小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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カテゴリ:英国事情( 193 )

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(デイリーミラー紙23日付に掲載された、実行犯とみられる人物が警察に押さえつけられた場面。左端の警察官は実行犯が使ったナイフを右足で踏んだ格好となっている。)

 ロンドンのウェストミンスター議事堂(日本の国会議事堂にあたる)付近で、22日午後、テロ事件が発生した。

 23日朝現在までに、5人が死亡し、40人が負傷している。

 これまでの事情については様々な記事が出ているが、

 -今回のテロで「ローン・ウルフ(一匹狼的)アタッカー」が、ローテク(爆弾や銃などではなく、車を使う)によってテロを起こすという、欧州で発生した最近のテロのトレンドについて、東洋経済オンラインに寄稿している。(以下タイトルをクリックすると、記事が出ます。)


 -2005年のロンドンテロと比較して、どこが変わったのか、雰囲気はどうかなど個人的な印象を、BLOGOSに寄稿している。


 もしよかったら、見ていただけると幸いである。

 23日付の新聞を買ってみると、どれもテロがトップになっているが、実行犯と思われる人物の写真をいくつかの大衆紙は1面で報じていた(右端写真の横になってる男性)。ただし、この人物が本当にそうなのかどうかは分からない。「誤報」である可能性もある。

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 ロンドン警視庁は、「国際的なイスラム過激組織にインスパイアされた」犯行としているが、実行犯の身元情報を公表していない。

 夜が明けた今日、昨日途中で停止された議会が議事を進める予定である。

―日本大使館からのメール

 23日、ロンドンの日本大使館から送られてきたメールは以下。

ロンドン中心部(ウエストミンスター)におけるテロ事件の発生【更新】

在英国日本大使館
平成29年3月23日

1 3月22日14時50分頃,ロンドン市内ウェストミンスター橋の歩道を車両が暴走して多数の通行人を轢き,その後ナイフを持った男が英議会下院への侵入を試み警官1名を刺殺する事件が発生しました。警察当局の発表によると,この事件により,少なくとも犯人を含む5名が死亡,40名が負傷したとされています。なお,犯人1名は現場で警察官に射殺されています。
 英国当局は,本事件は犯人が国際テロリズムに触発されたという想定で捜査を進め,また,テロの脅威度「深刻(severe)」(5段階中2番目に高い)を継続する,今後数日間,ロンドン市内をはじめ全国で武装・非武装の警察官を多く配置するとしています。
 皆様におかれては,引き続きニュース等で関連の最新情報の入手に努めていただきつつ,外出時には周囲の状況に注意を払い,不審な人物や状況を察知したら速やかにその場を離れる等,安全確保に十分注意して下さい。

2 3月23日付で外務省海外安全ホームページに英国に対するスポット情報が発出されましたのでお知らせ致します。
【スポット情報】英国:ロンドンにおける英議会下院及び周辺でのテロ事件発生に伴う注意喚起
(PC)==> http://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcspotinfo_2017C057.html
(携帯)==> http://m.anzen.mofa.go.jp/mblatestspecificspotinfo.asp?infocode=2017C057

3 本テロ事件の影響で現場付近への立ち入りが制限されています。暫くの間は,現場付近には近づかないようにして下さい。
*ロンドン市内の交通情報については,ロンドン交通局のホームページ(以下)等から入手できます。
【ロンドン交通局HP】https://tfl.gov.uk/traffic/status/?disruptionIds=TIMS-154737





 



by polimediauk | 2017-03-23 18:20 | 英国事情
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(ロンドン漱石記念館と恒松館長 記念館提供)

 『坊ちゃん』、『吾輩は猫である』、『こころ』、『明暗』などの小説で知られる文豪夏目漱石(1867-1916年、本名:夏目金之助)が、今から116年前にロンドンに留学していたことをみなさんはご存じだろうか。

 漱石は帝国大学(現東京大学)英文科を卒業した後、英語の教師となり、高等師範学校や愛媛県尋常中学校に赴任。その後熊本の第五高等学校で教えていたところ、文部省から英語教育法研究のために英国留学を命じられた。英国留学生の第1号だ。1900年秋の渡航当時は33歳。すでに結婚しており、1歳になる長女がいた。帰国に向かったのは1902年12月。2年余りの留学生活だった。

 当初はユニバーシティー・カレッジ・ロンドンで英文学の授業を聴講していたが間もなく行かなくなり、英文化、英文学の研究に没頭するようになる。

 在英中、漱石は下宿を5回変えている。最後の下宿の真向かいの住宅を自費で買い上げ、1984年に「ロンドン漱石記念館」をオープンしたのは漱石研究家として知られる恒松郁生さんだ。漱石について書かれた書籍、漱石が留学中に読んだと思われる雑誌、購入した本、文部省からの辞令のコピーなど、漱石のロンドン滞在にまつわる様々な資料や写真で一杯だ。

 漱石にとってロンドンの生活は文学の道に進むための大きな転機になったといわれている。

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(皇太子さまも以前に訪れたことがある)

 過去32年間、記念館は漱石研究者やファンにとって欠かせない場所となってきた。しかし、来月からは事情が変わる。少額の入館料を取るものの、運営費・維持費、さらにはもともとの資料集めをすべて手弁当でやってきた恒松さんは、9月末で、記念館を閉めることにしたという。今年は漱石没後100年に当たり、一つの区切りとなりそうだ。

 毎週水曜と土日に開館してきたため、最終日は28日になる。ロンドン近辺にいらっしゃる方はぜひ、足を運んでみていただきたい。

 漱石の小説を読んだことがある人であれば、作品のイメージが広がる資料が見つかりそうだ。また、題名しか知らない人も、あるいは題名さえ知らない人でも(!)、「外国=英国」+「日本人」について考えるきっかけになるかもしれない。

「ブループラーク」を得た初めての日本人

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(「ブループラーク」がついている最後の下宿)

 筆者はこれまでにも何度か記念館を訪れたことがあったが、いよいよ閉館がまじかに迫り、あらためて行ってみることにした。

 クラパムジャンクション(Clapham Junction)という駅で降りて、10分強歩く。やや遠いように感じるかもしれないが、漱石もこの道を歩いたのかなと思うと感慨深く、時間はあっという間に過ぎる。

 「ザ・チェイス」という通りに至り、「80A」というビルを探す。現在は改修中で梯子などがかかっていた。よく見ると、壁の一部に「ブループラーク」が掲げられている。著名人の住居を示す印で、日本人でこのプラークが付けられたのは、漱石が初めてだ。

 80Aのビルの真向かいにあるのが漱石記念館(80B)になる。ブザーを押してドアを開けてもらい、中に入る。

 恒松さんは現在、熊本市にある崇城(そうじょう)大学の教授をしているため、ロンドンで記念館を運営しているのは妻の芳子さんだ。

 芳子さんに入館料4ポンドを払い、暖炉の上にある大きな夏目漱石の肖像画やガラスケースに入っている資料を順繰りに見てゆく。英語と日本語で説明が入っている。開館後間もなく、皇太子さまが訪れたという。壁に貼られている過去の新聞記事(日本語)や資料を読みながら、漱石がどんな生活をしていたのが分かるようになっている。

 ちょうど来館者が数人いて、芳子さんに漱石滞在当時の話を聞いている。資料について、あるいは漱石の人生について館長や芳子さんからさまざまな話が聞けるのも記念館のだいご味だった。

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(「イラストレーテッド・ロンドン・ニュース」が置かれている)

 図書室のようになっているコーナーにあったのが、当時漱石が目を通したかもしれない雑誌の数々、例えば「イラストレーテッド・ロンドン・ニュース」など。このような資料を実際に手に取り、ページをめくることができる。
 
100年以上前の実際の雑誌や漱石が読んだ書籍を集めるには、相当の熱意と投資が必要だったに違ない。熱意の度合いは恒松さんの探偵を思わせる調査力にも如実だ。漱石がダリッジ美術館のビジターブックに残したオリジナルの署名を発見したり、個人授業を受けたクレイグ先生のアパートを突き止めたりー。貴重な事実・資料を次々と見つけていった。

ロンドンで奮闘する漱石に自分を重ね合わせる

 何が恒松さんを突き動かしたのか?

 恒松さんは鹿児島県出身。桜美林大学文学部の英米文学科を卒業後、英国に渡ったのが1974年。ホテルマンとして働きながら、大学で勉強もしていた。

 漱石と出会うのはこの頃だ。自伝とも言える『こちらロンドン漱石記念館』(中公文庫)によると、恒松さんは最初から英国生活にすぐになじめたわけではなかったようだ。

 渡英後1年もたっていない、ある秋の日。授業についていけず、教室を抜け出す。ロンドン塔まで歩いたが、来ていたコートのポケットにはなぜか漱石の『倫敦(ろんどん)塔』の文庫版が入っていた。

 歩き疲れてベンチに座り、漱石の本を読み始めたー。そして、何と漱石自身が最初からロンドンになじんでいたわけではないことを知る。

 漱石はロンドン市内に出て、方角がよくわからず、「どこに連れて行かれるか分からない」という思いを抱く。「まるで御殿場のうさぎが日本橋の真ん中に放り出されたような心持ちに」なった。

 この時、恒松さんは「漱石の気持と、落ち込んでいた自分の気持ちが相通じたような気がした。大文豪夏目漱石ではなく、一留学生夏目金之助に触れたような思いだった」と書いている。

「自分と同じような心境にあった、おどおどした、非常に孤独な」一人の人間「夏目金之助に共感を覚えた」恒松さんは、このときから、ロンドンで暮らした漱石のことを調べてみようという気持ちになった。

 そして、漱石のいくつかの下宿が実際にどこにあったのかを調べる仕事に着手してゆく。

 筆者が「ロンドン」+「漱石」に惹かれてしまう原点も、実はここにある。

 筆者はロンドン塔で『倫敦塔』を読んだわけではないが、外国で暮らす人は誰しも、一種の心細さを感じたり、自分とは何かを問うときがあるものである。

 自国では当たり前のように得られる治安の良さ、家族や友人による支援ネットワーク、「言わなくてもわかってくれることへの了解」などがすべて吹っ飛んでしまう。すべてがチャラになる。ではいったいどうやって生きていくのかーー誰もが自分なりに答えを出す必要に迫られる。

 決して多くはなかった留学費、家族とは遠く離れ、英国人の友人を作れないままの生活ーそんな漱石は文学の研究をすることで、彼なりの何かを掴んで帰国する。

恒松さんのその後

 恒松さんは旅行会社を経営するようになり、大英博物館の前で古書を扱う書店業も営んだ。ビジネスに携わる一方で、漱石の研究を同時に続けた。漱石についての研究本や作品の英訳本を出版した。漱石と同時期にロンドンにいた画家牧野義雄についての研究もするようになった。恒松さんは牧野を「発見した」人物である。

 数年前からは崇城大学で教鞭をとっているが、執筆業は依然として続けている。ロンドンのマークス古書店と米作家へレーン・ハンフの交流を記録した『チャリング・クロス84番地』(中公文庫)という本があったが、2013年、恒松さんはハンフのロンドン訪問記を『続・チャリング・クロス街84番地』(雄山閣)として訳出した。本の中で紹介されている場所や建物を訪ね、写真をたくさん入れた、恒松さんらしい本となった。

 記念館の閉館で、資料はいったん恒松家に収納されるという。

 一般の人が訪れることができるスペースが消えてしまうのは残念だ。常設スペースを作るための支援ができないものだろうか。

ドキュメンタリー映画も

 一方、漱石の足跡を約半世紀も研究してきた恒松さんのドキュメンタリー映画の撮影が進行している。監督は「インパール1944」(2014年)や「杉原千畝を繋いだ命の物語」(2016年)などの作品がある、在英の梶岡潤一氏だ。

 公開は来年夏の予定という。

開館時間(最終日):11:00~17:00 (最終入場は16:30)
入館料:大人£4 / 学生£3(要学生証提示)
80B The Chase, London SW4 0NG


by polimediauk | 2016-09-26 16:46 | 英国事情

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(「ベイク・オフ」宣伝用写真――テレグラフ紙、8月17日付)

 開催中に注目されたトピックの1つが選手同士の公開プロポーズだった。男性が女性に公の場でプロポーズした場合、性差別的な意味合いが出るという論調が英国であり、これを先日、記事化した。

リオ五輪でプロポーズが大流行 「ロマンチック」か「女性蔑視」か

中国人男子選手が女子選手のメダル受賞の場を使って公式にプロポーズしたことで、この女性選手をプロフェッショナルな業績を成し遂げた人物という存在から、「俺の女」という枠組みの中に入れて矮小化させてしまった、と指摘した人たちが英国にいた。

しかし、英国内でもそして日本でも、「そこまで考えることはないのでは?」という声が強かったようだ。特に、同性同士の公開プロポーズも同時に行われたことで、「男性対女性」、「女性差別」という視点から見る傾向は薄れてきたと思う。

ただ、英国には日本からすると驚くほど性差別(および人種差別や信仰差別)に対して敏感な人がおり、これが大きく報道されることは珍しくない。

BBCが慌てた「ベイク・オフ」の例

例えば、最近、大汗をかいたのが英BBCだ。

BBCにはケーキやパンなど焼くベーキングのスキルを競う、超人気娯楽番組「グレート・ブリティッシュ・ベイク・オフ」がある。

新しいシリーズが始まるので宣伝用の資料を作ったところ、男性出演者が抱えている容器に入ったアイシング(甘いペースト状のクリーム)がブルー、女性がピンクだったことでクレームがついた。男性だからブルー、女性だからピンクというのが性差別的だ、というのである。

「ベイク・オフ」は応募した一般の市民が参加する。番組には男性も女性も参加し、性差別がないことを楽しんできたという番組のあるファンは、ツイッターで「男性がブルーで女性がピンク?頭に来るわ」とつぶやいた。

「この番組は性によるステレオタイプがない番組のはずなのに、なぜ?」と別の人がつぶやく。「男性だからブルー、女性だからピンクなんて。馬鹿げている」。

野党・自由民主党の議員さえも「番組を楽しみにしている。だが、女性にはピンク、男性にはブルーと言うのは止めたほうがいいな」とツイートした。

BBCは間もなくして、アイシングの色を変えた。左の男性のアイシングは黄緑、女性は紫、右側の男性は緑だ。

なぜ、男性=ブルー、女性=ピンク、だとだめなのか?不思議に思われる方もいるかもしれない。

その理由は、性によるステレオタイプ化、役割の固定化になっているためで、これを不快に思う人がいる、ということだ。「男性だからこれ、女性だからあれ」、とステレオタイプ化してしまうと、最終的には性差別につながる可能性がある、と見る。

例えば「学級委員長には男子、副委員長には女子で決まりだね」、「男性は外で働く、女性は家にいるもの」、「男性には重要な仕事が任せられるが、女性はそうではない」などといった考えにつながりやすい、とされている。

もちろん、逆に「男の子だから、料理じゃなくて、工作をやろうね」、「男だから我慢しなさい」など、男子への圧力となる場合もある。

性に縛られず、一人一人として生きることー。これが理想的な形として認識されている。

といっても、あくまで「理想」である。現実はなかなかそうはいかない。男性と女性は体のつくりも違うし、性に縛られないように…と言われても意識が十分には付いていかない。

差別(性、人種、信仰、年齢層なども)をなくするには、該当者以外には意識しにくい差別を何らかの形で可視化する必要があるだろう。

性差別を記録するサイト

 そこで紹介したいのが、「日常の性差別」(everyday sexism)と言う名前のウェブサイトだ。日々、誰しもが経験する性差別を記録している。

日本語

英語

ツイッター(フォロワーは25万人を超える)

2012年に作家ローラ・ベイツさんが立ち上げたサイトへの投稿は、ウェブサイトから事例を報告するか、サイトの責任者に電子メールを送る、あるいはツイッターを使う方法がある。報告者は実名、仮名のどちらも選択できる。

英語版を開くと、利用者から寄せられた実例で一杯だ。

「アメリカの大学にいた時、図書館にいたら、隣に男性が座った。男性はマスタべ―ションを始めた」。男性をどかさないと動けない状態にいたこの女性は出るに出られず、時を過ごす。男性が出て行った後、女性は呆然とする。「いったい自分の何がいけないのか」。

「1年前から海外でボーイフレンドと暮らしている。家に電話を入れて父と話すと、必ず『ボーイフレンドはちゃんと面倒を見てくれているかい?』と聞かれるわ。娘の身を心配しているからそう言うのだろうけど、海外に住んで4年目だし、博士号も持っている。自分で自分の面倒は見れると思うけど」

「一ヶ月ぐらい前に、30歳ぐらいの男性に付け回けされた。『君の笑顔が僕と性行為をしたいと言っているからだよ』と言われた。私はまだ15歳なのに!」

「男性上司が私に性差別をしているというと、みんなが『過剰反応はするな』と言う。『体を触られた』と言えば、今度は『お前がそうさせたんだろう』って言われるのよ」

「今日学校の地理の授業で、ポスターを作ることになり、文具を取り出して作ろうとしていたら、女性の先生に『ハンナにやらせてね。男の子はポスターを作れないんだから』と言われた。男性だから、飾るものを作る作業ができないっていうこと?返事さえしなかったよ。いつもこんなことがあるよ」

その人の性によって他者に不当な言動をされた、扱われたと感じた事例が続々とつづられている。そのほとんどが女性に対する差別あるいは不当と本人が感じた例だ。

サイトの目的は「女性たちが毎日経験する性差別の事例を集めること」。

「ひどい差別、ごくわずかな差別」、すでに日常化して「抗議しようとさえ思わない」差別などすべてを対象とする。記録に残し、その体験を共有することで、「性差別が存在すること、女性が毎日直面していること、議論するに値する問題であること」を世界中に示すことを狙う。

「自分に何か落ち度があるのか」と悩む

ベイツさんはケンブリッジ大学を卒業後、ロンドンで女優業を始めたが、性の対象としてのみ女性を描く脚本やコマーシャルなどに失望。プライベートでもバスの中で体を触られたり、自宅までの道を男性に追跡されたりなどのいやな経験をした。「自分に何か落ち度があるのだろうか?」と悩むようになったという。

他の女性も同様の経験をしているのかどうかを探るためにサイトを立ち上げた。「100人位の女性から投稿があるかもしれない」と思っていたところ、インド、ブラジル、ドイツ、メキシコ、フランス、米国、ロシア・・・世界各国の女性たちが続々と報告を送ってきた。最初の1年で投稿数は2万5000を超えた。

ベイツさんは地元英国のメディアのみならず、中東、南アフリカ、カナダなどさまざまな海外メディアの取材を受けるようになった。

反響の大きさはベイツさんにとって「予期しなかったこと」だったが、ほかにも予想外のことがあった。それは個人攻撃のメッセージだった。

サイト立ち上げから間もない頃、ベイツさんは「お前たちが性差別を受けるのは女性が男性に比べて劣る存在だからだ。男性が性行為をするために女性はいるんだ」と書かれたメールを受け取った(英ガーディアン紙、2013年4月16日付)。メールの最後には「殺すぞ」とあった。

衝撃を受けたベイツさんだったが、サイトの管理を手伝ってくれるボランティアの仲間たちやほかの女性たちから助言や励ましを受け、落ち込みを乗り越えたという。2014年には、投稿を1冊の本にまとめている。

性的嫌がらせ(セクシャル・ハラスメント=セクハラ)」と言う米国発の言葉・概念が日本に渡ってきて久しい。当初は「セクハラ=女性に対する性的嫌がらせ」と受け止められていたが、現在では男性と女性のどちらの性も嫌がらせを受ける側、あるいは嫌がらせを行う側になり得ることが認識されるようになった。

性差別やセクハラはしてはいけないことーこの認識は広まったものの、性を理由に不当な扱いを受ける状況が解消されたわけではない。「日常の性差別」のサイトが、あえて「日常の」とつけたのは私たちの日常生活で性差別が普通に発生していることを気づかせるためだった。

ベイツさんのサイトにはこんな表現がある。「下院で女性の国会議員に対して無礼な言動があったと、女性が不満を口にしたとしよう。『過剰反応だよ』といわれるのが落ちだ」。また、「メディアが女性を性的対象として報道していると指摘すれば、『しらけることを言うなよ』といわれてしまう」。サイトの存在意義はまだありそうだ。

(記事の一部に読売オンライン「欧州メディアウオッチ」=2014年9月2日掲載=の筆者記事の情報を使いました。)


by polimediauk | 2016-08-19 21:30 | 英国事情
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投票結果が出た後のTake Back the Cityのメンバーたち(フェイスブックのサイトから)

市長選・市議選が終わっても運動は続く

 5月5日、英国各地で地方選挙が行われた。ロンドンでは市長選と市議選になる。

 規制の政党には頼らず、市民一人一人の声を市政に反映させるために立ち上げられたのが草の根グループ「Take Back the City」(「都市を取り戻せ」)。「都市」とは貧富の差が激しいロンドンを指す。

 ロンドン市議選に向けて、Take Back the City は父がケニア人、母がフィリピン人のアミナ・ギチンガ氏(26歳)を候補者として立てた。ギチンガ氏の仕事はフリーランスの合唱の先生だが、選挙期間中は仕事を休んで選挙戦に集中した。

 選挙直前と直後の様子を伝えたい。

「怒りに体が震えた」

 4月28日。投票日の1週間前となった。ロンドン東部ホワイト・チャペルのオスマニ・センターで、Take Back the Cityによる投票日前の最後のイベントが開催された。

 午後7時開催のイベント会場には、6時半過ぎまでに70席ほどの椅子が並べられていた。受付の右側にはTake Back the Cityのパンフレットが並べられ、左側にはジュースやお水、フライドチキン、ケーキ、ピーナッツの焼き菓子などが並べられている。ジュースはフルーツジュースのカートンから注ぐだけのものだが、紙コップ一杯で50ペンス(80円ぐらい)。

 ジュースを買って一番前の席に座ると、Take Back the Cityの秘書役のクレアさんが髪をアップにし、ノースリーブのワンピース姿で打ち合わせをしていた。ここ一番!という感じのおしゃれぶりだ。

 ギチンガ氏は後ろの席の近くにいてほかの参加者とおしゃべりをしている。真っ赤な口紅が目立つ。今日はみんなにとって、ハレの日なのだろう。

 来場者の年齢層はバラバラだが、有色人種の割合は70%ほど。白人の老人男女の姿も場内のあちこちで見かけた。

 英国内で最も有色人種の比率が高い場所として知られる自治体タワーハムレッツの中に、ホワイトチャペルはある。ここ一帯はロンドンの「イーストエンド」にあたる。ウェストエンドと言えば、ロンドンの劇場街の代名詞になるほど華やかなイメージがあるが、イーストエンド地域は貧困層と移民層が集中している。

 最前列の椅子の前にはスペースが開けられており、これがステージとして使われるようだった。

 会場内で配られていたのがTake Back the Cityのチラシと「投票しよう!」と表紙に書かれた、A4用紙を二つ折りにして作った小冊子。チラシの裏にはマニフェストの要約が書かれており、小冊子の方にはTake Back the Cityの発足までの経緯や、ギチンガ氏へのインタビュー、「音楽と抵抗について」、「詩のコーナー」などという見出しの記事が載っていた。

 ほんの2週間前まではまとまりのなかったマニフェスト。それをよくここまでまとめたものだと感心していると、後ろからギンチガ氏とグループの核になる数人が手をつないでやってきて、ステージに向かった。クレアさん、ギチンガ氏、前のミーティングで会ったことがあるレベッカさんと数人は、よく学校でやるような、いくつかのフレーズをそれぞれが読む形でTake Back the Cityの詩を披露した。大きな拍手が沸き起こった。

 ギチンガ氏だけがステージに残った。マニフェストが印刷された黄色いチラシを手にしている。「今日は来てくれてありがとう。ここまで来れたのはみんなのおかげよ!」大きな拍手。

 市民の声を反映するため、Take Back the Cityを作ったことや、この1年で75のワークショップを開きながら地域住民、移民たち、有色人種のグループ、労働者階級の学生たち、店子、障がい者、アーチストやパフォーマーたちから、ロンドン市政に期待することを聞き取ってきたと話す。マニフェストづくりに向けて1200もの要望があり、クラウドファンディングで資金を集めたことを報告する。

 なぜTake Back the Cityはギチンガ氏を市議会に送ろうとしているのか?

 ギチンガ氏はある体験を話し出す。市民グループの集合体「ジャスト・スペース」の会議に参加した時のことだ。最大の問題となっている住宅問題をどうするかについて、さまざまなワークショップが開催された。

 その一つに出ていたギチンガ氏は低所得者向け住宅についての意見を述べた。この時、会場にいた白人の男性が、「『私たちが状況をきちんと調べていない、調査が足りないからそう発言している』、と言い出したのよ」。

 カチンときたのはこの男性がギチンガ氏に向かって「テレビばっかり見ているからだろう」と言った時だった。「有色人種の若い女性」=「知的ではない人」という決めつけぶりに、「体が震えるほどの怒りを覚えた」。ギチンガ氏の小さな体から、怒りの熱が伝わってきた。

 「抗議デモに出ているだけではダメ!私もいろいろデモに参加してきたけど、それだけでは十分ではない。ドアを開けて中に入るべき。議論をしている部屋の中に入って、何かを言わなきゃダメなのよ。だから、立候補することにしたんです」。

 Take Back the Cityのマニフェストをギチンガ氏は一つ一つ、読みだした。

 「賃貸料の上昇を抑制する」(家や地域社会から追い出されることがあってはならない)

 「不動産業者、超富豪層、自治体が所有する空き家を低所得者やホームレスに解放する」

 「腐敗し、人種差別主義的なロンドン警視庁を廃止する」

 「ロンドンの最低賃金を自給11ポンドに義務化させる」(11ポンドは約1700円)

 「私立校への税優遇策をなくし、低所得世帯に提供されていた教育維持給付金=EMA=を復活させる」(EMAは政府の財政緊縮策によって、ロンドンを含むイングランド地方のみで廃止された) 

 「すべての交通運賃を20%減少させる」―。

 そのどれもがTake Back the Cityがロンドン市民に実際に声を聞いて集めた要望が基になっている。

 ギチンガ氏は東部「シティ&イースト」選挙区(ニューアム、タワーハムレッツ、金融センターがあるシティ、バーキング、ダゲナム)から立候補する。マニフェストの一つ一つの項目を読み上げるたびに、大きな歓声が出た。「5日、投票してね!」

 拍手喝さいの中で終わったギチンガ氏のスピーチの後は、地元の合唱グループに入っている数人がステージに出て、ビートの利いた曲としっとりした曲を披露。その後は会場内の参加者が3グループに分かれて、歌った。指揮をするのはギチンガ氏。歌の中には「私は負けない」という文句があり、繰り返していると、なんだかじーんとしてしまう。

 休憩時間に、前にも話したことがある、Take Back the Cityのメンバーの一人、グレン氏と話す。「アミナ(ギチンガ氏)は多分、当選しない」とポツリ。「僕たちは選挙の次を考えている。大きな社会運動にしてゆきたいんだよ」。

 地元コミュニティで支援活動を行ってきたグレン氏は、「ここはほかのどことも違う。労働党みたいに上下のヒエラルキーがないんだ。とてもめずらしい。だから大きくなってほしい」。

 私が言う。「知名度がどれぐらいかあるかだよ。ここは盛り上がっているけど、存在を知っている人は多くない。もし知ってたら、かなり票が取れるのではないか」。グレン氏がうなずく。

 いったい何人が投票してくれるだろう?皆目見当がつかない私は、数千から万単位で得票することを想像した。2012年の前回のロンドン市議選では、ギチンガ氏の選挙区の当選者は約10万票を得ている。当選しなくても、いいところまで行くだろうかー。

市長選では労働党候補が当選

 5日、いよいよ投票日がやってきた。

 直前に、ギチンガ氏は選挙戦のいやな面も体験した。労働党のある市議がTake Back the Cityのフェイスブックに書き込みをし、マニフェストの政策の財源が十分に練られていないという批判の上に、ギチンガ氏のアパートのビルの屋上の写真を掲載した。「お前が住んでいるところは知っているぞ」という威嚇としてギチンガ氏側は受け取った。

 「私たちの政策を批判することはかまわない。完全にまっとうなことだから。でも、プライバシーを侵害するのはいけないと思う。私がどこに住んでいるかを公にすることで何を証明したいの?いやがらせだと思うわ」。ギチンガ氏は抗議を動画にしてフェイスブックに掲載した。「全くなんてやつなんだ」、「アミナ、負けるな!」支援のコメントが続々と並んだ。

 ロンドン市長選には立候補者が12人いたものの、労働党が推すサディク・カーン下院議員と保守党公認のザック・ゴールドスミス下院議員との事実上の一騎打ちとなった。
 
 カーン氏とゴールドスミス氏。これほど正反対の社会的背景を持つ立候補者も珍しい。カーン氏はパキスタン移民の両親を持つ。父はバスの運転手だ。自治体が提供する低所た得者向け住宅で育ち、公立校からノースロンドン大学に進学した。法律を学んだあと、人権派弁護士となる。下院議員初当選(南西部トゥ―ティング選挙区)は2005年。カーン氏は労働者階級の成功者といってよいだろう。
 
 一方のゴールドスミス氏は億万長者で欧州議会議員でもあった父を持つ。富裕層、エリート層が子息を送る私立校イートンに進むが、ドラッグを所持していたことが発覚し、退学。後に環境雑誌の編集長となった。2010年、ロンドン南部リッチモンド・パーク選挙区の下院議員に初当選。下院議員の中で最も金持ちとも言われ、ゴールドスミス氏は富裕層・エリート層の利益を代表する人物とみられてきた。

 二人の支持率は選挙戦中、ほぼ同じぐらいになっていたが、途中からゴールドスミス氏がムスリム(イスラム教徒)のカーン氏を「イスラム過激主義者に近い人物」として攻撃しだした。昨年11月のパリテロや今年3月のブリュッセルのテロを思い起せば、これに賛同する人がいて、カーンの支持者を減らせる・・とゴールドスミス氏は思ったようだ。「ムスリムに本当にこの都市を預けてもいいのか?」そんな問いかけをした。

 しかし、その目論見は完全に失敗した。人口約870万人のロンドンの約37%が移民出身者だ。ムスリム人口は約12%。300を超える言語が市内で使われている。こんなロンドンで特定の宗教や人種を差別するような発言をすれば、発言者の評判はがた落ちになってしまう。日常生活ではそれを知っているはずのゴールドスミス氏だったのだが。

 結果は、カーン氏が1,310,143票、ゴールドスミス氏が994,6143票。投票率は45%だ。前回の38%から上昇した。市民の関心が高い選挙だったと言えよう。

 6日朝に行われた就任演説で、カーン新市長は「すべてのロンドン市民のために」動きたい、と述べた。

 同日、ロンドン市議選の結果が出た。

 フェイスブックにギチンガ氏が「今日は、結果を聞いた後で、フォレスト・ゲイト駅前のパブ『フォレスト・ターバン』にいるわ。後で会おうね」と書き込みをした。

 私は夕方に向けて、フォレスト・ターバンに向かった。フォレスト・ゲイトは2012年のロンドン五輪の中心となったストラットフォード駅に近い。

「思ったよりも多くの票だった」

 駅前のパブに入ると、ギチンガ氏とTake Back the Cityの男性メンバー、ケネディ・ウォーカー氏がいた。こちを見つけて、手を振るギチンガ氏。
 
 「お疲れさま」といって、互いに抱き合って挨拶をすると、すぐに結果の話になる。「500もあれば、と思っていたけど。驚いたわ。すごいのよ。1368だったんだから。信じられないほど多い」とギチンガ氏。当選者は労働党員で約12万票を集めた。ギチンガ氏の得票は8人のうち、下から2番目だ。1368票が少なすぎるのかどうか、とっさには判断できなかった。

 「これまで一度も投票したことがない人が投票してくれたんだから」とギチンガ氏。

 隣に座るウォーカー氏はTake Back the Cityのフェイスブックのページの動画を入れようとしている。「ケネディはもうスターだよ」とギチンガ氏。ロシアの英語ニュース放送「RT」に出演し、3分ほど話したからだ。「あの有名なRTに出たんだよ!」

 投票日の直前には、英左派系大手紙「ガーディアン」がギチンガ氏を動画インタビューしていた。「ラジカルな政治運動の担い手」という説明があった。

 どこが「ラジカル」なのか?インタビューをしたジャーナリストのジョン・ハリス氏は動画の中でこう説明した。「Take Back the Cityは直接市民に意見を聞いた。バスの中で詩を読み上げ、乗客に話しかけて、政治で何を変えてほしいのかを聞いていた。それをまとめてマニフェストにした。ほかの政党はどこもこんなことをやっていない。・・・政界の動きを書く政治コラムニストより、よっぽど、良いことをやっている」。

 私は「これからどうするの?」とギチンガ氏に聞いてみた。「しばらく、休むよ。もう疲れ切ってくたくたよ」。毎日外に出かけ、人に会い、睡眠時間が大幅に削減された。「体調は最悪」という。「休んだ後は、また運動を続けるよ」。

 パブの飲み物を注文するあたりにクレアさんの姿が見えた。「今、アルコールが飲めないの」という。彼女も疲れ切っていた。「体全体が痛くて、この2-3日、寝たきりだったわ。今日もお酒は飲むほどの元気じゃない」。

 かわりがわりにTake Back the Cityのメンバーが入ってきて、ギチンガ氏や仲間としゃべってゆく。

 ウォーカー氏にもこれからどうするのか、と聞いてみた。毎週木曜のミーティングは続けるのか、と。「あと2-3週間はまず休むよ。でも、これからも続けるよ」。最初は「何も決まっていない」と言ったものの、ギチンガ氏がそばに来ると、二人でこれからを話し出した。「まずはロンドンのほかの草の根グループに会うことだな。たくさんもうすでにあるんだから。どこと協力できるのか。ほかのグループから学べることはないのかを知らなければ」とウォーカー氏。

 ギチンガ氏とウォーカー氏だけで決めるわけではない。フラットな組織構造なのがTake Back the Cityの特徴だ。休みの後に開かれる会議でそれぞれが言いたいことを言い合って、紆余曲折しながら、決まっていくのだろう。

 Take Back the Cityのメンバーたちが何度も言っていたのは「社会的運動にしたい」ということ。しかし、より広範な人を入れるには、Take Back the Cityのことを全く知らない人の心をとらえるような言葉が必要なのではないか。それは政治理念になるのではないか。地元民の声を聞くだけではなく、エキスのようなものに変える必要があるのではないか。私はそのように感じた。
 
 これまでのTake Back the Cityは社会から疎外され人々、つまりは貧困層や移民層の声を集約することに力を入れてきた。でも、大きな社会運動に、政治運動になるには、中流だが低所得の人々、そして白人層ももっと取り入れる必要があるのではないか。そんなことも思った。ロンドン東部の移民コミュニティや貧困層に集中して目を向けた結果、多くの白人貧困層を敵視することになりはしないか、と言う懸念もある。

 いろいろなことを考えたが、ほんの1年でここまで来た事、クラウンドファンディングで100万円近くを集めたこと、そしてこれからも続けたいと思っている人たちがいることに私は驚いたし、感銘した。まだまだ、終わらないのである。

 休みの期間を終えたTake Back the Cityの活動をこれからも定期観測していきたいと思っている。

***

 (津田大介さんのメルマガに掲載されたコラムの転載です。)
by polimediauk | 2016-07-03 17:59 | 英国事情
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津田大介さんのメルマガに掲載された筆者の記事の転載です。)


 今年5月のロンドン市長選・市議選に向けて、草の根運動を続ける「Take Back the City」の動きを追った連載の第2回です。第1回目はこちらからご覧ください

市議選・市長選がまじかに迫り、マニフェストづくりで意見沸騰


***

 規制の政党には所属せず、市民一人一人を代表する政治を自分たちで実現するために立ち上げられた、英国の草の根政治グループ「Take Back the City」(「都市を取り戻せ」)。ここでの「都市」とは世界的な金融センター「シティ」があるロンドンだ。

 Take Back the Cityの本格的な発足は昨年だ。共同創設者はロンドンに住む公立校の教師ジェイコブ・マカジャー氏と同じく教師のエド・ルイス氏。マカジャー氏は、自らが生活するロンドンが「超富裕層やその利益をかなえるための政治家に乗っ取られた」と感じる市民がたくさんいることを指摘している。

 グループの発足までの経緯や参加者の声については前回のコラムの中で紹介した。ここで若干振り返っておこう。

 ロンドンは世界の中でも貧富の差が激しい都市の一つだ。Take Back the Cityによれば、「富裕度でトップの10%が所有する資産は、最下位の10%の資産の273倍に達」っし、ロンドン市内の住宅の賃貸料は平均で月1500ポンド(1ポンド=160円計算では約24万円)を超えている。住宅価格の高騰が続き、低・中所得者にとって住みにくい都市になっている。生まれ育った地域を出てゆかざるを得なくなった人もいる。

 低・中所得者の声が届かない現状を変えるため、Take Back the Cityは政治の場に市民の代表を送り込むことを1つの目標とした。そこで市民一人一人の声にまず耳を傾け、声を集約した形で選挙に向けたマニフェスト(選挙公約)を作ろうとしている。

 昨年末、筆者が参加者に聞いた時点では、Take Back the Cityは学校、地域の様々な組織、移民を対象にワークショップを開いていた。テーマは、いかに自分たちで政治を変えられるか。参加者から政治についての不満を聞き、政治家に何をしてもらいたいか、要望を集めた。

 今年5月5日に行われるロンドン市長選・市議選に向けて、「ロンドン市長をここから出そう」が掛け声となった。1月にはクラウンドファンディングで資金集めを開始した。

 選挙まで1か月余の3月末から、グループの活動の進展ぶりを追ってみた。

人懐こい笑顔で人々を巻き込む

 3月末の土曜日。ロンドン東部を走るモノレール「ドックランド線」に乗ってキングジョージ5世駅で下車する。

 無人駅の改札口から出ると、キリスト教のパンフレットを抱えた女性が寄ってくる。「ハッピー・イスター(復活祭、おめでとう)」。翌日はイースターとなり、教会では特別のミサが行われることになっている。何人もの女性たちがパンフレット配りに精を出していた。

 女性に「ロイヤル・ドック・コミュニティ・マーケット」の場所を聞くと、「まっすぐ行って右ですよ。神のご加護がありますように」と言われた。

 歩いて数分の場所にあったのは、高層アパートと地域の図書館に囲まれた空き地で、白いテントの中には界隈に住む人がおもちゃや食べ物を売る準備をしていた。テントの外では八百屋が野菜を並べる台を置いており、ラジカセから大音響でロックを流している。Take Back the Cityのストールはテントの隣に設置されていた。

 Take Back the Cityのイベントは昼12時から始まると聞いていたが、猫の額のような空き地には時間が過ぎても、訪問客は誰もいない状態だった。

 こんな小さなところで一体どれだけの支持者を集めることができるのだろう?一瞬、気持ちが縮んだが、近くのカフェで時間をつぶし、改めて広場に戻ってみた。すでに子供と大人の小さな人の輪ができていた。前に会ったことがある、合唱を教えるアミナ・ギチンガ氏、大学院生のサイモン・ソープ氏が輪の中にいた。ソープ氏以外は全員が有色人種だ。ギチンガ氏がアフリカ流ダンスを教え、歌の手ほどきをしている。

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(歌とダンスを教えるギチンガ氏、中央)

 輪の中に入って、子供たちとジャンプしたり、体を思いきり小さくしたり、歌を歌ってみる。子供たちはくすくす笑いながらも、素早いダンスのスピードを十分に楽しんでいるようだった。大人もそんな子供たちの様子を見ながら、体を動かす。寒い風が吹き飛んでゆくようだ。

 しばらくしてストールに行き、番をしていた男性たちに声をかけてみた。二人とも白人男性だ。ともに地域住民への支援サービスに携わってきたという。労組と協力したこともあったが、「上からの指示が多くて、嫌気がさした。ここはみんなが平等だからいい」と「グレン」という名の男性が言う。

 Take Back the Cityは市長候補を出すという目的をあきらめ、市議選に候補者を当選させる方向にシフトしていた。グレン氏は理由を説明しなかったが、候補者を出すための準備金の額が市長選の場合と市議選の場合、大きく異なるのも理由だったのかもしれない。

 1月のクラウドファンディングによって、市議選に候補者を出すための「資金は十分に集めた」という。

 英選挙委員会によると、市長選の候補者になるには1万ポンド(1ポンド=160円計算で160万円)を委員会に預ける必要があるが、市議選の場合はその10分の1の1000ポンドになる。

 Take Back the Cityが推す市議選候補者は、昨年時点では市長選の候補者の一人だった、アミナ・ギチンガ氏だった。

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(ギチンガ氏の宣伝用チラシ)

 風がますます強くなり、広場に響く八百屋のラジカセから流れるロックの音が反響する。

 八百屋の屋台の前にできたダンスの輪を指導するギチンガ氏の一挙一動を子供たちや大人が見つめている。笑い声と歓声でいっぱいだ。

 ダンス教室が終わっても、ギチンガ氏を囲む人は絶えない。子供たちがやってきて「どこでもっとダンスを学べるの?」と聞く。大人たちは教わったばかりのダンスと歌をもう一度再現している。生活の悩み事を話す大人もいる。

 午後3時を回った。大人数人に囲まれて、話を熱心に聞くギチンガ氏。人を引き付けるという意味では、抜群の力を持った女性のようだ。

 この光景がどうやったら票につながるだろう?

 ギチンガ氏が候補者となっているのはロンドンの14に分かれた選挙区の1つで、東部の「シティー&イースト」地区。ここは金融街「シティ」のほかに、「バラ」と呼ばれるロンドンの区域が入る。バラとしてここに入るのがバーキング&ダゲナム、ニューアム、タワー・ハムレッツ。ニューアムやタワー・ハムレッツはロンドンの中でも貧困度が最も高い地域として知られている。裕福なシティと最貧困地域が混在するため、最も不平等感が感じやすい場所だ。

 この選挙区は2000年以来、労働党のジョン・ビッグス氏が市議として当選している(現在4期目)。今年、ビッグス氏は市議選に立候補していない。現在候補者は8人で、全員が今回市議としての初立候補。ほとんどが既存政党が推薦する候補者だ。

 過去のこの地区の選挙傾向を見ると、当選者の得票数は増加している。ビッグス氏は2008年では約6万3000票、前回12年では約10万票を得た。

 どれぐらいの票を集めることができればギチンガ氏は当選できるのか?推測は難しいが、2000年以降の数字を見ると、少なくとも4万票以上が必要なようだ。

 全員が初立候補の場合、知名度が鍵になりそうだ。

 Take Back the Cityのマニフェストづくりはどこまで進んでいるのか、票獲得のためにどんな戦略を持っているのかー。

 核となるメンバーが集まる毎週木曜夜のミーティングに参加してみた。

マニフェストづくりで喧々諤々

 Take Back the Cityの秘書役クレアさんに教えられ、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(通称 SOAS)に向かったのは4月中旬のことだった。

 ロンドン市議選まで、ちょうど3週間となった。

 午後7時のスタートに集まったのは12人ほど。20代とみられる若者たちだ。グループの共同創設者マカジャー氏の顔も見える。椅子を丸く円を描くようにして並べて、座る。ミーティングが進むにつれて、数人がジョインしてゆく。

  出席者は大学生か仕事を持っている人で、人種的には混在していた。白人もいれば有色人種の人も。東アジア系は筆者一人だ。

 「前は20人は必ず来たのだけれどー。うちの子供持つ連れてきたかったけど、今日は行かないと言っていた」とレベッカさん。「参加してゆく意思を持ち続けるのは並大抵ではない」。レベッカさんはこれまで市民デモに参加してきたが、「ここは上下のヒエラレルキーになっていないので、気に入った」という。

 後から入ってきて、隅っこの椅子に座ったのが銀髪で60歳は超えていそうな男性だ。髪をゴムで後ろにまとめ、上下のジャージを着た姿はほかの人と比べるとちょっと異質だった。

 椅子に座った参加者が一通り自己紹介をした後、クレアさんが今日の議題を説明し、マニフェストについて話し始めた。グループの共同創設者エド・ルイス氏が印刷してきた紙を配る。マニフェストの原案だ。裏表に印刷して4ページ分。6つの大きな要求を入れている。

 1つは「空になっている不動産物件を市が引き受け、廉価で提供できるようにする。
 
 2つ目は「収入にかかわらず、ロンドンで学ぶ権利を保障する」

 3つ目は「ロンドンの最低賃金を10ポンドにする」

 4つ目は「政治家よりも市民の権力を拡大する」

 5つ目は「人種差別による警察の捜査を止めさせる」
 
 6つ目は「すべての交通費の20%削減」。

 最初の項目から意見や質問がたくさん出る。「空き家を廉価で提供する方策よりも、既存の賃貸住宅の賃料の上昇を抑えるほうに力を入れるべきではないか?」「誰がこうした廉価の住宅を利用できるのか?」。6つ目の交通費削減の資金源は何にするかでも意見が割れた。

 一つ一つの意見が次の意見を生み出し、一つの項目から次の項目に移るまでにだいぶ時間を要した。クレアさんが丁寧にメモを取る。書き手のルイス氏もそれぞれの意見をメモに書き取っている。マニフェスト原案はこれからもどんどん変わりそうだ。

 しかし、後3週間もない段階で、マニフェストを書き直しているようでは、一体間に合うのだろうか?そんなことを思ったが、ぎりぎりで出すのはそれほど珍しくはないとほかの参加者が言う。

 マニフェストの話の後は、投票日までどこでどんなイベントを開催してゆくのか、細かい話が続く。持ってきたビスケットやブドウの包みをグループで回し、それぞれが少しずつ、とってゆく。食べながら、話しながら、7時過ぎに始まったミーティングは9時過ぎまで続いた。

 最後の方で説明をしたのが、さきほどのジャージ姿の男性だ。ロジャー・ハルム氏は学生だが、選挙運動の戸別訪問のプロだという。「もう30年もやっている」。

 マニフェストづくりで活発に意見を出してきた参加者だったが、実際に有権者の家を訪れ、ドアをノックする戸別訪問となると、多くが及び腰で、不安感がいっぱいのようだった。そこでハルム氏のアドバイスを出す。

 「ポイントは相手に話してもらうようにすることだ。最初の2秒ですべてが決まる。ノックをしたら、すみませんがこんなことをしていますと説明して、相手の状況を聞いてみることだ」。ハルム氏の言葉をじっと聞く参加者たち。

 筆者は保守党の候補者とともに戸別訪問をしたことがあるが、慣れるとそれほど難しいことではない。ここの参加者は戸別訪問をしたことがなく、知らない人に政治行動を聞く、候補者への投票をお願いするという行為をやや怖がっているようにも見えた。

 この日、候補者ギチンガ氏はいなかった。米国で大統領選の選挙運動を見学しに行っていたのである。

 果たして、このメンバーで当選まで行きつけるだろうか?少々の不安感が出てきた。

 ミーティングが終了し、参加者がバラバラと帰ってゆく中、レベッカさんがこう言った。「市長選・市議選の後のことも考えないとね」。そうだ、ギチンガ氏が当選しようとしまいと、Take Back the Cityは続くのである。「この先があるのだからー」。

バルセロナの刺激

 2日後の週末、筆者は労組の関連組織「コンパス」が主催する「Good London」(「良いロンドン」))というイベントに参加してみた。

 将来のロンドンを自分たちが望む方向に作っていくため、意見を出し合うイベントだ。市長選・市議選が近いため、各政党から市長選あるいは市議選への立候補を集め、参加者が意見を述べるコーナーも設けられた。

 ファリンドン駅近くのカフェ「フリー・ワールド」で開催されたイベントで、参加バッジをもらうと、「彼女」として呼ばれたいか、「彼」として呼ばれたいかを聞かれる。男性として生まれてきても女性という自己認識がある、あるいはその逆も含める「トランスジェンダー」の人も歓迎するというメッセージだ。

 最初のセッションの第1部は、車椅子に乗った女優と詩人による詩の朗読で始まった。人は性、年齢、人種、心身の障害のあるなしによって差別されない、イベントはすべての人にオープン――これがイベントの方針なのだ。

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(バルセロナの市民運動について話すシアベアド氏)

 第2部では世界の都市で起きた政治変革の事例が紹介された。登壇者の一人がスペイン・バルセロナ在住のケイト・シアベアド氏。その話は衝撃的だった。

 シアベアド氏はバルセロナの市民政党「バルサローナ・アン・クムー」(意味は「共通のバルセロナ」)の広報担当者の一人。生まれ育ったのはロンドンだ。

 同氏によると、昨年3月の地方選で、スペインではその大部分の都市で市民プラットフォームが政権を取ったという。バルセロナのほかにはマドリードで、「アオーラ・マドリード」 (「マドリード、今」)がその一例だ。社会運動アクティビスト、進歩的な政党、政治運動アクティビストたちが中心になり、政治に市民の声をもっと入れようとした動きが形になったものだという。

 それぞれの運動は文脈や活動の広がりが異なるが、いくつかの共通点もあった。

 まず第1に「地方政治こそが市民参加や民主主義の再生の実験場であるべきという考えがあった」。

 第2として、「参加組織の利害を超え、政治目的を共有した」。

 第3は「マニフェストをオープン形で作り上げた」。

 第4は「政治のプロ化を防ぎ、職務に就いた人の説明責任を果たさせるために、給与や待遇について厳しい倫理観を維持した」。

 イベント終了後、シアベアド氏と話してみた。彼女はTake Back the Cityのことを知っていた。何度かアドバイスをしたこともあったという。「お金もネットワークも、スキルもない、ゼロからのスタートだったわね。まだまだ・・」といってため息をつく。

 なぜスペインで市民運動が次々と政権を担うまでになったのか、なぜロンドンはそうではないのかを聞いてみると、こんな答えが返ってきた。「2008年の世界金融危機以降、スペインは経済がめちゃくちゃになった。若者の失業率は50%近くになった。もうどうしようもなくなって、新しい政治の波ができた。ロンドンはまだそこまで落ちぶれていないから、市民運動の政治化が進まないのではないか」。

 確かに、英国の経済はそれほど悪くなく、失業率も4%ほど。日本とあまり変わらないが、欧州では非常に良いほうに入る。若者の失業率は貧困地区では高くなるが、スペインほどではない。

 5月5日のロンドン市長・市議選で、Take Back the Cityはどこまで票を集められだろうか。直前と直後の様子をレポートしてゆきたい。
by polimediauk | 2016-07-02 16:48 | 英国事情
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(国会議事堂に面した広場にはコックス議員を追悼するメッセージがたくさん置かれていた)

 23日、英国でEUの国民投票が行われる。離脱か、残留かを問う投票だ。

 これまでに離脱か、残留かでそれぞれの選挙運動が行われ、さまざまな議論が交わされてきた。議論は出尽くした感があって、大騒ぎした後、「振り返ってみると大したことではなかった」ということになる可能性もある。

 ただ一つ、英国内で十分に表に出てこなかったのが「EU自体が将来どうあるべきなのか」という議論だ。EUが将来的には分解あるいは大幅縮小となる可能性は離脱派の反EUの議論の枠組みでは出てきても、EU残留派あるいは中立的な文脈からはクローズアップされなかったことがやや残念だ。

振り返ってみると・・・

 EUはもともと、皆さんも十分にご存知のように、第2次大戦後、欧州内で2度と大きな戦争が起きないようにと言う思いから生まれた共同体だ。当初は経済が主体だったが、欧州連合(EU)と言う形になってからは政治統合の道を進んでゆく。

 単一市場に加入するという経済的目的を主としてEC(後にEUとして発展)に英国が加盟したのは1973年。当時は加盟国は英国を含めて9カ国。人口は約2億5000万人。現在は28カ国、5億人だ。

 当初は西欧の経済状態が似通った国が加盟国だったが、今は加盟国内での所得格差、失業率の差が大きい。経済力の大きな国が全体のためにより大きな拠出金を出し、「域内の加盟国=大きなファミリー」としてやってきたが、だんだんそのモデルがうまく行かなくなってきた。「破たんしている」と言う人もいる。

 英国では2015年、純移民の数が33万人となった。英国から出て行った人と入ってきた人の差だ。そのうちの半分がEU市民だ。英国は多くの人が使う国際語・英語が母語だし、失業率も低い。EU他国から働き手がどんどん入ってくるのも無理はない。人、モノ、サービスの自由化を原則とするEUにいるかぎり、市民がやってくることを止めることはできないのだ。

 日本のメディアの方から、国民投票についていくつかの共通した質問を受けた。その答えを書いておきたい。

なぜわざわざ、国民投票?残留の方がいいのに・・・

 質問の前提として「残留=いいこと」という考えがあるだろうと思う。

 しかし、EUの現状はどうなのかという問いがあるだろうし、かつ「現状維持=良いこと」とは限らない。

 「不満があるから、現状を変える」という動きは1つの選択肢だ。「なんだかよく分からないから、現状維持」というわけにはいかない。

英国とEU

 英国が離脱すると、EUがとんでもないことになる・・・とよく言われるし、私もそういう記事を書いたりする。

 しかし、現時点で、英国民にとっては少なくとも感情的には「EUがとんでもないこと」になってもどうでもいいというか、関係ないという思いがある。

 英国民にとって、ヨーロッパとは「外国」である。ヨーロッパ大陸やEUがどうにかなっても、英仏海峡を隔てた場所の話なのである。

なぜ今、やるのか?

 底流として長い間存在してきたのが、反欧州、あるいは欧州(=EU)への懐疑感情だ。大英帝国としての過去があるし、「一人でもやっていける」という感覚がある。

 社会の中の周辺部分、つまり、英国には階級社会の名残があるが、労働者階級の一部、および中・上流階級の一部に特にそんな感情が強い。

 社会全体では、「他人にあれこれ言われたくない」「自分のことは自分で決めたい」という感情が非常に強い。だから常に、政府でも地方自治体でもいいが、いわゆる統治者・管理者が何かを上から押さえつけようとすると、「反対!」と叫ぶために抗議デモが起きる。

 EUが拡大して、EU合衆国になる・・・というのはまっぴらごめんと言う感覚がある。

 英国の司法、ビジネス、生活に及ぼすEUのさまざまな細かい規定を「干渉」と見なす人も多い。

 今回の国民投票の話以前に、もろもろのこうした底流が存在していた。

政治的な動き

 底流での流れが政治的な動きにつながってゆくきっかけは、2004年の旧東欧諸国のEU加盟と2007-8年からの世界金融危機。

 04年、10か国の新規加盟に対し、各国は人やモノの受け入れのための準備・猶予期間を数年間、導入した。しかし、英国は制限を付けなかった。そこで、最初から自由に人が出入りできるようになった。

 ポーランド人の大工、水道工やハンガリー人のウェイターが目につくようになり、東欧食品の専門店があちこちにできてゆく。若く、仕事熱心な新・移民たちは評判も上々だった。

 しかし、金融危機以降に成立した2010年の保守党・自由民主党新政権は厳しい財政緊縮策を敷いた。公共費が大幅削減され、地方自治体が提供するサービスの一部もカットされた。EU市民については制限を付けない移民策の結果、病院、役所、学校のサービスを受けにくくなった。

 政府統計によれば、人口約6000万人の英国で、2014年時点、300万人のEU市民が在住。その中の200万人が2004年以降にやってきた人である。特に英国南部、そしてロンドンが最も多い。

 「無制限にやってくるEU市民をどうにかしてほしい」-生活上の不便さから、そんなことを言う人が英国各地で増えてきた。

 しかし、人、モノ、サービスの自由な移動を原則とするEUに入っている限り、域内の市民の移動を阻止できない。また、一種の人種差別的発言とも受け取られるから、政治的に絶対にといっていいほど、認められない。

 だから、既存の政党はこんな市民の声をくみ上げられずに何年もが過ぎた。

 ずばり、「EUを脱退するべきだ」と主張してきたのが英国独立党(UKIP)。数年前までは「頭がおかしい人が支持する政党」だった。

潮目が変わった

 しかし、2014年、潮目が変わった。

 この年の欧州議会選挙で、英国に割り当てられた73の議席の中で、UKIPが21議席を取って第1党に躍り出たのである。市民の声が政治を動かした。

 どんなに恰好の悪い本音でも、本音は本音である。

 UKIPは与党・保守党を大きく揺り動かす。もともと、EU懐疑派が多い保守党。この懐疑派が40代半ばにして党首となったキャメロンの足を引っ張る。保守党議員がUKIPに移動する事態が発生し、キャメロンは懐疑派=超右派を黙らせるため、また党の存続のため、EUについて何かをしなければならなくなった。

 「制限がないEUからの移民流入が不都合をきたしている」-そんな思いをくみ取れなかったのは最大野党の労働党も同じ。

 「EUは大切だ」という姿勢を崩さなかった労働党に加え、2015年4月まで連立政権の一部だった自民党も大のEU推進派だ。

 「今度こそ、単一政権を実現させたい」-2015年5月の総選挙で、そう思ったキャメロン首相は「保守党が単一政権になったら、EUの離脱・残留について国民投票を2017年までに行う」と約束して、選挙戦に臨んだ。

 ふたを開けてみると、労働党惨敗で、保守党は単一政権を打ち立てることができた。

 その後、UKIPを中心として国民投票実現へのプレッシャーが高まる。

 キャメロン首相はとうとう、今年6月23日の実施を宣言せざるを得なくなった。

キャメロン首相の父親が関連した会社が「パナマ文書」に出ていた。これがキャメロン首相にとって大きなダメージになったのではないか?

 現在のところ、この問題は解決済み。キャメロン首相は自分の税金の支払い書を公表し、今回の投票には影響を直接は与えていない。

誰が残留をあるいは離脱を支持しているのか?

 残留はキャメロン首相、大部分の内閣、下院議員、労働党、自民党。エコノミストたち。OECD、IMF、イングランド中央銀行。カーン現ロンドン市長、オバマ大統領、ベッカム選手、ハリーポッターシリーズのJKローリングや俳優のベネディクト・カンバーバッチ、キーラ・ナイトレーなど。中・上流階級(日本の中流よりは少し上の知識層)、国際的ビジネスに従事する人、若者層。

 離脱はジョンソン元ロンドン市長、ゴーブ司法大臣、ダンカンスミス元年金・福祉大臣、ダイソン社社長、労働者・中低所得者の一部、英連邦出身者の一部、中・上流階級の一部・保守右派で「大英帝国」信奉者、高齢者の一部。

世論調査は?

 ずっと残留派が少し上だったが、最近になって、10ポイントの差で離脱派がリードしたことがある。ポンドは下落。その後、下院議員の殺害事件があり、残留派が勢いを取り戻している。

 しかし、事前予測は不可能と言ってよいと思う。総選挙でも世論調査が大外れだった。

離脱すれば、どうなる?

 オズボーン財務相によれば、GDPが5%下がる。IMF、OECD,中銀などすべてが経済への打撃を予測。

 ただし、中長期的にはどうなるかは分からないだろう。

手続きはどうなる?

 離脱の場合、下院でこの問題を議論する見込み。

 離脱交渉を開始するために、リスボン協定の第50条を発動させると、2年以内に交渉を終了する必要があるという。

 しかし、キャメロン首相がいつこの条項を発動させるのかは不明。事前にEU他国との交渉をしてから、発動させるという見方もある。

EUとの交渉はどうなる?

 離脱の結果が出た後、EUと英国がほぼこれまで通りの規定でビジネスを続けるだろうという見方(離脱派)と英国は外に出ることになるため、一から交渉を行う(残留派)の見方がある。どうなるかは不明だ。

結局のところ

 離脱になった場合、その後どうなるかは予測がつかない。予測したとしても当たるかどうかわからない。

EUへの影響は

 離脱後の影響については、現状はすべてが憶測・推測と言ってよいだろう。

スコットランドは?

 残留派が多いと言われるスコットランド。2014年に住民投票をし、僅差で英国から離脱しないという結果が出たばかり。EUから離脱の結果になれば、スコットランドでは再度住民投票が行われる可能性は否定できない。ただし、これもEUがどう出るかで状況は変わってくるだろう。

首相の座はどうなる?

 今のところ、離脱になっても、キャメロン首相は続投と言うのが内閣の姿勢だ。しかし、おそらく、メディアが徹底的に首相を攻撃し、退陣を迫るだろう。

本当の問題は・・・

 実は、EU自体の方向性が問題視されているのではないか?

 EU域内の主要国なのに、シェンゲン協定に入らず、ユーロも導入せず、「鬼っ子」のような英国。英仏海峡で隔てられていることもあって、大陸にあるEU国を「外国」と見なす英国。欧州よりは米国や英連邦に親近感を持つ英国。

 そんな英国をEUの外に出したら、ドイツの主導の下、EUはさらに統合を進めるだろう・・と思いきや、そうもいかないだろう。

 アイルランド、ギリシャなど、ユーロ圏内で財政問題で苦しんだ国があった・ある。ドイツを中心としたEUのルールを厳格に進めれば、国家破たんの間際に押しやられる国が今後も出てくるかもしれない。何せ、それぞれの国の規模、財政状況に大きな開きがある。一律の規定ではカバーできない。みんなが幸せにはなれない。

 すでに、シリアなどを中心にした国からやってくる難民・移民の流入に対し、ドイツが人道的な見地から100万人を受け入れたのに対し、旧東欧諸国などから反対の声が強まっている。

 社会のリベラル度を測る、同性愛者の市民に対する意識も地域によって異なる。人権として受け止めるドイツ、フランス、オランダ、英国などと一部の東欧諸国では大きな差がある。

 EUは今、方向性を問われる時期に来ているのかもしれない。

 ドイツのショイブレ財務大臣の言葉が光る。もし英国が残留を選んだとしても、これを一つのきっかけとして、これまでのような深化・拡大路線を見直す必要があるのではないか、と発言(21日)しているのである。

ジョー・コックス下院議員殺害はどんな影響が?

 残留を支持していたコックス下院議員が16日、英中部で殺害された。裁判所で、実行容疑者は「英国優先」と答えた。

 まだ解明が続いているが、自分とは異なる意見を持つ人物への憎悪が背後にあったと言われ、「離脱すれば戦争がはじまる」(残留派)、「欧州統合への動きはヒトラーもそうだった」(離脱派)など、強い口調を使っていた選挙戦への反省が始まった。選挙戦は2日間、停止された。

 しかし、いったん選挙戦が再開されると、また熱っぽい発言の応酬となった。

 殺害事件後、残留派が少し支持を増やしているようだが、まだ結果は分からない。

 投票結果に影響を及ぼすのは、殺害事件よりもむしろ、当日の天気ではないかと言われている。

 離脱派は投票への意識が強く、雨になれば、離脱派が強みを持つという。

日本企業への影響は?

NHKによれば、英国は日本への対外直接投資で米国に次いで2番目に大きな国だ。中国よりも大きい。特に、近年、急激に伸びている。

 また、英政府によれば在英の日本企業は1000社を超え、約14万人の雇用を支えているという。

 離脱となれば、まずはポンドが下がる可能性があり、円高と言うことになれば一般的に日本の輸出企業は打撃を受けるだろう。これが長く続かどうかは分からない。

 在英の日本企業が欧州他国とビジネス上の手続きをいちいちやり直す必要があるとすれば(あるとすれば、であるが)これも煩雑だ。ただ、これで英国から日本企業が出ていくかどうかは疑問だ。

 いずれにせよ、まずはあと24時間、あるいは36時間、どうなるかを待ってみるしかないだろう。
by polimediauk | 2016-06-22 20:57 | 英国事情
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  22日、拙著「フィナンシャル・タイムズの実力」が書店に出ることになりました。

  日本経済新聞の傘下に入った、英国の経済金融紙FT。いったいどんな新聞なのかを現在とこれまで、そして日英ジャーナリズムの違いなどについて書いてみました。店頭でページをめくってくださると幸いです。

 これを気に、東京都内と大阪でいくつか、イベントが開催されます。

 2月4日:「東京デジタル・キュレーションMeetup」 朝日新聞のデジタル・ウオッチャー、平さんと対談形式のイベントを開催します。ご関心がある方は、上記サイトからどうぞお申し込みください。デジタルメディア関連の方が集まる予定です。

 2月10日:都内の某所で日英のジャーナリズムについて、対談を開催予定です。詳細はまたお知らせします。

 2月27日:フォトジャーナリスト、小原さんと対談します。大阪心斎橋のスタンダードブックスさんにて。書店のウェブサイトからお申し込みください。

 みなさまとどこかでお会いできることを楽しみにしております。

 小林恭子


 
by polimediauk | 2016-01-22 12:45 | 英国事情
「調査情報」9-10月号に掲載された原稿に若干補足しました。)

 2020年の東京五輪・パラリンピック開催に向けて、準備が続く東京・日本。

 今年、日本の夏は相当暑かったが、ロンドンでは真夏でも日中最高気温は25-26度ほどで、夜には12度ぐらいまで気温が下がる。日本と比較すれば「涼しい」とさえ言えるロンドンの夏が、熱くなったのは2012年のロンドン五輪(オリンピック)とパラリンピックのときだった。

 開催前、ロンドン市民は決して全員が熱くなっていたわけではない。ロンドンから遠く離れたイングランド北部やスコットランドに住む人にとっては、「しょせん、遠くの祭り」、「俺達には関係ない」という感情が強かった。

 ロンドンは1940年代に五輪を開催済みで、この機会に世界にロンドンがいかにすばらしい都市かを大々的に宣伝する必要はない、第一、巨額の税金を使われたくないーそんなもろもろの思いがあって、五輪招致関係者をのぞいては、大会は「盛り上がらないだろう」と思われていた。

 しかし、ふたを開けてみると、世界中からやってきた観光客、観戦者の姿、競技の興奮自体がロンドン市民ならず、英国民全体を熱狂させた。(オープニング動画はこちらから。)閉幕後は大きなイベントを成功裏に開催できたという満足感が広がった。

 あの特別な夏から3年経ち、英国、そしてロンドンはどのような状況にいるのだろうか。果たして招致計画が目指したいくつかの目的は達せられたのか。東京五輪が学べるものは何か?

予算内の開催、工事納期が守られた

 まずは基本情報を確認しておこう。

 第30回オリンピック競技大会は2012年7月27日から8月12日まで開催された。34会場で204の国と地域からやってきた選手1万568人が参加した。金メダル獲得数ランキングは米国(46、金銀銅の総数は104)、中国(38、同88)、英国(29、同65)の順だった。

 第14回パラリンピック競技大会は12年8月29日から9月9日まで。164の国と地域から4237人の選手が参加した。金メダル獲得数ランキングは中国(95、金銀銅の総合では231)、ロシア(36、同102)、英国(34、同120)だった。ホスト国の英国は両大会で好成績を残したといえよう。

 開催予算だが、招致の際に提出した案では約240億ポンド(当時と現在ではポンドの価値が異なるが、1ポンド=194円と言う現在のレートでは約4670億円)。後に警備費などが入ってふくらんだ。2007年に再計算した結果、93億2500万ポンドになったものの、開会までに予算内の92億9800万ポンドにおさめた。当初から大きく増えたことでずいぶんと批判されたが、競技用施設の土地整備や建築などの工期を守ったこと(英国では珍しい)、予算を一度修正したが最終的には超過しなかったことで、国内外で一定の評価を得るようになってゆく。

 財源は政府(62億4800万ポンド)、ロンドン市(8億7500万ポンド)、宝くじ(21億7500万ポンド)。使途は会場用地のインフラ整備、競技施設の建設、警備、交通関連費、公園設置、メディアセンター建設など。

 五輪開催でロンドン及び英国がどう変わり、今後どう変わってゆくのかについては、いくつかの報告書が出ている。

 文化・メディア・スポーツ省(DCMS)による「大会後の評価」(2013年)、貿易投資庁の「ロンドン2012 -経済的レガシーを実行に移す」(2013年7月)、上院のオリンピック・レガシー委員会の報告書(2013年11月)、「ロンドン2012オリンピック、パラリンピック大会の長期ビジョンとレガシー」(2014年2月、DCMS、ロンドン市)、「生きているレガシー、2010-15年のスポーツ政策と投資」(今年3月、DCMS)などのほかに、四半期ごとに「スポーツ参加統計」(DCMS)、毎年夏に発表される、大会のレガシーについての年次報告書(政府とロンドン市)がある。

 「レガシー」(「遺産」、ここでは形のあるもの・ないものを含めて「後に残すもの」という意味)と言う言葉が良く出てくる。北京五輪(2004年)、アテネ五輪(2000年)などの過去の夏季五輪で、使用された競技関連施設が開会後は無用の長物となってしまったことを避けるため、競技の主会場が設置されたロンドン東部の開発という形で次世代以降にも五輪で得られたものを残すためだ。

がらりと変わった風景


 2012年の五輪招聘が決まったのは2005年だった。当時ロンドン市長だったケン・リビングストン氏はスポーツにはほとんど興味がない人物。しかし、「ロンドン東部の貧困地区イーストエンドに巨額の投資が行われるには五輪招致しかない」と考えていたという。07年に当初の開催予算が3倍近くにふくれあがると、ロンドン市民に「ほんの少し」税金を多く払うよう呼びかけた。低所得の家庭では一戸当たり「38ペンス」(現在のレートで約74円)分多く払うが、「毎週、同金額のチョコレートを買うようなものだよ。決して無駄にはしない」と訴えた。

 ロンドン招致の大きな目玉となった東部の開発はどうなったか。

 主会場となったオリンピック・パーク(約226万平方メートル、ハイドパークと同じ大きさ)が位置する東部の4つの特別区(ニューアム、ハックニー、タワー・ハムレッツ、ウオルサム・フォレスト)はロンドンでも最も貧しい地域だった。単純労働の雇用主となってきた製造業が長期的に凋落し、失業率は恒常的に上昇した。

 廃棄物・工業用地として荒廃し、土壌汚染などから再利用ができなくなっていた土地を五輪開催のためによみがえらせ、パークを作った。大会終了後は改修作業を行い、2年前から「クイーン・エリザベス・オリンピック・パーク」として一般に開放した。これまでに約500万人が来訪したという。

 パーク内のスタジアムでは五輪記念大会として陸上競技が行われており、9月からはラグビーワールドカップの開催会場の1つに。来年からはサッカーのプレミア・リーグ参加クラブの1つ、ウエストハム・ユナイテッドが本拠地として使用する。

 チームが恒常的に利用するという決定以前には紆余曲折の経緯があった上に、改修経費2億7200万ポンドの中で、ウエストハム・ユナイテッドが負担したのは一時金の1500万ポンドのみで、年間賃貸料も250万ポンドほど。小さな負担額に国民から批判がわき起こった。巨大な年棒を稼ぐ選手を抱えるプレミア・リーグのクラブのために、税金が使われることへの強い反感があった。

 交通環境も五輪開催前と後では大きく変わった。パークの最寄り駅ストラトフォード駅を改修し、ストラトフォード・インターナショナル駅を新設。駅に隣接して、巨大百貨店ウェストフィールドを五輪開催前にオープンさせたことで、景観が見違えるほどになった。ウェストフィールドでは1万人の雇用が生み出され、その3分の1は長期的に失業状態だった若者たちだ。

 パーク内外には新しいビル、洒落たカフェ、真新しい散歩道などがあり、かつては古タイヤ、使われなくなった冷蔵庫、焼けた車などが散在していた場所とは思えない。

 パーク内で選手が宿泊をしていた場所は「イースト・ビレッジ」と名づけられ、2800戸のアパートが建設された。これから20年をかけて、さらに7000戸が建設される予定だ。約4500人が居住している。

 メディアセンターの建物があった場所は「ヒア・イースト」として、テクノロジーのスタートアップ用拠点が作られる。17年までにオフィスビルが2つ建設予定だ。

 水泳競技のイベントが次々と行われているロンドン・アクアティック・センターは一般市民が廉価で利用できるようになっている。水泳教育の場としても使われており、平均すると週に1500人の生徒が泳いでいる。

 現在のロンドン市長ボリス・ジョンソン氏の肝いりで、パーク内には「オリンピコポリス」と名づけられた文化空間が今後数年で形成される。米スミソニアン博物館も含めた複数の美術館・博物館、ユニバーシティー・カレッジ・ロンドン、ロンドン・カレッジ・オブ・ファッション、サドラーズ・ウェルズ劇場などがここに入るという。開発資金の1億4100万ポンドは政府が支給する。

 年次報告書によれば、ロンドン五輪が生み出す投資・貿易額の目標は4年間で110億ポンドを目指していたが、開催から2年間ですでに目標を超える額(142億ポンド)を達成した。けん引役となったのは英企業が世界中で開催される大掛かりなスポーツイベントの仕事を任されたためだ。

 観光業では開催から4年で英国への旅行者を470万人、観光客が落とすお金を23億ポンド増やす計画を立てた。2013-14年時点でそれぞれ348万人、21億ポンド増加させている。昨年1年間では海外からの旅行客は前年比5%増の3438万人、使ったお金は218億5000万ポンドに上った。

 五輪以前からロンドン・シティー空港が東部にあり、ウェストフィールドの建設計画も招致決定前だったが、五輪開催と東部開発を関連付けたことで、開発が一気に進んだ。

 パーク周辺はずいぶんと変わったものの、地元関係者は「まだまだ供給される住宅が少ない」と感じているようだ。地元の労働党議員ルシャナラ・アリ氏は、周辺特別区タワー・ハムレットで廉価の住宅「ソーシャルハウジング」(地方自治体が賃貸料を支援する)に入居を希望する人は「2万200人もいる」(英エコノミスト誌、7月25日付)。

 五輪開催で地元の雇用が増えたことは確かだが、そのほとんどが一時的なものだという指摘もある。タワー・ハムレットやその西の特別区ニューアムでは、2012年の失業率は12%。現在は9%になったが、ロンドンの中でも高いことに変わりはない。国民統計局(ONS)による英国全体の最新の失業率は、5・5%となっている。

 2014年の英国の実質GDP成長率は2・8%で、15年は予想が2・7%(IMF調べ)。2008年のリーマンショックから金融危機につながる流れの後で、厳しい財政緊縮策を実行してきた英政府の経済運営が成果をあげているようだ。こうした中でのタワーハムレットやニューアムの数字はさらに努力が必要な状況といえるだろう。

 今後数年、あるいは10年以上経たないと、東部再開発の効果は十分には評価できないかもしれない。新しい居住・仕事空間を作っていくわけだから、時間がかかる。いまだ進行中のプロジェクトだ。

スポーツ振興は十分な成果をあげられていない?

 投資や観光ではポジティブな評価がなされているが、国民のスポーツ参加が十分に進んだかと言うとまだまだ不十分と言う声が関係者から聞こえてくる。

 「スポーツ・イングランド」(イングランド地方の地域レベルでのスポーツ参加を振興する第3者機関)の調査によると、今年4月時点で週に一度はスポーツに従事する16歳以上の人は1549万人だった。五輪大会終了直後の2012年10月では、1589万人で、微減した。また、16歳から25歳の若者層では、2009年10月時点で390万人が週に一度はスポーツをすると答えたが、今年4月では380万人となった。慈善団体「ユース・トラスト」の調査でも、小学生の子供たちが体育の授業に参加する時間が減少していた(2009-10年時点と2013-14年時点での比較)。

 五輪関係者・政府は、オリンピック・パラリンピックの開催を通してスポーツがより身近になり、参加する人・頻度を増やすことを、東部開発と並ぶ2大目標の1つとしていた。

 五輪開催時にオリンピック担当大臣だったテッサ・ジョウエル議員は、BBCのラジオ番組(7月6日放送)の中で、子供たちの学校での運動時間が増えていないことについて「せっかくの五輪の機会が無駄になった」と述べた。その理由として、議員は学校教育の場でスポーツを振興するために使われたプログラム(スクール・スポーツ・プログラム)が政府の財政緊縮策の一環で2010年に廃止されたことを指摘した。

 これに対し、政府側は「地域レベルでのスポーツ振興に過去5年で10億ポンドを拠出している。2005年の招致が決定した時よりも、140万人の国民が毎週スポーツに参加している」と答えている(7月6日、BBCニュース)。

 一方、左派系ガーディアン紙は社説(7月5日付)で、政府が地域のスポーツ振興にあれこれ言うのはおかしいと指摘している。政府の役目は公園を作ったり、テニスコートを準備したりなど、環境を作るだけでいいのでないか、と。そうすれば国民は勝手に公園を走ったりするのだから、と。

 ロンドン五輪開催から3年経って、話題になっているのが「いかに心地良い住・職空間を作るか」「貧困地域の開発は十分だったか」「国民のスポーツ参加は進んでいるか」「税金が無駄に使われていないか」であることが、ロンドンらしい感じがする。五輪+パラリンピックを、国民全体が長い間恩恵を受ける機会にするべきという共通認識がある。

 3年前の夢のような競技の日々は過ぎたが、あのときの記憶は消えておらず、未来に向けてレガシーを残すための努力が続いている。
by polimediauk | 2015-11-05 18:01 | 英国事情
 21日に、ネットの放送局「ホウドウキョク」の「あしたのコンパス」という番組に電話出演しました(午後9時半ごろ)。トピックは欧州の難民・移民問題でした。

 話したトピックは「英国の難民対策」でした。放送用にまとめたメモが以下です。このまま話したわけではありませんが、英国事情のご参考として見てくださると幸いです。

シリア難民が増加した要因は?

 シリア難民は2011年のシリア内戦からずっと発生してきていたのですが、最近、例えば去年の4月ぐらいから、欧州に行き着くためのゴムボートが沈没して、何人もの方が亡くなったりなど、目につくようになったかと思います。ずっと続いている問題ではありますが。

 難民発生の原因は内戦ですよね。イスラム過激派組織、イスラム国(IS)がシリア、イラクで拡大している、と。シリアのアサド政権の軍隊、反アサド勢力、そしてISの戦いが内戦になっています。かつて、米英側は反アサド勢力に支援(軍事、資金)をしていましたが、ISを討伐するための、米を中心とした有志連合が、シリアに空爆を無数に行っている状態です。それでも、ISは力を減らしておらず、空爆はほとんど功を奏していないと言われています。

 もう、近隣のそれぞれの国にはだいぶ逃げていますし(トルコには190万人とか)、レバノンにもたくさん。

 その次の波として、欧州にまで逃げてくる人がどんどんいる、ということですよね。

ドイツを目指す難民が多い理由は?

 政治的にドイツが受け入れを積極的にやったためと、西欧は経済も好調ですし、難民支援もしっかりしていると、難民側が知っている、ということでしょう。

 メルケル首相のリーダーシップで、前からEU各国に受け入れを求めてきましたが、それがうまい具合に行かず、例のアイランちゃんの写真事件もあって、緊急受け入れ策を講じました。それでも今や、アップアップ状態ですね。

EU各国の難民への対策や、英国の状況は?

 EU各国ですが、欧州委員会が中心になって、前に、それぞれの国ごとに割り当てるようにしましたが、これに全員が賛成していません。英国も参加せず。14日の会議でも、義務化は無理だったようですよね。

 英国の難民受け入れですが、まず、「移民・難民」は近年の英国政治で非常に大きなテーマになっています。「欧州」もそうです。英国はもともと欧州が嫌いと言いますか、ブリュッセル(欧州委員会、EUなど)への不信感を持っています。統合を深化したくないのです、一人でやっていける、ということで。ユーロに参加していませんし、国境でパスポートのチェックをしない「シェンゲン協定」にも入ってません。

 2004年に欧州連合に東欧諸国がどっと入りました。このため、ポーランドなどの旧東欧からたくさんの移民が入ってきました。すると、英国人の仕事を取られたと思う人がでてきました。実際、学校とか公的サービスは窮屈になっています。そういう流れで、EU脱退を望む英国独立党が人気になりました。2017年までに予定されている、EU加盟についての国民投票実施もこの流れです。

 現保守党政権ですが、公約として、「移民のネット数を減らす」としています(ネット数とは、英国から出て行った人と、やってきた人の数を合計し、その差を表します。純移民数)。年に10万人に抑える、と。ところが、最新の情報では、30万人ぐらいになっていましたーー30万人分、人口が増えているわけです。大失敗。何せEUに入っていれば、自由に英国に来れますし、英語は国際語だし、仕事はあるし(好景気)で、どんどん入ってくるわけです。

 ・・・という背景があって、キャメロン首相はずーっと、EU/メルケル主導の「難民割り当て策」にはずっと否定的・反対でした。なるべくかかわらないようにしてきました。

一枚の写真が変えた

 でも、9月2日、シリア難民男児アイランちゃんの死体が海岸に打ち寄せられ、世界中の同情を買いましたね。これで、難民を助けると言わざるを得なくなりました。また、ドイツはメルケルさんが受け入れに積極的なので、「それに比べて、フランスや英国はなんだ!」という批判の声が内外で高まったことも、プレッシャーになりました。そして、7日、難民キャンプからシリア難民を2万人受け入れる(今後5年間で)と発表しました。数日後には、レバノンやヨルダンにある、シリア難民の収容所を訪れました。

 アイランちゃんの写真が出たことで、英国民の中でも「なんとかしなければ」という思いが募っています。チャリティー団体が子供たちに物資を送るために運動したり、12日には、難民支援のためのデモが発生しました。野党労働党のコービン新党首が、党首に選任された直後に駆け付けたのが、ロンドンのこうしたデモの1つでした。

 プレッシャーをかけられたために「2万人」という数字を出しましたが、世論調査では難民の受け入れに消極的な人が結構多いです(半分以上)。

 内務省によると、今年6月までの1年で、英国の難民申請数は2万55571人。シリア難民は2024人。BBCによると、申請者の約6割が認定を却下されたそうですね。

 ドイツのような大陸の欧州(それぞれが地続き)と英国(海を隔てている、心理的には欧州より米国に親近感)とでは、この問題、大きな温度差がありますよね。

 英国は欧州内ではこの問題では独自のスタンスですよね。ほかの国が「受け入れ」を言っているのは、今現在、地続きでやってくる難民たちのことですね。ところが英国は、先にも言いましたが、シリア近辺の難民キャンプにいるシリア人を受け入れる、と言っているのです。今、国を出て欧州に向かう人は危険な道を通っているから、そういう危険な方法を奨励したくない、というスタンスです。ある意味、当たっていますが、口実のように聞こえなくもありません。

米英(仏)の責任は?

 米国が急きょ、1万人のシリア難民を受け入れることにしたそうですね。また、2016年度からは難民受け入れ枠を拡大するという報道がでましたよね。欧州を訪問中のケリー国務長官が、20日、明らかにしました。現在は年間およそ7万人で、16年度には8万5000人、2017年度に10万人に拡大するようです。

 米英はイラク戦争を主導したり、シリアの反アサド政権の武装組織を助けるために、支援をしてきたということらしいので、「シリア難民を作った責任」があるよう気がしてなりません。リビアからの難民も多いですが、リビアを爆撃などして、カダフィ大佐を引きずりおろしたのは、英仏でしたからね・・・。

 また、ドイツに今回入ってきた難民の出身国を調べたら、シリアが一番多かったそうですが、ほかの国もかなり多かったようですね。その1つがアフガニスタンと聞きました。米英などがアフガニスタンに侵攻したのは2001年10月です。9.11テロの直後ですね。結局、今もアフガニスタンは国として非常に課題が多い状態になっています。
by polimediauk | 2015-09-22 07:39 | 英国事情
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(「政治を変えよう」というイベントに集まった人々)

(以下は、「週刊東洋経済」3月2日発売号の筆者記事に大幅加筆・補足したものです。)

強まる政治不信と国民の声

 混迷のユーロ圏に加入せず、2015年の実質GDP成長率は2.4%とまずまずの数字を予測する英国。欧州連合(EU)の危機となるギリシャ債務問題の解決や一触即発のウクライナ紛争を海を隔てた位置からやや遠巻きに見つめるー。EUの一員ではあるものの、欧州には一定の距離を置く英国は、安全地域で充足しているかにも見える。

 しかし、実は「欧州」をキーワードとして英国は今、大きく揺れている。EUの一員としての英国という位置付け、そしてスコットランド、イングランド、北アイルランド、ウェールズと言う英国連邦の枠組みが変わりかねないほどの重要な動きが発生している。

 欧州大陸の処々の事象が影響を及ぼしているのは確かだが、これまで政治家が故意に無視してきた国民の声が震源だ。

 昨年、英国の政治エスタブリッシュメントは2つの事件に目を見張った。5月、欧州議会選挙でEU離脱を掲げる英国独立党(UKIP)が急進し、英国に割り当てられた73議席の中で24議席を獲得し(前回から11議席増)、第1党となった(第2党は野党労働党の20議席、次が与党保守党の19議席)。離脱を主張する政党が最大議席を取得するとは、なんとも奇異ではないか。

 元投資銀行家で欧州議会議員のナイジェル・ファラージ氏が党首となるUKIPは当時、誰も真剣には受け取らない極右政党と見なされていた。しかし、そう思っていたのは政治家や知識陣のみだった。政治的にはタブーとなるEUからの離脱や移民流入に制限をつけるべきとするUKIPは国民の間にじわじわと支持者を伸ばしていた。

 EU離脱を主張する政党が欧州議会選挙で第1党(英国枠)となったーこれは国民の多くがEUに「ノー」と言ったに等しい。投票率は34.1%と最低(欧州全体では43%)となったが、わざわざ投票所に出向いて「ノー」を表明したことの意味合いが逆に深まったともいえるだろう。

 もう一つの事件が9月に行われた、スコットランドの独立の是非を問う住民投票だ。スコットランド国民党(SNP)が主導した独立への動きをロンドンの政治家たちは「どうせ実現は無理だろう」とたかをくくっていた。結果は独立反対派が賛成派を僅差で上回り、独立はかなわないことになったものの、84%近い投票率を記録する熱い戦いとなった。2010年の総選挙での投票率が62%であったことと比較すると、突出した数字である。

 EU離脱と独立支持派の拡大の背景には、中央の政治家や知識層の主張と国民感情との大きな乖離がある。

 17世紀に発展を遂げた英国の議会政治による民主主義は世界中に広がったが、国民の声が政治に反映されないー少なくとも国民がそう感じるー事態が発生している。そして、すでに一部の国民の手によって、上からの政治に風穴が開けられつつある。その「穴」とはUKIPやSNPの躍進だっともいえる。

「ない、ない、国民には何の権利もない」

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(政治詩を読む「怒りのサム」)

 「EUを離脱する権利、ない。スコットランド独立、できない。パブでタバコを吸ってはいけない。ない、ない。国民には何の権利もない。ないことづくしだ」―。そんな言葉をステージ上で吐き出したのは、政治詩人のサム・バークソン氏。通称「怒りのサム」はロンドンでもっとも貧困度が高いといわれるハックニー地域を主として活動の場にしてきた。

 繰り返される「ない」と言う言葉が、2月8日、ロンドン北部で開催されたイベント「政治を変えよう」(慈善団体コンパス主催)に集まった聴衆の頭上を漂う。

 鉄工所の跡地を使った会場は8つに分かれ、100を超えるパフォーマンス、音楽、映画、議論が行われた。15分毎に出演者が変わるステージで、「言葉がナイフのように心に刺さる」と評されたこともあるサムの詩は集まった聴衆から喝采を浴びた。

 別の会場では野党労働党のステラ・クレアシー議員が政治の市民参加について話していた。中に入りきれない人が入り口に列になる。床に座り込んでノートにメモを取る人も数人いた。

 「政党が国民に何をしてくれるのか」-。批判めいた声が場内からあがった。クレアシー議員は「世界は複雑になってきた。1つの組織がすべての問題を解決できない」。政治家に頼るのみではなく「答えをみんなで見つけていこう。あきらめないで」。

 午後のセッションに登場した、ジャーナリストのジョン・ハリス氏は「現在の政治体制の最大の問題は最も多数の投票数を得た者が当選する仕組みだ。これでは国民の多くの声が政治の場に反映されない」と話す。

 2大政党時代は「1票でも票を多く得た政党が政権を担当することには正当性があっただろう」。しかし、どの政党も下院議席の過半数を満たせず、小さな党が複数存在した2010年の総選挙で、これまでのやり方に「大きな疑問符がついた」。2大政党以外の政党に投票した人の票が無駄になってしまう。「今こそ、比例制の導入も含め、広い意味の選挙制度の改革を実施するべきだ」ー。

 5月7日、英国で総選挙が行われる。前回の総選挙では過半数を取る政権がおらず、最多数の議席を獲得した保守党が3番目の自民党と手を握る連立政権が成立した。2大政党政治の長い伝統がある英国で、絶対多数の政党がない議会となるのは1974年以来という珍しい出来事だった。

 開票後、保守党と自民党の連立政権成立までには数日かかった。一時は2番目に多い票を獲得した労働党と自民党が手を握る可能性もあった。政治家たちが政権樹立のための交渉を重ねる中、国民はただ見ているだけだった。

EU離脱思考を生む英国民の問題意識とは?

 英国のEUへの不信感には根強いものがある。

 英国は元は植民地だった米国とは、歴史的な経緯やその後の二国間の協力体制、共通言語としての英語、人やビジネスの往来状況などから非常に深い関係にある。米国と比較すると、西欧の主要国フランスやドイツとは過去数世紀にわたって戦争をしてきた過去がある。大英帝国として世界に君臨したことも英国人のDNAに入っている。欧州他国のように何らかのグループに入らずとも、独立独歩でやっていけるという自負がある。

 紆余曲折の後で1973年に後のEUに加盟したものの、独自通貨ポンドを現在まで維持し続けてきた。当時から現在に至るまでも、加盟の意義はあくまでも経済的な利便性であると多くの国民が認識している。

 1984年、サッチャー政権は農業補助金の受取額が少なく負担の方が大きいとしてEU予算からの払戻金制度を勝ち取り、人の移動を自由にした「シェンゲン協定」にも英国は加わっていない。

 「ジョークが分からないドイツ人」、「蛙のような変なものを食べるフランス人」など、偏見とステレオタイプが入り交じった冗談は英国人の会話に頻ぱんに出現する。逆に「勤勉で何でもきちんと遂行するドイツ人」、「何を食べても太らないのがフランス女性」など、尊敬や憧れ感が入った表現もあるが、いずれにしても「大陸の欧州人=外国人」と言う視点は変わらない。

 さらに、近年のEUへの不信感の根にあるのは「訳のわからない官僚組織が不当な要求を英国につきつけている」という思いである。英国では自分が住む地域を代表する欧州議会議員の名前を知っている人はほとんどいない。議会活動をフォローしている人は希少だ。「何をしているか分からない議員たちーどうせたいしたことをしていないーが、経費を無駄遣いしている」という認識が一般的だ。

 ところが、その「訳のわからない官僚組織」は日常生活のレベルで自分の身に影響を及ぼしてくることがあり、英国民としては「頭にくる」ことになる。

 身近な問題としてEUへの怒りがうっせきしてきたきっかけは、2004年に旧東欧諸国を中心とする10カ国のEU加盟であった。当時、EU加盟国のほとんどが新EU市民の流入を一時的に制限する措置を導入した。英国は労働者登録制度を採用したものの、実質的にはほとんど制限をつけないも同然であった。

 結果としてEU域内から英国への移民純流入数は2003年の1.5万人から、04年には9万人、06年には10万人を超えた。

 人、モノ、サービスの自由化を掲げたEUから入ってくる人を英国は止められない。学校では新たに入ってくる生徒数が急増する場合が発生し、地方自治体のレベルでも予期せぬ人口が増えたためにサービスが行き届かない、経費カットを余儀なくされる事例が報告された。

 EU市民の姿が自分の生活の周りに目に見えて出現するようになった。通りにオープンするポーランド食品店、コーヒーショップでウエイトレスとなる東欧諸国出身者、水道管の不具合を直す修理屋、家を建ててくれる大工など、至るところに新移民の姿があった。ポーランド出身の大工は実は英国のこれまでいた大工よりもしっかりと仕事をこなすことを英国市民はだんだんと知ってゆく。地元のカフェでふと辺りを見回すと「自分が知らない言葉を話す人ばかりだった」という現実に違和感を感じる高齢者の手紙が新聞に載るようになった。

 2008年の金融危機で失業率が上昇すると、「新EU市民に職を奪われた」という国民感情が生まれても不思議ではなかった。

 「移民はもういらない」-そんな感情が一部の国民の間で渦巻くようになったが、こんな発言は現在の英国では政治的に正しくない。人種差別にもつながる発言と取られかけないーたとえそれが本音であっても、である。

 ドイツのメルケル首相を中心にEUが政治的なまとまりとしての機能を強める動きが出てくると、ますます英国民の間でEUへの不信感は高まった。

 そこに現れたのが、国民の思いを代弁する、EU脱退を目指す政党UKIPであった。

フードバンクを年間100万人が利用

 2月19日、大衆紙ミラーに44人の教会関係者が連名で書いた手紙が掲載された。2010年の政権発足以来、緊縮財政を実行する政府の「福祉改革」が「国民的危機を発生させている」とする抗議文だ。

 「英国は世界第7位の経済大国だ。それでも飢餓状態にある人がたくさんいる」、無料で食事を配る「フードバンク」を訪れた人は「この1年で50万人を超える。昨年、栄養失調で入院した人は5500人となった」。原因は福祉の「削減や政策の失敗による」。

 英国最大のフードバンクのネットワークを運営する慈善団体「トラッセル・トラスト」によると、状況はさらに深刻だ。トラストは週に2つは新たなフードバンクの場所(教会である場合が多い)を設置している。3日分の食料が支給されるサービスを利用した人は2012-13年では34万人、13-14年では91万人に達した。トラストの調べでは英国全体の人口6300万のうちで1600万人が「貧困」状態にある。

 前政権が残した巨大な債務の返済があることなどを理由に、政府は福祉政策の締め付けを行っている。障害者用手当ての厳格支給、労働年齢と見なされる国民が受け取る失業手当に上限適用、余分の部屋を持つ低所得者用住宅に住む国民に対し福祉手当を打ち切るなど、数々の削減策が取られてきた。

 失業率のみを見れば金融危機以降の約8%から5%ほどに下がってきているものの、雇用主が就労時間を保証せず、必要なときにのみ仕事を提供する「ゼロ時間契約」で働く人も少なくない。

 この契約は雇用側からすれば需要に応じて働く人を確保できる利点があるが、働く側からすれば不安定な就労環境だ。就労時間にばらつきがあるため収入が一定せず、通常の雇用契約ではないため、銀行ローンを受けにくい。当日あるいは翌日からの勤務がオファーされた場合、就労開始までの時間が極端に短く仕事を断らざるを得ない場合もある。

 昨年4月末、政府統計局(ONS)がゼロ時間契約についての調査結果を発表した。5000の雇用主を対象に聞いたところ、140万件のゼロ時間契約が交わされていることが分かった。250人以上の従業員を持つ企業の約半分が利用していた。

 オズボーン財務相のかつてのキャッチフレーズは「私たちはみんな同じ状況にいる」だった。だから、経費削減になっても、生活が苦しくなってもがんばろうというメッセージである。

 しかし、光熱費、食費などが上がる一方の中で、公的サービスが削減され、フードバンクが人気となった状況に暮らす国民にとって、裕福な家庭出身者が多い保守党閣僚らと自分たちが「同じ状況にいる」ようには見えない。

どうなる5月総選挙


 5月7日の総選挙まで いよいよあと2ヶ月弱となった。各政党は支持者の取り付けに躍起だ。党首が学校や工場を回る様子をメディアが連日報道する一方で、他党のスキャンダルを見つけようと懸命だ。

 複数の世論調査によれば、保守党と労働党が首位を競う。「ポピュラス」調査(1月19日付)では保守党支持が30%、労働党が33%、自民党が8%、UKIPが13%、ほかが8%。「ユーガブ」調査では保守党が31%、労働党が32%、自民党が7%、UKIPが18%、その他が12%である。現時点では労働党がやや有利だが、保守党との差があまりにもわずかであるため、まだまだ安心はできない。

 躍進が期待されているのがUKIPだ。同党は下院の議席は2つしかない。1つは補欠選挙で得たものであり、1つは保守党議員の鞍替えによる。党首自身が欧州議会議員である。これまでの政治界の常識から言えば「外側」にいる、無視できる存在であったはずだ。

 しかし、EUへの懐疑や移民のこれ以上の流入を懸念する国民の本音を代弁してくれるファラージ党首とUKIPは、いまだに大手メディアの政治報道では「際物」扱いではあるものの、二ケタ台で議席を獲得しそうだ。支持率だけ見ると、UKIPはすでに第3党の存在だ。現在、連立政権に参加している自民党の座を奪ってしまった。(UKIPをどんな人が支持しているのかについては、東洋経済オンラインの筆者記事をご参考にされたい。)

 自民党は5月の選挙に生存をかける。現在50を超える議席を持つが、これが大幅に減少して30台に落ちるようだと、もし次回も絶対多数を取った政党がなく連立政権が発足する場合でも参加できなくなる可能性があるといわれている。逆に、政権参加をする・しないにかかわらず、二ケタ台の議席を押さえたUKIPが発言力を大きく増すことになる。

 キャメロン首相は、英国がEUに継続して加盟するかどうかを問う国民投票を2017年に行うと述べている。ただし、保守党が単独政権となった場合である。国民は「但し書き」がつくことが気に入らず、何故もっと早く国民の意を聞かないのかと大きな不満を持つ。UKIPに票が流れることを恐れる保守党上層部は、「2016年に開始案」も模索中だという。いずれにしても、EUに不満を持つ多くの国民の気持ちを満足させる答えになっていない。

 高い支持率を持つかに見える労働党だが、エド・ミリバンド党首の人気がぱっとしない。労働組合の支持を受けて党首に就任したことから、「赤いエド」とも呼ばれ、企業活動に支障をきたすような政策を実行するのではないか、大胆な財政出勤をすることで負債を増やすのではないかという懸念を国民が持つ。「バラマキ予算の後でツケを負わせられるのはいやだ」と街頭インタビューで答える人をよく見かける。投票日から2ヶ月で、ライバル政党との差が「数パーセント」というのでは、絶対多数を取れないだろうという見方が強い。

SNPが台風の目か

 調査では「その他」に入っているものの、注目どころはスコットランド国民党(SNP)の動きだ。現在は下院では6議席を有するのみだが、総選挙ではスコットランドに当てられた59議席の中で54議席ほどを獲得するという予測がある。そうなれば、SNPこそが第3党となり、連立政権を組むことになるかもしれない。

 第3党の座を巡る戦いとも言える今回の総選挙。ただ、保守党、労働党、自民党という現在の3大政党と、UKIPやSNPには大きな違いがある。後者は国民の声を元に政治を実現しようとしている印象がある。

 UKIPもSNPもかつては少数政党だった。スコットランドでは政権党となったSNPは独立運動ではいったんは後退したものの、地元スコットランド市民の声に耳を傾け、市民のために政策を実現しようとしている。

 UKIPは「反EU」「移民問題」という、既存政党が正面からは取り上げようとしない、かつ国民が解答を要求する問題にとりくむ。しかし、反EU,反移民は人種差別や内向き政策にもつながる危うさがある。EU離脱は現実問題として大きなビジネス上の不利益をもたらす可能性もあろう。また、英国がEUから離脱すれば、EUの性質が大きく変わる可能性もある。

 スコットランドの独立にもさまざまな不安定要素がある。独立推進派は「欧州の中のスコットランド」として進むことを望んでいたが、混迷のEUに加盟することへの意味合いやポンドとユーロの関係(ポンドを継続して使えるのかどうか、ユーロを採用するのか)も考慮する余地があるだろう。また、SNPは英国が保有する唯一の核兵器である、潜水艦発射弾道ミサイル「トライデント」システムの廃止を訴えている。英国が核兵器を持たない国になることは英国のみの問題ではなく、国際社会に大きな影響を及ぼす。これまでの英国の防衛政策の大転換ともなり、国民的議論が必要だろう。
by polimediauk | 2015-03-14 07:59 | 英国事情