小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「なぜBBCだけが伝えられるのか」(光文社新書)、既刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)など。


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「サイバージャーナリズム論」-日英の「ジャーナリスト」論考

 「サイバージャーナリズム論」(ソフトバンク新書、2007年)と、映画にもなった小説「クライマーズ・ハイ」(文春文庫)を読んだ。

 前者は「新聞はなくなる日」を書いた歌川冷三氏(元毎日記者)と、ネットではおなじみの湯川鶴章氏、佐々木俊尚氏、森健氏、スポンタ中村氏の共著である。細かい周辺事情はもう変わっている可能性があるが、「ジャーナリスト」という日本語の言葉のニュアンス(あるいは偏見)は今でも変わっていないのではないか?ブログを低く見る態度でまだ変わっていない部分があるのではないか、という思いがした。

 「クライマーズハイ」は映画をすでにご覧になった方もいらっしゃるかもしれない。新聞社の知人に「自社の様子が非常によく表れていて、大変興味深い。是非読むように」と言われつつ、時間が過ぎていた。「ジャーナリスト」のことを考えるのに、また別の面で興味深い考察ができる。

 日本語でジャーナリストというのと、例えば英国でジャーナリストというのと、どうも受け止められ方が違う感じがする。

 英国でも日本でも、一般的には新聞、雑誌、ラジオ、テレビなどのメディア機関に所属する、あるいはフリーであってもこうしたメディアに書く・報道する人、というイメージが漠然とあるのは同じだろう。しかし、英国では、私の見たところでは、ジャーナリストは「日々のことをつづる人」というもともとの意味がまずあって、それに少し加えて「日々起きていることに関して、何らかの分析・論評を行う人」、「それを一定の表現にして公に出すこと」ぐらいの広がりがあるようだ。

 ・・・と言うのは、辞書を見たり、学者に聞いたわけではない。帰納法というか、例えば新聞にコラムを書く人(それが例えば料理のコラムであっても)はしばしば「ジャーナリスト」として紹介される。ある意味、何でもいい感じである。表現活動をしている人でアート系ではない人すべて、と言ってもいいかもしれない。「どうやったらジャーナリストになれるのか?」とある人が疑問に思ったとしよう。その答えとして、これを誰が言ったか失念してしまったのだけれど、「自分はジャーナリストだ、と宣言する。その瞬間からジャーナリスト」という考え方もある。心のありよう、あるいは物事の見方の1つがジャーナリズムという考えもあるだろう。(また別の答えとして、少々話がそれるようだが、ゴールドスミス・カレッジでジャーナリズムを教えてきた教授―現在のタイトルはジャーナリストーアイバー・ゲイバー氏が言うには、ジャーナリストというのは「所詮、ミドル・クラスの職業だ。一種の遊びというか、「収入が得られなくてもよいぐらいの人がやる職業」、「その代わりその言論で違いを出す」。また、元エコノミスト編集長ビル・エモット氏は、今はジャーナリストと言う肩書きを使っている。日々の事に関する論評を書き、生計を立てるという意味の具体例だろう。」

 私の今までの経験では、英国で「仕事は?」と聞かれて、「ジャーナリストです」というと相手が誰であっても、すっと話が通じる。「君にジャーナリスト足る資格があるのか?」みたいな見方はない(日本だと、こういう見方はないだろうか?)。可もなく不可もなく、1つの仕事である。日本だと、何故これが「高い山」みたいな扱いをうけてしまうのだろう?(英国で高い山的扱いを受けるのが、「調査報道ジャーナリスト」である。)

 そこで「サイバージャーナリズム論」の本になるのだが、ジャーナリズムやネットに興味のある方にはたくさんのヒントがあって、非常におもしろい。しかし、最後の方になると「あれ?」と思う部分が出てきてしまった。

 スポンタ中村氏と森健氏の対談が入った「第7章誰でもジャーナリストになれる?」の中で、森氏が「ジャーナリスト=ビジネスとして継続的に報道の仕事をしている人」と定義している。氏は「私の定義するジャーナリストの条件とは、まず取材すること、そして多くの人が理解できるだろうと思われる内容と表現で情報を形成し、これをあなたが(注:中村氏が)マス・ディストリビューターと命名するマスメディアで発信することです」という発言をされている。この定義ではそれ以外の人、つまりはブログ(のみ)を通じて言論活動をする人は、はみ出てしまう。(実際、司会の歌川氏が「マスメディアで仕事をしない人は、ジャーナリストではない、ということですか?」という問いに、「そう思います」という答えがある。)

 マスメディアとは一体どこからどこをさすのだろう?数千人か万単位か?また、職業としてではなく、ジャーナリズムをやる人もいるのではないか?英国に感化されているのかもしれないが、どうも「物事の見方、生き方」としてのジャーナリズム、ジャーナリスト、ということもあるような気がする。

 ・・・と思っていたら、本の最後に、ネット時代の市民を「ネチズン」と定義した、公文俊平氏のインタビューがあり、ほっとする。氏は、「情報のスマートなコネクターの役割を果たす『知民』の一角を占めるのがジャーナリストではないですか」と述べる。氏によれば、職業として、つまりはお金をとるジャーナリストという考え方は近代産業社会のものだそうだ(他にも目からウロコのコメントが。その詳細は本を読んでいただきたい。)

 一方の「クライマーズ・ハイ」だが、1985年の航空機墜落事故をめぐる、地方新聞の編集部の葛藤を描く。あっという間に読めてしまう。何を紙面のトップにするかの逡巡、社内の権力争い、恨みつらみ、嫉妬、編集部と広告部の戦いなど、細部がリアルでおもしろい。おそらく戯画化している場面も多々あるだろうと思う。読後、時間が経つうちに、何故かコメディー(悲喜劇?)のように思えてくる・・・。
by polimediauk | 2008-09-20 20:01 | ネット業界