小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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「くじ」で生徒を選ぶ英イングランドの学校

 英イングランド地方では、評判の良い学校にわが子を入学させるための親同士の競争が毎年熾烈化している。

 全ての児童に教育の機会を均等にかつ公正に与えることを目指す政府は、昨年、貧富の差や親の職業によって児童が入学上の不利益を得ないようにするための方針をまとめた「学校入学規約」を策定し、これを受けて、複数の自治体が定員以上の入学希望者があった場合などに、くじ引き制度を導入している。

 くじ引き?これはあまりにも変なのではないか?という疑問から、教育の機会均等をめぐって試行錯誤を続けるイングランドの教育事情を「英国ニュースダイジェスト」最新号に書いた。くじ引き導入は、「公正さ」を何とか実現するための苦肉の策だった。

 (何故イングランド地方なのか?と疑問に思われる方のために付け加えると、英国はイングランド・ウエールズ地方、北アイルランド、スコットランドの教育体制はそれぞれ別になっている。最近新聞を賑わせたのがイングランド地方の学校についてだった。)

 (もう1つ付け加えるとすると、イングランド、あるいは一般的に英国の教育というと、イートン校、ラグビー校、あるいはケンブリッジ大学、オックスフォード大学という名門の名前が浮かぶだろうと思う。イートンやラグビーは私立校で、「パブリックスクール」と相反するような名前で呼ばれている。私立は生徒・親が自分で学費を払わなければならない。そのため、一定のお金のある人、代々私立校に通っている家庭出身の子供が行くことが多い。私立校と公立校の大きな2つの流れがあるとすると、私立校の方は長年、あまり変わっていないと聞く。もちろん、特権階級の子弟だけが行く場所ではなくなったとは言えるだろうけれども。それでも、今回、公立校のことを調べてみて、驚いたが、公立の中学校に行く人は該当児童の90%という。やはりまだまだ、私立校は「一部の人」が行く場所であることに変わりはないのだと実感した。さらにだが、これで私立の中等機関、いわゆる「パブリックスクール」に行ったというだけでいじめられる、という言葉の意味が改めて分かった。)

 子供に良い教育を受けさせたかったら、優秀な学校の側に引っ越すのが最善策―。英イングランド地方では、これが多くの親の実感になりつつある。

 初等教育を終えた児童の殆どは、原則的には無試験で入れる公立中学校に進学するが(といっても、グラマースクールなど選抜試験や適性試験を行なうところもあり、基本は無試験でも定員数の10%を特定の技能や適性を持つ児童の入学にあてることが出来る公立校など、様々な組み合わせがある。イングランド地方の中等教育機関は「部分的選択制度のある体制」とも言われる)、教育熱心な中産階級が子供のために成績優秀校の近辺に引越し、定員枠を独占する現象が起きている。財政面から気軽に引越しができない労働者階級や低所得層が割りを食う、不公平な状況が生じている。

 恵まれない家庭に育つ児童の救済を目指した「学校入学規約」によると、学校側は「生徒の選抜に際しては、入学を希望する児童の通学時間や利用する公的交通機関の有無を考慮に入れる」、「特別教育が必要な児童を一定数受け入れる」などに加え、「児童の親を事前面接してはいけない」、「親の財政状態、結婚しているかどうか、あるいは社会的位置を考慮に入れてはいけない」、「申し込みの早さで決めてはいけない」、「何故親がその学校を選んだのかを聞いてはいけない」、「児童の関心や知識を選考の要素にしてはいけない」など、様々の制約がつく。中産階級に優位に働くと想定される項目が禁止されていることに気づく。

 兄弟姉妹が既にその学校で勉学中の場合や、保護を必要とする児童(親がいない、あるいは貧困層など)を最優先するようにとも規約は定めている。希望者が定員を超過した場合、くじ引きでの選択も推奨している。

 くじ引きは、「教育の場にはそぐわないやり方」、「公正とは思わない」とする考え方も根強いが、作為的な要素を反映しないので、最も公正というのが政府の見方だ。引越しまでした中級階級の家庭からすれば、せっかく近所に住んでいるのに、子供が入学を許可されるのかどうか分からない状態となった。くじの結果、自宅からは遠い方の学校に通わなければならなくなった児童も出ている。

 学校側が公正かつ客観的に生徒を選んでいないと感じた場合、保護者は入学制度を規制する「独立審査員事務所」に申し立てを起こすことができる。毎年、公立中学に新規入学を果たす児童の約1割の保護者が、不満申し立てを起こしている。不満を感じながらも申し立てを起こさない家庭を考慮すると、不満層はかなり大きいと見て良いだろう。申し立てをする親の中で、高額を払って代理人を雇って希望の学校に入れるようにするのも中級階級の親が多い。訴えの約3割は親の勝利となる。

 毎年発表される成績優秀校の一覧表が、優秀校への入学希望熱を加速させているが、この一覧表発表をいっそ停止してはどうか、あるいは全ての公立校の教育水準を上げることに力を入れた方が話が早いのではないかなど、他の可能性も思い浮かぶが、「わが子には最善の教育を」と望む親の耳には届かないのが現実のようだ。


▽ イングランドの教育の歴史

1880年:初等教育法により、5歳から10歳の児童は義務教育を受けることになった。後、13歳までに延長される。
1900年:10歳から15歳を対象とする、後期初等教育機関が認可される。
1902年:地方教育委員会(LEA)が発足する。グラマー・スクールがLEAの資金で運営されるように。
1918年:中等教育が14歳まで義務化される。
1944年:初等教育と中等教育の分かれ目が11歳となる。3年後、義務教育は15歳までに。11歳の試験結果で成績の良い生徒用のグラマー・スクール、機械や科学に強い生徒用のテクニカル・スクール、実用的な技術を取得するモダン・スクールの3種類のいずれかの中等教育機関に進む、「3部体制」が成立する。
1965年:3部体制が失敗し、労働党政権が3部体制の代わりに「コンプリヘンシブ(普通科)」スクール体制を敷くが、一部地域では3部体制が残る。
1972年:義務教育が16歳までに延長される。
1979年:保守党政権が、若年層の失業問題解消のため技術取得教育に力を入れ出す。私立の学費は払えないが成績が良い、低所得家庭の生徒が無料で私立で勉学できる仕組みができる。
1988年:教育に市場原理を持ち込む改革が進む。全国同じカリキュラムの導入、各学校の学業到達度ランキングの発表、親の学校選択権の拡大など。
1997年:労働党政権は、前政権下の教育体制はほぼ踏襲しながら、学力向上を目指す政策を実行。成績到達目標を設定する。競争で落ちこぼれた学校への支援策を提供。教育によって貧困から脱出が実現できるよう支援する政策に力を入れる。
2007年:貧困・低所得の家庭の児童が教育の機会均等の面から不利な状況に置かれないよう、学校入学規約を策定する。08年度入学分に適用されるが、後の調べで、規約違反が多数発生していたことが発覚した。
(この年代のリストの主な情報源はウイキペディア英語版です。おかしな点がありましたら、ご一報ください。)

▽関連キーワード 
ELEVEN PLUS EXAM
「イレブン・プラス」と呼ばれる、中等教育選定試験。初等教育の終了時、11歳から12歳の児童が受ける試験で、1940年代半ばに導入されたが、イングランド地方では一部で残るのみ。語学力、数学、問題解決能力を査定する。この試験の結果によって、3種類の中等機関(3頭体制)のいずれかに進学する仕組みがあった。個々の児童に適する学校を選ぶための試験だったが、成績の良い児童が進むグラマー・スクールに入るための受験競争が生じ、グラマー・スクールに行けなかった場合「失敗」と見なす傾向も出た。若年で将来が決まる点、好成績は英南部や中流階級出身の児童に偏る傾向があり、試験によって入学者を選択しないコンプリヘンシブ・スクールが取って代わるようになった。

「英国ニュースダイジェスト」(英時間12日以降の掲載が最新号)
http://www.news-digest.co.uk/news/index.php
by polimediauk | 2008-02-12 00:54 | 英国事情