BBCアイプレイヤー、これまで
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今回は「序とこれまで」、といった感じである。次回、最近の動きを書きたい。
広がる英TV界のオンデマンド市場
―BBCiプレイヤーが主導役に
視聴者が自分の好きな時に、好きなプラットフォームで(テレビ受信機、パソコン,携帯電話など)、見たいテレビ番組を見られる、「オンデマンド・サービス」が、英国で人気だ。過去に放送された番組をパソコン上でストリーミング放送で視聴したり、ダウンロードして一定期間、保存できる。民放チャンネル4が、2006年12月から「4oD」と名づけた、一部有料のサービスを試験的に開始し、注目を浴びた。民放最大手ITVも昨年夏から同様のサービスを開始している。
国内公共放送最大手BBC(英国放送協会)は昨年7月末に試験版でサービスを開始し、12月には本格的に市場参入した。これでテレビ番組のオンデマンド・サービスが一挙に拡大したが、番組ダウンロードはサーバー側に大容量の情報処理能力が必要となり、インターネット・プロバイダーにとっては悩みの種となった。回線やサーバーへの投資資金を負担するのは放送業者側かあるいはプロバイダー側かを巡り、対立が続いている。
英テレビ界のオンデマンド・サービスを検証してみる。
―放送業者=コンテンツ・プロバイダー
アイプレイヤーのサービス内容の詳細に入る前に、まず、オンデマンド・サービスが出てくる背景となった、大きなメディア環境の変化に注目したい。
他の多くの先進国にも見られる傾向だが、英国では、家族が一堂に集まり、同じテレビ番組を共に視聴する生活習慣が廃れつつある。家族それぞれの生活形態が異なるという社会的変化のみが原因ではなく、メディア環境の変化とそれに伴う意識の変化も大きな要素だ。多チャンネル放送や高速ブロードバンドのネット接続が当たり前になり、テレビ番組は、放送業者側が決めた放送時間に、テレビ受信機の前に座って視聴するもの、という大前提が崩れた。テレビ受信機とテレビ局は一体不可分と思われてきたが、実はそうではなかった。また、番組をネット配信するなら、これは従来考えられてきた「放送」とはやや違う行為にもなるだろう。「テレビ界」、「放送業」などの言葉の意味合いが変わっている。
BBCが描く「未来のテレビ」像をニュースサイトや年次報告書などから追ってゆくと、放送業者は、つまるところ、「コンテンツ(=放送内容)」・プロバイダーとなるようだ。発行部数の下落に悩む英新聞業界も同類になる。新聞各紙はウエブサイトに文字情報のみならず動画を多く使っており、翌日付の新聞で印刷する前にネットに先に記事を出す「ウエブ・ファースト」も珍しくなくなった。新聞業界も、以前のように紙媒体に印刷する、あるいは単に印刷されていた文字情報をネットに掲載というだけでは十分ではなく、コンテンツ・プロバイダーとして、様々なプラットフォームに情報を出すことを要求されている。
コンテンツ・プロバイダーとしての放送業者、新聞業界の目下のライバルは、元々は検索エンジンだがニュースや動画配信にも力を入れるグーグルやヤフー、無料動画投稿サイト「ユーチューブ」、ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)サイトの「マイスペース」、「フェースブック」など幅広い。世界的に圧倒的なブランド力を持つ米国のテレビ局、新聞社、映画会社などもコンテンツ・プロバイダーとしてはライバル同士、あるいは提携相手となる。放送、新聞、ネット専業、映画など、様々なメディアがデジタル・コンテンツ・プロバイダーとして、互いに競合し、買収、あるいは連携することで、収入拡大や認知度向上に努める構図が見えてくる。業界を隔ててきた壁は限りなく低くなっている。
―視聴者を追いかける
英放送業者がオンデマンド・サービスに力を入れる主因は、これは新聞業界が自社ウエブサイトの充実に力を入れるのと同じ理由なのだが、視聴者の既存メディア離れだ。多チャンネル化で各チャンネルの平均視聴率が相対的に下がる傾向が続いているが、これと同時に、忙しい生活の中で決まった時間にテレビの前に腰を落ち着けることができない、ニュースはネットで見て事足りてしまう、SNSサイトで友人同士とコミュニケーションを図ることを好むなど、人々は、テレビ視聴(あるいは新聞を読む)以外の活動に関心を見い出している。
視聴者のテレビに対する視線も変わった。放送局が決めた、特定の時間にある番組を見るのではなく、「自分の都合で番組を見たい人がおり、こうした層を捕まえるために」(ガーディアン紙のデジタルメディア担当エミリー・ベル氏)、放送業者はネットに出て行かざるを得なくなった。
視聴者と共に、広告主もネットに移動しつつある。ネット広告の業界団体「インターネット広告局」の調べによると、07年のオンライン広告の売上高は28億ポンド(約5630億円)で、前年比38%だ。予測では、09年末にはネットがテレビ広告を追い越す。視聴者層の開拓、広告収入の増大がオンデマンド参入の放送業社の狙いだ。
―けん引役のBBCiプレイヤー
英国ではアナログ放送が12年に全て終了となる。完全デジタル化時代で主導権を握り続けることを狙うBBCは、07年7月末から、オンデマンド・サービス「i(アイ)プレイヤー」の試験提供を開始した。過去7日以内に放送されたBBCの番組を無料で再視聴でき、パソコンにダウンロードすれば最長で30日間保存できる。ストリーミング、ダウンロードともに期間内は繰り返し視聴できる。無料サービスの対象は英国内のテレビライセンス料支払い者だ。既にチャンネル4は06年末から同様のサービス(一部有料)を開始し、好評となっていた。ITVは当初11月から参入を計画していたが、予定を繰り上げ、BBCのアイプレイヤー開始とほぼ同時期にオンデマンドを開始している。
この3局のサービス開始以前にも、視聴者はテレビ番組のオンデマンドサービスを楽しんできた。これは衛星放送BSKYBが提供する「エニータイム」というサービス、あるいはバージン・メディアを始めとするネット接続専門業者の有料サービスに加入すると、映画やスポーツに加えて過去の番組を放映するチャンネルがあったからだ。この種類のチャンネルは「オンデマンド」(要求に応じる、という意味)、あるいは「見逃した過去の番組を見る」という意味で「キャッチアップ」などと呼ばれた。全ての番組が含まれていたわけではないが、リモコンの簡単な操作で過去数日の作品を視聴でき、三局の参入以前に、視聴者はこうしたサービスになじんでいた。
BBCアイプレイヤーのサービス開始は、「過去の番組(ただし映画は基本的に別)を再視聴できる」という意味でのオンデマンド・サービス市場の再編を促した。開始直前、ITVが急きょ同様のサービス開始時期を早めたことは前述したが、開始直後には、他局は新手サービスの捻出を迫られた。チャンネル4は、全ての番組を当初の放映時から一時間ずらせて放映するチャンネルをデジタル放送の枠内で作った。「プラス・ワン」と呼ばれるこのサービスは、現在、他のテレビ局やチャンネルも模倣し、一つのジャンルとして定着している。
大きな期待がかけられたアイプレイヤー試験版だったが、当初の評判はかんばしくなかった。サービスを利用するためのソフトのダウンロードがうまく行かない、番組のダウンロードに時間がかかりすぎるなど視聴者から不満が出た。
11月末、BBC,ITV,チャンネル4は、ネットを通じたオンデマンドでの番組配信で翌年から共同事業を始めると発表した。今年半ばまでに始まる予定の合弁事業は「プロジェクト・カンガルー」(仮称)と呼ばれる。約1万時間の番組を共同サイトから配信する。この少し前には、日本で、朝日新聞、読売新聞、日経新聞が共同のウエブサイトを立ち上げ、新聞配達でも連携する、「ANY」構想が発表されていた。日英ともに、既存メディアがヤフー、グーグル、ユーチューブなどの新興ネットメディアに共同で闘おうとしているように、私には見えた。
―アイプレイヤーの大人気への不満
BBCアイプレイヤーは、昨年12月中旬、クリスマス休暇時期の需要増大を見込んで本格的サービス開始後、当初の予想を超える速度で利用者が増えた。現在でも月を追う度に利用は増えており、今年3月、ストリーム放送で視聴あるいはダウンロードした番組数は1720万となり、前月比25%の伸びとなった。年末以降では4200万の番組が再視聴対象となった。この間、ITV,チャンネル4もそれぞれオンデマンドの利用者を増やし、相乗効果が出た。
スクリーン・ダイジェスト社は、オンデマンド利用のあった番組数は昨年、8億に上ったが、今年は約2倍の15億に達すると予測する。12年には28億にまで拡大する見込みだ。ネット上で動画を視聴する「ウエブテレビ」サイトの中で、無料視聴市場の最大手はBBC(38%)で、今後の市場拡大の「けん引役はBBC」だと言う。
しかし、視聴者からの毎年約30億ポンドのテレビライセンス料の収入を独占し、これを原資金として、全ての番組を国内視聴者に無料で提供するBBCアイプレイヤーに対し、民業圧迫という声も挙がっている。BBCのウエブサイトの固定ユーザーは1500万人と言われ、ITVのウエブサイトは自称600万人。それぞれのウエブサイトを経由してオンデマンド・サービスを提供している両社は、スタート時点から勝負が決まっているようなものだった。
「無料」はBBC自身にとっても悩みとなる。今年4月から適用されているテレビライセンス料の値上がり率(政府が認定)が当初予想より低く、制作本数や人員の一割削減を余儀なくされた。アイプレイヤーは「ライセンス料支払い者へのサービス」という面もあることから、視聴料を課金するわけにもいかない。
収益を上げる1つの方法が、BBCの商業部門BBCワールドワイドを使い、世界的にユーザーを持つネット・サイトなどに番組配信し、広告収入を得ることだった。昨年3月、動画投稿サイト、ユーチューブと配信契約を交わし、今年1月にはマイスペースとも同様の契約を交わした。有料配信サイト「アイ・チューンズ」を使い、番組の1つのエピソードを1・89ポンドで販売もしている。
―プロバイダーとの衝突
アイプレイヤーの本格的始動による、英テレビ・オンデマンド市場の開花と拡大は、ネット・プロバイダー側に大きな不満をもたらすことになった。大手プロバイダーは契約者の毎月の利用容量を「無制限」としているが、一部のプロバイダーは1ギガ(=1000メガバイト)程度としていることが多い。アイプレイヤーの番組ダウンロードには平均では300メガバイトが必要となり、月に3度ダウンロードすればほぼ一杯になってしまう。テレグラフ紙の調査によると、「無制限」としているプロバイダーも、ダウンロードを頻繁に行なう契約者に対し、「警告を発する」、「超過料金の支払いを考慮する」、「接続スピードを遅らせる」といった対応を考えていることが分かった。
プロバイダー側は、アイプレイヤーの参入で、「ネットのアクセスが66%増加した」(タイムズ紙、3月6日付)と主張しているが、BBC側は「3%から5%」と反論している。
BBCは複数のプロバイダーと協議を続けているが、4月中旬時点、話し合いは平行線をたどっている。通信規制団体オフコムの試算によると、アイプレイヤーなどの人気でテレビ番組のダウンロードが増え、これをまかなうためにプロバイダー側は8億3千万ポンドの投資をする必要がある。プロバイダーの一つティスカリ社は、BBC側に費用負担を求め、それができないなら、「BBC税を利用者から取るしかない」(BBC番組、4月9日)と述べた。
インフラ整備の悩みは英国だけのものではなく、米国でも、「ネットのアクセスは年間で前年比50%以上伸びたが、処理能力は40%しか伸びていない」という指摘(ブロードバンド推進のための米ロビー団体、インターネット・イノベーション・アライアンス)がある。公共投資としてのブロードバンドのインフラ整備が一つの解決策だが、これには時間がかかるという見方が大勢で、決め手がないのが現状だ。
―将来
BBCは、4月、世界的に人気の任天堂の家庭ゲーム機WIIからもアイプレイヤーを試験的に利用できるようになった、と発表した。英国内のライセンス料支払い者が対象で、本格利用は今年後半になる。番組配信の場がこれでまた一歩、大きく広がった。しかし、無料配信サービスとしてのアイプレイヤーが、今後どれほどBBCに財政的にも貢献できるのか、またアクセス増大の中心的存在となった手前、コスト負担からいつまでも逃れ続けることはできるのか?特に後者は大きな問題に発展しそうだ。
参考資料一部
オンライン広告について
http://www.guardian.co.uk/media/2008/apr/08/advertising.digitalmedia1
「コンテンツが鍵」
http://www.bbc.co.uk/pressoffice/speeches/stories/highfield_nokia.shtml
「隠れたコスト」
http://www.bbc.co.uk/blogs/bbcinternet/2008/04/hidden_costs_of_watching_tv_on.html