小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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カテゴリ:英国事情( 205 )

 毎日新聞の元欧州総局長で、現在は編集編成局次長の小倉孝保氏との初顔合わせは、5年ほど前になる。

 当時は在ロンドン・欧州総局長で、在英日本人が集まるイベントが終わり、食事会のためにレストランに入った時だった。小倉氏が少し離れた席で、とても楽しそうに会話をしている姿が見えた。なんだか面白そうな人だと思い、別の日に友人たちとの夕食にお誘いした。

 英国の新聞の「長い訃報記事を愛読している」という小倉氏は、常に面白いおかしい話を引き出しに入れており、大笑いしながら食事をすることになった。

 新聞記者である一方で、小倉氏は数々のノンフィクション作品も書いており、ある会食時には「三重スパイ」の取材のために自腹でお金を使い、あちこちに出かけたことを話してくれた(これはのちに、講談社から『三重スパイ イスラム過激派を監視した男』として出版された)。

 過去の本も含めて小倉氏の本を読むようになり、『がんになる前に乳房を切除する 遺伝性乳がん治療の最前線』(文芸春秋)、同氏がニューヨーク支局長であった時に米国で死刑執行の現場に立ち会い、関係者に取材しながら米国と日本の死刑制度を比較した『ゆれる死刑 アメリカと日本』(岩波書店)に感銘を受けた。

 そんな小倉氏の最新刊が、『100年かけてやる仕事 中世ラテン語の辞書を編む』(プレジデント社)である。

 1-2年前に、「次の本は?」と何気なく聞いた時に、「実は・・・」と切り出されたトピックだった。

 「100年もかけて、辞書を作る?」、それも「ラテン語・・・・」。一瞬、言葉を失った。

時間をかけて辞書を作る、欧州の伝統

『100年かけてやる仕事 中世ラテン語の辞書を編む』(筆者撮影)
『100年かけてやる仕事 中世ラテン語の辞書を編む』(筆者撮影)

 本書によると、相当の年月をかけて辞書を作るのは欧州では珍しくないそうだ。17世紀、フランス学士院はフランス語の辞書作成に55年をかけ、「オックスフォード英語辞典(OED)」は、完全版発行までに71年かかっている。グリム兄弟が開始した「ドイツ語辞典」には1839年の編集開始から完成までに123年をかけているという。

 中世ラテン語辞書作成プロジェクトが101年ぶりに完了したのは、2014年。当時ロンドンに赴任していた小倉氏は、さっそく、取材を開始する。まずは物差しとヘルスメーター(体重計)を持って、このプロジェクトを担当していた英国学士院を訪ねた。そう、「ヘルスメーターを持って」、である。学士院に事前に問い合わせたところ、辞書の重さが不明と言われたからだ。全17冊分の辞書の重さは11キロを超えた。

 プロジェクトの開始前に、英国にラテン語の辞書がなかったわけではない。1678年作成の辞書があったが、フランス人ラテン語学者デュ・カンジュが編纂したものだった。

 この状況に不満を抱いた英国人ラテン語学者ロバート・ウィトウェルは、1913年、学士会に新たな辞書作成を提案するとともに、一定のラテン語知識を持つ人に情報提供の協力を求めた。ボランティアとしてラテン語採取に加わった人(「ワードハンター」)たちは、100人から200人と言われている。

 『100年かけてやる仕事 中世ラテン語の辞書を編む』は、学士院の人々に取材をしながら、その後の辞書編纂者の奮闘ぶりを記していく。一体なぜ、ラテン語辞書の作成に100年もの時間をかけて人々は取り組んできたのか。コストや辞書の必要性については、どう考えてきたのか。

日本での辞書作りとは

 英国の辞書作りを調べるうちに、著者の関心は日本に向く。

 「言葉は民族を立てる時の柱である。そのため言語辞書は近代国家の成立と密接な関係にある。日本語のもその例外ではないはず」と踏んだ小倉氏は、日本語研究者で清泉女子大学文学部教授の今野真二氏を訪ねる。

 日本では、国語(日本語)の辞書がそろい始めるのは1887年前後。国語学者の大槻文彦氏の編纂による、最初の本格的な国語辞書『言海』が出版されたのが、1891年だった。今野氏によると、「ちょうど日本が近代国家として成立し、国家を建てたころです。辞書を作る条件が整い、その機運が高まったのです」。

 『言海』は、大槻氏の自費出版で世に出た。「日本に国が作った辞書は1冊もありません。政府は資金を出すわけでもなく、私費で辞書ができるのを喜んでいる。珍しい国だと思います」(今野氏)。

 小倉氏は、「なぜ辞書を作り続けるのか」について、2018年に出た『広辞苑』第7版の編集者だった平木靖成氏(岩波書店)に聞いている。「辞書作りは地道な作業の繰り返しであり、派手さのない日常の連続である。しかも手間の割には経済的な収益もさほど期待できない」のに、と。

 平木氏は、一見無駄なもの、価値が薄いと思われようなことに力を注ぐことこそ文明の力なのではないかという。例えば小惑星探査機「はやぶさ」のように、である。「それがなくても人間は生きていける。でも、そういうものに夢中になり、魅力を感じることもできる。それこそ文明なんじゃないですかね」。

 2015年夏、小倉氏は東京に戻る。毎日新聞本社の編集部で時間に追われる日々が始まった。

 その一方で、英国で辞書を作っていた人々の言葉が思い出されてきた。「ゆっくりと時間を過ごすことの大切さ、速度よりも正確性を追求することの重要さ、短期的成果が見込めなくとも価値あるものは存在することに気付くことの必要性」が心に迫ってきた。

 「言語の木を植え、山をつくった人たちの言葉を多くの人たちと分かち合いたかった」。これが本書を書いた動機だったという。

 ラテン語について、辞書作りについて、そしてこれからの人生の過ごし方について、本書は様々なことを考えさせてくれる。


by polimediauk | 2019-09-21 15:19 | 英国事情

国際陸連の新規則で、立ちはだかる大きな壁

 7月末、南アフリカ出身の陸上女子中距離選手キャスター・セメンヤ(28歳)が、この秋に開かれる世界陸上ドーハ大会に参加しないことを代理人を通じて発表した。

 男性に多いホルモンであるテストステロン値が生まれつき高いセメンヤ選手は、今後も女子陸上選手として競技に参加できるのか、できないのか。

 この問題は過去何年もくすぶってきたが、昨年4月、国際陸上競技連盟(IAAF、「国際陸連」)が、テストステロンなど男性に多いホルモンが基準より高い女子選手が400メートルから1マイル(約1600メートル)の種目に参加しようとする場合、薬などでこれを人為的に下げる、とした新規則の採用を発表したことで、セメンヤ選手は取り消しを求めてスポーツ仲裁裁判所(CAS、本部スイス)に提訴した。今年5月、訴えは棄却。セメンヤ選手側はスイス最高裁に上訴した。

 7月末、最高裁は、国際陸連のテストステロン規制の一時保留命令を撤回。2012年のロンドン五輪と2016年のリオデジャネイロ五輪で女子800メートルの金メダルを獲得したセメンヤ選手は、今後も競技を続けられるのかどうか。大きな壁が立ちはだかった。来年夏の東京五輪ではどうなるだろうか。

 「薬を飲んで、人為的にホルモン値を下げる」行為が義務化されるというのは、英国に住む筆者からすると、同性愛者であることで性欲抑制剤を摂取せざるを得なくなった科学者アラン・チューリングをほうふつとさせ、人権の抑圧に見えてしまうのだが、皆さんはどう思われるだろうか。

 その一方で、「高テストステロン症の女性を相手に競技するのはつらい」という他の女性選手の声をどう判断するのか、という点も考えなければならないのだろう。

 セメンヤ選手とテストステロン値の問題を考慮する時、「女性で、高いテストステロン値で生まれた」ということは、どういうことなのかという疑問にぶち当たる。

「両性具有」ではなく、DSD

 セメンヤ選手のような体の状態にある人は、時として「両性具有」「男でも女でもない性別」などと言った言葉で説明されてきた。筆者自身もこうした言葉を使ってきた。

 しかし、このような言葉遣いは実は不正確で、当事者を傷つける、侮辱的な表現にもなりかねないことを知った。

 正しくは、国際陸連も使っている、性分化疾患、あるいは「DSD (Differences of Sexual Development)」(「体の性の様々な発達」状態)である。

 DSDについての関係資料(文末に紹介)を読むと、以下のことがわかってきた。

 例えば、普通、「男性の体にはこんな特徴がある」、「女性の体にはこんな特徴がある」という風に人は理解しているけれども、この「男性の体」あるいは「女性の体」には様々な発達の度合いがあって、従来の捉え方よりも、はるかに広いと考えてみてほしい。この点で、「もう一つの性」、あるいは「第3の性別」というジェンダー的考えとは異なる、DSDの実態がある。

 生まれの性別と相入れない自認を持つトランスジェンダーの人々との大きな違いは、DSDが性自認の問題ではないこと。セメンヤ選手自身も、「女性として生まれ、自分を女性として認識して生きてきた」と述べてきた。

 このようなDSDの概念は、筆者にとっては、全く新しいものだった。もっぱら、ジェンダー的観点からセメンヤ選手の問題を捉えてきたからだ。

 そこで、DSDに詳しい非営利組織「ネクスDSDジャパン」(日本性分化疾患患者家族会連絡会)のヨ・ヘイルさんにじっくりと状況を聞いてみた。

ネクスDSDジャパンのウェブサイト

 インタビューは、DSDの定義から筆者の家族の一人が持つ「高次脳機能障害」及びDSDを持つ人と社会のかかわり方、セメンヤ問題を考えていくときの論点まで、幅広い内容となった。

 なお、このインタビューは、もともとスポーツ専門サイト「Real Sports」掲載の筆者による記事のために行われたもので、関連記事は以下をご覧いただきたい。

 LGBTとも第3の性とも違う「性分化疾患」の誤解 セメンヤが人為的に男性ホルモンを下げるのは正当?(7月24日付)

***

認知度が低いDSD、「もう一つの性」ではない

ーDSDについては、どれぐらいの認知度があるのでしょうか。

 ヨ・ヘイルさん:実は正確には全く知られていない、と言って良いほどです。欧州圏では、まだダウン症候群のことを、「モンゴリアン(蒙古痴呆症)」と呼んでいる人も、高齢者の中にいると思います。ほぼそういうレベルではないかと認識しています。

ーある人の体の状態が従来の男女の体の定義から少し違っている、としましょう。この場合、私たちは、別の性別の存在として見てしまう傾向があるのではないでしょうか。「もう一つの性別」という考え方です。

 (少しでも違えば)男女とは別のカテゴリーと思われてしまいます。女性から「お前は女性じゃない」「男でも女でもない」と言われることになったり、とか。これが実際の状況です。

 (セメンヤ問題の議論では)「第3の性別を認めて欲しい」という言い方がされてしまうところがありますが、当事者の大多数は、全くそんな風には思っていないというのが事実です。自己認識は男性、あるいは女性なんです。

ーそうでしたか。全く知らなかったことです。これまで、「第3の性別」、「トランスジェンダー」の枠組みで捉えていたので。

 やはり社会的通念としては、どうしてもそうなってしまいますよね。

ー「ネクスDSDジャパン」の「ネクス」はどのような意味になりますか?

 ネクスは「ネクスト」(次)の意味もありますし、あとは「ネクサス」(繋がり、結びつきなど)の意味もあります。

 DSDには様々な体の状態があって、実はそれぞれそれほどのつながりというのはありません。その意味で、「ネクサス(結節点)」として、つなげて、なんとかやっていけないかという意味を込めています。

 親子間でも、どうしても正面だって話がしにくいことがあります。親御さんの側が罪悪感を持っている場合もあるし、性にまつわることなので話がしにくいのです。医療関係者と、実際の患者家族の人たちの中でも、なかなかコミュニケーションがうまく行ってなかったり。

 社会と当事者家族の間でも、まったく話が通じ合わないところがあります。なんとかこれをつなげていきたい、という意味を込めました。

ーいつ、このネットワークができたのでしょう。

 約20年ほど前に、「インターセックス」という表現で男でも女でもない性別の人がいる、という話が、一度、日本で広まったことがありました。

 現実には実際どうなのかと海外の患者家族会とか、いろいろな人権団体の人に会って(調べたのが)きっかけになりました。立ち上げは15年ほど前です。

ー活動内容は、どうなっていますか。

 DSDについての正確な情報・知識を出していくことがまずありました。

 最近では、各DSD患者の体の状態に応じて患者家族会がいくつか出来上がってきているので、そちらの皆さんとの連携もしています。

 海外では、約20年ほど前から患者家族会が整備されつつあって、今はかなり活動もしています。日本では、そういった形での患者家族会が出来上がったのは、約5年前ぐらいからでしょう。

ー医療関係者の間での、DSDについての認知度はどれぐらいでしょうか。

 正確な情報・知識を持っているのは、本当にDSDの専門医療の先生だけです。一般医療の先生方は、むしろ誤解されている方も多くて、実はそちらの方も大きな問題の1つとなっています。

DSDの判明時期は3つ

ー生まれてから、どのような過程を経てDSDであることが分かるのでしょう?

 DSDの判明時期は大きく3つに分かれます。

 1つ目が出生時、生まれた時です。この時は外性器の形やサイズがちょっと違うということが、産婦人科医療でわかることがあります。その場合は、すぐに専門医療施設の方に紹介をしてもらうように、今の所お願いをしているのですが、なかなかそれが徹底されていないのが現状です。DSD専門医療施設では、然るべき検査の上での性別判定が今は可能になっています。

 (2つ目に)思春期前後に判明するDSDの方が、出生時よりも多くなっています。基本的には、女性のDSDで、こちらは婦人科から始まります。正直なところ、誤診も多いです。こちらの方もDSDの専門医療施設の方に、ぜひリファー(紹介)してもらいたいと思っています。

 3番目は不妊治療で判明します。主にこちらは男性の場合になりますが。性別の決定に関わる情報を持つ染色体にはX型とY型の2種類がありますね。「XY」の組み合わせで男性、「XX」で女性とされてきましたが、例えばある男性の場合には染色体が XXYであったと。男性で染色体がXXだったことが分かる場合もあります。

 Xが2つの場合、一般的には、それだったら女性と思ってしまいますが、SRY遺伝子などがくっついて生まれてくる場合、現実には男の子に生まれ育つということもあるんです。

 不妊治療の専門をされている方は、男性不妊で、染色体でXXYが出てきたりとか、XXが出てきたりということは、結構よくあることなので、こちらの方では変な説明の仕方とかは、一般的にはされていません。

 ただ、問題は、不妊治療でもいい加減なところはあります。そういうところでは、「あなたは実は女性でした」というような、間違った説明の仕方がされていることが実際にあります。

ー一般的なレベルでは、そういう専門機関があることさえ、医師側が知らない、ということがあるのでしょうか。100%の医師が知っているわけではない、ということが?

 その通りです。

ーDSDは「治す」ものではない、と解釈して良いでしょうか。

 染色体レベルでは、治す・治さないのレベルの話ではありません。ただ、出生児に判明するDSDの場合には、命に関わるDSDが多いのです。こちらの方は、ちゃんと対処・対応をしていただく必要があります。

ー日本で、専門医療施設はどれぐらいありますか。

 チーム医療ができて、児童精神科医がいて、両親のショックやこれからの子育てに関して、ちゃんとフォローができる施設は、日本では数カ所になるでしょう。

身体の性についての固定観念

ー改めて、DSDの定義について、伺いたいのですが。ネクスDSDジャパンさんは、「体の性の様々な発達」という用語を使っていますね。

 DSDは、さまざま体の状態を含む、非常に大きい概念です。男の子で尿道口の位置が違う尿道下裂、あるいは膣や子宮がなかったことがわかる女性なども含みます。

 「女性だったら絶対に膣や子宮があるはずだ」、とか、「男性だったら尿道口がこの位置にあるはずだ」という固定観念とは異なる体の状態を持っている人たち。これがDSDの定義です。自分たちは男性、あるいは女性という考えは一般の方と変わりません。

 トランスジェンダーの人や、あるいは自分を男でも女でもないと思う人たち、海外では「ノン・バイナリー」という風に言われていますが、日本では「Xジェンダー」といいます。そういう風な概念とは、全く違います。

ー医療機関で、もし外見でもなく、染色体でもなければ、どのようにして性の決定を行っているのでしょうか。

 遺伝子診断によって様々なことが分かるようになってきています。

 例えば、男性か女性かの基準を考えるときに、外性器とか染色体だとか、あるいは精巣か卵巣かのどっちかなんだという風に、ある一つの基準にこだわりがちですよね。ただ、そういう風にただ一つの基準だけで判断すると、性別判断が間違ってしまうことがあります。

 総合的に判断することが必要なんです。遺伝子までを含めて、染色体はこうだけれど、外性器の形状はこうで、性腺はこうで、子宮はこうで、遺伝子はこうで、と、その子自身を全体的に見て性別判定がされています。

 総合的に見ると実は性別判定は可能ですけれども、染色体とか、性腺の種類にみんなこだわってしまう。強迫的になってしまうのです。むしろ、そういうことをしないということが、重要と考えています。実は、セメンヤさんの話でも、結局同じ間違いが繰り返されています。

DSDを持つ人=「第3の性別」というフレームワークが間違っている

ー正しい概念で書かれた報道は皆無、といっていいのでしょうか。

 これまで皆無と言ってもいいかもしれないです。

ー間違った論調の1つは、「第3の性として見る」、ということでしょうか。

 そうです。メディアがDSDの人を「第3の性別」、と見てしまうのです。考え方のフレームワーク自体も第3の性別で見てしまっていますので、変な表現になることが非常に多いのです。

 国家レベルでもそういう風に見て間違っているところが実際にはあります。

ー英語圏では、ジェンダーの面からセメンヤ問題がすごく大きく扱われていました。

 LGBTムーブメントが広がっていくというのは、非常に大切なことなのですが、LGBTの皆さんのフレームワークでDSDを見てしまうと、「第3の性別というフレームワーク」で見るという、今みたいな報道のされ方が一般的になっていくという懸念があります。

ーネクスDSDジャパンがセメンヤ選手を支援するのは、なぜでしょうか。

 セメンヤさんは、(国際陸連に)同意なく無理に検査をされたり、あるいは「お前は実は男性だった」という説明になったり。あるいは社会の誤解で、「両性具有なのだ」という見方をされてしまったり。彼女は一時、自殺予防センターに入っていたという話もありますね。

 そういう体験自体が、DSDを持っている人たちの体験と非常に近いのです。多くのところで重なっていると。人ごととは思えません。

 彼女自身の話をちゃんと丁寧にやっていくことで、DSDを持っている人たちの体験が伝わるとも思っているのです。

 実は彼女のような体験をした人たちというのは、日本でもいます。

ースポーツの領域でしょうか。

 スポーツにおいてもそうです。名前と具体的な体験についてはお話ができませんが、セメンヤ選手がいかに扱われたかを見て、諦めてしまっている人がいます。怖くなって、自分から身を引いている女性が、実際にいるんです。

 また、本当に個人のプライベートな話であるにもかかわらず、ほぼ暴露という形で議論が行われていますよね。そういう話をしてもいいものなのだということを、皆さんが前提としています。他人の家の娘さんの生殖器の話をみんながやってしまっている、と。

 今の社会状況の中では、これが当たり前のように思っても仕方ないのだろうとは思いますが、当事者家族の実際の体験としては、とても考えられないようなことをしてしまっています。

 そういう報道をされること自体が、すごく辛いのです。

日本人女性初のオリンピックメダリスト、人見絹枝さん

ーセメンヤ選手とその周囲にとって、何が最善なのでしょう。このまま、女性であるということで進んで、他の女性選手の意識を変える方向でいく、ということでいいのでしょうか。

 こちらの希望としては、やはり、無理矢理な性別検査のようなことは無しにしていただきたいと思っています。

 セメンヤさんや、思春期前後に判明するDSDを持っている女性というのは、本当にただの女性です。誰とも変わらない女性なので、暴き立てることを一切せずに、女性競技にそのまま参加させてもらいたいというのが、こちらの願いです。

ーセメンヤ問題をきっかけに、男性選手の中に競技に有利になるような身体的特徴を持った人についてはどうなのか、という声が英メディアで紹介されています。セメンヤ選手が有色人種であることも影響しているのではないか、と。つまり、女性や白人の男性じゃない人々に対する厳しい視線や偏見があるのではないか、という主張です。

 こちらの印象としては、昔よりも、状況が強迫的になっている感じもします。

 NHKの「いだてん」というドラマで、人見絹枝さんという日本初の女性オリンピックメダリストが取り上げられました。

 ▽人見絹枝さん(1907-1931年

 調べてみると、彼女も「女じゃない」とか、「化け物」とか、「おとこおんな」とか、結構あの時代から言われていました。女性だけが、速く走ると、なぜか「女じゃない」と言われてしまうのです。でも無理やり検査をしろという話にまでならなかった。とてもおおらかだったと思います。今はとても強迫的になっている。

言葉にできない苦しみ 親友にも話しにくい

ー気になるのは、患者、あるいはDSDを持つ人や家族の気落ちや苦しみです。自分の家族が「高次脳機能障害」(主に脳の損傷によって起こされる様々な神経心理学的障害)を持っているのですが、当人や家族の苦しみについてやその状況は、ほかの人には説明できません。言語化できないのです――書くことを仕事にしているのですが。この体験から、DSDの方が家族間あるいは友人間で話しにくいというのは理解できるように思います。

 ▽高次脳機能障害とは

 親子間でも、友達でもそうですが、好きになった人でも、本当に説明のしようがなかったりしますね。返ってくる反応がひどい場合もあったりするので。

ーもし友人からDSDだと言われた時、どういう言葉をかけたらいいのか分からないのではないでしょうか。

 その傷自体をフォローしてくれる人もなかなか見つかりません。

 私自身は、臨床心理士(サイコセラピスト)ですが、サイコセラピストの中でも誤解があって、DSDというと、性同一性の問題だ、という感じになる場合もあります。逆にそれで傷を深めてしまうDSDの方が多かったりするのです。

 ベルギーでは、心理士がかなりきちんとした調査を行っていて、生きていく上での苦悩、親の困りごとなどをフォローする体制作りに話が進んでいます。

ー本当に患者のことを考えてくれる心理士の方や、友達の存在が重要になってくるように思っています。でも、「友達を作る」ことが、いかに難しいことか。休みの日に、「一緒に遊びに行こう」と気軽に声をかけてくれる、家族以外の人を見つけることがいかに難しいかを実感しています。

 高次脳機能障害でも、DSDでも、友達関係に随分と支えられたという話がありますけれども、友達と話すまでのハードルと、友達が理解してくれるかどうかのハードルがあまりにも高いのです。

 友達になっても、向こうが家庭を持って、子供ができたりすると、深い関係じゃないと、身を引いてしまう当事者の人も結構多いのです。

ー大人になると、DSDの方に対して子供を産むようにという圧力も大きいのでしょうか。

 一般の不妊治療の場合は、まだ子供が産めるかもしれないという希望がありますよね。

 でも、DSDの女性の方で、子宮がない方もいらっしゃいます。かなり決定的な不妊の状態になりますので、ものすごい喪失感がまずあります。社会的なプレッシャーもありますし。「産まなくていいよ」と言われるというのも、実は結構、しんどいプレッシャーになったり。かなり複雑なところがあります。

セメンヤ問題についての理解

ー最後に、セメンヤ問題について改めてお話ししたいことがあれば、どうぞ。

 セメンヤさんの染色体や性腺の話が暴露記事として広がったという部分もあるので、セメンヤさん個人の話としてすることはできないのですが、染色体がXYでも、女性に生まれるということが、実は普通にあります。

 その女の子が間違って生まれてきたわけではなくて、間違っているのは、どちらかというと教科書の方ではないか、と思います。ほとんどの男性は(染色体が)XYではあるけれども、またほとんどの女性はXXではあるけれども、例外があって、XYでも女性で生まれることがあるのです。

 女性選手の公平性の問題は、私自身も、スポーツのことを調べる中で、彼女たちがものすごい苦労をしながらトレーニングしていることを知っています。

 でも、ご理解をいただければありがたいという1点目が、DSDを持っていると疑わしい女性に対する検査というのは、ほぼ、レイプのような検査になっている点です。言葉ではなかなか言えないようなもので、ドーピングの検査どころの話ではありません。そういう検査をされて、しかも選手生命を絶たれるというのであれば、もう自殺するしかない、というのが当然だろうというレベルです。

 医療機関でのDSDの検査は、何のための検査なのかをちゃんと説明した後で行われます。本人の同意がないところで、膣の奥まで見られるような検査はありえません。

 もう1点は、テストステロン値のスポーツ面での評価の件です。

 DSDを持っていて、なぜXYでも女性で生まれてくるかというと、実は、体の細胞自体が、テストステロンに反応しない体の状態だからです。

 どれだけテストステロン値が高くても、体の細胞がそれを受け付けないので、女の子で生まれてきます。このため、テストステロン値の高さ自体は、ほとんど基準にならないのです。

 

 その中で、細胞の一部だけがテストステロンに思春期以降に反応するという女の子がいます。

 でも、それでも、一部しか反応していないのです。一般女性がテストステロンをドーピングするのとは、まったく訳が違う話です。一般女性のドーピングの方が、よほどテストステロン値の影響がある。でも、DSD女性の場合は、テストステロンがどれだけ出ていても、全く反応しないという女性が実は一番多い。

 数字でいうと、XY女子で、テストステロン値が高くてもまったく体が反応しないCAISの女の子が13,000人に1人。一部反応するPAISの女の子がその10分の1の、130,000人に1人。テストステロン値だけで測ることは、実は、できないのです。

 ▽完全型アンドロゲン不応症(CAIS)

 ▽部分型アンドロゲン不応症(PAIS)

 ▽英国DSDの子ども用サイト「dsdteens」での説明

 CAISについて

 PAISについて

 また、男性のテストステロン値は1デシリットルで284から799ナノグラム、女性は6から82ナノグラムです。報道によると、セメンヤ選手のテストステロン値は平均女性の3倍と言われています。とすると、約18から246。男性と比較するとはるかに低いことになります。

 ▽女性・男性のテストステロンの標準値

 テストステロン値による判断は、実は、ちゃんとエビデンスを見ていくと、ほぼ意味がないのではないかと思っています。この点をご理解いただければと思っています。

 (筆者注:国際陸連自体による調査とその評価については、先のReal Sports の記事をご参考に。)

***

関連情報

「インターセックス/性分化疾患 IN ベルギー・フランドル」(ゲント大学ジェンダーセンター)

DSD:性分化疾患とは?(英国のサポートグループ「dsdfamilies」)

英国のDSDを持つ子どものためのサイト「dsdteens」


by polimediauk | 2019-08-20 18:00 | 英国事情

 エリザベス英女王の孫にあたるヘンリー(通称「ハリー」)王子とメーガン妃の間に、初めての子供がもうすぐ生まれると言われている。

 近年、英国でロイヤル・ベビーとして注目されたのは、ハリー王子の兄にあたるウィリアム王子とキャサリン妃の間に次々と生まれた3人の子供たちだった。

 キャサリン妃はロンドンのセント・メアリー病院で子供たちを産んできた。出産間近になると、世界中から駆け付けた報道陣が病院前に殺到する。いよいよとなると、ウィリアム王子が子供たちを連れてやってくる。そして、出産から数時間後には、いつものようにヘアスタイルもメイクも完璧なキャサリン妃が赤ん坊を抱えて報道陣の前に姿を現し、カメラのフラッシュを浴びるー。これが「お決まり」のパターンである。

 しかし、今回は、少々事情が異なりそうだ。

「出産はプライベートにしたい」

 というのも、ハリー・メーガン妃側は今回、出産を「プライベートなものにしたい」ということで、どこで産むかを明確にしていないからだ。病院での出産は「プライバシーが十分に守られない」と述べたという報道もあり、自宅での出産の可能性がある。

 「自宅」とは、ウィンザー城の領地内にある、改装を終えたばかりのフログモア・コテージだ。

 エリザベス女王自身が4人の子供全員を自宅で出産しており、前例がある。

 出産予定日は、当初、4月末から5月上旬ごろと言われてきた。しかし、出産後すぐに情報を出すかどうかは不明で、ソーシャルメディアで情報発信をするとしても、出産日当日に赤ん坊を抱えて、カメラの前に出るかどうかも不明だ。

 筆者は、この「プライベートにしたい」という話を聞いて、実はほっとした。「良かったなあ」とも思った。

 というのは、キャサリン妃が出産から数時間後に完璧な装いで病院の前に出て、「産みました!」宣言を体で示す様子を見て、「なんだか、つらいなあ」と常々、思ってきたからだ。

 

 キャサリン妃の場合、子供は将来の国王あるいは女王になるため、出産直後に国民の前に姿を見せるのは「公務」と解釈できなくもないが、それにしても、一人の人間として「ここまでする必要はないのではないか」と思っていた。この先、ほかの王室の女性メンバーも同様のことを強いられるのでは、とも。

 ハリー王子がメーガンさんと結婚したとき、「将来的に子供を産むことがあれば、キャサリン妃と比較されるだろう」という予感があった。「私だって、一糸乱れず、完璧な出産ができるのよ」と言わざるを得ないような、変な競争にならなければいいと思っていた。

 以前に、キャサリン妃の出産(と、数時間後に報道陣の前でポーズを取ること)についての疑問を書いた時に、「あら、出産後、数時間でシャンとするのは、簡単よ」、「将来の国王・女王の母親なんだから、それぐらいして当たり前」、「あれが彼女の『お仕事』だから(ああやるのが当然だろう)」などの反応がソーシャルメディアであった。

 しかし、それと同時に「出産直後は、本当はすごく、疲れている」、「あそこまでしなくていいと思う」という声もあった。

 当初は前者が多かったが、時間が経つうちに、後者が増えていった。

 筆者は、子供を産んだことがない。だから、「疲労度」は想像するだけだ。きっと、すごく疲労する人もいれば、それほどではない人もいるに違いない。

 それでも、出産体験がある・なしに限らず、誰しも、「ここまでは外に出せるけど、ここから中はちょっと、一人でいたい」という精神的・肉体的境界というのは、あるものだ。プライバシーを維持する権利は、誰にでもある。

 出産自体を公に報告する必要がある人でも、出産直後に夫やごく親しい家族の間で生の誕生を喜び、しばらく休息する時間があってもいいはずだ。ソーシャルメディアの時代だから、少し落ち着いた段階で母子が安全であることを示す情報をインスタグラムなどで出す、という形で十分ではないかと思う。髪をセットし、メークして、大勢の報道陣の前に立たなくてもいいのではないか。

 …と書いたけれど、意外と、メーガン妃も出産後数時間でカメラの前に立つ「かも」しれないのだけれども。

キャサリン妃の「完璧な」出産に、米コラムニストが疑問の声を上げる

「自宅で出産」は大幅に減少中

 イングランド・ウェールズ地方(スコットランドや北アイルランド地方を抜いた地域)では自宅で出産する割合は、2017年で2・4%のみ(国家統計局調べ)。スコットランド地方では2%、北アイルランドでは0・4%と極端に低い。

 

 エリザベス女王は4人の子供をバッキンガム宮殿かクラレンス・ハウス(セント・ジェームズ宮殿に隣接する邸宅。現在はチャールズ王太子とカミラ夫人の公邸)で産んできた。

王室の出産の歴史

 実は、英王室は宮殿(「自宅」とも言える)で出産するのが、長い間、伝統だった。

 エリザベス女王は長男のチャールズ皇太子をバッキンガム宮殿で産んだが、長女のアン王女はロンドン市内の病院で子供たちを産み、ダイアナ妃もこれに続いた(ウィリアム王子とハリー王子)。


 王室の歴史家サラ・ブラッドフォード氏のガーディアン紙の記事(2013年7月23日付)によると、英国の王室で世継ぎが生まれる出産の場合、「目撃者」が必要とされてきたという。女官たち、助産婦、召使い、医師などが妊婦の周りに集まり、部屋の後ろの方には男性の廷臣らが控えていた。死産だった場合、別の赤ん坊と入れ替えるといった「ごまかし」を防ぐためだった。


 英国(イングランド王国)は16世紀、宗教改革(教会がローマ・カトリックから分離して英国国教会=プロテスタント系=を形成)に揺れたが、その後、支配層はカトリック系勢力が国を乗っ取るのではないかと常に危機感を持っていた。出産時の混乱を悪用されて、赤ん坊がすり替えられることを防ぐ必要があった。「本当に産んだ」ことを「目撃」する必要があったのである。

 こうして、19世紀末まで、女官たちともに閣僚や枢密院のメンバーなども出産に立ち会ってきた。しかし、1894年、後のエドワード8世が生まれる時、ビクトリア女王が政治家は内務大臣のみの出席で良いと決めた。

 ブラッドフォード氏によると、最後に内相が出産に立ち会ったのは、1948年、チャールズ皇太子が生まれた時だ。

「あなたに何の関係があるの?」と叫んだダイアナ妃

 ウィリアム王子とハリー王子の母親であるダイアナ妃ほど、メディアに執拗に追われた王室のメンバーはいないだろう。

 1997年、交通事故によって36歳で命を落としたダイアナ妃は、ウィリアム王子の出産をロンドン・パディントンにあるセント・メアリー病院で行うことにした。キャサリン妃が近年、出産に選択した病院である。

 

 ダイアナ妃の自伝を書いたアンドリュー・モートン氏によると、ダイアナ妃は住居にしていたケンジントン宮殿ではなく病院での出産を選んだ理由をこう語ったという。「メディアのプレッシャーにはもう耐えられなくなった。我慢できない。毎日、みんなが私のことを監視してるみたいだから」。宮殿の周囲には、報道陣が張り付いていた。ダイアナ妃は病院を避難先として選んだのである。

 宮殿の複数の職員がダイアナ妃と一緒に病院に行こうとした。堪忍袋の緒が切れたダイアナ妃は激怒して、こう叫んだという。「あなたに何の関係があるの?」

 メーガン妃の出産のニュースを、静かに待ちたいものである。


by polimediauk | 2019-05-01 17:24 | 英国事情

 3月29日、欧州連合(EU)から英国は離脱する(=「ブレグジット」)。実現まであと2か月を切ったが、英政界のゴタゴタが収まらない。

 メイ政権とEUは、昨年11月に離脱の条件を決める「離脱協定案」に合意しているが、これには英議会の承認が必要だ。12月に下院で採決予定だったが、否決の可能性が高いと見たメイ首相はこれを今年1月中旬に延期した。結果は、歴史的な大差での否決となった。

 29日、離脱に向けた今後の方針に関する採決が行われ、協定案の見直しを求める動議などが可決された。

 与党・保守党の議員委員会のブレイディ委員長による修正案は「離脱協定で定めた北アイルランドとアイルランドの国境問題の対応を他の案に置き換え、離脱案に賛成する」という内容で、これを踏まえて、メイ首相は「下院の支持が得られる協定案を得る」ため、EU側と再交渉すると表明した。

 しかし、今後の交渉次第では、「合意なき離脱」(EU側との合意が実現しないまま、突然離脱となる)や「離脱なし」(総選挙や再度の国民投票で、離脱が発生しない状況となる)の可能性も消えていない。

 詳細は:

 メイ英首相、ブレグジット協定を再交渉へ 下院は賛同 BBCニュース日本語

 【解説】ブレグジットでいま何がどうなった、次はどうなる 下院は再交渉に賛成 BBCニュース日本語

 EU他国(27か国)や日本を含めた世界中の国が、「一体、英国は何をやっているんだ?」と不思議に思うか、失笑しているに違いない。あと数十日しかないのに、どうやって離脱するかが決まっていないのだから。英国に住む人もあきれているし、怒りや困惑で一杯だ。「なんでもいいから、早く決めてくれ」という声がビジネス界で特に強い。

 ブレグジット交渉の進展を英国側から見てきた一人として、なぜこんなことになり、何が問題となっているのかを説明してみたい。

なぜ、この時期になって、議会が紛糾しているのか

 このような状況になった理由として挙げられるのは、まず

 (1)メイ政権の交渉のまずさ

 もともとEU加盟残留派のメイ首相は、まじめな性格で仕事を一生懸命やるのはよいのだが、自分の手の内をなかなか外部に明かさず、少人数の側近と物事を決めるタイプ。

 

 昨年7月、離脱交渉の英国側の方針をまとめた白書を発表したが、2016年6月の離脱決定から2年後である。

 ここに来るまで、一体どういう方針になるのか、報道陣の質問にも「交渉中には相手に手の内を見せられない」として明確には答えず、メディアも国民も(そして内閣の大部分も)蚊帳の外に置かれた。

 そして11月には白書の方針に沿った協定案をEUに持ち込み、ここで合意を取り付けてしまう。

 国内は離脱派と残留派で大きく割れているので、これを1つにまとめるのは一苦労であるが、国内での支持を十分に取り付ける前に先にEUと合意してしまったことで、現在の議会の混迷に直結してしまった。

 EUとの合意から戻ってきたメイ首相は、「私が取り付けた合意案=ディール=を受け入れるか、そうでなければ、合意なしの離脱になるわよ」と議員らに迫った。合意なしの離脱(ノー・ディール)になれば、何の取決めもなしにEUから出ることになり、大混乱が予想される。メイ首相のディールか、ノー・ディールかを迫る姿勢は、脅しにも見えてきた。

 (2)国民も、議会も、内閣も割れている

 ことも、混迷の理由だ。

 2016年の国民投票では離脱票が52%、残留支持票が48%の僅差であった。今でも、この傾向は続いている。


 メイ首相は閣内に離脱強硬派の大物政治家を入れて、「離脱を実行する政権」であることを内外に知らしめたが、首相を支えるはずの内閣が離脱派と残留派に分かれることにもつながった。

 首相が7月に閣内でまとめた離脱協定案は、「あまりにも親EU過ぎる」と離脱強硬派の閣僚二人が辞任した。11月、EUに最終交渉のために出かける直前、またも離脱担当大臣が「これでは離脱にならない」と辞任した。

 メイ首相がまとめた離脱協定案は離脱派からは「親EU過ぎる」と嫌われ、残留派からは「現状より悪い」と批判された。

 ご参考:英議会がブレグジット案に「No!」 ―離脱間近にもかかわらず手続きが進まぬ背景にある市民の怒り BLOGOS 

 (3)下院議員の頭と心がバラバラ

 下院議員の80%は残留支持だが、国民投票で国民が選んだのは離脱。自分の選挙区の有権者は離脱を選んだのに、自分は残留支持という議員がたくさんいる。頭(有権者の意思を尊重する)と心(でも離脱したくない)がバラバラなのである。

 メイ首相の協定案について、「実は離脱したくない」という議員や政党が「もう少し時間をかけたほうがいい」、「このままでは間に合わないから、交渉期間を延長しよう」、「もう一度国民投票をやるべきだ」と声高に主張してきた。

議員たちは、なぜ離脱協定案を承認しなかったのか

 12月に離脱協定案を否決した理由は

 (1)親EU過ぎるから(離脱強硬派)

 離脱強硬派は、英国がEUの関税同盟からも単一市場からも抜け出て、「きっぱりとした離脱」を求めている。

 メイ首相とEUが合意した離脱協定案は、「英領北アイルランドとアイルランド共和国との間に国境検問所を置かないようにする」(=「ハードボーダー」を置かない)ために、一時的に英国全体を一種の関税同盟に入れ、南のアイルランドと地続きになる北アイルランドは単一市場の一部にも参加する仕組み(これをバックストップ=安全策=と名付けた)を入れている。

 このバックストップは、通常は発動されない。EUと英国は、離脱移行期間(2020年12月まで)の間に新たな通商協定を決める予定で、もし移行期間内(1年の延長可能)に合意がない場合でも、ハードボーダーができないようにするために設置された。

 北アイルランドとアイルランドの間には、過去の紛争の再来を防ぎ、友好・通商関係を深めるためにハードボーダーが置かれておらず、現時点では英国はEU国であるため、人、モノ、資本、サービスが自由に行き来している。

 その背景はこちらをご参考に:

 EU離脱、一触即発の危険を捨てきれない北アイルランド ニューズウィークジャパン

 ところが、このバックストップは発動後、解消したい場合にはEUと英国の両方の合意が必要になる。また、無期限となっている。

 このため、離脱強硬派が嫌ったのは「いつまでも無期限にEUの関税同盟に入り続ける可能性」だ。離脱の意味がなくなる、というわけだ。

 (2)現状より悪い選択肢だから(残留派)

 (3)北アイルランドの政党による反対

 英議会で7議席を持つのが、北アイルランドの民主統一党(DUP)。メイ政権と閣外協力しており、バックストップによって北アイルランドと英国本土の間で違いが出ると、これが北アイルランドと英国との連合を脅かし、1998年のベルファスト合意(英国とアイルランドの和平合意)に抵触するので、絶対に受け入れられないと主張している。

29日の議会採決で見えてきたこと

 (1)離脱の実現を遅らせる修正動議が、次々と否決された

 離脱を止めようとする政治勢力(下院議員の大部分が残留支持であったことを思い出していただきたい)が提出した複数の修正動議は、次々と否決された。

 例えば「離脱協定条約の発効を延期する」、「議員にもっと討議の時間を与える」などが否決。

 つまり、

 (2)下院は3月29日午後11時過ぎからの離脱を遅らせたくないと思っている

 ということである。

 離脱に投票した有権者の声を無視するわけにはいかないからだ。

 同時に、

 (3)「合意なき離脱を回避する」という修正動議は可決された

 ただし、これには法的拘束力はないという。だからこそ、議員は本音で投票できたともいえよう。

 そして、

 (4)バックストップの選択肢をEU側に求めることで、再交渉する

 というブレイディ案が、ぎりぎりではあったけれども、可決された(賛成317票、反対301票)。

 メイ首相は、保守党内の離脱強硬派や残留支持派の議員の意見を集約させることに成功し、「バックストップを変更する選択肢をEU側に求める」という条件付きで、再交渉を進める機運を作ったのである。

 29日の投開票後の報道を見ている限り、「メイ首相の快挙」という論調が出ていた。1月15日、離脱協定案が大差で否決されたことを思えば、僅差ではあったけれどもここまで支持を集められたのは、確かに快挙といえよう。

EUの拒絶

 メイ首相の離脱協定案は、昨年11月にEUと合意しており、EU側は一貫して「離脱協定の話は終わっている」、「すでに合意ずみ」、「再開させるつもりはない」と主張してきた。

 29日、英議会が協定案の見直しを求める動議を可決した直後も、欧州理事会のドナルド・トゥスク常任議長は、離脱協定は「再交渉の対象ではない」とこれまでの立場を繰り返した。

 この日以前にも、多くのEU指導者が「再交渉はしない」と述べており、「なぜ英議会にはこの声が届かないのか」とイラつくように表明する欧州議員もいる。

 かつては、メイ首相自身が「バックストップの設置だけを変えることはできない」と説明してきた。もし「バックストップに代わる選択肢」を見つけ、これで新たな修正案ができるのであれば、以前の主張とは合致しないことになる。

 なぜ「再交渉はできない」という声が届かないのか?EUの政治指導者がいらつき、あるいは驚き、こんな問いを発するとき、「現実を見ない英政治家がいる」と指摘される。

 確かに「自分に都合が良いように現実を解釈する」、あるいはそのようなふりをする英政治家は、多いかもしれない。また、「きっとEUは譲歩するはず」という甘い読みもありそうだ。

 しかし、EU他国の側からは見えにくいこともある。

 例えば、行政府がEUという国外にある機関と重要な協定に合意してしまったことに対する、英議員らの無念さ、怒り、驚愕である。立法府として絶対的な権威を持つ議会で離脱協定案が合意される前に、国外の組織に自分たちの運命を決められた、という思いである(英国では、EUは「外の機関」として認識されている)。


 EUが言う通りに、昨年11月、確かにメイ政権とEUは離脱交渉協定案に合意した。EUにしてみれば、「英国=メイ政府」であるし、それは正しい。

 しかしながら、メイ政権がEU側との交渉に持って行った協定案は議会や国民の間で十分に議論された結果の案ではなかった。複数の世論調査や1月15日に議会で協定案が大差で否決されたことを考えると、議会や国民の十分な支持がない協定案だった。

 議員の大部分や国民が支持していない案を英国は黙って受け入れるべきなのだろうか?ここが今後の交渉の核になりそうだ。29日の採決の後では、メイ首相は「議会でこのような結果が出たから、バックストップを変えたい」と主張できる。

 EUと英国の溝はどこまで埋められるだろうか?

 メイ首相はEUと交渉後、2月中旬に離脱協定修正案を下院に提出する予定となっている。

- メイ首相と議会の綱引き続く 「英国ニュースダイジェスト」筆者コラム





by polimediauk | 2019-01-30 21:36 | 英国事情

 英国の欧州連合(EU)からの離脱=「ブレグジット」=に向けて、交渉が続いている。

 大詰めに入った現在、「アイルランドとの国境問題」が最大の障壁になってきた。

 改めて、その中身を見てみたい。

 参考:「Q&A: The Irish border Brexit backstop」(BBCニュース)

英国とアイルランドの関係

 「アイルランドとの国境問題」という意味は、地図を見ると納得する。英国の西側に位置するのが、アイルランド島。南部は英国同様にEU加盟国のアイルランド共和国だ。しかし、北の6州は英国の一部で「英領北アイルランド」(あるいは単に「北アイルランド」)と呼ばれている。

 なぜ北だけ英国なのか。

 歴史をさかのぼると、アイルランド島はお隣の英国(「イングランド王国」)に長年支配されてきた。イングランドによるアイルランドの植民地支配が始まったのは12世紀だ。

 18世紀になると、キリスト教・プロテスタント派の国である英国がカトリック教徒が住む国アイルランドを併合。

 英国からの独立運動が実を結んだのは20世紀に入ってからだ。1916年、独立を求める「イースター蜂起」がダブリン(現在のアイルランドの首都)で発生するが、英軍に鎮圧されてしまう。第1次世界大戦終了後、アイルランド独立戦争(1919~21年)を経て英愛条約(1921年)が結ばれた。1922年、アイルランドは英連邦内の自治領「アイルランド自由国」として独立した(1949年に、アイルランド共和国に)。

 

 この時、北部アルスターの6州はプロテスタント系住民が大部分で、英国からの独立を望まず、「北アイルランド」として英国にとどまった。

北アイルランドの紛争

 北アイルランドではプロテスタント住民が大部分でカトリック住民が少数派という時代が長く続き、警察や政界などの支配層のほとんどもプロテスタント系だった。1960年代に入り、それぞれの宗派が民兵組織を使ってテロや武力抗争が発生した。この紛争で3000人以上が命を落としている。

 1998年、北アイルランドの帰属を住民の意思にゆだねる和平合意(「ベルファスト合意」)が調印され、かつての敵同士プロテスタント系、カトリック系をそれぞれ代表する政治家が自治政府を発足させた。今からちょうど20年前である。

 しかし、現在、北アイルランド議会は機能していない。再生エネルギーの利用促進にかかわる補助金の使い方をめぐって議会内で意見が対立し、空転状態が続いているからだ。

 それでも、北アイルランドとアイルランド共和国にあった国境検問所が使われなくなり、互いを自由に行き来できるようになった事実は変わらない。1960年代、70年代と比較すれば、夢のような平和が実現していると言っても良いかもしれない。

ブレグジットで困ること

 英国もアイルランド共和国も、現在はEU加盟国だ。そこで、EUの関税同盟に入っており、域内の単一市場の一部でもある。「人、モノ、サービス、資本」の自由な行き来が可能だ。

 ところが、英国のEU離脱で、困った事態が発生した。英国がどのような条件で離脱するのかについては今まさに交渉が続いているが、離脱後、もし「移行期間」中(2020年12月末で暫定合意)までに新たな関税上の取り組みが決まらず、「交渉決裂」で離脱となった場合どうするか。

 つまり、アイルランド共和国はEU加盟のままになっている一方で、英国は離脱となると、アイルランド島の中で、北は非EU、南はEUというそれぞれ異なる貿易圏・市場圏になってしまう。

 そこで、北アイルランドと南のアイルランドの間に何らかの「線を引く」必要がある。異なる経済圏になってしまうわけだから、人、モノ、サービス、資本の行き来にはチェック機能が必須だ。

 しかし、国境検問所を復活させた場合、つまり「物理的な国境(ハード・ボーダー)」を設けるとなると、国は違えど「EU」という大きなグループの中に入っていた北と南が「(また)分断」してしまい、治安上の懸念(異なる宗派同士の争いの復活の可能性)が出てきたのだ。

 

 では、アイルランド島内では北も南もEUの規則をそのまま適用していこう・・・となったらどうなるか?そうすれば、新たなチェック機能は必要なくなる。

 これはまず、北アイルランドのプロテスタント系地域政党・民主統一党(DUP)が頑として許さない。

 というのも、そうなれば、英国の中で北アイルランドだけに別の規則が適用されることになる。英国への帰属を選択した北アイルランドの政治家としては、これは絶対にダメである。地理的にはアイルランド島にあるものの、「自分たちは英国人」と考えるのが北アイルランドに住むプロテスタント系アイルランド人なので、こんな形で「北アイルランドは南のアイルランドとくっついて、一つにまとまっていなさい」と言われても、受け入れられないのである。

交渉ではどうなっているか

 離脱を目指して、EU側と交渉を続けている英政府だが、EU側も英政府側も「ハードボーダーは築かない」方針だ。

 では、どうするのか?

 これまでに、英政府とEU側は「オープンな国境」を維持することで合意している。アイルランド島全体の経済を支援し、ベルファスト合意を守ることも合意済み。しかし、これ以上になると、意見はまとまっていない。

 そこで、移行期間中内に新たな関税についての取り組みが決まらなかった場合、EU側が「バックストップ(最後の守り手)案」として提示しているのは、北アイルランドを関税同盟に加盟したままでおくこと(メイ首相は、ブレグジットになれば、英国は関税同盟からも単一市場からも抜け出ると宣言している)。単一市場やEUの付加価値税体制にも、北アイルランドは加盟を維持したまま、とする。これは「北アイルランドだけに適用される」とEUの交渉役ミッシェル・バルニエ氏は述べている。

 これでは、アイルランド島と英国本土の間の海に「線」が引かれることになる。英国本土の方は関税同盟も単一市場にも入らないが、北アイルランドのみが一時的にせよ、加盟していることになるからだ。

 この案では英国が分断されてしまうので、英政府は拒否しており、代わりにメイ首相が主張しているのは英国全体を一定期間、一時的に関税同盟に入れたままにすること。離脱強硬派としては、この「一定期間」が不安を誘う。いつまでもずるずるとEUの中に残り続けるのではないか、と。

 14日、離脱担当大臣ドミニック・ラーブ氏はブリュッセルに行き、バルニエ主席交渉官と緊急会談を行った。「交渉がまとまったのか?」と一時報道されたが、結局、明るいニュースは出なかった。18日のEUの定例首脳会議でも進展なし。

 現在、先を読める人がほどんといない状況だ。

***

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by polimediauk | 2018-10-23 18:26 | 英国事情

(「英国ニュースダイジェスト」掲載の筆者のコラム「英国メディアを読み解く」に補足しました。)

 英国では、9月から新学期が始まっています。

 筆者の自宅は、小学校に面しています。朝8時過ぎになると、子供を学校に連れてくる親が運転する車で、周辺の道路は大混雑します。午後3時半ごろの下校時には、再度、車の「ラッシュアワー」の到来です。

 日本からすると不思議な光景かもしれませんが、英国では親が子供の通学の送迎をすることが慣習になっているのです。仕事を持っている親は大変です。なかにはニーズに合わせて働き方を調整できる「フレックス制」を利用している人もいるかもしれません。

すべての従業員が利用できるフレックス制

 英国では2003年の法律により、仕事を持つ親に6歳以下の子供や、介護を必要とする子供(2007年からは成人も)がいる場合、雇用主に対して、就業時間を調整するなどのフレックス制を要求する権利が保障されています。2014年からは、すべての従業員にこの権利が認められるようになりました。

 フレックス制には、様々な形態があります。

 例えば、2人で一つの仕事を担当する「分担労働」、オフィス以外の場所、例えば自宅などで働く「リモート労働」、フルタイムより少ない時間で働く「パートタイム」。更に、フルタイムと同じ就業時間を少ない日で働く「まとめ勤務」や、就業時間の始まりと終わりを調整する「フレックスタイム」など。

 フレックス制を利用したい従業員は、雇用主にこの制度の利用を求める申請書を提出します。申請条件は、その会社に過去最低26週間は勤務していること。いつからどのように制度を利用したいか、ビジネスにどれほどの影響が出る見込みで、どのような方法でそれを回避するかなどを記します。

 申請書を受け取った雇用主は3カ月以内に返答をしますが、もし許可をしない場合、合理的と思われる理由を示さなければなりません。申請が却下され、従業員がこれを不服とした場合、雇用主に再考を求めるために労働裁判所に訴えることができます。

92%がフレックス制を導入

 実際に英国では、一体どれほどの人がフレックス制を利用しているのでしょうか?

 政府の依頼を受けて、英国の働き方について調査をした報告書「グッド・ワーク」(2017年7月発表)によると、雇用主の92%が何らかの形のフレックス制を導入しており、過去1年間に利用した従業員は60%。別の調査では70%を超えたとする結果もあります。

 近年、インターネットを通じて単発の仕事を受注する「ギグ・エコノミー」方式で働く人も増えていますから、働く人の大部分が何らかの形でフレックス制を使っているとも言えそうです。

 では、フレックス制で企業はどんな恩恵を得ているのでしょう?世論調査会社ユーガブによれば、89%の雇用主及び従業員がフレックス制は職場の生産性を上げると答えているそうです(2017年10月)。

 就業時間を調整する場合、朝の9時から午後5時までという通常の時間よりも早く始まり、早く終わる形を多くの従業員が求めている結果も出ています(同年11月)。最も好ましい就業時間は朝8時から午後4時でした。

 なるべく早く仕事を終わらせて、自分の時間を過ごしたいという英国人の気持ちが表れているようです。

 一人一人の働き手の生活事情に合わせて、より自由なスタイルで働く仕組みとして広がっているフレックス制ですが、決して良いことばかりというわけではないようです。

 例えば会計会社デロイト・トーマツと人材コンサルタント会社タイムワイズの調査によると、フレックス制利用者の中には、「フレックス制を使わない同僚よりも仕事受注の機会が減少した」、「昇進が遅くなった」と感じる人がいるそうです(「フィナンシャル・タイムズ」紙、2018年6月28日付)。

 来年、フレックス制の見直しが行われることになっています。見直しにより更に働きやすい環境が実現し、様々な生活環境を持つ人たちが、雇用市場に参加できる社会になるといいのですが。

キーワード Gig economy(ギグ・エコノミー)

「ギグ(単発の仕事)」を基盤とした働き方や、それによって成り立つ経済形態です。タクシー・サービス、出来合いの食事を運ぶサービスなど、インターネット経由で仕事を受注します。いつどれぐらいの時間働くかを決める自由度はありますが、最低賃金の支払い保証や有給休暇がないなど、労働者としての権利が十分に保護されない負の側面もあります。


by polimediauk | 2018-10-16 06:35 | 英国事情

 2008年9月15日、米国で第4位の規模となる(当時、以下同)大手証券会社・投資銀行「リーマン・ブラザーズ」が経営破綻した。多くの人にとって、同社の破綻とそれに続く世界的な株安、信用不安、不景気は世界金融危機を象徴する事件として記憶されている。いわゆる、「リーマン・ショック」である。

 筆者は、破綻が報道されたとき日本に一時帰国していた。テレビ画面でリーマン・ブラザーズのニューヨーク本社の建物から段ボール箱を抱えた社員が三々五々、出てきた光景を思い出す。

 同じ日、米証券第3位のメリル・リンチは第2位のバンク・オブ・アメリカに救済買収されることに同意し、翌日には財政難に陥った米保険最大手アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)が米政府から巨額の公的融資を受けることになった。米金融界が急速に瓦解して行く様を目撃しているようだった。

 リーマン・ブラザーズの破綻劇は英国の政界・金融界と奇妙に結びついている。

 というのも、リーマン社の売却先候補として最後まで交渉を行っていたのが、英バークレイズ銀行だったからだ。何とか破綻させまいと、米英の財務関係者、バークレイズ、リーマンとの交渉が連日続いた。交渉は難航したが、最後にリーマンの息の根を止めたのはダーリング英財務相だった。

 バークレイズとしては、買収にはリスクが伴うため、英政府から何らかの保証を得たいところだった。しかし、ダーリングはこれに同意せず、ポールソン米財務長官にもそう伝えた。「英国の納税者が米国の銀行を救済するようであってはいけない」と思ったからだ(同氏の著書『バック・フロム・ザ・ブリンク』)。

 バークレイズは買収を断念。買い手を失ったリーマン・ブラザーズは破綻申請を行った。

 しかし、バークレイズはすべてをあきらめたわけではなかった。投資銀行部門を充実させることが長年の願いであったため、リーマンの北米投資銀行業務を買収したのである。

 ロンドンから見た、世界的な金融危機の様子を振り返ってみたい。

フランスの銀行の不振が赤信号を灯らせた

 危機発生の直接のきっかけは、信用力が低い個人や低所得者層を対象にした米国の住宅ローン「サブプライム・ローン」の焦げ付きだ。米国の金融機関ばかりか、英国の金融機関もこの種の貸し付けをどんどん提供していた。

 このローンは通常の融資よりも審査基準が甘く、かつ金利が高く設定された。当初は低金利でも途中から大幅に上がる仕組みとなっていた。住宅を担保とし、住宅価格の上昇を背景に2000年以降、急速にこの種のローンの販売が増えた。

 しかし、04年、米連邦準備制度理事会(FRB)が住宅バブルを抑えるために金融引き締め策を導入すると、06年頃から住宅価格が下落に向かった。これがサブプライム・ローンの焦げ付きを多発させるようになった。

 

 2007年8月9日、リーマン・ショックのほぼ1年前、ダーリング財務相はあるニュースを目にした。フランスのBNPパリバ銀行が傘下のファンド凍結を発表したという。ファンドが投資していたサブプライム関連の証券化商品の価値が急落したことが原因だ。

 住宅ローン専門の金融会社ノーザン・ロックのアダム・アップルビーCEOは、パリバ銀行の窮地に衝撃を受けた。「この日、世界が変わった」と発言している。ノーザン・ロックは積極的にサブプライム・ローンを提供しており、資金難に陥っていたのである。

 欧州中央銀行(ECB)は短期金融市場に948億ユーロを供給し、米FRBも240億ドルの資金供給を行うことになった。FRBは4日後、公定歩合の0・5%緊急引き下げを決定している。

ノーザン・ロックの取り付け騒ぎ

 8月14日、ノーザン・ロックの代表が英中央銀行(イングランド銀行、BOE)に対し、資金繰りが厳しくなったことを相談する。国内の銀行業務を監督する金融サービス庁(FSA)がノーザン・ロックの会計を検査し始めた。ノーザン・ロックは十数行の銀行に融資ビジネスの引継ぎを打診したが、応じる銀行が見つけられず、BOEに対し、緊急融資を依頼した。

 9月13日、金融市場の安定化のため、BOEが市中銀行に44億ポンドの資金を提供する。ノーザン・ロックが資金繰りに悩んでいるという噂が出て、同行の株価は過去4年で最低値に下落した。

 この日、BBCはBOEがノーザン・ロックに財政支援をするとスクープ報道した。これが引き金となって、翌日、140万人の顧客がノーザン・ロックから預金の引き出しに走った。一日で10億ポンドが引き落とされてしまった。19世紀以来、初の取り付け騒ぎである。

 ダーリング財務相がノーザン・ロックの預金全額を政府とBOEが保証すると宣言したのは、取り付け騒ぎから4日後だった。「遅い!」と国民から批判されたものの、銀行前に並ぶ預金者の数が次第に減少し、騒ぎはいったんは収束した。2008年2月、ノーザン・ロックは一時的に国営化された。

リーマン・ショックの後で

 2008年9月のリーマン・ショック以降、英銀行界は政府に助けられながら、何とか息をつないだ。

 10月8日、政府は大手銀行への資本注入を中心とする包括的な銀行救済案を発表した。これによって、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド銀行の83%、ロイズ銀行の43%を国が所有することになった。政府はその後、後者の株を売却し、ロイズ銀行は民営に戻った。ロイヤル銀の方の株は若干売却されたが、ほとんどの株はまだ政府が所有中だ。

 この後、欧州ではアイルランド、ギリシャ、ポルトガルが危機状態となり、欧州当局が救済策を提供する事態も発生した。

もう1つのスキャンダル、LIBOR

 リーマン・ブラザーズをもう少しで買収するところまで行ったバーククレイズ銀行に、ある不祥事が発覚する。

 2005年ごろからくすぶっていた疑惑で、短期金利の国際的指標となる「ロンドン銀行間取引金利(LIBOR)」の不正操作を行ったという。

 12年6月、バークレイズ銀行は「銀行間貸出金利の操作未遂と不正報告」によって、英米の捜査当局から総額2億9000万ポンドの罰金の支払いを命じられてしまう。

 LIBORは住宅ローンなどの設定基準として使われる金利だが、不正行為は大手銀行への信頼をますます損なう結果となった。

▽金利不正操作で巨額罰金 バークレイズ銀行不祥事の背景とは

 関与していたのはバークレイズだけではなかった。JPモルガン証券、ゴールドマン・サックス、シティグループ・フィナンシャル・マーケッツのトレーダーも不正操作に関与していたが、大手銀行として注目度が高いバークレイズは国民や政治家の怒りを一気に買ってしまった。 

 ボブ・ダイヤモンドCEOは、財務相や中央銀行からプレッシャーをかけられ、辞任せざるを得なくなった。

 経営難や不正行為を発生させたのに巨額の報酬を受け取る銀行経営陣たちを、メディアや国民は「太った猫」と呼ぶようになった。

また起きる?

 今回のような、グローバルに広がった金融危機は再発するのだろうか?

 これまでに何度も金融危機は発生してきたので(もっとも著名なのは、1929年の米国市場の株価暴落による大不況)、いつかはまた起きると考えても良いだろう。

 金融街をテーマにした数冊のノンフィクションで知られる作家フィリップ・オーガー氏(最新作はバークレイズ銀行の歴史を描いた『少し生きた銀行(ザ・バンク・ザット・リブド・ア・リトル』)が筆者に語ったところによれば、「10年前と比べて、金融体制は安全になったと思う」。

 しかし、返済の見込みがない顧客を対象にしたサブプライム・ローンを多くの金融機関が大量に販売していたことが象徴するように、「顧客のケアよりも収益を上げることを重視する銀行のビジネスモデルは変わっていない」と指摘する。「利益を上げれば、巨大なボーナスをもらう仕組みもほとんど変わっていない」。

 オーガー氏の懸念は「10年前に発生した危機についての記憶が、人々から薄れてしまうことだ」という。

 (*オーガー氏との一問一答インタビューをWeb Ronzaに出しております。よかったら、ご覧ください。)

リーマン・ショック10年 英でインタビュー 1 作家・オーガー氏「銀行のビジネスモデルが変わらない限り、危機はまた起きる」

***

参考

「実録 世界金融危機」(日本経済新聞社編、日経ビジネス人文庫)

 ノーザン・ロック事件の教訓

リーマンブラザーズの破綻と英国経済への影響


by polimediauk | 2018-09-19 17:25 | 英国事情

(英国の邦字誌「英国ニュースダイジェスト」に掲載されている、筆者のコラム「英国メディアを読み解く」に補足しました。)

 今年夏、英国でもかなり暑い日が続きました。炎天下を避けてカフェに入り、友人とおしゃべりに興じながら冷たいジュースを飲んでいるうちに「あれ?」と思いました。ストローが「ふにゃり」と曲がっていることに気づいたのです。これまでのようなプラスティック製ではなく、紙製でした。「プラスティックから出るゴミを減らそう」という動きが、ここまできていることをしみじみと実感しました。

 元々、英国は家庭から出るゴミのリサイクル率が低い国ですが、近年は耐久性が高いことで知られるプラスティック(合成樹脂)製品のリサイクルを進める動きが活発になっています。スーパーマーケットでは、以前は無料だったレジ袋が今では有料になっていますが、これは「デーリー・メール」紙によるレジ袋有料化運動が大きな役割を果たしたと言われています。

プラスティック製品と海洋動物

 今、特に注目となっているのが、海に流れたプラスティック製品の海洋動物への影響です。

 ストローが鼻孔に突き刺さり、身動きができなくなった亀の姿を映したYouTubeの動画(2015年)は3100万回以上視聴されましたし、昨年秋にはBBCの自然ドキュメンタリー番組「ブルー・プラネット2」が放送され、この中でもプラスティック製のロープやビニール袋などに捕らわれ、泳げなくなっている海洋生物が映し出されました。

 番組の影響力は絶大で、これを機にBBCは、局内の使い捨てプラスティック製品を2020年までに撤廃すると決めています。

 今年1月には、メイ首相が2042年末までに不要なプラスティック廃棄物をゼロにする「25カ年計画」を発表しました。翌月、今度はエリザベス女王が、バッキンガム宮殿やウィンザー城などで使用していた使い捨てプラスティック製品を、リサイクル可能なものに差し替えると宣言しました。

 そして4月、メイ首相は改めてプラスティック製のストロー、飲み物をかき混ぜるマドラー、プラスティックを芯の原料とする綿棒の使用禁止の意向を明らかにしました。

 英国では、年間85億本ものプラスティック製ストローが捨てられているそうですが、スターバックスを始めとするコーヒー・チェーンが続々と、使い捨てプラスティック製ストローを使わないという方針を自主的に発表するようになりました。

 国内で1年に数十億単位で消費されている紙コップには、飲料の温度維持や、素材強化のためにプラスティックが使われています。これをリサイクルできる技術を持つ工場は英国内には希少のため、ほとんどが使い捨てとなっています。それを何とかしようと、自分のカップを持ってきた人にはディスカウントをするコーヒー・チェーンもあります。

 国連の調べによると、世界50カ国以上が、使い捨てプラスティック製品の撲滅を2022年までに達成する計画を持っているそうです。

 英国のテスコ、セインズベリーズなどのスーパーマーケットは、商品の包装などに使われているすべてのプラスティックを2025年までにリサイクル可能な物質にするよう決めました。

 ただ、プラスティック製ストローの完全廃止は、手に障害のある人にとっては不便という声もあります。

 また、紙製ストローが普及することで、原料となるパルプのために森林伐採が進むとすれば、環境保護の点から見るとどうなるのかという問題もありますね。

 もう一つ気になるのが、プラスティックごみの海外輸出です。

 7月末、プラスティック製包装のリサイクルの現状について、国家統計局が報告書を出しましたが、これによると、昨年時点で再処理されたプラスティック製包装の66%が海外に送られていました。このうちの25%が中国への輸出です。

 ところが昨年7月、中国はプラスティックを含む廃棄物の輸入を停止すると宣言。そこで英国は今年からマレーシア、トルコ、ポーランドなどにプラスティック廃棄物の処理をより多く頼むようになりました。

 英国のゴミを外国で処理してもらう……なんだか、これでいいのかなという気がしますね。

キーワード 包装リサイクル義務(The Packaging Recycling Obligations)

 1997年に政府が定めた、欧州連合(EU)の取り決めに沿った包装物リサイクルの義務(%)のことです。国家統計局の報告書によると、昨年、英国の7002社がこのスキームに参加して、リサイクル率64%を達成しているそうです。同年、国内の包装ゴミは1100万トンに上り、過去15年で海外への包装ゴミの輸出量は約6倍に増加しました。


by polimediauk | 2018-09-12 16:26 | 英国事情

 英国の邦字誌「英国ニュースダイジェスト」に掲載されている、筆者のコラム「英国メディアを読み解く」に補足しました。)

 ここ数か月、英国では「ウィンドラッシュ世代」の話が連日のように報道されて来ました。

 ウィンドラッシュ世代とは、1948年から70年代初頭にかけて、当時英領だったジャマイカなど西インド諸島から英国にやって来た移民とその子供たちを指します。第二次大戦後の英国の労働力不足を補うために、渡英した人たちです。

 「ウィンドラッシュ」とは移民の第1陣を乗せてきたエンパイア・ウィンドラッシュ号から来ました。

 1948年6月21日、1,027人を乗せ英南東部エセックスのティルベリー港に到着しましたので、今年はちょうど70年目にあたります。

 この世代に該当する人が何人いるのか、正確には分かっていません。と言うのは、当時、英国の植民地であった地域から親と一緒にやって来た子供たちの多くは、自分自身の旅券や査証など公的書類がないままに入国し定住したからです。

 1971年の移民法(73年1月施行)によって、施行日以前に渡英した英連邦出身の市民には永住資格が与えられましたが、このとき、政府はその記録を残しませんでした。

改正移民法で生活が激変

 今回、ウィンドラッシュ世代が窮地に陥ったきっかけは、2014年の改正移民法です。英国内で欧州連合(EU)からの移民急増への反発が発生したことを受けて、政府は不法移民に「敵対的な環境を作る」政策を打ち出しました。

 これによって移民たちは、就労、不動産賃貸、医療を含む社会保障を受け取る際に、国籍証明書、あるいは永住許可証などの在留資格を示す正式な書類が必要になったのです。書類を出せない人は「不法移民」となり、職を失う、社会保障を受けられないなどの危機に見舞われました。国外退去を迫られた人もいるようです。

 半世紀近くも英国に住み、自分は英国民だとばかり思っていたジャマイカを含むカリブ海地域出身者やその子供たちにとって、大きなショックだったに違いありません。

 オックスフォード大学による移民観測分析では、1971年以前に渡英し、現在までに英国に定住した英連邦出身者は約52万4000人で、英国の国籍を取得した人は46万7000人だそうです。国籍を取得していない5万7000人のうち、1万5000人がジャマイカから来たと推測されており、数千規模の人が不利な状態に置かれたと見られています。

ガーディアン紙の報道がきっかけ

 一連の事態は、「ガーディアン」紙の報道で広く知られることになりました。2010年、内務省が新たな建物に引っ越したときに、ウィンドラッシュ移民の到着記録を大量に破棄していたことが発覚したのです。

 今年4月19日と20日にはロンドンで英連邦首脳会議が開催されていたこともあり、ウィンドラッシュ世代をめぐる政府の不手際が大きな政治問題となっていきました。

 テリーザ・メイ首相は、該当する人々に適切な補償の支払いを約束し、カリブ海12カ国に書簡で正式に謝罪しました。

 アンバー・ラッド内相(当時)はウィンドラッシュ世代を支援するための特別な作業部会を設置し、必要な在住証明書の収集、新たな在住許可書類作成費用の全額免除(229ポンド=約3万2,000円)、問い合わせ先の窓口となるウェブサイトの設置を下院で発表しましたが、4月29日、引責辞任に追い込まれました。

新内相が謝罪 「見せかけ」?

 ラッド氏が引責辞任をした後を引き継いだのが、サジド・ジャビド氏です。彼の両親は、ウィンドラッシュ世代と同じ頃にパキスタンからやってきました。移民第2世代ということになります。同氏にとって、ウィンドラッシュ世代の苦境は他人事とは思えないとこれまでのインタビューで述べています。

 今月21日、ジャビド内相は下院の内務問題委員会に対し、これまでの調査結果を報告しました。

 これによると、先の大臣が設置した作業部会に連絡を取ったウィンドラッシュ世代関係者は6,507人に上りました。このうち2,272人に英国の在住資格を裏付ける書類が送られました。2,272人のうちの1,093人(最多)がジャマイカ出身でした。

 作業部会は、1万1,800人を対象に調査を行いました。このうち18人が、先の移民法が施行された1973年以前から英国に住み、この法律によって永住資格を得ていたにもかかわらず、これを証明する書類がなかったために英国に住めなくなったり、移民管理センターに拘束されたりしていました。

 18人のうち14人に連絡が取れ、ジャビド内相は謝罪の書簡を送りました。補償金を支払うこと、すでに英国を去ってしまった人には帰国への支援を行うことも書かれていました。

 政府の調べによると、18人以外には、カリブ海諸国出身者の146人が英国から強制送還されたり、移民管理センターに拘束されたりしていました。

 ウィンドラッシュ世代にどのように補償金を払うかについては、現在、広く意見を募っているところです(締め切りは10月11日)。

 両親がウィンドラッシュ世代となる、デービッド・ラミー労働党議員は、「18件は雀の涙だ。内相の謝罪は見せかけだ」、と述べています。「現在も支援金が与えられず、仕事や住居を失って、食事も満足にできない人々に対する侮辱だ」。

欧州列強による「三角貿易」とウィンドラッシュ世代

 歴史をさかのぼれば、西インド諸島に黒人の住民がいるのは、英国を含む欧州列強による「三角貿易」の結果でもあります。

 例えば、英国からアフリカ大陸に工業製品を運んだ船は、そこで現地の黒人住民を奴隷として西インド諸島や米国に運び、次にそこからタバコや綿花などの産物を積んで英国を含む欧州に戻って来たのです。

 ウィンドラッシュ号やその後の船で英国にやって来た人々は、有色人種であることから様々な人種差別にあう場合もありました。その大部分はブルーカラーの仕事、例えば清掃人、運転手、看護婦として働きながら、大戦で荒廃した英国が現在の姿になるまで力を貸してきました。

 希望に満ちた若者たちの当時の写真をよく目にしますが、これまでの経緯を思い合わせると、今回の危機には本当に胸が痛みます。

キーワード 英連邦(Commonwealth of Nations)

 英国を中心とする自治領、旧植民地諸国で構成される緩やかな連合体のことです。53の加盟国には約24億人が住んでいます。英国に住む加盟国の国民は、英国の国政及び地方選挙で選挙権・被選挙権を持っています。首長はエリザベス女王、次期首長はチャールズ皇太子。隔年で首脳国会議を開催し、今年は4月19日~20日、英国で開催されました。


by polimediauk | 2018-08-28 22:25 | 英国事情

 (英国の邦字紙「英国ニュースダイジェスト」に掲載中の筆者のコラム「英国メディアを読み解く」に補足しました。)

 「ボリスはどこだ? 」

 6月末、ウェストミンスター議会での審議中、野党の労働党議員から叫び声が上がりました。日本人にとってもなじみが深いヒースロー空港(ロンドン西部)に、第3の滑走路を新設する法案を国会で審議していたときのことです。

 「ボリス」ことボリス・ジョンソン外相(当時。7月9日辞任)は、前職のロンドン市長であったときから新滑走路の建設には大反対の姿勢を取ってきましたが、この日、その姿が見当たらなかったのです。

 空港の設備拡張賛成派と反対派の議論が白熱する中、最終的に政府の建設案は可決されました。ジョンソン氏はアフガニスタンを訪問中で、票を投じることはできませんでした。

 新滑走路は2021年に建設が着工され、26年までに完成する予定です。総事業費は140億ポンド(約2兆460万円)に上るそうです。

 ヒースロー空港は、第1次世界大戦中に軍用機の発着地となったのがその始まりです。1930年代には、航空機の組み立てや試験飛行に使われるようになりました。第2次大戦が勃発すると小規模の商業空輸を取り扱い、戦後は空軍に接収されました。「ロンドン空港」が敷地内で建設されたのは1944年。2年後には民間航空局に返還され、民間空港として正式オープンします。「ヒースロー空港」と名称変更されたのは1966年です。現在は「ヒースロー空港ホールディングス」が所有者になっています。

 国際線利用者数では世界第2位(2017年は約7320万人)の同空港ですが、敷地面積はほかの欧州の主要空港と比較すると半分以下で、滑走路も2本しかありません。国際競争の面から、そして旅客サービスを向上させるためにも、空港設備の拡張が長年の課題となってきました。

 今回の新滑走路建設決定までには、長年の紆余曲折がありました。設備拡張を掲げた白書が公表されたのは2003年。07年のパブリック・コンサルテーションを経て、09年、当時の労働党政権が新滑走路建設を支持します。しかしその後、地球温暖化への影響、地域住民からの騒音や大気汚染問題への懸念が、大きな抗議運動に発展していきます。

 2010年の総選挙戦では、野党だった保守党と自由民主党が新滑走路建設反対を主張し、当時のロンドン市長ジョンソン氏は、テムズ川河口に浮かぶ人工島に新空港を建設するという大胆な計画をぶち上げました(!)。このときの総選挙で勝利した保守党と自民党が連立政権を組み、新滑走路建設案を中止してしまいます。

 それでも、英南東部の空の旅の受け入れ能力を拡大するための試みは続いていきます。

 2012年には拡張の可能性を査定する「空港委員会」が立ち上げられ、その翌年出された3つの提案の中の一つが第3滑走路の建設でした。政府がこれを支持する意向を示したのが、その3年後。そして今年6月上旬、政府が建設計画を閣議で了承し、これを踏まえて議会で同月25日に採決が行われ、ようやくゴー・サインが出ました。

 この採決に関してクリス・グレイリング運輸相は、「5つの誓約」を表明し、その中で「事業費に税金は投入しない」と約束しました。拡張計画は10万人以上の新規雇用を生み出し、740億ポンド相当の経済効果があると述べています。

 この第3滑走路の建設により、ヒースロー空港の年間の旅客輸送能力は1億3000万人に増える予定だそうです。また、環境対策や周辺住民への補償として26億ポンドを使うことも明言しています。

 でも、不安要素も多々あります。

 本当に事業費を民間資金だけで賄えるのか、ほかの空港と比較して高いと言われるヒースローの空港使用料が更に上がるのでは、そしてこれが運賃に転嫁されるのではという懸念です。新滑走路周辺の道路整備による交通渋滞も、頭痛の種と言われています。立ち退きを余儀なくされる約800戸の住人にとっては、大きな決断のときとなります。

 サディク・カーン現ロンドン市長を含め、滑走路建設反対派の声は依然として強く、これからも論争が続きそうです。

キーワード 5つの誓約(Five point pledges)

 グレイリング運輸相は、ヒースロー空港拡張で5つの原則を確約しました。(1)税金は使わない、(2)経済効果(新国際線の開通、10万人の新規雇用、740億ポンドに上る恩恵)、(3)国内全体での恩恵(国内線航路を15%増発、地域経済活性化)、(4)環境保護(温暖化や大気の質の基準を維持、夜間飛行制限に新基準など)、(5)誓約順守に法的縛りをかける。さて、これは守られるでしょうか。


by polimediauk | 2018-08-10 20:07 | 英国事情