小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

「ネットで新聞を・・」湯川さんの「IT産業の光と影」


日本のネットと新聞の将来は?


 雑感になるが、NHK問題、ブログ、ライブドア、及びライブドアの動きに対する様々な企業及び既存マスコミ、市民の反応などを見ていると(といっても、日本の外にいるのでネット上で見ることしかできないが)、日本の大きな関心事が、経済からメディア・マスコミに移ったのかな?と、思えてくる。

 ライブドアの堀江社長がジャーナリスト江川さんのインタビューでも語っているように、日本の大きなトピックといえば、いつも経済。新聞の1面、社会面などで何が大きく扱われているかを見ても、分かる。大きなニュースでは、収賄とか、お金がらみのスキャンダルが多い。

 ・・・ということで、私も日本を離れる直前の2年間は経済・金融記事を書いていた。経済ネタは際限なくあったし、年金なり、貯蓄なり株式なり、給与なり、と、何かしら経済、お金の動きの話をすれば、誰しもが何らかの話題に加わることができていたように思う。

 しかし、イギリスに来て見ると、事態は全く違っていた。

 どこの国もそうであるように国内ニュースのトピック(健康、交通、年金)は大きな関心事であるけれども、国際ニュース(アフリカ・中東他)や、政治、そしてメディアの話が大きいのだった。

 理由はいろいろあるのだが(項を改めて書きたいが)、結果的に、メディアの、社会における存在感が大きいので、イギリスでは、社会のいろいろな要素を分類するとき、必ずといっていいほど、「メディア」が1つの選択肢になる。日本では、そうではない。例えばだが、このエキサイト・ブログでも、「メディア」というカテゴリーは、ない。ニーズがなかったからだろう。

 日本の話に戻るが、メディア・マスコミの存在が大きく注目されだしてきた現在、私たちは、時代の大きな節目にいるのかもしれない。メディアが、経済と同じくらい、あるいはそれ以上に重要な、社会のキーワードになる・・・かもしれない、日本でも。

 ふと、そんな感じがした。

 前置きが長くなったが、こういうことを考えるヒントになったのが、湯川鶴章さんが書いた「ネットは新聞を殺すか」という本だった。

 湯川さんが、新聞通信調査会で昨年末講演をし、それが、「新聞通信調査会報」の2月号で、「報道事業にも食指 IT産業の光と影」という題でまとまった形になっている。

 ホームページからPDFファイルをダウンロードできるので、興味のある方はごらんになっていただきたい。

 http://www.chosakai.gr.jp/index2.html

 ライブドアの堀江社長と楽天の三木谷さんの比較などがある。

 最後のところだけ、紹介したい。

 ネットでのニュース配信だけではもうからない、とする新聞業界の反応に対して、湯川さんの提案として、参加型ジャーナリズムを提唱している。

 「すべての記事をネット上で無料で見せるのではなく、議論を呼びそうな記事だけを載せる。そして読者から寄せられるコメントや情報を主要なコンテンツにし、議論の流れを分かりやすく、見やすく表示する。こうしたサイトなら比較的低コストで構築できるし、紙の事業とのバッティングもない」。

 「インターネットは、人類がこれまでの歴史の中で得た最も優れたコミュニケーションの道具であるというのに、建設的な議論の場にはまだなっていない。報道機関こそが、ニュースを中心とした議論の場を作り上げる必要があるのではなかろうか」。

 「そして、唯一無二の言論空間を作り上げた報道機関がニュースサイトの勝者になると思う」。

 引用終わり。

 ところで、日本でも、英語になるが、もうすでに、オンラインのみで読者からのインプットをどんどん入れている新聞がある。

 JAPAN TODAY という、ニュース・サイトだ。

 http://www.japantoday.com/


 たくさん情報があって、圧倒されてしまうが、誰も日本では注目していないようなので、(英語のせいだろうが)、不思議に思っている。



 
by polimediauk | 2005-02-17 23:59 | 日本関連