小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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カテゴリ:英国事情( 192 )

(20日付のサンデー・ミラー紙の中面。「彼女(マークルさん)が英国の家族の一員になった」という見出し)

 19日、英国のヘンリー王子(33歳)と米国人の女優メーガン・マークルさん(36歳)が、ウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂で挙式した。結婚後、2人は「サセックス公爵夫妻」になった。

 英国時間では正午から、日本では午後8時から始まった挙式の様子は世界中のテレビで放送されたが、視聴された方はどんな感想を持たれただろうか。

 筆者は、テレビの生中継を隣人の友人たちと一緒に見た。隣人は北アイルランド出身で、「挙式には関心がない」と言い、イングランド地方出身の家人も「興味なし」。2人が出かけてしまったので、隣人の友人で、アフリカ・モーリシャス共和国出身の2人(レイチェルさんとリチャードさん)と一緒にテレビの前に座った。モーリシャスは19世紀に英領となり、1968年に英連邦の一国として独立している。

 レイチェルさんは、英国のNHSと呼ばれる国民医療サービスで働く看護婦だ。驚いたことに、彼女は結婚式への招待状をもらっていた。ロンドン中心部の病院に勤務しているのだが、その病院に送られてきた招待状3枚の内で、1枚が自分宛てになっていたのだという。

 しかし、当日はウィンザー城には行かないことに決めたという。「もったいない。せっかくの機会なのに」と言ったが、レイチェルさんは、「準備が煩わしい。実際に行っても、ほんのひと目しか見られない。それなら、テレビの前に座っていたほうがい」と答える。テレビなら「すべてが見られる」。

 BBCは主力チャンネル「BBC1]で午前9時(!)から放送を開始した。

 午前9時とはいかにも早い。式の開始は正午なのである。

 そこで、筆者が隣人の家のソファーに飲みものとスナックを片手に座ったのは、12時少し前。

 聖ジョージ礼拝堂の聖歌隊がいる場所に座っているゲストの中には、王室のメンバーと共に米映画俳優ジョージ・クルーニーが見えた。

 「王子と一緒に慈善事業をやったからだよ」とレイチェルさん。

 教会の席にも著名人が少なからずいた。英歌手のエルトン・ジョンとその妻、元サッカー選手のデービッド・ベッカム夫妻・・・。

シンプルな白いドレスに感服

 レイチェルさんと私の最大の関心事は、マークルさんがどんなドレスを着るのか、ということだった。

 車から出て、礼拝堂の入り口に立ったマークルさんが着ていたのは、クレア・ワイト・ケラーがデザインをしたジバンシィのもので、装飾が全くと言ってよいほどない、シンプルな白いドレスだった。マークルさんはティアラとベール、小ぶりのイヤリング、腕輪を身に付けていた。「これほど格好良いドレスはない」ーーこれがレイチェルさんと私の結論だった。

 ドレスの長い裾の先はページーボーイたちが持っていたが、マークルさんは礼拝堂の階段を一つ一つ、自分で上った。

 筆者は車から降りたら、すぐにチャールズ皇太子が腕を取って一緒に歩くかと思っていたので、少々驚いた。しかし、たった1人で階段を上がるその姿に、女優というキャリアを持ち、自分で結婚を選択した女性の決意のようなものを感じた。

 途中から、すでに中で待っているヘンリー王子の元までマークルさんを連れて行ったのは、チャールズ皇太子だった。

王子が涙をぬぐう

 マークルさんの登場で式が始まっていくのだが、気になるのがマークルさんの家族としては1人だけ参加した、母のドリア・ラグランドさん。「さぞかし、心細いだろうね」とレイチェルさん。マークルさんの父親トーマスさんが、「やらせ」写真事件や体調が悪いことを理由に参加できなくなったことを思い出す。

 「見て!王子が泣いているよ」とリチャードさん。確かに、ヘンリー王子は時折、目の下あたりを指で何度かぬぐっていた。結婚式に出席して欲しかった、母親のダイアナ妃(1996年に事故死)を思い出しているのか、「やっとここまで来た」という安堵感の涙なのか。それとも、キリスト教の儀式の荘厳さに思わず涙があふれたのか。

 可笑しかったのは、結婚を誓い合うことになって、カンタベリー大司教が「・・マークルさんを妻として、一生支え続けますか」と王子に聞いた時だ。「はい、誓います」(I will)と答えた後に、一呼吸おいて、王子は思わず笑ってしまう。マークルさんの笑いも誘う。ヘンリー王子がマークルさんの前に数人のガールフレンドがいたことを想起させて、参列者からも笑い声が出た。

熱狂的な説教にどう反応する?

 これまでの英王室の結婚式とは、少々違うぞ・・・という雰囲気が出てきたのは、米シカゴからやってきたマイケル・カリー司教の登場だった。

 カリー司教は、殺害された黒人運動家マーティン・ルーサー・キング牧師の言葉を借りながら、「愛情には力がある。見くびってはいけない」と述べた。次第に表情が生き生きし、身振り手振りで話してゆく。

 普通だったら、熱のこもった説教の合間に聴衆から何らかの声が上がりそうである。しかし、ここは英王室が出席する、儀式の場だ。そうはいかない。

 感情が揺さぶられるような説教に対し、カメラがとらえた英王室や一般出席者の表情が興味深かった。たまたまかもしれないが、エリザベス女王は「一体、この人何なの?」というような気難しい表情をしていた。上流階級の中には、感情を表に出さない習慣がある。笑顔を見せていたのはベッカムやチャールズ皇太子の妻カミラさん。それでも、多くの人が心を奪われたように耳を傾けていた。

 この説教の間中、手を握り続けていたヘンリー王子とマークルさん。その様子をカメラがずっととらえていた。

 これも今回の結婚式の新しさだった。これまでの英王室の結婚式で、新郎新婦が親密に体に触れあう様子を(キスの場面は別として)これほど長々と見せたことはないと筆者は思う。

「スタンド・バイ・ミー」が最高潮に

 式の中で「スタンド・バイ・ミー」が歌われることは知っていたが、テレビの前に座っていた3人は、歌い出したのが黒人の歌手で、コーラス団の全員が黒人だったことに息をのんだ。「こりゃ、驚いた」とリチャードさん。「そうだったのか」。

 マークルさんの母はアフリカ系米国人であるから、黒人だけのコーラス団はマークルさんが結婚相手だったからこその選択である。

 「スタンド・バイ・ミー」は米国のソウル歌手ベン・E・キングの曲(1961年)で、元々は黒人霊歌「ロード・スタンド・バイ・ミ」からヒントを得たと言われている。(元ビートルズのジョン・レノンが1970年代にカバー・バージョンを出したことでも知られている。日本でも、いくつかのコマーシャルに使われた。)

 「スタンド・バイ・ミー」の出だしの一部を筆者流に少し訳してみた。

 動画で、その雰囲気を感じてみていただきたい。

Stand By me「私の側にいてくれたら」

When the night has come

(夜がやって来て)

And the land is dark

(あたりが暗くなり)

And the moon is the only light we'll see

(月が唯一の光になる時)

No I won't be afraid, No I won't be afraid

(それでも私は怖がらない。怖がったりなんかしない)

Just as long as you stand, stand by me

(あなたが側にいてくれたら、側にいてくれたらー)

 この「あなた」はヘンリー王子にとってはマークルさん、マークルさんにとってはヘンリー王子になりそうだが、2人は自分たちの母、父、あるいは友人たちのことを思って聞いたかもしれない。参列者たちやテレビの前で見ていた人も、自分が側にいてほしい人は誰なのかについて、考えを巡らせたに違いない。マークルさんから、「私の側にいてね、守ってね」というヘンリー王子へのメッセージにも聞こえてきた。

 筆者は、レイチェルさんやリチャードさんと共に、「スタンド・バイ・ミ―」の歌詞一つ一つに胸を熱くさせながら、聞いていた。

 ピアノの伴奏に乗って歌声が礼拝堂に響き渡った、筆者は、英王室に本当に「新しい血」が入ってきた、と思った。これほどわかりやすい言葉で、切々と歌う声が伝統と儀式を大事にする王室の結婚式で流れたことはなかったのではないか。

 マークルさんは女優時代に活発に行っていたブログやソーシャルメディアでの発信を、英王室の一員になることで一切停止した。その声が封じられたようで、非常に残念だ。慈善活動を通じて「声」を出してゆくだろうとは思うのだが。

 結婚式は、「伝統・儀式を重んじる英王室」と「感情の吐露を排除しない、現代的なカップル」との対比を露わにした。

 マークルさんには、堅苦しい英王室に是非新たな風を入れてほしいと心から望んでいる。


by polimediauk | 2018-05-20 17:00 | 英国事情

 19日に予定されている、ヘンリー王子と米国人の女優メーガン・マークルさんの結婚式まであと数日。

 式が行われるウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂で、娘をエスコートするはずだった父親トーマスさんが、式への出席を辞退する意向を固めていることが分かった。

 BBCニュースなどの報道によると、現在はメキシコ在住のトーマス・マークルさんは、セレブのニュースを掲載するウェブサイト「TMZ」の取材に対し、結婚式には出席しないと告げたという。

 これは5月12日付の大衆紙「メール・オン・サンデー」による「やらせ」写真についての暴露報道を受けての判断のようだ。

 今月、トーマスさんがインターネットカフェで娘とヘンリー王子の結婚についての情報が画面に出たコンピューターを使っていたり、式に着用するスーツを作るためなのか、洋服の仕立て屋で身体のサイズを測ってもらったり、身体を引き締めるためにトレーニング中などの写真が世界中のメディアに掲載された。

 一連の写真は、一見したところ、トーマスさんが知らない間にパパラッチが撮影したかのようだったが、実はトーマスさんと英国人のパパラッチであるジェフ・レイナー氏が合意の上でポーズを取ったものだった。

 また、身体のサイズを測っていた「仕立て屋」は実はパーティー用品を販売する店であったり、トレーニングはゴミ捨て場で行われていたりなど、いかにも「やらせ」であったことが分かってきた。

 保守系メール・オン・サンデーは、2人が一連の写真を販売して最大10万ポンド(約1480万円)の報酬を得ていた、と書いた。英国時間の15日午前時点で、この記事は4500回シェアされ、コメントが900ついている。

お金のためではなかった

 トーマスさんがTMZに語ったところによると、娘や英王室に害を与える気持ちはなかったという。「ある理由」があって、写真代理店と協力することにしたが、「主目的はお金ではなかった」という。

 昨年1年間を通じて、パパラッチに追われ続けたトーマスさん。ビールを買っていたり、だらしない格好であったりしたときに撮影された写真が世界中に広がったことが懸念となっていた。特に、まるで大酒飲みであるかのようなイメージが広がったことが気がかりだった。自分ではビールを飲まないというトーマスさんがビールを買ったのは、家を警備する警備員にあげるためだったという。

 娘とヘンリー王子が交際するようになってから、インタビューの申し込みが殺到し、巨額の報酬をオファーされたが、「すべて断ってきた」。

 今回、写真代理店からアプローチを受け、自分のこれまでのイメージを向上させるためにオファーを承諾した。出来上がった写真は「愚かで、大げさに見える」とは思ったが、代理店に言われるがままにしたという。ただ、今となっては「深く後悔している」。

 数日前に心臓発作に苦しみ、入院したが、結婚式に出るために退院したというトーマスさんは、王室や娘に迷惑をかけたくないので、結婚式には出席しない意向を述べた。

 「やらせ」写真の撮影に応じたトーマスさんへの批判が高まる中、メーガンさんの異母姉妹にあたるサマンサ・マークルさんはツイッターで、「父の前向きなイメージを伝えたい」と思い、写真撮影を父に提案したとつぶやいた。「こんな風に利用されるとは思わなかった。お金が目的ではなかった」。

 また、テレビ番組「グッドモーニング・ブリテン」に出演したサマンサさんは、トーマスさんが心臓発作に襲われたのはストレスによるものと発言。「メディアは父のイメージを捻じ曲げた」、父には「事実を正す、道徳的権利がある」と述べた。

 サマンサさんは、トーマスさんが式に出席することを望んでいるという。

 BBCの王室担当記者ジョニー・ダイモンド氏は先の記事の中で、メディアからの強い圧力がかかったトーマスさんは「故意にかあるいは偶然にも」写真代理店の悪徳商法につかまってしまった、と書く。

 王室の一員であることは、メディアの大きな注目の的になることを意味する。「こんな世界にメーガン・マークルさんは入ってゆく」。今回の一連の写真は非常に無礼で、タイミングが最悪の「始まり」となった、と書いた。

マークルさんとの「蜜月状態」は、いつかは終わる

 英ガーディアン紙のコラムニスト、ゾーイ・ウィリアムズ氏は「メーガン・マークルさんの父親に対する、大衆紙の集中取材は、これからやってくる悪用への警告だ」と題するコラムを書いた(5月9日付)。

 英国のパパラッチたちにとって、王室に入る娘を持つ「普通のお父さん」の日常生活はまるで天からの贈り物のような存在だったという。トーマスさんの一挙一動が、ニュースになり得たからだ。トーマスさんの私生活を追いかけるパパラッチたちの「言い訳」は、「何も悪いことをしていないんだったら、撮ってもいいじゃないか」、だった。

 娘のマークルさんと英メディアは今のところ、「蜜月状態」にあるという。この時点で、マークルさんの私生活を暴くような写真、例えばスポーツクラブでトレーニングをする写真を掲載したりはしない。

 しかし、そんな期間は永遠には続かない、とウィリアムズ氏は言う。「メディアはマークルさんのことは、何でも知っている」、「親戚の行動すべてをカメラで撮影している」。5年もしたら、マークルさんが「召使に声を荒げた」、「夫を連れずにクラブに遊びに行き、夜中に帰ってきた」ことなどが報道されるようになるかもしれない。スリムな体形を保っているマークルさんを「友達」が(やせすぎではないかと)「心配している」というコメントが出るかもしれないのだ。

 切っても切れないのが、英王室とメディア報道。トーマスさんは、娘とヘンリー王子についてあらゆることを知りたがる執拗なメディアの最初の犠牲者になったのではないだろうか。

 パパラッチと協力しながら写真撮影をしたこと自体が悪いとは言えないが、一見「作り物」であることが分からない写真だった。このため、トーマスさんの誠実さに疑問符が付いてしまった。

 また、パパラッチとともにトーマスさんがどれほどの報酬を得たのかは不明で、「報酬が主目的ではない」という説明は本音だろうが、「前向きのイメージを出したかった」などの事情を知らない多くの人にとって「お金目当て」に見えたことは失敗だった。

 英国のメディアを観察してきた筆者からすると、過熱取材に慣れていない人物(トーマスさん)の弱みに付け込んだ事件だったように思う。

 筆者はこれまで、女優だったマークルさんとヘンリー王子との結婚話をまぶしいような、華やかな話として捉えてきた。

 しかし、トーマスさんの話には胸が痛んだ。自分の父親が自分のせいでメディアの過熱取材の対象となったことへの罪悪感で一杯になり、自分を責めるだろう娘の気持ちが想像できるように思ったからだ。

 トーマスさんにしてみれば、娘や王室のために「良かれ」と思って計画した写真撮影が裏目に出て、かえって迷惑をかけることになったこと、結婚式に出席しないという苦渋の選択を取らざるを得なくなったことは、悔やんでも悔やみきれない事態に違いない。

 トーマスさんも、マークルさんも、今は断腸の思いだろう。

 (15日時点の補足:この後、娘からの支援のメッセージを受けとったトーマスさんは、「やっぱり出席します」と心変わりをしたという。しかし、心臓手術を受けることになり、現状では行けなくなった模様だ。)


by polimediauk | 2018-05-15 21:51 | 英国事情

 英国のヘンリー王子とメーガン・マークルさんの結婚まで、いよいよあと数日となった。

 19日の挙式から1週間前の土曜日となる12日、筆者はウィンザー城と周辺の商店街に足を運んでみた。

 ウィンザー城を訪ねるには、ロンドンの中心部から行く場合、まずパディントン駅からグレートウェスタン鉄道でスラウ(Slough)駅まで電車に乗る。スラウから1駅でウィンザー&イートン・セントラル駅へ。このほかに、ウオータールー駅からサウスウェスタン鉄道でウィンザー&イートン・リバーサイド駅に行く方法もある。

 筆者は、前者の方法で行ってみることにした。電車に乗ったのは曇り空の日だったが、午前10時過ぎ、スラウからウィンザー&イートン・セントラル駅までの電車はかなり混んでいた。子供連れの人も多い。筆者のように、「結婚式の前に一目見たい」という人が多いのだろう。

 電車がウィンザー&イートン・セントラル駅に到着し、プラットフォームに降りると、「お知らせ」の掲示板が置かれていた。これによると、19日には数千の規模の人がやってくる見込みで、城内に入るには地元警察による入念なチェックがあるため、時間の余裕をもって来てほしい、ということだった。

プラットフォームにあった「お知らせ」。数千人規模で訪問者がやってくると予想(筆者撮影)
プラットフォームにあった「お知らせ」。数千人規模で訪問者がやってくると予想(筆者撮影)
駅のお土産屋はヘンリー王子とマークルさんのグッズで一杯(筆者撮影)
駅のお土産屋はヘンリー王子とマークルさんのグッズで一杯(筆者撮影)

 駅を出てから、城に向かう人々の後ろについて歩いていった。

 ウィンザー城に入るためのチケットを買うために並ぶ人々の列があり、筆者も並んでみた。こちらの列にいる人は少しずつ前進していたが、道の両端に並び、動かない人々もいた。「?」と思っていたが、しばらくすると歓声が聞こえた。午前11時は衛兵の交代の時間で、道の両側にいた人たちはこれを見ることが目的だったのだ。

午前11時の衛兵交代の儀式を見逃した(筆者撮影)
午前11時の衛兵交代の儀式を見逃した(筆者撮影)

 チケットを買って、空港の検査体制並みに厳しい検査を経て、ようやく城内の探索に向かう。列に並んだ時からここまで来るのに、1時間以上かかってしまった。

チケットを得て中に入ると、すぐに見えてくる光景(筆者撮影)
チケットを得て中に入ると、すぐに見えてくる光景(筆者撮影)
芝生部分は野外パーティー用のテントが準備されていた(筆者撮影)
芝生部分は野外パーティー用のテントが準備されていた(筆者撮影)

 敷地内に入ると、結婚式に向けた準備があちこちで進んでいた。芝生の一部に野外パーティー用のテントができており、テレビ局が放送用の太いケーブルをセッティングしていた。

兵士がここから外敵に銃を放った(筆者撮影)
兵士がここから外敵に銃を放った(筆者撮影)

 ウィンザー城には他の観光地同様に音声で城内の説明を聞くための携帯器具が用意されており、筆者は日本語版を借りたが、これが1人で歩き回るのに非常に都合が良い。スマホ形式になっていて、画面上で聞きたい部分をタッチしながら説明を聞き、ウィンザー城の過去と現在を学ぶことが出来た。

ウィンザー城とは

「ウィンザー城」は、英国ではどんな位置にあるのだろうか。

 英王室の宮殿の中で、最も有名なのはバッキンガム宮殿。これはエリザベス女王の公邸で、原則、月曜から金曜まで女王はここにいる。ウィンザー城は週末を過ごす公邸だ。ロンドンの中心部から西34キロメートルの位置にある。

 元々は、11世紀にウィリアム1世が作った砦だった。それがその後何世紀もの間に石造りの建造物として建設され、時には一部が取り壊されたり、再建されたりして現在に至っている。

 城内は上郭(アッパー・ウォード)、中郭(ミドル・ウォード)、下郭(ロー・ウォード)の3つの部分に分けられる。

 約4万5000平方メートルの床面積を持ち、部屋数は951。公式晩さん会が開催される聖ジョージ・ホールには最大で160人の席を設けることが可能だという。

 一般市民に公開されるようになったのは1840年代、ビクトリア女王の時代だ。19世紀後半までに年間約6万人の見学者が訪れるようになった。1830年代後半にグレートウェスタン鉄道が開通し、ウィンザーはロンドンから日帰りできる距離となったため、1842年からは女王自身もロンドンとウィンザーの行き来に鉄道を利用し始めるようになった。

 ウィンザー城と言えば、1992年の火災を思い出す方もいらっしゃるかもしれない。

 音声によるガイドは、どこが火災の被害に遭ったのかを教えてくれるが、その1つは「ステート・アパートメント」の中にある、「接待の大広間(グランド・レセプション・ルーム)」だ。漆喰の天井が焼け落ち、壁が著しく損傷を受けた。水の被害も受け、シャンデリアも破損した。

 室内には、大きな緑色の壺(「クジャク石の壺」)が置かれている。1839年にロシア皇帝ニコライ1世からビクトリア女王に送られたもので、重さは200キロはあるという。火災時、消火に使った水がお湯となって中を満たし、クジャク石張りの表面の大部分がはげ落ちた。その修復には時間がかかったが、今ではなんの被害もなかったかのような姿になっている。

 室内の金箔は一新され、ピカピカだ。床は寄せ木細工でできており、火災で焦げてしまった。そこでどうしたかというと、焦げた部分の板をひっくり返してはめ込んだという。

聖ジョージ礼拝堂とは

 ヘンリー王子とマークルさんの挙式が行われるのが、聖ジョージ礼拝堂。

 中の撮影は許されていないが、見どころの一つは支柱が床から天井に扇形に延びる内装だ。天井の装飾が良く見えるように、鏡も置かれている。

 ここにはエリザベス女王の祖父母にあたるジョージ5世、メアリー王妃の記念碑があり、両親ジョージ6世とエリザベス皇太后、それに妹のマーガレット王女の遺体もここに収納されている。

 礼拝堂はヘンリー王子が洗礼を受けた場所であり、復活祭(イースター)のミサには王室一家が参加する場所でもある。王子にとっては、新しい家族の一員を迎えるためにもっともふさわしい場所だったに違いない。

聖ジョージ礼拝堂の外観(筆者撮影)
聖ジョージ礼拝堂の外観(筆者撮影)
聖ジョージ礼拝堂のこの入り口から参列者が入る模様(筆者撮影)
聖ジョージ礼拝堂のこの入り口から参列者が入る模様(筆者撮影)
礼拝堂から出てきた時に目に入る光景(筆者撮影)
礼拝堂から出てきた時に目に入る光景(筆者撮影)

 城内の見学を終えて外に出る前にお土産屋に寄ってみると、ヘンリー王子とマークルさんの結婚を祝う様々なお土産のコーナーがあった。

城内のお土産屋にも洗練された記念のお土産が一杯(筆者撮影)
城内のお土産屋にも洗練された記念のお土産が一杯(筆者撮影)

 

 結婚式の当日は開いているのかと聞いてみると、店員は「閉まっている。水曜日から休みになるわ。準備がものすごく、大変だから」という。結婚式の翌日(日曜日)も休みになるという。

 最後に、衛兵の動きを見る機会があった。数歩歩いて「カチリ」と足を合わせて方向を変え、歩く。その後にまた「カチリ」とやって、逆の方向に歩き出す。これを数回繰り返した。最後まで見ていたのは筆者だけだったので、「グッド・ワーク!」と声をかけてみた。チラリとこちらを見てくれた。

衛兵の動きをやっとキャッチ(筆者撮影)
衛兵の動きをやっとキャッチ(筆者撮影)
最後の姿(筆者撮影)
最後の姿(筆者撮影)

街の様子は

 

 ウィンザー城を出て、改めて後ろを振り返る。チケット売り場に続く道には頑丈な防御壁が作られており、不審な人が警備の目を逃れて敷地に入らないような工夫がされていた。

城の外側には頑丈な防御壁が(筆者撮影)
城の外側には頑丈な防御壁が(筆者撮影)

 城の向かい側にある商店街には旗がひらめく。商店街の真向かいにはビクトリア女王の像が立っている。

商店街に向かって立つ、ビクトリア女王の姿(筆者撮影)
商店街に向かって立つ、ビクトリア女王の姿(筆者撮影)
雨降りの中、商店街を訪れる人々(筆者撮影)
雨降りの中、商店街を訪れる人々(筆者撮影)

 商店街のあちこちは、結婚を祝う飾り付けで一杯だった。

商店街の八百屋にヘンリー王子とマークルさん(筆者撮影)
商店街の八百屋にヘンリー王子とマークルさん(筆者撮影)
文房具店の軒先に立つ、あの2人の看板(筆者撮影)
文房具店の軒先に立つ、あの2人の看板(筆者撮影)

当日の予定

 19日はどのような予定で進んでいくのだろうか。

 午前9時半から11時までの間に、挙式の一般参列者が「サウスゲイト」の入り口から聖ジョージ礼拝堂に入る。

 午前11時20分。王室のメンバーが「ガリレー・ポーチ」と呼ばれる、礼拝堂の東の端に集まる。

 午前11時45分。ヘンリー王子と兄のウィリアム王子(ケンブリッジ公爵)が聖ジョージ礼拝堂の「ウェスト・ステップス」(西側階段)に到着する。敷地内に招待された一般市民約1200人とウィンザー城の職員などが並ぶ中を通って、ここまでやってくるかもしれない。

 11時55分。エリザベス女王がガリレー・ポーチにいる他の王室のメンバーに加わる。

 11時59分。マークルさんが花嫁付添人等と共にウェスト・ステップスに車で到着。ここに来るまでに、マークルさんと母親ドリア・ラグランドさんを乗せた車はウィンザーの「ロング・ウォーク」と呼ばれる道を通ってくる見込み。車がお城についた時点で母が車から降り、代わりに花嫁付添人たちが乗る。ラグランドさんはガリレー・ポーチから礼拝堂に入る。同じ頃、マークルさんの父トーマス・マークルさんが礼拝堂に入り、挙式の前に娘の姿を見る機会が設けられる。(補足:15日時点で、父親は出席しない可能性が出てきた。)

 正午。カンタベリー大司教、ウィンザー城の首席司祭、約600人の参列者を入れた挙式の儀式が始まる。メイ首相やコービン労働党党首は招待されていないという。

 この参列者のほかに、「ゲスト」の一般市民とウィンザー城の職員らの合計約2000人が敷地内に入っており、聖ジョージ礼拝堂への2人の出入りを生で見ることが出来る。

 午後1時。儀式が終了。ヘンリー王子とマークルさんがウェスト・ステップに姿を見せる。

 1時5分。2人は、フロントシート部は屋根付きで、リアシート部分だけがオープントップになっている乗用車「アスコット・ランドーレット」に乗り込み、商店街、シート・ストリート、キングス・ロード、アルバート・ロード、ロング・ウォークを通り抜ける。所要時間は25分を想定。

 1時半過ぎ。式の参列者600人はエリザベス女王主催の聖ジョージ・ホールでの祝宴を楽しむ。ヘンリー王子とマークルさんも後、参加。マークルさんはこの時に、スピーチをするとも言われている。

 結婚式のケーキは米カリフォルニア生まれのクレア・プタクさんが作るもので、レモンとエルダーフラワーを使うという。

 花はロンドンで生花店を経営するフィリッパ・クラドックさんが担当。

 公式写真家はヘンリー王子とマークルさんの婚約発表の際の写真を撮った、英国生まれで米国に住むアレクシー・ルボミルスキー氏。

 3時半。ゲストが聖ジョージ・ホールを去る。

 7時。チャールズ皇太子主催の晩さん会がウィンザー城から1-2キロにあるフログモア・ハウスで開催され、ヘンリー王子、マークルさん、先の600人にさらに200人(人気グループ「スパイス・ガールズ」の元メンバーを含む)を加えたゲストが集まる。

 結婚式にかかわる費用は、すべて英王室が負担する。

 ハネムーンがどこになるかは公表されていないが、結婚から1週間後には新たな王室のカップルとして、公式業務を開始するという。

一目見ようと巨額を払う人たちも?

 結婚したばかりの王子とマークルさんに声援を送りたい、その姿を目にしたいと思うのは、誰でも同じだろう。

 5月12日付のデイリー・テレグラフ紙は、「スリー・タンズ」というパブが「ザ・プリンス・ハリー」(ハリーとはヘンリー王子の愛称)と名前を変えるとリポートしている。近隣のホテルの部屋はメディアの間で取り合いとなり、一晩600ポンド(約8万8000円)、あるいは1700ポンド(約25万円)にまで値上げしたという噂話が紹介されている。

 当日、ウィンザーはごった返しそうだ。それでも、生の姿を見たい、興奮を共有したい人はウィンザーに向かうだろう。

 多くの国民は、当日はテレビの生放送を視聴しながらソーシャルメディアで情報を共有しあい、翌日は新聞で大々的に報道される記事を読んだり、カメラマンが競って撮影した写真をじっくりと眺めたり・・・ということになりそうだ。同時に、「マークルさん効果」で、マークルさんが身に着けたウェディングドレスや指輪、結婚式で使われた花、ケーキへの注文も殺到するに違いない。

***

参考

Royal wedding 2018: Prince Harry and Meghan Markle's plans


by polimediauk | 2018-05-14 17:00 | 英国事情

(「英国ニュースダイジェスト」の筆者コラム「英国メディアを読み解く」に補足しました。)

 日本では、大学学費の無料化に向けて文部科学省の有識者会議が検討を続けています。住民税非課税世帯(年収250万円未満)の高校生らが大学などに進学する際に、国立大は授業料を免除し、私立大などは授業料の一定額を支給することを目指しているそうです。

 これまでに、様々な論点が出ています。

お金の心配なく学べる社会に

大学の授業料無償化に条件 学問への干渉にならぬか

 英国の中でも人口の大部分を占めるイングランド地方では、かつて大学の授業料は無料でした。でも、進学率が上がっていく中、国民全員から集めた税金で学費を賄うのが段々苦しくなってきました。そこで授業料を導入したのですが、学生の間では無料に戻そうという運動が発生しています。

 イングランド地方の大学の授業料問題は政治問題化しています。

 昨年6月の総選挙で、野党・労働党が上限額が年間9000ポンド(約139万円)となっていた大学の授業料を「撤廃する」と掲げたことがきっかけの1つです。これが若者層に強くアピールし、労働党の得票に大きく貢献したと言われています。ただし、選挙後の7月、コービン労働党党首はBBCの取材に対し、学生が抱える負債を「減らすよう努力する」と言ったが「授業料を全廃するとは言っていない」と述べているのですが。

 イングランド地方では大学の授業料を一旦、国が負担し、卒業してから所得に応じて返済する「出世払い」が導入されています。英国の大学(その大多数が国公立)の授業料体制と問題点に注目してみましょう。

地方によって異なる、大学の学費制度

 

 まず、英国では地方によって授業料の上限の金額が異なります。

 イングランド地方の大学では、昨年秋の新学期(日本では新学期は4月ですが、英国では9月からになります)から学費の上限が年間9250ポンドになりました。スコットランド地方では上限が1820ポンドですが、自治政府が授業料を肩代わりする形で、スコットランドの学生及び欧州連合(EU)出身者は無料で勉強できます。

 北アイルランド地方の上限は4030ポンド、ウェールズ地方では9000ポンドです。ただし、それぞれの地方以外の出身者は上限が9250ポンドになります(ウェールズのみ、9000ポンド)。

 以下、イングランド地方の大学の授業料を中心にこれまでの経過を見ていきましょう。

 元々、大学授業料は1997年まで無料でした。全額を税金でカバーしていたのです。でも、大学進学率が上昇し(現在約40%)、大学側も最高の設備と教授陣をそろえるため、授業料値上げを望むようになりました。そこで、まずは上限1000ポンドまでが課されることになったわけですが、これでは十分ではありませんでした。2006年に上限3000ポンドに引き上げられ、12年には9000ポンドに。そして、インフレ率の上昇を反映して、昨年秋からは9250ポンドにまで上がってしまったというわけです。

 学生は、入学時にこの金額を払うわけではありません。在学中は払わず、卒業後に「授業料ローン」と「生活費援助ローン」を返済する仕組みとなっているからです。いわゆる「出世払い」です。

 日本でも、自民党原案では卒業後に所得に応じて一定割合を徴収する出世払い制度を想定しているということです。

 英国に話を戻しますと、出身家庭の貧富の差にかかわらず高等教育の場で学ぶ道を確保するための仕組みとして考案されたのが、この出世払いです。しかし卒業後に大きな負債を抱え込むことになり、学生にとっては気が重い体制になりました。

 ローンの金利は現在6.1%で、シンクタンクの財政問題研究所(IFS)の試算によりますと、3年間の学部課程(注:英国では学部課程は4年ではなく3年)を終えた学生は5万800万ポンド(約765万円)の負債を抱えることになるそうです。卒業生がローンの返済を開始するのは年収が2万1000ポンド(約316万円)を超えた時点で、所得から一定額が差し引かれてゆきます。30年間支払うと、残金がいくら残っていても支払いは不要となります。

 卒業した時点で約765万円の負債があるのは、つらいですよね。いくら返すのは後で良いと言っても・・・。それにやっと300万円を超える年収に達したかと思うと、今度は返済が始まるのですから、たまりません。

 1980年で大学入学者は6万8000人いましたが、昨年秋では50万人以上に増えました(ちなみに、英国の人口は日本の約半分です)。これからも大学進学率は上昇する見込みで、インフレ率とともに授業料は上がるため、卒業後の負担が学生の肩に重くのしかかってゆきます。IFSの試算によれば、学生の75%がローンの全額を返済せずに終わるそうです。

 仮に授業料を撤廃したとすれば、その分は税金で賄うことになりますが、大学に進学せず低所得の職に就いている人が、自分よりも高い報酬が得られる職に就くことが確実な大学生の授業料を負担する体制は、社会の公正さという面から見て、どうでしょうか。大学に行かずに低賃金で働いてきた人は、「自分にとって恩恵がない」、「何故低賃金の自分が、大学卒業後に高賃金の職に就ける他の人のためにお金を出さなければならないのか」と不満に思うかもしれません。

 学費撤廃後に税金で負担する金額は最大で110億ポンドにも上ると言われています。授業料をどのように誰が負担するべきなのか、2020年に予定される次期総選挙に向けて大きなテーマの1つになっています。

 さて、日本はどうなるでしょう?


by polimediauk | 2018-05-03 15:13 | 英国事情

(訃報を伝えるBBCニュースのウェブサイト)

 (「英国ニュースダイジェスト」の筆者による連載コラム「英国メディアを読み解く」に補足しました。通常は「だ・である」調で書いていますが、このコラムでは「です・ます」調で書いています。)

 ジル・セイワードさんという名前を聞いたことがありますか。

 2002年に英国にやって来た筆者は、恥ずかしながらこれまで彼女のことを知りませんでした。

 昨年1月上旬、セイワードさんが心臓発作で亡くなったという訃報(享年51)を目にして、初めて分かりました。

 セイワードさんはレイプの犠牲者として、英国で初めて実名を明かした女性です。その後は性的暴力を防ぐための活動を続けました。遺族はジャーナリストの夫と3人の息子です。

事件が発生したのは、1986年

 1986年、ロンドン西部イーリングにある牧師館に覆面をした武装集団が押し入りました。セイワードさんの父親はこの牧師館の牧師でした。

 男たちは館内にいた父親とセイワードさんの当時のボーイフレンドに現金や宝石類を出すよう要求し、クリケットのバットで死の寸前まで叩きのめします。2人を縛り上げて動けなくした後、男たちは当時21歳のセイワードさんを2階に引きずり上げ、数度にわたってレイプしました。

 事件後、大衆紙「サン」が牧師館に向かうセイワードさんの全身の写真を掲載します。目の周辺にあざが見え、レイプの犠牲者であることが広く知られてしまいました。これは「セカンド・レイプ」と言ってもよいほどの、つらい体験でした。

 犯人の男性3人の裁判が始まったのは事件発生から11カ月後です。レイプ行為に加わらなかった主犯格の男には強盗罪で14年の刑が下りました。行為を行った2人の男のうちの一人はレイプ罪で5年、強盗罪で5年の刑となり、もう一人には性的暴行で3年、強盗では5年の刑が決定されました。レイプよりも強盗の方が重い刑となったのです。

 量刑の判断に際し、裁判官はセイワードさんのトラウマは「それほど大きくはない」と述べました。この心無い言葉に、セイワードさんは大きく傷つきます。裁判官は後年、セイワードさんに謝罪しました。

 事件後、3度の自殺未遂を行い、トラウマによるストレスに苦しんだセイワードさんですが、当時の裁判官はこうした状態を理解することができなかったのです。

 レイプ事件の犠牲者の身元を特定する報道やレイプよりも強盗の刑が重いことに、大きな批判の声が上がります。セイワードさんは地元の国会議員に犠牲者の個人情報が守られるよう、法改正を求めました。ほかの議員の支援や世論の後押しもあって、1988年、犠牲者の匿名性が完全に守られるよう法改正が行われ、メディアは犠牲者の身元を特定するような情報の報道を禁止されました。

何故、実名を出すことにしたのか

 1990年、セイワードさんは事件について語った本「レイプ、私のストーリー」を共同執筆、出版しますが、このときから実名を出す決意をしました。レイプの犠牲者に対する人々の意識を変えたい、支援を手厚くしたいというのがその理由です。テレビやラジオ、イベントなどで自分の体験を話すようになり、性的暴力を防ぐための慈善団体を立ち上げる、警察に犠牲者の扱い方について研修を行うなどの活動を積極的に行いました。

 1998年には、レイプには加わらなかったものの、牧師館を襲った男性たちの一人と対面する機会がありました。セイワードさんは「謝る必要はありませんよ」と言ったそうです。

 活動の成果が実り、レイプ犯罪の扱われた方が変わってゆきます。例えば、夫婦間でのレイプが刑事犯罪となり、オーラル及びアナル・セックスもレイプと見なされるようになりました。2013年、イングランド・ウェールズ地方での性犯罪実行者への量刑の決定には犠牲者への影響をより重要視するように改正されました。

 警察の調べによると、イングランド・ウェールズ地方で成人がレイプされた件数は2015~16年で2万3851件。4年前の約2倍です。犠牲者のほとんどが女性でした。BBCの人気司会者ジミー・サビル(故人)の性犯罪が明るみに出たことで、警察に報告する人が増えたので件数が増加したと見られています。犯罪統計の専門家たちは、実際の数は約6倍に上るのではないかと言います。

 レイプ事件は実行犯が有罪に至る比率が低い(15~16年では全体の7.5%)犯罪として知られています。高級紙ガーディアンの記事(2016年10月13日付)によると、犠牲者が外見上の傷を負わなかった、あるいは行為に抵抗しなかった場合、レイプではなかったと誤解されがちだそうです。犠牲者が麻薬やアルコールを摂取していた場合も不利に働くそうです。

 日本に目をやりますと、フリージャーナリストの伊藤詩織さんが2015年に発生した性的暴行事件で、記者会見を開いたのは昨年5月末でした。まだ1年も経っていないのに、随分と状況が変わったように感じられます。米ハリウッドの映画プロデューサーによるセクハラ・性犯罪疑惑を受けて、「Me Too」が運動が広がったことも記憶に新しいですね。伊藤さんは、10月に「準強姦」被疑事件について書いた本「Black Box」を出版しています。

 伊藤さんは、先月、米ニューヨークの国連本部で記者会見し、「日本ではまだ性暴力被害者が声をあげにくい状況にある」として、「Me Too」より、多くの人が助け合いながら性暴力被害をなくす取り組み『We Too(私たちも)』運動を盛り上げていきたい」と述べたそうです(「しんぶん赤旗」)。

 セイワードさんがもし生きていたら、伊藤さんに大きなエールを送ったことでしょう。

 

 


by polimediauk | 2018-04-22 23:14 | 英国事情

(「英国ニュースダイジェスト」の筆者コラム「英国メディアを読み解く」に補足しました。)

 「オックスファム」といえば、英国では大変なじみがある非営利組織・慈善(チャリティー)団体の一つです。街角のあちこちにはオックスファムが運営するチャリティー・ショップがありますし、貧困撲滅を掲げて世界各国で人道支援活動に取り組んでいることもよく知られています。

 そんなオックスファムは今年2月、スキャンダルに大揺れとなりました。ほかの慈善団体も批判の的になりました。

 でも、慈善団体の意義が減じたわけではありません。英国で慈善団体が立ちあがっていった経緯を振り返りましょう。

スキャンダル、発覚

 2月9日、オックスファムの職員の一部が、2010年に大地震に見舞われたハイチで地元女性らを買春していたと英「タイムズ」紙が暴露報道しました。オックスファムによる内部調査報告書(2011年)によると、性的搾取、ポルノ画像のダウンロード、いじめ、威嚇行為があったとして4人が解雇され、3人が辞職。このとき、オックスファムは英国の慈善組織の活動を監督する「チャリティー委員会」に詳細を報告していませんでした。

 タイムズ紙側はオックスファムが事実を「隠ぺいしていた」と主張しました。オックスファムの親善大使として活動をしていた著名人らがその役割を次々と返上していきます。同団体への寄付金登録も7000件以上キャンセルされました。チャリティー委員会も調査を開始しました。

 オックスファムは政府から年間3170万ポンド(約48億円)の資金援助を受け、世界各国で人道支援活動を行っていますが、ペニー・モーダント国際開発相は場合によってはこの援助を打ち切る可能性も示しました。

 また、ほかの慈善組織「セーブ・ザ・チルドレン」や、パリに本拠を置く「国境なき医師団」も過去に性的不正行為で職員を解任していたことを公表するようになり、慈善活動やその組織自体に疑惑の目が向けられました。

チャリティーの元々は?

 「チャリティー(Charity)」は「慈善・博愛・慈愛」などという訳語が当てられますが、慈善行為自体も意味します。

 英国(ここでは主としてイングランド地方)では、17世紀まではキリスト教の教区内の互助制度が貧困者を支援。支援の原資は教会、救貧院、富裕層からの寄付金などが賄いました。最古の救貧院は10世紀に英北部ヨークに建設されたそうです。

 17世紀後半から18世紀、「啓蒙の時代」と呼ばれるころには、上流階級が貧困層を助ける社会奉仕活動が次第に発展していきます。そんな活動家の1人、トーマス・コーラムがロンドンの孤児のために1739年に設立したのが「ファウンドリング・ホスピタル」という施設でした。「ホスピタル」はここでは「慈善施設」のことです。

 19世紀に入って続々と慈善組織が設置されていく中、恵まれない層を支援する社会貢献活動が中流階級の中で1つの流行となっていきます。1853年、慈善組織の監督、支援、助言を行う機関としてチャリティー委員会が設置されました。

 20世紀に入って、貧困をなくすための抜本的な改革をしなければと思ったジョーゼフ・ラウントリーは、労働者たちに節酒を勧め、また、低所得者層の住宅問題を解決することまで考えながら、慈善組織を次々と発足させました。しかし、貧困からくる諸問題の解決には至りませんでした。その後、第2次世界大戦後の労働党政権下で、医療費の無料化、雇用保険、救貧制度、公営住宅の建設など「福祉国家」への歩みが始まります。(ラウントリー協会 )

ラウントリー協会のウェブサイト
ラウントリー協会のウェブサイト

 

 民間の慈善組織の立ち上げには、信念を持つ個人が存在していました。

 先のラウントリーはもともとチョコレート会社の経営者でしたが、資産の半分を使って恵まれない人の支援に乗り出します。また、児童の権利保護のために活動する、セーブ・ザ・チルドレンを築いたのは社会改革家のエグランティン・ジェップでした。第1次大戦後、飢餓状態にある子供たちを救うため、ジェップは妹と一緒に活動を始めました。

 チャリティー組織には逆風が吹きましたが、困窮状態にいる人を支援する活動とその意義を忘れないようにしたいものですね。

オックスファム(Oxfam)とは

 英国内で4番目に大きな慈善組織です。1942年、イングランド東部オックスフォードで、クエーカー教徒や教育者たちのグループがナチス政権下にあるギリシャの国民を支援するため「オックスフォード飢餓救済委員会」として設置しました。1965年にオックスファムという名称になりました。現在、約1万人が90カ国で活動し、昨年の収入は約4億9000万ポンドに上りました。


by polimediauk | 2018-04-20 22:58 | 英国事情

(「英国ニュースダイジェスト」の筆者コラム「英国メディアを読み解く」に補足しました。)

 王位継承順位第5位に当たる「ハリー王子」ことヘンリー王子(33歳)と米国の女優メーガン・マークルさん(36歳)の結婚(5月)が迫ってきました。

 メーガンさんが米国籍であること、母親がアフリカ系米国人であることから、王室に「外国人」のかつ「初めて有色人種の血」が入ることを一時、右派系メディアは問題視していましたが、昨年末の婚約会見で2人の幸せそうな姿が報道され、英国全体に「祝結婚」ムードが広がっています。

 「時代が変わった」と感想を漏らす人もいました。「離婚歴のある米国人女性」という点でメーガンさんと共通点を持つウォリス夫人は、1930年代に当時皇太子だったエドワード8世と恋に落ちました。国民も政治家も結婚には否定的な見方をし、1936年、国王は王の座を放棄しました。

外国人を受け入れてきた王室

 英王室の長い歴史を紐解くと、結婚相手が外国人であることは実は日常茶飯事でした。国王自身が「外国人」であったことが何度も発生しました。ブリテン島にイングランド王国が出来上がるのは10世紀ごろ。その後は欧州大陸からデーン人やノルマン人がやって来て、地元アングロ・サクソン人を支配していきます。12世紀のプランタジネット朝を始めたのはフランスの貴族アンジュー伯アンリ(ヘンリー2世として即位)でした。

 少し時代を進めて、18~19世紀のハノーバー朝を見てみましょう。

 前王朝のスチュアート朝は、直系の世継ぎを作ることができないまま終わってしまいました。そこでスチュアート朝の血筋を引く、ドイツ北部の領邦君主であるハノーバー選帝侯ゲオルクが君主として迎え入れられます。彼はジョージ1世となりますが、ほとんど英語は理解できませんでした。ハノーバー朝初期の国王はイングランドの政治に関心が薄く、英国よりもドイツのハノーバーにいることを好んだようですが、これを機に国王が不在でも政治が回るように議会制内閣が発展したと言われています。そしてジョージ3世の時代(1760~1820年)になってようやく英国の文化や慣習を理解する国王になったとされています。

 18歳で即位したビクトリア女王(在位1837~1901年)はジョージ3世の孫です。現在のエリザベス女王はビクトリア女王の孫の孫であり、英王室はハノーバー朝時代からドイツ系が続いています。ドイツとの繋がりが負の要素になったのは第一次大戦でした。1917年、ジョージ5世は敵国ドイツの領邦名であったザクセン=コーブルク=ゴータをウィンザー家に変えざるを得なくなりました。

 外国から国王を招き入れるにとどまらず、英歴代の女王たちを堅固に支える伴侶役を射止めたのも外国人でした。ビクトリア女王の結婚相手は、母ケント公妃の兄、独ザクセン=コーブルク=ゴータ公エルンスト1世の次男アルバート。アルバート公は42歳で病死してしまいますが、王室改革に取り組んで無駄を減少させ、科学と教育の可能性を信じ、ロンドン万博(1851年)の成功に大きな貢献をしました。科学博物館、ビクトリア & アルバート博物館などは万博で得た収益で設立されました。

 また、エリザベス女王の夫は、ギリシャ王子の血を引くエディンバラ公フィリップ殿下です。生後間もなく同国でクーデターが発生し、フランスや英国で暮らしました。1947年に英国に帰化後、英国王ジョージ6世の長女エリザベス(現エリザベス女王)と結婚。65年以上にもわたり国を治めているエリザベス女王ですが、昨年、結婚70周年を迎えたフィリップ殿下がいつもそばにいたことで、様々な苦労が軽減された面もあるのではないでしょうか。

 ところで前出のエドワード8世ですが、ウォリス夫人と結婚後はウィンザー公となり、生涯を英国外で暮らしました。エリザベス女王は途中で王座を投げ出した伯父を一家の恥として受け止めたとされています。とは言え、時代は確かに変わりました。英王室全体がハリー王子のメーガンさんとの婚約と結婚を祝福してくれているのですから。できれば、離婚をせずに最後まで添い遂げてほしいと筆者は願っています。

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 エドワード8世がウォリス夫人と結婚をするためには、王位を放棄するしかありませんでした。英国で初めて作成された「退位証書」にまつわるエピソードなどを入れた新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)をどこかでお手に取って下されば、幸いです。


by polimediauk | 2018-04-16 17:20 | 英国事情
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(英国立公文書館の外観・筆者撮影)

(ハフィントンポスト・ジャパンに掲載された、筆者のブログ記事に若干補足しました。)

 昨年来、日本では公文書管理についての議論が活発化している。

 南スーダンに派遣されていた自衛隊員による日報が当初「破棄済み」とされていた事件や、森友学園問題、加計学園問題でも公文書の所在が大きくクローズアップされた。

 英国では政府公文書をどのように管理しているのだろうか?

 筆者は数か月前から、英国の国立公文書館(The National Archives=TNA)に足しげく通うようになった。

 訪問の頻度が増えると、非常に使い勝手が良い場所として実感するようになった。

 使うほどに、あるメッセージが明瞭になってくる。それは「公文書はみんなのもの」だ。そのサービスの端々からこのメッセージがにじみ出た。

 英公文書館のこれまでとその使い勝手を記してみたい。

19世紀半ばから、本格的管理に動く

 ロンドン南西部キューにある英公文書館の前身は「パブリック・レコード・オフィス(Public Record Office=PRO)」で、設立は19世紀半ばになる。1830年代から、公文書の保管をどうするかについて、識者の間で本格的な議論が始まった。

 公文書館に収められている文書の中で、最も古いものは11世紀の土地台帳だ。これは「ドウームズデー・ブック」とも呼ばれている。「ドウームズデー」とは「最後の審判の日」という意味だが、それはこの土地台帳が税金の支払い額を決定する最終的な書類の役目を果たしたからだ。

 当初、様々な政府の(つまり王室の)書類は財宝と同等に扱われ、大きな箱に財宝と一緒に入れられて、国王が各地を回る時にはこの箱と一緒に移動した。

 官僚制度が発達してくると、書類はロンドン・ウェストミンスターに保管されるようになった。ウェストミンスターには寺院など宗教的な建物がいくつもあり、書類の保管に適していたからだ。ちなみに、ウェストミンスター宮殿には、現在、英国の国会・議場が置かれている。

 中世の時代の財務府(現在の財務省)の書類は、羊皮紙に羽ペンで書かれたもので、くるくると巻いて保管した。横から見ると「パイプ(管)」に見えるので、「パイプロール」と言われている。公文書館には大量のパイプロールが保管されている。

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(筒状に巻かれたパイプロールは袋に入れられ、書庫にこのように置かれていた。筆者撮影)

 公文書をきちんと保管しようという動きが出てくるのは18-19世紀頃で、1830年代に調査委員会が立ち上げられた時には、「羊皮紙がくっついてしまい、読めなくなった」パイプロールは珍しくなかったという。

原本が簡単に見られる場所

 英国の公文書館で驚くのは、歴史上重要と思われる様々な公文書の原本が、原則、直ぐにかつ手に取って閲覧できることだ。

 原本閲覧には読者カードを作ることが必要となるが、身分を証明できるものを持っていくと、その場で作成してもらえる。

 原本の毀損を防ぐため、一部の古い文書は複製化(先の「ドウームズデーブック」)やデジタル化(法の支配を定めた13世紀の文書「マグナ・カルタ」)されている場合があるが、そのほとんどを実際に手にして、触ってみることができる。

 白い手袋をはめる必要もほとんどない。公文書館の職員に聞いたところによると、手袋の繊維が原本を傷つける可能性があり、素手の方が良いという。

 こうして、筆者はパイプロール、「タリー・スティック」(割りばしに傷をつけたような棒、税金の支払い記録などに使われた)、地図、ポスター、写真、閣議記録、落書き、布見本、手袋、一房の髪の毛、そのほか様々な「文書」をまじかに見ることができた。

 「文書」と言っても紙だけではなく、公のために作成された様々な事物も入る。ネット時代の現在はウェブサイトや電子メールもその一部だ。

 歴史的な文書を目にしたとき、当時の人々の感情や思いが伝わってくるように感じたことが何度もあった。

 例えば、ヘンリー8世(在位1509-47年)の離婚証明書だ。離婚と結婚を繰り返し、その内を2人を処刑した冷酷無比の国王として知られるが、最初の離婚に向かった理由は「男子の世継ぎを作りたい」という強い思いだった。妻キャサリンを嫌っていたわけではなかったが、男児を産めないのでは次の治世を安定化できない。背に腹は代えられないと思ったようだ。

 当時、キリスト教(ローマ・カトリック教会)の下で離婚は許されなかった。何とか抜け道を探ろうとしたが、失敗。ヘンリーは、とうとう、離婚をするために自分をトップに置く国教会を作ることにした。

 西欧ではキリスト教が社会のすべてを牛耳っており、ローマ・カトリック教会からの離脱は前代未聞の出来事であった。英国内のカトリック教会は財産を没収され、聖職者は職を追われた――国教会の聖職者として忠誠を誓うしか生き残る道はなかった。

 ヘンリーは、妻キャサリンの侍女アン・ブーリンと結婚するため、キャサリンとは離婚したことを示す書類が必要になった。

 筆者はこの書類を取り寄せてみた。ちょとごわっとした紙につづられた、当時の聖職者のトップらによる離婚通知書である。

 「このたった一枚の紙きれが・・・」。筆者は写真を撮るために広げた紙の端に触れながら、そう思った。

 3年後、ブーリンは男児を産むが、死産。数か月後には姦通罪などで逮捕され、処刑された。

 ヘンリーの時代を少し遡った13世紀に作成された、財務府のある文書も興味深い。

 文書は一冊の本としてまとめられており、ところどころ、頁の端には絵文字が描かれていた。一瞥して中身が分かるようにするためのものだったようだが、いかにも私たちが今携帯電話で使う「エモジ」にそっくりだった。絵文字を描きながら、一体何を思ったのか。一種の気晴らしになった、ということはないのだろうか。数世紀も前の財務府の官僚が、一瞬にして、身近に感じられた。

原爆被害の様子を読む

 日本関連で最も衝撃を受けたのは、1945年に広島と長崎に原爆が投下され、その3か月後に英国調査団が現地調査をした際の報告書だった。

 外からやって来た人が、広島と長崎で何を見たのか。

 科学者が主となる調査団は、原爆による打撃、建物の倒壊の様子をイラストや地図、写真をたくさん使って伝えた。

 報告書の中にある数々の写真を目にし、犠牲者の様子を伝える文章を読むのはつらかった。

 この報告書もそうだが、公文書は英国にいる人に向けて作られているので、閲覧することで日本が他国からどう見られていたのか、観察されていたのかが分かって来る。外国の公文書に触れるときの、醍醐味の1つだ。

公に開かれている文書
 
英国の国立公文書館には約600人が働き、収蔵資料をもし積み上げたら、160キロメートルになると言われている。日本では約50人が働き、所蔵量は約60キロメートルと聞いている。新国立公文書館の建設で、より増えることになるのだろうと思う。

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(館内のコンピューターから閲覧申請できる。筆者撮影)
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(申請したファイルを職員は閲覧者のデスク番号の棚に入れる。筆者撮影)
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(書庫の様子。筆者撮影)
 
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(書庫ツアーで職員が布見本を見せる。筆者撮影)

 冒頭の英国の公文書館には「公文書はみんなもの」というメッセージが根付いていると書いたが、公文書館に実際に行ってみると、この点を多くの人が納得するだろうと思う。

 例えば開館時間については、日月が休みだが、他の日は午前9時から午後5時まで、そして火曜と木曜は午後7時まで開いている。車で来た場合、駐車料は無料だ。

 中に入ると、すぐ右手に本屋があり、その隣の「キーパーズギャラリー」と呼ばれるコーナーでは、代表的な公文書のいくつかが展示されている(ただし、5月まで一時的に閉鎖中)。

 原本を見るために読者カードをその場で作ってもらえると先に紹介したが、読者カードがなくても、館内のコンピューターを使って、様々な調べ物ができる。館内には家系図を調べるためにやってくる人も多い。

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(補修中の様子。筆者撮影。昨年秋の「オープンデー」にて)
 

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(薄い和紙を使って、補修作業をする。筆者撮影)

 閲覧申請は自宅からでもネットを通じて行える。また、デジタルアーカイブの作成も順次、進められている。

 書庫を見学するツアーがほぼ毎月、行われており、年に何度か、利用者と館長が意見交換をする機会ももうけられている。

 1年を通じて、時流に合ったイベント、講演会を頻繁に開催している(一部、有料)。例えば、今年は英国で女性が参政権を持ってから100年にあたり、これにちなんだイベントが目白押しだ。

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(レストラン・エリア。筆者撮影)

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(イベントルーム。筆者撮影)

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(入り口に向かう道には、タリースティックのギザギザをアレンジしたオブジェがあった。筆者撮影)

 館内はゆったりとした作りになっており、1階にあるレストラン、カフェのソファの配置も空間が適度に開いており、リラックスできる環境となっている。

 イベント終了後にはオンライン・アンケートが行われ、参加者の意見を次回に反映させるようにしている。

 筆者が英公文書館に初めて行ったのは2010年頃だが、昨年夏からは調べ物をするためによく出かけるようになった。

 昨年後半、本を執筆する機会を得て、英公文書館で見つけた驚きの文書にまつわるエピソードと日英の公文書管理の在り方の違いを中公新書ラクレ「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」にまとめている(30近くの公文書画像のほとんどを掲載。公文書のファイルIDも付けています)。

***

 3月25日(日曜日)午後2時半から、日本新聞博物館で「英国国立公文書館から見える英国社会とメディア」というテーマで講演します。

 新聞博物館に行ったことがない方も、これを機会にいらっしゃいませんか。

 講演会は無料ですが、入館料が大人400円になります。

 「英国の公文書管理の記録は11世紀頃に遡り、現在、『公文書はみんなのためにある』という視点が運営の根底にあります。政策過程を文書に残し、後世の審判にゆだねる――英国民主主義の歩みが公文書館の運営に凝縮されています。どんな公文書が保管、活用されているのか、スライド写真などでもご紹介したいと思います」(イベント紹介文より)


 お申し込みは:メール(npevent@pressnet.jp)または往復はがきで、氏名・電話番号・メールアドレスを記入のうえ、3月20日(火)までにお申し込みください。往復はがきは、返信部分に宛先をご記入ください。メールは、件名を「英国公文書館」としてくださるよう、お願いいたします。

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by polimediauk | 2018-03-05 17:29 | 英国事情
 3日午後10時過ぎ、ロンドン中心でテロ事件が発生しました。

 暴走ワゴン車がロンドン橋で歩行者らを倒して死傷させた上に、ワゴン車から出た実行犯数人が近くの繁華街バラ・マーケット付近まで走り、刃物で殺傷行為を行いました。実行犯の3人の男たちは、駆けつけてきた警官らに射殺されました。詳しい情報はこちらのニュースをご覧ください。以下をクリック→BBCニュース


 4日現在、現場付近は警察が封鎖しており、捜査が続いています。


 現時点でどうなっているのか、ロンドン橋やバラ・マーケット周辺に足を運んでみました。


 近辺の主要駅の一つがウオータールー。ウオータールー駅とバンク駅(ロンドン橋が近い)をつなぐ、ウオータールー&シティ線が閉鎖されていました。


 ほかにもいくつか閉鎖されている線がありますが、一部は地下鉄の改修などのためもあります。土日は改修工事を進めるために一部の線が使えないようになっていることはイギリスではよくあります。


 ロンドン橋に向かう場所とバラ・マーケットに近い場所の写真を入れてみます。


 地下鉄の電車がロンドン橋に止まらず通過していった時、1990年代、東京で発生したサリン事件を思い出しました。当時は、千代田線を使って大手町に通勤していました。事件当日の朝、電車は霞が関駅で止まらず、通過していきました。あの時のことが甦ってきました。


 犠牲者の方のご冥福をお祈りします。



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(ウオータールー駅で。ウオータールー&シティ線が閉鎖)
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(バンク駅を出ると、出口にある郵便ポストが使えないようになっていました)
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(バス停も使えないように)
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(ロンドン橋に近い、モニュメント駅は閉鎖)
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(この写真の奥がロンドン橋につながってゆきます)
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(現場でリポートをする記者)


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(今度はバラマーケットに近い場所から見てみました)
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(バラマーケット近辺ですが、少し場所を変えました。警察が捜査中)
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(付近には、すでに追悼の花束を置いていた人も)


by polimediauk | 2017-06-04 23:31 | 英国事情
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(デイリーミラー紙23日付に掲載された、実行犯とみられる人物が警察に押さえつけられた場面。左端の警察官は実行犯が使ったナイフを右足で踏んだ格好となっている。)

 ロンドンのウェストミンスター議事堂(日本の国会議事堂にあたる)付近で、22日午後、テロ事件が発生した。

 23日朝現在までに、5人が死亡し、40人が負傷している。

 これまでの事情については様々な記事が出ているが、

 -今回のテロで「ローン・ウルフ(一匹狼的)アタッカー」が、ローテク(爆弾や銃などではなく、車を使う)によってテロを起こすという、欧州で発生した最近のテロのトレンドについて、東洋経済オンラインに寄稿している。(以下タイトルをクリックすると、記事が出ます。)


 -2005年のロンドンテロと比較して、どこが変わったのか、雰囲気はどうかなど個人的な印象を、BLOGOSに寄稿している。


 もしよかったら、見ていただけると幸いである。

 23日付の新聞を買ってみると、どれもテロがトップになっているが、実行犯と思われる人物の写真をいくつかの大衆紙は1面で報じていた(右端写真の横になってる男性)。ただし、この人物が本当にそうなのかどうかは分からない。「誤報」である可能性もある。

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 ロンドン警視庁は、「国際的なイスラム過激組織にインスパイアされた」犯行としているが、実行犯の身元情報を公表していない。

 夜が明けた今日、昨日途中で停止された議会が議事を進める予定である。

―日本大使館からのメール

 23日、ロンドンの日本大使館から送られてきたメールは以下。

ロンドン中心部(ウエストミンスター)におけるテロ事件の発生【更新】

在英国日本大使館
平成29年3月23日

1 3月22日14時50分頃,ロンドン市内ウェストミンスター橋の歩道を車両が暴走して多数の通行人を轢き,その後ナイフを持った男が英議会下院への侵入を試み警官1名を刺殺する事件が発生しました。警察当局の発表によると,この事件により,少なくとも犯人を含む5名が死亡,40名が負傷したとされています。なお,犯人1名は現場で警察官に射殺されています。
 英国当局は,本事件は犯人が国際テロリズムに触発されたという想定で捜査を進め,また,テロの脅威度「深刻(severe)」(5段階中2番目に高い)を継続する,今後数日間,ロンドン市内をはじめ全国で武装・非武装の警察官を多く配置するとしています。
 皆様におかれては,引き続きニュース等で関連の最新情報の入手に努めていただきつつ,外出時には周囲の状況に注意を払い,不審な人物や状況を察知したら速やかにその場を離れる等,安全確保に十分注意して下さい。

2 3月23日付で外務省海外安全ホームページに英国に対するスポット情報が発出されましたのでお知らせ致します。
【スポット情報】英国:ロンドンにおける英議会下院及び周辺でのテロ事件発生に伴う注意喚起
(PC)==> http://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcspotinfo_2017C057.html
(携帯)==> http://m.anzen.mofa.go.jp/mblatestspecificspotinfo.asp?infocode=2017C057

3 本テロ事件の影響で現場付近への立ち入りが制限されています。暫くの間は,現場付近には近づかないようにして下さい。
*ロンドン市内の交通情報については,ロンドン交通局のホームページ(以下)等から入手できます。
【ロンドン交通局HP】https://tfl.gov.uk/traffic/status/?disruptionIds=TIMS-154737





 



by polimediauk | 2017-03-23 18:20 | 英国事情