小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


by polimediauk

風刺画論争後のデンマーク 6


Poreporeさま

 長いコメントが入らないコメント欄で、我慢強くコメントありがとうございました。

 いろいろな点を考えさせられ、どのように答えたらいいか?と思ったのですが、メディアに関係のある点に関し、「当のデンマークでは、どういう形でメディアで発信されておられるのでしょうか。あくまで国内をターゲットにしたデンマーク語による発信が中心なのか、それとも海外向け、それも欧州のみをターゲットにしているのか、あるいはイスラム圏も含む広範囲なまでの論争となるように発信しているのか」―というご質問がありました。

 私がこれまでに見聞したところでは(デンマークに実際に暮らしている方でほかの見方を持たれる方のご意見、歓迎します)、

――デンマークのメディアは、デンマーク語であるせいもあって(一部英語メディアは除く。特に英語のコペンハーゲンポストは、空港でも配られているので、海外からの訪問客に向ける、という意味もあるそうです。実際、投書は世界中から来るそうです、編集部談)、デンマーク国民向け、がもっぱらです。
―しかし、例の風刺画事件が世界中に飛び火して、そこで初めて、デンマーク国内で書いていることでも、世界の読者の目に触れることが改めて認識された、とよく聞きました。
―その後の反応としては、デンマーク語新聞であっても、トピックによっては海外に翻訳されてしまう、何らかの影響が出てしまうことが頭の片隅に入るようになったと言えるのではないか、と見ています。実際、ユランズ・ポステンのライバル紙「ポリティケン」の編集長は、一時期、故意に外国メディアの取材にどんどん応じていました。国際世論を味方にしたい、ライバル紙を攻撃したい、自説(ムスリムの権利の保護)を広めたい、という思いがあったのでしょう。後に、この人は一部始終を本にしました。
―現在は、風刺画のようなトピックに関しては、一挙一動が中東や欧州、あるいはほかの国に翻訳されて伝わる、ということが認識されていると言っていいのではと思います。

 メディアが危機をあおる、あるいは政治的な要素が背景にある、というの確かにあると思います。
 
 デンマーク風刺画の「危機」ですが、2006年の危機に関する限り、暴動が起きたのはパキスタン、シリア(国家が主導??)など、デンマークの外の出来事で、デンマーク国内では同様の行為は起きなかったと記憶しています。

 デンマークにとっての危機は、今回の、ある男性のインタビューのように、風刺画がきっかけとなった事件なのに(「風刺画事件」と呼ばれる)、デンマーク内では「ムハンマド危機」、つまり、ムスリムたちの事件として認識されていることに如実に現れているようにも感じます。

 今私の住む英国や、他の欧州の国でムスリムの多いところと比べると、デンマークのムスリムたちは数が少なく、モスクもまともなものはほとんどないようです(既存の建物をモスクとして使うのみ)。

 少数民族的な存在のムスリムたちを、「表現の自由」という名の下に、故意に挑発した事件という面があったと私は受け取っています。

 どうして挑発したかなあと、根っこのところを考えると、学校でもちょっと変わった服装をしている人をいじめたくなる、そんな気持ちもあったのかなあと思います。オランダの反ムスリム感情にも、「西洋の洋服を着ず、ビールを飲まず、サッカーもしない人たち」への違和感もあるのだろうか、と。・・あくまでも私の推測ですが。

 ある社会の少数派たちがどんな風に扱われているのか、という点に注目すると、どの社会でもいろいろ、見苦しい面が出るようにも思います。私が欧州のムスリムの問題に注目するのも、私自身が外国人だから、というのもあるのです。どうにも人事ではない思いを抱いています。


風刺画論争から1年のデンマーク・6 「風刺画事件で社会融合の努力が水泡に」 「新デンマーク人」のアヤーン・カーン氏

日刊ベリタ 2007年01月22日18時11分掲載
(2007年の記事であることをご了解ください。今年=2007年など)

風刺画論争後のデンマーク 6_c0016826_8234335.jpg(コペンハーゲン発)イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画掲載は、異なる価値観を持つイスラム系移民とどのように向き合うかを欧州社会に問う事件でもあった。移民問題に関するシンクタンク「新デンマーク人」(「新デンマーク人」とは移民を指す)のアナリスト、アヤーン・カーン氏はデンマークで生まれ育ったが両親はアラブ国家の出身。国内での移民の位置と風刺画事件の影響に関する「個人的見解」を語ってもらった。 
 
▽「彼ら」と「私たち」 
 
―デンマーク紙のムハンマドの風刺画掲載は、広い意味ではイスラム教世界とキリスト教世界の対立の様相を見せた。デンマーク国内ではこうした対立はあったのだろうか? 
 
カーン氏:私が見るところでは、国内でキリスト教のバックグラウンドを持つ人とイスラム教のバックグラウンドを持つ人の間で、宗教を巡っての大きな対立はこれまでなかったし、これからもないと思う。 
 
 ただ、「イスラム教徒」、「イスラム諸国」、あるいは「移民」という時、非常に広い範囲の話をしていることに気づいて欲しい。イスラム教と言ってもシーア派、スンニ派、またアラブ人なのか、アジア系か、あるいは熱心なムスリムなのかそうでないのかによっても見方が変わる。 
 
 デンマークのムスリムに関しては第1世代か、第2世代か、高等教育を受けているのかどうか、高齢者か男性か女性か、女性でも子供がいるどうか、また、結婚しているか、いないかで受け止め方が変わる。 
 
 それでも、国内のムスリム移民の中では、「彼ら」(先住デンマーク人)と「私たち」(移民)という意識は、あまりうれしいことではないが存在する。 
 
―「彼らと私たち」という感情は強まっているのだろうか? 
 
カーン氏:これもどの人たちを話しているかによる。宗教心の強い人に関していっているならば、そうだ、といえる。 
 
 外部的要因としては、私たちはグローバルな世界に生きており、アフガニスタンやイラン、イスラム系諸国で起きたことに影響を受ける。そこで「私たち(ムスリム)と彼ら(非ムスリム)」という感覚を起こさせる。 
 
 内部要因としては、国内では数年前から移民に関する非常に厳しい議論が起きている。移民の社会融合に関して話すとき、政治家は非常に攻撃的、否定的なトーンで話す。 
 
―その理由は? 
 
カーン氏:私の見るところでは、長い間、デンマーク社会はほぼ完全に近かったと思う。教育は最高レベルだと自負していたし、医療サービスにも問題がなく、失業率も高くなかった。政治家が議論をするような大きな問題がなかった。それで、移民が焦点の一つとなった。 
 
 右派のデンマーク国民党は反移民キャンペーンに力を入れ、移民たちが集団レイプを行った、移民による犯罪率が高くなった、だから移民の流入を止めなければならない、と訴えた。次第に、移民には何か問題がある、というイメージができていった。特に2001年、現政権になってからはその傾向が強まった。 
 
 今では、移民の社会融和に関してポジティブなことを言う政治家は誰もいないと見ていい。しかし、10万人の新デンマーク人が労働市場にいるのも事実だ。グラスの半分が一杯と見るのか、あるいはまだ一杯ではないと見るかによるが、労働市場にいることは必要されている、ということだ。 
 
―移民あるいは親が移民だった場合の差別はどうか? 
 
カーン氏:17-18歳の移民出身者に差別があるかと聞けば、クラブに入れないから差別はある、というだろう。仕事が見つからない時も、差別されていると感じるだろう。また、新聞では風刺画やイスラム教、移民一般に関するニュースの殆どが否定的な文脈で語られているため、多くのムスリムたちは自分たちが社会から歓迎されていないと思うようになる。「状況は悪くは無いが、尊敬されているとは感じない」、と言うのが答えになるだろうか。 
 
―雇用面ではどうか? 
 
カーン氏:移民出身ということで断られる人もいるが、一方では、雇用される人もたくさんいる。移民と言っても誰と比較するかで変わってくる。移民がデンマークに来るようになって既に30年経っており、丁度、教育を受けた移民が増え、雇用面でも花開いているところだと思う。 
 
 注意したいのは、多くのデンマーク人が移民のことを知らない、友達がいない、という点だ。遊びでも一緒にならない。唯一移民のことを知るのは否定的な文脈のメディア報道を通してだ。 
 
 平均的デンマーク人からすれば、移民が問題に見える。実際にコンタクトがないので、そう思ってしまう。政治家やメディアにはこうしたイメージを変える責任、役割がある。 
 
▽表現の自由には責任が伴う 
 
―ムハンマドの風刺画問題についてどう思ったか? 
 
カーン氏:今「風刺画問題」といいましたね?デンマークでは「ムハンマド危機」と呼ばれている。「ムハンマド危機」と呼んでいるうちに、イスラム教自体やムハンマド側に問題がある、という考えるようになってしまう。「政府の危機」、「風刺画の危機」、「ユランズ・ポステンの危機」とも言えるが、「ムハンマド危機」という言い方を選択した。この表現にデンマーク国民の受け止め方が現れている。 
 
 殆ど誰も報道しないが、デンマークではイスラム教徒による目立った暴力事件はなかった。民主主義的価値観がデンマークにいる全ての人に非常に深く根付いているので平和的な抗議デモが起きただけだった。 
 
 ありとあらゆる議論が起きたが、中心になったのは民主主義、表現の自由、それにデンマークの価値観だった。 
 
―「デンマークの価値観」とは何か?民主主義的方法を使って、自分の意見を表明すること? 
 
カーン氏:そうだ。もしデンマーク人に、デンマークの価値観とは何かと聞けば、民主主義と表現の自由と言うだろう。ムスリムたちもここに住み、デンマークの価値観に基づいて、自分たちの意見を表明し,立場を明らかにしていた。この点に私たちは注目するべきだと思う。 
 
 この事件を通じて、デンマーク国民は自分自身のことを振り返った。それまで、デンマーク人といえば、いいやつ、ということだったと思う。正しいことをしている、と。環境、人権などの意識が高く、平和を愛する国と見られていた。ところが今は、世界はデンマークを非常に閉じられた国だと見ている。他の文化に対して排他的な国である、と。デンマーク国民としては悲しい。 
 
 過去30年間、人々は一生懸命働き、移民の社会融和が進むように努力してきた。しかし、特に2001年以降、社会融和は宗教の問題だと見なされるようになった。これは正しくないと思う。移民全員が(大多数のキリスト教徒から見れば異教徒である)イスラム教徒ではないし、イスラム教徒にも様々な宗派の人がいて、出身国も違う。風刺画事件が起きて、社会融和の面では今までの努力が水の泡になったことを悲しく思う。 
 
―イスラム教のバックグラウンドを持つナッサー・カーダー議員が中心となって立ち上げた「民主ムスリム・ネットワーク」に関してどう思うか? 
 
カーン氏:「ムスリム」という言葉を使っているのがひっかかる。他の言葉を使っているなら、私はいいと思う。しかし、民主的ムスリムというのはどうだろうか。私の父はアラブ諸国からデンマークにやってきて、30年経つ。父は常に民主主義者だし、ムスリムなので、「民主的ムスリム」だった。しかし、自分を民主的ムスリムと呼ぶ必要があるのだろうか。 
 
 ネットワークが立ち上げられた時、「あなたは民主的ムスリムか、もしそうでないならば、あなたは右派のイスラミスト(=イスラム教原理主義者)だ」、と言っていた。これは悲しい。 
 
 90%以上のムスリムが、自爆テロを起こそうとは思っていないし、無実の人を殺そうとも思っていない。しかし、ムスリムであるというだけで、通りに出て、自分はそうではない、と言う必要はないはずだ。 
 
―欧州には既にかなりの表現の自由があったという見方がある。ユランズ・ポステンは何故わざわざ表現の自由に挑戦する必要があったのか。 
 
カーン氏:私も分からない。何故メディアがそうしたのか。 
 
 表現の自由は大切だが、何をどこまで批判するのかを学ぶには教育が必要だ。イスラム教やキリスト教に関して、人々は十分には判ってない。あのような風刺画はある人たちにとっては非常に衝撃的で侮辱だったが、次回はどうするべきか。デンマークには風刺がきいたユーモアを楽しむ歴史があり、首相でさえもかなり戯画化した風刺画が描かれる。何をどう言うかの判断は難しい。自分自身も表現の自由にいかなる限度があるべきかに関しての考えは定まっていない。 
 
―表現の自由を最優先する考えをどう思うか? 
 
カーン氏:馬鹿馬鹿しいことだ。誰しも考えていることを全ていつも言っているわけではない。時々、私たちは馬鹿馬鹿しい事をする。私が何かを言うとき、人々に対する敬意の念から全ては言わない。もちろんだ。誰もそうしていない。誰もだ。他人と意見が合わなくてもそれをいつも口に出すわけではない。表現の自由には責任が伴う。(つづく) 









by polimediauk | 2008-02-16 08:25 | 欧州表現の自由