小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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カテゴリ:政治とメディア( 235 )

 一年ぶりに東京に来てから10日ほどが過ぎた。特定秘密保護法が成立するという大きな動きがあり、非常に興味深い日々が続いている。

 ソーシャルテレビ、テレビの将来関連のイベントなどに出て、日本のテレビの先端は熱いことを実感した。(「ソーシャルテレビ推進会議」の模様を「あやとりブログ」に書いています。ご関心のある方はご覧ください。)

***

 米NSA報道によって米国と欧州諸国の政治層に亀裂が入った話について、週刊東洋経済11月30日号に書く機会があった。少し時間が過ぎたが、筆者記事「核心リポート」に補足したのが以下である。

 この記事の後の状況を、ドイツのニュース週刊誌「シュピーゲル」ロンドン支局長に聞いてみた。その話を読売オンラインの筆者コラムに書いている。あわせて目を通していただけたら、最新の事情が分かると思う。(33)独誌支局長に聞くNSA報道の舞台裏


「スノーデン」で大揺れ 敗戦国ドイツの悲哀

 ドイツのメルケル首相の携帯電話が米国家安全保障局(NSA)によって盗聴されている――そんな衝撃的な疑惑が明らかになったのは10月の独誌の調査によってだった。

 国家権力による監視の記憶が消えない旧東ドイツ出身のメルケルは、これまでも「私の電話は盗聴されているでしょうね」と冗談交じりに語ってはいた。しかし、想定していたのはイランや中国からの不正アクセス。同盟国の米国ではなかった。
 
 6月以降、複数の主要欧米メディアがNSAや英国の通信傍受機関、政府通信本部(GCHQ)による大規模な情報活動を報じている。その情報源は元米中央情報局職員(CIA)のエドワード・スノーデンだ。数百万人単位の米国市民の通話記録を収集していること、大手ネット企業のサーバーへのアクセス、国連や欧州連合(EU)在米代表部での盗聴行為などが暴露され、10月からは欧州各国でのNSAの活動が明るみに出た。

 しかし、ドイツの指導者層が「ショックと怒り」に見舞われ、対米関係が「大きく揺らいだ」と感じたのが、メルケルの携帯電話盗聴だった。

ファイブ・アイズ

 世界の主要国が互いにスパイ行為を行っていることはどの国の首脳陣も認識しているが、外交には表と裏がある。首相クラスの電話の会話を同盟国が盗聴し、かつその事実を知らなかった、とは対外的にも国内的にも二重の恥だ。

 しかも、これまでNSAの情報収集活動に対する批判に対し、なだめるような態度を見せていたのがメルケル首相。6月末に訪独したオバマ米大統領は、情報収集と国民の権利を守るという点について、「米国は適切なバランスを取っている」と述べ、この発言を信じた。8月半ばには「もうスノーデン事件は一段落した」ともらした独政府高官もいたという。

 10月末、米大統領広報官は、メルケルの携帯電話を過去に盗聴していたことを事実上認めた。一方のキャメロン英首相の携帯電話については過去、現在、将来も盗聴していないとし、英独の差が出た。

 そもそも米国は英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドとともに「ファイブ・アイズ」と呼ばれる協定を結び、諜報情報を共有するとともに、互いへのスパイ活動を禁じている。この協定は米英2国間で第2次世界大戦後に始まり、独仏は加盟していない。

 しかし、いうまでもなく諜報活動は各国が行っている。オランド仏大統領はフランス市民へのNSAによる情報収集を「受け入れられない」と非難したものの、フランス自身も国内情報中央局(DCRI)や対外治安総局(DGSE)が巨大な情報収集体制を築いている。

 「正直になろう。こちらも盗聴はしている。誰でもやっている」とベルナール・クシュネル元外務・欧州関係大臣は公共放送ラジオ・フランスの番組(10月22日放送)内で発言した。「米国ほどの(大規模な)収集手法を持っていないだけの違いだ」。世界をまたにかけた高度な情報収集を実行できる米国に「嫉妬している」と付け加えた。

 ドイツにはミニNSAともいえる連邦情報局(BND)がある。現在はNSAからの諜報情報に大きく依存しているが、ゆくゆくはさらに組織を拡大することを独政府は望んでいる。

ドイツへの冷たい対応

 現実主義者のメルケルは、ファイブ・アイズのような関係を米国と持つために、次の一歩を進めている。11月第1週に自国の情報機関幹部らを米国に送ったのだ。

 これは、独米間の「信頼関係の再構築」の一環として、NSAやCIA幹部らにドイツからの情報収集の詳細を聞きだし、「二国間同士でスパイ行為を行わない」との確約取り付けを狙ったものだった。

 しかし、11月12日付けの独シュピーゲル誌が伝えたところでは、ドイツ側は新たな情報を得ないまま帰国したようだ。米側は、スノーデンが持っているドイツ関連情報、スノーデンが業務を離れた5月以降の諜報情報を「ドイツ向けパッケージ」として提供する用意があると持ちかけただけだったという。

  ファイブ・アイズの長い歴史、9・11テロの実行犯らが独ハンブルグで飛行機の運転研修を受けていた、といった要素を考慮しても、実に冷たい対応といえる。

 筆者は11月6日、ロンドンで開催されたイベントで次のようなシーンを目撃した。シュピーゲルのロンドン支局長クリストフ・シューアマンが「ファイブ・アイズのような連携を米国はドイツと交わすべき」と発言したところ、英情報機関MI6の元幹部ナイジェル・インクスターが首を横にふり、「いったいドイツは何を提供できるのか」と繰り返し聞いていた。「何もないのだから、入れてやらない」とでも言いたげであった。

 巨大な情報網を築くNSA、その子分的存在のGCHQ。この米英連携による諜報情報の収集体制に、事実上頼らざるを得ない欧州。この構図はスノーデン後も変わらない。米政府側がどれほど好き勝手に情報を収集していても、欧州は文句を言いながらそれについていかざるを得ない。

 スノーデンは、NSAの強権ぶりと米英と欧州諸国との力関係を、残酷に浮き彫りにしたといえる。

 欧州の米国への不信感はNSA問題の発覚前から存在してきた。その根の1つがグーグルやフェイスブックなど米大手ネット企業の世界的な躍進への反発だ。プライバシー侵害や、不当に自国のビジネスの利益を阻害する行動があれば、これを停止する動きが出る。9月、仏政府はフェイスブックに対し新しくなったプライバシー設定の詳細な説明を求めた。これより先、独新聞界はグーグルとニュースサイトの記事掲載でもめた経緯がある。

 複数紙の報道で米ネット企業の利用者の情報がNSAに流れていると指摘された後で、米国にあるデータセンターを使わないネットの仕組みを作ろうという動きがここ何ヶ月かの間に発生している。独テレコムは「ドイツ製の電子メールサービス」を提供しており、ブラジルやEUは米国のデータセンターを通さないネット空間を作ろうとしている。こうした「ネットの囲い込み」を、「最も解放された通信の場」として発展してきたインターネットを阻害する動きだと英フィナンシャル・タイムズ紙は見る(11月1日付)。「世界を一つにまとめる公的空間を各国のクラウド網の寄せ集めに変形させれば、世界経済は大きな打撃を受ける」と警告する。

 NSA・GCHQによる情報収集活動の暴露報道は、インターネットの将来をも変える可能性がある。
by polimediauk | 2013-12-12 22:27 | 政治とメディア
誰が国家機密の報道範囲を決めるのか?

 この問いを、もし「誰が決めているのか」という問いに変えた場合、その答えは、「独立した民主主義国家であるならば、メディアが決めている」になるだろう。国家・政府側が好むと好まずにかかわらず、である。

 英国は、米国の憲法修正第一条に匹敵するような報道の自由をうたう法令を持たないが、特定の組織のみが印刷を許されていた時代から、メディアや市民が報道の自由を勝ち取ってきた歴史がある。歴史のある時点では違法とされた事柄(例えば、18世紀後半まで議会報道は違法だった)を報道することで、自由の度合いを広げてきた。

 国家機密は「機密」とする区分けがはずされない限り、外に出してはいけない情報になる。しかし、過去の例が示すように、メディアは機密であってもその報道が公益になると判断した場合、そうしてきた。

 報道機関の役割は(少なくとも英国のメディアに関しては)権力側に責任説明を持たせ、国民の目から隠していることを明るみに出すことだ。この点において、国家のために機密を維持する権力側と報道機関側は対極の位置にいる。両者の見方がかみ合うことはないであろう。交わらない、平行線の関係だ。

 表題の「誰が(国家)機密の報道範囲を決めるのか?」には、「誰が決めるべきか」という意味合いがある。つまり、国家の機密など、その国に多大な影響を及ぼす(と思われる)事柄についても、メディアはこれをタブーとせずにどんどん報道してよいのだろうか、という問いである。

 今回の英ガーディアン紙が主導したNSA報道については、英国ではさまざまな見方がある。

 ここで、ガーディアンの報道を批判するジャーナリストの見方を紹介してみよう。

ガーディアンは「傲慢」?

 タイムズ紙などに寄稿するジャーナリスト、デービッド・アーロンビッチは、BBCのラジオ番組「分析」(10月7日放送)で、「国家の機密を報道するかしないかを、一メディアが決める状況は好ましくない」と述べた。「決定はもっと中立の存在が決定するべきではないか」。

 これに対し、ガーディアンのアラン・ラスブリジャー編集長は、「メディアでもなく、政府でもなく、そのような決定を行える第3者的存在はない」と番組の中で反論した。スノーデン報道では「米英の諜報活動に損害を与えないか、人命を危険にさらすことはないかを十分に吟味した」と説明する。

 報道の意義については、「インターネットで新たな状況が出現している。世界中のすべての人について、すべてのことについての情報をネット上で収集する能力を国家が持てるようになった。誰がどんなことを考えているかさえ分かる。こんな状況を指摘して見せたのがスノーデンだった」。

 一方のアーロンビッチは「国家には国のために機密を維持する権利がある」、「傲慢」な「ガーディアンのような報道を支持しない」という。

 また、「国家権力はこれまでにないほど、ネット上の危険にさらされている」と指摘する。

 これは、インターネットがテロリズムや犯罪の前哨戦になっている上に、国家権力の拡大を嫌う政治思想「リバタリニズム」を持つと公言したスノーデンや、あるいは戦争の事実を広く知らせることを目的にウィキリークスに情報をリークしたマニングのように、国家の機密にアクセスする職に就いた人々が義憤に駆られて比較的簡単に機密を暴露しやすい技術環境が実現しているからだ。

 テクノロジーの進展というのは、「スノーデン事件」を理解する、あるいは議論するときの要点の1つだろう。

 米国と歴史的・政治的に近い関係にあり、軍隊を持ち、情報機関同士が密に連絡をとりあう英国にいると、今回の国家機密暴露事件において、ガーディアン側が絶対に正しいとも、機密を隠したがる側を頭から「悪者」とするわけにもいかない。実際はもっと複雑なのだ。

国民はどう考える?

 NSAやGCHQがある米英の国民に聞いてみると、世論調査では政府側支持とガーディアン側支持とがほぼ拮抗している。

 拙稿でも見たのだが、英調査会社ユーガブによる10月中旬の調査では、情報機関による監視力が「ちょうどよい」と答えた英市民が42%でトップを占めている。さらに22%が「もっと拡大したほうがよい」と考えている。「巨大すぎる」(19%)、「分からない」(17%)はその後だった。

 また、米テッククランチが11月5日に発表した調査では、NSAの情報収集手法を「支持する」と答えた米国民が51%を占めた。外国の首脳への通信傍受・盗聴行為を「テロ捜査のために容認する」(57.4%)が、「容認しない」(42.6%)を上回っている。

米英の違いは?

 米国では何度か「監視するな」という抗議デモが起きているが、9・11テロや7・7ロンドンテロがあった両国の国民は、情報機関の存在の意義を否定しているわけではない。

 英国では、ガーディアン以外のメディアは、左派系全国紙インディペンデントも時折大きく報道するが、この2紙以外の報道はそれほど目立つものではない。

 一つの理由は、「ライバル紙のスクープを大々的に報道しない」というスタンスがあるからだといわれている。といっても、2010年のウィキリークス報道(これもガーディアンが主導)では、他紙もある程度大きく扱っていたように記憶しているのだが。

 英ジャーナリスト、ジョナサン・フリードマンはニューヨーク・タイムズに寄せた論考(11月8日付)の中で、英国民の中に情報機関への信頼感がある、と書いている。

 米国では政治の主人公は国民だという思いがあるが、英国では、政府は「女王様の政府」であり、国民は臣民と考える。このため、権力が上にあって、臣民たる国民はその一部を垣間見るだけーという形に慣れているのではないか、と指摘している。

 スノーデン報道は続いており、情報活動の実態の暴露は今後、さらに深まりそうだ。しばらくの間、どんな分析も「途中経過の報告」にならざるを得ない感じがしている。(終)

***

補足

 最後に、「国家権力と英メディア」というテーマからは少々外れるが、気になっていることを挙げておきたい。

 スノーデン報道は政府による隠密の情報収集活動の暴露だった。これについて議論が発生するのは、ネットを安心して使うためにも重要な動きだが、全体を俯瞰する視点も必要ではないだろうか。

 例えば、政府側が「テロ撲滅」などの理由で情報収集をしていると国民に説明するとき、その「敵」がどれほど巨大で違法な活動をしているのかが、よく見えない・分かりにくい。

 確かにNSAの存在は巨大だが、他国の情報機関との連携の度合いや、サイバー犯罪の規模・現況、そのほかのネットワークなど、まだまだ外に十分には出ていない情報がある。大手ネット企業による情報収集と保管についても十分な解明がなされていないのではないか。

 私たち市民が気に留めるべきネット上の「監視」活動の中で、外に出ている・知られているのは全体の中の一部だーそんな感覚を自分は持っていることを記しておきたい。
by polimediauk | 2013-11-15 19:41 | 政治とメディア
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(ガーディアンのNSAファイルのウェブサイト)

 国家権力と英メディアという観点で、いくつかの事件を紹介してきた。最後の例として、エドワード・スノーデン元米中央情報局(CIA)職員のリークによる、米英の情報機関(米国家安全保障局=NSA,英政府通信本部=GCHQ)の監視行動についての報道を見てみよう。

 6月初旬の初報後、英ガーディアンや米ワシントン・ポスト紙が主導し、ニューヨーク・タイムズ紙、香港のサウス・チャイナ・モーニング・ポスト紙、独シュピーゲル誌、仏ルモンド紙のほか、イタリア、スペイン、ブラジルなど世界各国のメディアが報じている。

 以下は国家権力と英国のメディアという2つの大きなパワーのせめぎあいを見る目的でまとめたものだ。全貌ではないことをご了解いただきたい(人名は敬称略)。

スノーデンとNSAファイル事件(ガーディアン紙ほか)

 スノーデンは、「米国民が政府による大規模な監視下に置かれていること」に義憤を感じ、情報リークを決心したという。

 NSAやGCHQによる大規模情報収集の状況が大きく報道された直後、米英の政府首脳陣は国民を心配させないような発言をしている。

 オバマ米大統領は「100%の安全が保障され、かつ100%のプライバシーが守られて、まったく不都合なことが起きないーということはありえない」と述べ、ヘイグ英外相は「法を遵守する市民は、心配することはない」と発言した。

 水面下で、英政府側はスノーデン氏が持ち去った情報を奪回するために動いていた。報道直後からガーディアン紙に対し情報の返還を迫り、7月、ロンドンのガーディアン本社を訪れ、政府高官の眼前で情報が入っていたコンピューターのハードディスクを破壊させた(アラン・ラスブリジャー編集長のブログ、8月19日付)。

 情報はすでに海外の報道機関の元にも保管されており、ガーディアンのコンピューターのハードディスクを物理的に破壊しても、情報そのものを削除したことにはならない。政府側には不当に盗まれた情報を元にして報道を行うメディアに対し、物理的不都合を引き起こすことができることを示す、威嚇行為に見えた。

 編集長がブログを書いたのは、8月18日に発生した、別の事件がきっかけだった。

パートナーの拘束

 NSA報道の記事を書いてきた米国人ジャーナリストのグレン・グリーンワルドはリオデジャネイロに居住しているが、パートナーとなる男性デービッド・ミランダがドイツを訪問し、自宅に戻る途中で英ヒースロー空港に立ち寄った。ここでミランダは英当局に9時間近く、拘束された。

 ミランダは、ガーディアンが旅費を出す形で、ドイツにいる米国人の映像ジャーナリスト、ローラ・ポイトラスを訪ねていた(旅費負担は後で判明)。ポイトラスはグリーンワルドとともに初期からNSA報道にかかわっており、独シュピーゲルにも記事を書いている。

 英テロリズム対策法の下で拘束されたミランダは、携帯電話、ラップトップ、メモリースティック、付属のハードディスクなどの所持品を取り上げられた。電子メールやソーシャルメディアの利用パスワードなどを聞かれた。「教えないと刑務所に入れると言われた」という。

 8月20日、ミランダは高等法院に訴えを起こし、拘束が合法であったことが確立するまで、押収した所持品の捜査を停止するよう求めた。22日、高等法院は「国家の安全保障以外の目的での捜査停止令」を出した。実際には「高度に慎重に扱うべき資料が存在している」という理由から、テロ事件捜査班が捜査中だ。

 30日、高等法院で本件についての政府側の説明によると、押収品の中には「5万8000件以上の国家安全保障上の機密書類」があったという。

 今月6日と7日、高等法院でロンドン警視庁と内務省の弁護側が拘束の正当性を説明した。ミランダが所有していた機密書類が「アルカイダなどに渡る可能性があった」(内務省弁護士)、「ウィキリークスの例のように、書類の内容がウェブサイトにアップロードされてしまう危険があった」(警視庁の弁護士)。

 ミランダの弁護士は、法律の適用が「過度だった」、「ジャーナリストには政府の行動を詮索するという民主主義社会の義務がある」と述べた。

 裁判の結果は、後日、出る予定だ。

政府、当局からの批判

 10月に入り、報道は国益に反する行為だという批判が政府関係者から続々と出るようになった。

 同月9日、英「MI5」(国内の治安維持に従事する諜報機関)のアンドリュー・パーカー長官は報道陣に対し、GCHQの情報収集手法が明らかにされたことで英国の安全保障に「損害が生じた」と述べた。

 23日には保守党議員ジュリアン・スミスの呼びかけで、ガーディアンの報道と国家の安全保障への影響について議論の場が設けられた。「諜報機関の手法が公開されれば」、テロリスト側の行動が変わってしまう、と安全保障問題担当の閣外大臣ジェームズ・ブローケンシャーが述べた。スミス議員はGCHQの内情を報道したガーディアンは「報道の自由を行使したのではなく、国の安全保障に破壊的な効果をもたらした」と述べた。

 28日には大衆紙サンがガーディアンらの報道後に「テロリストの動向が消えた」とする「諜報機関高官」の発言を掲載。

 これを受けて、前週に開催された欧州サミットの結果を下院で報告したキャメロン首相は、ガーディアンなどに対し「社会的な責任」を示すよう求めた。もしこのまま報道を続けるようであれば、「裁判所に報道差止め令の発行を求めるか、国防通知の発行」を辞さないと述べた。英政府による、もっとも明確な報道自粛へのメッセージであった。

 11月7日には、英国の3大情報機関のトップが初めてそろって公に姿を見せ、議会の情報安全委員会で証言した。海外の諜報活動を扱う「MI6」の」長官は活動情報が報道されたことで、「大きな損害があった。こちらの仕事が危険になった」と述べた。

 来月、ガーディアンのラスブリジャー編集長が下院内務委員会に呼ばれ、報道にまつわる事情を説明することになっている。(次回は「国家権力と英メディアの綱引き」の結論)
by polimediauk | 2013-11-14 21:35 | 政治とメディア
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(デイリー・テレグラフの議員経費特集サイトの画面)

 エドワード・スノーデン元米中央情報局(CIA)職員からのリーク情報に基づき、米英情報機関による情報集活動を報道してきた新聞の1つが、英ガーディアン紙だ。同紙に対し、テロリスト捕獲活動に「損害を与えた」(英諜報機関トップら)とする批判が出る中、アラン・ラスブリジャー編集長が、来月、議会の内務特別委員会に呼ばれて証言することになった。

 国家の機密を外に出すメディアと機密を守ろうとする政府・当局側との綱引きが続いている。

 綱引きの前例の1つが、保守系全国紙デイリー・テレグラフによる暴露記事(2009年)だ。

下院議員灰色経費請求問題(デイリー・テレグラフ紙)


 米国人ジャーナリスト、へザー・ブルックがきっかけを作った暴露例が灰色経費請求問題。

 ちなみにここでの「経費」とは、「追加費用手当」を指し、通称「別宅手当て」といわれた。議会があるロンドンから遠い場所を選挙区とする議員は、議員開会中、ロンドン近辺の宿発施設が必要となる。これを「別宅」として関連する費用を経費として計上できる仕組みだ。

 英国に住みだしたブルックは、地方自治体などの公的組織や国民が選んだ議員についての情報が一般市民には入手しにくいことを知って、驚いた。2005年、政府や公的機関にかかわる情報の公開を国民が要求できる「情報公開法」の施行にあわせ、下院議員全員の経費情報を要求したところ、「時間がかかりすぎる」などの利用で拒絶された。

 その後、ほかのメディアの記者も同様の要求を開始し、情報を出すことを渋る下院側とジャーナリストらの裁判が始まった。

 数年後の2009年、ブラウン首相(当時)が公開に同意したものの、議員にとって都合が悪い情報を黒塗りさせる作業を行わせていた。

 この頃、黒塗りされていない生の経費情報が入ったディスクが何者かの手によって下院の外に流出し、買い手を求めているという情報がメディア界で流れた。いくつかの新聞社は購入を拒否し、最終的に、編集長、経営陣の了解の下、デイリー・テレグラフ紙が約11万ポンドという巨額で購入した。

 テレグラフは数人の記者を社内の一室に集め、同僚はおろか家族にも他言しないようにさせて、膨大な量のディスク情報の分析に取り掛かった。分析後、原稿を作ってから該当する議員のコメントを取り、記事を掲載した。

 テレグラフは姉妹紙の日曜紙サンデー・テレグラフとともに連続35日間、1面トップで経費問題を扱い、複数の閣僚が辞任した。情報の公開を拒んできた下院議長も辞任した。

 当初、情報をお金で買ったテレグラフに対し批判が起きたが、連日のスクープ報道でいかに議員らが経費を無駄遣いしているかが暴露され、批判は消えた。「公益性があった」と見なされるようになった。

 経費報道をテレグラフの数人の記者がまとめた本「どんな経費も見逃さない」によると、テレグラフのウィル・ルイス編集長(当時)は、無断で持ち出した情報が入ったディスクを買ったことで、窃盗罪などに問われる可能性を想定した。自分自身や記者が警察の取り調べを受け、逮捕あるいは禁固刑が科されるのではないかと心配し、弁護士団を用意した。

 しかし、報道開始から2週間後、経費情報の公開を拒んできた下院議長が辞任宣言。同日、報道には「公益性がある」として、ロンドン警視庁から捜査を行わないとする声明文がテレグラフに届いた。

 先の本によると、ディスクを外に出したのは、義憤に駆られた、黒塗り作業に関連した人物(作業室を警備していた英兵の可能性もある)とされている。

ウィキリークスによるメガリーク(ガーディアン紙)

 最近の米国家安全保障局(NSA)や英政府通信本部(GCHQ)の監視行動の暴露をほうふつとさせるのが、インターネットの内部告発サイト「ウィキリークス」による「メガリーク」(2010年)だ。

 ウィキリークスはオーストラリア人ジュリアン・アサンジがドイツ人エンジニアのダニエル・ドムシャイトベルクなどと、2006年に立ち上げたウェブサイトだ。07年から、世界の企業や政府の不正についての情報を受け付け、公開してきた。

 政府や企業などの内部事情を知る人物が公益目的で行う内部告発には長い歴史があるが、その人物の素性が明るみに出た場合、雇用先からの解雇あるいは何らかの社会的制裁を受けがちだ。

 ウィキリークスではウェブサイトを通じて情報を受け取るが、暗号ソフトを通して情報が渡るため、ウィキリークス側にも告発者の素性が分からないようになっている。

 2010年、イラクに駐屯中だった米海兵隊の情報分析アナリスト、ブラッドリー・マニング兵(2013年、敵へのほう助罪などで有罪、35年の実刑判決。有罪決定後、チェルシー・マニングという女性として認識されるよう、本人が要請)が米政府の機密情報をディスクにダウンロードし、ウィキリークスに送った。

 マニング兵からのリークを元に、ウィキリークスは次々と情報を公開してゆくが、公開のパートナーに選んだのが英ガーディアン紙だった。同紙の特約記者ニック・デービスがアサンジと交渉した。

 デービスは、情報量が巨大であったため分析には時間がかかると見て、米ニューヨーク・タイムズとの共同作業をアサンジに持ちかけた。英国では公務員機密守秘法や名誉毀損法などによる法的縛りがきつく、報道の自由をうたう憲法修正第1条を持つ米国のメディアを巻き込んだほうが報道しやすいとも考えた。

 アサンジはこれに同意した後、ドイツの週刊誌シュピーゲル、英民放チャンネル4にも情報を提供することに決めた。外交公電報道では仏ルモンド紙、スペインのエルパイス紙も参加した。

 2010年夏以降、米英仏独のメディアによる、一連の報道が始まった(7月、アフガン紛争関連資料約7万7000件公開、10月イラク戦争関連米軍資料約40万件公開、11月、米外交公電約25万件の報道開始)。情報量が巨大なため、「メガリーク」と呼ばれた。

 2011年、筆者がガーディアンのイアン・カッツ副編集長(当時)に筆者が聞いたところによると、「報道してよいかどうかを当局に聞くことはなかった」という。米軍資料の信憑性、正確さ、報道によって人命が危険にさらされないか、国家の安全保障に損害を与えないかどうかの判定は、世界中にいる同紙の記者、内外の軍事関係者などを通じて確認、判断した。

 米外交公電についてはロンドンの米大使館やワシントンの米国務省と「議論の機会」を持ち、米側は特定の事柄についての懸念を表明した。ガーディアン側は「懸念の件は考慮する」と答えたという。

 外交公電の報道開始前に、英政府はガーディアンを含む複数のメディアに対し、慎重に扱うべき外交情報があれば通知してほしいという「国防通知」を出した。この通知に応じる法的義務はないが、報道機関は国防に配慮した報道を行うよう要請される。英首相官邸は「この通知によって報道差止め令を裁判所に求める意図はない」と説明」し、報道の自由の維持に神経をとがらせた。

 ニューヨーク・タイムズは報道前に、米政府と何度か交渉の機会を持ち、ワシントン支局長と他の2人の記者がホワイトハウスに呼ばれている。

 政府側は「修正すべき項目」として(1)人命に損害をもたらすと思われる部分、(2)諜報活動の秘密を暴露すると思われる部分、(3)外国の政治家に関わる率直な感想を述べた部分を指摘した。ニューヨーク・タイムズは(1)に関しては理解を示したものの、(2)と(3)については政府の懸念に同意しないとする場合もあったという。最終的に、「一部は修正し、一部は修正せず」という方針をとった(「読者へのお知らせ」、ニューヨーク・タイムズ紙、2010年11月28日付)。

 現在までに、メガリーク報道を主導したガーディアン、ニューヨーク・タイムズが米英両政府から報道が違法であるなどの理由から訴えられる事態には発展していない。

 アサンジは2010年夏にスウェーデンを訪れ、二人の女性と性的関係を持った。後、女性たちはアサンジに性的暴行を受けたと主張した(アサンジ本人は否定)、スウェーデン検察局は「欧州逮捕状」(03年から施行)を用いて、アサンジが同国に戻るよう要求した。

 アサンジはスウェーデンを訪れることを拒否しているが、もしそうなれば米国に移送され、機密情報を暴露したサイトを運営する自分が米国でスパイ罪(もし有罪となれば死刑もあり得る)に問われると主張している。

 アサンジとスウェーデン検察局の間で移送をめぐって裁判沙汰となったが、昨年、英最高裁はアサンジのスウェーデンへの移動を命じた。これに応じなかったアサンジは在ロンドンのエクアドル大使館に政治亡命を申請し、8月、申請が認められた。今年11月現在も、大使館に滞在中だ。

 (筆者のブログ「英国メディアウオッチ」や拙著「英国メディア史」を参考にしました。)
by polimediauk | 2013-11-13 22:32 | 政治とメディア
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(キャサリン・ガンの笑顔 グーグル検索より)

 2003年ー。米国家安全保障局(NSA)や英国の通信傍受機関、政府通信本部(GCHQ)による世界的な規模での情報収集、他国政府首脳への盗聴行為の実態が明るみに出る、10年前のことだ。

 この年の3月、イラク戦争が始まったことを覚えているだろうか。開戦前には英国内ばかりか国際社会の論調が大きく二つに分かれていたことも。大雑把に分ければ、米英が主導する、イラクへの武力攻撃の支持派か反対派だ。

 当時GCHQに勤務していたキャサリン・ガン(28歳)は中国語から英語への翻訳を専門としていた。幼少時代は台湾で教育を受け、英国に戻ってからは、名門ダラム大学で中国語、日本語を学んだ。

 03年1月31日、ガンはある電子メールに目を留めた。

 米英が、イラク戦争の開戦に向けて国際社会からの支持を広げようと躍起になっていた頃である。

 NSAの高官フランク・コザが発信したメールには、国連安保理の理事国がイラクへの武力行使について、どのような考えを持っているかを探ることに力を傾けてほしいと書かれていた。特に集中してほしいこととして、国連本部にあるアンゴラ、カメルーン、チリ、ブルガリア、ギニア、パキスタン(この6カ国は当時、安保理の非常任理事国)の事務所や代表者の通信を盗聴・傍受するよう、GCHQに依頼していた。イラク開戦を可能にする安保理決議に十分な支持が集められるかどうかが、米英側にとっては緊急の課題となっていた。こうした国々の支持を得られれば、武力行使を開始できるはずだった。

 「これはひどい。こんなことまでするなんてー」。そう思ったガンはメールを印刷し、印刷した紙をバッグに入れて帰宅した。この行為だけでも、公務員機密守秘法違反であった。週末、どうするべきか考えた。週明けの月曜日、まだ怒りは収まらなかった。「違法な戦争の開始を止めたい」という思いがあった。

 「何とかこれを外に出したい」と思ったガンは、友人を通じてジャーナリストに情報を渡した。2月になって、ロンドンの反戦デモに参加したあと、通常の生活に戻った。

 3月2日、ガンは新聞小売店で日曜紙「オブザーバー」を手に取った。1面全体を使って、NSA高官の電子メールを元にした記事が掲載されていた。

 ガンは体が震えだした。自分が情報源になった記事がここまで大きく報道されたことに、衝撃を受けていた。

 勤務先のGCHQ内では犯人が探しが始まった。当初は関与を否定したガンだったが、考え直し、自分が情報源であったことを上司に認めた。ガンは職場の上司らと職員が使う食堂で昼をともにした後、GCHQの車で地元警察に出頭し、逮捕された。

 6月、ガンはGCHQを解雇された。

 11月、ガンは公務員機密守秘法第1条(正当な認可がなく、安全保障及び諜報情報の公開を違法とする)で起訴された。同月末、予備審問の役割を果たす治安判事裁判所で名前と住所などを述べた後、ガンは弁護士を通じて、公務員機密守秘法の違反による有罪にはあたらないとする声明文を公表した。

 有罪ではないという理由は「自分の行動は、多くのイラク市民や英兵が殺害される、非合法の戦争の発生を防ぐという目的があったからです」、「良心に基づいての行動でした」。

 もし有罪となれば、2年の実刑となる可能性もあった裁判が始まったのは、翌年04年の2月25日。検察側がガンを有罪とする証拠を提出することができず、起訴案件を取り下げる結果となった。

 前日、ガンの弁護士は政府に対し、イラク戦争の合法性を示す証拠の提出を要求していた。当時、法務長官がイラク戦争を最終的に合法とした件が注目の的となっていた。長官は政府に対し、戦争が合法とする見解を出していたが、この文書の全容が公開されないままでいた。長官の文書を含めたさまざまな機密情報が裁判で公開されることを避けるために起訴取り下げとなった、と言う報道が出た(政府側は否定)。

 無実となったガンは、裁判所の外に立ち、「リークは開戦を防ぐためだった」と述べた。自分の行動を「後悔していない。同様の状況にいたら、同じ事をするだろう」。

 「メールを見て、恐ろしくなった。英国の情報機関が国連での民主主義のプロセスを脅かすような行動をとるように言われるなんてー」。

 ガン自身はイラク戦争反対派だったが、その信念を通すために情報を探していたわけではなく、政府を困らせようと思ったわけでもないという。「21世紀になっても、爆弾を落とすことで物事を解決しようとしていることに困惑した」。

 当時、英国のさまざまなテレビや新聞に取材され、晴れがましい笑顔を見せたガンの様子を、私自身も覚えている。

ー10年後の現在は?

 オブザーバー紙がガンのリークを元にして、米NSAのメールをスクープ報道したのは2003年3月だった。

 10年後の3月、オブザーバーで記事の執筆にかかわったジャーナリストがガンをインタビュー取材した。

 30代後半となったガンは「今でも自分の行動を後悔していない」というものの、「その後、何が起きたかを考えると、(NSAのメールが盗聴を要求していたという)情報について、誰も行動を起こさなかったことへの怒りや焦燥感が強くなる」。

 当時「百万人単位で反戦デモが発生していた。反戦感情の大きさを官邸やブレア首相(当時)が非常に気にしていた」。イラク戦争の開始を止める「寸前まで行ったのに、止められなかった」。

 米英を主導したイラクへの武力攻撃が開始されたのは、2003年3月19日だ。

 GCHQを解雇されてからの10年、ガンは定職につかないままで過ごしてきた。現在はトルコ人の夫、4歳の子供とともにトルコに住む。

 「一番つらかったのは、財政状態」(ガン)。「積極的にキャリアを追求しなかった自分のせいでもあるけれど」。

 現在でも、「英国政府には説明義務があると思う。NSAからの盗聴の要請に、英国側は応じたのか、どうか。あのような要請を受けることが仕事の一部になっていたのかどうか、米英の政治的な力関係はどうなっているのか」。

 例えば、メールが「独立した国家間で協力をあおぐという形ではなく、(上から)指令を与えるという形になっていた」ことをガンは指摘する。
 
 NSAとGCHQについての一連の報道が出るのは、このインタビュー記事の3ヵ月後である。

 ガンの言葉は今でも強いメッセージを放っている。
by polimediauk | 2013-11-09 21:47 | 政治とメディア
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(キム・フィルビーのさまざまな表情 グーグル検索より)
 
 今年6月上旬以降、英ガーディアン紙をはじめとする欧米の複数の報道機関が、米英の情報機関による大規模な監視行為の実態を暴露する報道を続けている。情報源は元CIA職員エドワード・スノーデンだ(米当局により情報窃盗罪などで起訴。現在、ロシアに住む)。

 7日、英情報機関のトップ3人が議会の情報安全委員会で証言を行い、メディアによる報道が、業務遂行において「有害だ」と主張した。アルカイダなどのテロリスト網が「さぞ喜んでいるだろう」と海外の諜報活動を行う組織MI6の長官が発言している。

 国の安全保障にかかわる機密をメディアが勝手に暴露するなというメッセージだが、政府側、情報機関側にとっては「機密」が外に出ないようにするのが仕事である。予期された発言だったとも言えるだろう。

 その一方で、メディア側は公益のために国家の機密であろうと何であろうと、外に出すのが仕事だ。秘密を守りたい側と情報を出したい側の「綱引き」は常に続く。

 国家機密に対する英メディアの過去の対処法を見てみると、機密であることを承知の上で、あえて報道してきた数々の例がある。

 例えば、18世紀後半まで、議会での討議を報道することは正式には認められなかった。報道すれば、その出版媒体の発行人が投獄されたり、印刷免許を取り上げられたりなどの苦難があった。

 誰が報道したか、誰がどんな発言をしたかを隠すために、架空の国の話として報道したり、議員名を仮名にしたり、掲載時期を議会の閉会中に限ったりなどの工夫があった。今となっては喜劇のようだが、あまりにも凝った仮名やイニシャルなどを使ったために、読者に意味が通じない場合もあったという。また、発言予定の議員の名前や議題から議論の内容を推定し、ほぼ創作して「議事録」として報道したジャーナリストもいた。

 過去の英メディアの奮闘振りをたどりながら、国家機密とメディアの関係について考えてみたい。

―「第3の男」の正体を暴露(サンデー・タイムズ)

 英日曜紙サンデー・タイムズが国家機密と格闘した例の1つが、「第3の男」と呼ばれたキム・フィルビーことハロルド・エイドリアン・ラッセルのスパイとしての正体を暴露した記事(1967年)だ。
 
 フィルビー(1912-88年)は国外の諜報活動を担当するMI6の長官候補にもなった人物だが、ケンブリッジ大学在学中に共産主義を信奉し、ソ連の諜報部にスカウトされた。

 英国ではMI6に勤務し、対ソ諜報班のトップとして米英の重要な諜報情報をソ連に流す2重スパイとなった。

 1951年、フィルビー同様にソ連のスパイだった英外交官ガイ・バージェスとドナルド・マックリーンにスパイ嫌疑がかかる.

 フィルビーは二人に嫌疑がかかっていることを警告し、ソ連への亡命を助けた。 このために、フィルビー自身にも嫌疑がかかってしまう。

 1955年、議会でフィルビーが「第3の男」かと聞かれたマクミラン外相(後の首相)はこれを否定した。

 フィルビーは一旦MI6を離れた格好となり、英週刊誌「エコノミスト」や日曜紙「オブザーバー」の記者となって、ベイルートに滞在しながら原稿を送った。パーティーに明け暮れる毎日で、「原稿を書いたところを見たことがない」という人もいた(後述のドキュメンタリー作品より)。

 1962年末、再度スパイ容疑が高まり、英当局がフィルビーの尋問を始めた。フィルビーは間接的に容疑を認めたという。翌年1月、フィルビーはベイルートから忽然と姿を消した。翌年夏、フィルビーがソ連に亡命したとする記事が地元紙に出た。

 1967年、サンデー・タイムズのハロルド・エバンズ編集長はフィルビーがMI6内で何をしていたのかについて、ほとんどの人が知らないことに気づき、部内の調査報道チーム「インサイト」に取材を命じた。

 当時、MI5やMI6の存在自体を政府が公式には認めていない状態だった。両組織の関係者、元関係者らは「『公務員機密守秘法』に違反する」という理由から、口を閉ざした。また、フィルビーは「それほど重要な地位にいなかった」とする関係者も多数いたという。

 しかし、チームの粘り強い取材から、フィルビーが対ソ諜報班のトップであったこと、ソ連のスパイであったことを探り出し、原稿を作った。

 67年9月、エバンズ編集長は外務省から報道差し止め願いの書簡(「国防通知」)を受けとった。諜報機関や諜報部員についての情報を掲載しないようにと書かれていた。

 この通知に法的拘束力はないが、政府の法律顧問役となる法務長官が新聞を公務員機密守秘法違反で訴える可能性があった。

 熟考の上、編集長はこの通知を無視することにした(エバンズ著「マイ・ペーパーチェース」)。サンデー・タイムズの所有者ロイ・トムソン(当時)が「編集内容には介入しない」という姿勢を常に表明していたこともエバンズ編集長の決定に影響を及ぼしたに違いない。

 10月1日付でフィルビーがソ連のスパイであったことを認める記事(息子のジョンをモスクワに写真撮影のために送り、ソ連に住むフィルビーの写真が付いていた)が掲載された。

 掲載後、当時の外相は編集長を「売国奴」と呼び、元MI6関係者は「フィルビーはそれほど重要な地位にはいなかった」と記事の内容を否定するコメントを出した。

 その後のメディア報道で、フィルビーの地位や仕事の内容についての大まかな部分が明るみに出た。しかし、2013年現在、全貌が判明したわけではない。

ー「欺瞞を明るみに出す」

 国家機密をメディアが報道することの是非を、ドキュメンタリー「寒さの中に出ていったスパイ -ソビエトのスーパー・スパイ、キム・フィルビー」(11月18日、BBC4というテレビ・チャンネルの「番組ストーリービル」で放送予定)の監督ジョージ・ケアリーに、10月中旬にロンドン市内で開催されたイベントで聞いてみた。

 ケアリーは「国家の機密を何でもメディアが暴くべきとは思わない」としながらも、フィルビーについての情報は「公に出てしかるべきだった」という。

 「諜報機関の上層部にいたフィルビーが二重スパイであったことは、英国の支配者層にとっては大きな失態だった」、「失態だったことを国民に隠していた」。

 諜報界が真実を表に出したがらなかったのは、「国の安全保障に損害を与えるからではなく、もっぱら、自分たちの恥を隠したかったからだ」。こうした欺瞞を明るみに出すという全うな理由がメディアにあった、とケアリーはいう。

 フィルビーがなぜ長い間、二重スパイであったことを悟られなかったかについてはさまざまな説がある。

 先のドキュメンタリーを放送する番組「ストーリービル」のプロデューサー、ニック・フレイザーは、「フィルビーは社会の支配層の一部だった。周囲の職員や政治家、知識層が属する階級の中の、『仲間』だった」と指摘する。

 自分たちの仲間であるフィルビーが「国を裏切る、自分たちの信頼を裏切るとはどうしても信じられなかったのだと思う」と筆者に述べた。

 フィルビーはロシア(当時はソ連)亡命後、KGB(当時)の英国担当顧問になったが、KGBの建物に入ることさえ長い間許されず、事実上閑職だった。自宅に軟禁状態となって何年も過ごしたという。現地の女性と結婚し、二人で暮らしていた。

 ケアリーのドキュメンタリーによれば、英諜報部のトップシークレットが容易にソ連側にわたっていたことをソ連側が信じられず、「フィルビーが英国から送ってきた文書は何年も事務所の隅に重ねられていた」(元ソ連情報部幹部の談)という。

 フィルビーは1988年に死去。盛大な葬式が行われたが、ケアリーのドキュメンタリーによれば、それにはわけがあった。ソ連にとっては西側諸国の英国がソ連の二重スパイを抱えていたという不名誉な事実を宣伝する、格好の機会だったという。(つづく)

参考:

拙著「英国メディア史」
by polimediauk | 2013-11-08 21:37 | 政治とメディア
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(英委員会で証言をする英情報機関トップー左からMI5、MI6,GCHQ長官 BBCサイトより)

 今年6月から、元米CIA職員エドワード・スノーデンのリーク情報を元にした、米英の情報機関(米国家安全保障局=NSA,英政府通信本部=GCHQ)による大規模な監視・盗聴活動が暴露報道されてきた。

 当初は英ガーディアン紙、米ワシントン・ポスト紙が主導し、その後世界各国のメディアが次々と報道を続けている。

 連日のスクープ報道が5ヶ月を越えた今日(7日)、英国の3大情報機関のトップが初めてそろって公に姿を現し、議会の情報安全委員会で証言した。以前から計画されていた定期的な会合だったというが、これまでは公開ではなかった。特に、GCHQのトップが公に顔を出したのは初めてだ。

 公開になった背景にはこれまでのガーディアンなどの報道があった。同紙はNSAやGCHQがいかに国民の知らない間にさまざまな情報を取得しているかを報道してきた。そこで、情報機関側としても何らかの説明をし、国民の理解を得る必要があった。米国ではすでにNSAトップも含め、関係者が何度も公で証言を行っている。

 午後2時に始まり、約1時間半続いた証言の中で、それぞれの機関がどんな活動を行っているのか、またNSAやGCHQの情報収集活動の暴露がどんな影響をもたらしたかについて、トップ自らが語った。

 改めて、出席した3人のプロフィールを紹介すると、

 国内の諜報活動によって国家の安全を維持するMI5のアンドリュー・パーカー長官(敬称略)。

 国外の諜報活動にかかわるMI6のジョン・ソーアーズ長官。(いわゆる、ジェームズ・ボンドが勤務する組織。 もちろん、ボンドは架空の存在だが。就任当時、海岸で海水パンツでくつろいでいる写真を妻がフェイスブックにアップロードし、問題視されたことがあるー。)

 英国のサイバー環境やインフラの安全性を守るために通信を傍受するGCHQのトップがイアン・ロバン長官。

 
ー活動を暴露されて
 
 まず、トップらはいかに自分たちの仕事が英国を安全な場所にしているかを説明した。

 MI5のパーカーによれば、2005年のロンドンテロ以来、34のテロ未遂事件があったという。

 MI6のソーアーズは、スノーデン報道で、「敵がさぞ喜んでいることでしょう」と述べた。活動情報が報道されたことで、「大きな損害があった。こちらの仕事が危険になった」。

 怒りを押し殺したような表情で話していたのがGCHQのロバン。報道のために、実際に中東のテロリスト予備軍が「通信方法を変えよう」と会話していたという。また、ネットを使う「児童性愛愛好者たちが捕まりにくくなった」とも。「敵」が諜報機関側の仕事のやり方を知れば知るほど、そうした手段をかいくぐる方法を考え付くからだ。

 本当に報道が仕事をしにくくしたのかと聞かれ、「モザイクを思い浮かべていただきたい。その1つでもおかしくなると、全体が狂ってくる。それと同じだ」。

 大規模な範囲の情報を収集している点については、「大部分の人の場合、私たちが電話の会話や電子メールを読んでいるわけではない」、「そんなことは合法ではないし、私たちはやらない」。職員はテロや犯罪を防ぐために活動をしているのであって、もし何の罪もない人の情報を覗き見するようにといわれたら、「部屋を出て行ってしまうだろう」。

 ソーアーズは、MI6は「世界中にいる工作員はボンド映画のように」孤立しておらず、「24時間の」サポート体制があるという。「判断が難しいときは外相に支持をあおぐ」。

 委員会のブリアーズ議員が「英国の法律にかなう行動をしている、とここで言い切れますか」と聞いた。答えは「そうだ」だった。

 答弁の詳細について「具体的な話は、秘密裏に直接委員会のメンバーになら説明できる」と答える場面が何度もあった。

 最後のほうになって、ソーアーズが「私たちは情報を収集し、分析するのが仕事だ。何を収集できるのか、どうやってやるかは政治家が決める」と言った。目の前に並んだ政治家に責任を押し付けたように見えた。まるで「悪いことを頼むのは政治家なんだ」とでも言いたげだった。

 閉会直前、ソーアーズは3機関の職員の働き振りをたたえた。見ていて、うまく逃げたなあという感じがした。

 後で、委員会の質問が十分に厳しいものではなかったという意見をテレビで見た。「どうせ本当のことは言わないのだから、あんなものだろう」という声もあった。

ーグリーンワルドの見解

 この日の朝、ガーディアンでNSA報道を主導してきた、米国人ジャーナリスト、グレン・グリーンワルド(リオデジャネイロ在住)がBBCのラジオ番組で電話インタビューされた。

 国家機密を外に出すか出さないかを報道機関が決めていいのか、と番組の司会者に聞かれたグリーンワルドは、「独立した報道機関は民主主義の一部」と述べた上で、「捜査に影響のあるような情報は入れてない」と説明。また、「GCHQ,NSAが暗号破りをしていたことをニューヨーク・タイムズやガーディアンが書いた。しかしどの暗号かは書いていない。テロリストを助けたくなかったからだ」。

 一連の報道は、「諜報機関による大規模な情報収集について、議論を起こすのが目的だった」。

 司会者が、「ジャーナリストが国家機密の報道の範囲を決めていいのか」と聞いた。

 グリーンワルドは「ジャーナリストが判断しているわけではない。実際には、新聞社が判断している。新聞社には弁護士、熟練記者、さまざまな分野の専門家がいる。みんなで協力し、何をどこまで報道するかを決めているー例えば今取材を受けているBBCと同じだよ」、「こういうやり方に賛同しないのは、ジャーナリズムに賛同しないのと同じだ」。

 「政治的意思があれば、大規模監視・情報収集体制は変えられる」とグリーンワルドは述べた。
by polimediauk | 2013-11-08 09:44 | 政治とメディア
 2年前から政府側と反体制側との間で内戦状態となっているシリアに、今年8月、米英を主導とした勢力が武力攻撃をするのではないかという大きな懸念が出た。2003年のアフガニスタン戦争やイラク戦争の二の舞になる可能性もあった。

 しかし、米英の世論が武力攻撃を後押しせず、各国の外交プレーもあいまって、事態は急展開。9月、国連安保理が、懸念となっていたシリアの化学兵器を国際管理下で廃棄させる決議案を採決。これが全会一致で採択された後、化学兵器禁止機関による査察が行われた。

 和平に向けての歩みは始まったばかりだが、シリアに対する米英主導の武力攻撃の可能性は事実上消えた。

 一連の流れを通して、米英両政府の右往左往振りが目立った。イラク戦争の時の様に、この二つの国の政治トップが決めたことを他国に押し付けることは、もはやできなくなった。国際社会における米英の位置が低下したことを示すとともに、開戦を望む政府を止めさせるにはどうするかの手法を示した出来事でもあった。

 今年6月からは、米国家安全保障局(NSA)や英情報傍受機関GCHQによる情報収集の実態を暴露する報道が続いているが、こうした報道への米英政府の対応を見ても、世界の警察官あるいは指導者という位置にはもはやいないことを如実に語っているように見える。

 緊迫の8月と、米英政府の右往左往振りについて、月刊誌「メディア展望」10月号に執筆した。以下は若干補足した分である。

***

 8月末、ダマスカス郊外で市民に化学兵器が使われた疑惑が発生し、国際社会は「シリア危機」に揺れた。米英が中心としたシリアへの武力攻撃がすぐにも始まる見込みが出てきたからだ。

 アサド大統領による独裁政権が続くシリアでは、2年前から反体制派勢力と政府軍の間の武力衝突が激化している。

 戦闘状態を停止させるための国際社会の努力はこれまで実を結んでおらず、オバマ米大統領は昨年、アサド政権による化学兵器の使用を「レッドライン」(平和的解決から軍事的解決へと移る一線)と定義した。

 一時は「2-3日で攻撃開始」と報道されたものの、9月になって、近日中に攻撃の可能性は低くなった。

 攻撃熱を冷ましたのは新たな戦争の開始を嫌う米英の国民感情、当時の両政府が諜報情報を誇張して開戦したイラク戦争(2003年)の影、国際世論の支持を十分に集められなかったなどの要因があった。弱気になった米英政治家の隙を付き、武力攻撃を回避する代案を出したロシアの外交の巧みさが目立った。

 筆者が住む英国の政界の動きに注目してみる。

―化学兵器で「数百人が死亡」

 8月21日、反体制派が支配下に置くダマスカス東部で化学兵器の使用によって数百人の市民が亡くなったという報告が国連に届いた。

 被害に苦しむ市民の様子を人権活動家らが撮影した動画とともに、世界中のメディアが報道した。化学兵器かどうか、誰が攻撃を行ったかは未確認だった。

 24日、休暇中だったキャメロン英首相はオバマ大統領と電話で話し、「重大な対応を行う」ことで同意。英官邸筋は英国が「数日以内に」シリアへの攻撃を開始できると表明した。

 翌25日付の英「サンデー・タイムズ」紙はシリアへのミサイル攻撃に向けて「米英が計画を進めている」と報道。26日、首相は休暇を切り上げてロンドンに戻った。攻撃をしたくてたまらない・・・そんな首相の思いが出た行動といえよう。

 27日、首相はツイッター上で国会を繰り上げ開会し、シリア問題について議論を行うと発表した。後、ミリバンド野党労働党党首らと会談し、協力の感触を得た。しかし、その後の話し合いで、ミリバンド氏が攻撃開始には国連の支持が必要と述べたため、首相側は、もし攻撃を開始する場合、別の動議を提出して議員の支持を取り付けるという妥協策に甘んじることになった。

 28日、午後2時から開始された審議で、キャメロン首相はアサド政権によると見られる化学兵器の使用と犠牲者の苦しみについて語り、「最終的には、誰が化学兵器の使用に責任を持つかについて、100%の確証はないものだ。自分で判断をするしかない」として、動議への賛成を求めた。

 対するミリバンド氏は、国連調査団による現地調査の結果を待つべきだ、英国が何らかの対応をする際は国連の下でやるべきだと主張した。

 午後10時半の投票で、政府案は13票の差で否決された。

ー米国との「特別な関係」を気にする英政界、メディア界

 翌日のメディアの論調の大部分が、否決によって首相が「恥をかかされた」、「米英間の『特別な関係』はどうなる?」(ともに「タイム」紙)という点を強調していた。

 保守党幹部らはミリバンド労働党党首が最初に賛成という印象を与えながら後に反対に回ったことを非難したが、国民のムードを反映した動きであったことは確かだった。

 複数の世論調査で国民の多くが「シリアへの武力攻撃には反対」と答えていた。その理由として考えられるのがイラク戦争の影響だ。

 10年前、イラクには大量破壊兵器が存在し、英国の領土を短時間で攻撃するかもしれないと示唆したのがブレア元英首相であった。最終的には大量破壊兵器は見つからず、イラクは開戦以前よりも治安が悪化したと言われている。

 イラクの現状や大量破壊兵器の不在を問われると、ブレア氏は「正しいことだと思ったから、開戦を選んだ。自分の判断だった」と繰り返して述べるようになった。

 8月末の国会で「100%の確証はない、自分で判断するしかない」という表現を使いながら、化学兵器の犠牲の壮絶さを語るキャメロン現首相にブレア氏の姿がだぶった。

 一方のミリバンド氏が国連の介入を主張したのも、ブレア時代の二の舞になるまいという意思が見て取れる。イラク戦争開戦前夜、新たな国連決議を得ないまま、米英両国が主軸になって開戦に踏み切った経緯があった。

  「ガーディアン」紙のコラムニスト、ポリー・トインビー氏は「大英帝国という幻想が消えた」と題する原稿を書いた(8月30日付)。英国は首相が考えているほどの力はもはやないのだ、と。

 第2次大戦直後にチャーチル英首相(当時)は米英両国が「特別な関係」にあると述べたが、これを彷彿とさせたのがイラク戦争開戦時の米英両国の緊密さであった。

 今回は米国が乗り気のシリアへの攻撃案に参加できないので、英国は米国から見放され「孤立化」するのではないかという声を8月末のテレビやラジオの番組でよく聞いた。
 
 30日、オランド仏大統領は、英国が参加しなくても、シリアに対する軍事行動に参加する考えを表明した(ル・モンド紙)。米国の新たな盟友はフランスになったという印象を英国の政治家やメディア関係者に与えた。

 しかし、英国会での動きはオバマ大統領の決断に大きな影響を及ぼしていた。

ー米大統領も慎重派に

 9月1日、オバマ氏は報道陣に向かって、「シリアに化学兵器使用に対する制裁行為として、武力攻撃を開始するつもりだ」と述べながらも、「議会で攻撃の承認を受ける」とし、キャメロン首相など英政治家を驚かせた。

 米大統領は議会の承認がなくても攻撃を行うことが出来るが、あえてこれを選択したことになる。これで、少なくとも9月9日の議会開会前の攻撃の可能性は低いという見方が出た。

 4日、米上院外交委員会は、シリアへの軍事攻撃を条件付きで承認した。地上軍投入は禁止し、軍事行動の期間を最大90日間に限定するなど。

 6日、ロシアのサンクトペテルブルグで開催された主要20カ国・地域(G20)首脳会議に出席した米ロ首脳はシリア問題について溝を埋めることが出来ないままに日程を終えた。

 オバマ氏は米国内外で武力行使への協力を求めているが、プーチン露大統領は反体制派が支持する国から支援を得るために化学兵器を使用したというシリア政府の主張を繰り返した。

 事態が急展開するのは9日だ。

 オバマ氏の命を受けて海外諸国を訪問し、攻撃への支持を取り付ける努力を続けてきたケリー米国務長官は、ロンドンでヘイグ英外相と共同会見に出た。攻撃を回避するためにアサド政権が出来ることを聞かれた、「来週中に化学兵器のすべてを国際管理下に置くことだ」、「不可能だがね」と答えた。

 この発言について、後にロシアのラブロフ外相がケリー長官と電話で会談し、ロシアがシリア政府に話をつないだ。

 10日、シリアは化学兵器を国際管理下に置くというロシアの提案を受け入れる意向を示した。同日、オバマ大統領は国民向け演説の中で、「ロシアの提案を検討する」と述べ、米議会には武力行使容認決議案の採決を延期するよう要請したことを明らかにした。

 BBCニュースのマーク・マデル記者は、オバマ氏のテレビ演説の中で、ロシアの提案によって武力行使を遅らせる「理由ができて」、大統領が「ほっとした表情」を見せた、と書いた(10日付ブログ)。

 化学兵器の使用という、自らが課した「レッドライン」によって何らかの行動を起こさざるを得なくなったオバマ大統領だが、英国が武力攻撃には参加しない見通しが出た上に、介入後、どれほど効果が上がるのかが不明で、米国民の支持も決して高くはなかった。ロシア側の提案は渡りに船という面があったことをマデル氏は指摘した。

 化学兵器をめぐるシリア危機で、自らが事態打開の道を切り開くのではなく、出来事の推移に対応するだけだったオバマ氏。

 世界最大の軍事力を持つ米国の大統領が、英国会での政府案否決後、決断を先延ばしにしたように見えたことが、気にかかる。国際社会をリードする役割をオバマ政権下の米国が果たせなくなっているメッセージが伝わった。

 10月14日、シリアは化学兵器禁止条約の190番目の正式な加盟国となった。

 31日、シリアの化学兵器の廃棄に向けた作業は、OPCW=化学兵器禁止機関と国連の作業チームの監視の下、兵器の製造設備や関連部品が破壊が完了したと発表した。

 NHKの報道によると、今月から「国内に保管されている1300トンに上る化学兵器そのものの廃棄が始まる」という。

 核兵器問題に進展があったとしても、シリアの混迷が消えたわけではない。

 国連人道問題調整室(OCHA)の調べによると、内戦は今後激化し、シリアからの難民の数は今年12月時点で約320万人となり、来年中に200万人増える(今年の分とあわせると全体では500万人)と予測されている。
by polimediauk | 2013-11-06 18:33 | 政治とメディア
 米英の諜報機関による大規模な個人情報の収集実態を次々と報道してきた英ガーディアン紙に対し、英政府が報道の元となる資料の破棄を命じたり、記事の執筆者のパートナーを拘束して所持品を没収する事態が発生した。報道の自由が定着した英国で、政府がここまで直接的に報道機関の手足を縛る動きに出るのは異例中の異例だ。

 国家権力とメディア報道について、「新聞協会報」(9月17日号)に寄稿した。以下はそれに若干付け足したものである。事件の流れについて以前にほかの媒体でも書いたが、今回は英国のほかの新聞の反応や、国家権力とメディアとの関係について書いてみた。

ー資料破棄や拘束

 6月上旬から、ガーディアン紙は、元中央情報局(CIA)職員エドワード・スノーデン氏が提供した内部資料を元に、米国家安全保障局(NSA)や英国の通信傍受機関、政府通信本部(GCHQ)が大規模な個人情報の収集活動を行っていることを報道してきた。執筆陣の中心は米国人コラムニスト、グレン・グリーンワルド氏であった。

 8月18日、同氏のパートナーでブラジル人のデービッド・ミランダ氏がロンドン・ヒースロー空港で拘束された。ミランダ氏はグリーンワルド氏とともに今回の報道に携わってきた米国人のドキュメンタリー作家ローラ・ポイトラス氏にドイツで会い、自宅があるリオデジャネイロに戻る途中だった。

 英テロリズム対策法の下で9時間近く拘束されたミランダ氏は、携帯電話、ラップトップパソコン、予備のハードディスク、メモリースティックなどを没収された。電子メールやソーシャルメディアの利用パスワードなどを聞かれた。「教えないと刑務所に入れると言われた」という(BBCニュース、8月21日)。

 テロリズム対策法を使うと、捜査当局は捜査令状を取らずに人を最長9時間拘束できる。協力を拒否すると、刑法違反で罰金か禁錮刑(3ヶ月)を科される。

 ロンドン警視庁はテロ対策法の適用を「合法」、メイ内相も「慎重に扱うべき、盗まれた情報をある人物が所持している場合、警察が動くのは当然だ」として、拘束を支持する声明を出した。

 英コラムニスト、ニック・コーエン氏は「米政府の意向を汲んだ動きだ。グリーンワルド氏を威嚇し、ラップトップに何が入っているかを探し出すのが目的だった」(米ニューヨーク・タイムズ、20日付)と書いた。

 同月19日、ガーディアンのアラン・ラスブリジャー編集長は、スノーデン氏から得た情報を引き渡すよう、政府から数度にわたり圧力をかけられていたことを初めてブログで報告した。

 6月、「首相の意向を伝える」政府高官から連絡を受け、情報の引渡しを要求された。7月にも同様の要求を受け、引渡しがない場合は裁判に訴えると言われた。もう1つの選択肢は情報を保管するラップトップのハードディスクの破壊であった。情報を渡せないと考えた編集長は、GCHQの職員の前で、ハードディスクを破壊した。

 編集長によれば、ディスクの物理的な破壊は「象徴的行為」であった。情報ファイルが英国外の場所にも保存してあることを職員に説明したが、それでもGCHQ側はその場での破壊を要求したからだ。

 8月20日、ミランダ氏は高等法院に訴えを起こし、拘束が合法であったことが確立するまで、押収した所持品の捜査を停止するよう求めた。22日、高等法院は「国家の安全保障以外の目的での捜査停止令」を出した。実際には「高度に慎重に扱うべき資料が存在している」という理由から、テロ事件捜査班が捜査中だ。

 8月30日、高等法院で本件についての政府側の答弁があった。押収品の中には「5万8000件以上の国家安全保障上の機密書類」があるという。ミランダ氏側は「根拠がない」と反論した。

 ミランダ氏の長時間拘束やハードディスクの破壊について説明を求めるべく、欧州評議会(本部、仏ストラスブール)のトールビョルン・ヤーグラン事務総長はメイ内相に公開書簡(8月21日付)を送った。この中で、英当局の行動は「欧州人権条約第10条で保障されたジャーナリストの表現の自由を萎縮させる効果をもたらしかねない」と書いた。

ー英高級紙、政府に一定の理解

 英国内の複数の高級紙は、政府側の行動の意図に一定の理解を示した。8月19日付のフィナンシャル・タイムズ社説は拘束の法的根拠が「非常に不完全だった」と指摘し、「米英政府にはスノーデン氏を追及する権利がある」とこ認めた。その上で、「同氏やジャーナリストへの追及は慎重にやるべき」で、「高圧的なやり方は国民の信頼を得られない」としている。

 一方、ガーディアンは9月4日付で国連の表現の自由や人権についての特別報告者らによる「国家機密の保護を『新聞界を恫喝して黙らせる』ための口実にしてはいけない」という声を紹介している。

 近年の例を振り返ると、国家機密あるいは国家や政府側が公開しないと決めた文書を内部告発などで入手し、大々的に報じたのは、デイリー・テレグラフ紙による国会議員の経費過剰請求事件(2009年、経費情報が入ったディスクが流通し、同紙が告発者から高額で買い取った)や、ガーディアンが内部告発サイト、ウィキリークスとの共同作業で行った、イラクおよびアフガン戦争での米軍文書や米外交文書の報道(いずれも2010年)があった。

 いずれの場合も、政府が報道機関が持つ書類を物理的に破壊させる、報道執筆者やその家族に威嚇行為を行うという事態は発生しなかった(少なくともその事実は表面化しなかった)。

 今回の場合、公権力の顔が急に眼前に現れたようで、筆者もいささか衝撃を受けた。

―権力側=強者か?

 今回の当局からの圧力を、報道の自由の面からどう見るべきだろうか?権力側=強者、報道側=弱者としてしまうと、一面的になる。英国の権力側と報道機関は常に綱引き状態にあるからだ。

 例えばミランダ氏に注目すると、当初同氏はグリーンワルド氏の生活上のパートナーでありジャーナリストではなく、いわば「何も知らない普通の人」がグリーンワルド氏の報道に関連して拘束されたと解釈され、「そこまで権力の手が伸びたのか」という衝撃につながった。

 しかし、その後の報道で、必ずしも「何も知らない、ジャーナリズムとは関係ない人物」とは言えなくなってきた。

 グリーンワルド氏は、後の米メディアの取材の中で、ミランダ氏がスノーデン氏から得た生のリーク情報を持って旅行したことを明らかにした。ドイツまでの往復の旅費をガーディアンが負担していたことも判明し、なんらかのジャーナリズムの目的があってのドイツ行きであった可能性が出てきた。取調べを受けても不思議ではないとも言える。

 権力側は常にペンの力や司法の場で権力の行使を検証される。

 メディア側も簡単には引き下がらない。ディスクの破壊後も、ガーディアンはニューヨーク・タイムズなどと協力し、スノーデン発の報道を続けている。

 権力側と報道機関との綱引き劇の最終幕はまだ下りていない。
by polimediauk | 2013-09-24 23:03 | 政治とメディア
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(デービッド・フロストとニクソン故・米元大統領 英ガーディアン紙のウェブサイトより)


 英国テレビ界の著名司会者デービッド・フロスト氏が8月31日、亡くなった。そのキャリアは半世紀以上にわたるが、ジャーナリズムの金字塔として歴史に残るのが、リチャード・ニクソン故米大統領(任期1969年―1974年)への長時間のインタビューだ。(以下、敬称略。)

 米国の政治史に残るウォーターゲート事件(1972年)とは、米民主党全国委員会事務所への不法侵入・盗聴事件。事件の調査過程でニクソン大統領が盗聴に関わっていたことが明らかになり、1974年、辞任する羽目になる。任期中に辞任した大統領はニクソンが初めてだ。

 米国民はニクソンが公式に謝罪することを望んでいたが、謝罪がないままに時が過ぎた。辞任の翌年、後任のフォード大統領はニクソンに特別恩赦を与えてしまった。

 1977年、辞任から3年経ち、ニクソンはフロストの長時間インタビューを巨額で受諾する。ニクソンはイメージアップを狙っており、フロストは単なる番組ホストからの脱却を目指していた。巨額のインタビュー費用を借金し、ニクソンとの決戦に挑んだフロストは、果たして、米国民が望む謝罪を元大統領から引き出すだろうかー?

 このインタビューの一部始終は、2006年、舞台劇としてドラマ化(「フロストxニクソン」)され、08年には映画になった。

 以下は、この映画を公開時に見たときの感想である。以前に一度筆者ブログなどで出したが、フロスト死去がきっかけで、新たな興味を持った方もいらっしゃると思うので、補足の上、出してみることにする。

 このインタビュー・ドラマ・映画はさまざまな見方ができる。特に、米国人あるいは米国に住んでいた方で1970年代の出来ごとを覚えている人にとっては、特別の思いがあるのではないだろうか。

 私にとっては、ニクソン時代(1970年代)の米国の話は直接体験ではない、やや遠い・昔の話だったけれども、報道されている事実を確認したり、ドラマとしてどきどきしながら観た。

 ここでは、メディア、及びジャーナリズムのドラマという観点から書いてみる。

ーなぜこの事件がドラマ化されたか

 映画の元々はロンドンの舞台劇だった。初演は、2006年8月、ロンドンのドンマル・ウェアハウス劇場だった。翌年には米ブロードウェーで上演の運びとなった。

 台本を書いたのは英国人ピーター・モーガン(1963年生まれ)。モーガンが最初にフロストとニクソンの話を書こうと思い立ったのは、「英国人ジャーナリストの話だったから」(2009年1月、BBCラジオでの談話)だそうだ。「英国人が」という部分がきっかけというのは意外である。

 モーガンのこれまでの作品には映画「クィーン」、「ラスト・キング・オブ・イングランド」(2006年)、ブレア元首相と次のブラウン首相との確執を描いた英テレビのドラマ「ディール」(2003年)などがある。

 映画化にあたり、モーガンが監督に選んだのはロン・ハワード(「コクーン」、「ビューティフル・マインド」など)だった。先のBBCラジオの番組の中で、「台本を素直に映画に出来る監督が欲しかった」とモーガンは述べている。オリバー・ストーン(「7月4日に生まれて」、「JFK」他)ではなく、ロン・ハワードだ、と。

 ストーンは既に「ニクソン」(1995年)を作っている。ストーンがやったら、原作とは全く違う作品に作り変えられてしまうと懸念したのだろうか?

 ニクソン大統領とウォーターゲート事件を扱った映画では、ロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマンがワシントン・ポスト紙の記者に扮した「大統領の陰謀」(1976年)があった。この映画を観て、「ジャーナリストになりたい」と思った人は多いのではないだろうか。「フロストxニクソン」も似たような興奮を呼び起こす作品だ。ジャーナリズムに関する興味深い映画の1つと言えるだろう。
 
 さて、「ジャーナリズム」というのを、どう説明したらいいだろう?

「 日々の出来事をつづる」という意味で広く解釈するとしても、何らかの形で物事の真実、本質を言い当てるという役目があるとしたら、フロストはこの映画で完璧にジャーナリストだったと言えるだろう。

 真実を突き止めるためのフロストのやり方は、経験に培われた勘である。調査も十分にやるのだけれど、最後は度胸とその人の感性がものを言う。改めて、それが分かる映画だ。
 
 フロストのインタビューは12日間に渡って行われ、インタビューを収録した番組を4500万人が視聴した。

―フロストとニクソンを演じる

 主役の2人の俳優(ニクソンがフランク・ランジェラ、フロストがマイケル・シーン)は、舞台劇の時そのままだ。

 マイケル・シーンはウェールズ地方の出身であることを誇る俳優で、2013年現在44歳(映画公開時は40歳)。尊敬する俳優として、同じくウェールズ出身のリチャード・バートンを挙げている。英国内で広く注目されたのは、先のモーガンのテレビドラマ「ディール」でブレア元英首相を演じた時だ。その後、映画「クィーン」でもブレア氏を演じた。BBCのドラマで、英国の喜劇俳優ケネス・ウィリアムスを演じ(「ファンタビュロサ」、2006年)、これも高く評価された。実在の人物を演じるのが本当に好きらしい。

 一方のフランク・ランジェラは75歳(公開時は71歳)。イタリア系米国人でニュー・ジャージー生まれ。シラキュース大学でドラマを専攻し、1959年卒業。ブロードウェーの舞台劇と後の映画版「ドラキュラ」(1979年)でドラキュラ役を演じて名が知られるようになる。出演作品は多いが、近年の作品の一つが俳優ジョージ・クルーニーが監督した、米テレビ界の内幕物「グッドナイト・アンド・グッドラック」(2005年)。2007年、「フロストxニクソン」の舞台版での演技で、優れた米演劇に与えられるトニー賞の主演男優賞を授賞している。

 「フロストxニクソン」は2009年の第81回米アカデミー賞で最優秀作品賞にノミネートされていたが、受賞は逃した。派手な作品ではなく、おもしろおかしい作品でもないが、知的な娯楽作品として、じっくり楽しめる映画だ。おそらく最も似つかわしいのは映画館よりも、くつろげる自宅の居間かもしれない。

―ウォーターゲート事件の経緯

 ウォーターゲート事件を振り返ってみよう。

 1972年6月17日、ワシントンのウォーターゲート・ビル内の米民主党本部に押し入った5人の男性が逮捕された。男性たちは数千ドルの現金と大統領官邸内の電話番号を持っていた。

 同年8月、ワシントン・ポスト紙のボブ・ウッドワード記者とカール・バーンスタイン記者が、ニクソンの大統領再選のための選挙チームが先の強盗の1人に2万5000ドル(当時と現在では比較が難しいが、あえて現在の換算にすれば約250万円)を渡していたと報道した。

 「ディープ・スロート」と呼ばれる秘密の情報源からの情報をもとに、記者2人は、与党共和党が民主党を混乱させるため「汚い手口」を使っていたことを突き止める。(2005年、元FBI副長官マーク・フェルト氏が自分がディープ・スロートだったと告白した。フェルト氏は2007年亡くなった。)

 11月、事件への関与が噂されていたにも関わらず、ニクソンは再選を果たす。

 1973年7月、上院のウォーターゲート事件特別委員会の公聴会で、大統領補佐役の一人が、大統領官邸では執務室の全ての会話が録音されていると証言する。特別検察官アーチボルド・コックスが録音テープの提出を要求したが、ニクソンはこれを拒み続けた。

 同年10月、テープの提出を拒むニクソンに委員会への召喚命令が出た。ニクソンはコックス検察官の解雇を要求した。解雇を拒否した司法長官が辞任し、司法次官も辞任。結局、検察官を解雇したのは新任の司法長官代理だった。相次いだ辞任と解雇を「土曜の夜の虐殺」と呼ぶ。

 1974年7月30日、最高裁の命令でニクソンはテープを提出するが、一本のテープの中の18分半の記録が消されていた。「秘書があやまって消してしまった」とニクソン側は説明した。一方、下院は大統領の弾劾決議を可決していた。

 8月4日、1972年の強盗事件の数日後、ニクソンが事件のもみ消しを画策していたことを示すテープが見つかった。8日、ニクソンはテレビ演説で辞任を表明。翌日、ヘリコプターに乗ったニクソンは大統領官邸を後にした。1ヶ月後、後任となったフォード大統領はニクソン元大統領に対し、無条件の特別恩赦を行うと発表した。

 フロストによるニクソンのインタビューが実現したのは1977年だ。3月23日から12日間の間に行なわれ、同年5月、4回に分けて放映された。

―インタビューの後、登場人物はどうなったか?

 フロストはニクソン以降、歴代米大統領をインタビューする機会を得た。朝のテレビ番組の司会者として著名になり、1993年から2005年まで続いた「ブレックファースト・ウィズ・フロスト」はBBCの人気番組の1つとなった。2006年からはカタールの衛星放送「アルジャジーラ」の英語版で「フロスト・オーバー・ザ・ワールド」という自分の番組を持った。1993年、「ナイト」の称号を得た。2013年8月末、没。

 ニクソンは辞任後、10冊の本を書き、多くのスピーチの依頼をこなし、精力的に活動を続けた。1994年、政策シンクタンク「ニクソン・センター」を立ち上げて間もなく、心臓発作で亡くなった。

ー裏話

 英ガーディアン紙が、フロストによるニクソンのインタビューで、プロデューサーの役割を果たしたジョン・バートに取材している(9月2日付)。バートは「フロストxニクソン」にも出てくる人物だ。後、BBCの経営陣トップ、ディレクタージェネラルに就任している(1992-2000年)。

 バートによると、フロストの2つの遺産とは、1960年代の風刺ブームを作ったこと、権力者に挑戦するようなインタビューの形を作ったことだ。

 ニクソンへのインタビューが可能になったのは、「フロストが個人で資金を出し、当初たった一つだけインタビュー番組に関心を持っていた、米ネットワークに勝ったからだ」。フロストはロンドン・ウイークエンド・テレビジョンの株を売るなどをして、取材を可能にするための資金作りを行った。

 インタビューのために、ニクソンはベトナム戦争や国交樹立を果たした中国について周到な準備を重ねていたが、ウオーターゲート事件についてはそれほど準備をしていなかったとバートは語る。「4時間近くのインタビューの後で、謝罪の言葉がニクソンから出てきた」。バートは「その瞬間、まるで(赤ん坊の)誕生に出くわしたような気がしたよ、正直言って」。
by polimediauk | 2013-09-04 16:44 | 政治とメディア