小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk
プロフィールを見る
画像一覧

カテゴリ:政治とメディア( 238 )

 7月1日から、スウェーデンでは明確な同意がない性行為は違法となった。

 スウェーデンの国会が5月に可決した性犯罪に関する法律によると、性行為を行う人は互いに言葉あるいはその他の形で明確に同意したと意思表示する必要がある。両者の自由意志によって行われたのではない場合、暴力や脅しがあったかどうかに関係なく、刑事犯罪になる可能性がある。これまでの法律では、「レイプ」と見なされるのは、暴力や脅しがあった場合だった。

 暴力を伴うレイプ、および児童に対するレイプは最低でも5年間の実刑となる。以前は4年だった。

 同意なしの性行為をレイプとする国は、西欧諸国ではスウェーデンのほかには、英国、アイルランド、ベルギー、キプロス、ルクセンブルク、アイスランド、ドイツ。

 日本では、昨年7月から性犯罪を厳罰化する改正刑法が施行されている。「強姦罪」は「強制性交等罪」という名称に変更された。それまでは女性のみだった被害者に男性が入るようになり、法定刑の下限が懲役3年から5年になった。起訴をするために必要だった、被害者の告訴はいらなくなった(「親告罪」としての規定を撤廃した)。

 しかし、強制性交等罪にはその手段として「暴行・脅迫」があることが前提となる。これが適用されないのは相手方が13歳未満の人のみ。脅迫・暴行がなくても、そして双方の合意があったとしてもこの罪に問われる。

2013年の事件が同意を必要とする法律につながった

 スウェーデンで明確な同意がない性行為を違法とする動きを作ったきっかけは、2013年のある事件だ。

 15歳の少女が3人の19歳の男性たちにワインの瓶を使って性行為をされた。裁判では青年たちは無罪にされ、以下のような司法判断が下された。

 「性行為を行う人々は互いの身体に対して、同意を得ず自然発生的にいろいろなことをするものだ」。裁判官は少女が脚を開きたがらなかったことを「羞恥心による」とした。

 スウェーデン国内に大きな抗議運動が発生し、「FATTA」という名前の組織が結成されるまでになった(後、控訴審で男性たちは有罪となった)。FATTAは同意がない性行為を違法とするよう活動を開始した。

 アムネスティ・インターナショナルのカタリナ・ベルゲヘッド氏によると、FATTAの活動や昨秋から世界的に広がった「MeToo」運動による世論が後押しとなって、5月末、スウェーデンの国会が同意なしの性行為を違法とする法案を可決したという。

 スウェーデンのステファン・ローベン首相は「性行為は任意であるべきだ。任意の行為でなかったら、違法。不確かだったら、止めるべきだ」と発言している。

 首相がこのような発言を公に行うことが世論の変化に「重要な役割を果たした」(5月23日、アムネスティー・インターナショナルの記事)。

 スウェーデンの動きはアイスランド(3月から合意なき性行為が違法)に続くもので、ベルゲヘッド氏はデンマーク、フィンランドなどが同様の方向に進むことを願うという。

 「まだまだ道は遠いが、女性たちや少女たちが黙っていることを拒否した時の勇気を、政治家たちがほんの少しでも示すことができれば、法律は変わる。そうすれば、私たちはMeTooと言わなくても良くなる」(先の記事)。

 スウェーデンの新法によってレイプ罪の有罪比率が高まるかどうか、レイプの件数自体も少なくなるのかは不明だが、被害の発生を防ぐ方向に法律が動いたと言えるだろう。

「同意」とは何か?

 性行為の「同意」とは?

 友人の映画ライターの方に教えていただいた、動画をご紹介したい。

 「性行為の同意を紅茶に置き換えた動画」。 英語版はこちら

 2015年、ロンドンのテームズバレー警察による紹介文がついている。

 同意と動画についての関連情報はこちらで


by polimediauk | 2018-07-18 17:16 | 政治とメディア

 (新聞通信調査会が発行する「メディア展望」5月号の筆者記事に補足しました。)

 英映画「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」が、3月末から日本で上映された。第2次世界大戦時の英国の宰相チャーチルが主人公の映画で、第90回米アカデミー賞でチャーチルを演じたゲイリー・オールドマンが主演男優賞を、日本人の辻一弘さんが日本人としては初のメイクアップ&ヘアスタイリング賞を受賞した。

 米国では昨年11月、英国では今年1月に封切られ、評価は上々となったが、改めて、チャーチルの本国英国ではどう受け止められたのか、また政治家チャーチルは今どのような位置にあるのかについて考察してみたい。

映画に登場するまでのチャーチル

 チャーチルがどんな人物だったのかは多くの方には周知と思われるが、映画の立ち位置を説明するために、簡単にその人生を振り返ってみる。

 チャーチルは1874年、マールバラ公爵の邸宅ブレナム宮殿で生まれた。父ランドルフは第7代マールバラ公の三男で、財務相まで務めた保守党の政治家である。母ジェニーは米国の富豪の娘だった。

 チャーチルは両親を慕い、父のように高名な政治家になりたいと願った。しかし学校の成績が良くなかったため、大学ではなくサンドハースト王立陸軍学校への進学を父に勧められた。卒業後、スペインの独立戦争や英領インドでパシュトゥーン人の反乱鎮圧に自ら参加し、その体験を新聞に寄稿したり本にまとめたりして軍人兼ジャーナリスト、作家となった。

 1900年には政界に身を転じ、保守党議員として初当選するが、党の政策を公に批判したことでいづらくなり、04年に自由党に鞍替えした。この時から「裏切り者」、「日和見主義者」というレッテルを保守党内でつけられてしまう。第1次世界大戦では、自分が主導した「ガリポリ作戦」(1915~16年)が失敗に終わり、海軍相を罷免された。

 1930年代に入り、チャーチルはドイツ・ヒトラー政権の脅威を演説で警告するようになったが、政界では「好戦的」、「大げさな表現で脅しをかける時代錯誤な人物」と見られていた。

 1940年5月、ナチスに対する融和策が失敗し、チェンバレン首相は退陣を強いられる。さて、次の首相は誰になるのか?

 ここから、「ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男」が始まる。ハリファックス外相が最有力候補と思われていたが、実際に首相の座に就いたのはチャーチルだった。昔自由党に鞍替えしたことを忘れていない保守党下院議員らは、チャーチルが首相として初めて登院した5月13日、一切の声援を送らなかったという。チェンバレンを元に戻したがっている議員も相当数いた。

 5月末までに、英国は「戦うことをあきらめてヒトラーと交渉を開始するのか、戦い続けるのか」の選択を迫られた。大陸の欧州諸国は次々とドイツ軍に攻撃され、英国は孤立した。米国は参戦しておらず、軍事的支援が他の国から提供される見込みはほとんどなかった。決断をする前後の様子が映画の中で詳細に再現される。

 最終的には「戦い抜く」ことをチャーチルが宣言し、政治家も国民も一丸となって戦争を続けていくわけだが、決断までのドラマが感情を高揚させる作りになっている。

英国での評判は

 多くの英国人にとって、チャーチルは第2次大戦の勝利を導いた英雄である。国民的なアイドルと言ってもよいだろう。戦争の勝利を今でも英国人のほとんどが誇りに思っている。したがって、英国人にとってこの映画は自分たちの英雄を大画面で見て、戦時中のつらい体験(人的犠牲、困窮、物資の不足)を思い出したり、最終的には勝利したことを改めて喜んだりする場を提供する。英国に住む人にとっては特別の意味合いがあり、戦時中に連合国軍側にいた国の人は同様の思いを持つだろう。

 左派系高級紙インディペンデントに掲載されたコラム(1月16日付)によると、ある映画館では上映終了後に観客らが立ち上がり、画面に向かって拍手をしたという。その理由について、書き手は昔を懐かしむ感情や、「今は欠けている、政治的指導力」への感動があったからではないかという。

 リベラル系高級紙ガーディアンはこの映画は「米アカデミー賞の作品賞を取るべきだ」という見出しの記事(2月21日)を掲載した。事実ではない場面が出てきたり、最後は「憶することない愛国主義」になったりしているけれども、「勇気」を描いていることを指摘する。「周囲に逆らってでも進む勇気、自分の信念を通す勇気、考えを変える勇気、世界を変える勇気」が描写されている、と称賛している。

 過去の出来事を題材にした映画では、事実とは異なる場面が出てくることがあるが、これをどう評価するか。

 左派系雑誌「ニュー・ステーツマン」(1月19日号)で、サウザンプトン大学の現代史の教授エイドリアン・スミス氏は、映画の中で省かれた事実があること、また事実ではない描写があることを指摘している。

 例えばチャーチルは映画ではヒトラーとの交渉を全く眼中に置いていないように描かれるが、実際には可能性の1つとして考えており、ハリファックス外相は首相の座を望んでいたように描写されているが、実はそうではなかった、またチャーチルが地下鉄に繰り出す場面は全くのフィクションであるという。

 こうした指摘について、「ドラマとしてつじつまが合っていれば、細かい点は気にする必要がない」と一蹴する人もいるだろう。筆者もかつてはその1人だった。

 しかし、数年前に元ロンドン市長ボリス・ジョンソンが書いたチャーチルの伝記本「チャーチル・ファクター」(プレジデント社)の邦訳を手伝ったことがあり、以前よりは少しチャーチルのことを知るようになると、「チャーチルだったら、こんなことはしないだろう」と思うことを映画の中でチャーチルがやっているのを見ると、少々割り切れない感情を持った。

 この映画を見て観客がフィクションを事実と解釈する危険性を懸念したのだが、見終わって時が経つと、大筋をとらえることができればそれはそれでよいのではと思うようになった。トピックに興味を持って調べれば、自分で気づくだろうと思ったからだ。

 現在の英政界において、チャーチルは英雄であり、国の大事の際に勇気を持って決断をした政治家として尊敬されている。ウェストミンスター議会の向かい側のパーラメント広場にはチャーチル像があり、建物の中の議場への入り口にもチャーチル像がある。チャーチル伝を書いたジョンソンは現在外務大臣で、ゆくゆくは首相にという望みを未だ持っているようだ。

 最後に、戦争を扱う映画を見る際に、筆者がいつも疑問に思うことを付け加えておきたい。戦争では勝つ国と負ける国が出るが、勝った国の視点で描かれた映画は負けた国からするとどう見えるのだろうか。あるいはその逆はどうか。

 例えば、今回の映画である。日本はドイツと同じ枢軸国側で戦っており、チャーチルの連合国軍側からすると敵だった。筆者は、日本にいる時よりも英国に来てから、第2次大戦の歴史やその背景についてドラマやドキュメンタリー、書籍などを通じて学習することが多くなった。英国に住む様々な人との会話を通して、戦時中の日本に対する見方を聞く機会も得た。今となっては、この映画を純粋なドラマとして見ることは難しい。

 他の例では、米英合作の映画「戦場にかける橋」(1957年)がある。

 ウィキペディアには、こんな説明がついている。「第二次世界大戦の只中である1943年のタイとビルマの国境付近にある捕虜収容所を舞台に、日本軍の捕虜となったイギリス軍兵士らと、彼らを強制的に泰緬鉄道建設に動員しようとする日本人大佐との対立と交流を通じ極限状態における人間の尊厳と名誉、戦争の惨さを表現した戦争映画」。どのような立場の人にも訴えかける、崇高なテーマを持った作品という定義である。

 英国では時々テレビで放送されるが、筆者は英国に来てから、英国の中高年者にとっては、第2次大戦中、「いかに日本の軍隊が残酷に外国人捕虜を扱ったか」を見せる映画の1つとして認識されていることを知った。そのような視点で見られていることは、筆者にとっては衝撃だった。

 過去にこだわりすぎるべきではないし、どんなドラマにも感動する部分があるが、日本人として英国で生活し、第2次大戦に関わるドラマを見るとき、複雑な思いがするのは確かである。

***

*関連記事

チャーチルの自宅を訪問した時の話です。

「ワーカホリック」チャーチルの文章制作工場を訪ねる

*拙著「英国公文書館の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)にはチャーチルとスターリン・ソ連書記長が交わした極秘メモの話や、原爆開発秘話などを入れております。よろしかったら、店頭などでご覧ください。


by polimediauk | 2018-07-06 19:37 | 政治とメディア

 4月30日、イスラエルのネタニヤフ首相は記者会見を開き、大々的なプレゼンテーションを報道陣の前で行った。

 イランは密かに核兵器開発を推進(BBCニュース)

 BBCニュースなどの報道によれば、ネタニヤフ首相は、イランが過去に核兵器の開発計画を進めていたことを示す「極秘ファイル」とする資料を公開。「イランは核兵器の開発計画はないと虚偽の説明をしていた」と述べた。

 2015年、国連安全保障理事会の常任理事国にドイツを加えた欧米6カ国との合意で、イランは経済制裁解除と引き換えに核開発の制限を受け入れている。これ以来、イランは「核兵器の開発はしていない」と表明してきた。

 イランとの核合意がまとまったのは、トランプ米大統領の前任者となるオバマ氏の時代だ。トランプ氏はこれを破棄する意向を表明しており、今月12日までに決定することになっている。(追記:トランプ大統領は8日、合意破棄を表明した。)

 BBCの記事の中に、米国務省でイラン核合意の交渉に携わったジョン・ヒューズ氏の見方が載っている。「核合意に修正を迫る内容は」ネタニヤフ首相の発表には見つからなかったという。「率直に言って」、合意破棄をめぐるトランプ大統領の決定に影響を及ぼすための「政治的な発言だった」、発表内容の多くは「再利用されたものだった」。

 この記事の英語版にはBBC記者の解説も入っており、「一体どこが新しいのか」と疑問を投げかけている。

 2007年の米国の「ナショナル・インテリジェンス・エスティメト」でも、イランは2003年までは核兵器を開発していたが、その後中止している「可能性が高い」と書かれているという。

 ネタニヤフ首相のプレゼンは、トランプ氏の意向を後押しすることが目的だったと見てよいだろう。

 筆者は、プレゼンの様子をニュースで見ている間に、悲哀を感じた。1956年の「スエズ危機」での、イスラエルの行動をほうふつとさせたからだ。

「スエズ危機」の秘密協定

 スエズ危機は、エジプトのナセル大統領がこの年の7月にスエズ運河会社の国有化を宣言したことがきっかけで始まった。エジプトでは前月に駐留英軍が完全撤退したばかり。

 英国の影響力の維持を望むイーデン英首相は、運河の国際管理を回復するためにエジプトと交渉を続けたが、らちがあかず、フランスやイスラエルと協力してエジプトへの軍事行動を起こす、秘密裏の計画を立てた。

 国際運河の安全保障を口実として、10月29日、イスラエルがエジプトに攻撃を開始。31日、英仏がこれに加わった。最終的には、エジプト国民の抵抗と国際世論の批判(米国はこの計画を知らされていなかった。11月2日、国連は戦闘の停止と攻撃を仕掛けた側の撤退を求める決議を出した)、米国によるポンドへの圧力が英経済の先行きを暗くしたことなどから、11月6日に英仏が、8日にイスラエルが停戦を受諾した。

 12月20日、イーデン首相は下院で、イスラエルがエジプトに先制攻撃をかけることを事前に知っていたかと聞かれ、「知らなかった」と答えている。

 英国にとっては、国際舞台での大きな失点となった事件である。

 筆者には、ネタニヤフ首相のプレゼンの姿と、大国との秘密協定に基づいて先陣としてエジプトに派兵したイスラエルの姿が重なった。

 しかし、大国に様々な気遣いをするのは特定の国だけではない。

米ワシントン・ポストの見方

 米国の政界・外交界の詳細な分析で知られるワシントン・ポスト紙で、アダム・テイラー氏が 「外国の指導者たちがいかにトランプにおべっかを使うか」という記事(5月2日付)を書いている。

 ネタニヤフ首相の会見は「何百万もの人に放送されたが、たった一人の視聴者、つまりトランプ米大統領に向けたものである」。

 記事の中で紹介されたイスラエル人ジャーナリストのバラク・ラビド氏によると、会見で紹介された内容について、ネタニヤフ氏はトランプ氏に2か月前に伝えていたという。記者会見の時期は、核合意についてトランプ氏が決断する5月12日に合わせて決められた。(追記:トランプ大統領は8日、合意破棄を表明した。)

 しかし、「米国の政界トップに影響を及ぼそうとする指導者はネタニヤフ氏だけではない」。韓国の文在寅大統領もそうだ、という。

 欧州の指導者の中ではマクロン仏大統領が、男同士の恋愛感情を感じさせるほどのべたべたぶりの外交を行ったばかりだ。しかし、マクロン氏はトランプ大統領の考えを変えさせるところまではいかなかった、とテイラー氏は言う。日本の安倍首相もトランプ氏と「ゴルフを2度もしたのに」、「韓国・北朝鮮問題や貿易問題で冷たくあしらわれた」。

 サウジアラビアやアラブ首長国連合のそれぞれの指導者はトランプ氏を称賛するけれども、その扱いにはてこずっているという。


 トランプ氏のお気に入りになろうとする現象が生じる原因の1つは、「トランプ大統領が移り気であること」、そして、「トランプ氏は最後に会った人の意見に左右されやすい」点もこれに拍車をかける。最も機転が利くのはネタニヤフ首相かもしれない、という。



by polimediauk | 2018-05-08 18:38 | 政治とメディア
 対ロシア強硬路線を敷いたオバマ前政権。トランプ氏の大統領就任で何らかの変化があるのかどうか世界中が注目する中、28日夜、トランプ氏とロシア・プーチン大統領が電話で会談を行った。両国にとって脅威となるイスラム過激派組織「イスラム国」などを掃討するために協力することで合意したという。

 対ロ制裁(2014年からロシアによるクリミア併合をめぐり、経済制裁を発動)を解消するかについての言及はなかったようだ前日27日、メイ英首相との会談後の会見では、トランプ氏は制裁の解除について「それを話すのはまだ早い」と答えている。

 今後、米ロ関係はどうなるのか?

 二人の専門家の見方を紹介したい。

 インタビューはもともと、東洋経済オンライン掲載の筆者の記事(「怪しい調査書」とは結局のところ、何なのか 元スパイが作成したリポートが政争の具に」)(1月24日付)のために行われた。以下はそれに若干の補足をしたものである。

 怪しい調査書(「Dodgy dossier」)とは英国の元スパイ(クリストファー・スティール氏)が書いたものである。現時点ではその信ぴょう性に疑問符がついているものの、プーチン大統領の指揮の下、ロシア側がトランプ氏の「不名誉な」情報(モスクワのホテルに売春婦数人を呼びこみ、ベッドの上で尿をかけあう「ゴールデン・シャワーをやらせていたなど)をつかみ、必要とあれば「脅す」こともできる、という内容だ。調査書には、ロシア側が米国に望むのは、例えば対ロ制裁の解除であると書かれていた(詳細について上記の拙稿をご覧いただきたい)。

 書き手のスティール氏は、現在、姿をくらませている。

調査書は「策略だった」

 
c0016826_23075624.jpg

(フィル・バトラー氏)

 ロシアや東欧事情について詳しい政治アナリストのフィル・バトラー氏は、筆者の取材に対し、こう答えた。
 
 「調査文書はトランプ氏の信頼を落とすための策略だったと思う。米国の大手リベラルメディアさえも(信ぴょう性についての確信が取れないということで)掲載しようとはしなかったし、米国の情報機関の専門家の多くも偽物だと見なした。タカ派のマケイン上院議員が情報拡散に動いたのも、軍事産業やネオコンによる中傷行為だったことが分かる」。
c0016826_22564355.jpg
(アラン・フィルプス氏)

 王立国際問題研究所「チャタムハウス」が発行する「ワールド・トゥデイ」誌のアラン・フィルプス編集長は、調査文書の内容の真偽は「分からない」という。事実関係は「メディアが探り当てることができる情報の範囲を超えている」。

 同氏はロイター通信社のモスクワ特派員として20年近くロシアに駐在した後、保守系高級紙デイリー・テレグラフの外信部長として働いた経験がある。
 
 書き手のスティール氏は英情報機関の間ではロシアの専門家としてよく知られていたという。ただ、「1990年代以降、ロシアには足を踏み入れていないようだ」。

 スティール氏への信頼感があったために、今回の文書が注目されているとフィルプス氏は見る。しかし、MI6という政府機関から商業目的の調査会社を立ち上げたことで、水準が落ちたのではないかと疑問を投げかける。

 商業目的の調査は「コーポレート・インテリジェンス(企業向けの機密情報」)」と呼ばれているが、ゴシップ的な話、例えば人がクライアントに対してどんな悪口を言っているかなどの情報を集めることが必須だという。後で衝撃的な情報が出ても、クライアントがそれほど驚かないようにするためだ。

 今回、暴露された調査書はそんな「ゴシップ話的な感じがある」。

 「もしロシア側が本当にトランプ氏の恥ずかしい行為について撮影をしており、これをもとに脅していたのだとすれば、相当深刻な事態となるが」。

「リセット」モードに入るトランプ大統領

 今後、米ロ関係はどうなっていくのか。
 
 「米国はロシアと敵対的な関係にある必要はない」とバトラー氏は言う。

 「トランプ氏はロシアとより前向きな二国関係を新たに築き上げようという、いわば『リセット』モードに入るだろう。長年続いてきた、互いへの不信感や不必要な軍事費の拡大の道を止め、実利的なアプローチをとってより前向きで希望に満ちた関係を作ろうとするはずだ」

 「冷戦が私たちに教えたのは、他国の脅威などの恐怖を大げさに取り上げて、自らの政策を有利に展開しようとすることの恐ろしさだった。トランプ氏とプーチン氏はたがいの違いを認めながらも、ビジネス及び政治面で折り合いをつけ行くだろう」。

 フィルプス氏によると、トランプ大統領は「国際的な体制が壊れていると見ている。普通の米国民が経済上損をしている、と。例えば、米国の敵になるのが、米国の雇用を『盗んでいる』国(例えば中国)、国外に仕事をアウトソースする大企業(例えばゼネラル・モーターズ社)、アウトソースされる先の国(メキシコ)だ」。

 ところがロシアは、「米国の労働者から仕事を奪うようなものを何も生産していない」。トランプ氏からすれば、米国とロシアには共通点がある。「『イスラム国』と戦うという目的がその一例だ」

 バトラー氏同様、フィルプス氏もトランプ大統領が米ロの二国関係を改善しようとすると予測する。

 しかし、「トランプ氏による『リセット』は長続きしないかもしれない」。プーチン氏は中東、欧州、アジアに影響を及ぼす大国として認識されたいと思っているが、米国がロシアを特別視せず、中国との関係により力を入れるようになったと感じた場合、認識のギャップが出てくるからだ。

 トランプ氏とプーチン氏の政治家としてのアプローチの違いも「不和」につながってゆくという。

 「トランプ政権は対ロ関係を良好にするための合意に署名して、次に進みたがるだろう。プーチン氏は長期的な観点から世界の中のロシアの地位を向上しようとしている。両者の世界観は大きく違う。急ぐトランプ氏はプーチン側に譲歩しすぎ、ロシアのウクライナへの支配権を認めてしまうかもしれないし、プーチン氏のやり方を誤解するかもしれない」。

 フィルプス氏は「今後1年で、両者が仲たがいをする可能性もある」と見ている。米ロ間の関係の急速な関係悪化はこれまでにあったからだ。

 ただ、単純に「破局には至らないだろう」。それは、トランプ氏はロシア政府が就任を望んでいた大統領だったという認識や、トランプ政権の国務長官(石油メジャー最大手エクソモービルのレックスティラーソンCEO)がプーチン氏から「ロシア友好勲章」をもらっていた(2013年)という事実が、「対ロシアの外交関係を複雑なものにする」からだ。
 
ロシア側情報源と見られる人物の「不審な」?死

 先の「調査書」は昨年秋ごろから、米英の主要メディアの手に入っていたと言われている。「真偽に確証が持てない」という理由で報道が見送られていたのだ。

 それにもかかわらず、今年1月上旬、米情報機関幹部らが調査書の概要をオバマ氏、トランプ氏に渡している。

 調査書の情報源のほとんどは「ロシアの情報機関係者(複数)」だ。

 昨年12月26日、元KGB(現在はFSB=ロシア連邦保安庁)の幹部で調査書の情報源の一人とされる人物、オレグ・イロンビンキン氏が自分の車の後部座席で亡くなっていることが発見された。死因は心臓発作とも言われている。
 
 イロンビンキン氏は、調査書に何度も出てくる人物イーゴリ・セーチン氏の側近だった。セーチン氏はロシアの元副首相でロシア国営石油最大手ロスネフチのCEOだ。

 調査書を書いたスチール氏は、7月16日付の項目の中で、トランプ陣営とモスクワを結びつける人物として、「セーチン氏に近い人物」を挙げていた。この人物こそ、イロンビンキン氏であったという説が浮上している(デイリー・テレグラフ紙、1月28日付)。

 テレグラフはブルガリアのシンクタンク「リスク・マネジメント」のクリスト・グロゼフ氏の見立てを紹介する。「調査文書の内容が本当であるかどうかはともかく、プーチン側は誰が情報を漏らしたのかを探し当てようとしている。イロンビンキン氏に注目したのは間違いない」(グロゼフ氏)。

 一方、ロシアの情報機関について詳しいマーク・ガレオッティ氏は「イロンビンキン氏のような人物が、まるでミステリー小説のように死ぬわけがない」として、ロシア政府あるいは情報機関による関与を否定している。

by polimediauk | 2017-01-29 23:01 | 政治とメディア
 「フェイク・ニュース」(嘘のニュース)という言葉をよく聞くようになった。

 一言でいえば「デマ」だが、米大統領選の際に真実に見せかけたニュースがネット上で拡散され、これが大統領選の行方に影響を及ぼしたかどうかが争点の1つとなり、あっという間にはやり言葉になったようだ。

  米バズフィードの調べによると]、大統領選用に「ねつ造されたニュース」は、主要メディアの政治記事よりもエンゲージメントが高かった。
 
 大統領選の最後の3カ月間、Facebook上の選挙記事では、捏造ニュースのほうが、主要メディアのニュースよりも、高いエンゲージメントを獲得していたことが判明している。

 捏造記事サイトや特定政党に肩入れするブログが流した上位20記事が集めたエンゲージメントは871万だった。一方、主要メディア(ニューヨークタイムズやワシントンポストなど19サイト)の上位20記事は736万にとどまった。

 という。

 嘘のニュースがどんどん流れる中、既存メディアはそして私たちは何ができるのか?

 ロンドンにあるジャーナリストのクラブ フロントライン・クラブ」で25日、フェイク・ニュースをテーマにしたイベントが行われた。

 その時の模様を紹介したい。
c0016826_02194999.jpg
(左からBBCとFTの記者、司会者、チャンネル4ニュースの編集長)
 
 司会はロンドンシティ大学でメディアを教えるロイ・グリーンスレード氏。ガーディアンのコラムニストでもある。数々の新聞の編集幹部も務めた。

 パネリストはテレビの「チャンネル4ニュース」の編集長ベン・デピア氏(写真上の右端)。元は国際ニュースの編集部長。2011年の東日本大震災、スリランカの内戦、国際戦犯事件の調査報道など、チャンネル4ニュースは優れた国際報道を行う番組だ。

 ローリー・キャスリンジョーンズ氏はBBCのテクノロジー記者だ(写真上の左端)。

c0016826_02195806.jpg
 オーウェン・ベネット氏は英ハフィントンポストの政治部長(写真下の左端の眼鏡姿)。近著が「ブレグジット・クラブ」。

 ***

「フェイク・ニュースは昔からあった」

 キャスリンジョーンズ氏(BBC):フェイク・ニュース、いわゆる嘘のニュースは昔からあった。最近の現象ではない。

 大衆紙を見ると、今でも「嘘」のレベルのスクープ記事が連日出ている。先日も、「アルツハイマー病が完治する薬が見つかった」というある大衆紙の記事に「これはすごい」と驚いたばかりだが。

 嘘のニュースでも大きくなり、定説になってしまうこともある。私が担当する科学の分野だと、「新三種混合ワクチン予防接種で自閉症になる」という論文をある医師が科学雑誌に発表した。大衆紙大手デイリー・メールが報道し、大きく広まり、ワクチンの接種率が大幅に低下した。後で論文は撤回されたが、たった一人の医師の話が定説になってしまった。

 英国に住む人は、あるニュースが嘘か本当なのかをどの媒体が出したかで判断してきた。

 しかし今は、フェイスブックのタイムラインに様々な媒体のニュースが並列に出てしまう。経済紙フィナンシャル・タイムズのニュースであろうが、ほかの素性がはっきりしないニュースサイトのニュースであろうが、同列になってしまう。ここが問題なのではないか。

 デピア氏(チャンネル4ニュース):嘘の情報が出れば、こちらは検証し、「本当ではない」と提示する方式を取ってきた。

 しかし、ものの考え方が変わってきているのだと思う。「事実・真実は重要だ」という世界から、私たちは離れてしまっているのではないか。事実よりも感情の方が重要な世界に、である。

 ストレスになるほど情報が多いことも問題だ。あまりにも情報が多いので、じっくりと選別し、そしゃくし、事実かどうかを考える時間がない。そこで、誰か自分が信頼する人が言うことを信じる、という流れになっているのではないか。自分が事実かどうかを判断する、というのではなく。

 キャスリンジョーンズ氏(BBC):フェイク・ニュースが簡単に作れる、という面もあると思う。ソーシャルメディアであっという間に拡散もできる。

 マージャ氏(FT):フェイク・ニュースは確かにこれまでにもあった。フェイスブックがあるからフェイク・ニュースが出てきたわけではない。

 ただ、フェイスブックの利用者は世界中で17億人にも上る。フェイスブックは非常に大きなリーチ力を持つ。すべての情報が「等しい価値」で出てしまう。

 フェイスブックは策を講じているけれど、例えばフェイク・ニュースには注意を喚起するなどをしているようだが、効果はまだ分からない。

言論空間の隙をついて、出てきたのがフェイク・ニュース?

 キャスリンジョーンズ(BBC):米国のメディアは英国のメディアとは逆の部分がある。民放が強い米国ではテレビは多彩な意見を出すが、新聞は真面目な感じがする。英国では逆だ。公共放送BBCが強く、民放も規制が多い。新聞は思い思いのことを書けるし、多彩だ。フェイクニュースは米国の新聞メディアの言論空間の隙を突いて出てきたとも言えるのではないか。

 ベネット氏(ハフィントンポスト):ウェブメディアでは速さを要求される。例え間違った情報が入っていても、ニュースがどんどんシェアされてしまう。大衆紙のメールオンラインやデイリーエキスプレスが不正確なニュースを出すとき、こちらとしては事実確認した結果を流すけれども、その間に前のニュースが拡散されている。

 記事を作るジャーナリストはソーシャルメディアをチェックしているけれども、内容が正確かどうかということは見ていない。読者も記事があると、内容をすらすらっと斜め読みしている。

 記事の質がフェイスブックのいいね!やシェア率、ツイッターのリツイート数などで判断されてしまう世界がある。

 マージャ氏(FT): 前職はニュースサイトだったが、確かに、記事の正確性を確認する人はいなかった。

 キャスリンジョーンズ(BBC):でもチェックは少ない。信頼できるリポーターがやるから・・・・という判断だ。文字情報で出すときの方がチェックがある。

 デピア氏(チャンネル4ニュース):元々は新聞にいたが、1994年に英スカイテレビに入った。その時から事実チェックを徹底するよう言われてきた。

 フェイクニュースのポイントは意図的にねつ造しているニュースである点だろう。バズフィードによれば、東欧の青年たちが嘘のニュースを作っていた。ウェブサイトがヒットすれば、多くの広告収入が得られるからだ。

 マージャ氏(FT):デジタルニュースの収入源を広告に頼る限り、そうなるのではないか。

 トラフィックはフェイスブックなどのソーシャルメディアを通して得られる。だから、誰かがクリックしてくれる、シェアしてくれるようなストーリーが必要となる。ちょっとひねったストーリーなら、なおよい、と。

 国家レベルでのハッキングやねつ造情報が広がるのはもっと恐ろしいと思う。

 キャスリンジョーンズ氏(BBC):トランプ氏が大きな支持を得て、彼を支持するようなフェイク・ニュースが流布した、と。これは主要メディアがやるべきことをやってこなかったことも原因ではないか。

 政治家が嘘を言ったら、これを指摘し、十分に挑戦してこなかったのではないか。 

 ところで、私自身はFTを愛読しているが、「状況に詳しい人の話によると」という表現をよく使っている。一体こんな人が何人いるのかな、と思う。

 情報源を出さないと、メディアへの不信感につながるのではないか。

 ベネット氏(ハフィントンポスト):政治家はオフレコで話すことが多いから、どうしてもそうなる。ただ、情報源が一つだけの場合(=シングルソース)、記事を出さないとか、いろいろ決めている。

 マージャ氏(FT):FTも、少なくとも2つの情報源の情報を得てから出す、ということにしている。

 キャスリンジョーンズ氏(BBC):現状はメディアがその下地を作ったからではないかと思っている。不信感を抱かせるような報道がこれまでにあって、だから、視聴者・読者もシニカルになっているーどうせ本当じゃないんだろう、と。世論調査をするとジャーナリズムへの信頼感は低い。

 ベネット氏(ハフィントンポスト):誰を一番信用するかと聞くと、「友人」が上に来る。

どこからニュースを得ているか?


 デピア氏(チャンネル4ニュース):BBCラジオ4の朝の番組「トゥデー」、BBC全般、もちろんチャンネル4も、英ニュース週刊誌「エコノミスト」-。まだあるが。

 マージャ氏(FT): FTをのぞけば、ツイッター。ニューヨークタイムズ、ニューヨーカー、BBC.

 キャスリンジョーンズ(BBC):BBC以外には、ハフィントンポスト、ツイッター(ジャーナリストのリストを作っている)、FTー。

 グリーンスレード氏(司会):ガーディアン、タイムズ、ほか複数の新聞、「トゥデー」、ツイッター。

どうするべきか?

 デピア氏(チャンネル4ニュース):トランプ氏の支持者は彼が嘘をついていることを知っていた。それでも支持していた。なぜかを考えるべきではないか。

 キャスリンジョーンズ氏(BBC):フェイク・ニュースは以前からあったが、米大統領選のように、リアルで影響を及ぼすようになった。「事実は重要だ」という原則をしっかりと守っていくこと。

 マージャ氏(FT):教育ではないか。フェイスブックのタイムラインに出るニュースにはゴミみたいなものもある、ということを。

 ベネット氏(ハフィントンポスト):大衆紙の報道には大げさな誇張や嘘がある。それでも人々はその新聞を買っている。自分の気持ちを代弁してくれる、何かがあるからだろう。トランプ氏の言説に嘘があったとしても、人々は投票した―ほかの候補者では満たされない、何かがあったからではないか。この点を充分に見てゆくべきだ。

****

イベントが終わって


 印象に残ったのが「フェイク・ニュースはこれまでにもあった」という点。それから、「事実よりも感情を重要視する傾向が出ている=新たな世界か?」という提起。

 ガーディアンのサイモン・ジェンキンス氏も指摘しているが、「フェイク・ニュース、フェイク・ニュースとそれほどがたがたするな」という論考を英メディアで目にする。

 確かに、英国で新聞を開くと、ピンからキリまで、「真実」から「大幅な誇張(嘘)」までがもろもろだ。何が事実・真実なのか分からない状況である。「今さらフェイク・ニュースということで、大騒ぎするな」という気持ちが分かるような気がする。

 フェイク・ニュースというと「メディアリテラシーを高めよう」という話になるが、筆者流に平たく言えば「いろいろな人の話を聞いたり、メディアに触れたりして、自分の感覚を磨こう」ということになる。たいていの場合、「?」と思った記事にはどこかにおかしな情報が隠れている。「?」と思わなかった場合、それは…仕方ないのである。全てを一度に解明はできない。

 心配なのは嘘が出ることよりも、「嘘でも構わない」と思ってしまうことだ。「どっちでもいい」、「誰それさんが言ったことだからいい」となって、真実・事実が二の次になっても平気になることだ。これが極端になれば、「もう一つの事実」の世界に入ってしまう。

 「100%、誰にとっても事実・真実というのはありえない」という考え方もあるが、できれば客観的な事実は事実としてきちっと知りたい…少なくともそういう感覚を持ち合わせていたいものだ。

by polimediauk | 2017-01-29 02:22 | 政治とメディア
c0016826_20333572.jpg
 
(チャーチルの自宅チャートウェル邸)

 現ロンドン市長ボリス・ジョンソンが書いたウィンストン・チャーチル(1874年生-1965年没)についての本『チャーチル・ファクター』の翻訳を、英政治家の回顧録の翻訳で豊富な経験を持つ石塚雅彦氏と筆者が担当した。3月末の出版(プレジデント社)にちなみ、チャーチルの自宅チャートウェル邸を訪ねてみた。

***

 第2次世界大戦当時の英国の首相、ウィンストン・チャーチル。ナチス・ドイツによる快進撃に次々と欧州他国が倒れてゆく中、島国英国の運命も危なくなった。ヒトラーとの交渉を拒否し、最後まで戦うことを宣言したチャーチルとともに、英国は戦時を切り抜けた。戦後数十年を経てもその功績の重要さは変わっていない。

 チャーチルは長年、政治家兼作家という2足の草鞋を履いた。膨大な量の演説原稿や草稿を書く(といっても口述筆記である)、驚くほどのエネルギーの持ち主だった。よく飲み、よく食べ、葉巻をふかし、昼夜問わず口述筆記をさせた。今でいえば「ワーカホリック」と言ってもおかしくはなかった。

 『チャーチル・ファクター』によれば、大量の文章を生み出したチャーチルには文章生成のための工場があった。それはチャーチルが妻クレメンティーンや子供たちと暮らした、ケント州にある自宅チャートウェル邸だった。

 1920年代にチャートウェル邸を買ったチャーチルは40年近くをここで過ごした。戦時中の数年間は警備上の問題から別のところで暮らしたが、それでも何度か泊りがけで訪れるほど愛着ある場所だった。

 ロンドンから車で2時間弱で行けるチャートウェル邸を訪ねてみた。

c0016826_20285355.jpg

(邸宅までの道で。上下とも)
c0016826_20292830.jpg

 チャートウェルには邸宅のほかに森、池、複数の庭がある。邸宅の裏には広大な公園が広がる。私が訪れた日は土曜日で、小さな子供連れの訪問客が芝生のあちこちで持ってきた食べ物を広げ、ピクニックを楽しんでいた。

 1921年、初めてここを訪れたチャーチルはケント州の森林地帯からその先まで見渡せる、見晴らしのよさに感銘を受けたという。当時は財政的に余裕がなかったものの、遠縁から遺産が入り、第1次大戦の歴史を書いた『世界の危機』(全4巻)の第1巻目の前払い金が入ってきたことで、購入が可能になった。

 ビジターセンターで入場料を払い、邸宅に入るためのチケットをもらう。時間制になっているのは、入場者が多すぎて、一度に入ってしまうと邸宅がいっぱいになってしまうからだった。

 邸宅までの道を歩くと、左手に広がる公園が大きな解放感を感じさせる。小川があり、小さな池もあった。池の中には赤い鯉が数匹泳いでいる。池の上には向こう側に渡れるように石の板がいくつか並べられていたが、私が訪れた日には手前に縄がかけられ、渡れないようになっていた。チャーチルはこの鯉を見たり、石の道を渡ったのだろうな、と思った(実際に、チャーチルが石の上に立つ写真が邸宅の中にあった)。

c0016826_2030138.jpg

(邸宅の正面)

 入場の時間になったので、列に並んで、邸宅の中に入ってみた。

 1つの1つの部屋は想像していたものよりも、ややこじんまりしていたが、逆にそこが普通の家のようで、実際に人が住んでいた感じがした。世間的にどんな重要な職についていようと、誰にでも家庭があり、生活がある。

 邸宅内での写真撮影は禁じられている。家具や置物、写真などが個人のもので、現在チャートウェルを管理しているナショナル・トラストの手にはないからだという。ナショナル・トラストとは歴史的建築物の保護を目的として英国において設立されたボランティア団体だ。

 部屋の1つに「ライブラリー」(図書室)と呼ばれるものがあった。四方の壁が本でおおわれている。ソファーがいくつか置かれている。ここがチャーチルの文章生成のための「工場」の1部となる。チャーチルはここに数人のリサーチャーを置いていた。口述筆記をするチャーチルが事実を確かめたい時、リサーチャーに命令を下す。見つかり次第、リサーチャーの一人が資料を持って、上階にあるチャーチの書斎に持ってゆく。

 このリサーチャーたちは、『チャーチル・ファクター』によれば、「チャーチルの個人的な検索エンジン、グーグル」だった。図書室に収納されていた本は6万冊に上ったという。

 「スタディー」(書斎)に入った。ここの壁も本でいっぱいだった。座って書き物をするためのデスクのほかに、立ち机が壁の一方に向かう形で置かれてた。資料を持ってこの部屋に入ってきたリサーチャーは、チャーチルがもし立ち机に向かっていればその右半身を真っ先に視界にいれることになる。

 口述筆記をタイピストに打ってもらう形で文章を生み出したチャーチル。本を31冊書き、そのうちの14冊は書下ろしだった。議員としての経歴は64年に及んだが、毎月、何十もの演説、発言、質問を行った。公表された演説だけでも「18巻、8700ページにのぼる。記録や書簡を100万点の文書」になったという(『チャーチル・ファクター』)。

 書斎の右端のドアの先にはチャーチルの寝室がある。ここは公開されていない。「あまりにも小さいので、人が入れない」とガイド役の女性が言う。

 『チャーチル・ファクター』によれば、小さなバスルームと背の低いベッドがあるようだ。西欧では夫婦は1つの寝室を使うのが基本だが、チャーチルと妻クレメンティーンの寝室は別だった。チャーチルは自分の寝室にタイピストを入れ、演説用の文章をタイプしてもらうことがしょっちゅうだった。まさにワーカホリック、仕事中毒である。

 歩を進めて、ダイニング・ルームに入る。窓が大きく、太陽の光がたくさん入ってくる。思ったよりは小ぶりな部屋で、ディナー・パーティーをここで開けば、数人しか入れないだろう。チャーチルはあえてそうしたようだーつまり、家族同士であるいは本当に親しい友人だけの会食の場としてここを使ったのである。

 邸宅を出て先に進み、チャーチルのアトリエ(「スタジオ」)に入る。政治家・作家のチャーチルの趣味はレンガ積みと絵を描くことだった。四方の壁にチャーチルの絵が飾られている(数枚、ほかの人が描いた作品もある)。

 チャーチルは1953年のノーベル文学賞を受賞しているが、絵はどれぐらいのレベルだったのだろうか?

 チャーチルの絵画をほめる人はたくさんいるが、その一方で、あまり高くは評価しない人もいる。いずれにしても、チャーチルは絵を描くことが趣味であったし、スタジオにいる時間を楽しんだーこれが最も重要なことだろう。

 チャーチルが絵画を始めたのは一種の気晴らしだった。第1次大戦時にダーダネルス海峡進攻作戦(1915年、英仏の連合軍がダーダネルス海峡入口のガリポリ要塞を攻撃・占領する作戦を立てた)の失敗が響いて海相を罷免され、閑職に左遷された頃からチャーチルは友人に絵を描くことを勧められる。美術学校に通ったり、絵を正式に習ったりはなかったが、友人たちのなかに絵描きが何人かいた。アドバイスを受けながら、チャーチルは作品を生み出してゆく。多作な画家だった。

 スタジオの中のガイドの説明によると、「チャーチルは自分の作品に対して、常に謙虚な心を持っていた。『大したものではないのです』、と。このため、チャーチルは基本的に自分の作品に名前を入れなかった」という。

 画家としては「特徴がなかった」とガイドは言う。「例えばモネを思い出してください。絵を見れば、ああこれがモネだとわかりますよね。チャーチルにはこれがない」。

c0016826_20311180.jpg

(チャーチルがこの壁の一部を作ったという)
 
 スタジオ出て庭の一つ「キッチン・ガーデン」の方に進むと、赤れんがの壁がある。この壁の一部はチャーチルがレンガ積みを手伝ってできたそうだ。

 4つに分かれたキッチン・ガーデンを縦に区切る形で作られたのが「ゴールデン・ローズ・アベニュー」だ。私はここでどうしても見てみたいものがあった。

 アベニューの真ん中あたりに日時計があり、この下にクレメンティーンがバリ島から持ち帰った鳩が眠っているという。追悼の詩もクレメンティーンが選んだという。

c0016826_2032256.jpg

(日時計は緑のシートで覆われていた)

 行ってみると、日時計の台座には確かに「バリ島の鳩、ここに眠る」と書かれてあった。しかし、日時計の部分が緑色のシートで覆われていた。「寒さ除けだろうね」とそばにいた訪問客が言う。

 この鳩はクレメンティーンにとって、特別の意味を持つ。

 相思相愛が死ぬまで続いたチャーチル夫妻。しかし、ワーカホリックで常に自分の都合が最優先の夫チャーチルに妻は時として耐えられない思いをいただいたようだ。そこで、1934年から35年にかけて、クレメンティーンは長期間の大きな旅に出た。

 旅先のバリでボートに一緒に乗った男性からクレメンティーンは鳩をもらった。その鳩をお土産として持ち帰ったクレメンティーンは鳩が死ぬと、その埋葬場所としてアベニューのど真ん中を選んだのである。

 クレメンティーンとこの男性が不倫関係にあったのどうか。『チャーチル・ファクター』の書き手ボリス・ジョンソンは、何があったにせよ、「チャーチルはこの件について知って」いた、として、「クレメンティーンと夫との愛情には全く影響を与えなかった」と結論付けている。

 鳩の日時計ばかりではなく、邸宅の敷地内には「ペットの埋葬場所」というコーナーがあった。また、「蝶の生育場所」というコーナーも。

c0016826_20324433.jpg

(チャートウェル邸に近い村のパブの壁にあった似顔絵)

 チャートウェル邸の敷地内を歩いていると、緑色の芝生がどこまでも広がる様子が目に入る。遠くに見える森が広大さを実感させてくれる。ところどこにある池、湖、スイミング・プール、ハーブがたくさん植えられているキッチン・ガーデン、木々の配置、アトリエなど、ここで暮らしたチャーチル家の人々がくつろぎ、会話し、食事を楽しんだ様子が想像できた。

 しかし、ある家族が幸せだったかどうかは外から想像するだけではわからない。

 外交官冨田浩司氏による名著『危機の指導者チャーチル』(新潮選書)によると、クレメンティーンと子供たちの関係は「チャーチルが彼らを甘やかす分、難しいものとなった」という。クレメンティーンにとって「一番手がかかる子供はチャーチルであり、彼の面倒を見た後には子供たちにきめ細かな注意を払う時間も気力も残されていなかったのが実情である」。

 夫妻は5人の子供を設けたが、3女のマリーゴールドは旅先でインフルエンザをわずらい、3歳の誕生日を迎える前に命を落とす。末娘のメアリーをのぞき、ほかの子供たちは「少なくとも外見上は」、大人になってからの人生が「幸福なものであったとは言い難い」と富田氏は結論付けている。長女のダイアナは自殺し、長男のランドルフは心臓発作で57歳でこの世を去った。次女のセーラは夫が自殺の憂き目にあう。

 メアリーは政治家のクリストファー・ソームズと結婚し、5子を設けた。母クレメンティーンの伝記を書き、これが高く評価されている。

 チャーチル家の生活ぶりが今でも迫ってくるチャートウェル邸。チャーチルに関心のある人にとっては、実り多い訪問場所だ。
by polimediauk | 2016-04-07 20:33 | 政治とメディア
c0016826_21335048.jpg
 
(ニーマン・ラボのサイトから)

 パナマの法律事務所「モサク・フォンセカ」から流出した、金融取引に関する大量の内部文書。これを元に「パナマ文書リーク」の報道記事が続々と出ている。

 いったいどうやって情報がメディアの手に渡り、各社の報道につながったのか。

 ウェブサイト、ニーマン・ラボ(4月4日付)ワイヤード(4月4日付)の記事から、要点をまとめてみたい。

 法律事務所の内部文書は1977年から2015年12月までの期間のもので、1150万点に上る。文書のサイズは2・6テラバイトに及ぶという。ウィキリークスの手によって世に出た米外交文書リーク(「ケーブルゲイト」、2010年)が1.73ギガバイトであったので、これの数千倍になるという。

 1150万の文書ファイルには480万の電子メール、100万の画像、210万のPDFが入っていた。

経緯は

 2014年末、ある人物が南ドイツ新聞の記者に暗号化されたチャットを通じて連絡をつけてきた。記者の名前はバスチアン・オベルマイヤー(Bastian Obermayer)。その人物は「犯罪を公にしたい」と言ったという。実際に顔を合わせず、連絡は暗号化されたチャンネルのみでだった。そうしなければ「命が危なくなる」からだった。

 オベルマイヤー記者とリーク者は常に暗号化されたチャンネルで連絡を取り合い、どのチャンネルを使うかは時々変えた。それまでのコミュニケーションの内容をその都度、削除したという。暗号アプリの「シグナル」、「スリーマ」や、PGPメールなどを使ったというが、オベルマイヤーはどれをどのように使ったかについて、ワイヤードに明らかにしなかった。

 新たなチャンネルで連絡を始める際には一定の質問と答えを用意し、相手がその人物であることを互いに確認した。

 文書の一部を受け取った南ドイツ新聞は非営利組織の「国際調査報道ジャーナリスト連合」(ICIJ、ワシントンにある)に連絡した。ICIJは過去にも大型リークの分析を担当した経験があったからだ。ICIJのスタッフはミュンヘンにある南ドイツ新聞に出かけ、どう処理するかを話し合ったという。

 この間、ファイルは少しずつ南ドイツ新聞に送られていた。メールで送るには大きすぎるが、どうやって送られたのかについて、南ドイツ新聞はワイヤードに明らかにしていない。

 次に、ICIJのデベロパーたちがリーク文書を検索するサーチエンジンと世界の報道機関がアクセスできるURLを作った。サイトには報道機関の記者たちがリアルタイムでチャットできる仕組みも作られていた。記者同士がワシントン、ミュンヘン、ロンドン、ヨハネスバーグなどに集い、情報を交換もした。

 ICIJによると、リーク文書をそのまま公表する予定はないという。ジャーナリストたちが責任を持って記事化するよう、望んでいるからだ。

 リーク者を守るため、南ドイツ新聞のオベルマイヤーはリーク者との連絡用に使った電話やラップトップのハードドライブを破壊した。「念には念を入れたかった」。今でもリーク者が誰であるかは知らない状態だ。

 ワイヤードはメガリークの新たな時代が始まっている、という。

 ニーマン・ラボの記事によると、受け取った情報の分析は南ドイツ新聞ばかりではなく、フランスのルモンド紙、アルゼンチンのラ・ナシオン紙、スイスのゾンタ―グツァイトゥング紙、英国のガーディアンやBBCなどが協力して行った。プロジェクトにかかわった記者は約400人。世界76か国の100以上のメディア組織が協力したという。

 日本では共同通信と朝日新聞がこのプロジェクトに参加した。

 さらに詳しく知りたい方は「マッシャブル」の記事(英語)もご参考に。
by polimediauk | 2016-04-05 21:34 | 政治とメディア
 2日夜、英議会がシリアへの空爆を開始する政府案が賛成多数(賛成397票、反対223票)で可決された。目的は過激派組織ISの掃討だ。政府筋によれば、3日時点で、空爆が開始されたという。

 空爆案については、キャメロン首相が先週、その意図を議会で述べた。2日は約10時間をかけての討議となり、賛成・反対の議員たちがそれぞれの意見を披露。さまざまな論点が出た。議会外では、「シリア空爆反対」の抗議デモ参加者が数百人規模で集まった。

 賛否両論の意見が議会内で出る中、政府の空爆案にはいくつも落ち度があることが分かったもの、最後は賛成が多数で決着がついた。

 キャメロン首相が討議に入る前に、空爆に賛成しない議員は「テロのシンパサイザー(同調者)」であるという感情的な表現を使用した。討議の中では、労働党の影の外務大臣ヒラリー・ベンが、「ファシストと戦うために立ち上がるべきだ」と述べ、与党保守党から拍手喝さいとなった。

 私は討議の様子については午後の早い時間、および夜の数時間視聴し、時々、複数のテレビ局の解説をチャンネルを回しながら見た。

 政府案では回答が出ない点が諸所あったにもかかわらず、パリテロ後に「同盟国フランスが助けてくれと言っているのに、参加しないとは言えない」、「国際社会で英国の立ち位置が問われている」、過激組織「イスラミック・ステート」(IS)を「討伐しなければ、私たちの命が危ない」といった論点が多くの議員から支持を得たようだ。私からすれば、軍事力を持つ英国の強面が押し切ったように見えた。日本のように、70年前の大戦以降、他国で戦ったことがない国と英国とは全然違う。英国は長い間、戦争ばかりしている国なのだ。戦っている状態に慣れている。

 投票後、議会内にいる議員たちの姿をテレビで見ていて、「いざというときに、この人たちには頼れないかもしれない」という思いを強くした。「同盟国がこう言っているから」、「国際社会で立ち位置が問われるから」などの理由で戦争に突入するほうに傾いてしまうようでは、危なくてたまったものではない。ただ、筆者にはそもそも英国籍がないので、議員を選ぶことができない。自分で自分の運命を決められない、外国人としてここに暮らすからだ。無念、という感じである。

 なぜ英国による空爆が「象徴」(シンボル=「フランスとともに戦いますよ」などの意味を込めての)でしかないのか。いくつかの理由がある。討議の中で出た論点や、新聞報道を見ると、以下のようなことになる。

(1)効果をあげていない

 これまで、IS討伐のためのシリアへの空爆は米国が中心になって(「有志連合」)、数千回も行われてきた。ほとんど功を奏していないというのが大方の見方だ。

(2)市民の犠牲者が出る

 ISではない市民が殺傷される。有志連合によれば、数人の死者がでたということだが、複数のメディアの報道ではその100倍と言われている。

(3)地上戦までをコミットしていない―中長期計画の欠落

 本当にある勢力を討伐し、一掃するのであれば、空爆だけでは十分ではないというのが軍事関係者の一致した認識だ。地上戦も含めて、軍事的にコミットしているのかどうか。あるいは単に、自国軍に死者が出ないよう、空爆だけに限っているのかどうか。

(4)地上戦を行うグループは信頼できるか?

 空爆を行って、仮にISがある程度は一掃されたとしよう。しかし、ISが撤退した後を埋めるのは誰なのか?キャメロン首相は現地に「約7万人近くの、穏健なグループがいる」と主張している。この数字やグループの存在は、政府から独立した、統合情報本部の報告によるという。

 しかし、BBCやほかのメディアの報道によれば、この7万人というのがいくつもの小さなグループの寄せ集めで、過激なグループもいるという。ひとつにまとまっているわけでもない。時にはISのシンパになるという。

 英国でいえば、与党が選挙で負ければ、野党労働党が代わりに政権を取る。シリアの現状では、ISが一掃された後に、まとまりのある1つのグループがその地を「民主的に」(?)統治する・・・という形にはなっていないのだという。欧米側が政権交代を願う、アサド政権が勢力を拡大させるだけかもしれない。

 したがって、ISが弱体化しても、それを埋めるような政治的まとまりがない、という(アサド政権をのぞいては、である)。さらなる混とん状態になるのは必須で、別のISが生まれる可能性もある。

 こういう状態では、西欧が危惧を抱く、シリアからの難民は増える一方である。

(5)あまりにも微小な貢献である

 今回のシリア空爆の有志連合では、何といっても米国が最大。英国の貢献度はその10分の1といわれ、「象徴」としての空爆になる可能性が高い。

 ちなみに、英国はイラクへの空爆作戦にはすでに参加している。

(6)シリアでは期待度がゼロ

 今回の討議について、シリアではどんな受け止められ方をしているのか?

 在シリアのBBCジャーナリストによれば、「全くニュースになっていない」。現地の人に聞いたところによれば、「アサド政権の攻撃を止めることに力を貸してほしい」、「ISは怖いが、ISだけが怖いわけではない」。

 チャンネル4の国際報道ジャーナリストで中東経験が長いリンジー・ヒルサムは英国が空爆に参加するかしないかは、主流から外れた見世物でしかない、と言っている。

(7)イラクやリビアのように現地が泥沼化。英国が道連れになる

 2003年、不十分な諜報情報を頼りに、開戦したのがイラク戦争。この時の事の顛末を、多くの英国民は忘れていない。「2度と、そういうことがあってはならない」という思いがある。
議会の討論では「これはイラク戦争ではない」という保守党議員の声があった。

 それでも、確かに似ているのである。

 フセイン政権を崩壊させたイラク。フランスと協力して空爆を開始し、リビアのカダフィ政権も崩壊させた。その後の両国は平和とは言い難い。

 シリアもさらに状況が泥沼化し、今後何年も、英国はかかわることになる(英国軍に犠牲者が出る可能性も)なるのでは、という懸念がある。

(8)外交そのほかの手段をつくしてない

 もっと外交手段に力を入れるべきではないか。また、ISの資金源をたつ、ネットでの言論を遮断するなどの道をさらに強化するべきだという声もあった。

(9)本当に、国が安全になるのか

 キャメロン首相は空爆に参加すれば「私たちは、より安全になる」と述べた。しかし、欧州内のISがらみのテロを見ると、実行犯はほとんどが欧州で生まれ育った若者たちである。実行犯は実際には国内にいる、というわけである。空爆で果たして、この部分を根絶できるのか。

 以上のような理由が議会内でも、また議会の外のデモ参加者、あるいは報道でも出ていたにも関わらず、最後には議会は空爆を決定した。

 空爆案をめぐり、野党労働党は大きく割れた。普通であれば、党の方針を決め、その線に沿って投票をするのがその党に所属する議員の義務になる。しかし、今回、ジェレミー・コービン労働党党首は議員らに自由に採決に参加することを許した。結果、コービン党首は空爆に反対であったにもかかわらず、66人が賛成に票を投じた。

 特に大きな注目を集めたのが、ヒラリー・ベン影の外相だ。先にも書いたが、「ファシスト」という非常に強い言葉を使って、空爆賛成を表明した。これ以前はそれほど目立つ印象を与える議員ではなかったが、今回の演説はかなりの迫力があった。

 自分の説を述べた後、賛成派の保守党議員から大きな声援を受けて、ベン議員は、座席に座った。コービン党首とトム・ワトソン副党首の間の席である。隙間が狭かったのか、コービン氏とワトソン氏の間のスペースに割り込むようにして座ったのが印象的だった。この演説で、数人の労働党議員が賛成票を投じたといわれている。労働党の分裂がはっきりと表れた瞬間でもあった。

 保守党支持が多いメディア報道ではいつも批判されているコービン党首だが、今年9月、労働党員の多くの支援を受けて、党首に就任したばかり。核兵器廃絶、反王室、鉄道再国有化、高所得者層への課税強化など、物議をかもす信念を持っているものの、党員が選んだ党首という意味は大きい。

 野党が弱いと、与党の思うままに政治が動いてしまう。そういう意味では英国は政治危機にもあるのも知れない。
by polimediauk | 2015-12-03 21:33 | 政治とメディア
 日本初のニュース専門インターネット放送局「ビデオニュース・ドットコム]を主宰するビデオ・ジャーナリスト神保哲生氏に、最近の政治によるメディアへの圧力、日本の政治メディアの現状について外国特派員クラブで聞いた(取材日は7月7日)。

***

「特権」という弱点をたくさん持つメディア

ー日本の政権とメディアの関係をどう見るか。

 これまで日本の歴代の政権はメディアの特権を容認し、メディアとの良好な関係を維持することで、共存を図ってきた。ロッキード事件やリクルート事件など、時折、政権中枢のスキャンダルが大きく弾け、メディアも「政府との良好な関係」などと言っていられない事態が起きることはあったが、私から見ると政権とメディアの関係は、表面的にジャブの応酬はあっても、底流では深く良好な関係が続いていた。

 しかし、安倍政権が、第一次政権の時にメディア対策を甘く見たことで、大きな痛手を受けた。懐柔したつもりでも、メディアはいざ支持率が下がったり、政権に逆風が吹き始めると、ものすごい勢いで攻勢に出てくることを、安倍政権は身をもって思い知った。少なくとも第一次安倍政権で首相を精神的に追い詰めた主要因の一つが、メディアの攻勢だったと見ていいだろう。

 安倍政権は1回目の失敗から多くを学んだ。その中の重要なものが、メディアは一瞬たりとも心を許せば、そこにつけ込んで来る、いざメディアにつけ込まれると、押し返すことが難しいということだった。そこでメディア対策を厳しくやることが必要だと痛感した。

 ただし、そこでいうメディア対策というのは、欧米で盛んに行われているような、PR企業のノウハウを駆使した、いわゆるパブリック・リレーションではない。一応、PR会社や代理店を使ったメディア対策は行っているようだが、日本ではそれよりももっと有効で手っ取り早いメディア対策がある。それが、メディアに直接圧力をかける方法だ。日本ではメディアが「特権」と言う名の弱点をたくさん持っているために、それがとても有効になる。

 政権は実際に圧力などかける必要はない。先ほども言ったが、実際に報道機関に圧力をかけて報道の内容に介入するのは、憲法で表現の自由が保障されている日本では容易ではない。

 しかし、メディアが政府が認めてくれる数々の特権に依存する限り、間接的な圧力で十分だし、それが有効となる。要するに「特権」の蛇口をちょっと閉める素振りを見せれば、メディアは少なくとも経営レベルではたちまち狼狽する。

ー今回の「つぶす」発言がそうかもしれない。

 まさにそうだ。

 実際につぶすことなどできるはずがないが、それを口にするだけで、日本では一定の効果が期待できる。そこが問題だ。

 「つぶす」発言には、メディア問題とは性格を異にしながらも同根の問題がある。なぜ自民党や政権が経団連に頼めば、経団連がそれを無視できないと考えるかといえば、政府が経団連に対して影響力を行使できる立場にあるからだ。

 数々の許認可や、法人税減税、消費税増税の際の税率軽減、TPP、派遣法の改正等々、経団連加盟の企業は政権のさじ加減一つで、自分たちの利益が大きく左右される立場にいる。加盟企業には旧来型の古い産業構造下にある企業が多いので、それをどこまで政府が守ってくれるかによって、大きく利益が左右されやすい。

アクセスの見返りに、好意的な報道を引き出そうとする政府

 また、メディアの特権としては先にあげた三大特権の他にも、アクセスの問題がある。

 これは記者クラブ問題と近接している問題ではあるが、政府は特定のメディアに対して「Preferred Access」(優先的アクセス)や、「 Privileged Access」(特権的アクセス)を認めることの見返りに、政権に好意的な報道を引き出す力を持っている。総理の単独インタビューはもとより、政権が持っている情報には報道機関にとっては価値の高い情報が無数にある。それを材料に、メディアに好意的な報道をさせることは容易だ。

 特に日本では、そもそも記者クラブ体制の下で、大手メディアは最初から優先的アクセスや特権的アクセスを得ている。つまり、最初から政権に対して脆弱な立場に身を置いているということだ。

 日頃からメディアは自らを律し、政府や政府から受ける特権に依存しない経営体質を構築しておかなければならない。平時に政権から特権を頂戴していると、いざというときに、政権がちょっと特権の蛇口を閉じる素振りを見せただけで、メディアは白旗をあげなければならなくなってしまう。特権に依存した経営体質を持つメディアが特権を失えば、たちまち干上がってしまうからだ。

 安倍政権の特徴は、過去の政権は、メディアが政府から多くの特権を受けていることは当然知っていたが、政権にとってはむしろメディアと共存する方が得策だと考えて、あえてそこにはちょっかいを出さないようにしてきた。メディアと全面戦争となれば政権も無傷ではいられない可能性が高いし、大手メディアが総力を挙げて共同戦線を張れば、政権の一つや二つは飛んでもおかしくない。

 どんな政権でもメディア利権に手をつければ、メディア全体を敵に回すことになる。政権にとっては何もいいことはない。しかし、逆に、一つ一つのメディアは意外に脆いことを、今回、安倍政権は見抜いたようだ。

 つまり、例えば記者クラブ制度を廃止すると言えば、メディアは総力をあげて抵抗してくるだろう。それは再販についても、クロスオーナーシップについても然りだ。

 しかし、例えば、優先的に総理に単独インタビューする機会を与えるとか、TPPに関するインサイド情報をリークするなど、メディアにとって大きな価値のある餌を眼前に吊せば、個々のメディアは意外と簡単に落ち、競って政権に好意的な報道しようとすることが、今回ばれてしまった。

ーでも、これをきっかけに、新聞や放送のメディアが、権力に委縮せずに批判する下地が理論的にはできたのでは?

 理論的にはそうだが、なかなかそうはいきそうにない。日本の既存メディアは政府に対して弱点が多すぎる。要するに特権を多く持っていて、インターネット時代を迎え、既存のメディアはこれまで以上にそうした特権を手放すのが難しくなっているのだ。

 これは他の国にも言えることだが、新聞とテレビの2大オールドメディアはいろいろな意味でネット時代に対応できていない。特に日本のメディアは享受している特権が大きいために、より競争の厳しいネットにフルに参入して競争することが難しい。

 そもそも特権によって護られてきた既存のメディアは人件費を含めコスト構造が極端に高いので、基本的な競争力がない。しかし、仮に競争力があったとしても、既存のメディア市場で大きな利益をあげてきた既存のメディアがネットにフル参入し、自由競争を前提とするために利益率がずっと低いネット市場でシェアを増やせば、それはより利益率が低い商品でより利益率の高い商品のシェアを食ってしまうことも意味する。自ら自分の尻尾を食っていく構造だが、ネットと既存メディアを対比した場合、尻尾を1センチ食べても、胴体の方は0.1ミリも延びない。ネットに力を入れれば入れるほど、特権的な儲かる商売を、自分から手放すというジレンマに陥ってしまう。

 例えば、今テレビで見れる番組がすべてネットで見れるようになれば、番組を見る視聴者の絶対数は減らないどころか、むしろ増えるかもしれないが、テレビの視聴率の低下による広告費の減少分をネットで補填することは不可能なばかりか、その10分の1も回収できない。それほどネットが厳しい、というよりも、それほど既存のメディア市場は美味しい。

会見は開放されたが

 記者クラブについては、これまで記者会見へのアクセスが記者クラブ加盟社に制限されていた問題が批判を受け、民主党政権で記者会見の多くが記者クラブ以外のメディアにも開放された。しかし、まだまだ問題は解決したわけではない。

 記者会見は開放されたが、それは記者クラブ問題のほんの一部に過ぎない。例えば、記者クラブというのは、政府の庁舎の中に記者クラブの加盟社だけが使える部屋を無償で提供されている。加盟社はそこに記者を常駐させ、会見の他にもレク、懇談などに自由に参加している。

 しかし、記者クラブに加盟できない社の記者やフリーの記者は、予め時間が決まっている大臣会見には参加できるが、随時行われるレクや懇談には参加できない。大手メディアの友人らの話では、記者会見がオープンになってしまったので、デリケートな話は会見ではなく、懇談など外部の記者がいない場で話されることが多くなったという。

 政府機関が特定の民間事業者のみに施設を提供し、同様のアクセスを希望する他の事業者への提供を拒むのは、行政の中立性から考えても問題は多いが、行政側も大手メディア側も、自らこの利権を手放そうとはしない。

 記者クラブメディアにとっては、これは情報への優先的アクセスだし、行政側からすれば、特定のメディアに優先的アクセスを与えることで、メディア操縦をより容易にしてくれるシステムなため、両者にとってメリットがある。

 行政とメディアがともに頬っかむりを決め込んでいる問題を解決するのは容易ではない。本気でこれを変えさせようと思えば、万全な体制を組んで裁判に訴えるほかないが、こっちもそんなことをやっているほど暇ではないし、そんな余裕もない。また、いきなり部屋をつかっていいという話になっても、すべての記者クラブにスタッフを常駐させるほどの人員もいない。

 結局、記者クラブというクローズドで特殊なシステムが存在することを前提に日本のメディア市場の秩序が形成されているため、ある日いきなりこれが変わっても、すぐに対応はできない。だから、記者クラブ制度のような、明らかに不当な、そして公共の利益に反する不公正な仕組みがいつまでも温存されてしまっているのは、日本にとって不幸なことだと思う。

統治権力に対する警戒心の欠如

ー外から見ると日本の政治メディアは権力と仲良くやっているように見える。礼儀正しい。それはシステムのせいなのか、それとも何か別の理由があるのか。

 もちろん、直接的にはシステムの問題だ。しかし、システムには元々、それを裏付ける社会の意思が存在する。社会の意思に反したシステムはいつまでも存在し続けることはできない。そこにはなぜそのようなシステムになっているのか、そしてなぜそれが容認されているのかという根源的な問題がある。

 単にシステムのせいではなくて、メディアを構成しているメディア関係者も、政治家や官僚も、そして市民社会全体としても、近代社会がどのような前提の上に成り立っていて、それがどのように回っていくことが健全なことなのかという基本的な問いに対する理解とコミットメントが欠けていると言うしかない。

 ただし、単純にこれを民度が低いとか、未熟だと言って、切り捨ててしまうのは間違っている。これは善し悪しの問題ではなくて、西洋と日本の考え方の違いだ、という主張もよく耳にする。

 ただ、そこには決定的に欠けているものが2つあると思う。

 1つは、統治権力に対する警戒心の欠如、もう一つはそれと表裏一体の関係にあるが、主権者意識の欠如だ。

 日本は戦前、当時の統治権力の暴走によって戦争に引きずり込まれ、全国民が塗炭の苦しみを味わった。それは日本のすべての人によって今でも共有されていると思うし、そう思いたいが、それは統治権力の暴走に対する警戒心という形ではなく、反戦とか戦争アレルギーといった形で日本人のDNAに刻み込まれてしまったように見える。

 つまり、統治権力の監視を怠った、あるいはそれに失敗したことの帰結としてあの戦争があったので、これからも統治権力の一挙手一投足は常に監視を怠ってはいけないという形での教訓ではなく、とにかく戦争につながるような政策を一切許さないという形でそれが残った。大変貴重な記憶ではあるが、結果的に戦争と直結しない統治権力の暴走については、日本人は総じて警戒心が弱いように見える。

 欧米のように、統治権力が暴走した結果、戦争を凌ぐ大虐殺や民族浄化のような残忍なことが国内で行われた経験がないため、いわゆる「悲劇の共有」が足りないことに原因があると説明されることが多い。

 また、今日の日本の民主主義は多くの血を流した市民革命によって得たものではなく、戦争に負けた結果、進駐してきたアメリカのGHQによって憲法ともども、棚ぼた式に上から与えられたものであることに問題があるという指摘もある。

 どちらの学説がより説得力があるかは各人の判断に任せるとしても、日本では、統治権力というものは不断の監視を行わないと、簡単に暴走するものであり、いざ暴走が始まったら、市民の力でこれを抑えることは難しいという考えが広く共有されているとは言えない。そのような悲劇を経験したことがないということは、民族としては素晴らしいことだが、それが近代民主主義の下では弱点になっているのも事実ではないか。

 それが、官僚機構の中にも、また大手メディアの中にも、下手に市民に政治参加などをさせるよりも、エリートに任せておいた方が国はうまく回るし、その方が大きな間違いはないという、エリート主義=愚民観が少なからずあるように思う。

 専門家に任せておいた方が特定の国家目的の達成のためには効率的かもしれない。しかし、その命題はそもそも大前提が逆立ちしている。

 国民は国家目的を達成するための道具ではなく、政府は国民の幸福実現のためのツールとして存在する、だから国民はしっかりと政府を操縦しなければならない、という大前提が共有されていないと、国家運営のような難しい仕事は偉い人に任せておいた方がいい、というような他力本願が支配的になってしまう。

 メディアの世界にもそのような考え方が根底にあるように思う。つまり、国家運営は官僚などの偉い人に委せ、何を報じ何を報じないかは、われわれエリート記者の判断に任せておいた方がいいのだという、考え方だ。

 だから、大手メディアに所属していない、得体の知れない報道機関の記者やフリーランスの記者などは、自分たちが長らく聖域として護ってきた政治や行政の世界に入ってこない方が、日本のためだくらいに思っているのではないか。

「偉い人にまかせておけば万事うまくいく」の罠

ーそのような状況は、ジャーナリズムにとって悪いことだろか?

 どういう社会を望むかが個々人の価値観によるのと同じように、どういうジャーナリズムを好ましいと考えるかも、個々人の価値観に依存する。しかし、現在の日本のジャーナリズムのシステムにどんな問題が存在するかは明らかだ。

 「偉い人にまかせておけば万事うまくいく」というような「エリート主義+他力本願=おまかせ主義」を肯定してしまうと、すべてが内輪で完結してしまい、外部からの監視を受けないために、癒着や腐敗が横行することが避けられない。メディアについても、その体質がメデイア全体の堕落につながっていることはまちがいない。

 大手報道機関に所属する記者の誰もが、特定の大手報道機関が政府情報に特権的なアクセスを持ち、彼らが何がどう報じられるべきかを判断し、国民はそれをありがたく受け取ればいいと考えているとは思わないが、残念ながらこれまでの日本のジャーナリズムのシステムはそのような考え方を前提としたシステムになっていると言わざるを得ない。

 もし大手メディアの記者たちにそれだけの使命感があるのであれば、それはそれで結構なことだが、それでは競争も起きないために記者の能力は上がらないし、記者クラブ固有の横並びの報道が続くことになる。恐らく、結果的に誰も幸せにならない。

 また、今日、そうした特殊な温室の中で温々とやってきた既存のメディアの記者たちが、突如インターネットの登場によって市場競争に晒されると、実はジャーナリストとしての基本的な競争力が欠如していることが露呈してしまっている。

 記者クラブの記者たちを見ていると、日頃から本当の意味での競争を経験していないので、どうすれば他社と差別化ができるのかとか、どのような取材・報道をすれば独自の視点を提供できるかといった、ジャーナリズムの最も基本的な素養が身についていない記者が多いことに驚かされる。

 そうしたノウハウは、日夜、市場競争に晒されているあらゆる産業分野では大昔から当たり前のように要求されてきた能力だったが、ことメディアについてはあまりに寡占度が高いために、そのような基本的な競争力が備わっていなくても、これまでは通用したかもしれない。

 インターネットによって既存メディアの寡占の前提だった伝送路が開放され、メディアが普通の産業として競争していかなければならなくなった。

 既存のメディアにとっては受難の時代だと思うし、これまでジャーナリズム機能を一手に担ってきた既存のメディアが弱体化すれば、一時的にはジャーナリズムの力も低下するかもしれない。

 しかし、このメディア革命が結果的に市民社会にとっていいものだったと言えるかどうかは、一重にこれからの私たちの出方にかかっているのだと思う。ただ、どっちにしても一つはっきりしていることは、時計の針を後ろに戻すことはできないということだ。

(取材:東京の外国特派員クラブにて)
by polimediauk | 2015-08-05 05:58 | 政治とメディア
 インターネット放送局「ビデオニュース・ドットコム」を主宰するビデオ・ジャーナリスト神保哲生氏に、最近の政治によるメディアへの圧力、日本の政治メディアの現状について聞いた(取材日は7月7日)。カッコ内は筆者による補足。

***

 このところ、大きな話題を集めたのが、例の新聞を「つぶす」発言が出た自民党の会合だった。6月25日、安倍首相に近い若手議員による勉強会「文化芸術懇話会」の初会合が自民党本部で開催され、これまでにない強い口調のメディア批判があったという。朝日新聞、毎日新聞、沖縄タイムズなどの報道によると、「マスコミを懲らしめるには広告収入がなくなるのが一番だ。文化人や民間人が不買運動などを経団連に働きかけて欲しい」と言った議員がいたほか、講師として呼ばれた作家百田尚樹氏が「沖縄の二つの新聞者は頭にくる。つぶさないとけない」と発言したという。同氏はその後のツイッターで、「本当につぶれてしまってほしい新聞」として朝日、毎日、東京新聞をあげた。まず、この問題から、神保氏に聞いてみた。

文化芸術懇話会の会合の本当の意味とは

ー安倍政権や自民党のメディアへの圧力については近年も幾つか目立つものがあったが、まず、今回の「つぶす」発言をどう見ているか。

神保哲生氏:自民党の文化芸術懇話会の性格が、必ずしも正確に理解されていないと思う。

 一部では私的な会合でのオフレコ発言がメディアに報道され、それが問題になるのはおかしいとの主張があるようだが、あの会合を単なる私的な会合と考えるには無理がある。

 確かに、あれは自民党の当選1、2回の若手議員の会合であり、政府の正式な会合でもなかったし、党の正規の部会や委員会の会合でもなかった。あくまで若手議員たちの私的な勉強会という位置づけということになっているようだが、しかし、実際は安倍チルドレンと呼ばれる、首相を支える立場にある若手国会議員の集まりで、しかもそこに首相に非常に近い立場にある、党と政権の幹部の二人が参加していた。

 一人は安倍さんの特別顧問を務める萩生田光一さん。萩生田さんは特に自民党でメディア対応の窓口となっている人で、前回の総選挙の直前に、萩生田さんの名前で、報道機関に対して公立中性な報道を要請する書簡が届いたことは周知の事実。

 その書簡は、中立性を損なったとしてテレビ朝日の報道局長が国会に証人喚問された件((注:「椿事件」:1993年にテレビ朝日が放送法で禁止されている偏向報道を行ったと疑われる事件)を「以前にこういうことがあった」という形で仄めかすことで、放送局を威嚇する内容だった。

 会合に参加していたもう一人の首相側近は、加藤勝信官房副長官。官房副長官なので、日頃から総理官邸で首相を補佐する立場にある。いずれも首相と日常的に直接会っている人たちだ。

 萩生田さんは4回当選で、加藤さんは5回当選なので、本来は今回の若手の会合に顔を出すような立場の人ではない、言うなれば大物だ。他の参加者がいずれも1、2回生だったことから、安倍さんの若手応援団の会合に首相の代理としてその側近中の側近の2人が参加しているというのが、あの会合の位置づけだった。ちなみに自民党の1、2回生というのは、いずれも安倍政権になってから初めて当選した人たちだ。

あえて政権中枢の大物を招いた

 つまりその会合には、あえて官邸と党の首相側近の二人が招かれていた。もしあれが若手議員だけの集まりであれば、メディアも取材はしていないかもしれないし、その場での発言内容があそこまで大きく報じられることもなかっただろう。

 しかし、あえて政権中枢の大物を招いて、なおかつあえて、保守的な立場から物議を醸す問題発言を繰り返している著名なベストセラー作家の百田さんを呼んでいる。そうすることで、意図的に会合の注目度を高めている。つまり、そこでの発言をあえてニュースに取り上げられやすいように、しっかりと「メディア対策」を講じているということだ。

 しかも、聞いたところでは、あの会合はメディアに頭撮り(注:冒頭部分をメディアに公開し、映像や写真の撮影を認めること)をさせている。これもまた、メディアに取り上げてもらうことを意図した「メディア対応」をしているということだ。

 会合の参加者などからは、会合自体は非公開であったにもかかわらず、記者が壁耳(記者が壁に耳を当てて部屋の中の話を聞くこと)をして内容を盗み聞きしたことに対する批判も聞かれたようだが、それもおかしな話だ。

 あえて話題作りのための様々な設定を施し、メディアに頭撮りまでさせた上に、会合ではわざわざマイクを使って、外からでも声が聞こえるように大きな声で話していた。私的な会合で、外部に聞かれては困る話を、マイクを使って大声でやるだろうか。

 要するに、どう見ても「私的な会合」とはとても言えないような設定を、自ら率先して図っていたということだ。

 これは、頭撮りの段階で既に今日は徹底的にメディア対策を議論するぞ、というポーズとも脅しとも受け止められる発言をしてみせることで、「統治権力はメディアのことを厳しく監視しているし、その対策も色々考えているぞ」というメッセージを発するところにその目的があったと考えるのが普通だ。

 もしそれを意識せずにやっていたとすれば、あまりに素人すぎて、お話にならない。国会議員や政権というものが持っている権力の存在をおよそ認識できていないことになり、政治家失格と言わねばならない。

 もしそれを意図的にやっていたのであれば、発言が暴走気味になったことが批判されたくらいで、簡単に旗を降ろしてしまうとは、何とも情けない。

 首相に近い人たちが参加する政権与党の政治家の会合で、メディアへの圧力のかけ方がまことしやかに議論された。そして、そこでのやりとりが問題になると、あれは私的な会合だったと言い訳するのは、権力の座にある者としては、あまりにも見苦しい。

 最近は安保法制の国会審議で、憲法学者が口を揃えてこの法案を「違憲」と断じて以降、大手メディアも勇気づけられたとみえて、いつになく安倍政権に対して批判的な報道を続けている。

 それが政権を逆風に晒している一因となっていると考えた政権周辺の人たちが、メディアを牽制するための1つの手段として、あのような会合を企画したところ、逆に、やぶ蛇になってしまい、かえって批判に拍車が掛かってしまった。まあ、だいたいそんなところではないか。

 しかし、それにしても、言っていいことと言ってはいけないことの区別が付いていない人たちがあんなにいるということには、正直驚いた。

 あの会合での発言は問題外の発言なので、それを批判をすること自体は大切だが、それはあまりにもレベルの低いところの議論でしかない。

 この問題はもっとずっと根が深い。だから、問題発言をした政治家を批判するだけで終わってしまってはだめだ。

メディアが圧力に脆いことに気づいた政権

 安倍政権になってから、メディアに対する露骨な圧力が目立つようになった。これは安倍政権が、日本の大手メディアが意外と圧力に脆いことに気づいた結果だと思う。

 実際に経団連に頼んでメディアへの広告の出稿を減らしてもらうことなど、現実的ではないし、経団連に広告を減らすよう言ったところで、経団連の会員企業が実際に広告を減らすとはとても思えないし、沖縄の新聞を潰す話にしたって、彼らに認可業種でもない新聞を潰す手立てなど何もない。

 しかし、政権与党がそのようなメッセージを発すれば、メディアは厭が応にもそれを意識するようになる。

 いざ真正面から圧力がかかればメディアも抵抗するだろうから、実際に圧力をかけて報道内容を変えさせることは容易なことではないが、特に日本ではそうした発言でメディアを萎縮させ、自主規制を引き出すことがそれほど難しくないことに、権力が気づいてしまったような気がする。

 今回の若手の会合は批判を受け、それが安倍政権にとっても支持率の低下など、よりいっそうの悪影響を与える結果となった。しかし、長期的にそれがどのような波及効果を生むかは、現時点ではわからない。

 目先では百田氏に対する批判とか、参加していた議員の発言への批判とかが目立ち、結果的に政権与党にとっては誤算となっているが、「この政権は常にそういうことを考えながら、メディアを厳しくウォッチしているぞ」というメッセージだけは、確実にメディアに伝わっている。その意味では、長期的にはこの会合を開催した当初の目的は果たしていると見ることができるからだ。

メッセージ効果

ーメディアを怖がらせてしまった?

 あれしきの発言で萎縮する記者はいないだろうが、メディア企業の経営陣に対する一定のメッセージ効果はあったのではないか。

 テレビ朝日の「報道ステーション」とか、TBSの「報道特集」のように、大手メディアの中にも現時点では安倍政権に対して厳しいスタンスの報道を続けている番組がいくつかはある。

 同じ放送局の他の番組では必ずしも同様の政権批判スタンスを取っていないことを見ると、これらの社内にも色々な考えがあることが窺える。例えば、社内で政権批判路線を快く思っていない人が、今回の一件でスポンサーがびびりだしているなどと言って、政権批判を控えるべきだと主張し始める可能性は十分にある。

 今回の会議自体はやり方も稚拙だったし、内容がひどすぎた。しかし、これを安倍政権になってから続いている、ある種の「メディア・コントロール」の一環として理解することは重要だ。

 文字通り、飴と鞭を使ってメディアをしっかり押さえることが、政権を安定させ、政権が持つ政治的なアジェンダ(達成目標)を実現する上では不可欠であることを、安倍政権は前回の政権時に痛いほど思い知ったのだろう。今回、安倍政権が戦略的にメディア対策を行っていることは間違いない。

 統治権力がメディアに手を突っ込むことには警戒が必要だが、どこの国でも政権はメディア対策に力を入れるものだ。安倍政権のメディア対策は、決してそれほど高度なものとは思わない。しかし、特に長年政治とメディアの蜜月が当然視されてきた日本では、メディアの側がそれしきのメディア対策にも太刀打ちできていないところが、とても心配だ。

日本における、報道の「中立性」とは何か

ー政治家が特定の報道メディアの取材を拒否する、あるいは政党が報道番組への出演を「公平さを欠いている」という理由で出演を事実上拒否するというも近年、あった。そのほかにも似た様な事例があるが、今回の例も含め、政治が戦略的にメディア対策を進めているということか。

 安倍さんあたりは戦略的に動いているというよりも、心底、日本のメディア報道が偏向していると思って怒っている可能性はあるが、そもそも首相のそうしたキャラクターも含めてメディア対策を考えるべきだ。

 安倍さんは「ニュース23」という番組に出た時に、街頭インタビューを聞いて、自分の政策を批判する人が多く出ていたことに怒りを露わにした。政策を支持する人もいるはずなのに、報道が偏向していると言うのだ。

 実際のオンエアでは政策を支持する人も何人かは紹介されていたようだが、人数的には批判の方が多かったそうだ。しかし、そもそも街頭インタビューというのは世論調査ではないので、そこでの賛成・反対の比率に何か重要な意味があるわけではない。

 「賛成の人はどういう理由で賛成なのか聞いてみました」と言って、賛成の意見だけを集める企画があってもいいし、その逆があってもいい。そんなところにメディアの「中立性」を求めるのは間違いだし、編集権の侵害だ。それは中立性の問題ではなく、単に「平板」な報道をしろと言っているに過ぎない。

ーその安倍さんの発言自体も批判されたが。

 若干裏話になるが、例えば安保法制について、今、実際に街頭でインタビューをすると、圧倒的多数が安保法制には反対だと言う。そこには、あえてマスコミの取材に応じようという人の中には、何かに反対していたり怒っていたりする人が多い傾向があることからくる、メディア特有のバイアスの部分もある。しかし、仮に実際の街頭インタビューをした結果、9割が反対意見だったとしても、放送局としては9人の反対意見と1人の賛成意見を紹介することは憚られるだろう。局としては、あえてバランスをとって、実際の比率以上に賛成意見を多く紹介している。

 安倍さんの主張が正当だとすれば、局はむしろ取材結果を曲げて、政権への賛成意見を水増しして報道したことになる。政権にとって都合のいい偏りは許されるがその逆は許されないというのでは、全体主義国家だ。

 日本では報道の中立性という時の中立性の意味が、かなり初歩的なレベルで誤解されているように思う。中立とは真ん中に立つことではない。賛成意見と反対意見を同じ分量だけ報じれば中立性が担保されるわけではない。

 この話を始めると長くなるが、ジャーナリズムにおける中立性の最も初歩的な定義は、どこに立つかは記者自身、あるいは報道機関自身の判断に委ねられているが、そこに立った上での報じ方については、ジャーナリズムのルールに則らなければならないというもの。

 そして、そこでいう基本的なルールとは、批判は自由だが、批判をする以上、批判をされた側に反論の機会を与えなければならないというもの。中立というと、どうしても真ん中という意味に受け取られるので、中立・公正、もしくは公正原則(フェアネス・ドクトリン)と言った方がわかりやすいかもしれない。

 これが日本での例え話として適当がどうかはわからないが、自分がアメリカのジャーナリズム・スクールで学んでいた時に教わった例は、フェアネス(公正さ)とは何かを理解するためには、裁判をイメージするとわかりやすいということだった。つまり、被告の罪を立証するためにどこを攻めるかは、それこそ検察の裁量に委ねられるべきものだが、その裁判が公正(フェア)なものであるためには、検察が証人なり証拠なりを立てて一箇所を攻めてきたなら、必ず弁護側にも反証、反対尋問の機会が与えられなければならないというものだ。

日本のメディア産業の特殊さ

ーイギリスでは「インパーシャル」(偏らない、公平な、という意味)という言い方をしてる。Aという見方と、Bという見方がある、と。この2つの見方を出して、それで公平さが担保された、と見る。「取材に応じなかった」という一言でも出す。その点では、日本のメディアは傷つきやすい位置にあるのではないか。「中立で」と言われたら、議論を返せないような?

 それは重要な論点だ。日本のメディア産業は、かなり、世界のメディア産業の中でも特殊な性格を持っている。

 それは日本のメディア、とりわけ新聞とテレビと通信社が、あまりにも大きな特権を享受しているという点だ。そしてその特権はいずれも政治との関係において与えられているものだ。そのため、欧米基準でのインパーシャリティ(中立性)が担保されていたとしても、日本のメディアは政治からの要求をそう簡単には無視できない、ある種の弱みがある。

 その中には最近結構知られるようになってきた記者クラブという制度もある。他にも日本では新聞社が放送局に出資する上で全く制限がないこともその中の一つだ。いわゆる、クロスオーナーシップと呼ばれるもので、その制限がないために日本では5つの全国紙を中心に大手メディアがことごとく系列化し、コングロマリット化している

 これは、メディアの多様性を担保する上でも障害になっているし、新聞とテレビという世論に最も影響力を持つ2つのメディア間に相互批判が起きないという意味でも、日本のメディアの腐敗や堕落の重大な要因となっている。しかし、こうした特権はその一方で、特権の恩恵を受けているメディア企業には莫大な利益を約束してくれる貴重な経営のリソースとなっている。

 他にも、たとえば日本の新聞は世界でも希な再販価格維持制度(再販制度)というものによって守られていて、市場原理の競争から免除されている。新聞社が一定の利益が出る水準で販売価格を決定し、販売店に対しその値段で売ることを強制することができる。電力会社の総括原価方式と似ていて、元々利益を確保した価格に設定されているので、新聞社は利益が約束されるビジネスとなる。

 日本は市場原理を採用する資本主義国家なので、製品の値段は本来は市場が決めることになっているが、この制度の下では、価格が統制され、販売店は勝手に値下げすることができない。

 これは、戦後、日本がまだ焼き野原からなんとか復興しようとしているときに、新聞という公共財を過当競争に晒してしまうと、例えば公共性の高い良質な新聞が競争に負けてしまい、商業主義優先のセンセーショナルな報道をする新聞だけが残ってしまうかもしれない。それが戦前の翼賛体制を礼賛する新聞を生んだという反省もあり、日本は戦後、再販制度で新聞を守ることを選択した。

 その結果、新聞は短期的な競争原理から解放され、利益が約束される中で、ある程度長期的な計画の上に立った経営や報道が可能になった。その利益で全国に販売網を整理して、今日の非常に安定した新聞産業の基礎を築くことができた。

 インターネットの時代に日本の新聞がまだ比較的安定している最大の理由は、販売網が整備されているため、広告費への依存度を低く抑えられているからだ。また、主要新聞は世界でも群を抜く発行部数を持つようになった。日本の人口は1億2千万で世界で10番目だが、読売と朝日は世界でも1位と2位の発行部数を誇る。

 私自身は戦後、再販で新聞を守り、新聞社が全国津々浦々まで販売網を整備したことは、先人たちに先見の明があったと思うし、大正解だったと思う。

 しかし、未だに市場原理に逆らって消費者から余分な料金を徴収することで、世界で最も巨大な新聞社を未だに守っているのはおかしい。しかし、なぜそれが変えられないかと言えば、再販によって守られたらばこそ新聞社は世論に強大な影響力を持つようになり、その影響力を使って再販に対する批判を抑圧したり、それを擁護しているからだ。

 また、本来は再販の直接的な当事者ではないテレビも、クロスオーナーシップによって新聞社と系列化しているため、新聞社にとっては虎の子の再販問題を一切扱わおうとしない。

 忘れてはならないのは、再販は市民にとっては取るに足らないマイナーな問題ではないということだ。一般の市民が毎日、新聞や書籍や雑誌を買うために支払っている料金が、日本では再販によって統制され、実際の市場原理よりも高いものになっている。消費者は本来必要な値段よりも余分にお金を支払って新聞社や出版社を守っている。守りたいと思って守っているのであれば、それでも構わないが、余分にお金を払っていることを知らされていないため、自分たちがそれを守っているという意識もない。

 しかも、余分なお金を出して守っているという意識もないので、その前提にある「公共性」を要求するマインドも起きない。新聞社はそうして溜め込んだ利益で、不動産投資をしたり、クロスオーナーシップ規制がないのをいいことに、全国の放送局に出資して、役員を天下らせたり、他の新聞社を買収して傘下に収めたりしている。一体、消費者の中に、そんなことのために新聞に本来よりも余分なお金を支払わされていることを自覚している人が、どれほどいるだろうか。

なぜ政権に近づく必要が?

 記者クラブとクロスオーナーシップ、再販の3つを私は日本のメディアの三大利権と位置づけているが、そうこうしているうちに、大手メディアはものすごく大きな特権を享受することが当たり前になり、その特権を維持するために、どうしても政治に近いところにい続ける必要がでてきた。

 例えばテレビ局と、テレビ局を管轄する総務省は、当たり前のように人事交流をしている。テレビ局の職員が総務省に出向している。それは、総務省の行政機能をいろいろと勉強するためとか言っているけれど、実際は自分たちの生殺与奪を握る監督官庁から情報を得るためだったり、ロビーイングするためだったりする。報道機関としては取材対象であるはずの政府の部局に、職員を人質として差し出すようなことを平気でやっているのだ。

政府が直接放送免許を出す日本

 日本では総務省は放送免許を付与する主体だ。日本では放送免許の付与が、アメリカのFCC (連邦通信委員会、電報・電話・放送などの事業の許認可権をもつ独立行政機関)とか、イギリスのオフコム(放送通信庁。放送・通信分野の独立規制・監督機関。放送・通信免許の付与権を持つ)のような、第3者機関方式になっていない。政府が直接、放送免許を出している。

ー独立性の面で、問題だ。

 その通りだ。政府はメディアとして監視をしなければならない対象だ。そこから放送事業の命綱となる放送免許を頂いている。

 実は、戦後の直後は日本にもアメリカのFCCやイギリスのオフコムのような制度があった。GHQは戦前、放送が翼賛体制を支える一翼を担ったとの反省の上に、電波監理委員会という独立した機関を設立した。

 しかし、日本がサンフランシスコ講話条約に署名して主権を回復したのが、1951年の9月8日、条約が発効して主権を回復したのが1952年の4月28日だが、何とその年の7月31日には郵政省の設置法が改正され、電波管理委員会は廃止されている。再び放送が国家管理に戻ってしまった。

 主権を回復した日本で、吉田内閣が最初にやったことの1つが、独立して放送を管理する電波監理委員会を潰し、放送を国家管理の下に戻すことだった。以来、日本では放送の国家管理が続いている。

ー公的な組織に委ねられないだろうか。

 実は民主政権の時代に、原口総務大臣が民主党は日本版FCCを目指すという発言をしているが、大手メディアはどこもそんなことは報じなかった。(神保氏がやっている)「ビデオ・ドットコム・ニュース」は重要な改革の一つだと考え、結構力を入れて報じたが、マスメディアが軒並み黙殺したニュースは、それほど大きなニュースにはならない。

 ビデオニュースのような小さなメディアが報じたニュースが、後にマスメディアにも取り上げられた大きなニュースになった例はいくつもあるが、このニュースに関してはマスメディア側に「報じない」インセンティブが働いているため、ほとんどニュースにはならなかった。マスメディアがこれをニュースにしないことに成功したと言った方がより正確かもしれない。

 メディアが横並びで黙殺したり、明らかに論点化を避けたがっている問題に踏み込むことは、メディア関係者はもとより、政治家も一般の企業人も、できれば避けたいこととなる。誰も大手メディアを敵には回したくない。ましては、大手メディア全体を敵に回すことなど、もってのほかだ。

 企業にとってもメディアとの関係は重要な経営資源になる。メディア関係者に至っては、大手メディアを敵に回せば、仕事がこなくなる。政治家だって、必ずしも市民の間に、そのような問題意識がないところで、メディア問題の手を突っ込んで、メディアを敵に回すばかりか、言論への介入だなどの誹りを受けるくらいなら、問題を避けて通りたいと考えるのは当然のことだ。(「下」につづく)
by polimediauk | 2015-08-04 03:09 | 政治とメディア