小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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 ドイツ・ナチスの総裁アドルフ・ヒトラー(1889~1945年)が亡くなってから、今月末でちょうど73年となる。

 第2次世界大戦(1939~1945年)はヒトラー率いるドイツ、イタリア、日本などによる枢軸国側と米英ソを主とする連合国側との世界的な戦いだった。

 1940年、英政府は「特殊部隊作戦執行部」(Special Operative Executive=SOE)を設置する。ドイツの占領下にある欧州全体で偵察、妨害、調査を行うためだ。終戦から数か月後の1946年1月まで、約1万3000人が連合国側勝利のために隠密活動に従事した。このうち、3200人が女性である。(「チャーチルのお気に入り」と言われた女性スパイの活躍については、こちらの記事をご覧いただきたい。チャーチルお気に入り有能女性スパイの正体 )

 1944年、SOEはヒトラーを暗殺する「フォックスレー作戦」の実行を計画した。

 作戦の実行場所は、ドイツ南東部バイエルン州ベルヒテスガーデンの近郊にあったヒトラーの別荘「ベルクホーフ」か、移動の列車内を想定した。それまでにも暗殺計画は複数あったが、今回はスナイパー(狙撃手)による攻撃で、最も成功率が高いと考えられた。

 連合軍によるノルマンディ上陸作戦(1944年6月6日)が、ある貴重な情報をSOEにもたらす。

 拘束されたドイツ人の1人が、ベルクホーフ邸でヒトラーの警備を担当していた人物だった。この人物によると、毎朝、ヒトラーは20分ほどを散歩の時間にあてるという。この時、誰も警備員はつかない。また、ヒトラーが別荘に滞在中はナチスの旗が掲げられ、その模様を近郊の村のカフェから目にすることができることが分かった。

 ロンドン南西部キューにある、英国の国立公文書館。ここには、フォックスレー作戦の計画文書や列車の内部を示す図が保管されている。

 これによると、まずヒトラーが散歩中に攻撃することを主眼とし、ドイツ語ができるポーランド人と英国人のスナイパーをオーストリア国内にパラシュートで落下させる。別荘から約20キロ離れたオーストリアの都市ザルツバーグに住む現地協力者が2人をかくまう。この協力者が工作員2人をベルヒテスガーデンまで車で運ぶ。ドイツ軍の山岳兵の扮装をした2人はヒトラーを狙撃する位置に付き、狙いを定める。

 列車を狙う計画はどうか。

 ヒトラーが山荘に向かう時に乗り込む列車は、ザルツバーグ駅で補修などのために一時停車することがあった。そこで、列車の清掃人の1人に、作業が終わる前に食堂車に置かれた貯水タンクに何らかの毒(物質「I」)を入れてもらう、あるいは前の晩にこれを入れておくなどの案が考慮された。この物質は無色無臭だ。

 ヒトラーは無類の紅茶好きだった。カップに最初に牛乳を入れてから紅茶を注ぐのが常で、物質Iはこの状態ではその存在が露呈しない。しかし、紅茶だけだと乳白色に濁ってしまう。ヒトラーはコーヒーも愛飲したが、コーヒーであれば牛乳を入れても入れなくても外見上は変化がない。ヒトラーの飲み物に物質をどう入れるかで作戦立案者は考えを巡らせた。

 フォックスレー作戦は1944年7月中旬に実行されることが計画されていた。しかし、実行されないままに終わってしまう。

 その理由は、ヒトラーのナチス内での威信にほころびが見えかかっており、ヒトラー個人を殺害してもナチス内の別の有力者が実権を握り、ヒトラーよりも優れた戦略を実行する可能性があったからだ。また、ヒトラーが殺害され、ナチスの殉教者と見なされるようになった場合、「ヒトラーさえ生きていれば勝てたのに」という感情が生まれることも予想された。ヒトラーの殺害でナチスの進撃を止めることはできても、政治運動を根こそぎにすることはできないだろう。では、一体どうするのか。

 英政府内で意見がまとまらない中、ヒトラーは44年7月14日山荘を後にし、2度と戻ることはなかった。

 ヒトラーが夫人のエバ・ブラウンとベルリンの総統地下壕の個室でピストル自殺をしたのは、翌1945年4月30日であった。

「フォックスレー作戦」文書(英国国立公文書館)

「フォックスレー作戦」関連教材(英国国立公文書館のウェブサイト)

***

 

 第2次大戦は1945年、連合国側の勝利に終わったが、その直後からソ連対米国と西欧諸国による東西の冷戦が始まってゆく。

 英公文書館には冷戦に関わる文書、スパイの暗躍・告白を綴るファイルが数多く収蔵されている。原本を見たい人はウェブサイトで検索して文書番号を探し出し、閲覧申請を出しておくと、来館した時に見ることが出来るようになっている。一部の書類(1912年に処女航海で沈没したタイタニック号のファイル、17世紀に活躍した英国の劇作家シェイクスピアの遺言書など)はデジタル化されており(一部有料)、公文書館に行かなくても確認ができる。

 公文書館に残された様々な歴史文書にまつわるエピソードを「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)にまとめている。どこかでお手に取ってみてくださると幸いである。


by polimediauk | 2018-04-25 22:22

「=」(平等)と入ったTシャツを着るモンタギューさん(サンデー・タイムズ1面)

モンタギューさんの怒り

 「自分の名前だけが入っていない・・・」。

 昨年7月、BBCは年間15万ポンド(約2260万円)以上の報酬を払っている職員や出演者の名前と金額を公表したが、この時、衝撃を受けた一人が、BBCラジオの著名ニュース解説番組「トゥデー」で長年司会役を務めてきたセイラ・モンタギューさんだった。

 「トゥデー」には数人の司会者がいるが、自分の名前だけが公表されたリストの中に入っていなかった。「他の司会者より給与が低いかなとは思っていたが、これほど差があるとは思っていなかった」(サンデー・タイムズ、4月8日付の寄稿記事)。

 当時、モンタギューさんの給与は13万3000ポンド。これ自体が大きな額であることをモンタギューさんは自覚しているものの、自分と同じ仕事をするジョン・ハンフリーズ氏は約60万ポンド。他の司会者も20万ポンド近くを得ていた。

 「どれぐらい貰うかは個人に関わる問題になる。その人が日中やっていることの評価になるし、雇用主があなたをどう見ているかも金額で分かる」。だからこそ、自分の給与が同じ仕事をしている人よりもかなり低かったことがつらかった。それだけ自分が低く評価されていることを意味するからだ。

 かつては、他の人よりも低いかもしれない給与で司会をしていることに自分なりの誇りを持っていた。しかし、いざリストが発表されてみると、「自分はバカだったことに気づいた」。高い給与を得ている人の贅沢な生活を助けているだけだったことに気づいたからだ。

 また、20年以上前にBBCで働き出した時、BBCの会社員という形をとらず、自分で会社を作りそこから出向している形を取るほうがよいとBBCから言われ、そうしたモンタギューさん。今になって、もし退職すればBBCの会社員として年金や恩恵を受けられないことを改めて実感した。

 モンタギューさんは「トゥデー」を辞め、午後のニュース解説番組「ワールド・アット・ワン」に移動した。「ワールド・アット・ワン」は老舗のニュース解説番組だが、同種の番組の中では「トゥデー」の方が知名度が高い。しかし、もはや「トゥデー」でやっていく気力はなくなっていた。

 モンタギューさんは、その怒りと失望をサンデー・タイムズ紙に寄稿した。モンタギューさんの怒りは今年年頭、BBCの中国編集長という職務を辞任した女性ジャーナリスト、キャリー・グレイシーさんを思い起こさせる。

 

グレイシーさんの戦い

1月末、下院で賃金格差問題を語るグレイシーさん。BBCのニュースサイトより
1月末、下院で賃金格差問題を語るグレイシーさん。BBCのニュースサイトより

 昨年7月のBBCによる高額報酬者のリストを見て、グレイシーさんも怒りと悲しみに襲われた。

 リストに名前が挙げられた96人のうち3分の2は男性で、男性のトップ(200万~約225万ポンド)と女性のトップ(45万~約50万ポンド)の間には大きな開きがあった。英国では平等賃金法(1970年)や平等法(2010年)の下、雇用者は同等の仕事をする男女に同等の賃金を支払う義務があるのだがー。

 1月上旬、グレイシーさんは自身のブログに「BBCの視聴者へ」と題された公開書簡を投稿し、男女の賃金差に抗議するために中国編集長を辞任したと宣言した。辞任直前の給与は13万5000ポンドだったが、少し前までは約9万ポンドで、男性2人の国際編集長はグレイシーさんの2倍以上の給与だった。ちなみに、国際編集長は4人いて、残りの一人(欧州編集長)は女性。この女性もリストに名前が挙がらなかった。

 グレイシーさんはBBCに男女同等の給与の支払いを求めて交渉を開始したが、埒が明かず、編集長職の辞任を選択するに至った。今はロンドンで内勤の職員として働いている。

 1月31日、下院の委員会で賃金格差についての公聴会が開かれた。証言者として登場したグレイシーさんは、自分の給与が同職の男性陣と比べてはるかに低い理由を「あなたは開発途中だから」と言われたことを暴露した。

 30年余以上BBCに務め、中国における報道の統括役として赴任したグレイシーさんを「開発途中」とするのは「侮辱だ」。

 男女の賃金格差の現状を認め、これを是正することをBBCに求めたグレイシーさんは「BBCの役割は真実を伝えること」と述べ、「自分たち自身について真実を語れないなら、どうやってBBCは信頼してもらえるのか」と問いかけた。

英企業・組織が男女の賃金格差の状況を報告

 英国では、今月から、250人以上の従業員を持つ企業・公的組織は男女の賃金格差の現状を政府に報告するよう義務付けられた。

 その結果は政府のウェブサイトで公開されている。

 報告が義務付けられた項目は(1)男女の平均賃金の差、(2)男女の賃金中央値の差、(3)男女の平均ボーナス額の差、(4)男女のボーナス中央値の差、(5)ボーナスを受け取る従業員の中の男性の割合、(6)ボーナスを受け取る従業員の中の女性の割合など。


 国家統計局(ONS)によれば、男女の賃金格差は昨年時点で18・4%(男性が女性よりも18・4%高い賃金を得る)であった。1997年には27・5%であったので、その差はだいぶ縮まっている。

 BBCの調査によると、これまでに数字を提出した約1万社・組織の中で、78%が男性の従業員により高い賃金を払っていたという(時給中央値の比較)。

 また、高給を受け取る従業員では男性の比率が女性より高かった。これは女性がパートタイムで働くことが多く、経営の上層部にいる人の数が男性よりは少ないことも関係していそうだ。

 サンデー・タイムズ紙(8日付)が業種別に分析したところ、男女の賃金で格差が最もあったのは金融サービス業(26・2%)、これに続いたのが建設業(21・8%)、弁護士業界(20・7%)、スポーツ・娯楽業界(19・1%)。

 投資銀行ゴールドマンサックスでは、男女のボーナス額に72・2%の格差があった(男性がより大きな額を得ている)。

 BBCの調査によると、社内の男女の賃金格差は9~10%で、国内平均の18%よりはかなり低い。しかし、モンタギューさん、グレイシーさんの怒りや彼女たちに連帯を示すBBC女性陣の声が大きくなる中、平均よりも低かっただけでは済まされない状況にBBC経営陣は追い込まれている。

 ちなみに、経済協力開発機構(OECD)による主要23カ国の男女の賃金格差調査(2015年時点)の中で、最大の差がみられたのは韓国(約37%)、2番目が日本(約26%)となっている。

賃金格差を埋めるには

 男女の賃金格差を埋めるには、どうしたらいいのだろうか。

 BBCニュースの記事(4月5日付)を参考にしてみると、

 (1)より良い子供のケア体制を築く

  子供を持つ女性が安心して働けるよう、現在よりも良い児童のケア体制を構築する。

 (2)より良い人材募集体制

  企業が求人をする際に、勤務時間はフレキシブルにできるなどを明記するようにする。仕事中心の男性だけを求めている印象を与えないようにする。

 (3)給与の透明性をはかる

  給与体系を公表する、透明度を高める。女性従業員の中には自分が男性従業員よりも低い給与であることを知らない場合もある。

 (4)育児休暇を拡充する。

 (5)目標を作る。

  xx年までに差を縮小する、経営陣に女性を入れるなどの目標を立てる。

 (6)女性従業員の賃金を上げる。

 (7)女性が働き続け、幹部を目指すことも視野に入れるように研修を行う。

 (8)文化を変える。

   経営幹部が率先して、女性の雇用を支援する雰囲気を作る。

 (9)スポーツを振興する。

 

  スポーツは少年がするもの・・・と考えがちだが、女性も参加するよう奨励する。スポーツを通じて、自尊心を高められるようにする。


by polimediauk | 2018-04-18 19:47
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(Take Back the City」のウェブサイト)

(以下の記事は、ジャーナリスト/メディア・アクティビストの津田大介氏が発信するメルマガ「津田大介のメディアの現場」Vol 205に掲載された筆者記事の転載です。)

ロンドンを市民の手に取り戻す
(「Take Back the City」)
-5月5日の市長選に向けた草の根運動は成功するか?


***

 自分たちの手で政治を変えるーそんなことが果たして可能なのだろうか?

 政治家になるのでもなければそんなことは無理だし、第一、お金がなければ選挙に立候補さえできない。普通の市民にはとても無理。・・・とあきらめてしまうのは早すぎる。

 少なくとも、ロンドンのあるグループ、その名も「Take Back the City」=「都市を取り戻せ」はあきらめていない。選挙には必要と言われる巨額のお金がなくても、政党のバックアップがなくても、市民の声を拾い、自分たちが望む方向に政治を変えようとしている。

 Take Back the Cityは、元々はロンドン北部の公立校で教える二人の教師の発案による。

 「ロンドンは世界に誇れる、素晴らしい都市だ。しかし、ロンドン市民は自分たちの都市が超富裕層やその利益をかなえるための政治家に乗っ取られてしまったと感じている」(共同創立者ジェイコブ・マカジャー氏。地元ラジオ局の番組にて。2015年12月9日)。

 ロンドンの住宅価格は高騰を続け、家賃も高い。その割に中低所得者の賃金は低く、「ロンドンは普通の人は住めない都市になってきた。中心部に住めるのは、一部の富裕層だけだ」とマカジャー氏。

 共同創立者のもう一人、エド・ルイス氏はロンドン生まれ。大学を卒業後に一人暮らしを始めたものの、高騰する家賃を払えず、ロンドンを出ざるを得なくなった。両親もロンドンの外に出たという。

 Take Back the Cityのウェブサイトによれば、ロンドンは「最も不平等な都市だ。富裕度でトップの10%が所有する資産は、最下位の10%の資産の273倍に達する」、「ロンドン市内の賃貸料は平均で月1500ポンド(1ポンド=155円計算で23-24万円)を超えている」。

 二人とも、政治には幻滅していた。自分たちの声が全く反映されていないと感じたからだ。

 どうやって政治を変えるのか?マカジャー氏は政党のやり方とは別の手法を取ろうと思ったという。それは「市民の声を聞いて、それを元にマニフェスト(選挙に向けた公約文書)を作ってゆく」やり方だ。

 Take Back the Cityというグループでの活動は2015年からだが、2011年から、すでに二人は市民のための政治を実現するために、動き出していた。ボランティア組織、労組、コミュニティの集まり、教育機関などでワークショップを開き、政治が変われば何が変わるのか、政治に何を期待するかについて、参加者の声に耳を傾けてきた。

 若者層向けには、夏休みを利用して政治を学ぶサマースクール「Demand the Impossible」(「不可能なことを要求しろ」)を開催した。こちらは15-25歳が対象で、昼食付きのイベントの参加費は無料だ。

 現在までに、Take Back the Cityには100人ほどが賛同登録し、核になる40人が週に1度はミーティングを開き、今後の活動について議論をする。有給で働くのは事務・連絡係の一人だけだ。

 これまでの活動は無料のボランティアや参加者の募金によって運営されてきたが、1月上旬、クラウンドファンディングを開始した。

 当面の大きな目標は、5月5日のロンドン市長選と市議会選に候補者を送り込むことだ。

 市長選は与党・保守党が推すザック・ゴールドスミス下院議員と野党・労働党のサディク・カーン下院議員の二人の有力候補の一騎打ちとなる見込み。

 ゴールドスミス氏は富豪ゴールドスミス家の御曹司で、名門イートン校で学ぶ。高所得者を代表する人物だ。一方のカーン議員は労働者階級のパキスタン系英国人で、議員になる前は人権問題の弁護士だった。労働者階級を代表する人物という位置づけだ。

 筆者が見るところでは、ロンドン市議選に当選者を出すことについては可能性が全くないとは言えないが、市長選で当選する可能性はどうだろうか。

 Take Back the Cityが活動を維持し、熱心にマニフェストづくりを続けることができる理由は何か。何が参加者を政治運動に駆り立てるのか。

 Take Back the Cityの参加者に会って、話を聞いてみた。

「社会を構成するみんなの声がここにある」

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(左から、ラッセル氏、ソープ氏、ギチンガ氏)

 ロンドン市内のカフェの一角で、Take Back the Cityの核になるメンバー3人から、それぞれの参加理由や体験談を聞いてみた。 

 大学院生のサイモン・ソープ氏、合唱を教えるアミナ・ギチンガ氏、大学進学準備中のカール・ラッセル氏、いずれも共通した答えとなった参加の理由が「ここが一番、自分にとってしっくりきたから」だった。

 ソープ氏がTake Back the Cityのほかのメンバーと知り合ったのは、パレスチナの人権擁護についての運動をしていた時だったという。

 「政治運動の市民グループにはいろいろ行ってみたが、その中心は決まって白人、ミドルクラス(中流階級=日本のいわゆる中流とは少し上の階級)、男性だった。ロンドンの人口構成を反映するよう、若者層や有色人種の取り込みに力を入れるTake Back the Cityは、他と違うと感じた」。

 ちなみに、ソープ氏自身が白人男性で、言葉のアクセントや教育程度から察するとミドルクラスに属するようだった。しかし、同氏は多様な人種がかかわらない政治運動を不自然に思ってきたという。

 ギチンガ氏は共同創立者マカジャー氏のかつての生徒の一人だった。もともと、ロンドン東部にあるシティ空港の拡大への反対運動に参加するなど、コミュニティ・レベルでの政治には関わっていたが、Take Back the Cityのワークショップに行き、やってきた人の顔ぶりの多様性を見て、「ここが自分のいるべき場所だ」と思ったという。同氏は褐色系の肌を持つ女性で、Take Back the Cityが推す、市長選の候補者の一人にもなっている。

 ギチンガ氏は思い出深いワークショップについて話してくれた。ロンドンの旅行ガイドが参加者を市内のツアーに連れて行ったという。ギチンガ氏にとって、自分の住む町ではあっても知らなかったロンドンの歴史が見えてきた。

 ツアーの後は、2012年の五輪が開かれたストラットフォードに足を伸ばし、階級差についてのミニ・ドラマを参加者全員で演じた。最後のしめくくりはショッピングセンターに入り、Take Back the Cityの存在をアピールする歌を歌い、行進した。「忘れられない体験となった」。

 黒人男性のラッセル氏は一昨年の夏、政治を学ぶサマースクール「Demand the Impossible」に初めて参加した。共同創立者マカジャー氏やルイス氏はラッセル氏の高校時代の先生でもあった。サマースクールではロンドンがどのように運営されているか、問題がどう処理されているかを学んだ。

 「中等教育では政治教育がなかった。Demand the Impossibleの存在は自分でネットで見つけた。母が政治学の修士号を持っていたので、政治の重要性については知っていた」(ラッセル氏)。Take Back the Cityのワークショップに行き、政治意識に火が付いたという。

 「人生の大部分をロンドンで生きてきた。ロンドンの将来に自分も関わっていきたい」。

 マカジャー氏やTake Back the Cityが目指すのは、普通の市民の声が反映された政治の実現だ。ここでの「普通の」とは、既存の政党が十分にその声を拾っていない人々、つまりは低所得者層、移民、有色人種、女性などを指している。「自分たちの言うことを、どうせ政治家は聞いてくれない」、「どうせ何を言っても無駄だ」とあきらめがちな人々だ。Take Back the Cityは社会の構成員全員が政治に参加することを目指している。

 ソープ氏によると、政党の後ろ盾がなく、多様なロンドンの人口構成を反映しながら、草の根レベルで政治運動をはぐくむTake Back the Cityは「非常にユニークな存在だ」という。

 筆者は有色人種、移民、女性、低・中所得というカテゴリーに入る。日本円で200円に相当するオレンジジュースを飲みながら、カフェで3人の顔を見て、話を聞いたときに、この3人が「ここなら、自分がいられる」と思った気持、「みんなで政治は変えられる」という信念が初めて理解できるように思った。

 Take Back the Cityが目指すのは、普通の市民が生活し、子供を育てられるロンドンの実現だ。豪華なアパートが乱立するのではなく、適度な賃貸料で住める住居があるロンドン、人種及び文化の多様性を反映し、普通の市民のように考えることができる政治の代表者がいるロンドンだ。

 組織には9つの原則がある。

 1つは「クリエティブ」。社会に変化を起こすためには、創造性や芸術性が必要と考える。

 2つ目は「コミュニティ」。変化はコミュニティから起きる。

 3つ目が「民主的」。現状のようにロンドンが金融サービスや大企業の利によって支配されるのではなく、もっと民主的に運営されるよう要求する。

 4つ目が「平等性」。人種、性、階級、宗教、年齢、障害による差別に反対し、すべての人を平等に扱う。

 5つ目が「インクルーシブ」。全員が共同で行動を起こす。

 6つ目が「オープンマインド」。参加者のアイデアを積極的に取り入れる。

 7つ目が「ラジカル」。革新的な動きであるからこそ、変化を促すことができる。

 8つ目は「自治」。人の個性、特技を生かす。

 そして、9つ目が「反ヒエラレルキー」。参加者全員がそれぞれの役割、責任を持つ。

マニフェストで望むのは住宅と賃金問題

 Take Back the Cityには、「市民のマニフェスト」を作るためにどのような要望が寄せられているのだろうか。

 最も頻繁に挙げられたのは、「ソーシャルハウジングあるいは賃貸料の廉価な住宅の建設」と「生活賃金の導入」だ。

 ソーシャルハウジングとは地元の自治体や非営利組織が提供する、低所得家庭向けの廉価な賃貸料の住宅を指す。

 好景気のロンドンには人もカネも入ってくる。政府統計によれば、人口は第2次世界大戦前のレベルに達し、2015年で約860万人。この1年で約5万2000戸が増えた一方で、新規住宅建設は約2万戸のみ。慢性的な住宅不足の現状がある。

 英国全体で住宅価格は上昇しているが、特に激しいのがロンドンだ。過去7年間でロンドンの住宅価格は平均で44%増えている。

 調査会社「ホームハブ」によれば、ロンドンの住宅価格は全国平均の3倍だ(インディペンデント紙、2015年12月9日付)。

 高騰の理由の1つは、外国人が投資のために一等地の住宅を買うケースが増えているためだ。

 別の調査会社「シビタス」によると、2012年、ロンドンの中心街にある物件の85%が海外からの資金で買われていた。その3分の2は投資用で、実際にはその物件に住んでいなかった。

 生活賃金とは生活水準を維持するために必要な最低限の時間給のこと。最低賃金の支払いは法律上、事業者の義務となるが、生活賃金は義務化されていない。

 現在の最低賃金は21歳以上で6・70ポンド(約1040円)。生活賃金は全国では8・25ポンドだが、ロンドンでは住宅費の高騰など生活費がほかの都市よりはかかるという前提で、9・40ポンドに上昇する。もしロンドンの雇用主が最低賃金の6・70ポンドかこれに若干足しただけの金額を払えば、ロンドンで働く人にとっては、かなり厳しい生活となる。

 運動の共同創立者ルイス氏が「ロンドンから出ざるを得なくなった」と話していたが、まさにそのような状況になっている。

 5日のロンドン市長選・市議選に向けて、マニフェストづくりに向かうTake Back the Cityの動きを、今後も追っていきたい。(連載2回目はメルマガ「メディアの現場」最新号に掲載中です。)
 
Take Back the Cityとは何かを説明する動画
by polimediauk | 2016-05-01 02:19
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(キャメロン英首相と握手するスタージョン自治政府首相、自治政府ウェブサイトから)

(以下は、「週刊東洋経済」3月2日発売号の筆者記事に補足したものです。)

 スコットランドの独立は夢のまた夢、とつい最近まで思われていた。

 その夢が実現の一歩手間まで行ったのが昨年9月18日に行われた、独立の是非を巡る住民投票だった。賛成が44・7%、反対が55・3%という僅差で終り、投票率は驚異的な84・6%を記録した。結局独立は果たせないことになったものの、これほどの盛り上がりを見せた選挙は英国では久しぶりだ。

 賛成派と反対派がここまで拮抗したことや投票までの熱戦から判断すると、スコットランドが二分され、禍根を残したのではないかと解釈する人もいるだろう。

敵はイングランド

 しかし、スコットランドが政治的に禍根を持つとすれば、その相手はイングランド(人口全体の約83%。スコットランドは約8%)だ。スコットランドにとって、首都ロンドンに置かれたウェストミンスター議会は「仮想敵」だ。

 「敵」感情の根っこにイングランド王国との合同(1707年)という何世紀も前の話を持ち出すまでもないが、英国を構成するそれぞれの地方の主都(スコットランドのエディンバラ、ウエールズのカーディフ、北アイルランドのベルファースト)に行くと、ロンドンがずいぶんと遠いように感じられるのは確かだ。

 一時はすっかり消え去ったかに見えた独立の夢だが、1970年代以降、沖合いにある北海油田の生産が本格化し、石油収入が不当にイングランド地方に搾取されているのではないかという不満がスコットランド内で高まった。

 サッチャー政権時(1979-90年)には多くの炭鉱が閉鎖され、反サッチャー・反保守党、反イングランド、反ウェストミンスター議会という感情がますます強まってゆく。

名を捨てて実をとる

 独立が実現しないのであれば、スコットランドが目指すのはできうる限りの権限の委譲である。

 投票の直前、賛成派が急激に広がっていることを察知したキャメロン英首相はエディンバラに飛んだ。連合維持ならば大幅の分権化をすると確約した。

 今年1月末、キャメロン首相はスコットランドのスタージョン自治政府・新首相に対し、所得税の税率を決める権限、16歳でスコットランド議会の選挙に投票できるようにすることなどを含んだ法案を提示した。5月の総選挙後に可決される見込みだ。

 スコットランドの独立運動を続ける草の根組織「急進独立キャンペーン」のキャット・ボイドさんにロンドンで会う機会があった。彼女によると独立への動きは「狭い民族主義的思いからではない」という。「運動にかかわるようになったのは、自分たちの声が反映される社会を作りたいと思ったから」。

 2003年のイラク戦争開戦前、国内では100万人規模の反戦デモが何度も開催された。ボイドさんもデモに参加した。「でも、結局、米英が戦争を始めてしまった。若い兵士が戦場に送られた」。自分の声が政治に反映されないという深い失望感を感じたという。

 「ウェストミンスター議会はどの地方に住む人の意見も代弁していないのではないか」、「自分で自分のルールを決めることができる、新しい社会を作りたいのよ」。遠いロンドンから統治されるのではなく、自分たちの手で物事を決めたいーそんな思いが伝わってくる。

 「住民投票では勝てなかったけど、私たちは消えてなくなったりはしない。ずっとスコットランドにいて、独立への運動を続ける」。
by polimediauk | 2015-03-11 08:03
 (月刊誌「新聞研究」2月号掲載の筆者の原稿に補足しました。)

 昨年9月、英国の新聞報道についての新たな自主規制組織「独立新聞基準組織」(通称「IPSO」=イプソ=Independent Press Standards Organisation)が発足した。「新聞」といっても、雑誌報道も含む。

 IPSOは先に存在していた自主規制機関「報道苦情処理委員会(通称「PCC」=Press Complaints Commission)の後を引き継ぐ存在だ。10年前に明るみに出た、ある大衆紙での電話盗聴事件が発足までの道を作った。

 PCCにはほぼすべての大手新聞社が加入していたが、IPSOには左派系高級紙ガーディアン、インディペンデント、経済紙フィナンシャル・タイムズなどが加入していない。各紙はそれぞれ個別の体制を作り上げる道を選択した。

 IPSOとは別に、新自主規制組織「インプレス」(Independent Monitor for the Press=「新聞の独立監視機構」)も設置準備を進めている。

IPSOが何故生まれたか、また何故大手数紙があえて加盟しないことを選択したのかをたどりながら、英国の新聞界の自主規制事情を概観してみたい。

誕生までの経緯

 IPSO誕生のきっかけは2005年に発覚した、日曜大衆紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド紙」(以下、ニューズ紙)による王室関係者に対する電話盗聴事件である。

 当初は王室関係者のみが盗聴の対象になったと思われ、07年に同紙の記者と私立探偵が実刑判決を受けたが、その後の英ガーディアン紙による調査で対象者が政治家、著名人、市民など広い範囲にわたっていたことがわかった。

 2011年7月、盗聴の犠牲者の中に失踪した14歳の少女(後に殺害されていたことが判明)がいたとガーディアンが報道し、国民に大きな衝撃を与えた。少女の姿がテレビでひんぱんに報道されており、盗聴の対象は著名人とばかり思っていた国民は大衆紙の報道の熾烈さを、一瞬にして身近に迫った問題として受け止めた。

 ニューズ紙に対して国民的な批判が高まり、発行元のニュース社は同紙の廃刊を決定した。失踪少女報道から4日後の電光石火の決断だった。いかに強い逆風が吹いていたかを示す。

 7月中旬、キャメロン首相は新聞界の文化・慣行・倫理について調査する委員会を立ち上げた。ブライアン・レベソン判事が委員長となったため、「レベソン委員会」と呼ばれた。

 何故たった一つの新聞の盗聴事件を端緒として、税金を使う調査委員会を立ち上げたのか?

 その理由はまず、盗聴行為(ここでは、実際には他人の携帯電話の留守電の伝言を聞く行為)の対象者が市民のほかにも政治家、著名人などいわゆる社会のエスタブリッシュメントに属する多くの人を対象にした大掛かりなものであったことが挙げられる。組織ぐるみで違法行為が行われた可能性が出た。

 また、2005年の事件発覚時から、11年にガーディアン紙の報道で予想を超える規模の大きさが分かってくるまでの数年間、ロンドン市警は盗聴犠牲者が王室関係者のみではないことを知っていたにもかかわらず、捜査を行わなかった。ニュース社の欺瞞隠しと警察当局との癒着の疑いが出てきた。

 ニュース社の英国の新聞界、政界における位置も、大きな事件として注目された理由の1つだ。

 オーストラリア出身のルパート・マードック氏が会長となるニュース社は米国の会社だが、英国ではその子会社ニュース・インターナショナル(現在は組織変更し、一部はニュースUKになった)が発行する新聞(サン、ニューズ・オブ・ザ・ワールド、タイムズ、サンデー・タイムズ)は国内の新聞市場で大きなシェアを持っていた。また、英国最大の有料テレビサービス「スカイ」を提供するBスカイB社の株の40%近くをニュース社が保有していた。

 新聞市場での大きな地位を元に、マードック氏は歴代の英国の首相と親しい関係を築いてきたと言われている。発行部数の大きな新聞が自分の政党を支持してくれれば、選挙に勝てるからだ。

 キャメロン首相にとっても他人事ではなかった。委員会設置当時、ニュース・インターナショナル社の経営トップ、レベッカ・ブルックス氏は親しい友人であったし、盗聴事件が最初に発覚した際に、ニューズ紙の編集長だったアンディー・コールソン氏(「盗聴については知らなかった」としながらも、編集長職を辞任)を保守党が野党だった時に広報担当者として雇用していた。2010年に保守党が自由民主党ととにも連立政権を発足させると、コールソン氏を官邸の戦略担当者に任命した。首相自身とマードック勢力との癒着の可能性が政治問題化した。

 こうした複数の要素が委員会発足の背景にあった。

新たな自主規制組織への動き

 レベソン委員会による大々的な調査は2011年夏から12年秋まで行われた。新聞社経営幹部や、歴代首相を含む政治家、報道の被害者など300余人が証言を行った。12年11月末には全2000ページの報告書が発表された。

 一部を引用すると、報告書は一部の新聞が「ネタを追うために業界の倫理綱領が『存在しないかのように振る舞い」、『罪なき人々の人生に大きな苦難や大損害をもたらした』」、「あまりにも多くの新聞記事があまりにも多くの人から苦情の対象になりながら、新聞が責任を取る例が少なすぎた」。また、「規則順守体制に失敗があった」、「個人のプライバシー保護や尊厳への敬意が欠如していた」。

 PCCへの批判も手厳しかった。PCCは業界からの「独立性に欠けていた」。新聞界への批判を阻止し、盗聴事件への調査ではニュース紙を支持したことで、「信頼性を失った。真剣な調査がまったく行われなかった」。

 レベソン委員長は新たな、独立(新聞業界内外の権力から独立)自主規制・監督機関の立ち上げを推奨した。

「法令化」でネック、意見がまとまらず

 この後、組織の立ち上げは暗礁に乗り上げた。レベソン委員長が新たな規制機関を法令によって設置し、独立した存在であることを保証するために外部の認定組織を置くようにと推奨したためだ。何世紀にもわたり自主規制でやってきた新聞界は法令によって機関を立ち上げることにいっせいに反対した。

 新聞業界内の意思統一ができないままに数ヶ月が過ぎた。

 13年3月末、与野党3党は法令化によらず、女王の勅令(=王立憲章)による設置案で基本合意する。10月、女王の諮問機関・枢密院がこの組織の成立を承認した。

 一方の新聞界は、13年末、政府案に寄らず、独自にIPSOを設置する動きで数社がまとまった。

 IPSOの発足は昨年9月上旬だった。業界外の人材の投入割合を大きくすることで業界からの独立性を高め、本格的な自主規制・監督組織となることを目指した。

 その機能は:

 (1)「報道規定の違反に関する苦情を処理」

 (2)「規定が遵守されているかどうかを調査」

 (3)「内部告発用ホットラインの設置」

 (4)「苦情を持つ読者と出版社側との間に裁定サービスを提供」など。

 重大な規定違反、不正などがあった場合、最大で100万ポンドの罰金を科す力も持つ。

 諸所の特徴はレベソン報告書が提案した規制組織案、年与野党が合意した規制組織案にも入っていた。IPSOはレベソン案をほぼ踏襲した組織ともいえる(ただし、王立憲章による設置は望まない意向を表明している)。

 IPSOに参加を希望する出版社は会員合意書に署名する(6年間有効)。IPSOの規則を変更する場合、会員全体の66%の得票が必要だ。取締役会と苦情を処理する委員会のそれぞれが12人体制で、7人が業界外の人物、5人が業界関係者とする。運営資金は全国紙が62.4%、地方紙が32%、雑誌が5・6%を負担する。

 IPSOの取締役任命委員会(5人体制で、3人が業界外の人物、タイムズ紙編集長、元地方紙編集長)を率いるのは控訴院判事アラン・モーゼズ氏である。

 昨年12月23日、IPSOは初年度の活動報告を発表した。これまでに約3000件の苦情を受け付けたという(旧PCCが2013年に受け付けた苦情件数は約1万2000件であった)。

 IPSOに参加している新聞社は地方紙の出版社に加え、テレグラフ・メディア・グループ(デイリー・テレグラフ、サンデー・テレグラフ発行)、ニュースUK(サン、タイムズ、サンデー・タイムズ)、デイリー・メール&ジェネラル・トラスト社(デイリー・メール、メール・オン・サンデー)など。

 大手新聞社はほぼそろったが、参加していないのがガーディアン・ニュース&メディア(ガーディアン、オブザーバー)、インディペンデント・プリント・リミテッド(インディペンデント、アイ)、夕刊紙イブニング・スタンダード、フィナンシャル・タイムズだ。

 ガーディアン・ニュース&メディア社はIPSOをPCCと良く似た存在としてとらえている(ウェブサイト「プレス・ガゼット」、9月5日付)。「運営資金組織やほかの仕組みが似ており」、「業界の触手が新組織の資金支配、構成機構に手を伸ばすようだ」。

 ガーディアンは独自に新たな苦情受付体制を立ち上げた。読者の不満に耳を傾ける「読者のエディター」に苦情を見てもらい、もしこのエディターの処理に不満がある場合、読者は「見直し委員会」に問題を上げることができる。委員会は元テレビの政治記者など識者数人で構成される。苦情は編集規定に沿って処理を判断する。

 フィナンシャル・タイムズも独自の仕組みを作っている。昨年4月、バーバー編集長が「独自処理」と「自分たちで透明性を持って処理できる」とする声明文を発表した。9月にはガーディアンの読者のエディターに相当する、「編集上の苦情処理委員」が任命された。編集長の介在なしに選任された人物で、30歳の法廷弁護士である。この委員に提出された苦情は同紙の編集規定に照らして、判断・処理されるという。同時に、読者が記事の内容についてコメントを残したり、編集スタッフと意見を交換する機会を拡大する。

 インディペンデントも独自処理体制を取る。「今のところ、IPSOに入る予定はない」が、入らなくても「ほとんど影響はないだろう」(12月28日付)という。

 上記とは別に、新たな新聞規制組織を立ち上げようとする有志らが「インプレス・プロジェクト」を始めている。レベソン報告書の提言を元に、王立憲章に基づいて発足することを目指す。新聞界とは独立し、かつ報道の自由を維持することを狙う。

 2013年12月から準備を開始し、まだ組織作りの最中だが、プロジェクトの立ち上げ委員の中に、パトロンとして元英サンデー・タイムズのハロルド・エバンズ編集長の名前が見える。準備委員会のスタッフには金融オンブズマン・サービスの元幹部、オブザーバー紙の副文化編集長、人権活動家など。財源は政府からは資金をもらわず、寄付金を中心にして集める。資金提供者には著名人が名を連ねているが、報道被害者の一人としてレベソン委員会で証言した、ハリーポッターシリーズで著名な作家JKローリング氏もその1人だった。

 インプレスは個々のメディアが処理できない苦情を扱い、「第2審」の位置づけだ。訂正記事の掲載を命令したり、苦情が妥当かどうかなどの調査も行う。今年から実質的な活動を始めるという。現時点ではインプレスに参加したいと申し出たメディアはまだないそうだ。

 自主規制を巡り、複数の仕組みが乱立する状態となっている。

その後

 新聞報道の規制をどうするかでバタバタした動きが続いた2-3年だった。

 規制以外の、その後の大きな動きを伝えたい。

 一時はキャメロン首相のアドバイザーの1人として官邸に入ったアンディー・コールソン氏。盗聴事件発覚時のニューズ・オブ・ザ・ワールド紙の編集長である。昨年7月、非合法に通信を傍受した共同謀議で有罪となり、1年半の実刑判決が下った。他にも当時同紙で勤務していた記者など複数が実刑判決を受けている。

 2005年当時、この新聞を発行していたニュース・インターナショナル社(現ニュースUK社)の経営トップだった女性がレベッカ・ブルックス氏。かつてコールソン氏の上司で、一時は愛人関係にもあった。留守電の盗聴容疑、役人への違法の支払い容疑、司法妨害罪に問われていたが、昨年6月、無罪判決が出た。

 ブルックス氏はニューズ社会長マードック氏に可愛がられてきた存在で、今年3月、ニュース社の経営陣として復活するニュースが流れた。アイルランド発祥のメディア企業「ストーリーフル」の経営に関わるといわれている。

 コールソン氏とブルックス氏と言う二人の人物の明暗が出た。5月の総選挙に向かうキャメロン首相にとって、野党時代からコールソン氏を重宝していたことは話題にして欲しくない過去だろう。

 一方、今月3日、高等裁判所での裁判で、デービッド・シャーボン法廷弁護士は、大手出版社トリニティー・ミラーで「大規模な電話盗聴が行われていた」と述べた。「ニューズ・オブ・ザ・ワールド紙よりもはるかに大規模」であったという。著名人8人が、盗聴についてトリニティー・ミラーを訴えた裁判だ。まだ審理は続いている。

 大騒ぎとなったニューズ・オブ・ザ・ワールド紙での盗聴事件だが、ほかにもまだあったのである。
by polimediauk | 2015-03-08 18:34
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(映画「バードマン」 英語版ユーチューブより)

 米俳優マイケル・キートンがその役者人生を賭けた・・・そんな風にも見える映画「バードマン (あるいは無知がもたらす予期せぬ奇跡)」が、先日の第87回アカデミー賞で作品賞・監督賞(アレハンドロ・G・イニャリトゥ)・撮影賞(エマニュエル・ルベツキ)・オリジナル脚本賞(イニャリトゥほか)の4部門を受賞した。

 惜しくもキートンは最優秀男優賞を逃してしまったけれども、キートンなくしては存在しなかっただろうと思わせる映画が「バードマン」だ。日本では4月公開予定となっている。

 映画は、ヒーロー映画「バードマン」でかつて名をはせたものの、今は落ちぶれてしまった中年俳優がブロードウェーの舞台で再起を図る物語。この中年俳優を演じるのがキートンだ。彼自身が過去に「バットマン」や「バットマンリターンズ」で主役を演じている。キートンの俳優としてのこれまでと映画の主人公がだぶってみえるようになっている。

主演のキートンとは


 キートンの姿を私が映画のスクリーンで初めて見たのは、「ミスター・マム」(1984年)だった。一家の主の男性が職場を解雇され、妻が外に出て働かざるを得なくなる。男性が家事をし、女性がキャリアを積むという、当時としては男女逆転のドラマをコメディとして描いた作品だ。この男性を演じたのがキートンで、慣れない手つきで子守をしたり買い物に出かける様子が笑いを誘った。

 元々、スタンドアップコメディアンとして働き出したことや、名前を往年の喜劇俳優バスター・キートンから取ったというだけあって、長い間、キートンにはコメディ俳優としてのイメージがついた。

 その後、ティム・バートン監督による「ビートル・ジュース」(1988年)出演をきっかけに、同じくバートンが手がけた「バットマン」(1989年)そして「バットマンリターンズ」(1992年)で主役となり、映画俳優として名をあげてゆく。

 「ミスターマム」でのキートンのイメージが強かった私は「バットマン」でのまじめな姿を見て、「?」と思ったものである。

 しかし着々と俳優として高い評価を積み上げたキートンは、昨年ハリウッド・フィルム・アワードとベルリン映画祭から生涯功労賞を受賞するまでになった。

 1951年の9月生まれで、現在63歳。女優キャロライン・マクウイリアムス(2010年他界)と結婚し、1人息子をもうけた。1992年に離婚。

 「バードマン」の演技でゴールデン・グローブ賞の音楽・コメディー部門の最優秀俳優賞などを受賞している。

劇中劇の面白さ


 「バードマン」はキートンの俳優としての人生が重なって見える作りになっているが、映画制作者、監督、俳優などが制作途中の苦しみ、楽しみ、もろもろの状況をドラマ化・映画化する作品はこれまでにも複数本、作られてきた。

 筆者が見た中で印象深いのが、古いところではイタリアの監督フェデリコ・フェリーニの「8・1/2」(はっかにぶんのいち、1963年)がある。フェリーニを若干思わせるような映画監督の役をマルチェロ・マストロヤンニが演じた。次にどんな映画を作るべきかというプロとしての悩みのほかに、妻との関係もごたごたする中で意味のある作品を作ろうとする姿を描いた。

 俳優アル・パチーノによるドキュメンタリー「リチャードを探して」(1996年)も興味深い作品だ。シェークスピアの「リチャード3世」の映像化までの過程を、研究者や街角の人へのインタビューなどで構成した。米国人俳優が英国のシェークスピアをどこまで解剖できるのか?「外」の視点からのアプローチがやはり「外」の日本人である自分にとって、すこぶる刺激的だった。

 「バードマン」は劇中劇の作品だ。映画の中で、キートン演じる主人公がレイモンド・カーバーが書いた芝居を成功させようとする。俳優の選択、リハーサルの様子、プレス向けの舞台、批評家との戦い、演じる俳優の悩みなどが克明に記録されてゆく。「1つの芝居が舞台で上演されるまで」を描いた、ドキュメンタリーのような体裁をとる。

 実際には事実を積みあげるドキュメンタリーではなく、すべての俳優がある役柄を演じているドラマ、フィクションだ。

ノンストップでの撮影


 ところが、映画を見ていると、ステージの裏に隠しカメラが入り、あたかも観客が混沌とした準備の様子や俳優の息遣いをリアルに見ている錯覚が起きる。

 その1つの理由は、イニャリトゥ監督の意向で、ノンストップで撮影されたためかもしれない。映画の上映時間とほぼ同じ時間をかけて、そのほとんどを一気に撮影したという。

 これは俳優陣や制作スタッフにとって、なかなかしんどい作り方だったようだ。英ガーディアン紙のインタビューで、キートンは「普通に撮影したらどうなんだろう」と他の俳優と言っていたという。しかし、実際に画面を見て「わあ、これだったら」と感銘したようだ。

 撮影監督ルベツキ(2013年の「ゼロ・グラビティ」で撮影賞を受賞)は、ノンストップの撮影について「人生は続く」からと述べている。映画のカット用に、細切れに存在しているわけではない、と。

あふれるような言葉で進む


 映画を見ていて、圧倒されるのが俳優たちが早口で話し、どんどん物語が進んでいく迫力だ。観客は芝居の制作過程に、何の準備もなく突如放り込まれた感じがするだろう。「あれ?これは現実?それとも・・・」という思いがするかもしれない。主人公の頭の中に存在するバードマンが実際に画面に出てくることで、???感が増す。

 しかし、そんなもろもろの「?」感が、一気に撮影されたことも含め、映画に心地よいドライブ感を生み出している。

見ると、不思議な元気が出てくる


 映画の名場面は数限りなくある。

 ブロードウェーの演劇関係者が気にするのは上演後の新聞批評である。これで芝居に箔がついたり、短期間で終了となったりするようだ。映画には著名な批評家が出てくる。この批評家と俳優陣との「対決」はなかなかの見ものだ。

 キートンにはどうしてもちょっとした可笑しみがただようイメージがある。それが十二分に発揮される場面もある。主人公がツイッターに登場してしまうエピソードだ。これは映画館でぜひご覧になっていただきたい。

 主人公と娘との会話も見逃せない。妻にも娘にも「ダメな男」と厳しく言われる主人公。言葉の応酬がするどく、つらく、身に染みる。ぐうの音も出ない。

 しかし、最後まで見たら、不思議と元気が出てくる。

 世の中の疲れ切った大人に、ぜひ見て欲しい映画である。「ダメ男」の主人公だが、自分もこんな風に生きたい・・とまで思う人が出てくるかもしれない。
by polimediauk | 2015-02-25 15:58
 第1次大戦勃発から今年で100年となった。きっかけは、サラエボ(現在はボスニア・ヘルツェゴビナ首都)で、オーストリア・ハンガリー帝国のフェルディナント大公夫妻が殺害された事件(1914年6月28日)だ。--少なくとも、学校ではそう教わっている。

 いくつかの原稿を書く機会があったことで大戦に興味が湧き、26日から、サラエボに来ている。ロンドンからオーストリア航空でウイーンに飛び、ウイーンからサラエボへ。飛行時間はトータルで2時間半ほどだが、トランジットがあって、4時間半ほどかかる。それでも、複数の箇所を巡ってサラエボに来ると〔ロンドンから)11時間以上かかる・・・なんていうこともあることをフライト情報を調べているうちに分かった。

 ロンドンとサラエボ〔欧州大陸)との時差は1時間〔サラエボが1時間早い)。時差がほとんどないと言って良いだろう。

 サラエボ空港は大きくはない。しかし、自分が過去に行った欧州の他国の空港と比べたら、極度に小さいというわけではない。ツアリスト用インフォメーションのコーナーもきちんとある。

 旅の前にチェックしたのがトリップアドバイザーなどのサイト上の情報だ。今はずいぶんとよくなったものである。私が見つけた中では「実際に行って見ると、どの人も親切」というコメントだ。飛行場ですでにそう思った。

 ホテルもネット上で高い評価を受けているところをじっくり選んでみた。今のところ、レビュー通りの結果である。スーパーが近い(連泊の場合、飲み物や若干の食べ物、こまごましたものを手に入れる必要がある)、冷蔵庫がある、静か、スタッフが親切、部屋が清潔、ネットが使えるかどうかー。

ー戸外で、テーブルの周りに集まっておしゃべり

 スーパーの場所を聞いて、早速買い物に出かけたら、途中の道にアパートが並んでいるのだが、壁に妙に穴がたくさん開いている。ばっくりと穴を開けている箇所も。これは1990年代の内戦のときにできたものではないか、と思った。それ以外にこんな穴ができるわけがない。写真を撮ろうと思ったら、カメラを部屋に忘れてきていたー。

 戻って、窓を大きく開けてくつろいでいると、カフェ、ダイナーらしきものの前にテーブルを置き、男性陣がビールを飲んだり、おしゃべりに興じている声が聞こえてくる。なにやら、楽しそうだ。

 暑いので、2階に住む人は窓を開けて、外の様子をぼうっと眺めていたり、タバコを吸っていたりする。

 夜は9時ぐらいまで、ずーっと話し声が聞こえてきた。

 夜中、目を覚ますと、外は真っ暗。とても静かだ。こんなに音がない場所にいたのは、何年ぶりだろう。

 「静かだから、夜は良く眠れるはずですよ」とホテルの人が言っていたのは本当だった。

 

 
by polimediauk | 2014-06-28 05:12
 ジャーナリスト、リサーチャー、作家エフゲニー・モロゾフ氏の本「すべてを解決するには、ここをクリックしてください -テクノロジー、解決主義、存在しない問題を解決しようとする欲望」から、その一部を紹介する。今回はビッグデータの取り扱いやセルフトラッキングについて疑問を呈する。(次回は最終回。)

***

第6章 犯罪をより少なく、もっと処罰を

 警察はビッグデータから利を得ている。犯罪をリアルタイムで見つけ、事前に行動を起こすことが可能になっている。

 問題はアルゴリズムが客観的とみなされていることや、透明性に欠く点だ。

 アマゾンのアルゴリズムはまったく不透明で、外部からの詮索がない。アマゾンは競争力を維持するために機密が必要だという。しかし、警察活動はどうだろうか。

 警察活動のソフトウェアは民間企業が作っている場合が多く、どんな偏見が入っているかを検証できない。

 アルゴリズムに偏見は入らないのだろうか?犯罪は貧しく、移民が多いところで起きる。アルゴリズムに人種によるプロファイリングは入っていないのか?路上尋問で、アルゴリズムがそう言ったからとして、尋問の理由付けに使われないだろうか?法廷での位置付けはどうなるのだろう?

 予防アルゴリズムは、将来の犯罪を予測しているのではなく、現在の状況を基にして将来に発生するかもしれない可能性のモデルを示す。

 アルゴリズムが私たちの生活にどんどん入っているので、資格を持った、かつ公的な第3者によって定期的に検証されることが必要なのではないか?

 警察は個人のプライバシー情報にアクセスするとき、逮捕状が必要になるが、Facebookなどは顧客情報を見るだけでよい。警察からすれば、Facebookが汚い仕事をやってくれるので助かる。

 ソーシャルメディアは、どの程度まで実際に警察と情報を共有しているのかを公開するべきだ。

 今は Facebookやイェルプを使えば、ほしいものを入手できる。合理的選択論が基にあるので、Facebookのアプリが歓迎される。評価=レピュテーションを作れば、差別がおきにくくなるという人もいる。しかし、完全のマッチングには恐ろしさもある。似たもの同士ばかりの世界に入り込む。社会を前進させるための冒険を除外する。

 情報社会化がどんどん進んでいる、「私たちはこのテクノロジーの世界を変えられない」-こんな感情が広く存在している。しかし、これは「デジタルの敗北主義」ではないか。

 技術が自動的な力であるとする考えは昔からあった。1978年にはランドガン・ウイナーが「Autonomous Technology」を書き、 Kevin Kelly は「What Technology Wants」を書いた。ケリーはテクノロジー雑誌「ワイアード」の最初の編集長だった。ケリーの本はインターネット至上主義者に知的な理由付けを与えた。

 ケリーはテクノロジーを進化としてみる。テクノロジーが自然であり、自然がテクノロジーなのだ、と。こういわれたら誰も反論できない。「テクノロジーに耳を傾ければ、パズルが解ける」、とケリーはいった。テクノロジーには語るべきストーリーがあり、私たちができるのは耳を傾けること。そして、政治および経済上の予測をこれによって変えることだと。

 しかし、なぜそうする必要があるのだろう?Facebookもグーグルも規制できるのに、なぜ私たちのプライバシーについての概念を変えなければならないのだろう。どこまで私たちは考えを変えるべきなのか?その「声」とはシリコンバレーの広報部の声だったらどうするのか。

 私は、テクノロジー自体は何も欲していないと思う。インターネットも、だ。

 テクノロジーの発展を止められないという敗北主義が抵抗の力や改革・変革を求める道を隠してしまう。テクノロジーは進展するので、人間はこれに合わせるしかないという考え方はいかがなものか。

 19世紀、カメラが市場に出ると、人々はプライバシーの侵害だと思った。今はみんながカメラに慣れている。こういうことがネットでも起きるという説があるが、本当だろうか。

 昔、産業化で町が騒音でいっぱいになった。これに対し、反騒音運動が起き、1934年、これを反映する道路交通法ができた。インターネットでもできないだろうか。

 シリコンバレーの世界観から離れ、個々の新しいテクノロジーを検証してはどうか。たとえば顔の認証、バイオメトリックの技術の採用など。

 欧米の消費者は、このシステムが中国やイランでは異端者をとらえるソフトにもなることも考えるべきだろう。

 新たなテクノロジーを拒否するつもりではない。ただ、もっと問いかけをしてもいいのではないか。本当に有効なのか、逆に問題を複雑にしただけではないのか、と。

第7章 ガルトンのアイフォーン

 「データセクシュアルな人々」という考え方がある。個人データに熱中する人々だ。今はスマホをみんながもっているので、自分の行動を細かくトラッキングできる。歯磨きや睡眠時間を記録する人もいる。自分の生活をデジタルに記録する。こういう人は昔からいた。

 オンラインの評判を守るにはお金を払うサービスを提供するのがReputation.comだ。金融危機後、評判を守るために銀行家たちは高額を費やした。

 しかし、お金を払えない人はどうするのか。二極化になるのだろうか。お金のある人は評判をクリーンアップでき、そうではない人は守れない。オンライン上の評判を気にさせる、心配にさせることをビジネスとするコンサルタントたちがいる。実はそんなことよりも、もっと緊急に心配するべき問題があるかもしれないのに。

 個人のデータ売買を商売する起業家たちが出てきている。Digital locker, Personal.comなど。後者では個人がデータをキュレートし、自分が選ぶマーケターに情報を出したり、関連する広告を出す。ディスカウントを得たり、好きなブランド情報を出し、そのブランドが売れたら、品物の価格の5-15%を得る。これを「すべての人が勝つ」などといっていいのかどうか。

 デジタルロッカーにはエンパワーメントの意味があるのだろうが、すべてを語っていない。それは、消費者に力を与える唯一の方法が自己の情報をもっと出すことだと考えさせている点だ。

 私が自分の情報を出すことで、状況が変わってくる。私が健康情報を出し、あなたが出さないとしたら、あなたには何か隠すものがあると思われる。誰かが情報を出すと、その社会のほかの人も情報を出さざるを得なくなる。

 例えば、米国では携帯電話の情報を出さない人を潜在的テロリストとみなす。Facebookにアカウントがあるなしで不審と思われるところまできている。

 セルフトラッキングの普及はプライバシーの露出につながる。情報は私たちの「個人的な目論見書」になる。これを通じて、すべて(市民、社会、公的組織)とつながる。健康でお金もあるなら、楽しいかもしれないが、そうでない場合、人生は困難になる。

 セルフトラッキングの倫理について議論が必要だ。数で測ればこぼれ落ちる才能・職がある。芸術、学問、作家など。数は少なくても、リスクがあってもやることが少なくなるとしたら残念だ。

 ヤフーCEOのメリッサ・マイヤーズは、「文脈上の発見」を目指すといった。利用者が聞く前にサーチエンジンが答えを与える。

 グーグルのシュミット会長は、ベルリンの通りを歩いているうちに検索が進み、情報を与えてくれる。これが次の検索だと。自分が知らないことでも、面白そうな興味がありそうなことが広がっている。つまり、自主的な(autonomous)検索だ。勝手に調べて教えてくれる。例えば、グーグルのメガネをかけていて、気分が沈んでいたら、ルーベンスの絵を見せてくれる。気持ちが明るくなる、と。

 自主的な検索には、自主的な広告が出てくるに違いない。探さなくてもよい。見つけてくれるからだ。「このレストランがお勧めだ」と。

 しかし、これは究極の消費者主義ではないだろうか。(続く)
by polimediauk | 2014-01-11 17:44
 2008年に拡大した世界的な金融危機。英国では、危機以前に約5%だった失業率が現在7.8%(今年4-6月)に達している。2016年半ば頃までは低成長が続くという。

 こんな英国で、「仕事が見つからないなら、自分で始めよう」-そう考える人が増えている。

 フリーで働く人を対象に仕事の案件を売買する英サイト「フリーランサー」 (登録者約870万人)によると、過去1年で「マイクロビジネス」(一人であるいは家族を手伝わせて経営する小規模の事業)を始める人が急増した。

 で、これにマンチェスター(23%)、ベルファースト(21%)、ロンドン(21%)、カーディフ(21%)、エディンバラ(20%)、リバプール(20%)、バーミンガム(19%)、リーズ(19%)、グラスゴー(18%)と続く。

 起業は「景気後退で解雇された時の準備や収入不足を補うのが目的」(フリーランサー社の欧州担当者)という。オンラインショッピング用のソフトを作ったり、ネットで翻訳サービスを始めるなど、「パソコン一つで起業できるようになったこと」も追い風になっている。

 英政府の依頼でシンクタンク「バンクサーチ」が調べたところによると、昨年の起業数は過去最高の49万件に達し、中小企業の数は約480万となった。

 起業後「どれほど利益を出しているかは疑問だ」と手放しに喜べないという人もいる。景気が本格的に回復するまでの防衛策として賢い一手ともいえるのかもしれない。

 (週刊「エコノミスト」の「ワールドウオッチ」の筆者担当分に補足しました。)
by polimediauk | 2013-09-27 06:46
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(英サン紙の、有料購読をすすめる画面 ウェブサイトより)

 英国の大衆紙最大手サンが、8月1日からサイト閲読に有料制を導入している。さっと画面を見たところでは、お金を払わないと1本もまともに記事が読めない方式だ。

 サンを発行するニュースUK(旧ニュースインターナショナル社)は高級紙タイムズ、サンデー・タイムズも発行している。両紙がサイト閲読を有料化したのは2010年。サンの有料化はこの動きに沿ったものだ。

 サンのウェブサイトに飛ぶと、最初の月は、「サン+(サン・プラス)」を1ポンド(約140円)で閲読できる、という説明が出ている。2ヶ月目以降は、週に2ポンドを払う。年間契約にすれば、10か月分で1年間、閲読できる。サン+の購読者になれば、携帯端末(タブレット、スマートフォン)でも読めるようになる。

 英国では店頭で新聞を買う人が多いが、サンを小売店で買った場合、紙の新聞にサイト閲読用のコードがついてくる。これを入力して、サイト上で記事を読む仕組みだ。

 サンは読者をひきつけるために、サッカーのプレミアリーグの試合をサイト上で見れるようにしているほか、ほかのサッカー試合の動画や生情報をどんどん出してゆくという。スポーツ好きに焦点を絞った戦略だ。

 サンがプレミアリーグの動画を有料パッケージの中に組み込めるは、ニュースUKの親会社となる米ニュース社が英衛星放送BスカイBの株の一部を持っているためだ。BスカイBはプレミアリーグの試合の多くを独占生中継する権利を持つ。

 タイムズやサンデー・タイムズがネット記事の閲読を完全有料化したとき、ユニークユーザーの90%が減少したといわれている。

 ガーディアン紙に掲載された記事によれば、サンのデジタル・エディター、デレク・ブラウン氏は、サンの月間ユーザーは3200万人だったが、そのほとんどが「単に通り過ぎるだけ」の人たちだった。

 アナリストは有料購読者が30万人を超えないと赤字になると予測している(上記ガーディアンの記事)。

 電子版の有料化を率先して進めてきた英経済紙フィナンシャル・タイムズ(メーター制)は、現在までに、電子版購読者が紙版購読者数をしのぐようになっている。

 一方、英国の高級紙最大手テレグラフ紙はウェブサイトを英国外から利用する際に、月に20本までは閲読無料、それ以上は毎月1・99ポンド(約300円)という課金制(メーター制)を昨年11月から導入してきたが、今春からこれを国内の読者にも適用している。

 これで、ウェブサイトの閲読が過去記事も含めて完全無料なのは、英国の大手高級紙ではガーディアンとインディペンデントのみになった。

―増える有料制の導入

 ウェブサイト上のニュース閲読に課金する新聞社は、英国を含む欧州各国、米国でも増えている。米国では300紙以上が導入中と言われている。

 背景には新聞の発行部数の下落、インターネットでのニュース取得の常態化といったメディア環境の変化があるが、デジタル収入が紙媒体からの収入の落ち込みを挽回するほどには増えておらず、各国新聞界が本気で新たな収入源を模索している様子が見える。

 スイスでは、独語日刊紙「ノイエ・チュルヒャー・ツァイトゥング」が昨年、ウェブサイト閲読に有料制を導入し、今年3月にはそのライバル紙となる「タゲス・アンツァイガー」が有料制導入計画を発表。

 ドイツでは地方紙「シュヴァーバッヒャー・タークブラット」が3月からサイト閲読に課金制を導入。国内で課金方式を採用する35番目の新聞となった。「もはや新聞を無料であげてしまうわけにはいかない」)(同紙編集長、ドイツ新聞発行者協会のウェブサイトより)。

 ドイツの大手出版社アクセル・シュプリンガー社の全国紙「ウェルト」も昨年末から課金制を導入し、同社の大衆紙「ビルト」は6月から、無料と有料の記事を混在させる仕組みをスタートさせている。

 BILDPlus Digital がウェブ、スマホ、タブレットでの閲読用で月に4・99ユーロ(約650円)、電子ペーパー版を含むのがBILDPlus Premium で、月に9.99ユーロ。いずれも、最初の月は99セントという低い価格が設定されている。

 また、サッカーのブンデスリーグの試合ハイライトなどの視聴を含む特別なパッケージ(月に2・99ユーロ)も提供する予定だ。

 当初無料であったサービス(=ネット版の記事閲読)を有料にする場合、いかに利用者に納得してもらえるかが鍵となる。

 サンのプレミアリーグ動画の視聴が一つのやり方とすれば、発想の転換によるアプローチで成功したのが、フィンランドの大手出版社サノマ社の例だ。

 同社はスカンジナビア諸国で最大の発行部数を持つ日刊紙「ヘルシンギン・サノマット」を発行する。ネット版閲読に課金制を導入したのは08年だ。

 そのやり方は、ヘルシンギン・サノマットの紙版とネット版(パソコン、タブレット、携帯電話含む)の閲読をセットで提供する仕組みだ。

 セットの購読は年間340ユーロ(約4万3000円)。紙版のみは304ユーロだが、少しこれに上乗せするだけで閲読機器を選ばずに読める、として利用者を説得する手法を取った。39万人の定期購読者の中で、3分の1が前者を選択し、新たな収入源の柱となっている。

 一定のブランド力がないと課金制は失敗する。英国の地方紙発行元大手ジョンストン・プレスは思ったほどの購読者が集まらず、10年、課金制を撤回した。

 単独ではネット版課金を維持できないと考える出版者が複数参加し、1つの課金プラットフォームを作っているのが、スロバキア出版界の最大手プティット・プレスの経営陣が2011年5月に発足させたピアノ・メディアだ。

 利用者は週に小額を払い、参加している新聞社の記事をネット上ですべて閲読できる。現在までに、スロベニアやポーランドのメディアも参加するようになっている。

 ネットのコンテンツをお金を払っても読みたいと思わせるような仕掛け作りで知恵を競う時代となったが、英国で無料閲読を維持している新聞の1つがガーディアンだ。

 今後の方針について、アラン・ラスブリジャー編集長がGIGAOMから取材を受けている

 将来、サイト閲読を有料化するかどうかについて、ラスブリジャー編集長は「オープンだ」(決してしないとはいえない)と表明している。

 しかし、英国ではBBCをはじめとした放送メディアがニュースを無料で発信している。英語での情報もあふれるほどある。こうした多くのメディアが出す報道以上のものを、お金をとって提供できるのかどうかー?この点をガーディアンは考えなければならない、という。

 結論として、今のところ、「無料で行く」方針に変わりはないようだ。

 有料か無料かという二者択一ではなく、「良いジャーナリズムをどうやって発信するか」を第一に考えるという。また、中核となる読者は、おそらくお金を払ってでもガーディアンのウェブ記事を読んでくれるだろうが、「ガーディアンの記事は無料で出すべきだ」という思いが強いという。こうした読者の気持ちが、ガーディアンのネット記事の閲読無料化を支えている。

―グーグルニュースと戦うドイツ新聞界

 以前に、グーグルニュースと戦うドイツの新聞社の動きを紹介した

 グーグルニュースが、自分たちがお金をかけて作ったコンテンツを無料で利用している、だから何らかの見返りが欲しい、というのがドイツ新聞界側の発想である。

 今年3月、ドイツでは、新聞社などがネット上で出したニュースを検索サイトに掲載する場合、使用許諾や使用料の支払いを義務付ける改正著作権法が成立している。報道機関は、1年間、営利目的でニュース記事を公開する独占的権利を持つ。

 8月1日以降、グーグルニュースに自社サイトのニュースを拾われたくない新聞社は、「オプト・アウト」(抜け出る)を申請することになっていた。

 しかし、今朝、どうなっているかを見ると、ほとんどの新聞社が「オプト・イン」(選択する)を選んでいる(AP電)。

 アクセルシュプリンガー社は1日、グーグルからニュースの使用料が支払われることを期待する、と表明しているという。

(新聞通信調査会「メディア展望」掲載の筆者記事を一部使用しています。)
by polimediauk | 2013-08-01 21:37