小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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グアンタナモの最後の英国人にテロ容疑+帰国後のテロ容疑者

 グアンタナモ収容所に関する、あるニュースに衝撃を受けている。

c0016826_5312154.jpg キューバの米軍基地にあるグアンタナモ収容所に、2002年から、米国が「テロリストかもしれない、危ない人物」として、一時数百人に渡る人々を世界中(主にパキスタン、アフガニスタン)で捕まえ、拘束してきたことは段々知られるようになったが、ここに未だに拘束されている最後の英国人、ビンヤン・モハマド氏に、米軍事法廷で、とうとうテロ容疑が確定した。(今まで、確固たる容疑なしに拘束されてきたわけである。これ自体が驚きで、あってはならないことでもある。)もし有罪となれば、死刑もあり得るという。

 http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/7427767.stm

 本人はもちろん、容疑を否定している。そして、もし何らかの証拠あるいは自白があるとしたら、拷問によって得られたものだ、と弁護士を通じていっている。(この詳細は、英国にいる方は、金曜夜10時半からのBBCニューズナイトで見れるようだ。)

 何故私が、彼が無実だと思うのか?無実であることを示す証拠はないが、ずーっと、ずーっと無実を主張し、弁護士(リプリーブと言う団体のクライブ・スタッフォードスミス氏)側もそう主張してきている。逆に言うと、テロリスト足るべき確固とした証拠がないのだ。あるとすれば、本人の自白ぐらいである。

 そして、例えビンヤンがテロ計画を考えていたとしても、何らかの拷問が加えられたことは、ほぼ確実と見られており、拷問の後では、何が真実か全く分からなくなっている。自白が信用できない状況なのだ。

「真実を探り出す」という意味で裁判が行なわれるとしたら、まず拷問あるいはプレッシャーのある状況から本人を解放し、自由にモノが言える状況で、冷静に詰めていくしかない。しかし、ビンヤンはそういう状況に今までいなかったし、今もいないのである。

 7・7ロンドンテロのような爆弾を作るのは比較的簡単と言われており、そうなると、どこの小さな片隅でも、やろうと思えば、通常のお店で売っているようなものを組み合わせて爆破物ができてしまうと言う。だから、誰がテロリストになるか、テロ計画を立てているかを見つけるのは難しい。人の頭の中を見ることはできない。

 それでも、有罪にするとしたら、証拠がないとダメだし、自白があるとしたら信頼に足る自白でなければならないだろう。モロッコやアフガニスタンで拷問を受けたらしいビンヤンの言うこと(自白)は(もしあるとしても)信頼できないと考えるのが正しいだろう。前にハリソン・フォードで映画にもなった小説のタイトルに「推定無罪」という言葉があるが、有罪たる証拠が出るまでは無罪のはずなのだが。2001米テロ以降、法律の・あるいは国際法の様々な前提が米政府によって覆された、というのは英国では定説になっている。

 今年年明けに、外務省高官が外務大臣に対し、「ビンヤンは拷問を受けた」らしいということを伝えるメールを出していた。この点を米政府に問いただすべき、としたようだが、何も起きなかったようだ。

 弁護を担当する「リプリーブ」は、英政府がこの件で介入することを望んでいる。ビンヤンが2001年にアフガニスタンやパキスタンに行ったことは事実だが、テロ計画があったからでなく、自分自身の麻薬問題を解決するため、という個人的理由だったとリプリーブは説明している。

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(この件でもしグアンタナモに興味をもたれた方のために、既に帰国した元拘束者の話ーー日刊ベリタ1月掲載ーーを下に貼り付けておきます。)

2008年01月02日08時46分掲載
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200801020846373

グアンタナモ米軍基地「テロ容疑者」拘束から6年ー消えない汚名

 今年1月11日、キューバにあるグアンタナモ米軍基地収容所は、最初の「テロ容疑者」が到着してから6周年目を迎える。これまでに、アフガニスタンやパキスタンで米軍に拘束されたイスラム教原理主義勢力タリバンの兵士や国際テロ組織アルカイダのメンバーとされる人々数百人が収容所に送られてきた。米政権は昨年、拘束者に対する虐待などで国際的に批判を浴びた収容所を将来的に閉鎖すると発表したが、例え自国に帰国でき、無罪釈放となっても、元拘束者たちは数年間に渡る拘束が引き起こした心身の荒廃の後遺症に悩む。英国に戻った拘束者たちの証言と社会の受け止め方のここ2-3年の変化に注目した。 
 
 収容所の設置のきっかけは、2001年9月11日の米国大規模同時テロだった。同年10月、米国と同盟国は、9・11テロの背後にあるとされたアルカイダの首謀者ウサマ・ビンラーディンを「ゲスト」としてかくまっているとして、アフガニスタンに爆撃を開始した。この時、アフガニスタンやパキスタンで拘束された人々が収容所に送られたが、一時は700人以上となった拘束者たちの法的地位は極めてあいまいだ。米国外での拘束のため米国内法は適用されない。一方、捕虜の人権を守るジュネーブ条約が適用される「戦争捕虜」でなく、「敵性戦闘員」であるとして、拘束者たちは「法律のブラックホール」に置かれてきた。現在も約300人ほどが拘束中だ。 
 
 拘束者の中で、英国籍を持つ9人が2005年年頭までに、また英国籍を持たないが英国に居住していた1人が昨年夏、そして3人が年末までに、人権団体のキャンペーン運動と英政府の働きかけで英国に無事帰国した。そのほとんどが英捜査当局の取調べの後、無罪放免となっている。(但し、年末帰国の3人の中の2人に関しては、スペインで起きたテロに関与していた疑惑で、スペイン政府から送還依頼が出ている。) 
 
 帰国者たちは自分たちの体験を公の場や映画、本などを通じて語ることで、人生の次の段階に進もうとしているが、かつて青年たちを英国に戻そうと国民が一丸になった時の熱狂は今は消え去った。多くの国民が青年たちをクールに、かつ一定の疑念を持って見ている。 
 
▽「説明できないほどの苦しみ」 
 
 2005年11月末、人権団体アムネスティー・インターナショナルは、米CIAが運営しているとされる、世界各国にある秘密収容所での拷問の停止を求める国際会議をロンドンで開催した。〈追記:ここで私は、この間ようやく解放された、アルジャジーラのカメラマン、サミ・アルハジの弟や支援をする人に会い、関心はさらに高まった。)
 
 会議にはグアンタナモ収容所から釈放された、英国籍の元拘束者9人も参加した。その中の3人は聴衆の前には直接は姿を見せなかった。3人の中の1人は、照明を落とし、顔が全く認識できない形で撮影されたインタビューの中で体験を語り、その映像が会場内のスクリーンに映し出された。残りの2人は演台が設置された会議場の隣にある小部屋から、マイクを通じて思いを語った。収容所での体験の衝撃が未だ大きく、公衆の前に出るほどの心の準備が出来ていない、という説明があった。 
 
 ドア越しにマイクで話した、フェロズ・アバッシ氏は、アフガニスタンのカンダハル空港近辺の収容所に当初拘束されたと言う。この間、数度に渡って米兵らに「尻の穴をもてあそばれ」、他にも様々な虐待を受けた。グアンタナモに送られてからは、一日23時間独房の中に入れられ、夜1時間のみ外に出ることが許された。 
 
 同じくマイクを通して語ったリチャード・ベルマー氏は、米兵による暴行の結果、頭と背中の骨を骨折し、損傷の跡が今も残る。こうした暴行が最悪の処遇だったかと会場内から聞かれ、「最悪のケースはもっとひどいものだったので、ここでは話せない」と、言葉を詰まらせた。 
 
 ダレク・デルグール氏は、車椅子の生活だ。拘束中につま先にウイルスが感染し、十分な医療ケアが受けられなかったため、切断手術を受けた。自力では立つ事ができなくなった。「帰国後、英政府の取調べを受け、私は無罪になった。しかし、身体がこういう状態なので、今でも苦しみは続いている」。 
 
 グアンタナモの拘束者たちは、2002年の移送当初、オレンジ色のジャンプスーツにゴーグル、足かせ、手かせをはめられた格好で、戸外に設置された檻に入れられた。尋問が始まると、手をあげたままや身体を不自然に折り曲げる姿勢を何時間も維持するように強要され、極度に寒冷な場所に薄着で放置されたり、ロック音楽を大音響で聞かされた。無罪であることを主張し、不当拘束に抗議をしてハンストを行なった拘束者は、鼻や口の中に入れた管から食物を強制摂取させられた。殆どの拘束者がイスラム教徒だが、米兵がコーランをぞんざいに扱って心理的苦しみを与える場合もあった。 
 
▽映画「グアンタナモ、僕達が見た真実」と漠たる不安感 
 
 一方、写真撮影には応じなかったものの、壇上にあがり、拘束されるまでの過程を淡々と語ったのは、パキスタン系移民二世のシャフィク・レスル氏とアシフ・イクバル氏だった。2人は、米政府に対して補償を求める裁判を起こしている。 
 
 レスル氏、イクバル氏、友人のローヘル・アフマド氏の経験は、マイケル・ウインターボトム監督の手によって「グアンタナモ、僕達が見た真実」という映画になった。 
 
 物語は、2001年、父親が見つけた結婚相手に会うために、イクバル氏がレスル氏、アフマド氏とともにパキスタンに出かけるところから始まる。 
 
 青年たちは、宿泊費を節約するためにモスクに寝泊りしながら、パキスタンを観光する。「大きなパンが食べなくなった」青年たちは、隣国アフガニスタンに足を伸ばす。観光で毎日を過ごしていた3人は、タリバン兵士に間違われ、米軍に拘束されてしまう。そして、グアンタナモに連れて行かれた。 
 
 映画は2006年のベルリン映画祭で銀熊賞を受賞。アフマド氏とレスル氏は映画の制作スタッフとともにベルリン訪れ、記者会見に出席して笑顔を見せた。 
 
 ところが、ベルリンからロンドンのルートン空港に到着後、アフマド氏、レスル氏、及び映画の中で2人を演じた俳優たちは、テロ取締法の下、空港内で1時間ほど拘束され、尋問を受ける事態となった。俳優の1人は、「将来も政治的な映画に出るつもりかどうか」を聞かれた。 
 
 警察当局は「反テロ法に沿った正当な行為だった」と拘束を正当化した。しかし、取り調べ行為自体は合法であるとしても、映画に出た俳優までもが短時間とは言え拘束されるとは、尋常ではない。俳優の弁護士クライブ・スタッフォード=スミス氏が言うように「醜い茶番」(BBC)でもあった。 
 
▽「何故そのまま信じるのか?」 
 
 映画は、06年3月、英民放チャンネル4で放映され、160万人が視聴した。放映翌日、どの新聞も同じ問いを発した。「何故、監督は青年たちの言うことをそのまま信じたのか?」 
 
 ガーディアン紙は、映画が青年たちを全くの善人として扱い、「何故、そもそもアフガニスタンにいたのかを十分に問わず、信憑性を失っている」と書いた。インディペンデント紙は、元拘束者の証言をそのまま映画化した作品に「居心地の悪さを感じる」とした。タイムズのコラムニスト、デービッド・アーロビッチ氏も、青年たちが「偶然に入ったモスクは、過激思想を広めることで有名な場所だった」と指摘した。 
 
 2002年から2004年にかけて、英国では英国籍の拘束者の釈放のために大きなキャンペーン運動が起きたが、最初の数人が帰国した2005年以降、社会の中には戻ってきた元拘束者たちに対する懐疑や不安感が広がり出した。グアンタナモに拘束されたこと自体が、そもそもテロに何か関連していたのではないか、とする見方が定着した。英国に帰国してから取調べを受け、拘束理由なしとして釈放されているにも関わらず、である。映画への不信感はこうした懐疑、不安感を反映していた。 
 
 英国籍の9人の中で、現在までに、最もひんぱんにメディアに出るのはモアザム・ベッグ氏だ。英中部バーミンガムの出身で、パキスタン系の英国青年だ。ベッグ氏が口を開くと、良い教育を受けたことが歴然となる、きれいな英語が流れ出る。大卒のベッグ氏は元拘束者たちの広報官的な役目も担っていた。 
 
 ベッグ氏は、2001年、アフガニスタンに小学校を建設するために妻と子供とともに英国を離れた。米軍による、アフガニスタンへの武力侵攻が始まると、ベッグ一家は戦火を逃れてパキスタンに避難したが、当局に拘束されて、グアンタナモ収容所に送られた。帰国後、体験を作家のビクトリア・ブリッタン氏との共著で「敵性戦闘員」にまとめた。 
 
 メディアの書評はおおむねベッグ氏に好意的だったが、BBCのラジオ番組に出演した際、「本当に、学校を建設するためだけにアフガニスタンに行ったのか?」と聞かれている。 
 
 保守系テレグラフ紙は、FBIから入手した資料を使い、ベッグ氏がグアンタナモ拘束中に「アルカイダのメンバーだったことを認めた」とする記事を大きく紙面を使って報道した。「自著では、こうした点に関してベッグ氏は触れていない。ベッグ氏からこの件でコメントはもらえなかった」として終わっていた。 
 
 本によると、尋問部屋の隣から自分の妻ではないかと思われる女性の叫び声を聞かされ、拷問に近い精神的苦しみを与えられて、ベッグ氏は取り調べ官が要求することを書き、署名している。FBIの資料はおそらくこうした「自白」の一部だったことが、本を読めば推測できる。テレグラフの記事は重箱の隅をつついたようなものなのだが、「ベッグ氏が嘘をついている、テロ組織と関係があった」という印象を読者に与えるのに十分だった。 
 
 共著のブリッタン氏は、元ガーディアンの外報副デスクで、2005年末のアムネスティー主催の拷問停止会議(先述)で、「識者も含めた多くの人物が、グアンタナモの拘束者が無実だとは思っていないのが現実だ。人種偏見もある」と指摘している。 
 
 2004年、ブリッタン氏はグアンタナモ収容所の元拘束者や家族の証言を元に、「グアンタナモ:自由を守る誇り」と題する芝居を書いた。芝居は好評で、ロンドン郊外の劇場から、英国の演劇のメッカ、ウエストエンドにある劇場に移り、米国、ニュージーランドでも上演された。芝居は拘束者たちは無実であることを前提にしており、上演当時、この点を疑う声は表に出てこなかった。現在では、青年たちへの疑念を検証しないほうがおかしい、とする見方が強くなっている。 
 
▽「愛情あふれる青年たち」 
 
 元拘束者たちへの疑念の原因をたどっていくと、確かに人種偏見(拘束者の殆どが南アジア系、中東系、黒人など非白人が圧倒的だ)があるのに加え、2005年7月7日のロンドン同時爆破テロに行き着く。 
 
 通勤途中の男女が電車やバスに乗っていた7月7日の朝、家族や友人によれば「普通、愛情あふれる息子」や「父親」たちが、52人の犠牲者を出した同時テロを実行した。自爆テロの4人の実行犯はほとんどが英国生まれか、あるいは英国で育った、若いイスラム教徒の青年たちだった。一人はジャマイカ出身だが、他の3人は帰国した元拘束者同様、パキスタン系英国人だった。 
 
 移民の子供たちであること、英社会に十分に融合していたと見られていたこと、特に熱心なイスラム教徒だとは思われていなかったことなど、実行犯たちと釈放された元拘束者たちのプロフィールが重なる。 
 
 9・11米テロ以降、英国内でもイスラム教徒への視線は厳しいものとなっているが、7・7テロが状況を悪化させた。肌の色が褐色で南アジア系と見られる青年たちの、駅構内や路上での警察当局の職務質問の比率は他の人種や年齢層と比較しても格別に高い。イスラム教徒の市民の方でも自分たちに疑惑の目が向けられることにおびえている。 
 
 現在、米政府はグアンタナモ収容所閉鎖の準備を進めている。約300人の拘束者の中で、近く60人が出身国に戻される予定だ。しかし、閉鎖ですべての問題が片付くわけではない。無罪でありながら拘束された青年たちにとって、失われた年月に対する無念さは消えない。そして、自国民を超法規的措置の対象にされた英政府が、青年たちの名誉回復のために立ち上がり、米政府に謝罪を要求する・・・と言った事態も起きそうにはない。英社会の中で、青年たちのために何かをしようという動きも大きくはない。何とも悲しい状況と言うしかない現状となっている。〈終)
by polimediauk | 2008-05-31 05:36 | 政治とメディア