「死んだ木」の新聞業界を巡る集まり
3人のパネリストがいて、一人は「フラット・アース・ニュース」(地球は平らニュース)というメディア業界の暴露本を書いた(今読んでいるところだが、爆弾的内容があちこちに。しかしやや偏っている感じがする、ものの見方が)、「ガーディアン」に書いてきたジャーナリスト、ニック・デイビーズ氏。「新聞業界は危機にある。商業主義がばっこして、真実を語るというジャーナリズムの本来の使命がおろそかになっている」と語る。「しかし、これに何とか対抗し、がんばっているのが、ガーディアンの編集長アラン・ラスブリジャー氏だ。ガーディアンでは新聞のことを、『死んだ木』(紙のこと)を使ったビジネスだ、と言う。全くそのとおりだ。読者はどんどんウェブに移っているし、ガーディアンも紙の編集部門とネット部門を完全に統合させようとしている。しかし、ウェブにみんな移ってしまったら、お金はどうやって稼ぐのか?これが問題なのだ」と指摘。
「どうやったらいいのか?誰にも答えは分からない。この本を書いてから、自分はいろいろな人から声がかかり、ビジネスマンに高価なランチをおごってもらったりする。新聞業界を救うためのアイデアを聞かされるが、1つもいいのはない。くだらないアイデアばかりだ」
「今は、みんなヤフーやグーグルでニュースを読んでいる。あんなものはジャーナリズムじゃないんだ。ニュースを集めているだけだ。ブログだってジャーナリズムじゃない。人のプライバシーに侵入したり、日記をつけたり、市民記者がジャーナリストと名乗る時代なのだ。全くくだらない。きちんとトレーニングを受けて、真実を探る、分析できるジャーナリストが必要なのに」
「これからどうしたらいいのか、ルパート・マードックにだって分からないのだ」。
刺激的な発言が続いたが、言っていることがどうも古臭いなあと思った。「マードックにだって分からない」というのもおかしい。あれだけニューズコープをでかくしたのだから、ビジネスの才は人並みはずれている。紙の新聞でロスを出しても、映画(「タイタニック」など)やテレビで利益を出し、ロス部分に回している。メディアミックスや買ったり売ったりで「帝国」を大きくしているのだから。今のまま、ビジネスを続けようとするから苦しくなる。ビジネス自体のどこかを変えれば生き抜けるはず。新聞はテレビがあっても、映画があっても、ずーっと続いてきたのだから。
・・・と思っていたら、新聞社+テレビ局が加盟するソサエティーオブエディターズの代表ボブ・サッチェルが、「私はジャーナリズムに未来はあると思う」、「いろんなプラットフォームがあって、こんなおもしろい時代はない」とコメントしていた。
次に演壇に立ったのは、シティー大学でジャーナリズムを教えるエイドリアン・モンク氏。「メディアを信じられるか?」という本を出している。「新聞業界が死んだ木のメディアという発言があったけれど、これは先進国の話。中国やインドでは伸びている。それに、私たちにはもはやデイビス氏が言うところの『信頼できる人=ジャーナリスト』は、これまでのような意味では必要ない。情報がたくさん出ているし、読者は自分で判断できる。情報があって、この情報の真価を検証できる別の情報があればいいのだ。信頼できる人物=ジャーナリストがいるかどうかは、あまりたいしたことじゃない」
「例えば、24歳の青年が、シカゴの犯罪地図を作った。どこで何人いつ殺害されたか。これを見れば、一発で分かる。ロンドン市でもこれを参考に地図を作ったという。こういう情報がいい。これからは情報と、いかにこれを見せるかがかぎになる。こういう新しい世界に慣れていかないと。情報がもっと重要になると思う」。
最後は、メディアのシンクタンク「ポリス」のチャールズ・ベケット氏。BBCやチャンネル4で働いた経験を持つ人である。「スーパーメディア」という本を出している。「将来は健全だと思う。これからは全く新しい形の情報のありかた、メディアのあり方ができてくると思う。その全貌を私たちはまだ見えていないのだろうけれども。本もあれば、新聞もあれば、ビデオもある。ジャーナリストは何でも使えるのだと思う。分析やコメントを知りたいという欲求は常に存在するだろうと思う。市民ジャーナリズムの存在やブログなどの人気で、一般市民と権力を持つ人の間の力のシフトが起きていると思う。これからは市民の方がもっと力を持つようになる。ジャーナリズムはジャーナリストの独占ではなくなる」
「(保守党政治家)デービッド・デービス氏が辞任した時、僕はたまたまBBCにいた。辞任後、数分でBBCの政治記者ニック・ロビンソンがコメントを出していたけれど、同時に、ブログでもたくさんの意見、情報が出た。ロビンソン記者の報道とともに他の人が書いたブログを読めば、状況が、非常に立体的に分かった。メディア環境は非常に複雑でリッチなものになっていると思う。ジャーナリストの仕事は、報道し、調査し、理解し、今何が起きているかが分かるような(意味づけを与えるような)コメントを出し、かつそれを他の人とシェアすることだ。すべての人にたった一つの真実だけが提供される、という時代は終わったと思う。デービス事件で新聞を買ったり、ブログを読んだりする人がたくさんいた。ジャーナリズムに興味を持っている人がたくさんいることの証拠だと思う」。
私自身はベケット氏の見方に賛同で、新聞やジャーナリズムの将来に関して悲観論が大分続いていたけれど、もうそろそろ、そういう議論は終わりに来ているのだろうと思う。これからどうするか?であろうし、おそらく、「現状を全く変えないで」ということを条件に考えるから悲観論になるのではないか。
例えばテレビは通常広告で運営費がまかなわれているから、私たちは視聴料を(NHKは別だけれど)払わずに番組を見れる。見る人が多いあるいは広告費を高く請求できればビジネスが成立するとしたら、ネットに来てもらって収益を上げるには、広告をたくさん取れるようにするか、来る人を爆発的に増やすか。あるいは、英新聞はウェブサイト上での動画配信(テレビと呼ぶ新聞もある)に力を入れているが、いっそ、新聞がテレビとくっついてしまう、あるいはテレビ局が新聞も出す、つまり融合してしまってはどうかとも思う。テレビ、ネット、新聞の垣根をなくする。もちろん、メディア企業の経営に無知の私が言うことだから夢想だろうけれど、BBCやITV,テレグラフ(あるいはマードック)を見ていると、融合というか、垣根が低くなっている感じがする。それがいいことか悪いことか分からないが、テレビ局が実はネット企業だったり、新聞社が実はネット企業あるいは放送業者だったり、という事態が現実に起きている。境界線はなくなっていくのかもしれない。
それに、新聞社は大幅値上げという手もまだ使っていないのだ。月に3000円―4000円というのは、私(=貧乏)からすれば安くはないが、携帯電話にこの何倍も使っている人はゴマンといるだろう。確かFTやウオールストリートジャーナルなどのネット購読料は月に日本円換算で5000円から1万円ぐらいではないか。これは高いような感じがするけれど、情報量や役立つといった要素を考慮に入れると、紙で3000-4000円(日本)、ネットで5000円―1万円(英語の新聞のネット購読料)は、本当はすごく安いのかもしれない。毎日読めるのだから。
いつか、新聞の購読料(紙およびネット、それぞれ別)、テレビの視聴料、携帯電話の情報料、などなど、情報に関わる価格が「価格破壊」というか、価格の仕切り直し状態が出てくるかもしれない。何でもアリだな、と思う。
私自身はメディア+ジャーナリズムの未来に非常に楽観的である。何だか新しいことがどんどん起きそうでおもしろい。