小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


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ダイアナ元妃の英報道

ダイアナ元妃の英報道_c0016826_21384525.jpg ダイアナ元妃の英メディア報道に関し、新聞協会報9月11日号に書いた。これまでブログを目にされた方の中で、私自身がダイアナ元妃の格別のファンではないことに、気づいた方もいらっしゃるかもしれない。しかし、この原稿を書く中で、私はそれまでの見方を変えた。ものすごい人、特別の人だったのではないか?と思ったのだ。(ファンにとっては当たり前のことだろうが。)原稿の結論部分を書く際になってはじめて、多くの人が言っていた、「王室の人間らしくなく振舞った」、気さくだった、特別だったということの意味が推測できる思いがした。

 ダイアナ元妃ほど王室を特別視せず、王室のルールを自分の尺度で曲げた人はいないのではないか。王室の権威の前に、多くの人がひれ伏す。彼女にとっては、王室の威厳を守ることよりも自分の気持ちの方が大事だったのだろう。そうでなければ、結婚の内情をメディアに細かく告白できるわけがない。王室の人間といえば、誰しも情報公開には十分気をつける。王室存続を考える、自分の置かれた地位を考える。ところが、ダイアナ元妃はそうではなかった。身勝手とも言えるが、ある意味人間らしくもある。けたはずれの人物だったように思う。そういう意味で、「第2のダイアナ」のメディア・フィーバーはないだろう。ダイアナ元妃は唯一の存在であり、「第2」はおらず、彼女が消えた今、フィーバーの再来はない。(以下はその原稿に若干付け加えたもの。)

ダイアナ元妃事故死から10年
 王室報道一時代終わる
 メディア利用に批判

 ダイアナ元英皇太子妃が恋人と自動車事故で亡くなってから、8月31日で10年となった。パパラッチに追われたことが原因とされ、メディアも批判の対象となった。しかし現在では、ダイアナ元妃側も、メディアを自己目的で使っていたとの見方が出ている。この10年、メディアの取材が過熱している状況は変わらないものの、2人の王子が主催した追悼式典後、英メディアの報道には「一時代が終わった」感がある。

―国民と直接つながる

 英王室で国民のアイドル的存在のはしりは、1837年、18歳の若さで即位したビクトリア女王と言われる。肖像写真の普及や印刷技術の発展により、メディアを通じて王室と国民が直接つながった。

 19世紀後半には英国最初の大衆紙「デーリー・メール」が創刊され、写真やイラストを多く使った新聞やニュース映画が人気となった。初の王室担当記者もこの時代に誕生している。

 ジョージ5世(1910年―36年)の病死報道は担当医師の苦心のたまものだった。夕刊紙よりも威厳のある朝刊紙で王の訃報が伝えられるべきと考えた医師は、王にモルヒネとコカインの注射を打ち、死を早めた。注射から1時間後、王は息を引き取り、これを受けてタイムズ紙が訃報を掲載した。

 王室にとってメディアは重要な存在であることに変わりはないが、ダイアナ元妃の時代ほど、両者が接近したことはない。

―結婚生活の内実暴露

 1981年の結婚式を頂点に、英国はダイアナ・ブームにわく。しかし夫のチャールズ皇太子との結婚の内実を書いた「ダイアナ妃の真実」(92年)が出版されると、王室ばかりか国民にも大きな衝撃が走った。

 夫の長年の不倫と愛のない結婚生活、王室での孤立などが元妃の家族や友人たちの言葉でつづられていたからだ。出版当時、ダイアナ元妃は著者とは面識がないと主張した。しかし死後、著者が情報源は元妃自身だったと明らかにした。

 94年には、チャールズ皇太子がBBCのインタビュー番組で、不貞を行い、結婚が破滅状態にあると認めた。ダイアナ元妃も95年、BBCの報道番組「パノラマ」でこう語り、夫が不倫を続けていたと述べた。

 次期国王となる人物やその妻がメディアに結婚の内情を暴露するのは前代未聞で、王室はメディアとの間の一線を越えたと言えよう。皇太子や元妃の友人たちは、それぞれの「真実」を伝えようと、率先してメディアに情報を流した。

 王室の記事を掲載すれば部数が伸びる。新聞各紙は競ってダイアナ元妃を追った。買い物をしている姿は1500ポンド(約30万円)、水着姿は1万ポンドが相場となった。一方、元妃自身も大衆紙の親しいジャーナリストに連絡を取り、自分の思惑に沿った写真や記事を書いてもらっていた。

 王室の伝記作家ロバート・レーシー氏の「ロイヤル」によれば、事故死の1か月前、恋人のアルファイドさん一家とイタリアで休暇を過ごしたダイアナ元妃は、豹柄の水着姿で泳ぎ、目立つ写真を撮られることを狙った。チャールズ皇太子が準備していた、カミラ夫人(当時はまだ皇太子と結婚していなかった)の50歳の誕生日の催しが新聞で大きく報じられるのを阻止するためだった。デーリー・ミラーの当時の編集長は「いつ良い写真が撮れるかを毎日電話してきた」と話している。

 97年8月、パリでパパラッチに追いかけられたダイアナ元妃とアルファイド氏が乗る車はトンネル内で事故を起こし、2人は亡くなる。「報道陣の手には血がついている」。元妃の弟のスペンサー伯爵はこう述べ、メディアが元妃を殺したと過熱報道を責めた。

 事故死の当時、大衆紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」の編集長だったホール氏は、ITVの今年8月の番組の中で、元妃の死に「大きな責任を感じている」と話した。「もしパパラッチが追いかけていなかったら、事故は起きなかったかもしれない」。

 一方、有名人のゴシップ記事や写真を専門とするハロー誌の編集者は、BBC(8月29日付電子版)で「元妃とメディアは共生関係だった」と話す。「ダイアナ元妃は自分のメッセージを伝えるためにメディアを使ったし、メディアも売るために元妃を使った」。

 ハロー誌によると、元妃の記事を掲載で、販売部数は20~50%増える。BBCの調べでは、過去10年で元妃を扱った新聞記事は年間約8000件に上る。今年は既に約8000件となり、年末には1万件を超す見込みだ。

 今年8月31日前後の報道は、大きく二手に分かれた。高級紙は10年前、元妃の死に国民の多くが強い悲しみを表したことが「英国人らしくなかった」として恥じるか、元妃のメディア利用を批判した。一方、大衆紙は時代のアイコンとしての元妃のカリスマ性や慈善事業への献身を称賛した。

 追悼式典はテレビで生中継され、「世界で最高の母親だった」とする次男ヘンリー王子の追悼の辞が人々の涙を誘った。翌日付の各紙の多くが、ウイリアム王子、ヘンリー両王子を中心に式典の様子をトップで伝えた。

 「世界で最高の母親」(サン紙)、「ここで終わりにしよう」(タイムズ紙)など、事故死をめぐる陰謀説など様々な憶測や報道を、10年を機に終息させたいという両王子の思いが伝わる見出しがついた。「一時代が終わった」という思いが、メディア界や国民の間で共有されだした。

 今後、王子2人の結婚をめぐり王室報道が過熱するのは必須だが、美ぼう、カリスマ性、きさくさで人気を博した元妃亡き後、真の意味で同様のメディア・フィーバーは起きないのではないだろうか。(次回:ダイアナ元妃の評価の二極化)
by polimediauk | 2007-09-13 21:43 | 英国事情