加治康男さんのサイト
「ベリタ」の記者仲間で、ジャーナリストとしては大先輩にあたる、加治康男さんが、自分のウエブサイトを立ち上げた。http://mediacritique.dip.jp/
掲載記事の一部は有料だが、無料記事も随分出ている。70年代に共同通信社に入り、94年からフリーに。フィリピンを中心とした東南アジアや、ドイツからみた欧州の視点も持つ。
大学院時代の教授(既に故人)から、ジャーナリストの仕事の目的は以下のように言われたそうである。
「歴史や社会事象のRETTUNG(ドイツ語です。一般には救助、救出と訳されますが、『埋もれてしまったものを取り出す』というニュアンスがあります)にある」とわれわれゼミテンを諭していました。私が記者試験を受けてみようと思い立ったのはこのレットゥング(RETTUNG)こそ記者の仕事だと思い込んでしまったからです。
どんな形であれ、権力を持つ者は、必ず力を維持、拡大して行こうとしますから、腐敗します。メディアはいわゆる三権によるチェック・アンド・バランスでは不十分な面を補完する機能を果たさねばなりません。権力執行の真相の大半は闇の中に埋もれてしまいます。それを掘り出し、明るみに出すこと、つまりレットゥングはジャーナリズムの本来の責務と接点があると気づいたのです。」
ご興味をもたれた方はサイトに飛んでみていただきたい。
サイトは会員制となっているが、フリーランスのジャーナリストして生きる中で、こういう方法もあるのだな、と参考になった。確か、米国でもフリーのジャーナリストが読み手から取材費などをもらうことで取材・執筆するというケースがあったかと思う。
自分のブログ、サイトで書き手が情報発信をするのは本当に一般的になってしまい、「一般的になった」と書く必要もないぐらい広まった。
英国の新聞の例を見ていると、通常は原稿を紙媒体に書くことでお金を稼ぐ書き手、つまりは新聞のコラムニストなどが、ここ1-2年、ブログなどでコラムに書くようなことを書いている。ほんの1年ぐらい前までは、ブログの方は1つの遊びと言うか、余技のような受け止められ方をしていたが、今は本当に正当な情報提供・発表の場になった感じがする。どちらが上、下、というのがない。(米国ではこれはもう既に数年前に起きているだろう。)
BBCの場合を見ると、記者あるいはデスクがブログを書くことが半ば強制化されているようだ。通常の業務の一部になっているのだろう。しかし、強制化されて書くブログもつらいだろうなと思う。