小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk

マデリンちゃん事件の経過と背景


  ポルトガルで失踪したマデリンちゃん事件は、まだまだこちらではトップニュース扱いだ。今日、モロッコで似ている少女が目撃されたが、別人だった、とのこと。(ミャンマーの旧首都ヤンゴン市内で起きた反政府デモの鎮圧を巡る事態も非常に大きなニュースになっているが。英国ではミャンマーでなく「ビルマ」という。現在の軍事政権の正当性を認めていないことを示すものだ。日本は「ミャンマー」。)

 「英国ニュース・ダイジェスト」最新号にまとめたものをたよりに、マデリンちゃん事件を振り返ってみたい。一部の高級紙は、この事件を「大衆のヒステリア」と呼んでいる。ダイアナマニアをほうふつとさせるようで、公衆の面前で感情をあらわにすることは「正しくない」と考える一部知識人からすると、マデリンちゃん事件への熱狂は見苦しいものに見えるのだろう。

 この事件がドラマチック、あるいはユニークなのは、娘を探していた両親が容疑者となってしまった点だった。

 英レスターシャー州に住む心臓専門医ジェリー・マッカーンさん(39歳)と妻でGPとして働くケイトさん(同)は、5月、ポルトガルの保養地で休暇中、3人の子供の中の一人、マデリンちゃんが行方不明となる悲劇に遭遇した。娘は誘拐されたと結論づけた夫妻は、メディアに積極的に登場し、支援を呼びかけてきた。「私の娘を傷つけないで欲しい」と誘拐犯に訴えるケイトさんの姿や愛くるしい笑顔を見せるマデリンちゃんのビデオ画像は人々の心を揺さぶった。著名人も続々と情報提供や支援を呼びかけ、捜索キャンペーンは大きく世界中に広がっていった。

―メディアの中傷

 ポルトガル警察は失踪直後、マッカーン一家のアパートを立ち入り禁止にせず、国境検査も当初行なわなかったため、英メディアは「初期捜査の失敗」を書きたてた。ポルトガルの法律は警察が捜査の進展をメディアに公開することを禁止しており、情報の欠落が英新聞の大きな不満の種になった。ポルトガル地元紙は警察からのリークに頼りながら、マッカーン夫妻が容疑者とする大胆な推測を8月頃から掲載した。

 サンデー・タイムズ紙9月16日付けは、ポルトガルと英社会の文化の違いや互いへの不信感が、マッカーン夫妻に対する様々な憶測や不満を生み出した、と分析する。例えば家族の絆が強いポルトガルでは、親が子供を置いて友人たちと食事に出かける行動は「信じられない」と解釈される。ポルトガルの基準からすれば取り乱した様子がなく、カメラの前でインタビューに答えるケイトさんも「冷たい親」という印象を与えた。

  9月に入り、ポルトガル警察は夫妻を容疑者とし、事件は大きな展開を見せた。容疑者認定のきっかけは、夫妻が借りた車の中で見つかった「体液」(あるいは血痕)のDNAが、アパートから採取されたマデリンちゃんのものと思われる血痕のDNAと「ほぼ一致」したのだ(この信憑性にはあとで疑問符がつくようになる)。地元警察は夫妻が何らかの理由でマデリンちゃんを事故死させ、遺体を隠した後に、借りた車で移動させたと見ているようだ。

 英国内では夫妻が娘を殺害したあるいは事故死させたと考える人は多くはないが、世論調査会社YouGovによると、76%が「子供置いて出かけるべきではなかった」と見ている。また、「夫妻は娘の死に関与していない」は20%、「事故死も含め、娘の死に何らかの形で関与していた」は48%、「分からない」は32%だった。ネット上では、「両親自身がまさに恥だ」、「絞首刑にされるべきだ」など極端に否定的な意見も多い。

 捜査の方向性を大きく変えたのはDNA鑑定だった(ただし、本当にマデリンちゃんのDNAだったのか、それとも双子の兄弟のDNAだったのかは、現在のところ、はっきりしていない)が、この鑑定方法を世界ではじめて考案した英教授自身が、事件捜査を「DNA鑑定だけに頼ってはいけない」とBBCの取材の中で答えている。過熱報道が続く中、地元警察への事件解明への過度の圧力やDNA鑑定に大きく頼った推測が、無実の人を有罪としてしまう事態を引き起こさないことを祈りたい。

用語解説 DNA FINGERPRINTING
直訳は「DNA指紋」だが、DNA鑑定を示す。DNA(デオキシリボ核酸)は全ての生物の細胞核内の染色体に含まれ、遺伝子の本体とされる物質。4種類の塩基が結びついて2重らせん構造になっているが、塩基の配列順序は個人によって異なる。DNA鑑定は、この違いを比べて人の同定や近縁関係などを調べる。DNAは毛髪、体液、皮膚も含め体中の細胞にあるので、痕跡から鑑定が可能で、英国は1984年、世界に先駆けてこの方法を「発見」した。指紋鑑定のように個人を100%特定できないので、DNA鑑定の生みの親、アレック・ジャフリーズ教授は、事件捜査を「DNA鑑定だけに頼ってはいけない」と警告している。日本では、1992年に正式にDNA鑑定が用いられるようになり、全国的にシステムが整備されたのは1996年末。

飛び交う憶測と謎

①鎮静剤を与えた?
 ポルトガル紙によると、マデリンちゃんを眠りにつかせるために、夫妻が鎮静剤を与えた可能性がある。過剰摂取でマデリンちゃんが亡くなった後、夫妻が遺体を処理した。夫妻はこの疑惑を否定し、この疑惑を報道したポルトガル紙を訴えている。
②何故血が車の中に?
 失踪後数週間後に夫妻が借りた車の中に、マデリンちゃんの血痕(体液という説もある)が見つかった。アパートの中から採集されたマデリンちゃんのDNAと血痕のDNAが80%以上(数値には諸説ある)合致したと言われる。夫妻が車にマデリンちゃんを乗せ、別の場所に移した疑いが出た。夫妻は、警察が自分たちをわなに陥れようとしている、と述べた。
③髪の毛も車の中で見つかった
 情報筋によると、血痕ばかりか、マデリンちゃんの頭髪が借りた車の中で見つかったという。毛布や衣類についていた頭髪が車の中に入ったのではなく、マデリンちゃん自身が車に入って落とした頭髪とされた。警察はノーコメント。
④子供たちを常に置き去り?
 ポルトガル紙は夫妻が、頻繁に、3人の子供たちをアパートに置き去りにして、友人らと飲みに行っていたと伝えた。失踪の晩、十分に子供たちの様子をチェックしていなかったという説につながる。
⑤教会の敷地に埋められた?
何らかの形で息をひきとったマデリンちゃんは、夫妻がよく訪れた現地の教会の敷地に、夫妻の手によって埋められたという説もある。

失踪日(5月3日)の経過

午後2時29分:ポルトガル南部の保養地プライアダルスのオーシャン・クラブ・リゾートで、マッカーン一家は休暇を愉しむ。プールの側で家族と一緒にくつろぐマデリンちゃんの最後の写真が撮影された。
午後7時:マデリンちゃんと双子の兄弟が、一家が宿泊していたアパートで就寝につく。午後6時頃、マデリンちゃんを見たという証言もある。
午後8時40分:マッカーン夫妻は、アパートから100メートルほど離れた、クラブ内のレストラン・バーに到着する。テーブルにつき、エアロビクスの教師ナジョバ・チェカヤさんさんが主導したクイズに参加する。テーブルは友人ら7人が同席し、夫妻は友人たちとともに30分毎に自室で眠る3人の子供をチェックしたと警察に説明。友人の一人は、それぞれが自分たちの子供をチェックすることになっていたと主張している。
午後9時5分:父親ジェリーさんが自室に戻り、子供たちが無事眠っている様子を確認する。部屋からレストランに戻る途中で、テニス仲間の英国人テニス仲間のジェレミー・ウイルキンス氏に会い、数分話す。
午後9時15分:レストランにいた友人たちの一人ジェーン・タナーさんが病気だった娘の様子を見に、レストランを去り、宿泊施設の方に向かう。途中で、ジェリーさんが英国人と話している姿を目撃する。タナーさんは、35歳ぐらいの男性が毛布に包まれた幼女を抱えて歩いている様子も目撃したも。後に誘拐犯だったと証言した。一方のウイルキンソン氏はタナーさんも毛布の男も見なかったという。「自分が立っていた場所は非常に狭く、もし誰かが通りかかったら必ず気づいていた」とウイルキンソン氏は語っている。
午後9時半:友人の一人、マシュー・オールドフィールド氏がマッカーン夫妻の子供たちの様子を見るためにテーブルを離れる。警察に対し、氏は当初、単に部屋の外にいて中の様子を聞いただけと証言したが、後に、部屋に入ったと証言した。マデリンちゃんがいたかどうかは覚えていないという。一方、ジェリーさんはエアロビクスの教師チェカヤさんを自分たちのテーブルに招いた。チェカヤさんは9時30分から10時の間に、テーブルを去った人は誰もいないと主張。席を外したオールドフィールド氏の証言との食い違いを見せる。
午後10時:母親ケイトさんがテーブルを離れる。レストランの従業員は、この夜テーブルを離れたのは背の高い男性、つまりオールドフィールド氏だけと証言している。また、ポルトガル紙はマッカーンさんのグループが14本のワインを飲んだと書いたが、マッカン夫妻は3-4本としている。ケイトさんは、マデリンちゃんがいた部屋の窓と外のシャッターが開いており、行方不明になっていることを知った(ドアや窓がいつどのように開いていたかに関し、証言者の間で異なる説明がある)。テーブルに戻ったケイトさんは、娘が失踪したと告げた。
午後10時14分:友人たちが捜索した後、警察に通報する。目撃者によると、ケイトさんは、マデリンちゃんは「彼らが誘拐した」と叫んでいたそうである。警察は主語が複数であったこと、直ぐに「誘拐」と結論付けた点から、ケイトさんに疑念を抱いたと言われる。しかし、「マデリンがいなくなった。誰かが誘拐した」とケイトさんが言っていたという目撃者もいる。
(Source: Telegraph, BBC)http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2007/09/11/wmaddy311.xml
http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/6984836.stm

これまでの流れ

5月3日:マデリンちゃん、ポルトガルの保養地で失踪
5月12日:マデリンちゃんの4歳の誕生日
5月16日:マッカーン一家が滞在していた場所の近辺に住む、英国人男性ロバート・ミュラ氏が容疑者になる。
5月26日:失踪日に子供あるいは物体を抱えていた男性が失踪している、と警察が発表。
5月30日:マッカーン夫妻、ローマ法王に会う。娘を見つけるため、欧州各国を訪れる。
6月12日:夫妻、ポルトガルに戻る。
6月17日:地元警察官が、失踪が分かった後、現場が十分に保護されていなかったため、重要な証拠が破壊された可能性があると認める。
7月10日:ミュラ氏、再事情聴取。
8月6日:地元警察、ミュラ氏の自宅で十分な証拠を発見できず。
8月7日:英バーミンガムの研究所が、アパートで捜査犬が見つけた血痕の検査を開始する。
8月11日:マデリンちゃんが既に亡くなっている可能性を地元警察が認める。地元紙はマッカーン夫妻が容疑者とする報道をするが、警察側はこれを否定。
8月24日:地元警察は、マデリンちゃん失踪の経緯や生存しているかどうかは不明と発表する。
8月31日:「警察は夫妻が娘を殺したと見ている」と報道したポルトガル紙を、マッカーン夫妻が訴える。夫妻は、疑惑報道に「非常に傷ついた」と発表。
9月6日:地元警察がケイトさんを目撃者との一人として、11時間事情聴取。地元筋が、英研究所での血痕分析結果が一部出たことを確認する。
9月7日:ケイトさんが容疑者の一人となり、起訴される可能性が出た。父親ジェリーさんも容疑者となる。夫妻の代表者は、マデリンちゃん失踪から25日後に夫妻が借りた車に、マデリンちゃんの血の跡が残っていることを地元警察が発見したと述べた。
9月9日:マッカーン一家は、4月末、休暇のために英国を去って以来、はじめてレスターシャー州の自宅に戻る。
9月10日:失踪事件に関する捜査書類が地元検察庁に送られる。レスターシャー州の警察や福祉サービスが2人の子供への支援に関し、討議。
9月15日:夫妻が、マデリンちゃんを探す新たなキャンペーンを開始。
9月20日:ポルトガルの検察側が、確たる証拠がなく、捜査が袋小路に入ったと表明。
(Source: Telegraph, BBC)

by polimediauk | 2007-09-27 01:16 | 英国事情