小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


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英でシャリア論争+風刺画デンマーク・4

 トルコのスカーフのニュースが日本でも報道されるようになったようだ。ヤフーのコメント欄を見ると、「宗教って難しい」というコメントが。一般的に、宗教と言うとやはり日本にいると遠い感じがする人が多いのかもしれない。特にイスラムとなるとそうなのだろう。

 ここ英国では宗教の話で、ここ2-3日、議論百出状態となっている。このトピックを拾っていたのが産経新聞だ。本当に細かくきちんと追っているなと感心してしまう。

 ヤフーからコピーしてみる。

 英国国教会大主教「イスラム法部分適用」 「1国2制度になる」論争に 2月9日16時10分配信 産経新聞

英国国教会の最高指導者、カンタベリー大主教が7日、英BBCラジオの番組で、英国内で「シャリア法(イスラム法)」を部分的に適用することは「避けられないと思う」と述べ、大論争を巻き起こしている。

 大主教は、英国内の移民が持つ抑圧感を和らげるためには、すべての移民社会が公的手続きに参加できるようにすることが重要との認識を示し、「シャリア法の一部を適用することを考える余地がある」として離婚手続きを一つの例に挙げた。

 英国には約160万人のイスラム系移民が地域社会を形成しており、離婚や結婚では英国の司法体系とは異なるイスラム独特の手続きを取っている。英国と母国で一人ずつ妻を迎える例もある。

 シャリア法には、公開処刑やムチ打ちの刑、女性差別など人権問題に発展する内容も含まれているため、大主教は、過剰な刑罰や女性差別は認められないと強調した。

 しかし、1国2制度を認めると法の支配を根幹から揺るがしかねない。英首相官邸の報道官は「英国の法律に違反する行為をシャリア法で正当化することは認められない。シャリア法を民事裁判に適用すべきではない」と即座に大主教の考えを退けた。大主教周辺からも「発言は英国を驚かせた」などと批判的な意見が相次いだ。(ロンドン 木村正人記者)


 今のところ、英国内では大主教の発言に否定的な見方が多い。擁護者及び本人は、後になって、「英国の法律とは別の法律体制を作るべきと言ったわけではない」などと弁解しているが、どうも変だ。

 十分に説明せずにこのような発言をしたことだけで、軽率な感じがするが、真意が今でも十分に分かりかねる。

 私はいろいろな理由から、シャリア法を入れる、その考え方を反映させることに反対である。一つには、「法の前で英国民が平等」という原則が崩れる。何世紀もかけて、宗教と法を切り離してきた、世俗主義の流れに逆行する。何故イスラム教だけを特別とするのか?

 特に、離婚や遺産相続などの面でシャリアの考えを反映させたいようだが、これにも反対だ。例えば、記事の中にもあったが、先のテレビ番組で見たのだが、英国では複数の相手と結婚することは禁じられているが、シャリアでは禁じられておらず、パキスタン系英国人の女性は、夫がパキスタンにも妻がいることで、非常につらい思いをしていた。

 キリスト教でも、カトッリクの場合、中絶はしてはいけないことになっている。これがもし英国の法律に入ったら、中絶は違法となり、違法した人は罰せられる。これが現代に即していないことは明らかだ。

 「法の前の平等」原則が崩れてしまう点が一番気になる。一定の宗教・信条を持つ人が「法の外」の存在として扱われてしまうなら、めちゃくちゃになってしまう。

 ある国の法律の背後にはその国の文化やそれまでの経緯、歴史がある。一夫多妻制がある国の法体系の女性の地位、財産権、離婚の条件などは、一夫一妻を取ってきた国(英国など)の女性の地位、財産権、離婚の条件などとは異なるだろう。英国に居住する、ある女性は、「イスラム教徒の女性」という存在なのか、それとも「英国民の女性」という存在なのか?自分は「英国市民」という意識であっても、「イスラム教徒だから」と、別の決まり・法体系で扱われたら、どう感じるだろう?

 私はこれまで、欧州の中のイスラム社会・文化とホスト社会の文化との融合に関して考えをめぐらせてきた。ホスト社会がもっと変わるべきとも主張してきた。しかし、どこかで互いに結びつくための共通の価値観を共有することは非常に重要だし、これは譲れないものと思う。価値観の「同化」ではなく、互いに了解の上の、「共有」が肝心だ。

 現在の英国において、シャリア法の一部反映は社会をばらばらにするだけのように思える。

 「多文化社会」と言われてきた英国で、本当の議論が始まりつつあるような気もする。多文化の否定は知識階級では一種のタブーになってきたからだ。

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 デンマークの話に戻ると、風刺画を掲載した「ユランズ・ポステン」には、「同化」の強要を私は感じてきた。後で風刺画を掲載したドイツの新聞の編集長の「私たちの」価値観という表現にも。

 この事件では、英国と比較して、デンマークやドイツは、イスラム社会に対し、ホスト社会の価値観を「当然のもの」として押し付けた印象を持った。多文化礼賛がある意味では行過ぎているかもしれない英国とは大分違う感じがしている。(実際のところ、英国の新聞は国内のイスラム教徒からの反発をおそれ、再掲載をしなかったのだから、確かに違うのだ。)

ルポ:風刺画論争から1年のデンマーク・4
「教訓得たが編集方針は変わらず」 ユランズ・ポステン紙の総括


日刊ベリタ 2007年01月19日掲載
(注:今年=2007年などであることをご留意ください。)

(コペンハーゲン発)表現の自由に関する論争を世界中に引き起こしたデンマーク紙「ユランズ・ポステン」は、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画掲載を現在どのように見ているのだろうか?論争が欧州から世界に広がった昨年年頭、編集長や文化部長などがメディアに頻繁に登場し掲載に至る経緯や心境を語っていたが、現在は「風刺画に関する取材には一切応じない」という原則を通している。そこで、風刺画掲載から1周年の同紙記念号とライバル紙「ポリティケン」を中心に、その後の見方を紹介する。 
 
▽世論は掲載支持が半数以上だが… 
 
 ムハンマドの風刺画12枚がユランズ・ポステン紙に掲載されたのは2005年9月30日。1年後、デンマークの各新聞はそれぞれ風刺画事件の特集を掲載した。 
 
 ユランズ・ポステンで紹介されたランボール・マネジメント社の世論調査によると、昨年9月上旬時点では53%が風刺画掲載を支持。理由は「表現の自由を表していたから」。一方、38%が「掲載は間違いだった」、9%が「分からない」と答えている。 
 
 同様の調査を2005年11月上旬行った時には、54%が掲載を支持、25%が「間違っている」、21%が「分からない」。1年経って、掲載が間違いだったと考える人がやや増えているようだ。 
 
 この調査結果は私自身がデンマークで知識人にインタビューした結果と共通する部分があった。ほぼ全員が表現の自由は重要と答えていたが、それでも、表現の自由という権利は必ず行使する義務ではなく、かつ今回の風刺画に権利行使の必要性があるとみるかどうかでは意見が分かれた。 
 
▽「自分たちの信じることを最後まで貫けた」 
 
 掲載から一年後、昨年9月30日付のユランズ・ポステンは特集冊子を作り、カーステン・ユステ編集長のインタビューを掲載した。ユステ氏は、「大きな出来事だったが、自分たちの信じることを最後まで貫ぬくことができ」、移民のデンマーク人たちが何を考えているのかを「健全な議論を通じて理解できた。結果として良かった」と述べた。 
 
 世界中に論争が飛び火し、一部のイスラム諸国では抗議運動中に命を落とした人もいることに関しては、「他の国で起きたことに私たちは責任はないと思う。それぞれの国で固有の事情があったのだと思う」。 
 
 ユランズ・ポステンの編集方針は事件の後も変わっておらず、「ムハンマドがコーランに放尿しているような風刺画は掲載しない。もし同様の状況になったら、事前によく熟考する」。結果を恐れてではなく、「イスラム教徒の一部を不必要に侮辱することを避けるため」だという。「宗教的感情を風刺対象の例外とするべきではない」。 
 
 また、「預言者を描くこと自体がタブーとは思わなかった。これほど強い侮辱感を相手に与えるとは思わなかった」と、イスラム教に関する知識や想像力の面で足りなかった部分があったことを認めながらも、「国民の大多数も知らなかったのだと思う。私たちだけが無知だったのではない。教訓を学んだ」としている。 
 
▽「表現の自由は狭まった」 
 
 ユステ編集長は、風刺画事件の影響で表現の自由の度合いが狭まったと見ている。一例が、昨年9月、ローマ法王ベネディクト16世のドイツの大学でのスピーチだ。法王は14世紀のビザンチン帝国皇帝の言葉を引用し、ムハンマドがもたらしたものは邪悪と冷酷だったと発言していた。この時、風刺画事件をほうふつとさせるような、非難と抗議運動がイスラム諸国で起きた。 
 
 この事件に触れ、編集長は、現在では「表現の自由、言論の自由の度合いは減少したと思う。法王の発言は大学での知識層相手のスピーチの一部だった。それでも攻撃された。これでは、イスラム教に関して学問的議論をすることができない。西欧では学問的議論の場では何でも言える。私たちの文明の基本に対する攻撃だった」。 
 
 ユランズ・ポステンにとっては良い点と悪い点があったという。良い点とは「世界中に名前が知られたことだ。尊敬されたと思う」。 
 
 悪い点としては、ライバル紙ポリティケン編集長のネガティブ・キャンペーンだと言う。「私たちが意識的にイスラム教徒を攻撃するために風刺画を掲載をしたと繰り返して言っている。外国人のメディアに会ってユランズ・ポステンは右派の新聞だと説明している。本当に最悪で、我慢できない」。 
 
 ユステ氏によると、「ユランズ・ポステンの編集長と言う立場を利用して、個人的な目的のために国内の一部の人を紙面を使って攻撃をするなど、実際には不可能だ。そんなことをしたらスタッフがついてこないし、解任される」。 
 
 ポリティケンのトウア・セイデンファーデン編集長は、「反移民の現政権に近いユランズ・ポステンが、イスラム系移民を攻撃するために風刺画を掲載した」と表明してきた。 
 
 現在までに、こうした見方を全面的に否定するユランズ・ポステンとの溝は広まるばかりだ。 
 
▽「イスラム諸国の抗議は政治的利用」 
 
 一方、ポリティケン紙の昨年9月30日号は、ユランズ・ポステンでの風刺画掲載を決定したフレミング・ローズ文化部長のインタビュー記事を掲載した。ローズ氏は現在長期休暇中となっており、米国で講演などをしながら生活している。 
 
  ローズ氏は2005年の風刺画掲載時、紙面にエッセーを書いた。この中で、「イスラム教徒は特別な扱い、特別な条件を社会に期待している」が、「西欧の民主主義と表現の自由の価値観の中では、イスラム教徒だけではなく全員が嘲笑され、侮辱されることを我慢しなければならない」とし、「デンマークはまだそうなっていないけれども、私たちは自己規制の下り坂を駆け下りている」と危機感を表明した。 
 
 ローズ氏は現在、護衛付きの不自由な生活を送ってはいるが、諷刺画掲載は「十分に意味ある行為だった」と考えており、世界中で数人が命を落とした件は「残念に思うが、自分には関係がない。掲載の決定を後悔していない」、と繰り返した。 
 
 ユステ編集長同様、ローズ氏も人命の犠牲に関しては自分たちは関係ないと、見ているが、同様の考えを在デンマーク及び在欧州の知識人からも聞いた。つまり、大きな抗議デモが起きたパキスタン、シリアなどでは既に住民の中に国内政策に関する不満がたまっており、政府側が国民の不満のガス抜きとして、風刺画事件を利用したという見方だ。 
 
 「風刺画はカタリスト(触媒)として働いた。表現の自由に圧力がかかっていることが、風刺画事件を通してもっとはっきりと見えるようになったのだと思う」。 
 
 かつて、キリスト教徒から見れば冒涜的とされるようなキリストの風刺画の掲載を却下した件について聞かれると、ローズ氏は「毎日フリーランスからたくさんの作品を受け取る。問題の風刺画は質が良くなかったので掲載を見送っただけだ」と答えた。 
 
 ムハンマドの新たな風刺画を将来的に掲載するかと聞かれ、ローズ氏は、「仮定の話には答えられない」としている。 
 
 ローズ氏、ユステ編集長ともに、ユランズ・ポステン側の掲載は正しい判断だったとする姿勢を、現在まで(注:追加ですが、これは2008年でも同様です)貫き通している。(つづく) 
 
by polimediauk | 2008-02-10 03:12 | 欧州表現の自由