小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


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「『新聞はタダ』に克つ」、「世界のFT戦略」(下) 

 英新聞業界の全体の流れを前回、ざっと追ったが、その中でFTの占める位置、その方向性を見てみたい。(週刊東洋経済4月12日号筆者記事に若干加筆したものです。)改めてFTを巡る状況やロイターとトムソンの合併の話を考えると、「とにもかくにも金」、「資金力」がメディア会社の動向を決めてゆく構図が浮かび上がる。どこも一企業であることを思えば当然なのだろうが。

―超然としたFT

 高級紙の2月の発行部数を見ると、テレグラフ、タイムズ、ガーディアン、インディペンデントがいずれも前年同月比でマイナスを記録しているのに対し、高級経済紙「フィナンシャル・タイムズ(FT)」のみが増加している。1%弱の増加は微増に見えるかもしれないが、高級紙平均が前年同月比で3・15%減っていることを考慮すると、むしろ非常に良好と言える。

 FTグループは昨年から「世界のFT」というマーケティング戦略を開始した。「世界」を意識せざるを得ないのは、他の高級紙の場合は基本的に紙の読者は国内にいるが、FTの場合は読者が世界に分散しているせいもある。2月の数字では、英国・アイルランド共和国分が13万7945部、米国が15万2240部、欧州他国分が12万3287部、日本を含むアジアやアフリカ他が3万4870部という構成だ。国内よりも米国での販売部数が多く、「国際的プレゼンス」がFTの売りだ。

 FTの親会社で教育・情報大手ピアソンは、3月上旬、07年度決算で増収増益を記録したと発表した。ピアソンの主な収入源は教育出版だが、売上高の16%、営業利益の24%をFTグループ(米IDC社含む)が占めた。

 かつて、広告収入減や部数減に見舞われたFTは、ピアソンの足を引っ張っており幾度となく売却の噂が流れたが、その度にピアソンのマージョーリー・スカルディーノ最高経営責任者は「絶対にない」と否定してきた経緯がある。手放さないと言う宣言の裏で着々と進めてきたのが、コスト削減、紙面刷新と共に、デジタル化された金融経済情報の有料提供の比率を増やし、紙媒体からの広告収入の比率を減らす戦略だった。FTグループの00年の広告売り上げ比率は52%あったが、07年には30%に減少しており、逆にデジタル情報サービスからの収入は00年の28%から07年には68%に増えている。

―企業買収も

 事業再構築の流れの中で、英語以外の言語の新聞の売却も進めている。07年末にはフランスのトップ経済紙「レゼコー」を仏高級ブランドグループ、LVMHモエヘネシー・ルイヴィトンに2・4億ユーロで売却した。 また、年明けには、FTドイツ語版を発行する合弁企業の株式50%を残りの株式を保有するドイツのメディア大手ベルテルスマン傘下の出版社グルナー+ヤールに譲渡した。FTドイツ版は、ハンデルスブラット紙に対抗する目的で00年発行を開始した。昨年末で10万部を超えるまで成長したが黒字化せず、損失が膨らんでいた。金融情報のデジタル化とグローバル規模でのFT紙の拡大を目指す戦略の中では、ドイツ語版はそぐわない存在となった。

 デジタル化された金融情報を重視する戦略は米投資情報サービス会社マネー・メディア社を年明けに買収したことからも見て取れる。マネー社はロンドン、香港、ニューヨークに200人のジャーナリストを抱え、ファンド・マネージャーや機関投資家向けにオンラインで専門的な金融経済情報を流している。マネー社の収益は顧客からの情報購読料のみ。広告の増減に左右されない収入源を伸ばしていく――これこそがFTの望むところだ。

 2月にはメディアやテクノロジー分野の企業の経営陣を会員に想定したSNSサイトを開設した。このサイトの年会費は約2000ポンド(約40万円)。FTは必要な情報には高額を払う・払える層の取り込みに躍起だ。

 無料紙やネットの普及で「情報を無料で読む」感覚がまん延する中、FTは、米大手経済紙ウォール・ストリートジャーナル(WSJ)のように、ウェブサイトの記事購読は有料だ。現在10万1000人の有料ネット購読者を持つ。入り口を広くする試みも続けており、昨年秋からは月に30本までは無料で記事を読めるサービスを開始。1カ月に訪れるユーザー数は約650万人になっている。また、「フェイスブック」会員の学生を対象に、1年間FTのサイトを無料で読める仕組みを3月から開始した。最長で4年間無料購読を延長できるため、大学生であれば在学期間中、無料で読むことができるわけだ。

 有料デジタル・コンテンツ提供サービスとブランド力強化に力を注ぐFTにとって、気になるのはWSJを手中にしたマードックの動きだろう。WSJの発行部数は約180万部。「WSJ・コム」の有料購読者数は90万人に及ぶ。FTの部数45万部、サイトの有料購読者数約10万人と比較すると圧倒的だ。

 しかし、WSJがアジア、欧州でそれぞれ発行する国際版の合計部数は17万に過ぎず、特に欧州ではFTの優位を崩せていない。もし、本気でFTを追撃しようとしたらどうなるのか。

 既にマードックがWSJ・コムを「無料にする」と発言しただけで(後、撤回)、FTも無料化を迫られる、との見方が広まった。80年代、FTを買収しようと試みたというマードックには、他紙を潰すために過激な安値戦争を挑んだ”前科”もある。

 アジアで焦点になるのは中国だ。02年にWSJ、翌年にはFTが中国版のウェブサイトを立ち上げ、それぞれプレゼンス強化を目指している。資本の力で勝るニューズ・グループがどのように挑んでくるのか。ピアソン経営陣にとっては頭の痛い問題である。

―FTの歩み

1888年:正直な資本家と尊敬すべき仲買人の友人」としてフィナンシャル・タイムズ(FT)が創刊。
1893年:ピンク色の紙に印刷開始
1919年:「サンデー・タイムズ」紙と「デーリー・テレグラフ」紙の所有者ベリー・ブロスがFTの支配権を握る
1945年:「フィナンシャル・ニューズ」社の会長ブレンダン・ブラッケンがフィナンシャル・ニューズとFTを統合するが、ピンク色の紙面とFTの名前を残す。
1953年:2万部発行記念。アート面を開始
1957年:ピアソン社に乗っ取られる
1959年:ロンドン・キャノン・ストリートにあるブラッケンハウスに本社移動
1961年:平均発行部数が13万2000部に到達
1979年:欧州版の印刷が独フランクフルトで開始
1985年:ニューヨークでの印刷開始
1986年:部数が25万部を超える。「ノーFT,ノーコメント」(FTを読んでいないので、コメントしない)を宣伝に使う。
1988年:仏レゼコーとスペイン・エクスパンシオン紙を買収
1989年:本社が現在の場所(1 サザク・ブリッジ、ロンドン)に移動
1990年:東京で印刷開始
1995年:マドリード、ストックホルム、ロサンゼルスで印刷開始。ウエブサイトのFT・COMが開始
1996年:香港で印刷開始
1997年:米国版の開始
1998年:ミラノ、シカゴで印刷開始。英国外の発行部数が国内の部数を上回る
1999年:ダラス、マイアミ、クアラルンプール、ソウルで印刷開始。欧州版の刷新
2002年:FT・COMの刷新。サイトの有料購読制を開始。月間固定ユーザーは320万人に。
2003年:ドバイとアトランタで印刷開始。英国版の紙面刷新。アジア版の紙の印刷とオンライン版を開始
2004年:インドの経済紙「ビジネス・スタンダード」に投資。シドニーで印刷を開始。
2005年:ライオネル・バーバーが編集長に。
2007年:「世界のFT」広告戦略を開始。紙面刷新
(資料:FTウエブサイト他)

(次回は「ロイターとトムソンの合併」)
by polimediauk | 2008-04-27 17:53 | 新聞業界