これがロールモデルかどうか、というと議論があるが、政権を交代させるという危機感があるということで、政治が浄化をはかられたり、さらにそれぞれの政党の公正さや政策を磨くということが競われる。ひょっとしたら野党に転落するかもしれないぞ、という危機感が、彼らを鍛え上げるという競争原理が働いて、民主主義が機能する。

 しかし、同じ政党がずっといるということであれば、外から見れば、日本はまあまあうまくやっていると見えるかもしれないが、国際社会の中では、どんどんどんどん、日本の存在感が薄まって、小さくなっている。世界に何を訴えていくのか?発信していくのか?

 これだけグローバリゼーションが広まって相互依存がさらに強まっている中で、日本だけが今の流れから無縁なところで、小さな幸せを享受していることは無理だと思う。
 
 それは湾岸戦争でも突きつけられているし、もっと昔であれば、オイル・ショックの頃から突きつけられている。我々が小さな世界で自足して生きていくことはできない。

 日本には経済的な大きさにみあう貢献をしていく責任がある。これをどう果たしていけるのかに関しては、もっと議論をしていかないといけない。グランド・ストラテジーが必要とされているときに、日本のちんまりした、マイクロマネジメントが続けば、そこだけで100年続けば幸せな物語だが、私はそうはいかないと思う。

 かつて失われた10年と90年代が言われたが、失われるかもしれないまた10年になってしまう。今のうちに、次のダイメンションに向けての日本のファンダメンタルを鍛え上げて、無駄をなくして、スリムに筋肉質にして、次の日本の発展と国際社会への貢献をするために、発信力を増すことに全力をあげるべきだ。

 ヨーロッパが日本よりもっと大きい実験をたくさんしている。たくさん失敗して。どう先行指標から学ぶのか。今のうちに、日本の新しいしなやかなシステムを、ビジネスモデルを作っておくために、メディアを含めて、どういう風に我々はこれから移民の問題、エネルギーの問題、負担と給付の問題、高齢化社会と少子化の問題に立ちむかっていくか、ということのデザインをしないといけない。

―日本の情報発信という点では、例えば、ワシントン・ポスト紙に慰安婦の広告を出した、という件があった。ああいうやり方では受け入れられにくいのではないか。

 外交は外交官の特権ではないし、これだけいろいろな日本人が世界中に出て行っているので、全員が外交官だと思う。そこで、自分たちがどうやってコミュニケーションの回路を太くしていくのかをそれぞれがやらないと。
 
 意見広告を出してきても、では日本の国内ではどういう議論がなされているのか?とは切り離されて、すぽーんと出るから、基礎的な下地がないものだから、相手は「何を考えているのだろう?」と思う。これが日本の代表的なものと見なされ、「日本ってすごく変な国だね」(となる)。それまでに何の情報もないところに、すぽんと出てくるから。そのときに、「日本はこういうことをやってきて、戦後50年の平和のなかで、曲がりなりにも他国に軍隊を送って戦争をするようなことはなかった」と、きちっと説明する力がなかった。

 プレゼンテーションのへたくそさ。従軍慰安婦の件も、必ずしも政府の言う通りではないだろうと思う人がいてもいいと思う。ただし、日本は村山時代に村山談話があり、河野談話があり、これが一種の公式見解になっている。それを国会議員、日本の国益を代表する人が、真っ向から違う、と言うのでは、変わった国、と思われる。

 それまでの議論の積み重ねがないので、日米のパイプが太くないので、政策担当者の間では、安保は大事ということはいつも確認しあっても、広がりがない。広がりというのは、グラスルーツのレベルでそうしようという努力が、少なくとも継続的にはなされていない。

―日米のパイプが太くないとは不思議だ。近そうに見えるが。

 近そうに見えても近くない。よく米大統領と首相が、日米はお互いの価値観をシェアしている、という。基本的にはそうだと思う。しかし約束事は「あの時の戦争はやっぱり日本が侵略行為をした」ということ。日本でもたくさん言い分がある。その前にたくさん植民地支配をやったのはヨーロッパだったと。しかし、それを言って日本の行為が正当化されるわけではない。僕らが戦後の国際社会に復帰したのは、サンフランシスコの平和条約と、日本が極東の軍事裁判の結論を受けたというのが前提だ。

 その中にはいろんな飲み込まないといけないこともある。でも、約束事を今さらぶっちゃけて、やっぱり・・・ということをやれば、それがどういう国際行為にかなうか。国益といっている人に限って、大きな国益を損なうことになっている。そのアイロニーということにもう少し神経を尖らせてやるべきだと思う。

 政治家はまったく自分たちの独りよがりの世界観、歴史観、をもってしゃべるが、これがどういう風に国際社会に受け入れられるかということに無神経すぎる。普通の人はそう思っても、リーダーになるような人があのような意見広告を掲げたり、しかも、継続的に対話をする努力が失われているということから、日本ってやっぱり変ね(と思われる)。(つづく)

by polimediauk | 2007-08-03 06:52 | 新聞業界