小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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混迷のパキスタンと英国

 2005年7月7日のロンドン同時テロの実行犯4人の中で3人がパキスタン系英国人であったことで、「パキスタン系英国人とは何ものか?」に(改めて)注目が集まったように思う。

 インド・タイムズ紙のロンドン支局長が、「パキスタン系の若者は、どうしようもない人が多い」と話していて、何故?と思ったものだったが。これにはインドとパキスタンのライバル意識があったのかもしれない。映画「ベッカムに恋して」(だったと思うが、原題はBend it like Beckham)の中で、インド人の女性が、「パキ!」〈パキスタン人〉といわれて、侮辱されたと感じて大きく取り乱す場面を見ても、パキスタン人に対する蔑視感情があることを想像させた。

 英国にはパキスタン。インド、バングラデシュの南アジア・アジア亜大陸からやってきた移民の家族が多く住む。また、これは南アジア系に限ったわけではないが、どの移民たちもお互いにある程度固まって住む。例えばロンドンやイングランド北部には、人種で固まったコミュニティーが多い。中には英語をマスターしていない人も(家族を自国から呼び寄せた場合など)、高齢者・女性に割りと多い場合がある。パキスタンの人はイスラム教信者が圧倒的で、全身をおおう長く黒い装束を身に付けて通りを歩いていることもある。こういったことが、9・11テロ、7・7テロの後、反パキスタン系感情をはぐくむ要因となってしまうこともあるだろう。若者の雇用率を見ても、インド系に比べて、パキスタン系、バングラデシュ系の失業率は高い(反パキスタン系感情のためにではなく、教育程度や技術取得レベルの違いが理由だろう〉。

 英米で教育を受け、カリスマ性にも恵まれたベナジル・ブット元パキスタン首相が、昨年12月末、選挙運動の遊説中に暗殺されたことがきっかけで、パキスタンに関する記事が英メディアで殺到した。パキスタン民主化の鍵を握る人物として大きな期待がかけられていただけに、国際社会にとっても大きな衝撃が走った(ただし、「国際社会」といっても、主に英米かもしれない)。

 60年前、大英帝国から分離・独立して建国されたパキスタンの将来は、現在の英国にとっても大きな関心事となっている。2国の過去と現在、その周辺事情について「英国ニュースダイジェスト」最新号に書いたものに、付け加えてみた。

在英学生が政局の要?
 混迷のパキスタンと英国


 「母は常に民主主義が最高の復讐だと言っていました」-。昨年12月末、8年ぶりに帰国した祖国パキスタンで暗殺されたベナジル・ブット元パキスタン首相の息子ビラワル・ブット・ザルダリ氏は、殺害から数日後、集まった報道陣を前にこう述べた。

 ビラワル氏(19歳)は、元首相が率いるパキスタン人民党(PPP)の新総裁に就任したが、政治経験は皆無で、英オックスフォード大学で勉学を始めたばかりだ。在学中は勉学に専念する予定で、父親のアシフ・アル・ザルダリ氏がパキスタンで総裁代行を務める。しかし、既に政敵のヒット・リストの中に入っているとパキスタン現地紙は伝えており、普通の学生生活は送れそうにない。

 ビラワル氏の身辺警護には英情報機関が責任を持ち、故ブット首相の暗殺の死因究明にパキスタン政府と協力をしているのもロンドン警視庁から派遣された調査団だ。かつての宗主国英国とパキスタンの絆は未だに強い。

 米国・英国にとって、パキスタンは、9・11米同時テロ発生以降の「対テロ戦争」の重要な同盟国であると同時に、テロリストを産み出す危険な国でもある。国際テロ組織アルカイダや7・7ロンドン・テロの実行犯を含めたイスラム過激派のテロリストのトレーニング場所にもなっているためだ。パキスタンの政情安定化や民主化は米英の国益になる。

 PPPはパキスタンの最大野党で、今月予定されていた下院議員選挙で大きく票を伸ばせば、ムシャラフ大統領率いる与党とPPPとの連立政権発足の可能性や民主化が大きく進むと米英側は見ていた。その矢先の暗殺で、パキスタンの政情は流動的となった。

―半世紀以上前の分離独立

 60年前、大英帝国の支配下にあったインド亜大陸の中で、イスラム教徒が主だった(東西)パキスタンとヒンズー教徒が主だったインドが分離・独立をはたしている。「パキスタン」とは5つの地域の名称の頭文字を取ってつけられた名前だ。インド内にいたイスラム教徒、パキスタン内にいたヒンズー教徒約1400万人が住んでいた場所から移動せざるを得なくなり、混乱の中で100万人単位で死亡者、餓死者も出た。十分な事前準備がないままに実行された、大英帝国の分離独立政策を失策として批判する声は未だに強い。

 パキスタンは隣国インドとカシミール地方の帰属件を巡ってこれまでに3度、戦争を起こし、両国は互いへのけんせいのために核兵器を所有する。両国ともに核実験を行い、世界でも最も危険な地域の1つとも言われている。

 ビラワル氏に限らず、母の故ブット首相、また祖父のズルフィカル氏もオックスフォード大学で勉学しており、両国の知識層、学問界の交流の歴史は長く、深い。パキスタンの将来がPPPの健闘ぶりにかかっているとすれば、鍵を握る人物、ビラワル氏が今現在英国にいることの重要性も大きい。政治の名門ブット家を起点に、両国は切っても切れない関係であり続けるようだ。

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THE BRITISH EMPIRE:大英帝国。英国とその植民地、海外領地の総称。15世紀の「大航海時代」、スペインやポストガルに次いで、イングランド王(18世紀以降はスコットランド王も兼ねる)も探検隊を出すようになった。アイルランド、北米大陸、カリブ海地域などを植民地化し、19世紀半ば以降はフランスやドイツなどの帝国列強と競い合いながら植民地拡大に力を入れた。1921年、総人口は4億5000万人(当時の世界総人口の4分の1)に達し、「太陽の沈まない帝国」と言われた。司法制度、経済体制、軍事、教育制度、スポーツ、英語の使用など多くの面で世界中に影響を及ぼした。1940年代以降、インドを含め独立する国家が続出し、末期は英連邦となった。旧植民地の多くが英連邦に任意で参加している。

―政治の名門ブット家の家系

ズルフィカル・アリ・ブット(1928-1979):パキスタン人民党(PPP)創始者。大統領(1971-1973)、首相(1973-1977)職を務めた。社会主義政策を進めたがクーデターで失脚し、政敵暗殺の容疑をかけられ、1977年、投獄。1979年、処刑された。

ヌスラット・イスパハニ・ブット(1929-):ズルフィカルの妻

ベナジル・ブット(1953-2007):ズルフィカルの長女。カラチ生まれ。ハーバード大学、オックスフォード大学で学ぶ。学生時代、当時外務大臣だった父の国連での仕事を手伝い、政治活動に目覚める。パキスタン帰国当時、父が監禁、処刑の目にあい、自身も自宅軟禁状態になった。1984年、英国に一時亡命。1988年―1990年、1993年-1996年の2度に渡り首相になるが、汚職疑惑で失脚。1999年故国を出て、アラブ首長国連合で家族と暮らしていたが、2007年秋帰国し、民主政権の発足を目指した。12月末、遊説中に暗殺された。

ムルタザ・ブット(1954-1996):ズルフィカルの長男。父の政治失脚で当時共産主義国家だったアフガニスタンに亡命。中東諸国でパキスタンの軍事政権に対する反対運動を展開した。亡命中ながら1993年の総選挙で当選し帰国したものの、1996年、何者かに銃撃され42歳で命を落とす。元首相となった姉は政治上のライバルでもあり、アシフ・ザルダリ(姉の夫)にムルタザ氏の殺害嫌疑がかかったこともある。

サナム・ブット(1957-):ズルフィカルの二男。

シャナワズ・ブット(1958-1985):ズルフィカルの三男。政治活動を続けていたが、1985年、南フランスのアパートで死んでいるのが見つかった。27歳だった。毒殺の噂も。

アシフ・ザルダリ(1956-)ベナジル・ブットの夫。夫人とともに汚職の嫌疑をかけられ、8年間投獄される。2004年、釈放された。妻の暗殺後、PPPの総裁代行に。

ビラワル・ブット・ザルダリ(1988-)暗殺されたブット元首相の長男。オックスフォード大学クライスト・チャーチ・カレッジ(祖父も勉学した)で歴史を専攻する学生。PPPの新総裁だが、学業が終了するまで父が総裁代行となる。スポーツを好み、クリケット、射撃、乗馬を楽しむ。「カリスマ性があり、とにかく明るい」(友人の弁)。「ビラワル」とは「他に匹敵する者なし」の意味。母親が首相になる1ヶ月前に生まれ、生涯のほとんどをパキスタン国外で暮らした。

バクタワル・ブット・ザルダリ(1990-):ブット元首相の長女

アシファ・ブット・ザルダリ(1993-):ブット元首相の次女

パキスタンの歴史―抜粋―

1947年:大英帝国の統治からインドが独立。イスラム国家東西パキスタンが建国する。
1948年:「建国の父」、モハメド・アリ・ジンナー総督が死去。カシミール地方の領有権を巡り、インドと戦争(第1次印パ戦争)
1951年:リヤーカト・アリー・ハーン首相が暗殺される
1956年:パキスタン・イスラム共和国憲法制定。
1958年:戒厳令敷かれる。アユーブ・ハーン大佐(後大統領)が統治。
1965年:第2次印パ戦争
1970年:東パキスタン(後のバングラディシュ)に独立の動き。内戦勃発。インドは東パキスタンを支援。
1971年:第3次印パ戦争
1972年:カシミール地方和平案成立。
1973年:ズルフィカル・アリ・ブット氏が首相に。
1977年:ブット氏が率いるパキスタン人民党の不正選挙疑惑で暴動が起き、ジアウル・ハック大佐が軍事クーデーターを起こす。(翌年、大統領に就任。)
1979年:ブット氏が絞首刑に。
1980年:ソ連がアフガニスタンに侵攻後、米国はパキスタンに軍事支援を確約。
1988年:ハック大佐、米大使などが原因不明の飛行機事故で亡くなる。グラム・イスハーク・ハーン氏が統治者に。ブット氏の娘ベナジル・ブット氏が首相に。
1990年:ブット首相、汚職疑惑で解任される
1991年:ナワズ・シャリフ首相が経済自由化を始める。
1993年:ハーン大統領、シャリフ首相が軍部からの圧力で辞任。総選挙でブット氏が首相に返り咲く。
1996年:ブット首相、汚職疑惑で再び解任。
1997年:シャリフ氏が首相に。
1998年:インドが数度に渡り核実験を行なったことを受けて、パキスタンも核実験を実施。
1999年:ブット氏と夫が汚職疑惑で禁固5年の有罪に。ブット氏が出国。カシミール地方でインドと武力紛争。パルベーズ・ムシャラフ陸軍参謀総長が無血クーデーターで政権掌握。英連邦から加盟停止措置を受ける。
2001年:ムシャラフ氏、大統領に。米国に接近し、「対テロ戦争」に協力。インドがカシミール地方でパキスタン軍向けに発砲し、米政府は制裁を発効。
2002年:ムシャラフ大統領、国民投票で5年続投が承認される。中距離弾道ミサイルのテスト発射。
2003年:カシミール地方での休戦を宣言。インドもこれに応じる。
2004年:核開発の専門家カーン博士が核兵器開発の機密を他国に漏洩していたことを告白する。英連邦に再加入認められる。
2005年:核弾道の搭載可能な巡航ミサイルの発射実験。
2006年:イスラム武装集団などによるテロ攻撃続く。
2007年:職権濫用を理由に最高裁長官を職務停止させ、内外から批判を浴びる。大統領選挙で、ムシャラフ氏が当選。ブット元首相がパキスタンに戻る。ムシャラフ大統領、軍籍を離脱。
12月27日:ブット氏が選挙運動中に暗殺される。
2008年1月:総選挙が1月の予定から2月18日に延期。
(参考:BBC)

パキスタン
首都:イスラマバード
人口:1億5000万人(イスラム教徒:96・6%他)
識字率:54%
GDP伸び率:7%

インド
首都:ニューデリー
人口:10億2700万人(ヒンズー教徒:80.46%、イスラム教徒13・46%他)
識字率:64%
GDP伸び率: 9・4%

バングラディシュ
首都:ダッカ
人口:1億4000万人(イスラム教徒:88.3%、ヒンズー教徒:10・5%他)
識字率:49・6%
GDP伸び率:6・5%

(参考:外務省情報+BBC)
by polimediauk | 2008-01-24 18:33 | 英国事情