小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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ダイアナ元妃死亡から10年目の究明審理 

「観客のいないサーカス」?

 1997年8月31日、パリで亡くなったダイアナ英元皇太子の死因審問が、今月2日、ロンドンの高等法院で本格的に始まった。英各紙は審問の展開を連日報道しているが、実際に裁判所に足を運ぶ人は少ない。10年前、国民の多くが元妃を死を自分の家族が亡くなったかのように悲しんだことから、今回も相当多くの人が裁判所につめかけると見られていた。インディペンデント紙記者は、22日付の記事で、この予想外の状況を「観客のいないサーカス」と呼んだ。この10年で、国民の間で何が変わったのだろうか?(以下、「英国ニュースダイジェスト」最新号に書いたものに付け加えた。)

 ダイアナ元妃と恋人のドディ・アルファイド氏の乗っていた車は、パリ市内のアルマ橋のトンネル内の柱に衝突し、乗車していた4人の内、元妃を含めた3人が命を落とした。 元今月9日、事故現場には、元妃の死因審問を担当する11人の陪審員らと検視官の姿があった。一団は、審問予定の証拠に関する認識を深めるため、トンネル内を訪れていた。元妃の死因究明審理はロンドンの高等法院で10月2日開始され、国民の税金から1000万ポンド(約20億円)を使い、半年かけて結論を出す予定となっている。

 50人近くのカメラマンやジャーナリストが、パリの事故現場付近に集まった検死官と11人の陪審員を取り囲み、その一挙一動を追っていた。付近一帯は一時交通止めにもなった。

 通りかかったパリ市民は、突然のメディア旋風を不思議そうに見ていた。

 「もう10年前の事故を今検証しても、何か新しいことが出てくるとは思えない。まったく英国人は変な国民だ」、と「ル・パリジャン」紙の記者は、英インディペンデント紙の記者ロバート・ベルカイク氏に語っている。

 ベルカイク記者は、一般国民で裁判所に詰め掛ける人が少ない理由を「不明」としている。

―陰謀説を主張する父

 死亡から10年経って、大規模な審理が行なわれることになった一因は、ドディ・アルファイド氏の父親でハロッズ百貨店の所有者モハメド・アルファイド氏が、事故死ではなく殺害だった、とする陰謀説を粘り強く主張してきた結果でもあった。

 父アルファイド氏によると、息子と元妃は婚約の寸前まで行っており、既に元妃は息子の子を身ごもっていた。英王室はエジプト出身でイスラム教徒である自分の血が王室に入ることを阻止しようとしたと言う。元妃の舅にあたるフィリップ殿下が英諜報機関の手を使って元妃と息子を「殺害した」とアルファイド氏は見ている。

 これまでに、フランス捜査当局やスティーブンズ前ロンドン警視総監率いる捜査チームが元妃の死を巡る調査を行なっているが、いずれの場合も「飲酒運転が引き起こした事故死」と結論づけている。後者は英国民の税金約400万ポンド(約9億円)を駆使して行なわれたため、新たな死因究明審理の開始に対して、「これ以上税金の無駄遣いをしないで欲しい」、「新たな事実はもう出ないのでは?」という声が国民の側から上がった。

―残る疑問点

 それでも、単なる事故死ではなかったと思わせる要素がこの事件にあるのは確かだ。

 90年代半ば、元妃は「主人が私を交通事故で殺そうとしている」と弁護士の一人に語っていた。運転手は1250ポンド相当(約29万円)の現金をポケットに入れており、これも「諜報機関の情報提供者として謝礼をもらっていた」とする陰謀説の可能性を暗示する。

 また、王妃とドディ・アルファイド氏はシートベルトを装着していなかった。シートベルトをしていれば、元妃は生きていたと言われており、「シートベルトが装着できないように、誰かが仕掛けていたのではないか」(ダイアナ妃の友人ら)という説もある。乗っていた車がトンネル内の柱に衝突するきっかけ作った、「白いフィアット」の行方も分かっていない。陰謀説によれば、このフィアットの運転手が諜報機関の命令を受けた人物だった。

 今回の審理が死因究明調査としては最後になっても、多くの国民に愛された「民衆のプリセス」が単なる事故死ではおさまらないと考える人がいる限り、陰謀説はたやすくは消えないかもしれない。

 審理で明らかになった証拠、証言などはウエブサイトに掲載されている。http://www.scottbaker-inquests.gov.uk/

陪審員が解こうとする謎

―運転手アンリ・ポール氏(事故で死亡)は午後7時から10時の間、どこにいたのか?(一旦仕事から解放されたポール氏は、午後10時、仕事に戻るように言われた。血液中のアルコール度から判断して、一定のアルコールを取っていたようだが、ずっと飲み続けていたのかどうか。)
―ポール氏の銀行口座の多額の預金の理由は?何故多額の現金を携帯していたのか?(元妃と車に同乗し亡くなった恋人ドディ・アルファイド氏の父モハメド・アルファイド氏は、ポール氏は英仏の諜報機関への情報提供者だったと主張。)
―元妃の死は単なる交通事故の結果なのか?それとも諜報機関が関与していたのか?(目撃者はフラッシュ音を聞き、爆発があったと証言。父アルファイド氏は、英諜報機関のために働いていた写真家が運転していた白いフィアット車に責任があると主張。)
―何故ポール氏はアルマ橋のトンネルを通る道を使ったのか?(車は元妃の恋人のアパートに向っていたが、出発点のリッツ・ホテルからは最も近い道のりではなかった。)
―英王室は事故死に関わりがあるのかどうか。(アルファイド氏は、フィリップ殿下が元妃を殺したと見ている。)
―元妃が妊娠していたかどうか。近く婚約を発表予定だったかどうか。(元妃は避妊ピルを飲んでいた。恋人ドディ・アルファイド氏は指輪を購入していたが、婚約指輪だったかどうかは不明。)
―何故元妃の遺体に請求に防腐処置が施されたのか。(遺体の維持のために行なわれたという説明がなされているが、この処置では様々な薬品が体内に注入されるため、処置後は妊娠しているかどうかの確認が困難になる。父アルファイド氏は元妃が妊娠していることを隠すために行なわれたと述べている。)
―元妃が書いた手紙が消滅したかどうか。(元妃の執事だったポール・バレル氏は、元妃が「自分が書いた手紙がフィリップ殿下の目に触れないように」、隠したと主張している。)

ダイアナ元妃の人生
チャールズ英皇太子の元妃。1961年7月1日、オルソープ子爵の三女としてイングランドのノーフォークで生まれた。父は1975年、第8代スペンサー伯爵に。67年、両親が離婚。ダイアナ姉妹は大きな心の傷を負ったと言われる。寄宿学校で教育を受けたが成績は良くなかった。スイスの花嫁学校に行った後で社交界デビュー。78年、バッキンガム宮殿でのチャールズ皇太子の誕生パーティーで初めて将来の夫と出会う。保育士として働き、81年7月、チャールズ皇太子と結婚。84年にウイリアム王子、84年にヘンリー王子を出産。美ぼうとカリスマ性に加えて、王室の人間らしくない親しみ易さで「ダイアナ・ブーム」を起こしたが、家庭内では、夫がカミラ・パーカー・ボールズさん(別の男性と結婚中)と不倫を続け、摂食障害などに苦しんだ。自分自身も様々な男性と交際を開始し、96年8月、離婚。地雷廃止運動やエイズ撲滅運動に尽力したことでも知られる。97年、8月31日、パリ市内で自動車事故に遭遇し、亡くなった。享年36歳。


「最後の夜」の流れ
8月30日
午後4時35分:ダイアナ元妃とドディ・アルファイド氏がボディガードのトレバー・リース=ジョーンズ氏と共に、パリのリッツホテルの裏玄関から中に入る。1階の部屋までエレベーターに乗る
午後5時42分:アルファイド氏とリース=ジョーンズ氏が宝石店まで車で出かけ、7分後に戻ってくる。ホテルのスタッフが、後、指輪2つを部屋に届ける。
午後6時53分:元妃とアルファイド氏が、アルファイド氏が所有する、パリ市内にあるアパートに車で出かける。
7時5分:運転手アンリ・ポール氏が仕事から解放される。
9時51分:元妃とアルファイド氏がホテルに戻り、正面から中に入る。
10時8分:ポール氏がホテルに戻る。
10時20分:アルファイド氏がリッツ・ホテルの夜勤マネージャーと電話で会話する。マネージャーはポール氏や他の2人のリッツの運転手と会話する。
10時30分:ポール氏が、ホテルの前に立つバンドーム広場に5回出かけ、この内3回、集まっていたパパラッチたちに声をかける。
11時51分:パパラッチの動きをテストするため、メルセデスとレンジ・ローバーをダミーとして走らせる。
8月31日
午前0時6分:元妃とアルファイド氏、ホテルの後部にある出口に到着。手をつなぐ。
0時12分:ポール氏が、ホテルの後部に集まっていたパパラッチたちに手を振る。
0時17分:ポール氏が運転するメルセデスがホテルを去る。元妃とアルファイド氏が後部に同乗し、ボディガードのリース=ジョーンズ氏は前の助手席に。
0時20分:メルセデスがアル橋のトンネル内の柱の1つに衝突。
0時25分:緊急サービスが事故の第一報を受け取る。5分ほどで救急隊員が到着。
1時:救急措置の後、元妃が現場から病院に向かって移動させられる。
1時30分:アルファイド氏が事故現場で命を引き取る。
2時6分:元妃、病院に到着。まだ命があった。
4時:心臓部と肺への傷が深く、元妃が亡くなったと判定された。

死因究明調査開始までの動き

1997年8月31日未明:ダイアナ元妃と恋人のドディ・アルファイド氏がパリで交通事故死する。
1998年2月:ドディ・アルファイド氏の父モハメド・アルファイド氏が、ミラー紙に「事故死ではない」と語る。
1999年7月:フランスの裁判所が、父アルファイド氏の「元妃は英諜報機関に殺害された」という訴えを棄却。
2004年1月:元妃と恋人アルファイド氏の死を究明する審理が英国で開始。検視官が、パリの事故に関する調査をスティーブンズ元警視総監が行なうと発表。究明審理は一時停止。
2006年2月:フランスの裁判所が、事故の様子を撮影していたパパラッチ3人が、犠牲者のプライバシーを侵害したとして有罪判決を下す。
7月13日:イタリアの雑誌が、元妃が亡くなる間際の写真を掲載する。
7月22日:死因究明審理のマイケル・バージェス検視官が、他の業務で多忙になり、職を辞退。
9月7日:エリザベス・バトラースロス弁護士が検視官として就任。
12月7日:当初審理の準備段階は一般に公開されないことになっていたが、国民の関心が高いため、公開とされることに決定。
12月14日:準備段階の審理が開始。スティーブンズ前ロンドン警視総監が、警察の事故死調査の報告書を発表。「悲劇の事故だった」と結論づけた。
2007年1月15日:バトラースロス検視官が、審理に陪審員は必要ないと決定。アルファイド氏がこれに反対する。
3月2日:上級裁判所が、審理に陪審員を入れるとする判断を示す。アルファイド氏の勝訴。
10月2日:審理が本格的に開始される。

関連キーワード
CORONER: 検視官。弁護士であることが多いが、医師である場合もある。独立司法官であり、他の誰の指図も受けない。死の原因を究明するのが仕事で、医療上の原因や、もし暴力が引き起こした死あるいは不自然な死である場合はその理由を究明する。検視官による死因審理(coroner’s inquest)(今回の元妃と恋人ドディ・アルファイド氏の審理を含む)では、誰がどのように、いつ、どこで亡くなったのかという事実関係を調べる。裁判ではないので、死に関わる周辺の事実の解明には限界があり、誰に非があったかを調べることは目的とはならない。検視官は究明のためにどんな目撃者を何人いつ呼ぶかを決定する。

(参考資料:BBC,テレグラフ、審問ウエブサイト、ウイキペディア他)

by polimediauk | 2007-10-23 19:18 | 英国事情