小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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英紙、「右派が靖国映画上映を中止させた」 


 靖国神社を舞台としたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映中止事件を、英紙のインディペンデント(2日付)、ガーディアン(3月19日付け)、またロイター通信が報じている。

http://www.independent.co.uk/news/world/asia/japans-nationalists-on-warpath-over-shrine-film-803545.html

http://www.guardian.co.uk/world/2008/mar/19/japan.filmnews

http://www.reuters.com/article/filmNews/idUST27488920080402?sp=true 

 それぞれ淡々と報じているが、ガーディアンが「極右が映画上映を中止させた」とする見出しで、日教組の大会開催場所を変更させた件も含めて書いている。

 何故国会議員向けに映画を上映する必要があったのか(「中立でない」疑いがあったからだそうだが)、とまず思った。政治的に中立な映画というのはなかなかなく(あり得ない??)、芸術作品であれば、必ず何らかのアングルがあるだろう。政府から助成金をもらっていたとしても、それイコール「政治的に中立」である必要もないだろう。といっても、こういうことは本当はどちらかというと大きな問題の中の小さな一部で、つまるところ、自民政治家が「こうあって欲しい」方向とは逆方向の視点で作られたのではないか?という点が心配だったのだろう。

 できれば、観客が自分で見て、「これは政治プロパガンダの作品だな」、あるいは「プロパガンダではない」などと自分でと気づくようであるのが望ましい、政治家にどうこう言われる前に。

 この作品を見ていないので想像・仮定の話になるけれども、私たちは政治あるいはイデオロギーのプロパガンダ、商業主義のプロパガンダに満ち溢れた作品に囲まれているのが現状ではないか。少なくとも私はそう感じている。一視聴者、鑑賞者としては、非常にシニカルにならざるを得ない。

 この映画の上映中止は日本だけの問題ではないことを強調したい。欧州ではイスラム系あるいは他の宗教(シーク教など)がらみのトピックで、上映中止、掲載中止、あるいは掲載後脅しが来るとか、自主規制するとか、同じような問題がある。

例えば、今日のBBCサイトに、英コメディアン・劇作家ベン・エルトンのインタビューが紹介されている。これによると、イスラム過激派からの攻撃を恐れ、BBCはイスラム教をジョークのネタにすることを恐れている、と言う。

 http://news.bbc.co.uk/1/hi/entertainment/7326476.stm

 どこの国でもうまい解決策がないように思う。

 ただ、最近思うのは、靖国問題もそうだけれど、英国・欧州の場合はイスラムを巡る表現の問題は、国民の一部(例えばイスラム教徒)が、非常にこだわる問題であること、その「こだわり」をどう見るのか、ということ。対話によって歴史的解釈の違いを解きほぐし、こだわりを少なくすることができるかもしれない。こだわりがあること自体は悪いことではないと思う。

 しかし、ほとんどの場合、どんな理由にせよ、ある表現行為を止めたいとある人が思い、映画館や新聞社にプレッシャーをかける、殺人を含めた傷害行為の脅しをかける、というのは、あまりにも乱暴な行為だ。・・・と、日本の新聞の社説のようなつまらない結論になってしまって恐縮である・・・。

 さらに、本当に怖いのは、実はこういう目立つことではなくて、(最近さらにシニカルになっている私は)、お金を沢山持つ巨大メディア企業が、世界のメディアをどんどん独占しつつある現況だ。007の映画の1つに、メディアを独占し、「明日のニュース」を作ってしまう人物(マードックがモデル?)が出ていた。何だかいやだなと思っている。


(追記)映画を観ていないので、雲を掴むような部分があるが、私が重要なポイントだと思ったのは、産経新聞の記事の中にあった、「これに対し、日本芸術文化振興会と文化庁の担当者は「ドキュメンタリーなので、いろいろな見方があるのでやむを得ないが、助成手続きは適正だった」と説明している」と言う部分だ。


http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080313/stt0803131856004-n1.htm



 いろいろな芸術・言論活動に助成金を割り当てる役目をする機関(この場合、日本芸術文化振興会)が「適性だった」(ここでは「手続き」と書かれているが、意味は「判断」ということも含めてかと思う)としたある作品に関して、後で議員が異を唱えるのは、文化振興会の判断に疑問をはさんだことを意味し、異を唱えること自体はそれこそ「言論の自由」だろうが、場合によっては「政治介入」と解釈される危険があるように感じた。

 また、異議があって、国民の血税を使うからには・・・という理由で行動を起こしたとしても、議員対象の上映という形になったのでは、いかにも「事前検閲」っぽい感じだ、結果的にいくつかの映画館が公開を中止したのだから。見えないプレッシャーになっただろうことが想像される。

 この作品のよしあしとは全く別の問題、それ以前の問題として、まずい感じがする。

 また、靖国問題は人によってずい分見方が違うので、殆ど必ずといっていいほど、ある一定のアングルが出る、ということも一般的に了解しておかなければならないと思う。「Aという意見もあるが、Bという意見もある」という描き方では、芸術作品にはならないかもしれない。

 願わくば、「これは相当の政治プロパガンダだった、(悪い方向に)偏った映画だった」あるいは「すばらしい映画だった」など、公開された後で、国民一人一人が自由に受け止められるようであればいい。文化振興会がそれなりの判断をして助成金を出した、ということがここまでの論の前提となっている。決定をした人よ、頼んだぞ、という感じである。場合によっては、見た後で、「振興会の決定はまずかったと思う」となるかもしれない。いずれにしても、「国民が自ら判断する」状態であるべきだ。助成金が使われたことの良し悪しに関しても、である。

 しかし、繰り返しになるが、これは日本特有の問題ではなく、強い思いのあるトピックに関する作品が、自由な一般公開にはスムーズにいかないケースはどこの国でも多かれ少なかれある。日本では一部の映画館で公開予定と言うことなので、(制作者側にとっては胸が痛むだろうが)、少なくともイスラム系の恐怖におびえる英国+欧州の場合よりは、自由度が残っているのかもしれない。


関連
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080313/stt0803131856004-n1.htm
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/129411/
http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/c5b814517e24a71260bbeaee56afbbc7
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/129618/
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-04-05/2008040503_01_0.html
by polimediauk | 2008-04-03 05:13 | 日本関連