小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


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カンタベリー大主教のシャリーア発言とは?

 英国教会の最上席の聖職者、ローワン・ウィリアムズ・カンタベリー大主教は、2月7日、BBCのラジオ番組の中で、英国内でイスラム聖法「シャリーア」を部分的に適用することは「不可避」と発言して議論を巻き起こした。異なる文化や価値観を尊重する多文化社会を標榜する英国だが、この発言は多くの反発を引き起こし、大主教の辞職を求める人さえ出た。英国におけるシャリーア法が担う役割と、大主教の発言の真意を追った。(「英国ニュースダイジェスト」、最新号より転載。)

 シャリーアはイスラム教に基づく法的、宗教的規定で、食生活から服装、結婚に至るまで、イスラム教徒の日常生活に関わる広義な行動規定を定めるが、多くの英国民にとっては、窃盗犯の両手を切り落としたり、姦通罪を犯した者は石打による死刑、断頭刑など、極刑を下す法というイメージが強い。さらには、イスラム教徒が多いパキスタン系英国人家庭を中心に、若年の娘を強制的に結婚させる慣行や、親が決めた結婚相手を拒否した場合、「家族の名誉を汚した」という理由で親類の手で娘を殺害するなどの衝撃的な事件が、近年表面化していることもあって、西欧では人権面から特にイスラム聖法の批判が根強い。

 もしイスラム法と既存の法制度の並立を大主教が提唱したのだとすれば、「法の前の平等」という英社会の大原則の1つが揺らぐことにもなる。多文化社会の英国だが、「法制度まで宗教によって分けるのは行き過ぎ」という声が上がった。「ますます社会が分断化される」と、平等人権委員会のフィリップス代表は警告し、「軽はずみな発言した大主教の見識を疑う」として、辞任を求める教会関係者も出た。

 数日後、英国教会の総会で、ウィリアムズ大主教は先日のスピーチは表現が「まずかった」と認めながらも、英国教会の最高指導者の自分が「全ての宗教のために発言をする」ことは重要、とした。また、「複数の法制度が平行して存在することを提唱したわけではない」として、社会的連帯を維持するためにもイスラム法容認不可避の姿勢は変わらないと繰り返した。

―大主教の真意は?

 英国には既にシャーリア裁判所やユダヤ原理主義裁判所が存在し、その判決に法的拘束力はないものの、離婚も含めた民事紛争の調停場所として機能している。近年は家庭問題などをこうした場所に持ち込むケースが増えていると言われ、大主教の発言は、冷静に考えれば、現実に即した発言とも取れる。「シャリーア」と聞けば極刑を連想する国民意識が、発言を巡る大論争を過熱化させたのかもしれない。

 大主教の真意は、大主教から見れば行き過ぎにも見える世俗主義社会と信仰の関係だった、と宗教専門家らは指摘する。 「法律は宗教心のある人々の良心を守るためにあると当然のように考えてきたが・・・社会がますます世俗化する中で、これが当然のことだと簡単に言うことができなくなってきた」とする箇所も含め、次第に宗教が生活とは切り離された存在になりつつある現代社会に、トップの聖職者として警告を発したのだ。自分の存在感を示した、とも言える。「今後も他の宗教に関わる懸念について、問題を提起していきたい」と語っているところを見ると、これからも大主教の「問題発言」は続きそうである。

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―カンタベリー大主教プロフィール

1950年、ウエールズ地方のスワンジーで、鉱山技師の息子として生まれる。ケンブリッジ大学、オックスフォード大学で学び、両大学で神学を教える。36歳でオックスフォードで最も若い教授に。ウェールズ大主教を経て、2002年、第104代カンタベリー大主教に任命される。イラク戦争反対、奴隷貿易で政府に謝罪を求めるなど、宗教以外の分野での発言で物議をかもす。同性愛者や女性が主教になることに寛容な姿勢を見せ、英国国教会やその世界的組織「聖公会」(アングリカン・コミュニオン)」を二分した人物、とも言われている。神学者、大学教授、詩人でもある。神学講師で作家の夫人との間に2人の子供がいる。

―英国の宗教人口内訳 (2003/04年)

キリスト教徒  71.8%
イスラム教徒2.8%
ヒンズー教徒1%
ユダヤ教徒0.6%
仏教徒0.3%
特定の信仰なし・無宗教23.5%
(Source: Office for National Statistics)

―シャリーア法とはQ&A

イスラム教における、宗教に基づく法体系。内容は宗教的規定のみでなく、民法、刑法、訴訟法、国家論、国際法など、イスラム教徒の生活のあらゆる側面を含む。「シャリーア」とはアラビア語で「水に至る道」で、コーランの教え、預言者の言行、イスラム教法学者が使う「ファトワ」(勧告、見解)などを基にする。その解釈には様々な説がある。

―実際にはどのように使われているか?

日々の生活の場面において、個々のイスラム教徒はシャリアの教えに影響を受けるが、裁判沙汰になった場合、イスラム教国家ではシャリーアの教えに基づいた罰則を適用する。非イスラム教国家でも、シャリーアの裁判所が設けられている場合があり、西欧諸国では家庭やビジネスに関わる紛争処理で使われていることがある。

―シャリーア法と英国の法律の関係は?

イスラム教あるいはユダヤ教の伝統に沿った食肉の流通・販売が、英国の食物規制法の下で許可されている。また、イスラム教は金利から利益を得ることを禁止しているので、利子がつかない金融商品の販売を行なうイスラム金融を、財務省が認可している。

―離婚について

イスラム教徒の男性が、アラビア語で「離婚」と3回唱えると離婚が成立する、という考えがあり、これで十分だと見なす男性と、十分ではないと見る男性がいる。実際には、言葉を唱えるのは単なる象徴的な行為だと言われている。
(参考:BBC他)


―関連キーワード

ARCHBISHOP OF CANTERBURY カンタベリー大主教。ケント州の大部分が入るカンタベリー教区の主教で、教区内の礼拝、指導や様々な関連業務の責任者。同時に、英国国教会とその世界的組織「聖公会」(アングリカン・コミュニオン)」の最上席の聖職者。英国教会内の及び世界中の異なる宗教間の関係を促進する役目を持ち、その発言は、大きな影響力を持つ。元々はローマ・カトリック教会のカンタベリー大司教だったが、ヘンリー8世がローマ教皇庁から離脱し、英国教会を創設して以来、イングランド王に選任されるようになった。現在では女王の名により指名されるが、実際には、聖職者と信徒で構成される委員会が選んだ候補者から、英首相が選ぶ。
by polimediauk | 2008-02-29 00:56 | 英国事情