小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk
プロフィールを見る
画像一覧
通知を受け取る

カテゴリ:イラク( 27 )

(上)についてこちらをご覧ください。

バトラー調査が諜報情報を吟味する

 ハットン委員会の報告書が「何故イラク戦争を開始したのか?」の疑問に答えてくれると思った国民は、落胆した。そこで、戦争前の政府の情報活動を検証するため、政府は新たに調査を開始することになったーこれもまた、税金を使っての調査である。同時期に、米国でもブッシュ政権がイラク戦争にかかわる諜報情報についての調査委員会を立ち上げる動きを見せていた。

 政府が元官房長官のバトラー卿に命じる形で始まった調査は正式には「大量破壊兵器の情報の見直し」という名前だったが、通称「バトラー調査」と呼ばれるようになった。先のハットン委員会同様、政府が命じた調査であるので、国税が運営資金だ。

 調査会のメンバーは政府が主要野党との交渉で最終決定した。バトラー卿に加え、労働党議員(当時は与党)、保守党議員(当時は野党)、元国防省高官、後に別の委員会を率いることになる高級官僚ジョン・チルコットであった。2月から始まった会合は非公開で回を重ね、7月14日に報告書を公表した。結果は、既にギリガン記者が報道していた内容、国民がうすうす感じていた状況を、概ね裏付けるものだった。 

 報告書は、「イラクは配備できる生物化学兵器を開戦前に保有していなかった」、「この点からイラクが他の国より緊急な課題であった証拠はなかった」、「45分の箇所を裏付ける十分な情報がなく、2002年の報告書に入れるべきではなかった」とした。

 また、「官邸が02年の時点でブッシュ政権のフセイン打倒方針を支持する意向を固めていた中、統合情報委員会は不十分な情報をもとに性急な報告書をまとめた」とし、スカーレット統合情報委員会委員長が何らかの形で官邸からプレッシャーを受けていたことを示唆した。 

 先のハットン報告書では、スカーレット委員長が、02年文書の作者として、脅威を強い表現で書き表したいという官邸の意向を「潜在的に汲んだ可能性がある」とした部分を裏付けた。 

 しかし、バトラー報告書は、「統合情報委員会の評価や判断が政策への配慮から特定の方向に引っ張られたという評価は見つからなかった」ともしている。 ギリガン報道の中の、「政府が誇張した」という部分は証明されたとしても、「嘘と知りながら」とした部分は証明されたのだろうか? 

 ギリガン自身は、「自分の報道が正しかったことがバトラー報告書で証明された」とBBCのニュース解説番組で語った。報告書は「45分の箇所を裏付ける十分な情報がなく、2002年の政府文書に入れるべきではなかった」など、充分に確証がない情報が入ったことを明言し、これは「確証がないのを知っていて入れた」、つまりは「嘘と知りつつ」という部分を意味し、「報告書そのものが、自分の報道の裏づけ」とした。 

今度は政治的判断を解明へ

 ハットン委員会、バトラー調査も、ブレア政権がイラクの脅威を誇張し、国民を「だまして」戦争に参加させたのではないかという疑念を解明することができなかった。

 そこで、2010年から開戦にかかわる政治事情を検証する「チルコット委員会」(枢密院メンバーのチルコットが委員長。チルコットはバトラー調査にも参加)が調査を行った。正式名称は「イラク調査」である。時のブラウン首相が調査を命じる形で発足させ、国税を使っての調査である。

 委員会のメンバーは首相が選出した。チルコットのほかには、歴史家が二人、前ロシア大使、上院議員が一人の前6名である。

 2012年2月に調査は終了したが、2014年7月現在、報告書の発表時期は正確には決定していない。

 公表が遅れていた大きな理由の1つは、委員長が報告書に入れることを希望していた書類が機密扱いになっていたためだ。

 委員会によれば、03年の開戦にいたるまでの時期の閣僚レベルの会議の議事録、ブレアがブッシュ米大統領に送った25の書簡、ブレア、次の首相となったゴードン・ブラウン、そしてブッシュ間の130以上の会話記録だ。

 チルコット委員長は政府に対して一連の記録の公表願いを出し続けてきたが、「司法上及び外交上の理由」から許可が下りないままでいた。公開の最終的判断はキャメロン首相のアドバイザー役となる官房長長官が行う。もし公開されても、部分的に黒塗りになるとも言われていた。

 今年5月、委員会と官房長長官側が会話の要約の公開について合意したと報道された。これを機に、年末には報告書が出るといわれている。

新たな国連決議は必要だったか?

 チルコット委員会の調査を通し、「嘘をついたのかどうか」、「合法か違法か」の2点についてどのような証言が出ているかを若干、拾ってみたい。

 開戦前、イラクには大量破壊兵器があると政府は国民に対して繰り返し説いた。また、武力行使の理論的根拠は、さらなる情報開示と査察の全面受入れ求めた国連決議1441にイラクが違反している、という説明があった。

 当時外務省の副主席法律顧問だったエリザベス・ウイルムスハーストは、開戦前夜、イラクへの武力行使は新たな国連決議なしには国際法に違反するというのが法律顧問チームの一致した見方だったと述べた(2010年1月26日の公聴会にて)。

 一方、ピーター・ゴールドスミス法務長官(イラク戦争当時)は外務省の法律顧問とは異なる見方をした。法務長官は政府の最高法律顧問の役割を持つ。

 ウィルムスハーストが召還された日の翌日27日の公聴会に出席したゴールドスミスは、当初は既に採択された国連決議だけではイラク攻撃を正当化するには「不十分」と考えていたが、開戦直前に、新たな決議がなくても合法と司法判断を変えたという。理由は、明確な判断を必要としていた軍部や官僚への配慮だった。「戦場に派遣されるのに、もしかしたら合法、もしかしたら合法ではないかもしれない、という判断では十分ではない」。

 29日に公聴会に出席したブレア元首相はフセイン元イラク大統領の危険性を繰り返し、イラクへの武力行使を「今でも正しかったと思っている」と述べた。

 政府文書の「45分で実装配備できる」という箇所については、「諜報情報は「非常に信ぴょう性の高い」ものであると当時確信しており、イラクが大量破壊兵器の開発を継続していたと「疑いなく」信じていた、と述べた。「情報自体の信ぴょう性は低かった」と委員が指摘すると、元首相は「嘘でも、陰謀でも、欺瞞でもないーこれは決断だった」、フセイン元大統元大統領に「破壊兵器の計画を再開させるリスク」を取らないことを決断したのだ、と答えた。 

シリア危機を押しとめたのは

 イラク戦争について、開戦から10年余が過ぎても、国民の間には「国際法を無視した戦争」、「政権に嘘を疲れた」という思いが消えていない。

 それが如実に現れたのが、昨年夏のいわゆる「シリア危機」だ。シリア政府が反政府勢力に化学兵器を用いて攻撃したという報道を元に、米英はシリアに対して懲罰的な武力攻撃を行う一歩手前まで行った。(この件について、中東関係に詳しい方にはまた違う見方があろうかと思う。ここでは、英国から見た経緯を記してみたい。)

 キャメロン首相は攻撃開始に向けての十分な支持が下院議員らから受けられることを想定し、攻撃を可能にするための法案を提出した。ところが、審議の直前になって、野党労働党側が与党支持を撤回。労働党はイラク戦争時の政権党だった。

 労働党の態度急変は、多くの国民が武力攻撃を不支持であることが原因だった。イラク戦争の影が国民の心に落ちていた。国連を通じての合意がない、米英主導の武力攻撃に対して、嫌気感情が強くなっていた。

 法案は否決され、キャメロン首相は翌日の新聞で影響力の低下を批判された。米国とともに攻撃ができなくなったことで、米英間の「特別な関係」が危うくなったという見方が出た。

 しかし、オバマ米大統領は英下院の動きを見て、米国会でも同様の法案を審議すると発表。その後、紆余曲折があり、ロシアの仲裁をもあって攻撃は実現しなかった。世界最大の軍事力を持つ米国の勇み足を英国(やロシア)が止めた格好となった。

 国家がかかわる事項の中でも最も真剣度が問われる戦争・武力攻撃の是非に、メディア報道と世論が大きな役割を果たした一例となった。イラク戦争という多大な犠牲を払った後の結果ではあるがー。

最後に

 英国メディアの報道を見ていると、権力者側が出したがらない情報を市民のために暴露・公開しようとする努力の重要さを痛切する。

 日本の特定秘密保護法を含め、各国の秘密法、公的機密維持法はしてはいけないことや罰側を列挙するため、文章だけを読んでいると萎縮しがちになるが、日本のメディアが市民のために、そして市民として生きる自分や家族、同僚、友人たちのために、果敢な報道を続けることを望んでいる。(敬称略)

***

 以上、日本民間放送連盟の研究所が出している「海外調査情報 VOL9」(2014年3月)に、「国家機密と報道」というテーマで書いた拙稿に補足しました。

長い記事をお読みいただき、ありがとうございます。

***

参考

「英国メディア史」(中央公論新社)、小林恭子著

「ケリー博士の死をめぐる BBCと英政府の確執 -イラク文書疑惑の顛末」(東進堂)、蓑葉信弘著
「イギリス現代政治史」(ミネルヴァ書房)、梅川正美、阪野智一、力久雅幸編著
「ブレアのイラク戦争―イギリスの世界戦略 (朝日選書) 」梅川 正美、 阪野 智一著
「放送研究と調査」2004年8月号より 「ニール・リポート、BBCのと報道のあり方を提言 -ギリガン事件の教訓からー」、中村美子著

ハットン委員会(アーカイブ版)
http://webarchive.nationalarchives.gov.uk/20090128221546/http://www.the-hutton-inquiry.org.uk/index.htm
バトラー委員会の報告書(PDF)
http://image.guardian.co.uk/sys-files/Politics/documents/2004/07/14/butler.pdf
チルコット委員会
http://www.iraqinquiry.org.uk/
チルコット委員会のタイムライン(BBC)
http://www.bbc.co.uk/news/uk-politics-12224606
by polimediauk | 2014-07-13 18:45 | イラク
c0016826_18293049.jpg ロンドンに住む知人から、「冬の兵士」(岩波書店)という本を頂いた。知人は本の校閲に関わっていた女性である。

 副題に「イラク・アフガン帰還米兵が語る戦場の真実」とある。米国では「反戦イラク帰還兵の会(IVAW)」という組織が2004年、発足したという。

 この会が、「イラクからの即時無条件撤退」「退役・現役軍人への医療保障そのほかの給付」「イラク国民への賠償」の3つを掲げて行動を開始し、2008年、「冬の兵士」と題した公聴会を開催したのだという。公聴会では多くの兵士が戦場の実態を語り、その証言をまとめたのがこの本だ。

 2008年の話、そしてイラクに行った米兵の話ということで、いま英国に住む自分からすれば、この本に出会わなければ、公聴会のことやこの会のことを知らないでいただろうと思う。

 英国では中東のニュースが非常に多い。イラク、アフガン戦争では、米英兵の死を聞くたびに、私はイラクやアフガン国民の犠牲者や死者も同時に気になってしまう。米英兵よりもイラク・アフガン国民で亡くなった数のほうがはるかに多いはずー。どことなく、こう言ってはなんだけれど、「加害者側」の話を聞くつもりで、やや身構えて本書を読みだした。

 最後まで読み終えたとき、私は、イラク戦争に関わる様々な断片の事実が、この本によって裏付けられたことを知った。

 ウィキリークスが広く世界に知られるようになった1つのきっかけは、バグダッドにいたロイターの記者などを含む市民を、米軍のアパッチ戦闘機から銃撃した動画が、昨年4月、公開されたことだった。動画は、兵士たちがまるで戦闘行為を楽しんでいるかのような声を伝えた。たった一つの動画。でも、これが「たまたま」ではなく、日常茶飯事で、時にはもっとひどいことが行われていたことが、「冬の兵士」を読むとわかる。ウィキリークスが大手報道機関と一緒に公開した、イラクやアフガンでの米軍戦闘記録から見えてきた市民たちの犠牲は、決して偶然ではなかったことを、「冬の兵士」の証言が教えてくれる。

 私は、本を読んでいる途中で、思い出したことがあった。イラク戦争の初期、米兵らが民家を「捜索」する映像が英国のテレビ局で放映された。その家に、テロ要員がいるらしいのだ。武装した数人の米兵が家の中に入ると、おびえた市民たちがいた。私が衝撃を受けたのは、米兵らがおびえるイラク人の前で、英語で怒鳴っていることだった。「男たちはどこへ行ったんだ?」「立ち上がれ、立ち上がれ、と言っているのが分からないのか!」と怒鳴り続けていた。普通のイラクの民家に入って、相手が英語が分かると何故思うのか、不思議でたまらなかった。何故、少なくともイラクの言葉で話しかけないのかー?ほんの小さな断片の話。でも、似たようなことがイラク中で起きていたことが、ウィキリークスや「冬の兵士」で分かるのだ。

 「交戦規則」というものがある。これは、「国際的に承認された」諸規範により、「戦闘に動員された兵士の行為として法的に許されるものと許されないもの」を規定したものだ(19ページ)。「双方の兵士を拷問や虐待の危険から守り、罪のない民間人が不必要に殺害されないよう保証することを意図している」という。

 しかし、この規則は、戦争が続くにつれ、有名無実化してゆく。「不安を感じたら誰でも撃って良い」になり、最初の殺しをナイフで実行したら帰国休暇の日数を増やしてやる、と上官が言うようになる。暗黙の了解として、うっかり市民を撃ち殺してしまったときのために、武器やシャベルを持参していたとある兵士は語る。武器を死体の上に置いておくだけで、「抵抗分子のように見せかけることができるから」(30ページ)だ。さらには、この兵士は、イラク人がシャベルか重そうなバッグを持っているか、どこかに穴を掘っていたら、それだけですぐ撃っていいと上官から言われるようになった。

 ほかの兵士は,亡くなったイラク人にはまったく敬意を払わなくなり、あるイラク人の男性の顔の一部を見つけると、ヘルメットをかぶせ、写真を撮っていた。この兵士は、「罪のない人々に憎しみをぶつけ、破壊をもたらしたことを謝罪したい」と述べた。イラク人の死体とともに記念写真を撮るのは、日常茶飯事であったと別の兵士が証言している。

 殺害を行う圧力に耐えられず、自殺した海兵隊の話も紹介されている。

 次々と証言を読んでいくと、最初は「人殺し」をした兵士たちに不快感と疑問を感じるが(何故人を殺害するような仕事に志願したのか、何故一度のお勤めを終わって、また続行するのかという気持ちが、読む間中、常にあった)、耳や目をそむけたくなるような行為こそが、戦争の真実・実態である、ということでもあろう。

 若き兵士たちが大きな機械の1つの歯車になって実際の人殺しを担当し、心身ともに摩滅してゆく様子を知り、人殺しをさせる戦争という仕組みそのものに対する怒りがわいてくる。

 戦争という仕組みの中で、有名無実の交戦規制の下、多くのイラク人を殺傷することを強いられた兵隊たち。兵士たちを後押しするのは、米国の政治家や国民による、イラクに米兵を送るという決断だ。米兵たちは、イラクやアフガンの国民からすれば、加害者そのものだろう。「犠牲者」か「加害者」かと二者択一で分けられるものでもないのかもしれないが、イラクやアフガニスタンの国民には選択肢がなかった。市民レベルでは、戦争に同意したわけではない。勝手に始まった戦争で、傷つけられ、殺されている。しかし、兵士となった米国民は、少なくとも志願したという意味では、その人生を選択したことになる。

 ―とは思うけれど、そんなことは、戦争に行ったことがなく、のほほんと英国で暮らしている私が(他の人が戦っているからこそ、平和であるのだろうから)漠然と考えるたわごとに違いない。

 武力を持って相手を殺しあう戦争という仕組みがなくならなければ、いつまでも、加害者が、犠牲者が、死者が、遺族が出る。

 数日前にも、またひとり、英軍兵士がアフガニスタンで攻撃を受けて、命を落とした。10年前の開戦から、もう300人以上の英兵が亡くなっている。しかし、アフガンでは、300人どころから、数千人規模で人が亡くなっているはずだ。

 自分が実際に手を下す代わりに、誰か他の人が、自分や自国の「敵」と戦っている結果、多くの人が平和な世界に住んでいる。兵士によって守ってもらっている平和を享受する人間は、兵士の殺害行為の共犯と言えなくもない。実際に人を殺し、かつ自国側も兵士の死を出す英国に住んでいると、この矛盾あるいは欺瞞をどうしたらいいのか、と思う。軍隊を持つことを肯定している国、英国。「一切の戦争がなくなってほしい」と考える自分は、「義務を果たさないのに、恩恵だけもらおうとしている」とも言えるのではないか?英兵の死の報道を聞くたびに、そんなことを、日々、感じる。一刻も早く完全撤退してもらいたいーひとり、またひとりと英兵の訃報が出るたびにそう思う。

***

 「冬の兵士」は、読んで、考える本。是非、実際に手にとってみていただきたい。
by polimediauk | 2011-06-04 18:30 | イラク
 いよいよ今年最後の日となった。

 日刊ベリタに「イスラエルによる空爆下のパレスチナ・ガザからの緊急通信ーー発信者はガザ・アル=アズハル大学の英文学科のアブデルワーヘド教授(Prof Abdelwahed)」という無料記事が出ていた。

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200812282119060

 1月4日にBBCラジオ4でインタビュー番組が放送される、イラク出身で在英のアリ・アッバス君のことを2年前にベリタに書いた。 彼のことに興味のある方へのほんのご参考として、記事の最後の分を以下に貼り付ける。(番組は以下のアドレスから聞くこともできる。1月5日まで。)

http://www.bbc.co.uk/programmes/b00g4g9j


2006年08月23日
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200608231452493

両腕を失ったイラク人少年(3) 周囲に見守られて成長 後にトラウマに悩まされるのではとの懸念も

c0016826_1503386.jpg イラク・バグダッドで生まれ育ったアリ・イシュマル・アッバス君(15)はイラク戦争のとき、米軍による爆撃で両腕と肉親の多くを失った。現在、英国で治療を受けながら生活している。学校での様子と将来の可能性を、側で見守る学校の校長とケアーワーカーの女性から聞いた。(写真左がアリ君で、右がアーマド君。)
 
 アリ少年が通う私立の学校、ホール・スクール・ウインブルドンは、ロンドン南西部の住宅街にある。夏休みに入る直前、アリ少年ともう1人のイラク人の少年アーマド・ハムザ君(17)の世話をしている女性、ミナ・アルカティブさんと共に、学校を訪れた。アルカティブさんもイラク人で、17年前にフセイン元大統領の圧制から逃れて英国にやってきた。 
 
 建物の入り口に、ダーク・ブルーのジャージ姿のアーマド君がいた。アーマド君とアリ君が住む家を私が訪ねたことを思い出したらしく、「あー、日本人のジャーナリストの人だね!」と笑顔を見せる。アーマド君は、アリ君同様、バグダット出身で、爆撃によって片手と片足を負傷し、英国で治療中だ。 
 
 しばらく待合室で待っていると、日焼けが目立つ、めがねをかけた男性が入ってきた。この学校を16年前に立ち上げた、ティモシー・ホッブス校長だった。校長室は一見、通常の住宅の居間のような趣で、いくつかのソファーや椅子が向き合って置かれていた。ベージュを基調とした、温かな、くつろぎの感覚を与えてくれる雰囲気があった。 
 
 アルカティブさんと一緒に校長室に座っていると、アリ君が入ってきて、アーマド君も後から入ってくる。アリ君がちょっと恥ずかしそうにしながらソファーに腰掛け、「元気?」などと会話をしていると、校長先生が、「今日は大人だけの話なんだよ。アリ、アーマド、後でね」。そう先生が言うと、2人はやや残念そうに外に出て行った。 
 
 「自分たちのことを外の人と話すのが好きなんだよ、アリとアーマドは」と、ホッブス校長。 
 
 アルカティブさんとホッブス校長と話していると、ふと、大きな窓ガラスを通して、誰かがサッカーのボールを上に蹴り上げていることに気づいた。ボールの上下を目で追っていると、ホッブス校長は、「アリだよ。関心を引きたいんだよ。困ったよね。中に入りたくてたまらないんだよ」と、やや苦笑いをした。 
 
▽授業料免除で2人を受け入れ 
 
 学校の生徒数は600人弱。日本人も含め、約50カ国からの生徒が通う。ホッブス校長は創始者兼所有者だ。「最初は1人で始めたので、授業を教えるだけでなく、学校給食も自分で作っていた」。給食作りは長年続け、ほかのスタッフにまかせるようになったのは「ほんの5年前」。 
 
 家庭的な雰囲気の学校を経営するホッブス校長が、学校から近い聖メアリー病院でイラク人の少年たちが治療を受けていると知ったのは、2003年の夏だった。アリ君たちの面倒をみていたのは病院の中にある義手義足協会で、ホッブス校長は協会を通じて2人の少年に会うことができた。学校が国際色豊かであるため、すでに英語を外国語として教える教師もおり、2人は授業参観という形で短時間、学校を訪問することになった。 
 
 次第に2人の滞在時間は長くなり、ホッブス校長は授業料免除で2人を生徒として受け入れることを決めた。「すでに外国籍の子供を教える体制があって特別に人を雇う必要がなかったし、自分は学校の所有者でもあるから、2人の状況を考慮しての授業料免除の決断は難しくなかった」。 
 
▽「トラウマは見受けられない」 
 
 ホッブス校長によると、両腕や肉親を爆撃で失ったことによるトラウマの跡は、「少なくとも2人を見る限り、ない。特にアリにはないようだ」。 
 
 「学校にいる時の様子を見れば、2人とも非常によく周囲の環境に溶け込んでいる」。これは、ホッブス校長にとって驚きだったが、懸念でもあるという。あまりにも屈託がないので逆に、いつかこれが崩れたときの衝撃が大きいのではないかという懸念だ。 
 
 同じような懸念をアルカティブさんも口にしていた。 
 
 ケアーワーカーに面倒を見てもらいながら一緒に暮らしているアリ君とアーマド君だが、2人の自宅を訪れた時、同席していたのがアルカティブさんだった。 
 
 少年たちへの取材は支障なく進んだが、爆弾を落とした側の国に住んでいることに関しての感想を求めると、アルカティブさんはきつい表情になり、「そういうことは本人に聞かないで欲しい」と言っていた。 
 
 取材などを通じて、2人が身の上に起きた悲惨な出来事を語り、ジャーナリストたちがその時の感想などを聞くことで、痛みや悲しみの感情が爆発するのでは、とアルカティブさんは心配していた。「今は何のトラウマの跡も見えないからこそ、心配だ」。 
 
 「何年か経って、アリやアーマドが1人になって、ある時、すべての意味合いを自分自身で確認したときに、とても苦しむのでないか?これが心配でたまらないし、そういう時が来ることに対して恐怖感が、自分自身ある」。 
 
 ホッブス先生はアルカティブさんの悩みを「十分に理解するし、懸念も共有する」が、学校としてはジレンマがあるという。「生徒自身に何らかの異常が見受けられなければ、学校として医者に連絡を取ることは難しい。精神的ストレスが見える形で出ていれば、行動を起こせるのだが」。 
 
▽仲間たちの支え 
 
 ホッブス校長は、悲惨な出来事が起きたにも関わらず、アリ君たちが学校生活に非常によくなじんでいるのは、「おそらく周囲の人々やほかの生徒からのたくさんの愛情と友情に囲まれているからではないか」と推測する。「イラクで育って、様々な暴力的な場面に出くわして、感覚が鈍化している部分もあるかもしれないが」。 
 
 筆者は、アリ君の自宅を訪れた時、アリ君が言っていたことを思い出していた。アリ君は足を使ってコンピューターの操作ができるが、戦争ゲームなどをオンラインで楽しんでいると話した。「生まれたときからイラクは戦争状態だったんだよ。慣れているんだ」。 
 
 2人は、ほかの生徒たちとも「通常の友人関係を保っている、と言っていいと思う」とホッブス校長。しかし、「全く同じというわけではない」。「子供たち同士がお互いの家に泊まりに行く習慣が英国ではあるけれど、これはほとんどやっていないようだし、放課後、待ち合わせして出かけたりするときにアリを誘うこともないようだ」。 
 
 何故なのだろう? 
 
 ホッブス校長自身に確信的な答えがあるわけではないという。「一般的に言って、今の世代の子供たちはそれぞれ自己中心的。昔、自分が子供時代はマナーを保つのが重要だった。お互いに親切にしあうなどのマナーを守ることが。今はすっかり変わってしまった」。 
 
 ただ生徒たちにとって、イラク戦争が身近になったのは確かだという。「アリは1週間に一度、イラクに残っている親族に学校から電話する。アラビア語が聞こえてくる。グーグルを使ってバグダッドの地図を見ると、同級生のアリはここから来たんだな、と思う。イラクが生徒にとっては近い存在となった」。 
 
 しかし、「自分たちの政府がアリが腕を失ったことに責任ある、というところまでは考えていない」。 
 
 話を学校の外に広げると、ホッブス校長は一種の恥を感じているという。「キリスト教に基づいた国なのだから、もっとお互いに助け合う精神があるかと思ったというのが本音だ。例えば、聖メアリー病院に通っていた2人を自分の学校に連れて来ようとする人はもっと多いと思っていた。ところが、申し出たのは私の学校だけだった」。 
 
▽「アリの姿を見るたびに怒り」 
 
 多くの生徒たちが英政府とアリ君の負傷を結びつけるところまでいかないとしても、ホッブス校長自身はイラク戦争をどう見ているのだろう? 
 
 「アリと出会う前、自分自身特に強い意見をイラク戦争に関して持っていたわけではなかった。しかし、一般的に言うと、誰かの国を侵略して、結果として起きた損失をそのままにして、その国を見捨ててはいけない」。 
 
 ホッブス校長は言葉を選びながら、ゆっくり話し出した。「アリを傷つけたのが自分の国である英国だと思うと、実際、腹が煮え繰り返る思いだ。英国にはイラク戦争を起こした責任がある」。 
 
 学校でアリを見るたびに、毎回、何とひどいことをしたのかと思う。「バクダッドに爆弾を落としたとき、何故もっと正確に照準を合わせられなかったのだろう」。 
 
▽将来自立できるだけの技能 
 
 ホッブス校長は、アーマド君には配管工などの仕事が合い、アリ君は成績が良いので大学に進む可能性もあると見ている。「英国ばかりか、米国あるいは日本の大学にも、頑張ればいけるかもしれない」。 
 
 9月からは、大学進学準備用の特別授業のため、新たに教師を増やす予定だ。「アリは義手を使って文字を書くことはできるけれど、まだまだ不自由なので、口頭で答えて誰かに書いてもらったほうが早い。これをどうするかを考えないと」。 
 
 将来の2人の成長を考えるときに重要なのは、「自分たちを特別視しない環境に身を置き、学ぶこと」をホッブス校長もアルカティブさんも口にした。 
 
 「人々が2人に興味を失ったときにどうするのか?自立できるだけの技能を身に付けることが本当に重要だ」とホッブス先生。 
 
 2人を英国に呼び寄せる道筋を作ったのはロンドンの義手義足協会だった。イラクで負傷した子供たちを助けるための「アリ基金」もここが管理・運営している。アルカティブさんによると、アリ君は「協会があるのは僕たちのおかげなんだよ」と言ったことがあるという。 
 
 アルカティブさんは「馬鹿なことを言うな」と叱った。「アリ、明日はどうなるか分からないんだよ。今は人がちやほやしてくれるかもしれないけれど、一生は続かない。1人になったときにでもちゃんとやっていけるように、たくさん勉強して、資格を取っておくんだよ」。 
 
 取材を終え、外に出ると、アーマド君とアリ君の姿が校庭に見えた。サッカーのボールを校庭に置いて、2人が私の側に寄ってきた。アリ君はサッカーをするときには「重すぎる」ということで義手をはずしており、両腕の部分にはシャツの袖が下がっているだけだった。「今日はもう終わったの?」「また会える?」といった会話を交わした。 
 
 2人は夏休みにはイラクに戻り、親戚に会う予定だという。アーマド君の手を握り、握手ができないアリ君とは体を抱きかかえるようにして挨拶をして、別れた。 
 
 夏休みが始まって間もないある日、アルカティブさんから電話があった。アルカティブさんの親族はイラクから逃れ、隣国ヨルダンに住んでいる。英国からヨルダンに行き、家族と会うという。「イラクに戻ったアリとアーマドは秋には英国に戻るよ。戻ったら、食事でもしよう」とアルカティブさん。 
 
 8月上旬、バグダットのサッカー場で自爆テロがあり、子供たちが殺されたというニュースをテレビで見た。2人は無事だったろうか?自分たちと同じようにサッカーが大好きな少年たちが亡くなったとのニュースは衝撃的だったに違いない。 
 
 バグダットと比べるとあまりにも平和なロンドン郊外の生活。英国が現在のイラクの悲惨な状況を作り出したことを、成長する2人はどう受け止めていくだろうか。アリ君とアーマド君が、周囲の支えと自分たちの知恵で、より良い人生を賢く切り開いていくことを強く願った。 (終)(注:年齢などは2006年時点のものです。)
by polimediauk | 2008-12-31 01:54 | イラク
 ジョン・バッカンの書いたサスペンス小説「39階段・39ステップス」を読まれた、あるいは映画で見た方はいらっしゃるだろうか?昨日、BBC1で現代版ドラマが放映され、思わずどきどき+うっとりしながら見ていた。ドラマが終わると、BBC4ではバッカンの生い立ちや外交官、政治家としての姿を描くノンフィクションの番組があった。小説は元祖007のような作品だ。バリバリの仕事人でありながら、どんどん書き続けた作家だった。

http://www.bbc.co.uk/iplayer/episode/b00gd1rq/The_39_Steps/
http://en.wikipedia.org/wiki/John_Buchan,_1st_Baron_Tweedsmuir
http://en.wikipedia.org/wiki/39_steps

 以下は昨日から引き続いてのアリ少年の記事である。

2006年08月05日 日刊ベリタ掲載
(注:数字などは当時のものです。)
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200608051108446
c0016826_0414429.jpg

両腕を失ったイラク人少年(2) 
「ヒロシマって、すごいよね」


  2003年3月末、イラク戦争で米軍による爆撃で両親、兄弟、両腕を失った、イラク人少年アリ・イシュマル・アッバス君(15)は、現在、英チャリティー団体の支援でロンドンに住み、医療ケアを受けながらも元気に生活できるようになった。異なる文化、環境の中で、毎日をどのように生きているのだろうか?ケア先で会ったアリ君の、一見屈託なさそうな姿を前に私は何度か質問をはばかられる思いがしながらも、戦争が彼の心にどのような影を落としているのかを聞かずにはいられなかった。
 
▽「日本にぜひ行って見たいな」 
 
 アリ君が現在住んでいるのは、ロンドン近郊にある住宅街。交通量の激しいバス通りが近いものの、緑が多い環境で、こじんまりとした中流階級の家がいくつも並ぶ。 

 玄関のブザーを鳴らすと、ケアをしているフランス人女性がドアを開けてくれた。「いらっしゃい」。 
 
 居間に入ると、アリ少年と、同時期にバグダッドで爆撃を受け、右手と左足を失ったアーマド・ハザム君(17)が出迎える。 
 
 学校に行くときだけ義手をはめているというアリ少年は、サッカーのマンチェスターユナイテッドのシャツを着ていた。ソファーに腰掛けて、やや恥ずかしそうにこちらを見ている。アーマド君は17歳よりは随分年少に見え、アリ君と反対側のソファーに一人で腰掛けた。 
 
 2人の少年は、2003年夏、世界でも義足、義手の技術水準が高いといわれる英国で、生活をしながら医療ケアを受けるためにやってきた。ロンドンのチャリティー団体、義手義足協会が中心となって集めた「アリ基金」が2人の生活費などを支援している。 
 
 当初はアリ少年の叔父モハメドさんが2人の面倒を見ていたが、現在はイラクに戻っており、義手義足協会や他のチャリティー団体のボランティアの女性たちが、交互にこの家で少年たちと寝食を共にしている。 
 
 「何でも聞いていいのよ」、と、協会のメンバーで在英イラク人のミナ・アルカティブさんが言う。 
 
 「お父さんは何をやっていたの?」と聞くと、「タクシーの運転手だったんだよ!」と誇らしげに語るアリ君。イラクでの生活の様子や、英国に来るまでの経緯を、アリ君、アーマド君、アルカティブさんたちが、交互に話してゆく。 
 
 3年前までは、英語力は全くゼロだったというアリ君だが、早口の英語でどんどんしゃべる様子は、英国で生まれ育った子供かと錯覚するぐらいだ。アーマド君は自分からは殆ど話さず、アリ君のしゃべる様子を、うなずきながら、楽しそうに聞いている。二人が知り合ったのは、英国に来る前、クウェートの病院でリハビリを受けているときだった。「兄弟のように」仲がいい、とアルカティブさん。 
 
 アリ君の一番好きなことは、サッカーだった。「週末にはサッカーの試合をしているし、サッカーのゲームもするし、テレビもサッカーばかり」。丁度ワールドカップが始まったばかりだったので、2人の少年に「どこが勝つと思う?」と聞いてみると、二人が同時に「ブラジル!」と叫んだ。(残念ながら、ファイナルまでは行けなかったが・・・。) 
 
 「食べることも大好きだよ。全くもう、この子たちの食べる様子といったら、すごいよ。馬みたい」とアルカティブさん。 
 
 「スシが大好きだよ」とアリ君。「学校の勉強では地理が好き。美術もね。展覧会もやったんだよ、知ってる?」 
 
 アリ君は、チャリティーのために、足を使って絵を描いた。今年、この絵を義手義足協会主催の展覧会に出したのだった。 
 
 腕はなくても、足の指を使ってコンピューターを操り、ゲームをしたり、グーグルでバグダッドの自宅付近の地図を見たりすることもあるという。「義手は学校でしか使わないんだよ。重いから、自宅でははずしている。学校ではみんなと同じと見られたいからね」。 
 
 「日本から来たんでしょう?ヒロシマって、すごいよね。原爆で全部吹き飛ばされたんでしょ。何もなくなったのに、今はたくさんビルが建ってるんだってね。日本はすごいね。本当にすごい・・・。」 
 
 アリ君は、ヒロシマとバグダッドを重ね合わせてみたのだろうか? 
 
 「それに、動物のロボットってあるよね、あれがすごい」。 
 
 何のことか最初分からずにいると、一生懸命、その「ロボット」が何かを説明しようと、足や上半身をゆすった。「(ソニーの)アイボのこと?」「それだよ!」 
 
 「日本はテクノロジーがすごいよね。僕の両腕もハイテクで作ってくれないかな?できるかな?」 
 
 まるで自分の本当の腕のように、自由自在に動かせる、重さを気にせず使える腕を、アリ少年は本気で欲しがっているようだった。 
 
 「日本に行って見たいんだよ」とアリ君が言うと、アーマド君も、「僕も行ってみたい」。「記事の中に、アリとアーマドが日本に行きたいと言っていた、と書いておいてね」 
 
▽「戦争は嫌い」 
 
 義手義足協会が販売窓口となっている、少年のこれまでを書いた「アリ・アッバス・ストーリー」という本の中で、アリ君は多くのジャーナリストが彼に話を聞きに来るのは、バグダッドの爆撃で肉親や両腕を失ったからだろう、としている。 
 
 「メディア関係者や支援者たちの支えがなければここまでやってこれなかっただろう」と述べながらも、有名になるよりも、「誰にも知られないままのほうが良かった」と本音をもらしている。「肉親や両腕を失くして有名になったり、人気になったりするよりも、むしろ普通で、両親がいたほうがずっと良かったな」 
 
 どんな質問にも冗舌に答えるアリ君だが、取材に来たからには、聞きにくいことを聞かなければならない。「イラク戦争に関して、どう思う?」なんていやなことを聞くのかと、自分自身、鳥肌が立つ思いだった。 
 
 「うーん・・・戦争はね、誰にとってもいやなものだと思う。戦争が好きな人はいないよ」。アリ君の横には大きな画面のテレビがあった。イラクから送られてくる番組が放映されていた。連日、自爆テロなどで人が命を落としているイラクの様子を伝えるニュースも,このテレビを通して見ているのだろうか? 
 
 「でも、生まれたときからずっとイラクは戦争をしていたようなものなんだよ」 
 
 アリ少年は1991年生まれ。90年夏にはイラクがクウェートに侵攻していた。クウェートから撤退するべきという国連決議にイラクが応じず、91年1月、米国は空爆を開始し、湾岸戦争が始まっている。 
 
 イラクに住む子供たちにとって、戦争ごっこは遊びの1つだったという。 
 
 さらに聞きにくいことを聞いてみる。「英国に住んでいることに関してはどう思う?英国は米国と一緒にイラク戦争を開始したよね。爆撃した側の国にいることになるわけだけど・・」 
 
 アリ少年は、少し言葉に詰まった。答えたくないのではなく、どういったら一番いいか、考えている様子だった。 
 
 しかし、ほんの一瞬の隙をついて、アルカティブさんが介入した。「そういうことは本人に聞かないで欲しい。まだまだ、立ち直っている段階なのだから」。アルカティブさんがきつい表情になったのは、このときだけだった。突然の緊張の理由は、後で学校を訪問したときに分かることになるのだが。 
 
 「ねえ、サッカーするの、見せようか?」とアリ君が声をかけた。 
 
▽「筋がいいね」 
 
 居間を出て、裏庭に出た。アーマド君とアリ君は、足を器用に使ってサッカーのボールを動かしだした。ヘッディングもなかなか上手だ。サッカーをすると聞いて最初は驚いたが、考えてみると手を使わないスポーツだった。 
 
 写真を撮ろうとして2人の側にくっついていた私のところにも、ボールが何度か来た。 
 
 私は、小学生時代を思い出し、ボールを返した。「へー、なかなか、筋がいいねえ」とアリ君に言われる始末だった。 
 
 ひとしきり写真を撮り終わって、居間に戻る。「アーマド君、一人で遠くのソファにすわっちゃダメだよ、こっちにおいで」というと、2人して1つのソファーに座った。 
 
 改めて近くからアリ君を見ると、ロンドンの無料紙メトロの紙面上で最初に見た、バグダッドの病院のベッドに横たわっていた12歳の少年の面影はほとんど消えていたが、大きな黒い瞳に、昔を思い出させる雰囲気が残っていた。「よく生きていたね。良かったね」。しみじみ、そう言った。 
 
 「学校はどう?給食は西洋式の食事でも大丈夫なの?」 
 
 「僕とアーマドのために、学校は特別なイスラム式のランチを作ってくれるんだよ。たった2人のためにね。すごいでしょ」とアリ君。 
 
 「日本食について、ものすごく知りたいことがあるの。いつもおかしいなあと思っていたんだけどね。日本人って、お箸を使うよね。2本の棒みたいなやつね。それでいつも不思議だったんだけど、あれで、どうやって豆とか、ちいさくてころころしたのを、掴むの?」 
 
 箸を持って豆を拾う格好をするアリ君の様子を見て、側にいたアーマド君が、笑い出す。「拾えないよね?拾えないよ、普通。変だよ」といって、アリ君も笑い出す。 
 
 「箸の先をすぼめて、拾えるんだよ。今度やって見せるよ」、と説明しても、2人は私の言ったことには納得できないようで、ころころ笑うばかりだった。 
 
 取材を終えて、2人の自宅を出た。バスに乗って、近郊にあるショッピングセンター前で降りた。 
 
 丁度お昼時になっており、青空の下、家族連れの買い物客が、オープンカフェでくつろいでいた。カフェの中央には噴水があって、子供たちが水遊びをしていた。 
 
 アリ君とアーマド君のことがまだ頭の中にあった。住んでいる家はミドルクラス用のもので、環境もいい。通っている私立の学校は学費を免除してくれたので、無料で教育を受けているという。24時間のケアをしてくれる人もいる。私はアリ君に「良かったね」と言った事を思い出した。 
 
 でも何が「良かった」のだろう? 
 
 両腕と肉親を失ったけど、周りの人が優しくて、衣食住が十分に足りていて、安全で平和な英国の暮らしが保障されているから、「良かったね」とは言えないはずだったのに。失った両腕と肉親に取って代わるものはないだから。 
 
 子供としてバグダッドで生きていた、というそれだけで、両腕を失ったアリ少年。彼の自宅からバスで10分もかからない場所にあるオープンカフェでは、人々が太陽の日差しを楽しみ、子供たちが遊んでいた。その限りなく平和な光景と少年が受けた傷の部分との間のギャップは大きいように思えた。 
 
 連日100人以上が命を落とす自爆テロが続くバグダットから遠く離れた英国で、アリ君はこれからも幸せに生きていけるだろうか? 
 
 周囲の期待と今後を探るため、学校を訪ねた。(続く) 
by polimediauk | 2008-12-30 00:44 | イラク
c0016826_45581.jpg BBCラジオ4で、米英主導によるイラク・バグダッド侵攻で両親を含む家族・親族16人を失い、自分自身も両腕を失った少年、アリ・アッバス君(在英)のインタビューが、今日(29日)と来年1月4日、放送される。今18歳で、ずいぶん大きくなったなあとBBCのニュースサイトを見て思った。もう「青年」だ。

http://www.bbc.co.uk/programmes/b00g4g9j

http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/middle_east/7797876.stm

 2003年の爆撃後、ベッドに横たわっている少年の写真を見て、私自身も衝撃を受けた。06年、彼が通っている学校や家を訪ねて話を聞いたことがある。これを「日刊ベリタ」に書いている。以下に再掲載したい。06年の話であることにご留意願いたい。

2006年08月04日 日刊ベリタより
http://www.nikkanberita.com/print.cgi?id=200608040214255

【ルポ】両腕を失ったイラク人少年 (1)
 英市民が支援に立ち上がる 戦争の悲惨さ伝える国際的シンボルに 


 イラク戦争から3年余(注:当時)が経つが、開戦後間もなくバグダッドの自宅で米軍の爆撃を受け、両腕を失った一人の少年が、現在英国に住んでいる。爆撃では、両親を含めた16人の家族や親戚も失った。少年の悲惨な状況を伝える記事が報道され、少年への支援の輪が広がった。少年は義手の技術の進んでいる英国に招かれた。少年は今15歳。ロンドン郊外の静かな住宅地に住み、義手をつけ学校に通っている。戦争のむごさを伝える国際的なシンボルとなった少年の生活を現地で追った。
 
▽英メトロ記事の衝撃 

 2003年4月上旬のある朝。私は、地下鉄の駅構内で無料紙「メトロ」を手に取った。1面の写真が目に入った。 

 頭に包帯を巻いた少年がベッドの上に横たわり、泣いているのをこらえていた。両腕が肩から数十センチほどでなくなっており、腕の名残りのように見える部分にも白い包帯が巻かれていた。胴体には白い薬のようなものが塗られている。 

 新聞をたたんだ後も、悲惨な状況の中で、ベッドに横たわっている少年の姿が脳裏に焼きついて離れなかった。 

 英通信社ロイターが伝えた記事によると、アリ・イシュマル・アッバス君は当時12歳。バグダッドの米軍による爆撃で、両腕に損傷を受け、火傷の状態がひどいので、どれくらい生きていられるか分からなかった。両親も含めた親族16人を同時に失っていた。
 
 その日、壮絶な少年の状況に衝撃を受けていたのは、私一人ではなかった。 

 メトロで少年のことを知った英国の市民たちが、何か助けることはできないかと、続々と新聞社にコンタクトを取っていた。新聞社はロンドンの聖メアリー病院の中にある、義足や義手が必要な人を助けるリムレス協会に連絡し、これが、後に少年を英国に呼ぶ道へとつながっていった。 
 
 3年後の現在、生存が絶望的と言われていた少年は、サッカーと食べることが大好きな15歳の少年に成長した。 
 
▽イラクでの生活 
 
 アリ少年のこれまでを振り返る。 
 
 1991年2月。バグダット郊外の小さな村で農業とタクシー運転手を営む父イシュマル・アッバス・ハムザさんと、ハムザさんの2番目の妻となるアズハール・アリ・ダヒルさんとの間にアリ君は生まれた。既に姉が2人おり、後に弟2人も生まれた。 
 
 前年夏、イラクがクウェートに侵攻したことを受けて、1991年からは国連が経済制裁を開始していた。もともと貧しかったアッバス一家はさらに貧しい生活を強いられるようになった。 
 
 歌うことが大好きで、明るく話し好きの父と物静かで優しかったと言う母の下で育ったアリ少年は、2部屋の家に親類も含めた12人が住むという環境の中で成長する。飼っていた鶏と遊んだり、兄弟や友人たちと川に釣りに出かけたり、サッカーで遊んだりなど、幸せな毎日だったと言う。 
 
 2003年3月、イラク戦争が始まると、一家は「これでフセイン元大統領の圧制が終わる」と、喜んだ。爆撃が落ちる様子を遠くから見て、子供たちは怖いという感情とともに、心踊る気持ちにもなった。 
 
 自宅付近が米軍の爆撃を受ける危険性が高まり、母と子供たちはバグダッドから南約100キロの町に避難することになった。父親は自宅を守りながら、隣町に避難した家族を時折訪れる日が続いた。しかし、その町も危なくなってきたので、一旦自宅に戻ることになる。「安全な場所はどこにもない。自宅なら少なくとも家族が一緒にいられる」と、考えたからだった。 
 
 家族が再会の喜びと共に就寝についた、3月30日の夜、アリ少年の家があったアラブ・アルカーサ付近が爆撃を受けた。近辺に住む叔父のモハメドさんが駆けつけた頃には、既に家は破壊されていたという。 
 
 ジャーナリスト、ジェーン・ウオーレン氏が書いた「アリ・アッバス・ストーリー」によると、モハメドさんは、アリ少年の母と2人の弟の焼け焦げた、ばらばらになった体を目撃する。「生涯、忘れることができない光景だろうと思う」 
 
 付近に住んでいた親戚も含め、16人の肉親を失ったアリ少年は、バグダットのアリ・キンディ総合病院に運び込まれる。 
 
 両腕の一部が吹き飛ばされ、やけどの損傷がひどい状態だったため、叔父のモハメドさんも、病院側も、アリ君は「生きても数日」と、見ていた。 
 
▽ジャーナリストが「発見」 
 
 2003年4月6日、湾岸地区を担当するロイター通信支局長でレバノン出身のサミア・ナッカウル記者がイラク人写真家のファレー・ケイバー氏とアリ・キンディ病院を訪れた。 
 
 戦時下のために十分な医療ケアを施されず、錆付いた金属製の檻の下に横たわるアリ少年の姿にショックを受けたナッカウル記者だったが、少年の側にいて話を聞きながら取材を進めた。カメラのケイバー氏がアリ少年が唇をかみ、泣かないようにこらえている表情を撮った。 
 
 翌日、ロイターの記事は、英メトロを始め、世界中のメディアを通じて配信された。 
 
 「アリ、全てを失った少年――望みさえも」という見出しと写真がついた記事の中で、アリ少年の言葉を載せた。少年は医者になりたいという。しかし、腕を失った中で、「でも、なれっこないよ、手がないんだから。両手がもらえないなら、自殺したいよ」と、アリ少年は語った。 
 
▽英国へ 
 
 2003年4月、ロイターの記事が英メトロに掲載されると、記事を読んだ読者が続々と新聞社に電話をかけ、援助を申し出ていた。 
 
 メトロの記者が募金の受け手を捜し、西ロンドンにある聖メアリー病院の中にある、義足、義腕が必要な人を助けるチャリティー団体のリムレス協会に連絡を取った。アリ少年は長く生きることはできないと思われていたので、イラクで負傷した子供達を助けるために募金が使うことが目的で、「アリ基金」が設置されることになった。 
 
 一方、イラクでは、メトロの記事が掲載後も、バグダッドに来た世界中のジャーナリストたちがアリ少年を取材するために病院を訪れていた。 
 
 入院していたアリ・キンディ病院は医療用品の不足に悩み、十分な医療ケアができない状態になったため、オーストラリアのジャーナリストらの助けで、アリ少年は米軍の輸送機でクエートの病院に移された。助からないと見られていた少年はクエートのイビン・シナ病院のスタッフの手で、火傷跡の手術、リハビリを受けながら、回復していった。 
 
 家族を失った悲しみ、両腕がないため将来に対して悲観的になったいたアリ少年だったが、クエートの病院では2歳年上で、右手と左足を失った同じくバグダッド出身のアーマド・ハムザ君などの友達もでき、明るい面をみせるようになった。 
 
 当時、アリ少年の最大の願いはもう一度使える腕を持つこと。継続した治療には義足・義腕の技術が進んでいる国での生活が最適だとアリ少年の叔父モハメドさんや支援者たちは考えるようになった。在ロンドンの義手義足協会がこれに名乗りをあげ、2003年夏、アリ少年はアーマド少年と共に英国にやってきた。(続く) 
by polimediauk | 2008-12-29 04:23 | イラク
イラクのアブグレイブ刑務所で起きた、イラク人拘束者に対する米軍の虐待事件を記憶している方は多いと思う。

 昨日、BBCのラジオ4「ザ・チョイス」という番組で、虐待事件を明るみに出した米兵(現在は民間人)の、英国でのはじめてのインタビューが放送された。
 http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/middle_east/6930197.stm

 ジョー・ダービーという男性がその告発者。番組を聞いてみると、告発後の人生が相当につらいものであったことが分かる。

 どのようにして写真に出くわしたかと聞かれ、イラクで従軍中のある日、後に逮捕される別の米兵からいろいろな写真が入ったCDを渡されたという。最初は観光写真のようなものがあったけれど、後で有名になった、人間ピラミッド(イラク兵を裸にし、ピラミッドを作らせて、米兵がカメラに向かって笑っているなど)の写真やそのほかの虐待の写真があった。

 あまりの衝撃に、建物の外に出て、タバコを吸って頭を冷やさなければならなかったという。これをどうするか、2-3週間悩んだ。思い切って、マニラ封筒に入れたものを、しかるべき部署に渡す。「こんなものが置いてありました」と最初は言っていたようだが、そのうち、2-3時間詳しく聞かれて自分が見つけたということが明らかにされる。

 ダービー氏の部屋は当時ドアがなくて、ドアの代わりにレインコートをかけていただけで、写真の中にいた米兵にのどをかっきられるなど、殺されるかもしれないと思いながら数週間が経つ。そのうち、関係した米兵たちが連れ去られたので、一安心していたところ、食堂で仲間と食事をしていたときに、テレビでは写真をきっかけとした虐待事件の公聴会の様子が放映されており、ドナルド・ラムスフェルド氏が、「ジョン・ダービーに感謝する。おかげでこうしたことが明るみに出た」と、名指しされてしまった。(後でラムスフェルド氏から手紙が来て、「匿名にするようになっていたことを知らなかった」と書かれてあったそうだが、ダービー氏はこれを信じないと語っている。こういう時のスピーチは事前に周到に準備されたものであるし、当時軍のトップだった人物が知らないわけがないからだ。)

 ダービー氏はそっと食堂を抜け出したという。

 一方、ダービー氏の米国の地元では、妻がメディアに追い掛け回されていた。妻はまったく何が起きたのか知らなかったという。また、地元では、ダービー氏は何と「裏切り者」、「イラク人のために米兵を裏切った奴」とされて、憎しみの対象になってしまった。

 妻は町を離れ、米国防省に連絡を取り、保護を求めた。ダービー氏にも連絡がきて、氏は突如イラクから去ることになる。

 夫妻は新しい場所で居を構え、仕事も変えた。最初の半年間は政府の警備がつきっぱなしの生活だったという。

 現在でもふるさとには戻れないダービー氏だが、告発したことを後悔したことは一度もないという。すごいなと思った。

by polimediauk | 2007-08-08 18:15 | イラク

イラク戦争開戦から4年


 イラクへの武力侵攻(イラク戦争)開始から、4年経ち、英メディアではこの4年を振り返る報道が始まっている。

 昨晩はBBC夜10時からのニュースで、いつもスタジオからレポートしている、ヒュー・エドワーズというプレゼンターの、イラク南部からのレポートがあった。約1週間イラクに滞在し、毎日レポートを送るという。英軍の従軍記者ということになり、英空軍基地から兵士たちとともにクエートまで飛ぶ。クエートからまた飛んでイラクに着く。この様子を短いが少し紹介した。ここまで見せていいのかな?とやや思ったが、なじみのある顔がイラクまでの旅をすることで、リアル感が出た。普段はエドワーズ氏はめがねをかけていないが、旅をするクリップではめがねをかけており、最後にイラクに着いた頃にはずいぶん疲れている感じがあって、英兵士たちもこんな風にしてイラクまで飛んでいるのだ、ということが良く分かるようになっていた。

 イラク南部バスラは、首都のバグダードに比較して治安の危険度はやや低いということになっているが、それでも危険なことは危険だ、と紹介。その日、英軍が没収した「危険物」を砂の上に並べていた。その1つは大きな石の塊で、実は中に爆弾が入っている。「毎日、攻撃がある」とエドワーズ氏。

 丁度4年前に米軍の爆撃を受けて、両親や家族の多くと自分自身も両腕をなくした少年アリ・アッバス君(今は英国に在住)のクリップを紹介。

 ITVというチャンネルの午後10時半からの番組を見ると、ITVのテリー・ロイド記者(米軍により射殺)の「犯人」が誰か、「段々分かってきた」というレポートがあった。

 ロイド記者は2003年3月22日、バスラ郊外の橋で取材中、イラク側と米軍との撃ち合いの場に巻き込まれた。背中を撃たれたロイド氏は、医療ケアを受けるために連れ去られる途中で、米軍に頭を撃たれて亡くなった。米軍の中でどの部隊が、あるいは誰が撃ったのか、米側はずっと沈黙を守っている。

 昨年10月、検視のための調査が行われ、検視官の結論は、これが「違法の殺人」だった、とした。8日間公聴会が開かれたが、米軍からは誰も出席がなかったという。(ガーディアン20日付け記事。)

 ITVが昨晩やったのは、責任があったとされる米部隊名をつきとめた、ということで、関連していたかもしれない部隊の数名の名前を、画面上に流した。「この中の誰かがロイド記者を撃ったのです」、と。ちょっとリンチのような気がした。

 レポーターは、テレビ局側が、「1998年のローマ条約」に、戦時にジャーナリストを意図的に殺した場合、これを国際的犯罪とする、という条項を入れるよう、キャンペーン活動を開始した、と告げた。

 一方、ガーディアンの12日付によると、イラクでの英メディアの取材で、「10分ルール」あるいは「20分ルール」と言葉を人は良く使うのだ、という。何かというと、あまりにも危険度が高いので、ジャーナリストたちはホテルに缶詰状態で、イラク人のジャーナリストたちを実際には使っている、と。それでも現地の声を入れたい時や映像が必要な場合、どうしても外に出ざるを得ない。車を飛ばしてイラクの市中に出かけ、車から飛び出して、通りにいるイラク人をつかまえ、2,3の質問をして、また車に戻るまでが「10分」あるは「20分」というのだ。

 BBCのベテラン中東記者ジョン・シンプソン氏やインディペンデント紙ロバート・フィスク氏も、「イラクがあまりにも危険すぎて、ちゃんとした取材ができないのが現状」と声をそろえる。

 1年半前、ガーディアンのロイ・キャロル記者が誘拐され、36時間拘束された。これ以降、ガーディアンは常駐記者をイラクにおいていないという。今英メディアで「支局」あるいは常駐記者を自前で置いているのはBBCとタイムズだけだという。

 「こうした状態で取材をしていることを、メディア側はもっとはっきり読者・視聴者に言うべきではないか」、「イラクは最高に重要なトピックだが、レポーターが殺されるのでは割に合わない」とガーディアンの外報デスク、ハリエット・シャーウッド氏が話している。

 昨日、開戦から4年経ったということで、英外務省はメディアに対し、「4年でどれほどイラクでさまざまなことが達成されたか」を詳細に記したリストを一斉に送った。外務省のウエブ上でも紹介されている。

http://www.fco.gov.uk/servlet/Front?pagename=OpenMarket/Xcelerate/ShowPage&c=Page&cid=1007029394374

 日本のオーマイニュース・ジャパンでは、一時人質になったがイラクへの支援を続けている、という女性のビデオクリップが出ていた。(まだ見ていないのだが、生の声が載るので、ウエブはおもしろいなあと思っている。)

http://www.ohmynews.co.jp/News.aspx?news_id=000000006084
by polimediauk | 2007-03-20 21:28 | イラク

 サダム・フセイン元イラク大統領の死刑執行から数日経った。裁判が公正だったかどうか、死刑にするべきだったどうか、という議論が(少なくとも)英国・欧州では絶えない。そもそも、例えどんな罪を犯したにせよ、死刑という極刑にすること自体に、意図的に人の命を絶つことに、英国・欧州の知識人はとまどいを感じるようだ。これ以前にも、英国の新聞を読んでいると、「米国では(未だに)(野蛮な)死刑が行われているが」という表現をよく目にする。英国紙は米国を皮肉る・馬鹿にするのが一種の趣味というか癖になっているので、こういう表現に接すると、「また出たな」と思ってしまう。(私自身は死刑を感情的に呑み込めないでいる。理論は分からないでもないのだが・・・。)

 そこで、少しずつだが、今回のフセインの死刑執行を「公正な裁判なしに行われた」「野蛮な行為」「欧米の独裁者で、このような形で死刑執行となった人は誰一人としてないのに」「イスラム教の祭事の間に行うとは、侮辱行為だ」などと言った意見が、英国では主流の1つになりつつある。

 今回のケースで、イラク政権側が狙った・希望したのは、「イラクの法と正義の下、死刑執行がイラク人自身で正当に行われた」印象を与えることだったようだ。

 これを変えてしまったのが、死刑執行の場にいたイラク人の誰かが携帯電話で撮った現場の様子だった。執行から数時間後にはネットを通じて、世界中に映像が伝わっていった。

 処刑の場にいた、フセインに弾圧されたイスラム教シーア派を信奉すると見られる人々が、フセインに父を殺された人物(シーア派指導者)の名前を叫び、これに対しフセインが捨て台詞を吐くという場面が、映像には含まれていた。フセインに対し、「地獄へ行け」と叫んでいる人物もいた。結果的に、シーア派による復讐としての死刑執行という印象を与えてしまったという。シーア派と少数派スンニ派との対立をあおる画像とも受け取られた。

 これではシーア派とスンニ派の和解のきっかけにはならない、として、イラク政府はこの画像を誰が撮ったのか、早速調査を開始した、とBBCなどが伝えている。

 2日のBBCのラジオ番組で、プレスコット英副首相はこのような映像が出ることは「嘆かわしい」、「これに責任を持つ人は自分の行為を恥じるべきだ」と述べている。

 ネットで映像が流れるまでの経緯をガーディアン(1月1日付)からたどると、ロスアンゼルスにいたダン・グレイスター氏によると、処刑の現場にいた、イラク政府の安全保障アドバイザーがCNNのインタビューの中で処刑の様子を伝え、処刑時の画像・映像をいつ出すかの決定には時間がかかる、と述べていたという。

 CNNやフォックスニュースがどのような形で出すかを考えている間に、すでにウエブで映像が出回っていた。グレイスター氏によると、最初はAnwarweb.netで、これをアラブ系テレビが間もなくして放映。(どこが最初だったかは諸説がある可能性があることをご留意いただきたい。)グーグルビデオ、ユーチューブなどに出回ったという。主メディアがどうしようかと考えているうちに、ネットが先にやってしまった。伝統的なメディアのコントロールを、生の情報がくぐりぬけ、外界に出てしまった、と。

 英国メディアの名コメンテーター、ロイ・グリーンスレード氏はこの事態をどう見ているのか?

 ガーディアン電子版の彼のブログによると、この問題はたくさんのジレンマを抱えているという。見たいものに規制をかけるべきか否か。もし規制をかけるとすると、誰がかけるのか?個人個人が決めるのか?

 アンドリュー・グラントアダムソン氏の記事に(グリーンスレード氏のコラム内で紹介されている)よれば、「人々が自分でグーグルなどからコンテンツを得ているならば」、伝統的メディアからも同じコンテンツが取れるようにするべきではないか、としている。ところが、伝統的メディアは、「視聴者の一部が侮辱的だと感じる内容は出さないという編集上の判断基準があるために」、これが実現できていない。

 何百万人もがネットを通じてこの映像を見た・見たがったということは、人々は、「伝統的メディアによる編集上の判断を拒絶していること」を意味するのでは?とグリーンスレード氏は問う。

 「メディア側が、自分たちの価値観を情報の受け取り手に上から押し付けている」具体例が、今回のフセインの映像の件だったのではないか、として、「しかしまた一方では、何故メディア側が編集上の判断を押し付けてはいけないのか」と、自問する。

 「議論は続行するべき」というのが氏の現在の結論のようだ。(つまりまだ確固としていない。)

 この後にコメントがついているが、今現在までのコメントを読んだところでは、ガーディアンなどの高級紙、あるいは一般放送メディアが今回の携帯の映像を出さないのは正解だった、という意見が大部分に見えた。(見たい人はネットで見る、というのが良い、と。ガーディアンがもし出したら、読者は怒っていただろう、と。)

 グリーンスレード氏のブログ

http://blogs.guardian.co.uk/greenslade/2007/01/saddams_execution_the_media_de.html

 (追加)

 今のところ、ブレア首相はコメントを出しておらず、「政府は死刑反対」(今回に限らず)とのみ広報官は繰り返している。「死刑反対なら、もっとはっきりそういうべきだった」と批判されている。出したら出したで批判されただろうが、それでも何かいえないものか。米英の侵攻で政権が変わったのに。
by polimediauk | 2007-01-03 01:52 | イラク

フセイン処刑の反応


 フセイン処刑の反応で、アラブ諸国、欧州、米国とそれぞれ反応が随分異なる。もちろん、イラク国民にとってどうなのか、イラク国民はどうしたいのか、が一番肝要なのだろうが。

 ヤフージャパンのニュースを見るだけで各地域の反応が読めるが、欧州とアラブの例を記録として貼り付けておきたい。

フセイン死刑執行>欧州の反応は複雑…原則は死刑反対だが
12月30日20時1分配信 毎日新聞
【ロンドン小松浩】フセイン元大統領の死刑執行に対する欧州側の反応は複雑だ。欧州連合(EU)は死刑制度の廃止を加盟条件にしており、EUはいかなる死刑にも反対の立場を崩せない。その一方で、国家再建途上にあるイラクの主権を尊重すべきだとの声も強い。欧州は「死刑反対」の原則論を掲げて米国とは一線を画しつつ、イラク当局への厳しい批判はできるだけ避けることでバランスを取っている。
 06年後半のEU議長国フィンランドは元大統領に死刑判決が下された11月、声明で「EUはあらゆる裁判、いかなる条件下の死刑にも反対している。フセイン元大統領であっても死刑は執行すべきではない」と強調していた。これはEUの共通認識を代弁したものであり、欧州は死刑執行にも同様の立場を示す。
 ただ、今回の死刑確定後の欧州主要国の反応には、イラク戦争への対応の違いがからみ微妙な温度差も生じている。
 米国と最も親密な関係にある英国は、外務省報道官が「死刑反対の我々の立場は不変だが、これは完全にイラク人が決める問題だ」と、異議や疑念ははさまなかった。しかし親米ベルルスコーニ政権を破って政権の座についたイタリアのプロディ首相は「イタリア政府も私個人も、どんな場合でも死刑には強く反対する」と繰り返し表明。英国とは異なり、執行反対を明言した。
 英国に本拠を置くアムネスティ・インターナショナルなど国際人権団体は、政治的思惑で進められた欠陥裁判として元大統領への死刑に反対しており、執行されたことに大きな失望を示している。人権や人道主義を基盤の価値とする欧州では、多くの政府や政治指導者がそうした見解を共有する。


死刑執行「最高の贈り物」「性急」…中東の反応複雑
12月30日21時33分配信 読売新聞
【カイロ=岡本道郎】イラク元大統領フセインの死刑執行が、巡礼明けの犠牲祭入りと重なった中東アラブ世界は、中東を幾多の混乱に陥れた独裁者の最期を複雑な表情で受け止めた。
 1990年、フセインのイラク軍の侵攻を受け、半年間にわたり占領されたクウェートは、公式には、サバハ社会問題労働相が「死刑執行はイラクの国内問題」と淡々とした声明を発表したが、アジミ元情報相はロイター通信に対し、「人道に対する犠牲祭最高の贈り物だ」と歓迎。一方、イラク戦争回避に尽力したアラブ首長国連邦(UAE)の政府高官はAFP通信に対し、「イラクの兄弟が苦しみのページを過去のものとして、暴力をやめ、国民融和に向かうことを望む」と語った。



 現在、BBCの英国ニュースのウエブサイトはこの件をトップニュースとして大々的に出している。私はこのページをネットを開くときの最初のページとしていており、開くたびに、いつもドキッとしてしまう。怖く、複雑な思いがするトップ面だ。メディアがこういうところ(人が死ぬ一歩手前)まで画像として出し、それを世界中の人が茶の間、勉強部屋、寝室で見れてしまうのだ。(もちろん今回に限ったことではないが。)英国とイラクの関わり、フセインと米英政府の過去の関わりなどに思いをはせても、複雑だ。

 http://news.bbc.co.uk/
by polimediauk | 2006-12-30 21:56 | イラク

c0016826_845255.jpg イラクのフセイン元大統領の処刑がもうすぐだそうだ。数時間後、あるいは1時間後、という説も出ている。

 英テレビを見ていると、米大統領官邸など、米政権の様子をレポートする特派員の姿が出てくる。米政権側としては、米国がフセインを処刑した、と思わせないようにすること、あくまでイラク人のシステムの中で行われたと思わせること(「思わせる」と書いたが、そうでないので故意にそう思わせる、という意味ではないが)、喜んでいる気分を出さないこと、などに気をつけているそうだ。

 そして、今か今か、と、「処刑が済みました」という一報を待っているところだそうである。

 こうした報道のどこまでが本当かは分からないが(刻一刻と待っているというあたり)、もしおおよその気分を反映しているとしたら、日本人の私は、60数年以上前、日本に落とされた原子爆弾のことと重なって見えてしまった。

 英国では、広島などに原爆が落ちた日のことを、刻一刻と連合国側から見た様子をドラマ化、ドキュメント化したものが結構放映される。日本人としてみると、恐ろしいが、相手方が何を考えていたのかが分かり、これが現実だったんだなとも思った。

 今回の処刑も、「今か今かと待っている感じ」の米政権・・・。

 殺さなければ・処刑しなければ一件が済まない、という状況のイラク。

 処刑の様子は目撃者はいるが(政権指導者、宗教関係者など)、フィルムに撮影されるものの、「公開」ではないそうだ。
by polimediauk | 2006-12-30 08:41 | イラク