小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


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英警視総監は辞任要求を跳ね返せるか?

 ブレア英警視総監に対する辞任要求が、日を追う毎に高まっており、実際のところ、遅かれ早かれ、辞任せざるを得なくなるのではないか?

 そんな疑問・懸念を、「英国ニュースダイジェスト」最新号に書いた。以下はそれに情報を若干追加したものだが、11月2日と4日に世論調査会社ポピュラスが調べたところによると、48%が「辞任するべき」46%が「辞任するべきではない」として、意見は真っ二つに分かれた。2005年に警視総監になったばかりで、もう職を追われるのだろうか?

―ロンドン市議会が不信任決議

「私を辞任させる力があると言うなら、そうすればいい」-。7日、イアン・ブレア英警視総監は怒りを込めてこう言い切った。怒った相手はロンドン市議会員たちだ。この日、ロンドン警視庁トップの座にあるブレア氏の業務遂行能力に「信頼感を失った」として、市議会は過半数の票で不信任決議を採択した。警視総監を解任できるのは内務相だが、野党を中心に、ブレア氏に対する辞任要求がこれまでにないほど強まっている。

 きっかけは、2005年7月22日、ロンドンの地下鉄ストックウエル駅の構内で、テロ容疑者と間違われて射殺されたブラジル人男性ジェアン・シャルレス・デメネゼス(注:ジメネゼスと表記する場合もあるようです)さんの事件だ。

 同年7月7日、ロンドン同時爆破テロが発生し50数人が死亡し、2週間後の21日には同様の爆破事件(死傷者はゼロ)が起きた。翌日、警視庁はデメネゼスさんを21日の事件の容疑者の一人と誤認し、通勤途中を追跡した。地下鉄駅に入り、電車の座席に腰掛たデメネゼスさんを、自爆テロが起きると錯覚した捜査官数人は、頭部など7箇所を銃撃して射殺した。

 誤射事件の解明には時間がかかった。独立警察苦情委員会(IPCC)が2005年内に事件の経緯の調査を終了していたが、予定されていた裁判終了まで内容の公表が不可能とされ、デメネゼスさんの遺族は、英国民同様、憶測報道の闇に置かれることになった。

ー警察官全員が不起訴

 今年7月、公訴局は事件に関与した警察官全員を嫌疑不十分で不起訴にした。真相解明が思うように進まない中での不起訴判定に、警視庁、ひいては警視総監への不満が募った。
11月1日、ロンドンの中央刑事裁判所の陪審は、警視庁に対し、市民の安全を守る義務を怠ったとして、17万5000ポンド(約4200万円)の罰金と訴訟費用38万5000ポンド(約9200万円)の支払いを命じた。事件は「組織的過失」の結果と結論付けた。野党を中心とした辞任要求に対し、警視総監は職にとどまると宣言した。

 辞任要求にさらに拍車をかけたのが、8日のIPCCの記者会見だった。1年半ぶりに公表可能になった事件の調査書を発表したニック・ハードック委員長は、警視庁内の「深刻かつ避けることができたはずの」エラーが誤射につながったと述べるとともに、警視総監がIPCCの調査を阻んだ事実を明らかにした。警視総監は、再度「辞任はしない」と述べたものの、調査妨害の暴露の痛手は大きい。

 スミス内相はブレア氏慰留支持を表明しており、リビングストン・ロンドン市長も「非常に優れた警視総監だ。政治的圧力、メディアの辞任コールに負けるべきではない」と繰り返し述べているものの、いつまでブレア氏が現職にとどまれるか、先行きは不透明だ。デメネゼスさんの死因審問や遺族による民事裁判の開始も今後予定されており、誤射事件の影響に悩まされる日々が続きそうだ。

ーイアン・ブレア警視総監のプロフィール
 1953年生まれ。イングランド中西部シュロプシャーと米ロサンゼルスで勉学後、オックスフォード大学で英文学を学ぶ。74年、ロンドン・ソーホー地区の巡査になる。順調に昇進していく中で警察内の汚職事件捜査の指揮を執ったことも。組織の近代化に力を注ぎ、コミュニティーの防犯活動の充実に大きな成果をあげて評価される。2002年5月から現職。2003年、ナイトの称号を授かる。ジョン・スティーブンス前警視総監は警察官仲間で人気があったが、ブレア氏は著名大学出身と言うことから、「エリート」、「現場の思いに鈍感」とも言われた。2005年、起訴前のテロ容疑者の拘束期間を90日間に延長するための運動を展開し、警察を「政治化」していると批判された。

ー噂される次期警視総監の顔ぶれ

ヒュー・オーデ氏(48歳)
北アイルランド警察庁(PSNI)長官。スティーブンス前警視総監の弟分とも言われる。鋭い情報分析力と国家の安全保障に関わる問題の処理能力に優れる。人種問題解決にも成果をあげ高い評価を受けたが、昨年、既婚の身でありながら、隠子問題が発覚し、判断力に疑問符がついた。

ロニー・フラナガン氏(58歳)
女王陛下の主任警部。PSNIの前身RUCに30年以上勤務し、組織の近代化に力を入れた。反テロに関する知識が豊富。ブレア前首相から信頼され、イラク警察の近代化に関して報告書を提出した。

ポール・スティーブンソン氏(53歳)
警視副総監。キャリアのほとんどを北西部の警察で積み、ランカシャー州の犯罪率の減少に貢献。警視庁では戦略と近代化を担当してきた。反テロ関連の記者会見で報道陣にブリーフィングする役目を果たす。ブレア警視総監とボーナス額について口論になったと噂された。

マイク・トッド氏(50歳)
グレート・マンチェスター警察本部長。警視庁勤務時代はメー・デーのデモの警備などを担当した。メディアに登場するのが好きで、スタンガンの威力を見せるため、自分に向かって撃った事も。ヒーローは湾岸戦争で著名になった米シュワルツコフ大佐だ。

ーロンドン警視庁の「今、昔」

1829年(創立時)
人員:警察官1000人
担当範囲:チャンリング・クロスから半径7マイル
該当する人口:200万人

現在
人員:警察官31,141人、事務職員13,661人、交通巡視員414人、コミュニティー・サポート員21,06人
担当範囲:620平方マイル(但し金融街シティー・オブ・ロンドンは含まない)
該当する人口:720万人

ー誤射事件の広がりの経緯と今後

2005年7月7日 ロンドンでテロ発生。実行犯4人を含む56人が死亡。
7月21日 ロンドン市内でテロ未遂事件発生。
22日 21日の事件の容疑者の一人と間違われ、ブラジル人技師デメネゼスさんが、警視庁捜査官らに地下鉄ストックウエル駅構内で射殺される。
23日 警察がデメネゼスさんがテロとは無関係だったと発表
25日 ブレア首相(当時)が射殺事件を公式に謝罪
2006年1月19日 独立警察苦情委員会(IPCC)がデメネゼスさん誤射事件に関する調査書を公訴局(CPS)に提出
2007年7月17日 CPSが、誤射事件に関与した警察官全員を嫌疑不十分で不起訴にすると発表。ロンドン警視庁を職場保健安全法違反の罪で起訴。
8月2日 IPCCが、誤射事件に関する報告書「ストックウエル2」を公表。警察幹部の対応に深刻な欠陥があった、と述べた。
11月1日 ロンドンの中央刑事裁判所が、警視庁に職場保健安全法違反で有罪判決を下す。17万5000ポンド(約4200万円)の罰金と訴訟費用38万5000ポンド(約9200万円)の支払いを命じた。警察側は控訴予定。
2日 野党からブレア警視総監の引責辞任要求高まる。警視総監は辞任しないと表明。
7日 ロンドン市議会が警視総監の不信任決議を採択
8日 IPCCが、誤射事件に関するもう1つの報告書「ストックウエル1」を公表。「警察が事件で深刻な過ちを犯した」、「警視総監が調査を妨害しようとした」などが明らかになった。警視総監は、辞任を再度否定。
12月 デメネゼスさんの遺族と死因審理官が、来年実行予定の死因審問の詳細を議論する予定。

ー警察苦情委員会の報告要旨(11月8日発表)

―デメネゼスさん誤射事件で、ロンドン警視庁は深刻で、避けることが可能だった間違いを犯した
―ブレア警視総監が調査を妨害しようとした
―「シュート・ツー・キル」(殺害目的の銃撃)方針は見直すべき
―銃撃を担当した警察官らと指揮官との意思疎通に問題があった
―公訴局は銃撃関係者数人を起訴するべき

ー独立警察苦情委員会Independent Police Complaints Commission(IPC)とは?

 イングランド・ウエールズ地区の警察の活動に関わる苦情を処理するための独立団体で、警察内の人種差別が捜査に影響したとされる、黒人少年スティーブン・ローレンス君殺人事件などを反省し、2004年発足。これ以前に存在した苦情処理委員会(PCA)よりも取り扱い範囲が拡大し、独立性も高まった。警察の捜査を補助すると共に、死を含む重要な犯罪に関わる汚職疑惑、警察幹部に関わる疑惑、人種差別に関わる疑惑、司法妨害に関わる疑惑を、市民からの苦情に基づき、あるいは苦情が出ていない場合でも必要と認めた場合には独自に調査する。17人の委員は内相が任命する。
by polimediauk | 2007-11-20 08:19 | 英国事情