小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

風刺画論争後のデンマーク-1

 国会議員とテロ容疑者が、刑務所で接見時、その会話が盗聴されていた件が大きなニュースになっている。「議員の会話が録音されていた」点に焦点が置かれ、議員たち(+メディア)が大騒ぎをしているが、会話録音・盗聴はテロ容疑者の心理や動向をつかむためであったのは最初から歴然としていたはずだった、議員以外の一般人にとっては。

 刑務での会話がどこまで盗聴されているのか、テロ容疑者の監視はどこまでなのか、など、こっちが大きい問題のはずだったが、騒ぐ人=議員(+メディア)からすれば、自分たちに関わることの方が大きいから、焦点がずれてしまったのではないか。

 ここ2日ほど、議員が盗聴されることのうんぬんばかりに紙面や時間を大きく割いたメディア報道に大きな不満感を感じた。ロンドンのウエストミンスター議会(いわゆる英議会)の議員、議員のために働く人々、政治メディアをひとくくりにして、「ウエストミンスター・ビレッジ」、ウエストミンスター村の話、と呼ぶ言い方がある。自分たちの周りの話だけで、「大変だ、大変だ!」と騒ぐが、国民は「???」と思っている、という時に使う。今回、ややそれを感じた。

 デンマーク風刺画事件の拡大から2年程が経つが、スウェーデンの風刺画事件(昨年末)、オランダの反イスラム映画放映予定(今年3月)など、「あえて挑発して様子を見る」動きが続く。これは一体どういうことなのか?

 昨年のルポになるのだが、「事件から1年後」の様子をベリタに連載で書いた。「デンマーク、風刺画」のキーワードでこのブログにたどり着く方が多いようなので、現地の声を伝える目的で、これを転載したい。記事は2007年時点の表記(今年とは2007年を指すなど)になっていることをご留意いただきたい。

ルポ:風刺画論争から1年のデンマーク・1
表現の自由論争は影をひそめたが…


2007年01月06日日刊ベリタ掲載

(コペンハーゲン発)デンマーク紙「ユランズ・ポステン」が掲載した、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画をめぐる世界的な論争からほぼ1年。「表現の自由」を主張する欧州のメディアに対して、偶像崇拝を厳しく禁じムハンマドの肖像自体が許されないイスラム諸国やデンマークのイスラム教徒は風刺画に強く反発し、抗議デモやデンマークの国旗の焼き捨て、大使館の襲撃などの暴力行為が発生したことは記憶に新しい。イスラム教世界対欧州のキリスト教世界の対立の様相も呈した風刺画事件は、異なる価値観を持つイスラム系移民とどのように向き合うかを欧州社会に問うことにもなった。 
 
▽「デンマークは尊敬されている」 
 
 デンマークのラスムセン首相は今月1日、テレビ放映された恒例の年頭スピーチの中で2006年を振り返り、ムハンマド風刺画騒ぎについて「デンマークの国旗が焼かれ、大使館に火がつけられ、デンマークやデンマーク人に対する脅しが、私たち全員の中に強い印象を残した」と述べた。 
 
 首相はつづけて胸を張った。「現在、デンマークは(世界から)尊敬を受けている。その理由は、私たちの根本的な価値観に圧力をかけられた時、私たちが自分たちの立場を堅持したからだ。私たちは、私たちにとって最も貴重な自由である、言論の自由を守ったのだ」。 
 
 大晦日にはマルグレーテ女王も国民に語りかけた。風刺画事件に直接は言及しなかったが、2006年を「かなり異例の年」と呼んだ。「世界の模範であることに誇りを持ってきたデンマークが扇動や怒りの対象になった」年だった、と。 
 
 女王は、国民に対し、デンマークの価値観と伝統を維持することを提唱しながらも、移民がデンマークに到着してからすぐに自分の習慣をホスト社会の習慣に合わせるように変えるだろうと期待するべきではない、と述べた。デンマーク社会の価値観を、移民としてやってくる人々に説明する努力をまずするべきで、移民たちが「自分たちの居場所を見つけ、幸せに暮らせるように」しようと、呼びかけた。 
 
 風刺画掲載はデンマーク国内で、宗教に関わる批判を受け入れられない一部のグループとその他のグループの人々との間の深い溝を表面化させたが、首相の方が片方のグループ、つまり「表現の自由」の名の下で風刺画を掲載したユランズ・ポステン側を支持するような発言になっているのに対し、女王は両方のグループが互いに手を差し伸べあって生きることを提唱していた。 
 
 騒動の震源地となったデンマークを数ヶ月ぶりに訪れてみると、表現の自由論争はすっかり影をひそめていた。「昨年2月以降、国内では風刺画事件に関してありとあらゆる議論が起き、連日メディアで報道されたので、国民はもうこの問題を語ることにあきあきした」(シンクタンク「新デンマーク人」のアナリスト)のかもしれない。 
 
 掲載から1年と数ヶ月経ったデンマークは一見落ち着いたかのように見える。一体何が変わったのか? 
 
 風刺画掲載以降イスラム諸国で起きたデンマーク製品の不買運動は、デンマーク産物の輸出量を激減させ、悩みの種となっていた。だが、事件がきっかけに本国に召還されたサウジアラビアの大使はデンマークに戻り、一時は閉鎖された複数のデンマーク大使館も既に全て再開され、外交関係は以前に戻ったと言ってよいようだ。 
 
 エジプト出身のイマーム(導師)アーマド・アブラバン師は、掲載に衝撃を受け、12枚の風刺画とともにムハンマドが豚の顔になった漫画などさらに侮辱的な作品も携えて、中東諸国を回っていたが、現在はどうしているだろう。連絡を取ると、師は「一時はあまりにも騒動が大きくなり、自分が問題を大きくした張本人だと言われたので、悩み、体を悪くした。デンマークを去ろうと真剣に思った」という。しかし、「言論の自由があるデンマークにい続けよう」と思い直し、今は元気でやっているという(注:その後、ガンで亡くなった)。 
 
 アブラバン師はつづけた。「風刺画事件がきっかけで、人々はイスラム教にもっと興味を持ってくれるようになった。私がいるモスクにも前より多くの人が訪れてくれる」。「イスラム教徒たちは信仰が以前よりも強くなったと思う。もっと日常生活の中に信仰を取り入れたいと感じるようになったと思う」。 
 
 昨年9月上旬には、デンマークに住むイスラム教徒たちの念願の、イスラム教徒専用の墓地を建設する場所が決定され、政府閣僚やアブラバン師らはともに記念式に出席したという。宗教問題担当大臣のベルテル・ハーダー氏は、「デンマークはイスラム教徒にとって天国だ」とさえ述べている(BBC報道)。 
 
 一方、英字紙コペンハーゲン・ポストによると、コーランのデンマーク語版がクリスマス・プレゼントとして、非常に良く売れたという。これ以前のデンマーク語版は1967年発売で、新たな翻訳版だったためと人々の関心が高まっているせいだ。 
 
 「新聞、ラジオ、テレビ、どこを見てもイスラム教やイスラム教徒の話ばかり出る。人々がイスラム教に関心を持つのは自然だ」とコペンハーゲン大学のヨルゲン・バーク・シモンセン教授はポスト紙に語っている。 
 
 デンマークで生まれ、アラビア語を十分に理解できないイスラム教徒の若者にとっても、デンマーク語版コーランは人気だと言う。 
 
▽イスラム教徒を二分 
 
 事件後に広がった新たな動きとして、「民主的イスラム教徒」運動があげられる。シリアからの難民で現在は社会自由党の国会議員ナッサー・カーダー氏が中心となって立ち上げた、「民主ムスリム・ネットワーク」というグループの活動だ。 
 
 風刺画をきっかけにイスラム諸国でデンマークの国旗が焼かれたり、大使館が攻撃を受けたりしたが、自分たちはこうした過激行為に走るイスラム教徒とは一線を画する、「民主的な」イスラム教徒であることを伝えたい、と考えたイスラム系国民が中心となって、昨年2月発足したネットワークだ。デンマーク国民もこれに一斉に支援を送った。 
 
 ラスムセン首相は発足と同時にカーダー氏らを官邸に招き、政府がイスラム教徒のために何かしている、という印象を与えることに成功した。カーダー氏は、昨年末、ユランズ・ポステン紙が創設した「自由の表現賞」を受賞している。 
 
 しかし、この動きは、結果的に人口の5%を占めるイスラム教徒を二分することになった。 
 
 「民主的」イスラム教徒の反対の存在として、イスラミストという言葉がある。これはイスラム教原理主義者・過激主義者を指すが、どこまでがこの範疇に入るかの判断は人によって異なる。 
 
 風刺画事件を通じて、世界中のイスラム教徒の暴力的抗議運動をメディアを通じて目にしたせいなのか、あるいは「民主的イスラム教徒のネットワーク」が発足したために、「民主的」ではないイスラム教徒=悪いイスラム教徒=イスラミスト=テロリスト、という連想がされてしまうのか、現在のデンマークでは、どのメディアを見ても、どの人に話を聞いても、イスラム教徒の話が出てくれば、「民主的」か「イスラミスト」かの区分けがなされる。後者は決まって否定的な文脈で語られる。 
 
 元々、デンマークで反移民感情が高まってきたのは90年代。移民はデンマークの福祉制度を脅かす存在として見られるようになり、反移民で極右の国民党(現政権と閣外協力)が人気を博してきた。「民主的イスラム教徒のネットワーク」ができたにも関わらず、反イスラム移民感情は一部でより強くなっている。 
 
 デンマーク語の通訳を頼んだユーニケ・ハンセンさんと共にデンマーク数紙に一通り目を通した時のことだ。ある新聞に載っていたカーダー議員の大きな写真に、ハンセンさんは「この人はイスラム教徒だけど、すごいと思うわ。デンマークは民主主義社会なんだから、ルールに従ってもらわないと」と言った。 
 
 「でもデンマークに住む大部分のイスラム教徒は、ここで生まれ育った人も多いし、ルールに従っているのでは?」という私を、ハンセンさんは不思議そうに見つめた。「若い人は高等教育を受けた人もたくさんいるだろうし・・」と続けると、ハンセンさんは信じられないと言う顔になり、一瞬沈黙してから反論した。 
 
 「そうかしら?イスラミストか、デンマーク語もうまく話せず、税金を食い物にしている人ばかりじゃないの?」 
 
 英語とデンマーク語の通訳の国家資格を持ち、時事問題を追っているというハンセンさんでさえこう感じることに、私は衝撃を受けた。イスラム教徒に対するこれほどの反感は、昨年2月の時点ではなかったように思った。イスラム系移民からすると、生きにくい風潮ができあがっているのだろうか。 
 
▽風刺画家らは護衛つき生活 
 
 「国境無き記者団」(本部パリ)は、2005年、デンマークを世界で最も言論の自由がある国とした。しかし、風刺画事件後、やや窮屈な状況が生じている面は否定できない。 
 
 例えば、12枚の風刺画を描いた画家たちの大部分と、ユランズ・ポステンでの掲載を決めたフレミング・ローズ氏は、「民主ネットワーク」を代表するカーダー氏同様、事件以来現在に至るまで警護付きの生活になった。イスラム教過激主義派からの脅しを受けているためだ。ローズ氏は長期休暇措置となっており、米国滞在中。米国の大学などで講演をする生活となっている。何かを言えば、脅しが来て、護衛付きの生活になるとすれば、言論・表現の自由の度合いは狭まったことになりはしないだろうか? 
 
 デンマークの風刺画論争は表現の自由の問題だけでなく、イスラム教世界の価値観と欧州社会(=キリスト教世界)の価値観との衝突という面もあった。こうした衝突は決して人口540万のデンマークだけに特有のものではない。 
 
 昨年9月には、ローマ法王がイスラム教に関して否定的と受け取られる発言をしたが、これに対しイスラム諸国で一斉に抗議運動が拡大し、デンマーク風刺画事件を彷彿とさせる展開となったのがその一例だ。 
 
 デンマーク風刺画掲載から1周年の論調、人々の生の声を紹介しながら、衝突の解決の糸口を探りたい。(つづく) 
 
 
◆デンマークを中心とした、風刺画事件の経緯◆ 
 
 2005年夏、デンマークの児童作家カーレ・ブルートゲン氏が、移民と非移民との間の理解と融合を深めるために、預言者ムハンマドに関する児童書を書こうとした。イラストを描く漫画家を見つけるのが難しく、最終的には、ある風刺画家が匿名を条件に描いた。 

 この顛末をライバル紙「ポリティケン」紙を読んで知ったユランズ・ポステン紙の文化部長フレミング・ローズ氏は、「メディアの自己検閲がどれくらいかを試すために」、ムハンマドの風刺画掲載を思いついた。
 
 ローズ氏は、25人の画家にムハンマドの風刺画を依頼したが、13人が断り、12人が承諾。 
 
 9月30日、「自分が見たとおりのムハンマド」というテーマの風刺画が掲載された。 
 
 10月上旬 国内の16のイスラム教団体が抗議声明を発表。声明文は、ユランズ・ポステン紙が、漫画の掲載を「イスラム教徒の感情、聖地、及び宗教上のシンボルを馬鹿にし、軽蔑する目的で」行い、「イスラム教の倫理上及びモラル上の価値観を故意に踏みつけた」、としている。 
 
 10月17日 エジプト紙「アルファグラ」が風刺画の一部を掲載。「侮辱」、「人種差別の爆弾」として紹介。 
 
 10月20日 イスラム諸国からの11人の大使が、風刺画に対する抗議のため、ラスムセン・デンマーク首相との会談を希望するが、首相はこれを拒否。 
 
 12月、デンマークのイマーム(イスラム教の伝道師)たちは中東を訪問して抗議活動への協力を求めた。このとき、12枚の本物の風刺画とは別に、ムハンマドが児童性愛主義者として描かれるなどさらに過激な風刺画も加えられた、と言われている。 
 
2006年1月10日、ノルウエーのキリスト教週刊誌「マガジネット」が風刺画を「表現の自由」のために転載。 
 
 26日にはサウジアラビアがデンマーク大使を送還。国内でのデンマーク製品のボイコットが始まった。 
 
 30日、ユランズ・ポステン紙は風刺画掲載でイスラム教徒の感情を傷つけたことに関して謝罪。しかし、掲載自体に関しては謝罪せずに現在に至っている。ラスムセン首相も、「独立メディアに政府は干渉できない」という姿勢を崩していない。 
 
 2月1日、フランス、ドイツ、イタリア、スペインの新聞が風刺画を転載。 
 
 シリアで、首都ダマスカスにあるデンマークとノルウエー大使館をイスラム教徒のデモ参加者が襲撃。 
 
 レバノンの首都ベイルートにあるデンマーク大使館はイスラム教徒らによって放火された。レバノン内相は放火の責任を取って辞職。アフガニスタンやソマリアでは、デモ参加者が警察とのもみ合いの中で命を落とした。 
 
 2月8日、仏漫画週刊紙シャルリー・エブドが、問題となった風刺画とあわせて新たなムハンマドの風刺画を掲載し、売れ行きを大幅に伸ばした。 
 
 抗議運動はインドネシア、パキスタン、ガザ地区など世界中のイスラム諸国で発生。少なくとも数十人が死亡。 
 
 4月12日 国連教育科学文化機関(ユネスコ)が風刺画問題の解決を目指す決議案を採択。表現の自由への尊重を求めた上で、その行使に当たっては「相互の尊敬と理解の精神を持ち、文化の多様性と信教、宗教・文化の象徴に対する相互の尊敬を求める」とした。 
 
 10月26日 複数のイスラム団体がユランズ・ポステン紙に対し、風刺画掲載で中傷を受けたとして損害賠償などを求めた訴訟で、裁判所は訴えを退けた。「風刺画自体がイスラム教徒を侮辱しているわけではない」と判断。 
 
(資料:BBC他) 
by polimediauk | 2008-02-05 18:20 | 欧州表現の自由