小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

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カテゴリ:英国事情( 193 )

 (以下は新聞通信調査会が発行する月刊メディア冊子「メディア展望」10月号に掲載された筆者の原稿です。若干補足していることと、9月の執筆時から11月上旬の間の情報が反映されていない点をお含みおきください。)

 8月末、米国人ジャーナリスト、ジェームズ・フォーリー氏がイスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)の戦闘員と見られる人物に首を切られ「処刑」される動画がネット上に出た。世界中の多くの人が首切り行為、そしてその場面を動画にしてネットで公開するという手法に残酷さを感じた。

 英国での衝撃は格別だった。というも、黒装束の戦闘員は英国のアクセントがある英語を話したため、この人物が英国人である可能性が出たからだ。何故英国の青年がこのような行為を行ったのか、防ぐ手立てはなかったのかと英国内で大きな議論が発生した。

 英国でイスラム教を盲信する若者たちがテロ行為、殺害行為に関与したのは今回が初めてではない。また、英国のみならず、ベルギー、フランス、スウェーデンなどほかの欧州諸国から多数の若者たちがシリアやイラクに出かけ、ISやほかの過激武装組織の構成員となって戦闘行為に参加している。こうした若者たちの「敵」にはいつしか西欧諸国の一般市民や中東諸国で取材をする西側の報道陣や支援組織のスタッフなども含むようになっている。

 西欧諸国で生まれ育った若者たちは何故「聖戦(ジハード)」に参加するために海外に出かけ、戦闘行為に参加し、さらには西欧の市民の首に手をかけるようになったのだろうか?

 若者たちの聖戦兵士への変化の原因を明確に分析するには多くの専門家の知見が必要となり、筆者一人の手に余るが、ここでは最近の具体例の紹介をすることで、処々の問題の理解や今後の解決策を考えるための一助になればと願う。

 なお、いくつかの言葉の定義について確認しておきたい。まず「聖戦(ジハード)」という言葉だ。ブリタニカ国際大百科事典では「イスラム伝播のためイスラム教徒に課せられた宗教的義務。ジハードは必ずしも武力によるものではなく、心による、論説による、支配による。さらに剣による4種類のジハードに分かれる」とある。決して武力による戦いのみを指すわけではないのだが、この原稿の中でシリア、イラクあるいは欧州各国で発生している現象を説明する文脈においては主として武力による戦いとして使っている。

 また、「イスラム過激派」あるいは「穏健派」という表現がある。在英のイスラム教組織の人々によると、イスラム教徒には「過激派、穏健派という区切りはない」という。また、ここで問題にする若者たちは「イスラム教徒ではない。そのように書くことがおかしい」という指摘がある。イスラム教という名前を使っているだけだ、と。

 筆者はこうした指摘を重要と思っているが、新聞や通信社などの報道では本稿に出てくるような若者たちを「イスラム教の過激思想の持ち主」として扱うのが一般的であるため、ここでは論を進めるためにそうしていることをご理解願いたい。

ロンドン・テロでイスラム教青年が注目浴びる

 筆者が住む英国の例から見てみよう。イスラム教徒の青年たちが自国民にテロ行為を行うという英国民にしてみれば想定外の状況に遭遇したのが、2005年、数人の青年たちがロンドンの地下鉄やバスで自爆テロを行った時である。

 英国民にとって「テロ」言えば、記憶にあるのは英領北アイルランドのカトリックとプロテスタントの住民との間のテロであり、それが英国本土に上陸した際のテロ行為であった。

 ロンドン・テロの実行者は全員がイスラム教徒で、3人は英国で生まれ育ったパキスタン系移民2世、1人がジャマイカ生まれで英国に長年住んでいた青年だった。「国産の(home grown)テロリスト」という言葉が報道によく出るようになった。テロの経緯に関する調査報告書が複数出たが、家族や知人が「どこにでもいる普通の青年」が何故どのような過程でテロ行為に走ったのかについて、一般市民が分かるような説明が出ないままに、何年もが過ぎた。

 当初、4人の実行犯たちは「例外」として考えられたが、その後の数年で、この青年たちと同様に「突然(と家族や知人は見る)イスラム教過激主義に心酔し、何らかの武装行為をいとわない」若者たちの事例を英国民は次々と目撃するようになった。

 近年の例では、昨年5月、ロンドン南東部ウーリッチにある英陸軍砲隊兵舎近くを歩いていた英兵が路上で男性二人に殺害される事件が起きた。実行犯はともに20代のナイジェリア系英国人で、通りかかった通行人に「米軍によるイスラム教徒の殺害に復讐するために殺害した」と話した。キリスト教徒として生まれ育ったが、イスラム教徒に改宗していたという。

 英兵はこの日非番で、兵舎近くを歩いていただけで刃物による攻撃を受けた。実行犯らは犯行後、現場を去らず、通行人に状況を撮影するよう頼んでいた。幾度となくテレビで放送された動画は、「自分もいつ攻撃を受けるか分からない」という恐怖感を国民に植え付けた。二人は昨年末、殺人罪で有罪となり、今年になって終身刑を下された。

 今年6月、英西部ウェールズ地方出身の学生2人など数人の若者たちがシリアやイラクでの聖戦を勧める動画がネット上に出た。家族や友人たちは学生たちが戦闘行為に参加するためにシリアに向かっていたことを知らなかった。

 シリアやイラクで欧米を敵視するイスラム教過激派組織「イスラム国」(IS)が勢力を拡大し、ISや同様の組織に加わって聖戦戦士となる英国民が目立つようになってきた。

 米フォーリー記者の殺害動画発表から約10日後の8月29日、キャメロン英首相は会見で、英国籍のIS戦闘員が「約500人」と述べた。英国の安全が脅かされているという認識から、テロ警戒レベルを5段階の上から3番目の「重大」から「深刻」に引き上げた。引き上げは約3年ぶり。

 首相は、9月1日、テロ対策を強化する法案の成立を目指すと発表。法案は国境でテロリストと疑われる人物から場合によってパスポートを没収できるようにする、紛争地を飛ぶ路線の搭乗者名簿を英当局に提出することを義務付けるなどが中心となる。

 翌2日、イスラム国は拘束していた別の米国人ジャーナリスト、スティーブン・ソロトフ氏を斬首した場面が入った動画をネット投稿した。動画の中でISの戦闘員と見られる男性はフォーリー氏の場合と同様に英国訛りの英語で話し、ISが包囲したイラクの町に米軍が空爆したことを処刑の理由として挙げた。

 13日には英国人の人道支援活動家デービッド・へインズ氏の同様の動画が公開された。これまでの2回同様、動画の中の戦闘員は英国風英語で話した。英国はISに対して直接的な軍事攻撃は行っていないが、映像には「米国の同盟国へのメッセージ」という題がついていた。英国がISへの攻撃を支持するなら、さらに人質が殺害されると戦闘員は話し、恐怖心をあおった。

ベルギー、デンマーク、仏からシリアへ

 英週刊誌「エコノミスト」(8月30日号)によると、シリアにいる聖戦兵士のうちで海外から参加した人は81カ国約1万2000人に上る(今年5月末、米スーファン・グループなどによる計算)。このうち、欧州出身者は約3000人だ。

 欧米諸国の中で数として最も多いのがフランス(最大700人)、英国(400人)、ドイツ(270人)、ベルギーとオーストラリア(それぞれ250人)だ。人口当たりでもっとも多いのはベルギー、デンマーク、フランスの順となった。

 外国人戦士として最も多いのはアラブ諸国で、チュニジア(最大3000人)、ヨルダン(2089人)、サウジ・アラビア(2500人)、モロッコ(1500人)、レバノン(890人)、リビア(556人)、トルコ(400人)、エジプト(358人)など


何故シリアが戦士を外国から集めているのか?


「エコノミスト」によれば、シリアの内戦では当初、窮地に陥った国民=イスラム教徒=に食物や医療品を届けるという目的で海外からやってきた人たちがいた。欧米の政府はアサド政権に残虐行為をやめるよう呼びかける中、当時、シリアに人助けに渡ることは悪いことではなかったはずだ。

 内戦が悪化するにつれ命を落とす市民が増え、「過激な思想を持つ人々がひきつけられるようになった」。

シリアからの帰還戦士たちへの不安

 今年5月末、ブリュッセルにあるユダヤ人博物館で何者かが自動小銃を乱射し、イスラエル人観光客を含む4人が亡くなった。実行犯として疑いがかかっているのはアルジェリア系フランス人の男性だ。後に仏マルセイユで拘束され、ベルギーに送還された。

 この男性はシリアで1年生活をしたことがあり、イスラム過激組織の一員であったとも言われている。9月上旬、先に亡くなったフォーリー氏やソトロフ氏とともにシリアで人質になった経験を持つフランス人ジャーナリストが、昨年、拘束中のシリアでこの男性に何度も拷問を受けたとフランスの雑誌「ル・ポワン」に語っている。

 ユダヤ博物館殺人事件はシリアから帰還したイスラム戦士による暴力事件として欧州首脳陣に警鐘を鳴らした。事件発生直後、マニュエル・ヴァルス仏首相は自国で育った聖戦戦士による脅威に衝撃を受けたと発言している。

 英国の元諜報機関幹部リチャード・バレット氏は「どの欧州の諜報機関もシリアから帰還した若者たちの動きに神経を尖らせている」と述べる(英フィナンシャル・タイムズ、6月4日付)。過去3年間でシリアにやってきた外国戦士の数は10年間でソ連に占領されていたアフガニスタンに集まった外国戦士よりもはるかに大きいという。後者からテロ組織アルカイダが生まれたことは記憶に新しい。オランド仏大統領によれば、当時アフガニスタンの戦闘に参加したフランス人戦士は20人だが、先の「エコノミスト」に掲載された調査では約700人がフランスらからシリアに向かっている。

英メディアが聞き出した戦士たちの生の声

 何故若者たちがイラクやシリアに向かい、戦闘行為に参加するのか?英メディアは現地やこれから向かう人などに取材し、その声を聞きだしている。

 BBCニュース(8月15日付)が取材した1人は、これからイラクあるいはシリアに向かうつもりと言う「アーマド」である。BBC側はこの名前は本当の名前かどうかは確認できていない。顔を赤いスカーフで隠してテレビ取材に応じた。隠したままであること、声の質も放送時に変えることが出演の条件だった。

 何故行くのかと聞かれ、「イスラム教徒が(イラクやシリアに)行って聖戦を行うように」と神が命じたからだという。具体的にはISが家を離れ、戦線に参加するよう呼びかけたからだ。「私の人生のすべてよりもこの呼びかけに応じることが優先する。イスラム教徒にとっては大きな意味がある」として、「殉教者として死ぬことは最高の天国に行ける約束を意味する」と続けた。

 BBCの記者はロンドンに住むアブ・サーリハ氏という青年にも取材した。同氏はイスラム過激主義者シーク・オマ・バクリの生徒であると述べた。ISを支持し、ISが発するオンライン上のメッセージを世界中に拡散している。

 サーリハ氏の部屋では聖戦主義者の動画が再生されていた。聖戦主義者と見られる人物がパスポートを焼き、小型の剣を振り回していた。動画の中の男性はイスラム教徒にイラクやシリアの戦いに参加するよう繰り返し訴えていた。

 記者はこうした動画を見て英国の若者たちがISに加盟し、戦闘行為に参加すれば、命を失う可能性もあると指摘する。サーリハ氏は「みんな、神のために死ぬことを辞さない。死は勝利の殉教になる」。こうした発言に抵抗を感じるとしたら、それは「あなたがこちら側にいないからだ。こちらの側にいれば、(殉教)は行動のモーチベーションになる」と答えた。

 しかし、英中部バーミンガムのムハマンド・サジャド導師はイラクやシラクで行われているのは「宗派の違いによる戦いであって、聖戦ではない」と記者に語る。

 導師の言葉に耳を傾けていた2人のイスラム教徒はイラクやシリアに行って戦闘行為に参加することには反対だ。「過激主義者が宗教の名前をハイジャックするような状態を誇りに思う宗教はない」(ザルファー・カハタブ氏)。「イスラム教徒として心が傷つく」「正当化できない」(アーサン・アーマド氏)。どちらも若い男性たちだ。2人は自分たちが「イスラム教徒の大部分の気持ちを代弁する」という。

過激思想が直接入ってくる

 2005年のロンドン・テロ発生後、多くの人が何故若者たちが自分の生まれ育った国で自爆テロを行うのかを分析し、答えを見つけようとした。青年たちに何か非がある、つまり「貧しさ、失業中だった、孤立していた」などの理由では十分な説明とはならなかった。ただ、一部の若者たちがあるときからとりつかれたようにイスラム過激主義に心酔してゆく過程が見えてきた。

 英国の中では、イスラム教徒のコミュニティーに何かできることがあるのではないかということで、イスラム教団体やモスクの導師、学者、大学の指導教官、あるいはコミュニティーの年長者などに政府が支援を求めた。

 テロ防止法の整備・強化への動きは現在でも続いている。

 しかし、近年の特徴として、コミュニティや大学、モスクなどの物理的場所や人を通さずに、過激思想が若者たちに入ってくる状況がある。この状態は何年か前から指摘されてきたものの、シリアの内戦(2011年―)以降、特に顕著になっている。

 取り込む側もソーシャルメディアの活用に非常に長けている。

 例えばISは世界中から聖戦参加者を募り、自分たちのメッセージを伝えるために洗練された動画やソーシャルメディア使いを工夫している。

 英テレビ局チャンネル4の取材(ウェブサイト6月17日付)によると、ISが6月中旬に公開した動画にはISのリーダー、アブー・バクル・アル=バグダーディーの声が入っている。公開初日に3万人が視聴した動画の中で、アル=バグダーディはスンニ派イスラム教徒にISの聖戦参加を呼びかける。「トレーニング用キャンプと外国戦士用の宿はすべてのイスラム教徒に開かれている」「イスラムの若者よ、今こそ立ち上がれ」。

 この動画と同時にいくつもの関連動画を複数の言語で制作・公開している。アラビア語やフランス語で作られた動画には英語の字幕が付いている。「アルハヤト・メディア・センター」が制作したとされる動画には「聖戦に出かけよう」という歌の歌詞が掲載されている。

 こうした動画の1つには爆発の場面、銃撃の様子、スローモーションの画面が多用されており、まるでビデオゲームのようにも見えるとチャンネル4はリポートしている。

 ISの構成員同士で使うツイッターの独自アプリも開発しており、これをダウンロードすると、ISのニュースを受け取ることができる。

 一般市民が使うフェイスブック、インスタグラム、ユーチューブもISの構成員が利用しており、戦況や人質への処刑場面などがアップロードされている。フェイスブックやユーチューブ側はアカウントを凍結したり、動画をブロックしたりなどしているが、世界中に構成員がいるため、いたちごっこのような状態になっているともいえる。

 具体的な解決策を提示するのは本稿の目的ではないものの、少々暗い結末になってしまった。

 若干俯瞰して考えてみたい。まず、シリアやイラクからの帰還戦士が引き起こすテロに欧州の政治家や当局は警戒心を抱き、市民へのテロが起きないよう日々全力を尽くしている現状がある。イスラム教徒の欧州市民は「イスラム教という名前を借りて、犯罪行為を行う人々」に対し、怒りを感じている。また、欧州に住んでいれば、実際に帰還戦士によるテロ行為にあう可能性がある。

 しかし、イラクやシリアでは市民に相当の被害が出ており、欧州が抱えている聖戦戦士問題は実は周辺の事象なのではないかと筆者は最近、思う。すでに「第3次世界大戦が起きている」と指摘するコメンテーターもいる。ただし、今回は欧州は主戦場ではなく、周辺なのだ、と。

 英国に住むと中東関連のニュースが頻繁に入ってくる。わが身の安全も去ることながら、シリアの市民はどうなのかと比較して考えてしまう。

 もう一つ気になる点として、宗教の解釈の仕方だ。キリスト教が主たる宗教となる西欧諸国では、いわゆる「政教分離」が進んでいる。宗教・信仰によって物事を決めたり、「急に信心深くなる」ような行為に対して、一定の懐疑の目を向ける傾向がある。西欧でキリスト教の最大のイベントとしてクリスマスがあるが、実のところ、多くの国で単なるショッピングイベント、商行為の1つになっている感じもある。

 こうした面を考慮に入れると、自国内の一部の青年によるイスラム教への心酔、宗教の名の下での戦闘行為をするということなどが、西欧社会では非常に特異な、不審な、理解を超えた存在として見なされるーーそんな面もあるのではないだろうか。西欧社会に住みながら、そんなことも考えるこの頃だ(終)。

***

 (新聞通信調査会の「メディア展望」10月号に掲載された筆者記事に若干補足しました。9月の執筆時点での情報を元にしていることにご留意ください。)
by polimediauk | 2014-11-04 04:58 | 英国事情
 2008年のリーマンショックと世界的金融危機で、英国民が嫌う業界といえば真っ先に名前が挙がるのは銀行界だった。他人のお金を使って懐を温めるとんでもない奴として、銀行家は「太った猫」とも呼ばれた。

 生活費の高騰に悩む国民にとって、新たな「敵」となったのが大手ガス・電気会社だ。光熱費はガスや電気の卸売価格とともに上下するはずだが、卸売価格の上昇率よりも光熱費の伸びがはるかに大きいのだ。

 料金比較ウェブサイト「uSwitch.com」の調べによると、2004年から今年10月中旬までに光熱費は年間平均522ポンド(約8万4000円、11月20日時点で計算)から1353ポンド(約21万8000円)へと3倍近くに上昇した。「卸売価格以外の要素も光熱費の決定を左右している」と会社側は説明するが、かえって国民に不透明感を抱かせた。

 光熱費問題はエド・ミリバンド野党労働党党首が9月末に開催された党大会で、「2015年の総選挙で労働党政権が成立したら、その後20ヶ月、光熱費を凍結させる」と宣言したことで、再燃した。

 英国の電気・ガス市場は1990年代に自由化しており、「政治家が凍結を強制することはできない」と指摘される中、ガス、電気会社大手4社が最近になって平均10%の光熱費値上げを発表し、「便乗値上げ」と言われても仕方ない状況だ。

 キャメロン首相も光熱費の高騰を問題視するようになったことを受けて、10月29日、エネルギー企業6社の代表が下院委員会に召還され、高騰の背景を問いただされた。各社は「卸売り価格の急騰が原因」と説明したが、国民の理解を得るには程遠かった。

 実は、政府の調査によれば、欧州連合の他国と比較すると英国の光熱費はそれほど高くはない。調査に参加した15カ国の中で英国の家庭の電気料金は2番目に低く、ガス料金は4番目に低かった。それでも、「安いとは実感できない」というのが国民の本音で、ガス・電気会社はしばらく非難の的になりそうだ。

 (週刊「エコノミスト」の「ワールドウオッチ」の筆者担当分に補足しました。)
by polimediauk | 2013-11-21 01:34 | 英国事情
 週刊「エコノミスト」(毎週月曜日発売)に「ワールドウオッチ」という、数人で執筆を担当する連載コラムがある。時折、私も書いている。

 以下、9月の最初の2週間に掲載された分に若干細補足してみた。英国のビジネス・経済状況の点描として閲読いただければ幸いである。 

ー最低賃金を払わない企業の実名をさらす案が浮上

 国が設定する最低賃金を払わない企業の実名を公表して恥をかかせる案が、英国で浮上中だ。

 現在、21歳以上の勤労者の最低賃金は時給6.19ポンド(約974円、1ポンド=約157円として計算、以下同じ)だが、10月から6.31ポンド(約993円)に上昇する。政府は、これに合わせて所定額を払わない企業名を公表し、全国最低賃金法の徹底遵守を目指す。

 違法行為が発覚した雇用主には、不足分の支払いと最大で5000ポンド(約78万円)の罰金が科せられる。昨年、若い女性に人気のファッション・ブランド「Top Shop」を運営するArcadia社はインターンとして働く従業員らに約20万ポンド(約3150万円)の不足賃金を払う羽目になった。

 英国歳入関税局(HMRC)の調べによると、昨年、736の雇用主が最低賃金以下の給与を支払っていた。2万6500人を超える従業員への不足分の支払いは390万ポンド(約6億1700万円)に達した。

 英国の労働組合の中央組織「労働組合会議」(TUC)によれば、最低賃金以下で働く労働者はHMRCの調査した数よりも「はるかに多い」。しかし、不満を口に出せば雇用を中止されることを懸念して、「口をつぐんでいる」。

 最低賃金のレベルを守るだけで良いかというと、そうとは言えないのがロンドンの例だ。

 一定の生活水準を維持するための「生活賃金」は全国では時給7.45ポンド(約11780円)だが、ロンドンは生活費がほかの都市と比べて高いため、市は雇用主に対し、時給8.55ポンド(約1346円)を採用するよう推奨している。ところが、これを無視して国による最低賃金を払う雇用主も少なくない。その1つがお役所関係だ。複数の省庁が清掃担当の職員に6.19ポンドにほんの少し上乗せした金額を払っていた。清掃員たちは大臣に抗議の書簡を送り、官公庁前でデモを行ってきたが、賃金が上がったという話をいまだ聞かない。

 英シンクタンク「レゾリューション・ファウンデーション」によると、生活賃金以下の収入で暮らしている人が英国内では480万人いるという。
by polimediauk | 2013-09-26 08:14 | 英国事情
 ロシアから英国に亡命してきた、富豪・新興財閥(オリガルヒ)の一人、ボリス・ベレゾフスキー氏が、23日、英南部アスコットの自宅で死亡していたことが分かった。24日昼現在、死因は明らかになっていない。

 英国に亡命中だったロシア人の富豪ベレゾフスキー氏、死亡 ―巨額負債を抱えたことが苦に?

 プーチン政権の批判者としても知られたベレゾフスキー氏。自殺なのか、あるいは何者かに殺害されたのか、死因がはっきりするまではさまざまな憶測が飛びそうだ。

 BBCのモスクワ特派員の報告によれば、多くの国民が社会体制の変化で困窮に苦しむ中、一握りの人々が巨額の富を得たのが新興財閥と見られており、ロシア内で死亡したベレゾフスキー氏への同情論はあまりないようだ。

 ここで、いわゆる「新興財閥」について、簡単にメモって見たい。

 オリガルヒとは、旧ソ連が社会主義政治・経済体制から資本主義に移行する中でロシアの経済改革や国営企業民営化などを通じて財を成した個人の起業家たちを指す。

 英国では、サッカークラブ、チェルシーの所有者ロマン・アブラモビッチ氏が有名だ。

 アルミ王といわれるオレグ・デリパスカ氏をはじめとして、ロンドンの高級住宅街に豪華な邸宅を所有していることが多く、こうしたオリガルヒたちが居を構える一帯は「テムズ川のモスクワ」と呼ばれた。

 2006年には元ロシア人スパイ、アレクサンドル・リトビネンコ氏がロンドン市内で毒殺される事件が発生したが、同氏はベレゾフスキー氏が面倒を見ていたといわれ、このときもオリガルヒに注目が集まった。

 世界的な金融危機でロシア株式市場が暴落し、オリガルヒたちは巨額の損失を抱えた。しかし、現在は資産を持ち直しているといわれている。

 財閥誕生までの流れを振り返ってみると、

1987年:ソ連で銀行の設立が自由化。後に新興財閥となる青年たちが金融業に進出。

1991年:ソ連崩壊。一部の新興財閥が為替市場で通貨ルーブルの下落を利用した取引で利益を得る。また、彼らの多くは、経済政策が変わって財務難に落ちいった中央や地方の役所にその金を融資した。

同年:ロシア連邦成立。ソ連時代の社会主義的政治・経済体制から資本主義社会への移行。ロシアの経済改革や国営企業民営化を通じて、1980年代後半から、さまざまな企業グループが形成される。

1996年:ロシア大統領選挙、実施。再選を狙っていたエリツィン大統領に新興財閥らが選挙資金を拠出。マスコミ企業の支援もあって、無事、当選。新興財閥の一人であるウラジミール・ボタニン氏が内閣入り。エリツィン大統領の経済改革により、国民生活は悪化。

2000-01年:ウラジミール・プーチン氏が大統領就任。新財閥の影響力増大に懸念を持ったプーチン氏は、詐欺や脱税容疑で一部の新財閥を逮捕。メディア財閥のベレゾフスキー氏は経営するテレビ局が放送停止に追い込まれたこともあって、英国に亡命した。

2004-6年:ミハイル・ホドルコフスキー氏率いる石油企業ユーコスが、政権の圧力により解体に追い込まれる。

2007-8年:世界金融危機により、新興財閥たちは大きな負債を抱えた。

(「英国ニュースダイジェスト」掲載の筆者記事に補足しました。)
by polimediauk | 2013-03-25 00:20 | 英国事情
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(「アクアティック・センター」のスタンド部分を取り外す作業員たち、LLDC提供)


 昨年夏に開催されたロンドン五輪の主会場となった「オリンピック・パーク」。現在は「クイーン・エリザベス・オリンピック・パーク」と名称を変え、今夏、その一部が再オープンする。改修作業が着々と進むパーク内を視察する、報道陣向けツアーに参加してみた。

―建設現場

 地下鉄ストラットフォード駅で降りて、ツアー用バスに乗り込む。数分後に到着したパークは、まるで「店じまい」をしたかのような静けさとなっていた。五輪期間中はたくさんの観戦客や報道陣、警備担当者、案内のボランティアでいっぱいであったのとは対照的だ。

 眼前に広がった光景は、一言で言えば、「建設現場」。黄色い上着を着た工事関係者が点在し、バスが通る道や見学可能な場所は白とオレンジ色のブロックで囲まれている。建設作業員でなければ、ブロックの外を自由に歩くことはできない。

 パーク内の移動はもっぱらバスだ。総面積は約2・5平方キロメートルあり、ハイドパークと同様の広さになる。

 昨年9月、五輪とパラリンピックが終了すると、ロンドン市長の直属機関ロンドン・レガシー開発社(LLDC)は、3億ポンド(約430億円)近くの費用をかけて、自然公園「クイーン・エリザベス・オリンピック・パーク」への改修作業を開始した。

 「レガシー」(遺産)は、五輪招致のためのキーワードの1つだった。

 数週間のスポーツ競技開催のために新たに永久的なスポーツ施設を作ってしまうと、巨額の維持費がかかる。過去の夏季五輪で、使用された競技関連施設が閉会後は「無用の長物」(=「ホワイト・エレファント」)となってしまうことを避けるため、ロンドン五輪運営関係者は何年も前からレガシー計画を策定してきた。

―解体、取り壊し

 昨年秋からこれまでに、不要となった電力ケーブル、発電機、通信機器などが取り除かれ、ホッケー競技に使われた施設の解体がほぼ終了。バスケットボール、水中ポロ用の施設も取り壊し中だ。最終的には25万の座席、140キロメートルにわたって張り巡らされたフェンス、約10万平方メートルの臨時競技スペースが撤去あるいは改修される。最大で5000人の作業員が働いてきた(1月末現在は、1000人程度)。

 LLDC社の施設管理責任者ピーター・チューダー氏によると、臨時用施設で使われた資材の多くは「国内外の競技施設で再利用される」。

 来年春の完全オープンに向けて、作業は3段階で進んでいるという。

 3段階とは「クリア(撤去する)、コンプリート(解体・撤去作業を終了し、新たな施設として完成させる)、コネクト(地元コミュニティーや住民をパークにつなげる)」である。

 同社が「コネクト」の部分を重要視するのは、五輪の開催目的にはロンドン東部の環境保全を含む再開発もあったからだ。

 パークが位置する4つの特別区(ニューハム、ハックニー、タワー・ハムレッツ、ウオルサム・フォレスト)は、ロンドンでも最も貧しい地域の1つだ。単純労働の雇用主となってきた製造業が長期的に凋落し、失業率が恒常的に上昇した。
 
 東京で言うと都庁に相当するグレーター・ロンドン・オーソリティー(GLA)の調査によると、貧困は寿命も縮める。ニューハムの男性の平均寿命は76.2歳であったが、高級住宅地ケンジントン・チェルシー地区では85歳であった。

 パークの建設地はかつて産業プラントが集積しており、深刻な土壌汚染状態となっていた。長年再開発が行われず、廃棄物が散在する状態が続いていた。五輪開催への準備をするために、ようやく大規模な浄化が進んだ経緯があった。200万トン分の土壌が浄化され、約4000本の木と30万以上の湿地性植物が植えられた。鳥の生息地にもなるように、750の箱が設置されたという。

 パークを自然公園化し、住宅、学校、スポーツ施設を建設することで、住民にとっても、ここを訪れる人にとっても、心身ともにくつろぎ、活性化できる都市空間を作るーこれがLLDCの使命だ。

―北部からオープン

 7月27日、昨年の五輪開幕から1周年の日に、まずパーク北部が「ノース・パーク」としてオープンする。

 コミュニティーセンター、カフェ、ピクニックや散歩に適する緑地ができるほかに、五輪ではハンドボールなどの競技会場となった「コッパーボックス」は、バスケットボールや体操、コンサートなど多目的用途で使う施設となる。

 オープニングのイベントとして、陸上ダイヤモンドリーグのロンドン・グランプリや、大手プロモーター、ライブ・ネーションが担当する世界的な人気アーチストによるコンサートが開催される予定だ。

 世界中からやってきたメディアが利用した国際放送センターは、デザイン、テクノロジー、リサーチ、データ・センターなどITビジネスの拠点「iCITY」に生まれ変わる。今夏からは、通信大手BTの新スポーツ・チャンネル「BTスポーツ」が、ここで放送を始める。iCITYによると、6000人以上の雇用が見込まれるという。

 選手村は「イースト・ビレッジ」としてオープン。ここには約3000戸の住宅が建設され、その半分ほどが低価格住宅となる。

 パークが完全オープンとなるのは、来年の春。南部は「サウス・プラザ」と呼ばれ、飲食街となる。プール施設「アクアティック・センター」と赤いらせん状のタワー「アルセロール・ミタル・オービット」が一般公開となる。

 年間80万人の利用者を見込むアクアティック・センターは市民が気軽に水泳を楽しむ施設になる予定で、ロンドン市内の公営プールなどの料金を超えない範囲で利用できる見込み。

 オービット・タワーは観光客から入場料を取り、企業のパーティーや会議利用で運営収入を得る。年間で最大100万人の来客を見込んでる。

 一部報道ではタワーが年内にオープンするという。LLDC社のチューダー氏は「現時点でコメントできない」としたものの、その可能性を否定しなかった。

 同社はパーク全体で年間900万人の訪問者を予定している。

 パークの中心的位置を占めるオリンピック・スタジアム。政府は当初、売却を考えていたが、適当な買い手が見つからず、公営のままで借り手に使用をリースすることにした。プレミアリーグのウェストハム・ユナイテッド(本拠地ニューハム)が借り手になるはずだったが、法律上の問題から交渉はいったん、停止。

 紆余曲折があったものの、年末、交渉再開が発表された。LLDC社の最高経営責任者デニス・ホーン氏は、「今のところ、最有力候補はウェストハム・ユナイテッド」と語っている。

 寒さが厳しい冬の日に、ところどころに残る雪を目にしながらの見学は、緑あふれる自然公園の様子や、カフェやコンサートに集まる人の熱気を想像するには、少々困難な感じがした。しかし、夏以降、ふらっと訪れて、のんびりしてみたいとも思った。ロンドンの新名所になることは間違いない。

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 パークの変貌の進ちょく状況を見るバスツアーについてのお問い合わせは、メール(parktours@springboard-marketing.co.uk )かお電話でー。(英国) 0800 023 2030
by polimediauk | 2013-01-26 07:53 | 英国事情
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(写真は、クリスマス・クラッカー)

 中世(5世紀―15世紀)の英国では、クリスマス・シーズンといえばご馳走を食べ、陽気に騒ぐ時期であった。1年の中でも寒く暗い日々が続く冬のハイライトであった。

 BBCの宗教特集のサイトによれば、当時は特定の宗教の祭事ではなかったようだが、人々の生活に絶大な影響力を持っていたキリスト教の教会がキリスト教の祭事としての意味合いをつけていった。例えば、収穫を祝う歌をキリスト教の聖歌としたり、ヒイラギはキリストが十字架にかけられる前に王冠として使われたものとして定着させたという。

 エリザベス1世の時代(在位1558年―1603年)、新約聖書を信仰の中心にするべきと考えた清教徒たちは、厳格な道徳観に基づいた生活を提唱。次第にクリスマスを祝う行事を問題視するようになり、1644年、イングランド地方ではさまざまな祝事が事実上禁止された。

 クリスマスを祝う行為が国民的行事として大きく花開くのがビクトリア朝(1837年ー1901年)だ。

 ブームに一役買ったのが、チャールズ・ディケンズの小説「クリスマス・キャロル」(1843年)。これをヒントに、裕福な「中流階級」(資産家、産業資本家、商人層など)は家族が集う、特別な時期としてクリスマスを盛大に祝うようになった。

 しかし、最も影響力があったのはビクトリア女王と王室だったといわれている。

 クリスマス・ツリーの伝統はドイツからやってきた。ビクトリア女王の夫で、ドイツ生まれのアルバート公が英国に導入したのが1834年。この時のツリーはノルウェーの女王が贈呈したもので、ロンドンのトラファルガー広場に飾られていた。

 1848年、新聞「イラストレーテッド・ロンドン・ニュース」が、さまざまな飾りがついたクリスマス・ツリーを囲む王室の姿を描いたスケッチを掲載した。まもなく、英国の多くの家庭が、ろうそくやお菓子、フルーツ、手製の飾りや小さなプレゼントがついたツリーを室内に置くようになった。

 1843年に起業家ヘンリー・コールが友人・知人に送ったことで始まったのが、クリスマス・カードを送る習慣だ。クリスマス・カードの制作は高額で、子供たちは自作のカードを作るようになった。カラー印刷の技術が発展したことでカードの価格が下がり、低額の郵便切手も新たに発行されると、クリスマス・カードの送受がブームとなった。1880年だけでも1150万枚が発行された。

 これをクリスマスの商業化の第一歩と見る人もいる。

 製菓業を営むトム・スミスは、視察先のパリで、砂糖をまぶしたアーモンドがねじった紙に包まれて販売されていることを目撃し、「クリスマス・クラッカー」の販売を思いついた。

 筒状にした紙を何度かねじった形をしているのがクリスマス・クラッカー。スミスは中にお菓子を入れた。数人と一緒にクラッカーの筒を互いに持ち、引っ張り合うと、「パーン」という音がして紙が破ける。出てくるのはお菓子である。

 次第に中身はお菓子からおもちゃ、ジョークが書かれた紙などに変わってゆく。1843年から販売されたクリスマス・クラッカーは現在の英国のクリスマスには欠かせないアイテムだ。

 例えば、現在では、クリスマス・クラッカーはクリスマス・ディナーの食卓に置いてあり、隣に座っている人などと一緒に引っ張るようになっている。中にはおもちゃやジョークの紙と一緒に、紙でできた王冠型の帽子が入っており、これをかぶってディナーを食するようになっている。

 家の内外を飾るのもビクトリア朝時代から盛んになったという。

 クリスマス・プレゼントも必須になった。フルーツ、ナッツ、お菓子など、当初はツリーに飾っていたが、中身が大きく重くなるにつれて、ツリーの下に置かれるようになった。

 クリスマス・ディナーのメインとなるロースト・ターキー(七面鳥)やクリスマス・キャロルを歌うことなどもビクトリア朝時代に盛んになった。

―クリスマス・プディング

 最後に、クリスマス時に食べる、甘いものについて書いておきたい。

 七面鳥のローストがメインとしてあって、締めとして、「クリスマス・プディング」があるのが定番だ。

 このクリスマス・プディングは、簡潔に言えば、ドライフルーツ、ナッツ、香辛料、ラム酒、ミンスミトートと呼ばれる牛脂などが入った、ダークな色のケーキだ。

 フルーツケーキの場合は焼いて出来上がるが、クリスマス・プディングは蒸して作る。家庭で作る場合もあるが、できあいのものをスーパーなどで買う人が圧倒的だ。

 何をかけて食べるのかは、作った人や家庭によって随分と変わるが、クリーム・ソース、カスタード・ソース、ブランデー・バター、ラム・バター、ブランデー・クリームなど。濃厚で、とても甘いデザートになる。

 日本でイメージする、クリスマス・ケーキ、つまり、中身がスポンジ・ケーキで、これに生クリームやイチゴなどが乗っているものは、クリスマス時のケーキとしてはみかけない。

 英国で「クリスマス・ケーキ」と名がつくものは、ダークな色のフルーツケーキをマジパンなどで包み、これに白いアイシングを重くかぶせたものだ。

 ほかには、木の形をしたケーキ「ビュッシュ・ド・ノエル」(もともと、フランス)、スコットランド地方のフルーツケーキでアーモンドが上に乗っている「ダンディー・ケーキ」、ドイツの菓子パン風ケーキ「シュトレン」、イタリアの菓子パン「パネットローネ」も人気が高い。

―家族と一緒に

 ビクトリア朝時代からの伝統で、今でも根強く残るのが、クリスマスは家族が中心に回ること。ディナーの準備、テーブルを囲んでの食事、家の内外の飾り付けをしたり、ゲームを楽しんだり、プレゼントを交換し合うーこれがすべて、家族がキーワードとなる。

 英国の現在のクリスマスはキリスト教徒のみばかりではなく、さまざまな宗教の信者あるいは無宗教の人が参加する、季節のイベントだ。

 多くの人が聖歌のコンサートに出かけ、クリスマスツリーを飾り、オフィスではクリスマスパーティーを楽しむ。

 24日の夜には、教会で行われる「真夜中のミサ」に出かけたり、クリスマス当日には、家族、親戚、友人らとクリスマス・ディナー(昼または午後の早い時間にとる場合が多い)を楽しみ、プレゼントを交換し合う。

 ディナーの後は散歩に出かけたり、ゲームを楽しんだりする。エリザベス女王の「クリスマス・メッセージ」の放送を視聴することも欠かせない。

 その後はゆったりとテレビを見たり、さらに食べ、飲み、話すうちに、夜が更けてゆくー。

参考サイト:
ビクトリア朝のクリスマス
http://www.bbc.co.uk/victorianchristmas/history.shtmlChristmas
by polimediauk | 2012-12-25 05:47 | 英国事情
 カナダ中央銀行のマーク・カーニー総裁が、来年から英中銀総裁に就任することが、昨日、発表された。英中銀の318年の歴史の中で、外国人を総裁として迎えるのはこれが初となる。世界中からベストの人材を集める「英断」として、英国ではおおむね高く評価されたが、果たして、カーニー氏の自国カナダではどう受け止められたのだろうか?

 カナダの全国紙「グローブ・アンド・メール」(27日付)に掲載された、2つの記事に注目して見た。

 1つはマイケル・ババド氏が書いた、「なぜ私がマーク・カーニーの出発に怒っているか」という記事だ。 http://www.theglobeandmail.com/report-on-business/top-business-stories/why-im-furious-over-mark-carneys-departure/article5723275/

 「普通、誰かが、より大きなそして給与の高い仕事に転職したら、これを祝福し、次に進むものだ」。しかし、「今回は違う」という。

 というのも、2008年にカナダ中銀総裁に就任したカーニー氏が「まだ7年の任期を終えていないのに、英中銀の総裁職を受けるという点を無視したとしても」、そして、「ほんの2-3ヶ月前に、カーニー氏が私たちに、決して、絶対に英国の仕事を引き受けないと約束した点を無視したとしても」、カーニー氏はカナダでの仕事がまだ終わっていない、これが「重要なことだぞ」、と書く。

 道半ばで、英国に自国の人材を取られてしまったという、悔しさが出ているような文章である。

 カナダは他国のような「最高にきつい不景気」を免れた。これはカナダ中銀に力があったともいえるけれども、今回に限っては、「この」人物がいたからなのだ、と力説する。

 ババド氏によれば、カーニー氏はカナダのこれまでの中銀総裁の中でも最高の人材であるし、英政府がカーニー氏に「ほとんどストーカーのように」手を伸ばしたのは、無理もない、という。

 しかし、カナダこそ、カーニー氏を必要としているのだ。

 ババド氏はOECDの数字を引用する。今年の経済成長率は2%、来年は「ほんの1・8%、2014年でも2・4%になる」。この数字だけを見れば、悪くないようにも思えるが、まだまだカーニー氏の助けが必要なのだ、とも言いたげだ。

 また、カナダ政府の統計によれば、失業率は今年で7・3%、来年は7・2%、14年には6・9%になる。「若者層だけに限れば、これが15%に上昇してしまう」。

 ババド記者は、英国経済の建て直しが「グローバル経済にとって必要だ」というカーニー氏の論理は理解できるし、英中銀総裁の職は、カーニー氏のキャリアにとって「大きな機会」(カーニー氏)であることも分かるという。しかし、カナダの経済をより安定した状態に引っ張ってゆく仕事は、個人の「野望よりも、もっと重要なのだ」と主張する。

 一方、同紙のワシントン支局記者ケビン・カーマイケル記者は「英中銀のオープンさがカーニーにとって課題となる」という記事を書いている。 http://www.theglobeandmail.com/report-on-business/economy/economy-lab/boes-openness-will-challenge-carney/article5719072/

 同記者によると、シカゴ連邦準備銀行とカナダ中銀の最大の違いは、「異なる意見や議論をオープンにすること」だ(注:記事中では、シカゴ連邦準備銀行からやってきた人物とカーニー氏とがトロントで開催するイベントで同席するため、両行を比較の対象にしている)。カナダでは、中銀総裁のみが金利の上下に法的に責任を持ちながらも、審議会(ガバニング・カウンシル)でのコンセンサスによって政策が形成される。総裁が中銀の方針変更について表明するのが慣習で、カウンシルの部下たちは総裁の言葉を広めるものの、自分たちの意見は表明しない。

 しかし、英中銀は事情が違う。「総裁である自分がスポットライトを独り占めするわけにはいかないことを、カーニー氏は理解するだろう」。

 カーニー氏は金利を決定する英金融政策委員会の一人という立場になる。「委員の一人ひとりが各一票を持ち、コンセンサスからは離れることもあるだろう。委員はまた、思い思いの意見を表明するだろう」。

 カーマイケル記者によると、カナダでは、カーニー総裁は自分の言葉で政策目標を示すことができ、トレーダーたちを指導することができていた。「中銀からのメッセージは自分の言葉でのみ発せられるということを知っていたから、そんなことができた」のだ。「ロンドンではそうはいかなくなる」。

 記事の中で、RBCドミニオン証券のエコノミストたちの見方が引用されている。「英国では、金利は金融政策委員会が決定する。カーニー氏は委員会を指揮する立場にあるが、ほかの委員と平等になり、最終的な決定をする人物ではない」。「この重要な力学」に、カーニー氏がなじめないのではないかと指摘しているという。

ー「ストーカー」のような?

 カナダでの評価の話からは少々離れるが、なぜ、先の記者は英政府がカーニー氏に「ほとんどストーカーのように」手を伸ばした、という表現をしたのだろうか?

 英中銀の総裁選定には、初めて公募制がとられたということになっている。しかし、「広く応募して来た人々の網の中から、優れた人を採用した」というよりも、「最初から、一本釣りだった」という感覚が近いのではなかろうか。

 例えば、BBCのビジネス記者ロバート・ペストン氏のブログによると、オズボーン英財務相は、今年2月、カーニー氏に「英中銀総裁にならないか?」とアプローチをしたという。「オズボーン氏がカーニー氏に」、である。そのとき、良い返事はもらえなかった。4月、BBCのインタビューで、カーニー氏はカナダの中銀総裁職を全うすると答えている。

 そして、最近になってもう一度、オズボーン氏がトライ。そこで、やっとOKになったのだという。

 ちなみに、思い起こしていただくと、オズボーン氏が「中銀総裁を公募で選ぶ」と宣言したのは、今年9月である。その半年以上も前に、アプローチしていたことになる。

 そして、「公募宣言」後に、先に断られていた人を追いかけたわけだ。最初から「この人」と決めていたのだ、という見方もできるだろう。 事実上、公募制は瓦解していた気がするのだがどうだろう?

 そこで、「ストーカーのように」というのは、カナダ人ならずとも、ぴったりした言い方だなあと思ってしまった。

 皆さんは、どのように見ただろうか?真相は、誰かが回顧録を書くまでは明確にはならないかもしれないがー。
by polimediauk | 2012-11-28 10:05 | 英国事情
 英中央銀行の次期総裁に、カナダ銀行(カナダの中銀)のマーク・カーニー総裁(47歳)が就任することになった。オズボーン財務相が、26日、国会でこの任命を発表した。300余年の歴史を持つ英中銀で、外国人がトップになるのは初だ。来年6月に2期10年の任期を終えるマービン・キング総裁(64歳)の後任となる。

 公募制を導入した中銀総裁選定では、ポール・タッカー現副総裁など、数人の国内の人物が有力視されていた。

 一体、なぜ、財務相は国外から中銀総裁を招くことにしたのだろう?しかも、カーニー氏は英中銀総裁の職には就かないと、これまでに公の席で発言してきた経緯がある。オズボーン財務相は気乗りのしないカーニー氏に対し、粘り強い交渉を続け、やっと就任への承諾を得た。

 カーニー氏就任の理由について、英メディアの報道をまとめると、まず、それ相当の経験があることが挙げられる。カナダで生まれた同氏は、米ハーバード大、英オックスフォード大で勉学。投資銀行ゴールドマン・サックスやカナダ中銀、財務省で働き、2008年からはカナダ中銀総裁として勤務中だ。民間、政府機関どちらにも勤務し、一国の中央銀行を統治する経験も兼ね備えた人物なのだ。

 いわゆるリーマンショックが引き金を引いた世界金融危機の後、いかに銀行危機の再来を防ぐべきかで国際的な議論が発生しているが、カーニー氏は金融体制を監視する金融安定理事会(FSB)の議長でもあり、格好の位置にいる。

 さらに、カナダの金融危機をすばやく回収させた人物としてもカーニー氏はその手腕を高く評価されている。英国の多くの大手銀行が政府支援を受けた一方で、カナダの国内銀行はこうした政府支援を受け取っていない。

 しかし、オズボーン財務相によるカーニー氏の選定は「高い買い物」になった、という見方もある。BBC記者ロバート・ペストン氏のブログによると、次期英中銀総裁の報酬は年に64万2000ポンド(約8400万円)。これはキング現総裁がもらう額30万5000ポンドの倍以上なのだ。

 また、カーニー氏が金融危機を作り出した銀行の1つと見られているゴールドマン・サックスの出身であることも、英国では一部から反発を招くかもしれない。

ーオズボーン氏の「スピン」?

 ほかの先進国で、国民の生活に大きな影響を及ぼす中銀総裁を外国人に任せた例はほとんどないといってよいだろう。そこで、オズボーン財務相としては、カーニー氏の就任は英国がオープンで、他者を受け入れる下地があることを示すと26日、BBCの取材に語っている。

 しかし、これは逆に言えば、国内に適当な人材がいなかったということを示さないだろうか?だとすれば、必ずしも英国の素晴らしさを語る例にはならないかもしれないのだが。

 私自身、今回の就任の話を聞いて、驚いた。そして、「300年以上の歴史を持つ、伝統的な組織に、まったく別の国から人を探して、就任させるなんて、英国もやるなあ」と感嘆した。しかし、本当に「すごいよ、英国!」で終わっていいのかなとも思う。オズボーン財務相の「スピン」つまり、「自分たちの都合のよいように、情報に色をつけている」部分も若干ありそうだ。

 下馬評で有力視されていた、タッカー副総裁を故意に選ばなかったことで、LIBOR(ロンドン銀行間取引金利)策定をめぐるやらせスキャンダルを一掃しようとした・・・という面も、明らかにあるだろう。

 少々気になるのが、その判断が国民生活や企業の活動、国の経済全体の方向までを決める金利策定決定権を持つ中銀を、「外の人」にまかせることの違和感だ。例えば、金融の監督業務を行う金融サービス庁(FSA)のトップを外国人に任せる・・・というならまだ理解できるのだが、中銀総裁は非常に政治的な存在だ。つまり、「この国を、この国の国民をxxの方向に向けたい」という、一定の(政治的)意思が、金利の策定やそのほかのさまざまな業務の裏にあろうかと思う。広く国民に影響を及ぼす政策を決める職は、その国に何らかのステーク(利害関係)がある人がつかさどるべきではないだろうか?国籍云々というよりも、ステークの問題だ。

 総裁職の政治性を指摘した論考の1つが、フィナンシャル・タイムズ紙にあった。マーティン・ウルフ氏は「ようこそ、カーニーさん、英国はあなたを必要としています」という記事(26日付)の中で、外国人をその国の重要な公職に就任させたことは「驚くべきこと、素晴らしいこと」という。その一方で、「ギャンブルでもある」と。

 「ギャンブル」=賭けであるという理由は、この職が政治的だからだ。外部からやってきた人間は自国人だったらできないような難しい決断を行えるかもしれないし、自国人よりは独立性が高いと見られもするだろう。しかし、果たして、そんな決断を実行する「正統な」人物だと見られるだろうか、とウルフ氏は問いかける。

 カーニー氏のそのほかの課題として、ウルフ氏は組織化を挙げた。政府と政策をすり合わせ、国民にこうした政策を説明できるかどうか。中銀内部での意見の取りまとめにも大変な困難さがあるかもしれない。また、中央集権的体質を減らし、何かが起きたときに迅速に行動できるようにすること。さらに、恒久的な不景気と高インフレを打開するための、知恵も要求されるだろう。

 カーニー氏が英中銀の新総裁に就任するのは、来年7月だ。現在、英中銀の任期は5年だが、新たに8年になることになっていた(その代わりに、1期のみの就任)。ところが、カーニー氏はオズボーン財務相に5年間のみの勤務にしたいと申し出たというーー英国に腰を落ち着けて仕事に取り組みたい、という感じがどうもしない。やるべき仕事をやって、去る、ということだろうかー?

 ちなみに、カーニー氏の妻は英国人。子供は娘が4人いる。
by polimediauk | 2012-11-28 10:01 | 英国事情
 「パワー・フットボール」(車椅子サッカー)でスポーツを楽しむ人たちの様子を、見学してみませんか?そして、あなたもボールを蹴ってみませんかー?そんなお誘いのメールをロンドン・グリニッチ特別区のボランティアからもらったのは、先週のことである。

 サッカーは子供の頃、雪のグラウンドで、そして体育館の中で遊んだ以来、随分とやっていないが、スポーツが不得手の私でもそれなりに楽しんだ思い出がある。

 時はパラリンピックである。グリニッチは、オリンピックとパラリンピック競技の開催場所を提供する特別区の1つだ。主催者によれば、「車椅子サッカーはもう少しで2016年からパラリンピックに入るはずだったのに、惜しいところで逃した」競技だという。

 ウィキペディアによると、車椅子サッカーは、2007年に初のワールドカップが東京で開催された。昨年秋にはフランスで、日本を含む世界10カ国が集まり「第2回FIIPFAワールドカップ2011」が行われた。

 先日、ロンドン南東部グリニッチに足を伸ばし、車椅子サッカーの根城のひとつ、ウールリッチにある「ウオーターフロント・レジャー・センター」に出かけてみた。

 広いレジャー・センターの体育館の1つでは、既に数人が車椅子サッカーを始めていた。オリンピックとパラリンピック専用の赤茶色のユニフォームに身を包むレフリーは自閉症の女性だ。障害者用競技のレフリーとしての資格を持つ。回りでボールを追う選手のそれぞれも、視覚や足腰に障害を持つ。小学生から大人までと年齢は幅広く、男女の混成チームだ。

c0016826_23235130.jpg 選手の家族が外で見守る中、ひときわ元気のよい掛け声をかけていた小柄な女性は、シャロン・ブロークンシャーさん。元小学校の障害者クラスの先生だ。学校が閉鎖されたことをきっかけに早期退職し、学習障害など障害を持つ子供たちを対象とするサッカーの選手権「サウス・ロンドン・スペシャル・リーグ」の創設に奔走した。「障害があるからといって、スポーツができないなんて、ナンセンス」と思ったからだ。

 しかし、実は大人だってスポーツを楽しみたい、そして身体に障害があってもトライしてみたいーそんなフィードバックを得たシャロンさん。今度は米国で盛んな「パワー・サッカー」を広めようと活動を開始したのが数年前である。実際に障害者がグリニッチで車椅子サッカーを試すことができるようになったのは、3年前だ。

 現在では全国レベルの車椅子サッカー選手権に選手を出すまでとなった。

―意外と、動きは早い

 このサッカーで利用する車椅子は電気で動くようになっており、速度を選択できる。右手にある黄色い球の形のレバーを左右、上下にたくみに動かすことによって、さまざまなやり方でボールを「蹴る」ことができる。私も乗ってみた。最も遅い速度にしてもらったが、結構速く、思い切ってレバーを引いて壁に当たらないかとひやひやした。同時に、力いっぱい突進してボールを飛ばしたい思いにもかられた。競争心がぐっと出てくるのである。

 「これは『障害者のためのスポーツ』じゃないんです。一義的にはスポーツなんです。やっているのが障害者であるだけです」とシャロンさん。

 しばらく練習風景を見た後で、別室で参加者やシャロンさんに話を聞いた。

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 シーア・フレンチ=ギベンズ君(13歳)とお母さんのビビエンヌさん。歩行が困難なシーア君によると、車椅子サッカーを始める前にできた運動といえば、リハビリ用に軽く体を動かすことだけ。「競争のために体を動かすことは一切なかった」という。サッカーは「思い切りできるし、汗をかく。やった後もすっきりする。こんなに楽しいことはないよ」。一緒にやる仲間ができたこともうれしいという。

 母親のビビエンヌさんは、2-3年前、息子が車椅子サッカーをやりたいと聞いて、「喜んで参加させた」という。「息子は随分と変わった。終わって帰ってくると、今日はどんな試合だったのか、誰が何をしたのかとか、たくさん話したがります。自分に自信もついたようです」。

 エマ・ロジャーズさんも車椅子サッカーをとても楽しんでいるという。「週に2回の練習は、かかさず参加するの」。

 グリニッチ特別区は障害者のスポーツ参加を推進するため、アーチェリー、スイミング、フィットネスクラブ、乗馬、バスケットボールなど複数のスポーツを楽しめるサービスを提供している。ロンドン全体を統括するグレーター・ロンドン・オーソリティー(東京都庁にあたる)やサッカー関係団体、慈善団体、そして特別区の予算が使われている。車椅子サッカー用の電気車椅子「パワー・チェア」を購入するための約4万ポンド(約500万円)もこうした複数の団体・組織がカバーしている。

 「とても悔しいのは、2016年のリオデジャネイロのパラリンピックの種目に車椅子サッカーが入らなかったこと。あともう少しだったけれど、カヌーが選ばれてしまったのよ」とシャロンさん。シャロンさんは先のサッカー選手権の設立と地元コミュニティーへの貢献を評価され、大英勲章第5位(MBE)を授与されている。

 車椅子サッカーをはじめとする、障害者用スポーツを支援する資金が大幅削減される可能性はないのだろうか?政府は現在、公的部門の予算の二ケタ台の削減を実行中である。

 グリニッチ特別区の議員によると、「もしそうなったら、何とか資金をかき集めたい」―。

c0016826_23253824.jpg パラリンピックでの日本人選手の活躍を追っているというカーロ・サルバトーレさんは、歩行と視神経に障害がある。車椅子サッカーに参加するとともに、障害者を対象にしたドラマや音楽のワークショップでコーチ役としての経験も積んだ人物だ。

 カーロさん自身に車椅子サッカーへの評価と今後を聞いて見た。

 「リハビリ用の運動がいいとされてきたけど、これは上から押し付けられる形をとっています。与えられた動きを追うだけです。でも、若い人が特にこのサッカーを好むのは、自分で動きが決められるからです。自分で考えて、動ける。これがなんと言っても大きいのです」

 「いろいろな能力を使います。例えばチームの中で、どう動くか、とか。これが大きな魅力です」。

―パラリンピックは障害者にとって、どんな影響があったと思うか?

 「非常にポジティブです。ステレオタイプを崩してくれますし」

 「私は、将来的にはオリンピックとパラリンピックが一緒に開催されるようになるのではないか、と思っています」

 「パラリンピックの能力ごとの区分けにも大分力が入っていますし、ここまで来たのですから、統合するのでは、と。広い意味でのオリンピック精神が、そのほうが十分に伝わると思います」

 「そして、ここではできる車椅子のサッカーは、英国中のどこでも気軽にできるようになるべきです。パリでは、少し前に車椅子のサッカーのワールドカップがあったんですよ。スポーツが知られるようになると、こんな風に発展します」

 「そのためにも、車椅子サッカーの存在そのものがもっと知られるようになればと思います。ここに来てサッカーをする人は素晴らしいと思う。みんなでこのスポーツを支えようとしています」

 「私は子供の障害者のための活動をやっていますが、さまざまな能力の人を社会の中に取り込んでいこうとするインクルーシブな運動には、大賛成ですね」

 「つまるところ、人に力を与えることだと思うんです」。カーロさんによれば、原動力になるのは、グラスルーツの動きだという。

 グリニッチがうらやましいなあと思いながら、レジャーセンターを出て、最寄り駅「ウールリッチ・アーセナル」まで商店街を通りながら、戻った。
by polimediauk | 2012-09-08 23:17 | 英国事情
 8月末、王位継承権順位で第3位の「ハリー王子」ことヘンリー王子が、ラスベガスのパーティーで裸身をあらわにした写真を米ウェブサイトが掲載した。これを機に、ネット上ではハリー王子の裸の写真が一斉に流れたが、当初、英国の大手新聞各紙はこの写真を紙版はおろか電子版でも掲載しなかった。国内で掲載の先陣を切ったのは大衆紙サンであった。サンは「報道の自由」の一環として掲載を決定したと説明した。ハリー王子の写真掲載をめぐる動きをまとめてみた。(「英国ニュース・ダイジェスト」http://www.news-digest.co.uk/news/ 最新号掲載分に補足。)

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ヘンリー英王子の裸の写真がお騒がせ事件に ―「報道の自由」? 

 五輪の余韻がまだ残る8月末、英国民は大きな衝撃に見舞われた。

 ゴシップ記事が満載の米国のウェブサイト「TMZ」が、英国の王位継承順位第3位のヘンリー王子(=ハリー王子)の裸の写真を、22日早朝(現地時間は21日夕方)、掲載したのである。ラスベガスでの友人たちとのパーティーのひとコマで、1枚は股間を手で隠して裸で立つ王子とその後ろには裸らしい女性の姿が映っていた。もう1枚では、後ろ向きになっている裸の王子がもう一人の裸の女性を後ろから抱きしめていた。裸の写真はインターネット上のさまざまなウェブサイトに再掲載された。

 ネット上では誰でも見れる写真だったが、BBCや主要新聞を含む英国のメディアはTMZによる掲載を報道する一方で、実際の写真そのものは掲載しなかった。

 22日午後、写真提供会社スプラッシュ・ピクチャーズがメディアに連絡を取り、王子の写真を買わないかと声をかけだした。王室はこの写真が本物のハリー王子のものだと認めたものの、掲載をしないよう要請した。報道苦情委員会(PCC=メディアの自主規制団体)も、掲載すれば個人のプライバシー侵害にあたると各紙に伝えた。

 各メディアは個々の判断で掲載しないことを決めた。現在、大衆紙ニューズ・オブ・ザ・ワールド(昨年廃刊)での電話盗聴事件をきっかけに、新聞界の倫理と慣習を見直すための調査をレベソン委員会が行っている。この委員会の存在が「報道自粛」につながったという見方もある。

 大衆紙サンは社内のスタッフを使って、写真の中のハリー王子と女性と同じ格好をさせ、この写真を8月23日付1面のトップにした。一瞬、本物のハリー王子ではないかと錯覚させた。

 翌日、サンは掲載には「公益性がある」、「報道の自由の問題だ」とし、今度は本物の写真を1面に載せた。掲載にあたり、サンは編集幹部による動画を作り、「すでにインターネット上ではこの写真が出ている。紙のサンを読む約800万人の読者に機会を与えたい」と掲載理由を説明した。

 サンによる写真の掲載後、PCCに対し、850件に上る苦情が殺到した(補足:9月上旬時点では約3800件)。サンを発行するニューズ・インターナショナル社の親会社の会長ルパート・マードックは「英国には自由なプレスがないことを示したかった」とツイートでつぶやいた。

 ジェレミー・ハント文化・メディア・スポーツ大臣(当時)は、サンの報道に「公益があったとは個人的に思えない」が、「政治家が新聞の編集長に何を掲載するかを指図するべきではない」と述べた。

 写真の掲載について、政治家の中でも意見が分かれた。「王子は税金を活動の原資としている、だから写真の掲載には公益性があった」、「公益や報道の自由の問題ではない。すべて金が理由だ」など。王子の警備体制に不備があったと指摘する評論家もいた。

 ハリー王子は以前にも、仮装パーティーでナチの制服を着て参加し、ひんしゅくを買ったことがある。チャリティー事業に熱心に参加し、軍人としてのキャリアも積むハリー王子だが、今回の件で評判に傷が付いた。しかし、複数の世論調査では、プライベート空間で羽目をはずしたハリー王子に「好感を抱く」と答える人が大部分だ。

 今回の事件は、インターネット時代、王室の一員でも私的な情報を門外不出とするのがいかに難しいかを示した。また、日本人にとっては、王室の情報がここまで公にされてしまうこと、王子への国民的な好感度が依然として高いことなど、英国は日本と比較して随分とオープンな国であることを感じる事件であったともいえよう。

 9月4日、ハリー王子は、難病の子供とその家族を支援する団体が主催する賞の授賞式典に出席した。写真流出後、初めて公の場に出たことになった。

 王子はあいさつで、「人前に出るのを恥ずかしがってはいけません。私は思い切ってそうします」と言って来場者を笑わせたそうだ。

 その前日には、エリザベス女王の次男アンドリュー王子が、慈善団体の募金集めのため、ロンドンの高層ビル「シャード」の外壁をロープを使って降りる行為に挑戦した。その高さは310メートルほどで、欧州で一番高い高層ビルといわれている。7月、外壁の工事が完成したばかりだ。

 私はこの様子をテレビで見ていたが、本当にすごいなあと驚嘆した。アンドリュー王子が壁を垂直に降りる姿を見ていると、ハリー王子の「へま」のイメージが、次第に消えていく思いがした。


―ヘンリー(ハリー)王子のプロフィール

 正式な名前はヘンリー・チャールズ・アルバート・デイビッド。通称ハリー王子。父チャールズ皇太子と母故・ダイアナ妃の次男として、1984年9月15日生まれ。27歳。王位継承権順位第3位。陽気で楽しいことが好きな人物として国民から慕われている。年少時からタバコやお酒に手を出し、10代半ばでアルコール依存症で治療を受ける。勉強嫌いのため、2005年、サンドハースト王立陸軍士官学校に入学。卒業後は近衛騎兵連隊に所属した。2007年末からアフガニスタンで航空管制官としての任務を遂行。アパッチ軍用攻撃型ヘリコプターの操縦士。スキーやサッカー、ポロなど、スポーツ好き。チャリティー支援も熱心で、兄ウイリアム王子とともに2009年、慈善団体を立ち上げた。パーティーでの行きすぎた飲酒や悪乗りが乱闘騒ぎに発展したことも。ジンバブエ出身の恋人チェルシー・デービーとの交際が2007年頃に破局となった。結婚の気配はない。


―世論調査

*ハリー王子の行動を容認できますか?
はい:68%
いいえ:22%
分からない:10%
(YouGov調査、8月23日、24日)

*サン紙がハリー王子の裸の写真を掲載したのは正しい行為だったと思いますか?
はい:25%
いいえ:61%
分からない:14%
(YouGov調査、8月24日)

―関連キーワード:

Succession to the throne:王位継承、王位を王位継承者に譲ること。英国では王位継承にかかわる法律で定められ、国王の直系子孫、男子優勢、長子先継、プロテスタント信仰であること、カトリック信徒と結婚した場合は継承権を放棄などの条件がある。エリザベス女王の後、現在の継承順位は1位が長男チャールズ皇太子、2位が皇太子の長男ケンブリッジ公・ウィリアム王子、3位が次男ヘンリー王子、4位がヨーク公アンドリュー王子(女王の次男)、5位がベアトリス王女(アンドリュー王子の長女)など。法律は一部改正中で、近い将来、男子優勢の廃止、カトリック教徒と結婚しても継承は可能となる。ケンブリッジ公爵夫妻に女の子が生まれた場合、エリザベス女王の次の女性君主誕生の可能性がある。
by polimediauk | 2012-09-05 19:05 | 英国事情