小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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カテゴリ:英国事情( 199 )

 2008年9月15日、米国で第4位の規模となる(当時、以下同)大手証券会社・投資銀行「リーマン・ブラザーズ」が経営破綻した。多くの人にとって、同社の破綻とそれに続く世界的な株安、信用不安、不景気は世界金融危機を象徴する事件として記憶されている。いわゆる、「リーマン・ショック」である。

 筆者は、破綻が報道されたとき日本に一時帰国していた。テレビ画面でリーマン・ブラザーズのニューヨーク本社の建物から段ボール箱を抱えた社員が三々五々、出てきた光景を思い出す。

 同じ日、米証券第3位のメリル・リンチは第2位のバンク・オブ・アメリカに救済買収されることに同意し、翌日には財政難に陥った米保険最大手アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)が米政府から巨額の公的融資を受けることになった。米金融界が急速に瓦解して行く様を目撃しているようだった。

 リーマン・ブラザーズの破綻劇は英国の政界・金融界と奇妙に結びついている。

 というのも、リーマン社の売却先候補として最後まで交渉を行っていたのが、英バークレイズ銀行だったからだ。何とか破綻させまいと、米英の財務関係者、バークレイズ、リーマンとの交渉が連日続いた。交渉は難航したが、最後にリーマンの息の根を止めたのはダーリング英財務相だった。

 バークレイズとしては、買収にはリスクが伴うため、英政府から何らかの保証を得たいところだった。しかし、ダーリングはこれに同意せず、ポールソン米財務長官にもそう伝えた。「英国の納税者が米国の銀行を救済するようであってはいけない」と思ったからだ(同氏の著書『バック・フロム・ザ・ブリンク』)。

 バークレイズは買収を断念。買い手を失ったリーマン・ブラザーズは破綻申請を行った。

 しかし、バークレイズはすべてをあきらめたわけではなかった。投資銀行部門を充実させることが長年の願いであったため、リーマンの北米投資銀行業務を買収したのである。

 ロンドンから見た、世界的な金融危機の様子を振り返ってみたい。

フランスの銀行の不振が赤信号を灯らせた

 危機発生の直接のきっかけは、信用力が低い個人や低所得者層を対象にした米国の住宅ローン「サブプライム・ローン」の焦げ付きだ。米国の金融機関ばかりか、英国の金融機関もこの種の貸し付けをどんどん提供していた。

 このローンは通常の融資よりも審査基準が甘く、かつ金利が高く設定された。当初は低金利でも途中から大幅に上がる仕組みとなっていた。住宅を担保とし、住宅価格の上昇を背景に2000年以降、急速にこの種のローンの販売が増えた。

 しかし、04年、米連邦準備制度理事会(FRB)が住宅バブルを抑えるために金融引き締め策を導入すると、06年頃から住宅価格が下落に向かった。これがサブプライム・ローンの焦げ付きを多発させるようになった。

 

 2007年8月9日、リーマン・ショックのほぼ1年前、ダーリング財務相はあるニュースを目にした。フランスのBNPパリバ銀行が傘下のファンド凍結を発表したという。ファンドが投資していたサブプライム関連の証券化商品の価値が急落したことが原因だ。

 住宅ローン専門の金融会社ノーザン・ロックのアダム・アップルビーCEOは、パリバ銀行の窮地に衝撃を受けた。「この日、世界が変わった」と発言している。ノーザン・ロックは積極的にサブプライム・ローンを提供しており、資金難に陥っていたのである。

 欧州中央銀行(ECB)は短期金融市場に948億ユーロを供給し、米FRBも240億ドルの資金供給を行うことになった。FRBは4日後、公定歩合の0・5%緊急引き下げを決定している。

ノーザン・ロックの取り付け騒ぎ

 8月14日、ノーザン・ロックの代表が英中央銀行(イングランド銀行、BOE)に対し、資金繰りが厳しくなったことを相談する。国内の銀行業務を監督する金融サービス庁(FSA)がノーザン・ロックの会計を検査し始めた。ノーザン・ロックは十数行の銀行に融資ビジネスの引継ぎを打診したが、応じる銀行が見つけられず、BOEに対し、緊急融資を依頼した。

 9月13日、金融市場の安定化のため、BOEが市中銀行に44億ポンドの資金を提供する。ノーザン・ロックが資金繰りに悩んでいるという噂が出て、同行の株価は過去4年で最低値に下落した。

 この日、BBCはBOEがノーザン・ロックに財政支援をするとスクープ報道した。これが引き金となって、翌日、140万人の顧客がノーザン・ロックから預金の引き出しに走った。一日で10億ポンドが引き落とされてしまった。19世紀以来、初の取り付け騒ぎである。

 ダーリング財務相がノーザン・ロックの預金全額を政府とBOEが保証すると宣言したのは、取り付け騒ぎから4日後だった。「遅い!」と国民から批判されたものの、銀行前に並ぶ預金者の数が次第に減少し、騒ぎはいったんは収束した。2008年2月、ノーザン・ロックは一時的に国営化された。

リーマン・ショックの後で

 2008年9月のリーマン・ショック以降、英銀行界は政府に助けられながら、何とか息をつないだ。

 10月8日、政府は大手銀行への資本注入を中心とする包括的な銀行救済案を発表した。これによって、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランド銀行の83%、ロイズ銀行の43%を国が所有することになった。政府はその後、後者の株を売却し、ロイズ銀行は民営に戻った。ロイヤル銀の方の株は若干売却されたが、ほとんどの株はまだ政府が所有中だ。

 この後、欧州ではアイルランド、ギリシャ、ポルトガルが危機状態となり、欧州当局が救済策を提供する事態も発生した。

もう1つのスキャンダル、LIBOR

 リーマン・ブラザーズをもう少しで買収するところまで行ったバーククレイズ銀行に、ある不祥事が発覚する。

 2005年ごろからくすぶっていた疑惑で、短期金利の国際的指標となる「ロンドン銀行間取引金利(LIBOR)」の不正操作を行ったという。

 12年6月、バークレイズ銀行は「銀行間貸出金利の操作未遂と不正報告」によって、英米の捜査当局から総額2億9000万ポンドの罰金の支払いを命じられてしまう。

 LIBORは住宅ローンなどの設定基準として使われる金利だが、不正行為は大手銀行への信頼をますます損なう結果となった。

▽金利不正操作で巨額罰金 バークレイズ銀行不祥事の背景とは

 関与していたのはバークレイズだけではなかった。JPモルガン証券、ゴールドマン・サックス、シティグループ・フィナンシャル・マーケッツのトレーダーも不正操作に関与していたが、大手銀行として注目度が高いバークレイズは国民や政治家の怒りを一気に買ってしまった。 

 ボブ・ダイヤモンドCEOは、財務相や中央銀行からプレッシャーをかけられ、辞任せざるを得なくなった。

 経営難や不正行為を発生させたのに巨額の報酬を受け取る銀行経営陣たちを、メディアや国民は「太った猫」と呼ぶようになった。

また起きる?

 今回のような、グローバルに広がった金融危機は再発するのだろうか?

 これまでに何度も金融危機は発生してきたので(もっとも著名なのは、1929年の米国市場の株価暴落による大不況)、いつかはまた起きると考えても良いだろう。

 金融街をテーマにした数冊のノンフィクションで知られる作家フィリップ・オーガー氏(最新作はバークレイズ銀行の歴史を描いた『少し生きた銀行(ザ・バンク・ザット・リブド・ア・リトル』)が筆者に語ったところによれば、「10年前と比べて、金融体制は安全になったと思う」。

 しかし、返済の見込みがない顧客を対象にしたサブプライム・ローンを多くの金融機関が大量に販売していたことが象徴するように、「顧客のケアよりも収益を上げることを重視する銀行のビジネスモデルは変わっていない」と指摘する。「利益を上げれば、巨大なボーナスをもらう仕組みもほとんど変わっていない」。

 オーガー氏の懸念は「10年前に発生した危機についての記憶が、人々から薄れてしまうことだ」という。

***

参考

「実録 世界金融危機」(日本経済新聞社編、日経ビジネス人文庫)

 ノーザン・ロック事件の教訓

リーマンブラザーズの破綻と英国経済への影響


by polimediauk | 2018-09-19 17:25 | 英国事情

(英国の邦字誌「英国ニュースダイジェスト」に掲載されている、筆者のコラム「英国メディアを読み解く」に補足しました。)

 今年夏、英国でもかなり暑い日が続きました。炎天下を避けてカフェに入り、友人とおしゃべりに興じながら冷たいジュースを飲んでいるうちに「あれ?」と思いました。ストローが「ふにゃり」と曲がっていることに気づいたのです。これまでのようなプラスティック製ではなく、紙製でした。「プラスティックから出るゴミを減らそう」という動きが、ここまできていることをしみじみと実感しました。

 元々、英国は家庭から出るゴミのリサイクル率が低い国ですが、近年は耐久性が高いことで知られるプラスティック(合成樹脂)製品のリサイクルを進める動きが活発になっています。スーパーマーケットでは、以前は無料だったレジ袋が今では有料になっていますが、これは「デーリー・メール」紙によるレジ袋有料化運動が大きな役割を果たしたと言われています。

プラスティック製品と海洋動物

 今、特に注目となっているのが、海に流れたプラスティック製品の海洋動物への影響です。

 ストローが鼻孔に突き刺さり、身動きができなくなった亀の姿を映したYouTubeの動画(2015年)は3100万回以上視聴されましたし、昨年秋にはBBCの自然ドキュメンタリー番組「ブルー・プラネット2」が放送され、この中でもプラスティック製のロープやビニール袋などに捕らわれ、泳げなくなっている海洋生物が映し出されました。

 番組の影響力は絶大で、これを機にBBCは、局内の使い捨てプラスティック製品を2020年までに撤廃すると決めています。

 今年1月には、メイ首相が2042年末までに不要なプラスティック廃棄物をゼロにする「25カ年計画」を発表しました。翌月、今度はエリザベス女王が、バッキンガム宮殿やウィンザー城などで使用していた使い捨てプラスティック製品を、リサイクル可能なものに差し替えると宣言しました。

 そして4月、メイ首相は改めてプラスティック製のストロー、飲み物をかき混ぜるマドラー、プラスティックを芯の原料とする綿棒の使用禁止の意向を明らかにしました。

 英国では、年間85億本ものプラスティック製ストローが捨てられているそうですが、スターバックスを始めとするコーヒー・チェーンが続々と、使い捨てプラスティック製ストローを使わないという方針を自主的に発表するようになりました。

 国内で1年に数十億単位で消費されている紙コップには、飲料の温度維持や、素材強化のためにプラスティックが使われています。これをリサイクルできる技術を持つ工場は英国内には希少のため、ほとんどが使い捨てとなっています。それを何とかしようと、自分のカップを持ってきた人にはディスカウントをするコーヒー・チェーンもあります。

 国連の調べによると、世界50カ国以上が、使い捨てプラスティック製品の撲滅を2022年までに達成する計画を持っているそうです。

 英国のテスコ、セインズベリーズなどのスーパーマーケットは、商品の包装などに使われているすべてのプラスティックを2025年までにリサイクル可能な物質にするよう決めました。

 ただ、プラスティック製ストローの完全廃止は、手に障害のある人にとっては不便という声もあります。

 また、紙製ストローが普及することで、原料となるパルプのために森林伐採が進むとすれば、環境保護の点から見るとどうなるのかという問題もありますね。

 もう一つ気になるのが、プラスティックごみの海外輸出です。

 7月末、プラスティック製包装のリサイクルの現状について、国家統計局が報告書を出しましたが、これによると、昨年時点で再処理されたプラスティック製包装の66%が海外に送られていました。このうちの25%が中国への輸出です。

 ところが昨年7月、中国はプラスティックを含む廃棄物の輸入を停止すると宣言。そこで英国は今年からマレーシア、トルコ、ポーランドなどにプラスティック廃棄物の処理をより多く頼むようになりました。

 英国のゴミを外国で処理してもらう……なんだか、これでいいのかなという気がしますね。

キーワード 包装リサイクル義務(The Packaging Recycling Obligations)

 1997年に政府が定めた、欧州連合(EU)の取り決めに沿った包装物リサイクルの義務(%)のことです。国家統計局の報告書によると、昨年、英国の7002社がこのスキームに参加して、リサイクル率64%を達成しているそうです。同年、国内の包装ゴミは1100万トンに上り、過去15年で海外への包装ゴミの輸出量は約6倍に増加しました。


by polimediauk | 2018-09-12 16:26 | 英国事情

 英国の邦字誌「英国ニュースダイジェスト」に掲載されている、筆者のコラム「英国メディアを読み解く」に補足しました。)

 ここ数か月、英国では「ウィンドラッシュ世代」の話が連日のように報道されて来ました。

 ウィンドラッシュ世代とは、1948年から70年代初頭にかけて、当時英領だったジャマイカなど西インド諸島から英国にやって来た移民とその子供たちを指します。第二次大戦後の英国の労働力不足を補うために、渡英した人たちです。

 「ウィンドラッシュ」とは移民の第1陣を乗せてきたエンパイア・ウィンドラッシュ号から来ました。

 1948年6月21日、1,027人を乗せ英南東部エセックスのティルベリー港に到着しましたので、今年はちょうど70年目にあたります。

 この世代に該当する人が何人いるのか、正確には分かっていません。と言うのは、当時、英国の植民地であった地域から親と一緒にやって来た子供たちの多くは、自分自身の旅券や査証など公的書類がないままに入国し定住したからです。

 1971年の移民法(73年1月施行)によって、施行日以前に渡英した英連邦出身の市民には永住資格が与えられましたが、このとき、政府はその記録を残しませんでした。

改正移民法で生活が激変

 今回、ウィンドラッシュ世代が窮地に陥ったきっかけは、2014年の改正移民法です。英国内で欧州連合(EU)からの移民急増への反発が発生したことを受けて、政府は不法移民に「敵対的な環境を作る」政策を打ち出しました。

 これによって移民たちは、就労、不動産賃貸、医療を含む社会保障を受け取る際に、国籍証明書、あるいは永住許可証などの在留資格を示す正式な書類が必要になったのです。書類を出せない人は「不法移民」となり、職を失う、社会保障を受けられないなどの危機に見舞われました。国外退去を迫られた人もいるようです。

 半世紀近くも英国に住み、自分は英国民だとばかり思っていたジャマイカを含むカリブ海地域出身者やその子供たちにとって、大きなショックだったに違いありません。

 オックスフォード大学による移民観測分析では、1971年以前に渡英し、現在までに英国に定住した英連邦出身者は約52万4000人で、英国の国籍を取得した人は46万7000人だそうです。国籍を取得していない5万7000人のうち、1万5000人がジャマイカから来たと推測されており、数千規模の人が不利な状態に置かれたと見られています。

ガーディアン紙の報道がきっかけ

 一連の事態は、「ガーディアン」紙の報道で広く知られることになりました。2010年、内務省が新たな建物に引っ越したときに、ウィンドラッシュ移民の到着記録を大量に破棄していたことが発覚したのです。

 今年4月19日と20日にはロンドンで英連邦首脳会議が開催されていたこともあり、ウィンドラッシュ世代をめぐる政府の不手際が大きな政治問題となっていきました。

 テリーザ・メイ首相は、該当する人々に適切な補償の支払いを約束し、カリブ海12カ国に書簡で正式に謝罪しました。

 アンバー・ラッド内相(当時)はウィンドラッシュ世代を支援するための特別な作業部会を設置し、必要な在住証明書の収集、新たな在住許可書類作成費用の全額免除(229ポンド=約3万2,000円)、問い合わせ先の窓口となるウェブサイトの設置を下院で発表しましたが、4月29日、引責辞任に追い込まれました。

新内相が謝罪 「見せかけ」?

 ラッド氏が引責辞任をした後を引き継いだのが、サジド・ジャビド氏です。彼の両親は、ウィンドラッシュ世代と同じ頃にパキスタンからやってきました。移民第2世代ということになります。同氏にとって、ウィンドラッシュ世代の苦境は他人事とは思えないとこれまでのインタビューで述べています。

 今月21日、ジャビド内相は下院の内務問題委員会に対し、これまでの調査結果を報告しました。

 これによると、先の大臣が設置した作業部会に連絡を取ったウィンドラッシュ世代関係者は6,507人に上りました。このうち2,272人に英国の在住資格を裏付ける書類が送られました。2,272人のうちの1,093人(最多)がジャマイカ出身でした。

 作業部会は、1万1,800人を対象に調査を行いました。このうち18人が、先の移民法が施行された1973年以前から英国に住み、この法律によって永住資格を得ていたにもかかわらず、これを証明する書類がなかったために英国に住めなくなったり、移民管理センターに拘束されたりしていました。

 18人のうち14人に連絡が取れ、ジャビド内相は謝罪の書簡を送りました。補償金を支払うこと、すでに英国を去ってしまった人には帰国への支援を行うことも書かれていました。

 政府の調べによると、18人以外には、カリブ海諸国出身者の146人が英国から強制送還されたり、移民管理センターに拘束されたりしていました。

 ウィンドラッシュ世代にどのように補償金を払うかについては、現在、広く意見を募っているところです(締め切りは10月11日)。

 両親がウィンドラッシュ世代となる、デービッド・ラミー労働党議員は、「18件は雀の涙だ。内相の謝罪は見せかけだ」、と述べています。「現在も支援金が与えられず、仕事や住居を失って、食事も満足にできない人々に対する侮辱だ」。

欧州列強による「三角貿易」とウィンドラッシュ世代

 歴史をさかのぼれば、西インド諸島に黒人の住民がいるのは、英国を含む欧州列強による「三角貿易」の結果でもあります。

 例えば、英国からアフリカ大陸に工業製品を運んだ船は、そこで現地の黒人住民を奴隷として西インド諸島や米国に運び、次にそこからタバコや綿花などの産物を積んで英国を含む欧州に戻って来たのです。

 ウィンドラッシュ号やその後の船で英国にやって来た人々は、有色人種であることから様々な人種差別にあう場合もありました。その大部分はブルーカラーの仕事、例えば清掃人、運転手、看護婦として働きながら、大戦で荒廃した英国が現在の姿になるまで力を貸してきました。

 希望に満ちた若者たちの当時の写真をよく目にしますが、これまでの経緯を思い合わせると、今回の危機には本当に胸が痛みます。

キーワード 英連邦(Commonwealth of Nations)

 英国を中心とする自治領、旧植民地諸国で構成される緩やかな連合体のことです。53の加盟国には約24億人が住んでいます。英国に住む加盟国の国民は、英国の国政及び地方選挙で選挙権・被選挙権を持っています。首長はエリザベス女王、次期首長はチャールズ皇太子。隔年で首脳国会議を開催し、今年は4月19日~20日、英国で開催されました。


by polimediauk | 2018-08-28 22:25 | 英国事情

 (英国の邦字紙「英国ニュースダイジェスト」に掲載中の筆者のコラム「英国メディアを読み解く」に補足しました。)

 「ボリスはどこだ? 」

 6月末、ウェストミンスター議会での審議中、野党の労働党議員から叫び声が上がりました。日本人にとってもなじみが深いヒースロー空港(ロンドン西部)に、第3の滑走路を新設する法案を国会で審議していたときのことです。

 「ボリス」ことボリス・ジョンソン外相(当時。7月9日辞任)は、前職のロンドン市長であったときから新滑走路の建設には大反対の姿勢を取ってきましたが、この日、その姿が見当たらなかったのです。

 空港の設備拡張賛成派と反対派の議論が白熱する中、最終的に政府の建設案は可決されました。ジョンソン氏はアフガニスタンを訪問中で、票を投じることはできませんでした。

 新滑走路は2021年に建設が着工され、26年までに完成する予定です。総事業費は140億ポンド(約2兆460万円)に上るそうです。

 ヒースロー空港は、第1次世界大戦中に軍用機の発着地となったのがその始まりです。1930年代には、航空機の組み立てや試験飛行に使われるようになりました。第2次大戦が勃発すると小規模の商業空輸を取り扱い、戦後は空軍に接収されました。「ロンドン空港」が敷地内で建設されたのは1944年。2年後には民間航空局に返還され、民間空港として正式オープンします。「ヒースロー空港」と名称変更されたのは1966年です。現在は「ヒースロー空港ホールディングス」が所有者になっています。

 国際線利用者数では世界第2位(2017年は約7320万人)の同空港ですが、敷地面積はほかの欧州の主要空港と比較すると半分以下で、滑走路も2本しかありません。国際競争の面から、そして旅客サービスを向上させるためにも、空港設備の拡張が長年の課題となってきました。

 今回の新滑走路建設決定までには、長年の紆余曲折がありました。設備拡張を掲げた白書が公表されたのは2003年。07年のパブリック・コンサルテーションを経て、09年、当時の労働党政権が新滑走路建設を支持します。しかしその後、地球温暖化への影響、地域住民からの騒音や大気汚染問題への懸念が、大きな抗議運動に発展していきます。

 2010年の総選挙戦では、野党だった保守党と自由民主党が新滑走路建設反対を主張し、当時のロンドン市長ジョンソン氏は、テムズ川河口に浮かぶ人工島に新空港を建設するという大胆な計画をぶち上げました(!)。このときの総選挙で勝利した保守党と自民党が連立政権を組み、新滑走路建設案を中止してしまいます。

 それでも、英南東部の空の旅の受け入れ能力を拡大するための試みは続いていきます。

 2012年には拡張の可能性を査定する「空港委員会」が立ち上げられ、その翌年出された3つの提案の中の一つが第3滑走路の建設でした。政府がこれを支持する意向を示したのが、その3年後。そして今年6月上旬、政府が建設計画を閣議で了承し、これを踏まえて議会で同月25日に採決が行われ、ようやくゴー・サインが出ました。

 この採決に関してクリス・グレイリング運輸相は、「5つの誓約」を表明し、その中で「事業費に税金は投入しない」と約束しました。拡張計画は10万人以上の新規雇用を生み出し、740億ポンド相当の経済効果があると述べています。

 この第3滑走路の建設により、ヒースロー空港の年間の旅客輸送能力は1億3000万人に増える予定だそうです。また、環境対策や周辺住民への補償として26億ポンドを使うことも明言しています。

 でも、不安要素も多々あります。

 本当に事業費を民間資金だけで賄えるのか、ほかの空港と比較して高いと言われるヒースローの空港使用料が更に上がるのでは、そしてこれが運賃に転嫁されるのではという懸念です。新滑走路周辺の道路整備による交通渋滞も、頭痛の種と言われています。立ち退きを余儀なくされる約800戸の住人にとっては、大きな決断のときとなります。

 サディク・カーン現ロンドン市長を含め、滑走路建設反対派の声は依然として強く、これからも論争が続きそうです。

キーワード 5つの誓約(Five point pledges)

 グレイリング運輸相は、ヒースロー空港拡張で5つの原則を確約しました。(1)税金は使わない、(2)経済効果(新国際線の開通、10万人の新規雇用、740億ポンドに上る恩恵)、(3)国内全体での恩恵(国内線航路を15%増発、地域経済活性化)、(4)環境保護(温暖化や大気の質の基準を維持、夜間飛行制限に新基準など)、(5)誓約順守に法的縛りをかける。さて、これは守られるでしょうか。


by polimediauk | 2018-08-10 20:07 | 英国事情

(英国の邦字紙「英国ニュースダイジェスト」の筆者コラム「英国メディアを読み解く」に補足しました。)

 英国のNHS(National Health Service)こと「国民医療制度(国民保健サービス、と訳されることもあります)」が先月、創設から70周年を迎えました。税金で運営されているため、英国に住む人は基本的に無料で医療サービスを受けられます。

 社会を構成するすべての人々に一律の医療サービスが無料で提供されるようになるまでには、どんな経緯があったのでしょう?

「National Health Service」という言葉を最初に使ったのは、英北西部リバプールのベンジャミン・ムーア医師だと言われています。1910年出版の著作の中で言及し、1912年には「国家医療サービス協会」を立ち上げました。

 NHS発足前は、病気になったら自分で医療費を払うのが原則でした。貧困者が治療を受けるのは容易ではなく、いったん職を失えば、路頭に迷う可能性もありました。

 1911年、転機が訪れます。自由党政権のデービッド・ロイド=ジョージ財務相の主導で、「国民保険法」が成立したのです。政府、雇用主、被雇用者が保険料を拠出することで、疾病時に医療費を負担し、失業時には給付金を支払えるようになりました。

 当時は社会福祉というと「貧困者など一部の人に慈善で与えられるもの」「貧困度を測り、必要な人にだけ提供するべき」「国家予算を悪用されないようにしなければ」という意識が根強かったものの、第2次世界大戦(1939~45年)が勃発し国民総動員で戦う時代になると、「すべての人に与えられる一つの権利」として次第に認識されるようになりました。戦時中、オックスフォード大学ユニバーシティ・カレッジの学長だった、経済学者のウィリアム・ベバリッジが、政府から社会保険制度の状況を検討するよう依頼されます。1942年に発表された「ベバリッジ報告書」は、すべての人の疾病を予防・治療する保険医療制度の設立を提唱していました。

 1945年の総選挙で、この報告書の実現をマニフェストの一つに掲げて戦ったのが野党・労働党でした。第2次大戦で英国を勝利に導いた宰相、ウィンストン・チャーチルの率いる保守党を打ち破って政権に就いた労働党は、1946年に国民保健サービス法(National Health Service Act)を成立させます。その2年後、NHSと呼ばれる国民医療制度がいよいよ始まりました。

 NHSは地域ごとに4つ(イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランド)に分かれて運営されています。合法的に英国に滞在する外国人も加入できますが、2015年以降、欧州経済領域(EEA)以外の国籍を持つ移民の場合、査証取得・延長時にサービス利用料として年間150~200ポンドを支払うことが義務付けられました(永住権保持者は含まれません)。

最近は「常に危機状態」

 ここ数年、NHSの財政難や人手不足、混雑した病院の内情を伝える報道をよく目にするようになりました。

 NHSは今、膨れ上がる医療のニーズに病院側が対処しきれず、苦境に陥っているのです。

 政府の公的サービスへの支出額の中で、NHSへの拠出は30%にも上りますが、支出が増えている大きな原因の一つは高齢化です。医療技術の進歩で、70年前と比べて平均寿命が13歳も伸びています。

 65歳以上の人口比率が増加の一途をたどっており(2015年では約18%)、高齢になるほど長期的な疾病(糖尿病、心臓病、認知症など)の比率が高まっていきます。また、平均的な65歳のNHSでの医療ケアにかかる費用は30歳の2.5倍になるそうです(BBC ニュース、5月24日付)。

 新薬の価格高騰、政府の緊縮財政でNHSへの予算の増加率が抑えられていることも運営を圧迫しています。緊縮財政策は、高齢者に対する自治体の生活支援サービスの削減にもつながりました。

 NHSの恩恵を何年も受けてきた筆者は、「すべての人が無料で利用できる」という伝統をぜひ死守して欲しいと願っているのですが、担当の家庭医(GP)への予約が取りにくく、予約時にクリニックに行っても長い間待たされることが続くと、NHSも「そろそろ限界に来ているのかな」と思ったりします。

キーワード

Beveridge Report(ベバリッジ報告)

 経済学者ウィリアム・ベバリッジが委員長となった「社会保険及び関連サービス各省連絡委員会」が、1942年に社会保障制度の拡充のために提出した報告書です。健康保険、失業保険、年金などを、すべての国民が対象となる統一制度として提唱しました。「ゆりかごから墓場まで」と言われる、第2次大戦後の社会保険制度の土台となりました。


by polimediauk | 2018-08-08 19:43 | 英国事情


 米国人女優のメーガン・マークルさんが、エリザベス英女王の孫にあたるヘンリー王子と結婚して2か月半が過ぎた。

 結婚前から、「なんだか危ないなあ・・・」と筆者が思っていたのはマークルさんの家族の行動だ。

 父親トーマスさんは、結婚式の直前、娘のために良かれと思って、パパラッチと示し合わせて自分の日常生活を紹介する写真を撮らせた。一見、「たまたま写真に撮られた」ようにも見えたが、あらかじめ準備していたことが発覚すると、「やらせ写真だ」として非難の嵐となり、式の出席を辞退せざるを得なくなった。トーマスさんの「イメージ向上」のために写真撮影を父に勧めたのはメーガンさんの異母姉妹だった(トーマスさんとメーガンさんの母親はすでに離婚している)。

 しかし、父親として娘の結婚式に出ないのはあまりにもつらいことである。メーガンさんがトーマスさんに出席するよう説得し、いったんは「出席する」としたトーマスさんだったが、直前になって心臓手術のために結局出席できなかった。式前後の様々な心労が災いしたのかもしれないが、「お騒がせ男」と言ってよいだろう。

 

結婚式の様子を伝える、英各紙 (撮影 筆者)
結婚式の様子を伝える、英各紙 (撮影 筆者)

 さて、結婚式が終わり、ヘンリー王子とメーガンさんは新たな人生のスタートを切った。

 しかし、父トーマスさんは黙っていられない。

 先月末、英国の日曜紙「メール・オン・サンデー」の長時間インタビューに応じ、娘と全く連絡が取れない状態であることを暴露したのである。

 「娘は私を完全に切ってしまいました。とても傷ついています」

 「娘にかけられる電話番号を持っていたんですが、『王室が娘を変えている』などと私が批判した後、使えなくなりました」

 「電話が不通になりました。もう娘と連絡できる番号がないんです」

 そして、こんなことまで言った。「私が死んだ方が娘にとってはいいのだと思います」。しかし、「和解を望んでいます。娘と話をしないままに死ぬのは嫌ですね」。

 ここまで言われたら、娘はどうしたらいいのだろう。

 さらにトーマスさんはこうも言っている。「メーガンや王室にはもう我慢がなりません。黙っていてほしいと思っているんですよね。いなくなればいい、と。でも、黙ってはいませんよ」

 「沈黙なんかしない。いらいらするのは、メーガンが自分は私よりも上だと思っていることですよ。私がいなければ、何でもない存在なのに。今のメーガン妃があるのは私がいたからなんだ。メーガンのすべてが、私が作ったようなものなんだ」。

 ヘンリー王子の母になる故ダイアナ妃(1997年、事故死)にもトーマスさんは言及する。もし現状を知ったら、ダイアナ妃は怒るだろう、と。

 身内がメディアに出て、家族の内情を吐露する・・・これは英王室にとって、ご法度だ。

 ただし、もちろん、故ダイアナ妃は夫であるチャールズ皇太子との不仲をBBCのテレビ番組「パノラマ」で暴露し、それ以降、皇太子とダイアナ妃の間でメディアを使った戦いが発生してゆくのだがー(2人は1996年8月末に離婚した)。前例がないわけではないのだが、それにしても、である。

 いくらメーガンさんが新しい家族・王室の一員としてがんばろうとしても、家族(の一部)が足を引っ張る…といった構図が見える。

 トーマスさんの行動は英王室から眉をひそめられるばかりか、多くの国民にとっても驚愕であり、決して好感は持たれないだろう。

 

 というのも、「米国からやってきた」、「黒人の血を引く女性」、「元女優」ということでメーガンさんは大人気だし、トーマスさんはそんなメーガンさんを批判していることになる。かつ、英メディアに出ることでトーマスさんが巨額の報酬を得るのは確かで、「お金儲けのために告白をしているのではないか」と思われても仕方ない部分がある。

 読者の皆さんも、ご経験があるだろう。結婚後、当人同士がいくら互いを気にいっていても、それぞれの家族同士が相手を嫌っていたり、衝突したりすることが。自分の家族や親せきが「見苦しい」振る舞いをしてしまうことも多々ある。当人たちにはどうしようもない。

 筆者自身、トーマスさんの行動は「ちょっとなあ」と思う。娘に連絡できないつらい心情は理解できるとしても、メディアを通じて訴えるというやり方はどうなのか。娘のことを考えるなら、どれほどつらくても表に出ないやり方でアプローチするべきではないか。娘よりも、自分の気持ちを優先する行動をしているように見えて仕方ない。

 ・・・とはいうものの、一定の同情も感じる。

 トーマスさんは英国の市民ではないし、娘が王室に嫁いだからと言って、沈黙を強いられる必要はない。言論の自由があるはずだ。どこかで自分の言いたいことを言わないと、病気になってしまう可能性もある。今回のインタビューがたとえみっともないものであったとしても、少なくともトーマスさんの声は娘に届いたはずだ(気持ちを傷つけただろうが)。今、メーガンさんを慰め、彼女の相談相手になっているのが、ヘンリー王子の兄にあたるウィリアム王子の妻キャサリン妃だというが、本当だろうか。2人はともに「一般人」で王室に嫁ぎ、年も36歳同士である。

 一番の責任は英王室にあるように思う。誰か父トーマスさんをケアする人はいないのだろうか?

 一抹の憐れみを感じさせるトーマスさんの姿だ。

 そろそろ、メーガンさんが米国に「里帰り」をして(トーマスさんはメキシコに住んでいるそうだけれども)、2人がお互いの気持ちを十分に話す機会を持ち、心を通い合わせることができるようにと筆者は強く願っている。


by polimediauk | 2018-08-03 16:26 | 英国事情

 英国で6月27日、異性同士のカップルでも、これまで同性同士のカップルにのみ認められていた「シビル・パートナーシップ」を結ぶことが出来る道が開けた。

 ロンドンに住むレベッカ・スタインフェルドさん(37歳)とチャールズ・ケイダンさん(41歳)にとって、最高裁の判断は待ちに待ったものだった。

 同性同士のカップルの法的結びつきとなるシビル・パートナーシップを異性カップルが選択できないのは、欧州人権条約に「そぐわない」とする判断が下されたのだ。

 これで法律がすぐに改正されるわけではないが、その可能性は高くなったと言えよう。

 レベッカさんとチャールズさんは2010年に出会い、すでに2人の子供がいる。しかし、結婚は「何世紀にもわたって、女性を男性の所有物と見なしてきた」制度のように感じており、自分たちの関係を結婚の枠組みで規定されたくないと思ったという。2014年、市役所にシビル・パートナーシップを結ぶ書類を提出したが、「前例がない」と却下されてしまった。裁判への道のりが始まった。

 2人の願いを支持する署名運動には、13万人が署名したという(6月27日、BBCニュース報道)。

英国のシビル・パートナーシップ制度とは

 英国では、同性カップルが異性間の婚姻に準ずるものとして「シビル・パートナーシップ」という法的関係を持つことができるようになった(2014年のシビル・パートナーシップ法による)。

 同性及び異性カップルが利用できる「結婚」と、同性カップルのみが利用できる「シビル・パートナーシップ」を比べてみると、どちらの場合でもカップルは同等の権利と義務(遺産相続、税金、年金、最近親者として扱われるなど)を付与される。

 違いはシビル・パートナーシップの対象が同性カップルに限られていること。また、宗教性がないことだ。

 英国では結婚というと、異性カップルの法律上の結びつきであると同時に、宗教儀式としても認識されてきた歴史がある。

欧州内では?

 BBCの調べによると、フランスでシビル・パートナーシップに相当するのは「パクト」と呼ばれる関係で、これは同性及び異性カップルが選択できる。同様に、両方で利用できる法的関係を提供しているのはオランダ(1998年から導入、以下同)、ベルギー(2000年)、ルクセンブルク(2004年)、ギリシャ(2008年に異性カップル向けに導入され、15年からどちらでも可能に)、マルタ(2014年)、キプロス(2015年)、エストニア(2016年)など。

英国では結婚件数が減っている

英イングランド・ウェールズ地方の結婚件数(国家統計局資料)
英イングランド・ウェールズ地方の結婚件数(国家統計局資料)

 英国家統計局の調査によると、英国(ここでは人口の5分の4を占めるイングランド・ウェールズ地方)では結婚の件数が長年、減少傾向にある。上記のグラフは1935年から2015年までの分だ。異性間のカップルの結婚件数は2015年で23万9020。前年から3・4%の減少だ。1970年代以降、減少傾向が続いている。

 次に、「結婚率」を見てみる。「16歳以上の1000人の男性(あるいは女性)の中で、どれぐらいの人が結婚しているか」を示すグラフが以下である。青色の線が男性、黄色が女性だ。1000人の男性の中で21・7人、女性の場合は19・8人が結婚していた。それぞれ前年と比較して5・7%減、5・3%減。この統計は1862年から開始しているが、これまでで最も低い数字だそうだ。ただし、「50歳以上の男性、そして35歳以上の女性の結婚率は上昇している」(調査官)。

結婚率を示すグラフ(国家統計局)
結婚率を示すグラフ(国家統計局)

親の約半分が婚姻関係を結ばずに出産・子育て

 もう1つ、あるデータを紹介しておきたい。

 国家統計局の別の調査によると、イングランド・ウェールズ地方での出産数は69万6267件で、前年より0・2%減。「妊娠率」は1.81で、前年は1.82だった。、

 興味深いのは、結婚もシビル・パートナーシップも結んでいないカップルから生まれた子供の比率だ。2016年で47・6%。前年は47・7%だったので、微減だ。逆から見ると、半分強が結婚あるいはシビル・パートナーシップ関係にある親から生まれている。

 結婚もシビル・パートナーシップも結んでいないが子供を持つカップルの場合、その60%以上が生活を共にしている。2016年はこれが67%になった。一切の法的関係を結ばないにもかかわらず一緒に暮らし、親となって子育てをするカップルが珍しくなくなってきた、という。いわゆる「事実婚」である。

 筆者の周囲を見ても、あるいは著名人、政治家などを見ても、このパターンがよく目につく。

 英国では、「事実婚でも子供の養育に関する権利や責任において、それほど大きな法的違いがない」要素も影響しているのだろう(もっと深く知りたい方は長野雅俊氏による「英国ニュースダイジェスト」の記事をご参考にされたい)。

 異性カップルにおいては、結婚という形にとらわれず、より自由に、より平等に暮らしたいと考える人が社会の主流になりつつある。

 ちなみに、以前にも別の原稿で言及したが、日本の厚生省の「人口動態」によると、2015年時点で、出生総数に占める非嫡出子の比率は2・29%。日本では結婚と出産がほぼイコールとなっている。

 


by polimediauk | 2018-07-20 16:53 | 英国事情

(20日付のサンデー・ミラー紙の中面。「彼女(マークルさん)が英国の家族の一員になった」という見出し)

 19日、英国のヘンリー王子(33歳)と米国人の女優メーガン・マークルさん(36歳)が、ウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂で挙式した。結婚後、2人は「サセックス公爵夫妻」になった。

 英国時間では正午から、日本では午後8時から始まった挙式の様子は世界中のテレビで放送されたが、視聴された方はどんな感想を持たれただろうか。

 筆者は、テレビの生中継を隣人の友人たちと一緒に見た。隣人は北アイルランド出身で、「挙式には関心がない」と言い、イングランド地方出身の家人も「興味なし」。2人が出かけてしまったので、隣人の友人で、アフリカ・モーリシャス共和国出身の2人(レイチェルさんとリチャードさん)と一緒にテレビの前に座った。モーリシャスは19世紀に英領となり、1968年に英連邦の一国として独立している。

 レイチェルさんは、英国のNHSと呼ばれる国民医療サービスで働く看護婦だ。驚いたことに、彼女は結婚式への招待状をもらっていた。ロンドン中心部の病院に勤務しているのだが、その病院に送られてきた招待状3枚の内で、1枚が自分宛てになっていたのだという。

 しかし、当日はウィンザー城には行かないことに決めたという。「もったいない。せっかくの機会なのに」と言ったが、レイチェルさんは、「準備が煩わしい。実際に行っても、ほんのひと目しか見られない。それなら、テレビの前に座っていたほうがい」と答える。テレビなら「すべてが見られる」。

 BBCは主力チャンネル「BBC1]で午前9時(!)から放送を開始した。

 午前9時とはいかにも早い。式の開始は正午なのである。

 そこで、筆者が隣人の家のソファーに飲みものとスナックを片手に座ったのは、12時少し前。

 聖ジョージ礼拝堂の聖歌隊がいる場所に座っているゲストの中には、王室のメンバーと共に米映画俳優ジョージ・クルーニーが見えた。

 「王子と一緒に慈善事業をやったからだよ」とレイチェルさん。

 教会の席にも著名人が少なからずいた。英歌手のエルトン・ジョンとその妻、元サッカー選手のデービッド・ベッカム夫妻・・・。

シンプルな白いドレスに感服

 レイチェルさんと私の最大の関心事は、マークルさんがどんなドレスを着るのか、ということだった。

 車から出て、礼拝堂の入り口に立ったマークルさんが着ていたのは、クレア・ワイト・ケラーがデザインをしたジバンシィのもので、装飾が全くと言ってよいほどない、シンプルな白いドレスだった。マークルさんはティアラとベール、小ぶりのイヤリング、腕輪を身に付けていた。「これほど格好良いドレスはない」ーーこれがレイチェルさんと私の結論だった。

 ドレスの長い裾の先はページーボーイたちが持っていたが、マークルさんは礼拝堂の階段を一つ一つ、自分で上った。

 筆者は車から降りたら、すぐにチャールズ皇太子が腕を取って一緒に歩くかと思っていたので、少々驚いた。しかし、たった1人で階段を上がるその姿に、女優というキャリアを持ち、自分で結婚を選択した女性の決意のようなものを感じた。

 途中から、すでに中で待っているヘンリー王子の元までマークルさんを連れて行ったのは、チャールズ皇太子だった。

王子が涙をぬぐう

 マークルさんの登場で式が始まっていくのだが、気になるのがマークルさんの家族としては1人だけ参加した、母のドリア・ラグランドさん。「さぞかし、心細いだろうね」とレイチェルさん。マークルさんの父親トーマスさんが、「やらせ」写真事件や体調が悪いことを理由に参加できなくなったことを思い出す。

 「見て!王子が泣いているよ」とリチャードさん。確かに、ヘンリー王子は時折、目の下あたりを指で何度かぬぐっていた。結婚式に出席して欲しかった、母親のダイアナ妃(1996年に事故死)を思い出しているのか、「やっとここまで来た」という安堵感の涙なのか。それとも、キリスト教の儀式の荘厳さに思わず涙があふれたのか。

 可笑しかったのは、結婚を誓い合うことになって、カンタベリー大司教が「・・マークルさんを妻として、一生支え続けますか」と王子に聞いた時だ。「はい、誓います」(I will)と答えた後に、一呼吸おいて、王子は思わず笑ってしまう。マークルさんの笑いも誘う。ヘンリー王子がマークルさんの前に数人のガールフレンドがいたことを想起させて、参列者からも笑い声が出た。

熱狂的な説教にどう反応する?

 これまでの英王室の結婚式とは、少々違うぞ・・・という雰囲気が出てきたのは、米シカゴからやってきたマイケル・カリー司教の登場だった。

 カリー司教は、殺害された黒人運動家マーティン・ルーサー・キング牧師の言葉を借りながら、「愛情には力がある。見くびってはいけない」と述べた。次第に表情が生き生きし、身振り手振りで話してゆく。

 普通だったら、熱のこもった説教の合間に聴衆から何らかの声が上がりそうである。しかし、ここは英王室が出席する、儀式の場だ。そうはいかない。

 感情が揺さぶられるような説教に対し、カメラがとらえた英王室や一般出席者の表情が興味深かった。たまたまかもしれないが、エリザベス女王は「一体、この人何なの?」というような気難しい表情をしていた。上流階級の中には、感情を表に出さない習慣がある。笑顔を見せていたのはベッカムやチャールズ皇太子の妻カミラさん。それでも、多くの人が心を奪われたように耳を傾けていた。

 この説教の間中、手を握り続けていたヘンリー王子とマークルさん。その様子をカメラがずっととらえていた。

 これも今回の結婚式の新しさだった。これまでの英王室の結婚式で、新郎新婦が親密に体に触れあう様子を(キスの場面は別として)これほど長々と見せたことはないと筆者は思う。

「スタンド・バイ・ミー」が最高潮に

 式の中で「スタンド・バイ・ミー」が歌われることは知っていたが、テレビの前に座っていた3人は、歌い出したのが黒人の歌手で、コーラス団の全員が黒人だったことに息をのんだ。「こりゃ、驚いた」とリチャードさん。「そうだったのか」。

 マークルさんの母はアフリカ系米国人であるから、黒人だけのコーラス団はマークルさんが結婚相手だったからこその選択である。

 「スタンド・バイ・ミー」は米国のソウル歌手ベン・E・キングの曲(1961年)で、元々は黒人霊歌「ロード・スタンド・バイ・ミ」からヒントを得たと言われている。(元ビートルズのジョン・レノンが1970年代にカバー・バージョンを出したことでも知られている。日本でも、いくつかのコマーシャルに使われた。)

 「スタンド・バイ・ミー」の出だしの一部を筆者流に少し訳してみた。

 動画で、その雰囲気を感じてみていただきたい。

Stand By me「私の側にいてくれたら」

When the night has come

(夜がやって来て)

And the land is dark

(あたりが暗くなり)

And the moon is the only light we'll see

(月が唯一の光になる時)

No I won't be afraid, No I won't be afraid

(それでも私は怖がらない。怖がったりなんかしない)

Just as long as you stand, stand by me

(あなたが側にいてくれたら、側にいてくれたらー)

 この「あなた」はヘンリー王子にとってはマークルさん、マークルさんにとってはヘンリー王子になりそうだが、2人は自分たちの母、父、あるいは友人たちのことを思って聞いたかもしれない。参列者たちやテレビの前で見ていた人も、自分が側にいてほしい人は誰なのかについて、考えを巡らせたに違いない。マークルさんから、「私の側にいてね、守ってね」というヘンリー王子へのメッセージにも聞こえてきた。

 筆者は、レイチェルさんやリチャードさんと共に、「スタンド・バイ・ミ―」の歌詞一つ一つに胸を熱くさせながら、聞いていた。

 ピアノの伴奏に乗って歌声が礼拝堂に響き渡った、筆者は、英王室に本当に「新しい血」が入ってきた、と思った。これほどわかりやすい言葉で、切々と歌う声が伝統と儀式を大事にする王室の結婚式で流れたことはなかったのではないか。

 マークルさんは女優時代に活発に行っていたブログやソーシャルメディアでの発信を、英王室の一員になることで一切停止した。その声が封じられたようで、非常に残念だ。慈善活動を通じて「声」を出してゆくだろうとは思うのだが。

 結婚式は、「伝統・儀式を重んじる英王室」と「感情の吐露を排除しない、現代的なカップル」との対比を露わにした。

 マークルさんには、堅苦しい英王室に是非新たな風を入れてほしいと心から望んでいる。


by polimediauk | 2018-05-20 17:00 | 英国事情

 19日に予定されている、ヘンリー王子と米国人の女優メーガン・マークルさんの結婚式まであと数日。

 式が行われるウィンザー城の聖ジョージ礼拝堂で、娘をエスコートするはずだった父親トーマスさんが、式への出席を辞退する意向を固めていることが分かった。

 BBCニュースなどの報道によると、現在はメキシコ在住のトーマス・マークルさんは、セレブのニュースを掲載するウェブサイト「TMZ」の取材に対し、結婚式には出席しないと告げたという。

 これは5月12日付の大衆紙「メール・オン・サンデー」による「やらせ」写真についての暴露報道を受けての判断のようだ。

 今月、トーマスさんがインターネットカフェで娘とヘンリー王子の結婚についての情報が画面に出たコンピューターを使っていたり、式に着用するスーツを作るためなのか、洋服の仕立て屋で身体のサイズを測ってもらったり、身体を引き締めるためにトレーニング中などの写真が世界中のメディアに掲載された。

 一連の写真は、一見したところ、トーマスさんが知らない間にパパラッチが撮影したかのようだったが、実はトーマスさんと英国人のパパラッチであるジェフ・レイナー氏が合意の上でポーズを取ったものだった。

 また、身体のサイズを測っていた「仕立て屋」は実はパーティー用品を販売する店であったり、トレーニングはゴミ捨て場で行われていたりなど、いかにも「やらせ」であったことが分かってきた。

 保守系メール・オン・サンデーは、2人が一連の写真を販売して最大10万ポンド(約1480万円)の報酬を得ていた、と書いた。英国時間の15日午前時点で、この記事は4500回シェアされ、コメントが900ついている。

お金のためではなかった

 トーマスさんがTMZに語ったところによると、娘や英王室に害を与える気持ちはなかったという。「ある理由」があって、写真代理店と協力することにしたが、「主目的はお金ではなかった」という。

 昨年1年間を通じて、パパラッチに追われ続けたトーマスさん。ビールを買っていたり、だらしない格好であったりしたときに撮影された写真が世界中に広がったことが懸念となっていた。特に、まるで大酒飲みであるかのようなイメージが広がったことが気がかりだった。自分ではビールを飲まないというトーマスさんがビールを買ったのは、家を警備する警備員にあげるためだったという。

 娘とヘンリー王子が交際するようになってから、インタビューの申し込みが殺到し、巨額の報酬をオファーされたが、「すべて断ってきた」。

 今回、写真代理店からアプローチを受け、自分のこれまでのイメージを向上させるためにオファーを承諾した。出来上がった写真は「愚かで、大げさに見える」とは思ったが、代理店に言われるがままにしたという。ただ、今となっては「深く後悔している」。

 数日前に心臓発作に苦しみ、入院したが、結婚式に出るために退院したというトーマスさんは、王室や娘に迷惑をかけたくないので、結婚式には出席しない意向を述べた。

 「やらせ」写真の撮影に応じたトーマスさんへの批判が高まる中、メーガンさんの異母姉妹にあたるサマンサ・マークルさんはツイッターで、「父の前向きなイメージを伝えたい」と思い、写真撮影を父に提案したとつぶやいた。「こんな風に利用されるとは思わなかった。お金が目的ではなかった」。

 また、テレビ番組「グッドモーニング・ブリテン」に出演したサマンサさんは、トーマスさんが心臓発作に襲われたのはストレスによるものと発言。「メディアは父のイメージを捻じ曲げた」、父には「事実を正す、道徳的権利がある」と述べた。

 サマンサさんは、トーマスさんが式に出席することを望んでいるという。

 BBCの王室担当記者ジョニー・ダイモンド氏は先の記事の中で、メディアからの強い圧力がかかったトーマスさんは「故意にかあるいは偶然にも」写真代理店の悪徳商法につかまってしまった、と書く。

 王室の一員であることは、メディアの大きな注目の的になることを意味する。「こんな世界にメーガン・マークルさんは入ってゆく」。今回の一連の写真は非常に無礼で、タイミングが最悪の「始まり」となった、と書いた。

マークルさんとの「蜜月状態」は、いつかは終わる

 英ガーディアン紙のコラムニスト、ゾーイ・ウィリアムズ氏は「メーガン・マークルさんの父親に対する、大衆紙の集中取材は、これからやってくる悪用への警告だ」と題するコラムを書いた(5月9日付)。

 英国のパパラッチたちにとって、王室に入る娘を持つ「普通のお父さん」の日常生活はまるで天からの贈り物のような存在だったという。トーマスさんの一挙一動が、ニュースになり得たからだ。トーマスさんの私生活を追いかけるパパラッチたちの「言い訳」は、「何も悪いことをしていないんだったら、撮ってもいいじゃないか」、だった。

 娘のマークルさんと英メディアは今のところ、「蜜月状態」にあるという。この時点で、マークルさんの私生活を暴くような写真、例えばスポーツクラブでトレーニングをする写真を掲載したりはしない。

 しかし、そんな期間は永遠には続かない、とウィリアムズ氏は言う。「メディアはマークルさんのことは、何でも知っている」、「親戚の行動すべてをカメラで撮影している」。5年もしたら、マークルさんが「召使に声を荒げた」、「夫を連れずにクラブに遊びに行き、夜中に帰ってきた」ことなどが報道されるようになるかもしれない。スリムな体形を保っているマークルさんを「友達」が(やせすぎではないかと)「心配している」というコメントが出るかもしれないのだ。

 切っても切れないのが、英王室とメディア報道。トーマスさんは、娘とヘンリー王子についてあらゆることを知りたがる執拗なメディアの最初の犠牲者になったのではないだろうか。

 パパラッチと協力しながら写真撮影をしたこと自体が悪いとは言えないが、一見「作り物」であることが分からない写真だった。このため、トーマスさんの誠実さに疑問符が付いてしまった。

 また、パパラッチとともにトーマスさんがどれほどの報酬を得たのかは不明で、「報酬が主目的ではない」という説明は本音だろうが、「前向きのイメージを出したかった」などの事情を知らない多くの人にとって「お金目当て」に見えたことは失敗だった。

 英国のメディアを観察してきた筆者からすると、過熱取材に慣れていない人物(トーマスさん)の弱みに付け込んだ事件だったように思う。

 筆者はこれまで、女優だったマークルさんとヘンリー王子との結婚話をまぶしいような、華やかな話として捉えてきた。

 しかし、トーマスさんの話には胸が痛んだ。自分の父親が自分のせいでメディアの過熱取材の対象となったことへの罪悪感で一杯になり、自分を責めるだろう娘の気持ちが想像できるように思ったからだ。

 トーマスさんにしてみれば、娘や王室のために「良かれ」と思って計画した写真撮影が裏目に出て、かえって迷惑をかけることになったこと、結婚式に出席しないという苦渋の選択を取らざるを得なくなったことは、悔やんでも悔やみきれない事態に違いない。

 トーマスさんも、マークルさんも、今は断腸の思いだろう。

 (15日時点の補足:この後、娘からの支援のメッセージを受けとったトーマスさんは、「やっぱり出席します」と心変わりをしたという。しかし、心臓手術を受けることになり、現状では行けなくなった模様だ。)


by polimediauk | 2018-05-15 21:51 | 英国事情

 英国のヘンリー王子とメーガン・マークルさんの結婚まで、いよいよあと数日となった。

 19日の挙式から1週間前の土曜日となる12日、筆者はウィンザー城と周辺の商店街に足を運んでみた。

 ウィンザー城を訪ねるには、ロンドンの中心部から行く場合、まずパディントン駅からグレートウェスタン鉄道でスラウ(Slough)駅まで電車に乗る。スラウから1駅でウィンザー&イートン・セントラル駅へ。このほかに、ウオータールー駅からサウスウェスタン鉄道でウィンザー&イートン・リバーサイド駅に行く方法もある。

 筆者は、前者の方法で行ってみることにした。電車に乗ったのは曇り空の日だったが、午前10時過ぎ、スラウからウィンザー&イートン・セントラル駅までの電車はかなり混んでいた。子供連れの人も多い。筆者のように、「結婚式の前に一目見たい」という人が多いのだろう。

 電車がウィンザー&イートン・セントラル駅に到着し、プラットフォームに降りると、「お知らせ」の掲示板が置かれていた。これによると、19日には数千の規模の人がやってくる見込みで、城内に入るには地元警察による入念なチェックがあるため、時間の余裕をもって来てほしい、ということだった。

プラットフォームにあった「お知らせ」。数千人規模で訪問者がやってくると予想(筆者撮影)
プラットフォームにあった「お知らせ」。数千人規模で訪問者がやってくると予想(筆者撮影)
駅のお土産屋はヘンリー王子とマークルさんのグッズで一杯(筆者撮影)
駅のお土産屋はヘンリー王子とマークルさんのグッズで一杯(筆者撮影)

 駅を出てから、城に向かう人々の後ろについて歩いていった。

 ウィンザー城に入るためのチケットを買うために並ぶ人々の列があり、筆者も並んでみた。こちらの列にいる人は少しずつ前進していたが、道の両端に並び、動かない人々もいた。「?」と思っていたが、しばらくすると歓声が聞こえた。午前11時は衛兵の交代の時間で、道の両側にいた人たちはこれを見ることが目的だったのだ。

午前11時の衛兵交代の儀式を見逃した(筆者撮影)
午前11時の衛兵交代の儀式を見逃した(筆者撮影)

 チケットを買って、空港の検査体制並みに厳しい検査を経て、ようやく城内の探索に向かう。列に並んだ時からここまで来るのに、1時間以上かかってしまった。

チケットを得て中に入ると、すぐに見えてくる光景(筆者撮影)
チケットを得て中に入ると、すぐに見えてくる光景(筆者撮影)
芝生部分は野外パーティー用のテントが準備されていた(筆者撮影)
芝生部分は野外パーティー用のテントが準備されていた(筆者撮影)

 敷地内に入ると、結婚式に向けた準備があちこちで進んでいた。芝生の一部に野外パーティー用のテントができており、テレビ局が放送用の太いケーブルをセッティングしていた。

兵士がここから外敵に銃を放った(筆者撮影)
兵士がここから外敵に銃を放った(筆者撮影)

 ウィンザー城には他の観光地同様に音声で城内の説明を聞くための携帯器具が用意されており、筆者は日本語版を借りたが、これが1人で歩き回るのに非常に都合が良い。スマホ形式になっていて、画面上で聞きたい部分をタッチしながら説明を聞き、ウィンザー城の過去と現在を学ぶことが出来た。

ウィンザー城とは

「ウィンザー城」は、英国ではどんな位置にあるのだろうか。

 英王室の宮殿の中で、最も有名なのはバッキンガム宮殿。これはエリザベス女王の公邸で、原則、月曜から金曜まで女王はここにいる。ウィンザー城は週末を過ごす公邸だ。ロンドンの中心部から西34キロメートルの位置にある。

 元々は、11世紀にウィリアム1世が作った砦だった。それがその後何世紀もの間に石造りの建造物として建設され、時には一部が取り壊されたり、再建されたりして現在に至っている。

 城内は上郭(アッパー・ウォード)、中郭(ミドル・ウォード)、下郭(ロー・ウォード)の3つの部分に分けられる。

 約4万5000平方メートルの床面積を持ち、部屋数は951。公式晩さん会が開催される聖ジョージ・ホールには最大で160人の席を設けることが可能だという。

 一般市民に公開されるようになったのは1840年代、ビクトリア女王の時代だ。19世紀後半までに年間約6万人の見学者が訪れるようになった。1830年代後半にグレートウェスタン鉄道が開通し、ウィンザーはロンドンから日帰りできる距離となったため、1842年からは女王自身もロンドンとウィンザーの行き来に鉄道を利用し始めるようになった。

 ウィンザー城と言えば、1992年の火災を思い出す方もいらっしゃるかもしれない。

 音声によるガイドは、どこが火災の被害に遭ったのかを教えてくれるが、その1つは「ステート・アパートメント」の中にある、「接待の大広間(グランド・レセプション・ルーム)」だ。漆喰の天井が焼け落ち、壁が著しく損傷を受けた。水の被害も受け、シャンデリアも破損した。

 室内には、大きな緑色の壺(「クジャク石の壺」)が置かれている。1839年にロシア皇帝ニコライ1世からビクトリア女王に送られたもので、重さは200キロはあるという。火災時、消火に使った水がお湯となって中を満たし、クジャク石張りの表面の大部分がはげ落ちた。その修復には時間がかかったが、今ではなんの被害もなかったかのような姿になっている。

 室内の金箔は一新され、ピカピカだ。床は寄せ木細工でできており、火災で焦げてしまった。そこでどうしたかというと、焦げた部分の板をひっくり返してはめ込んだという。

聖ジョージ礼拝堂とは

 ヘンリー王子とマークルさんの挙式が行われるのが、聖ジョージ礼拝堂。

 中の撮影は許されていないが、見どころの一つは支柱が床から天井に扇形に延びる内装だ。天井の装飾が良く見えるように、鏡も置かれている。

 ここにはエリザベス女王の祖父母にあたるジョージ5世、メアリー王妃の記念碑があり、両親ジョージ6世とエリザベス皇太后、それに妹のマーガレット王女の遺体もここに収納されている。

 礼拝堂はヘンリー王子が洗礼を受けた場所であり、復活祭(イースター)のミサには王室一家が参加する場所でもある。王子にとっては、新しい家族の一員を迎えるためにもっともふさわしい場所だったに違いない。

聖ジョージ礼拝堂の外観(筆者撮影)
聖ジョージ礼拝堂の外観(筆者撮影)
聖ジョージ礼拝堂のこの入り口から参列者が入る模様(筆者撮影)
聖ジョージ礼拝堂のこの入り口から参列者が入る模様(筆者撮影)
礼拝堂から出てきた時に目に入る光景(筆者撮影)
礼拝堂から出てきた時に目に入る光景(筆者撮影)

 城内の見学を終えて外に出る前にお土産屋に寄ってみると、ヘンリー王子とマークルさんの結婚を祝う様々なお土産のコーナーがあった。

城内のお土産屋にも洗練された記念のお土産が一杯(筆者撮影)
城内のお土産屋にも洗練された記念のお土産が一杯(筆者撮影)

 

 結婚式の当日は開いているのかと聞いてみると、店員は「閉まっている。水曜日から休みになるわ。準備がものすごく、大変だから」という。結婚式の翌日(日曜日)も休みになるという。

 最後に、衛兵の動きを見る機会があった。数歩歩いて「カチリ」と足を合わせて方向を変え、歩く。その後にまた「カチリ」とやって、逆の方向に歩き出す。これを数回繰り返した。最後まで見ていたのは筆者だけだったので、「グッド・ワーク!」と声をかけてみた。チラリとこちらを見てくれた。

衛兵の動きをやっとキャッチ(筆者撮影)
衛兵の動きをやっとキャッチ(筆者撮影)
最後の姿(筆者撮影)
最後の姿(筆者撮影)

街の様子は

 

 ウィンザー城を出て、改めて後ろを振り返る。チケット売り場に続く道には頑丈な防御壁が作られており、不審な人が警備の目を逃れて敷地に入らないような工夫がされていた。

城の外側には頑丈な防御壁が(筆者撮影)
城の外側には頑丈な防御壁が(筆者撮影)

 城の向かい側にある商店街には旗がひらめく。商店街の真向かいにはビクトリア女王の像が立っている。

商店街に向かって立つ、ビクトリア女王の姿(筆者撮影)
商店街に向かって立つ、ビクトリア女王の姿(筆者撮影)
雨降りの中、商店街を訪れる人々(筆者撮影)
雨降りの中、商店街を訪れる人々(筆者撮影)

 商店街のあちこちは、結婚を祝う飾り付けで一杯だった。

商店街の八百屋にヘンリー王子とマークルさん(筆者撮影)
商店街の八百屋にヘンリー王子とマークルさん(筆者撮影)
文房具店の軒先に立つ、あの2人の看板(筆者撮影)
文房具店の軒先に立つ、あの2人の看板(筆者撮影)

当日の予定

 19日はどのような予定で進んでいくのだろうか。

 午前9時半から11時までの間に、挙式の一般参列者が「サウスゲイト」の入り口から聖ジョージ礼拝堂に入る。

 午前11時20分。王室のメンバーが「ガリレー・ポーチ」と呼ばれる、礼拝堂の東の端に集まる。

 午前11時45分。ヘンリー王子と兄のウィリアム王子(ケンブリッジ公爵)が聖ジョージ礼拝堂の「ウェスト・ステップス」(西側階段)に到着する。敷地内に招待された一般市民約1200人とウィンザー城の職員などが並ぶ中を通って、ここまでやってくるかもしれない。

 11時55分。エリザベス女王がガリレー・ポーチにいる他の王室のメンバーに加わる。

 11時59分。マークルさんが花嫁付添人等と共にウェスト・ステップスに車で到着。ここに来るまでに、マークルさんと母親ドリア・ラグランドさんを乗せた車はウィンザーの「ロング・ウォーク」と呼ばれる道を通ってくる見込み。車がお城についた時点で母が車から降り、代わりに花嫁付添人たちが乗る。ラグランドさんはガリレー・ポーチから礼拝堂に入る。同じ頃、マークルさんの父トーマス・マークルさんが礼拝堂に入り、挙式の前に娘の姿を見る機会が設けられる。(補足:15日時点で、父親は出席しない可能性が出てきた。)

 正午。カンタベリー大司教、ウィンザー城の首席司祭、約600人の参列者を入れた挙式の儀式が始まる。メイ首相やコービン労働党党首は招待されていないという。

 この参列者のほかに、「ゲスト」の一般市民とウィンザー城の職員らの合計約2000人が敷地内に入っており、聖ジョージ礼拝堂への2人の出入りを生で見ることが出来る。

 午後1時。儀式が終了。ヘンリー王子とマークルさんがウェスト・ステップに姿を見せる。

 1時5分。2人は、フロントシート部は屋根付きで、リアシート部分だけがオープントップになっている乗用車「アスコット・ランドーレット」に乗り込み、商店街、シート・ストリート、キングス・ロード、アルバート・ロード、ロング・ウォークを通り抜ける。所要時間は25分を想定。

 1時半過ぎ。式の参列者600人はエリザベス女王主催の聖ジョージ・ホールでの祝宴を楽しむ。ヘンリー王子とマークルさんも後、参加。マークルさんはこの時に、スピーチをするとも言われている。

 結婚式のケーキは米カリフォルニア生まれのクレア・プタクさんが作るもので、レモンとエルダーフラワーを使うという。

 花はロンドンで生花店を経営するフィリッパ・クラドックさんが担当。

 公式写真家はヘンリー王子とマークルさんの婚約発表の際の写真を撮った、英国生まれで米国に住むアレクシー・ルボミルスキー氏。

 3時半。ゲストが聖ジョージ・ホールを去る。

 7時。チャールズ皇太子主催の晩さん会がウィンザー城から1-2キロにあるフログモア・ハウスで開催され、ヘンリー王子、マークルさん、先の600人にさらに200人(人気グループ「スパイス・ガールズ」の元メンバーを含む)を加えたゲストが集まる。

 結婚式にかかわる費用は、すべて英王室が負担する。

 ハネムーンがどこになるかは公表されていないが、結婚から1週間後には新たな王室のカップルとして、公式業務を開始するという。

一目見ようと巨額を払う人たちも?

 結婚したばかりの王子とマークルさんに声援を送りたい、その姿を目にしたいと思うのは、誰でも同じだろう。

 5月12日付のデイリー・テレグラフ紙は、「スリー・タンズ」というパブが「ザ・プリンス・ハリー」(ハリーとはヘンリー王子の愛称)と名前を変えるとリポートしている。近隣のホテルの部屋はメディアの間で取り合いとなり、一晩600ポンド(約8万8000円)、あるいは1700ポンド(約25万円)にまで値上げしたという噂話が紹介されている。

 当日、ウィンザーはごった返しそうだ。それでも、生の姿を見たい、興奮を共有したい人はウィンザーに向かうだろう。

 多くの国民は、当日はテレビの生放送を視聴しながらソーシャルメディアで情報を共有しあい、翌日は新聞で大々的に報道される記事を読んだり、カメラマンが競って撮影した写真をじっくりと眺めたり・・・ということになりそうだ。同時に、「マークルさん効果」で、マークルさんが身に着けたウェディングドレスや指輪、結婚式で使われた花、ケーキへの注文も殺到するに違いない。

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参考

Royal wedding 2018: Prince Harry and Meghan Markle's plans


by polimediauk | 2018-05-14 17:00 | 英国事情