小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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オーストリア監禁事件 被害者似顔絵 過去の事件 

オーストリア監禁事件 被害者似顔絵 過去の事件 _c0016826_643575.jpg デイリーテレグラフが、例のオーストリアのアムシュテッテンに住む父親が娘を監禁・虐待していた事件で、犠牲者となった娘エリザベス・フリッツルさんの似顔絵(オーストリア紙掲載)を再掲載している。

 24年間自宅の地下室で監禁され続けた女性は今42歳。しかし、年齢よりももっと年を取っているように見え、母親(68歳)のローズマリーさんにむしろ似ている雰囲気もあるようだ。家族がトラウマから立ち直るのに何年もかかる、と言われている。


http://www.telegraph.co.uk/news/worldnews/europe/austria/1915390/Artist's-impression-of-Elisabeth-Fritzl.html

 父親の写真があちこちに出るようになったが、娘との間に出来た子供の写真も英紙に掲載されており、その子供たちが父親にどこか面影が似ているのが恐ろしい感じもややする。

 娘エリザベスさんが11歳の時から性的暴行を働いていた父親は、エリザベスさんが18歳の時に自宅地下室に監禁した。子供を7人産ませ、1人は亡くなったので遺体は燃やした。子供のうち数人は自宅前にあたかもエリザベスさんが置き去りにしたかのように思わせ、妻のローズマリーさんと育てていた。

 ドイツ・シュピーゲル紙によると、父ヨーゼフ氏には共犯者がいたのではないか?という疑惑があると言う(捜査当局は否定)。ヨーゼフ氏の家に、1996年から1997年、店子として暮らしていたある女性の話が情報源だ。娘1人とその子供3人を地下室に監禁するには、食料などを大量に運ぶ必要があるが、沢山買い物をしていた様子を見たことがなく、1人でできることではない、と説明している。この女性の夫は仕事がパン屋さんで、毎日、様々な時間に家を出たが、ヨーゼフさんの行動に不信な動きを目撃したことはなかった。

 ヨーゼフさんは店子たちに娘のエリザベスさんは宗教にはまったか娼婦になったと説明し、「だから自分の子供の面倒を見たくなくて、ここに置いていったのだろう」と言われていた。同情もされていた、と言う。

 29日の夜にはアムシュテッテンで、悲劇の犠牲者のために祈る集まりがあった。市長は「ここは犯罪者の町ではない」と以前に述べている。2万3000人の小さな町で、事件の調査が終わったら、もうこの家族はここには住めないだろうと言われている。

 この犯罪は、10歳で、ウォルフガング・プリクロピルという男性に8年間監禁され、18歳になってようやく脱出した女性、ナスターシャ・カンプッシュさんの事件をほうふつとさせる。ナスターシャンさんの事件もオーストリアだった。ある日彼の家から逃げ出し、ウィーン近辺で警察に保護された。男性の方は自殺した。

 ナスターシャさんは、エリザベスさんに対し、「何か支援できることがあれば、声をかけて」という公開メッセージを出している。彼女なら何らかのヘルプができるのでは、と。

 この2つのケースをオーストリア特有の話と見るか、偶然だと見るかでは人々の意見は分かれるようだ。

 そして、この2つの事件のほかにも、タイムズで読んだだけだが、ある女性弁護士の母親が子供たちを部屋の閉じ込めて数年という事件もあったと言う。

 AFP電で、フランスの驚くような事件も報道されている。「28年間義父に性的暴行受けていた仏女性、『世界に無視されていた』心情を語る」http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2385211/2883658

 (父による娘のレイプという事件では、定期購読の雑誌「選択」4月号に日本の例が出ていた。このテーマに関心のある方は、ご一読されることをお勧めしたい。)

 一人の人間を自分の好きなようにするために、部屋に監禁する=この恐ろしさ。何故?レイプだけでも屈辱的だが、「監禁+性的虐待」はこれに輪をかけてひどい。相手の自由を奪い、人間としての尊厳を奪う。人間に対する犯罪の中でもかなり重いのではないか。

 それでも、トラウマの後、何とか生きようとし、生き続ける女性もいる。そんな女性の1人がベルギーで起きた同様の事件の被害者サビーヌ・ダルデンヌさん。既に日本でも彼女の体験を書いた本が和訳されているが、ベリタに出した時の話を再録する。本を最後まで読んで、涙が出たが、何か心が励まされるような思いもした。(少々前の記事であることをお許し願いたい。)

2005年04月20日14時25分掲載

80日間の監禁生活つづる ベルギーの少女連続誘拐殺人事件で救出された女性
ーメッセージは「同情しないで」

オーストリア監禁事件 被害者似顔絵 過去の事件 _c0016826_6424289.jpg 1995年から1996年にかけて、ベルギーを揺るがした少女連続誘拐殺人事件で、80日間の性的暴行・監禁生活から救出された当時12歳のサビーヌ・ダルデンヌさんの体験をつづった本の英語版が出版されることになった。事件発生から9年たち、監禁体験は「過去のものになった」とするダルデンヌさんが読者に強く望むのは「同情しないでほしい」という思いだ。英語版の題は「I Choose to Live」(「生きることを選択する」)で、来月の出版を前にダルデンヌさんは英ガーディアン紙のインタビューで現在の心境を語った。 
 
 1996年5月、ダルデンヌさんは通学途中、犯人のマルク・デュトルーに誘拐された。もう一人の当時14歳の少女と一緒に犯人の地下牢に監禁され、性的暴行を受けた。同年8月、少女2人は警察に救出された。デュトルーは2004年、この2人を含む6人の少女を誘拐して性的暴行を加え、その中の4人を殺害した罪で終身刑となった。 
 
 人々はダルデンヌさんに同情するが、ダルデンヌさん自身はこうした同情、共感などをわずらわしいものと感じているようだ。「もう起きてしまったことを嘆いてもしょうがないでしょう」 
 
 「好き好んであんな状況になったわけではない。私はスターでもなければ、歌手でも女優でもない。現在の自分を誇りに思ってはいるけれど、何か特別なことを成し遂げたわけではない」 
 
 しかし、インタビューした記者は、ダルデンヌさんは少なくともこの9年間、「抵抗を続けた」といえるのでないかと分析する。 
 
 デュトルーの自供によると、首輪でつながれた80日間の監禁の間、ダルデンヌさんにオーラル・セックスを強要した後、「口直しのため」お菓子を与えたというが、その度にダルデンヌさんは犯人に対して、抗議をし、不満をこぼし、嘆き、困らせたと言う。 
 
 「私はとても意志が強い人間だと思う。自分が何が欲しいのか、自分にとって何が大切かが分かっている。絶対にあきらめたりしない。(閉じ込められていた部屋でも)私にとって重要なことは家族に会うことだった。だからあきらめなかった」 
 
 1996年8月15日、6日間一緒に閉じ込められていたもう一人の少女レティシア・デレさんと共に監禁状態から解放されてからも、ダルデンヌさんは自分なりの抵抗を続けてきた。 
 
 解放後に敵となったのは、周りの人の善意だった。ダルデンヌさんの苦しみをまるで自分のことのように受け止めた家族、友人、医療関係者、警察、事件に震撼したベルギーの社会全体の空気だったという。 
 
 「一番性質が悪いのは精神科医だった。私は行きたくなかったけれど、お母さんが行かせた。一度だけ行った時に、女性の精神科医の人がいて、インクのしみのような絵を見せられた。何に見えるかと聞かれたので、インクのしみに見える、と言った。花を持った少女の絵を見せられて、何に見えると聞かれたので、花を持った少女に見える、と言った。それだけ?と言われて、もちろん、それだけです、と答えた」 
 
 実際に監禁されたことよりも、その後の、「なぜ」という問いかけに苦しめられたという。 
 
 母親にも苦しめられた。「お母さんは私に秘密を打ち明けて欲しかったのだと思う。私の苦しみの重荷を軽くしてあげたいと思って。でも、秘密を打ち明けるわけがない。そんなことをしてもどうにもならないもの」 
 
 「事件が起きて、それはもう終わった。これで話は終わり。お母さんに話したって、過去を変えることはできない。それに、今の10倍くらいお母さんの気分が悪くなるだけ」 
 
 また、犠牲者として振舞うことを期待されたことも苦しかったと言う。「だんだんよくなってはいるけれど、とってもつらかった。今でも仕事に出かけるために電車に乗るとじろじろ見られる。サインをくださいと頼まれたり、私の苦しみを他の人と共有するべきだと言う長文の手紙をもらったりする。レイプされたほかの女性からも手紙をもらって、私の気持ちが理解できる、と書いてある。頭に来る。何も『理解』することなんかない。あることが起きた、そこで終わりなのだから」 
 
 昨年、暴行犯の公判に出ていたダルデンヌさんは、約1時間にわたり、監禁状態のことを証言した。最後に質問を許され、「どうして私を殺さなかったのか」とダルデンヌさんは被告に聞いた。 
 
 答えは、「次第に心を引かれたから」だった。ダルデンヌさんは、笑いをこられることができなかった。「なんて哀れな男かと思った」。地下牢ではダルデンヌさんを好きなように扱っていた犯人は、今はダルデンヌさんに全く手を出せない状態にいた。「小さく見えた。人生の中で一度も本当のことを言ったことがないんでしょう。全然怖いと思わなかった。笑ってしまうしかなかった」 
 
 ダルデンヌさんが今回ようやく体験本を書こうと思ったのは、周囲の人のさまざまな憶測にきっぱりとけりをつけたいと思ったからだと言う。 
 
 フランス語で昨年発売された本は、ベルギーやフランスで大評判となった。既に22カ国に翻訳されつつあるという。 ダルデンヌさんはベルギーの地方自治体で仕事をしているが、警察に転職する予定だ。事件があったためでなく、父親が警官だったので、小さいときからあこがれていた。2年前から付き合いだしたボーイフレンドもいる。 
 
 過去は過去、とするダルデンヌさんだが、事件に関する新聞記事、関連のテレビ番組のビデオ、監禁中に書いていた日記などを大きなトランクに保管している。時々、読み返すことがあるという。「かつて自分だった12歳の少女がここにいる、と思う。もし将来子供ができて、何が起きたか知りたがったら、これを見せることができると思う」 
by polimediauk | 2008-05-01 06:44 | 欧州のメディア