風刺画論争後のデンマーク・7
(消えないようにこちらにも入れておきます。
http://it.blog-jiji.com/0001/
私のブログの先生と勝手に呼んでいる、時事通信の湯川さんが、米出張後、おもしろいことをいろいろ書いている。ブログの書籍化や広告の新しい形など。目からウロコです。)
しばらく止まっていたが、表現の自由+デンマーク・ルポの最後の2つを出したい。今回は、風刺画事件を大きく世界に広げた人物(既に故人)がいた、あるモスク(といっても2階建ての普通の建物をモスクとして使っているだけ)の若手の人に話を聞いた。クールで、頭も良い感じだった。こういう人がこれからのデンマークのムスリムたちを引っ張っていくのだなと思った。事件を通して「学んだ」ことを話してくれた。(2007年の記事であることにご注意ください。2007年=今年、など。)
日刊ベリタ 2007年01月25日掲載
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200701251254474
風刺画論争後のデンマーク
「なぜ対話を拒むのか」 ユランズ・ポステン紙を提訴したイスラム教徒カシーム・アーマド氏

▽イスラム教徒専用の墓地建設へ
コペンハーゲン中央駅からバスを2つ乗り継いで到着する、今や有名となったモスクは、外見だけからはモスクとは分からない。大きめの公民館のような2階建ての建物をモスクとして使っているからだ。欧州各国では、イスラム教徒の住民がある程度の数になり影響力を持つようになると、自分たちで資金を出し合ってあるいは地元政府からの資金を援助を受けて、モスクを建設するのが一般的だ。
デンマークの全人口の約5%にあたる20万人がイスラム教徒と言われているが、この中で熱心なイスラム教信者は1万から2万人とされる。新たにモスクを建設した例は未だない。しかし、イスラム教徒専用墓地の建設がこのほどようやく可能になった。
アーマド氏は、ユランズ・ポステンに対する裁判を起こすとともに、このモスクに通うイスラム教徒で、「イスラム教徒専用の墓を建設するための理事会」のメンバーでもある。
―何故専用墓地が今までなかったのか?
アーマド氏:中々建設許可が下りなかったからだ。政府当局側は、もしイスラム教徒だけの墓が欲しいなら、まず土地を見つけること、そうすれば墓地の建設許可を与えると言っていた。しかし、毎回私たちが土地を見つけると、「だめだ、そこには墓地は建設できない」とその度に言われた。最終的にブロンビーという町に見つけたのは5年前だ。
しかしこの土地はコペンハーゲン市が所有していた。コペンハーゲン市、ブロンビー町との交渉の末、提示された購入価格のための資金を24のイスラム教団体が出し合い、ようやく土地を購入することができた。昨年9月には文部大臣やこのモスクのアブラバン師が建設予定祝賀式に出席した。
―国内で初めてのイスラム教徒専用の墓地か?
アーマド氏:そうだ。現在のイスラム教徒の墓はキリスト教徒の墓地の一部を使っている。
―風刺画事件の時、イスラム教徒の墓が頻繁に攻撃されたと聞く。本当に攻撃されたのか?
アーマド氏:本当だ。墓が攻撃されると、私たちは教会に連絡を取って、警察に近隣をもっと頻繁にパトロールしてくれるよう頼んだ。警察は助けてくれるが、完全になくすることはできないと思う。イスラム教徒だけでなく、ユダヤ教徒やキリスト教徒の墓も攻撃されている。
─建設開始はいつ頃か?
アーマド氏:まだ分からない。建設費用が必要になり、今メンバーから資金を募っているところだ。
―デンマークでモスクが建設されたことはないのか?
アーマド氏:正式にはない。
―欧州各国ではどこでもモスクが建設されている。デンマークでこれができないのは数が少ないせいか?
アーマド氏:違う。力が弱いからだ。20万人しかいないし、建設するだけの資金がない。モスクが建てられるような場所はあるけれど、土地取得にかなりの金額が必要だ。
▽「私たちはナイーブだった」
― 風刺画事件では、政府は独立メディアへの干渉をしないということで、アブラバン師を始めとするイスラム教徒側への支援をしなかったが、現在、政府との関係はどうか?
アーマド氏:良好だ。政府との間に問題はない。問題は風刺画とユランズ・ポステン紙だ。私たちは、ユランズ・ポステンと友好的な対話の場を持とうとしていた。表現の自由に関する原則を話し合おう、と持ちかけた。ユランズ・ポステン側はこれを否定してきた。言いたいことがあれば裁判所で訴えを起こしなさい、と。
こんなことでは話し合いはできない。こちらは尊敬について話している。ユランズ・ポステン側はこちらに敬意を払うべきだし、宗教の象徴に考慮して欲しいと思っている。しかし、新聞社側は表現の自由には限度がないという。デンマーク社会では神を含めて全てが風刺の対象になる、と。
―この問題は世界中に広がった。暴力が起きた場所もあったが。
アーマド氏:起きたことに関しては残念に思っている。しかし、ともに腰をおろして話し合いができれば、解決できると思っていた。政府とも対話の機会を持ち、風刺画掲載を非難するべきだ、と言った。そうでないと、政府がまるでユランズ・ポステンの側にいるように見える、と説明した。政府側はこれを拒絶した。「非難するというのは政府の見解ではない、報道は自由であり、どんな圧力もかけない」、と。
もちろん、そんなことは知っている。しかし、当事者全員がこの問題を間違って解釈していた。 これほど大問題になるとは思わなかった。随分たくさんのことを学んだ。私たちはナイーブだったのだ。私たちも、政府も、新聞社もそれぞれ間違いを犯した。当事者全員が事態の展開に責任がある。
―これからも同様の事件が起きると思うか?
アーマド氏:起きるだろうと思う。今度そうなったら、私たちは何も言わないだろう。私たちは、風刺画の件で、あらゆる市民的な方法を使って抗議をしようとした。世界の全イスラム教徒たちに向かって、デンマーク製品の購入ボイコットをするな、デンマークの旗を焼いたり、大使館を攻撃してはいけない、と呼びかけた。しかし、コントロールできなかった。すべてをコントロールはできない。 表現の自由や新聞をコントロールできない政府と同じだ。
―しかし、声をあげなければ、あなたたちの心の痛みが伝わらないのでは?
アーマド氏:いや、行動を起こしたくない。
―それでは、もし新聞が同様のことをしたら、あなたたちは何もしないのか?
アーマド氏:しない。私たちを挑発するためにやっているのは明らかだ。
―何もしないというのは、あなたたちが何かをすると、必ずだれかがあなたたちの行動を使おうとするからか?
アーマド氏;そうだ。昨年9月のローマ法王のイスラム教に関する否定的な発言を思い出して欲しい。数年前には、イスラム教徒の女性が不当に扱われているとする映画の脚本を書いた、(当時)オランダの国会議員アヤーン・ヒルシアリ氏がデンマークに来たことがあった。ヒルシアリ氏は、首相から自由の賞をもらった。その後でユランズ・ポステンの風刺画事件が起きた。
こういう状況下では、私たちはデンマークの小さなイスラム教徒のグループだし、こちらが行動を起こすことで攻撃を受けることを恐れている。
▽デンマーク人のイスラム教徒であり続けたい
―それでもデンマークに住み続けるのか?
アーマド氏:そのつもりだ。デンマークは私の国だから。私はデンマーク人のイスラム教徒だ。デンマークには私の居場所がある。問題はない。
しかし、誰かが私たちを挑発しようとする。デンマークや世界中にいるイスラム教徒たちに冷戦を仕掛けようとする。私たちの顔につばをかけ、イスラム教徒であるというだけで私たちをテロリストだと呼びたがる。しかし、関係ない。私たちはイスラム教を信じているし、イスラム教は世界で最高に美しい宗教だ。何があっても信仰は変えない。
―風刺画事件の後、デンマークに住むイスラム教徒を巡る状況をどう見るか?
アーマド氏:イスラム教徒は以前よりも力をつけていると思う。デンマーク人は、イスラム教に関してもっと知りたがっている。風刺画事件が大きくなった時、毎年開催しているオープン・モスクという日に、いつもは100人から150人ぐらいが来るのだが、今回は300人来た。もっと理解が深まれば、情報を持ってくれれば、こちらも助かる。できる限りイスラム教に関する情報を伝えたい。私たちの新しい使命だと思っている。
私はこの国の将来に関して楽観的だ。もっともっと多くの政治家が私たちの声に耳を傾けるようになると思うし、政府も社会ももっと深い理解ができるようになると思う。風刺画事件の前と後ではデンマークは変わった。今はデンマークで何かが起きたら、それが世界中に伝わる可能性があることを人々は知っている。
私はレバノンで生まれ、19歳でデンマークに来て今は36歳となった。デンマークで勉強して学位を取り、ITコンサルタントとして働いている。本当にデンマークは自分の国だと思う。デンマークの表現の自由を享受している。
私は今いろいろなことを言ったが、警察が来て私を捕まるということはない。風刺画が問題になってから、私はしょっちゅうテレビにも出てきたし、新聞にも取材された。それでも警察や政府が文句を言ってくることはないのだ。
これはとてもすばらしいことだし、自分は自由な人間なんだな、と感じる。何がやりたいかを自由に話せるのだ。何とすばらしいのだろう。
―今後は?
アーマド氏:私たちは、ユランズ・ポステンと文化部長のフレミング・ローズ氏に対し、風刺画に感情を傷つけられたとして賠償金を求める裁判を起こしていた。昨年10月末、裁判所は風刺画が「イスラム教徒の一部の名誉を傷つけたことを否定できないが、イスラム教徒を矮小化する目的で描かれたのではない」として、訴えを却下したが、今後も必要があれば裁判所などを通じてこちらの主張を出していきたいと思っている。(つづく:次回はこの項の最後)