英総選挙の噂?
ブラウン政権が成立してから2ヶ月半。労働党の支持率は、一時右肩上がりとなり、ブラウン首相は今秋か年内かの早期総選挙の実施を狙っていると噂された。最近の世論調査では野党保守党との差が縮み、「早期総選挙の望みは消えた」(タイムズ)などとする報道も出てきたが、事態は流動的だ。キャメロン保守党党首は早ければ10月にも行われる総選挙に向けて、政策提言を矢継ぎ早に発表している。ブラウン対キャメロンの戦いは既に始まっているのだろう。
「ニュース・ダイジェスト」今週号(ネットでは11日掲載)でまとめたものを機に、英国の総選挙を考えてみた。
まず、英国の下院は総議席数が646で、労働党353、保守党195、自由民主党 63、スコットランド民族党9、民主統一党 9、シン・フェイン党 5、アルスター統一党 1、無所属・その他が11となる。(7月末時点。)男性議員が520人で女性は女性議員126人。
投票率は日本に比べると高く、1950年代から1980年代まで:約80%
1992年:77・7%、1997年:71・5%、2001年:59%、2005年:61%となっている。
かつては上流・中流階級は保守党に投票し、労働者階級や組合支援者は労働党に、というパターンがあったが、この傾向は崩れがちというのが政治学者の定説だ。具体例は97年の労働党の勝利で、他党に投票してきた中流階級の国民がブレアに大きな期待をかけて労働党に投票し、政権奪回につながった。
―「今は言わないでおこう」
早期総選挙の可能性を、ブラウン首相も含めた政府筋は現在のところ否定しているが、BBCのニック・ロビンソン政治記者によれば、これは早期選挙を行わないという意味ではなく、「今は言わないでおこう」、ということのようだ。
秋あるいは年内にも総選挙の可能性が噂されるのは、6月末に発足したブラウン政権が高い支持を得ているからだが、世論調査会社YouGovの調査では、労働党に投票をするつもりと答えた人は今年6月から上昇の一途をたどっている。一方の野党保守党は下り坂だ。ブレア政権下では人気がなかったブラウン氏だが、「誰が良い首相になると思うか」と聞かれ、20%がキャメロン保守党党首を選んだのに対し、ブラウン氏を選んだのは44%にも上った。カリスマがある若いリーダーとして人気を博したキャメロン氏はすっかり影が薄くなってしまったようだ。
労働党側からすれば、首相就任後間もないブラウン氏と選挙民との間に「蜜月期間」が続いているこの時が、総選挙に打って出る最高の時となる。
―保守党は準備開始
既に保守党は今秋の総選挙に向けて準備を開始している。キャメロン党首に対する最大の批判は「イメージばかりで、具体的な政策提言がない」というものだったため、ここ1ヶ月の間に、ダンカン=スミス元党首に英国の社会問題の解決に関する報告書を書かせ、「壊れた社会の救済には家庭崩壊を防ぐことが重要」と述べた。古臭いと受け止められかねないことを承知で、結婚をしている家庭への税金優遇策を提唱した。増える移民に生活が脅かされている思いをするミドル・クラスの選挙民の悩みを意識して、「移民は公共サービスに悪影響を及ぼしている」とも発言した。移民を否定的な文脈で語る作戦は、2005年の総選挙でハワード前保守党党首が使い、既に失敗しているが、それでもあえて「言うべきことは言う」態度を貫いている。
―資金繰りは?
もし総選挙が近く行われる場合、選挙資金をどうやって迅速に集めるかが政党の課題となる。
前回の総選挙で保守党と労働党は、それぞれ約1500万ポンド(約35億万円)、第2野党自由民主党は約500万ポンド(約10億円)を使っている。政党ごとの選挙費用の限度は1900万ポンド(約44億円)だ。
労働党は現在2000万ポンド(約46億円)の負債を抱えており、保守党は900万ポンド(約21億円)。自由民主党は今のところ負債はない。
選挙まで早ければ後数週間とすれば、果たして十分な資金を調達できるのか?テレグラフ紙の分析によれば、ブラウン氏が労働党党首に選出されるまでの3ヶ月で、労働党が500万ポンドの資金を調達できたことを例に、「早期資金繰りはどの政党も可能」と見る。いずれにせよ、今月末の党大会までにはいつ総選挙が行なわれるかがはっきりしそうだ。
用語解説
CONSTITUENCY
選挙区。議員を選出する選挙を行う上でその基盤となる区域。英国は1選挙区に付き1名を選出する、小選挙区制を採用している。対抗相手よりも1票でも多く得票があれば、勝利とみなす。人口の増減などを考慮するため、8年から12年毎に境界委員会が選挙区を制定する。議員が生まれ育った場所と選挙区は必ずしも一致しない。所属する政党の本部がその時の状況によって勝つ見込みの高い選挙区から候補者を立候補させる場合がある。議員は平日には議会に出席し、週末は選挙区に戻り有権者との意見交流をはかる。
戦後の総選挙(選挙の年、勝利政党と首相、勝因などの順)
1945年:労働党(アトリー)戦後社会の復興策を掲げたことが評価された
1950年:労働党(アトリー)保守党とはほんの5議席の差で政権をかろうじて維持。戦後の5年間に渡る緊縮財政にミドル・クラスの国民が反発。
1951年:保守党(チャーチル)今回も僅差(17議席)だったが、保守党は労働党の福祉政策を引き継ぐと宣言して政権奪回
1955年:保守党(イーデン)「保守的な自由は勝利する」のスローガンで支持を集めた。国民は経済が回復基調に向かったことで現状維持体制を望んだ。
1959年: 保守党(マクミラン)現職首相が経済復興の現状をアピールして勝利。
1964年:労働党(ウイルソン) 新労働党党首ウイルソンが、スキャンダルが続発した保守党を破り、僅差の過半数で勝利。
1966 労働党 (ウイルソン) 議席を大幅に増やした労働党は、技術立国を築くことを約束。
1970年:保守党 (ヒース) インフレが上昇し、労働組合を規制し、廃れつつある産業を整理することを約束した保守党が予期せぬ勝利を手にした。
1974年2月: 労働党 (ウイルソン) 炭鉱労働者のストや電力不足が起きる中で、保守党は「一体誰が英国を統治しているのか」というスローガンで総選挙を闘うが、ごく僅差の勝利。議会は絶対多数の政党がない状態に。保守党ヒース首相(当時)が引責辞任し、労働党党首ウイルソンが政権を担当した。
1974年10月: 労働党(ウイルソン)労働党が、組合と「社会契約を結ぶ」と訴えて、ぎりぎりで過半数の議席を獲得。
1979年: 保守党(サッチャー)ストライキや産業界の動揺(「われらが不満の冬」と呼ばれた)が続く中、労働党が敗退。
1983年:保守党 (サッチャー) フォークランド戦争の勝利、景気回復、労働党の分裂などが功を奏して、保守党の圧勝。労働党はフット党首の下、核武装撤廃、後にEUとなるEECからの撤廃など社会主義的政策を強調するようになる。
1987年:保守党 (サッチャー)労働党はキノック新党首の下、党内改革を進めるが、好景気と労働組合を管理することに成功した保守党が政権維持。
1992年:保守党 (メージャー)メージャー保守党新党首は労働党を税金を多額に徴収する政党として非難。労働党は福祉費用をカットする案を出したが、国民に受け入れられず、保守党の勝利に。
1997年:労働党(ブレア)「ニュー・レーバー」が得票率43.2%で圧倒的勝利を達成。保守党は1832年以来の低い得票率だった。自由民主党が議席数を2倍に増やして、躍進。
2001年:労働党(ブレア) 1918年以来最低の投票率59%を記録。政治への無関心さが目立つ中、人気が高いブレア首相を党首に持つ労働党が、分裂が続く保守党を抑えて勝利。
2005年:労働党(ブレア)国民の多くが反対したイラク戦争を決行したブレア首相に対する不満感が高まる。ブレア氏は労働党の「重荷」になっているとも言われた。カリスマのある党首を見つけられないままの保守党に、かろうじて労働党は勝ったものの、全体の得票数の36%を取得したのみ。労働党にとっては初の3期連続政権となった。
(Source: BBC, “The New British Politics”)