小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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カテゴリ:英国事情( 193 )

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 世界中にファンを持つ、英作家JKローリングが書いたファンタジー小説「ハリー・ポッター」シリーズ。

 今年3月、英国に「ザ・メイキング・オブ・ハリー・ポッター」という博物館ができた。ここには実際の映画撮影で使われた衣装や小道具がたくさん置かれている。ハリー・ポッターのファンばかりか、本を読んでいない人、映画も見ていない人にも「楽しめる内容になっている」―という話を実際に行った人から聞いた。

 博物館には、(配給会社の)「ワーナー・ブラザーズ・スタジオ・ツアー・ロンドン」 http://www.wbstudiotour.co.uk/ という名前も付いている(以下、「スタジオ」と呼ぶ)。

 先日、このツアーに参加してみた。まず、ロンドン・ユーストン駅からワトフォード・ジャンクション駅まで電車に乗る。約20分ほど。そこからシャトルバス(片道1・20ポンド=150円ぐらい)でスタジオへ。

 バスの中では、スタジオの敷地の歴史を語る動画が上映される。第2次世界大戦中は、国防省のためにここで戦闘機が作られていた。その後は飛行機のエンジンを作る工場となり、「リーブズデン・エアロドローム」と呼ばれていた。1994年に工場は閉鎖され、その後は映画用音響施設、セットの組み立て場所になった。

 映画になったハリー・ポッターシリーズのセットを再現するスタジオ構想ができたのは2000年ごろであった。

 中に入ると、短い紹介の映画を見た後、広々とした宴会場に通される。ここはホグワーツ魔法魔術学校の「グレート・ホール」だ(上の写真はホールにつながる大きなドア)。俳優たちが着用したシャツやガウンがずらりと並ぶ。実際に映画で使われた本物である。

 グレート・ホールを抜けると、チョコレートの数々(本物は熱で溶けてしまうので、プラスチック製)、カツラやコスチューム、魔法学校の少年たちのベッドルーム、ダンブルドア校長先生の部屋など、次々とセットが再現されてゆく。

 本当に細かいなあと思うのは、校長先生の部屋にあった油彩の肖像画だ。複数の肖像画はすべてが映画の美術担当者たちが実際に描いたものだ。

 来る前に、「インタラクティブ性が楽しい」と既に行った人から聞いていたが、例えば、台所の流しにあるフライパンを洗う動作を、ボタンひとつで訪問者が動かせたりできる。

 私自身が圧倒されたのは、CG使いを説明をする場所だった。魔法使いのほうきがついた自転車が空中に吊らされており、その後ろのスクリーンの中で、この自転車を使っていかに空中戦のイメージを作り出したかを技術者たちが説明する。目の前の単なる自転車が、映画の中では空飛ぶ自転車に変身する。まさに映画の魔術である。

 途中で訪問客が車やほうきに乗り、空を飛ぶ様子を撮影してもらうコーナーもあった。

 ツアーは2つの建物に分かれており、最初の建物を見終わって次の建物に入る前に、小さな広場があった。ここには橋や家が再現されていた。石や木の節々に色濃く生える緑の苔を見て、随分古い材料を使っているなあと思ったのだが、近くにいたスタジオのガイドによると、「苔はすべて作ったもので、本物ではない」という。思わず、再度、そばによって見てしまった。

 第2の建物に入ると、手や本などの小道具にいかに生命を吹きこんで、動くようにするかが分かる展示になっている。小道具の数々の後ろに大きなスクリーンが設けられ、スクリーンの中から、俳優たちが説明をしてくれる。説明が終わると、「じゃあ、次に行こう」と言ってくれるので、一緒にスタジオを回っている感じがした。

 そして最後の最後―。私にとっては最も感動的な展示があった。魔法学校のセットだ。

 セットの周りには手すりがあって、ここに設置されたスクリーンが、眼前にあるセットがどのように映画で使われたかを説明する。これを見ていると、スタジオに入ったときから何度も思った、あることがまた頭の中によみがえった。

 それは、ここには英国のクリエイティブパワーが結集している、こうやって英国は世界に自分のクリエイティビティを発信している、ということ。

 うらやましくもあり、鳥肌が立つようにも感じもた。日本だったら、何を世界にアピールするだろう?-もちろんたくさんあるのだけれども、英国のクリエイティブ産業の底力をスタジオツアーでしみじみと感じた。

 最後のほうには、ショップがあって、随分と人が集まっていた。中国から来たジャーナリストの女性が、「ハリー・ポッターの映画はとてもセクシー。大好き」と、お土産に買った魔法の杖を片手に話してくれた。「ずーっと、ここに来るのが夢だった」。

 出口の近くにはカフェがあって、私もチーズサンドイッチを買って、一休み。

 チケットだが、訪問前にオンライン上で予約が必要だ。その場では買えないのだ。大人一人で28ポンド(3360円)、子供は21ポンド。家族4人だと83ポンドというセット価格があった。交通費とランチ代を含めると、100ポンド(約1万2000円)は軽く超えるだろう。これを高いと思うかどうかー?ハリー・ポッター熱の具合でその判断が決まるのだろう。
by polimediauk | 2012-08-31 22:21 | 英国事情
 英国の大手銀行の1つバークレイズ銀行が、先月27日、短期金利の国際的指標となる「ロンドン銀行間取引金利(LIBOR=ライボー)」の不正操作により、英米の捜査当局から総額2億9000万ポンド(約360億円)の罰金の支払いを命じられた。

 LIBORは住宅ローンなどの設定に基準として使われる金利で、私たちの生活に直結する存在だ。大手銀行への信頼感をさらに損なわせる不正行為に、金融当局ばかりか、政治家らも強い怒りを表明している。

 LIBORの仕組みや不正の背景に注目した原稿を、「英国ニュースダイジェスト」最新号に出している(「ニュース解説」)。http://www.news-digest.co.uk/news/
以下はそれに補足した内容である。

***

 近年の世界的金融危機で、税金をつぎ込んで大手銀行を救済する羽目になった英国では、国民の大手銀に対する見方は厳しい。多くの人の生活感覚からかけ離れた巨額報酬を受け取る大手銀の経営者たちは、しばしば批判の対象となる。中小企業の経営者からすれば、「貸し渋り」に終始する銀行は決して自分たちの味方とはいえない存在だ。

 大手銀行やその経営陣に対する不満がうずまく英国で、先月末、新たな不信の種ができた。300年の歴史を持つバークレイズ銀行が市場金利を不正に操作し、米商品先物取引委員会(CFTC)、米司法省、英金融サービス庁(FSA)によって、合計2億9000万ポンド(約360億円)の罰金の支払いを命じられたのだ。それぞれの監督庁にとっては過去最高の罰金額だ。

―LIBORとは?

 問題となったのは、国際的な短期金利指標、ロンドン銀行間取引金利(LIBOR、ライボー)やそのユーロ版EURIBORだ。LIBORは、銀行間市場で借り入れる際の金利を各行が申告し、これに基づき英銀行協会(BBA)が毎営業日設定する。総額350兆ドル(約2京7877兆円)にも上る金融商品の指標として使われており、金融派生商品(デリバティブ)、住宅ローン、教育ローン、クレジットカードの金利の基準になる。

 毎日変わるLIBORの金利のほんの小さな上下で、デリバティブ商品のトレーダーたちが大きな損をしたり、巨額の利を得ることもある。

 LIBORの設定には、まず複数の有力銀行が、翌日の銀行間市場で借り入れる金利をBBAに申告する(実際の作業は金融情報会社トムソン・ロイターが行う)。申告数値をもとにトムソン・ロイターがLIBORを計算し、関係者に情報を流す。BBAが計算方法の詳細を発表する形をとる。

 バークレイ銀では、2005年から08年にかけて、トレーダーたちが自行や他行の金利担当者に連絡を取って、自分たちが取り扱う商品のパフォーマンス向上に都合が良い数値を申告するように調整していた。また、2007年から09年の金融危機の頃、故意に低い金利を申告し、いかにも財政状態が良好であるかのように見せていたという。

 不正操作疑惑は数年前から一部で報道されてきたが、金融業界の監督組織FSAは具体的な行動を取ることができないままでいた。LIBORは具体的な取引ではなく、有力銀行が提示する呼び値をBBAがまとめる形をとってきたため、業界による「私的な活動」という面があったことや、LIBORの設定行為がFSAが刑事捜査を行う対象になっていなかったことが背景にある。

 LIBOR市場は「少数の有力銀行に」支配され、銀行の所有者(株主)には、「金融機関の経営者を監督する機会はほとんどなかった」(フィナンシャル・タイムズ紙、6月29日付)のだ。

 BBAは今年3月から、LIBOR設定方法の見直し作業を開始している。FSAによると、不正操作はバークレイズばかりではなく、20行ほどのほかの銀行でも行われていた。今後、詳細が明らかになりそうだ。

―誰が何を知っていた?

 バークレイズ銀のLIBOR不正操作のみに限っても、経営幹部の中の誰がいつ、どこまで事態を認識していたかの解明が待たれる。

 3日、バークレイズ銀は、不正操作にかかわる内部メモ(2008年10月9日付)を公表した。メモは、同日辞任したボブ・ダイヤモンド最高経営責任者(CEO)が、当時のCEOジョン・バーリー氏宛てに書いたものだ。

 ダイヤモンド氏は、英中銀のポール・タッカー副総裁との電話での会話後、このメモを作成した。多くの政治家あるいは官僚が、バークレイズの申告金利がほかと比較して高い理由をタッカー氏に問い合わせていること、そして、バークレイズはタッカー氏からの「助言を必要としていない」が、「報告する金利が常に高く見える必要はない」、と同氏が述べたことを記録していた。

 4日、ダイヤモンド氏が下院・特別委員会に召喚され、メモに言及。政治家あるいは官僚たちがバークレイズ銀のLIBORの高さに懸念を持っていることをタッカー氏に「警告された」と解釈した、と述べた。

 同じく辞任したジェリー・デルミシェ前最高執行責任者(COO)は、低めのLIBOR設定を当局が容認したと解釈したといわれている。

 しかし、9日、下院・特別委員会で証言を行ったタッカー副総裁は、バークレイズ銀に対し故意にLIBORを下げるよう示唆したことはない、と述べている。ダイヤモンド氏もタッカー氏も操作を知ったのは「最近」であったという。

 10日には、バークレイズのマーカス・エイジアス会長が下院・特別委員会に召喚された。今年4月、FSA長官アデア・ターナー氏からバークレイズ銀行の規則を曲げるような経営方法を批判する書簡をもらっていたことや、ダイヤモンド氏のCEO辞任には、中銀のマービン・キング総裁の強い意向があったことなどを明らかにした。

―たった一人、得をした人は?

 キング総裁の任期切れは来年の6月だが、同氏を引き継ぐのは、タッカー副総裁というのがもっぱらの定説であった。しかし、ここにきて、次期総裁就任への道が危うくなってきた。もし不正操作を容認していたとしたら大問題であろうし、容認どころか、事態の把握が「最近」であったとしたら、どこを見ていたのかという話になる。

 変わって、意外なところから出てきた有力候補者が、ターナーFSA長官である。英「エコノミスト」誌の記事(7月14日付)によれば、近い将来、銀行の監督業務がFSAから中銀に戻る見込みがあり、ターナー氏にとっては、現在のFSAでのキャリアを生かせる職となる。バークレイズ銀の不祥事発覚で、もしたった一人、得をした人がいるとすれば、総裁就任に最も近い位置に立ったターナー氏かもしれないという。

 ここ数年、銀行の不祥事が目立つ。支払保障保険(関連キーワード、参照)の誤った販売で、複数の銀行が巨額の払い戻しを余儀なくされた。LIBOR不正操作問題の発覚直後には、バークレイズを含む大手銀行による金利スワップ取引における誤販売が発覚した。

 オズボーン財務相がLIBOR問題で金融街シティの「強欲体質」を指摘したが、業界内を刷新する大きな機会がいよいよ到来したともいえる。果たして、どこまで「改革」が進み、国民の信頼を取り戻せるだろうか。

***
 
―金利不正操作事件の経緯

2005年6月:株価が上昇し続け、大手の銀行経営陣は巨額賞与を受け取る。米商品先物取引委員会(CFTC)によると、この頃からバークレイズ銀では、金融派生商品のパフォーマンスが自行に有利に働くように、LIBOR(ライボー、ロンドン銀行間取引金利)を極秘で操作していた。

2007年8月9日:BNPパリバ社がヘッジファンド部門から資金を引き上げ、市場に信用危機事態を発生させる。LIBORが上昇する。

8月31日:バークレイズ銀が英中銀の緊急融資枠を2週間で2度利用したことを認める。

9月:サブプライム問題で信用が悪化したノーザン・ロック銀で取り付け騒ぎ。バークレイ銀の経営陣は、同行の財務状況が悪化していないことを示すために、故意に低い金利をLIBORの決定の際に申告していたという。

2008年3月29日:米ウオール・ストリート・ジャーナル紙が、複数の国際的な銀行が不当に低い金利をLIBOR用に申告しているとする記事を掲載する。

同年夏:CFTCが内部告発者からの情報を受けてLIBOR不正操作に関わる調査を開始する。

2009年10月:英金融サービス庁(FSA)が同調査に公式に参加する。カナダ、日本、欧州委員会と協力。タッカー中銀副総裁がバークレイズ銀の投資部門担当者ボブ・ダイヤモンド氏(後、最高経営責任者=CEOに就任)と電話で会話。

2011年4月20日:バークレイズ銀、RBS、ロイズ銀、HSBCなど12の大手投資銀行がLIBORの不正操作を行ったとして、ウィーンを本拠地とする資産運用会社FTCキャピタルなどが訴えを起こす。

2012年6月27日:LIBOR不正操作で、バークレイズ銀がCFTC、米司法省、FSAによって、2億9000万ポンド(約360億円)の罰金の支払いを命じられる。

7月3日:ダイヤモンド氏がCEO職を辞任。前日にはエイジアス会長が引責辞任を表明したが、後任CEOを探す間、会長職にとどまることに。

4日:ダイヤモンド氏が下院・特別委員会で証言し、不正操作について中銀による暗黙の了解があったことを示唆。

6日:重大不正取締局が、LIBOR不正操作問題で捜査を開始したと発表。

9日:タッカー副総裁が下院・特別委員会で証言し、バークレイズ銀に対し、故意にLIBORを下げるよう示唆したことはない、と述べる。

10日:エイジアス会長が下院・特別委員会で証言。ダイヤモンド氏が2000万ポンド(約25億円)相当の退職金を辞退すると発表。

(資料:英新聞各紙)

***

―FSAが命じた、近年の巨額罰金支払いのリスト(金額順)

バークレイズ銀行:5950万ポンド(約74.4億円):2012年6月:銀行間貸出金利の操作未遂と不正報告

JPモルガン証券:330万ポンド:2010年6月:顧客の資金を自社の資金として保管し、顧客保護を怠った

ゴールドマン・サックス証券:1750万ポンド:2010年9月:米証券監督機構によって詐欺罪で取調べを受けていたことの報告を怠った

シティー・グループ・フィナンシャル・マーケッツ:1390万ポンド:2005年5月:ユーロ圏債権を大量に売却したことで価格を暴落させた
(以上、資料:BBC,FSA)

―渦中の人物:元CEOボブ・ダイヤモンド氏

元バークレイズ銀行の最高経営責任者。雑誌「ニュ・ーステーツマン」が選んだ2010年の重要人物50人の1人。

米国マサチューセッツ州生まれの60歳。両親は教師だった。現在は、妻と3人の子供がいる。サッカーはチェルシー、野球はボストン・レッド・ソックスのサポーター。

 大学講師から転職し、1970年代末、米モーガン・スタンレー証券会社の債権トレーダーとして名を馳せる。1992年に米投資銀行CSファースト・ボストンに転職した。バークレイズ銀行勤務は1996年から。2008年、米リーマン・ブラザース証券会社が破綻した際に、その主要資産の買収で大きな役割を果たす。このおかげでバークレイズの投資銀行としての国際的地位が一段と上昇した。昨年3月、最高経営責任者に就任。英国で最高額の報酬を得る企業トップといわれた。BBCによると、昨年の収入は給与、賞与、株オプションを含めて2000万ポンド(約25億円)に上る。今回のLibor不正操作事件で、ほか幹部らとともに賞与を辞退すると宣言したが、「辞任はしない」と述べたが、7月3日、辞任。

―関連キーワード:Payment protection insurance (PPI):支払保障保険

金融機関からの貸付や負債の支払いが失職、事故、病気、死などの理由でできなくなった場合のためにかける保険。

一定の期間、支払いを肩代わりするなどの利点がある。近年、この保険が適用されない金融商品の購入の際に勧めたり、十分な説明をせずに買わせる例が続出して、金融機関に対する国民の信頼感を下落させる要因の一つとなった。

現在では、金融サービス庁(FSA)の指導の下、不適切に販売されたと思う利用者は補償金を受け取ることができる。補償金の支払い総額は昨年1月時点では3600万ポンド(約45億円)だったが、今年4月では5億7050万ポンドに増え、金融機関にとっては大きな財政負担となっている。
by polimediauk | 2012-07-13 20:22 | 英国事情
 約一月ほど日本に滞在し、昨日(6月30日)、英国に戻りました。さまざまな刺激的な会話があり、その一部はブログやツイッターで流そうと思っています。

 日本にいる間、ブログを一度も更新できなかったのですが、戻ってきて、また英国の視点で見たことを書いていくことになりそうです。

 日本でよく聞かれたのが、「ロンドンは五輪開催で盛り上がっていますか?」という問いでした。少なくとも、5月末の時点では、「それほどには盛り上がっていない」感じがしました。

 というのも、メディアが五輪の否定的な面をバンバン報道していたからです。お金がかかりすぎる、交通体制が悪い、地元経済は潤わない、テロ対策が滑稽だ、チケットの違法販売が見つかったなどなど。それでも、6月上旬の女王即位の祝賀イベントは非常に盛り上がったということですので、五輪もそれなりに熱い時期になりそうです。何せ、あと一ヵ月もありませんから。

 新聞通信調査会が発行する雑誌「メディア展望」の最新号(7月号)に、エリザベス女王の即位60周年祝賀記念行事にからんで、王室の意味やメディア報道の状況について、書きました。以下はそれに若干補足したものです。(新聞通信調査会: http://www.chosakai.gr.jp/index2.html )

***

女王の即位60周年を迎えた英国
 ―「退屈だが、誠実」な統治に国民が湧く


 
 エリザベス英女王(86歳)の即位60周年を記念する祝賀行事「ダイヤモンド・ジュビリー」は、6月2日からの4日間を国民の祝日として開催され、大盛況で終了した。

 行事終了の翌日、保守系大衆紙サンは「幸せ、壮観-女王の喜びが英国を元気付けてくれた」とする見出しの記事を掲載した。日刊紙では最大部数を誇るサンによる、国民の気持ちを代弁するような記事であった。他紙でも「威厳がある」、「退屈な」しかし「誠実な」女王個人を賞賛する論調が主になった。

 祝賀行事の報道ばかりとなった英メディアの様子を見て、「北朝鮮のような息苦しさ」(左派系デイリー・ミラー紙のコラムニスト)を指摘した場合もあったが、60周年をともに喜ぶ紙面が圧倒的であった。

 女王は、様々な価値観を持つ国民が住む英国に統一感を与える存在となっている。景気が低迷して緊縮財政が続く中、60周年記念は数少ない明るいニュースでもあった。

 調査会社ICMによる世論調査で(保守系日曜紙サンデー・テレグラフ、6月3日付)、エリザベス女王は、歴代の国家元首の中でも最高の元首に選出された。55%が王室は今後も永遠に続くとし、いつか共和制になると答えたのは28%だった。王室支持派が過半数(80%前後)で、共和制の支持率が20%台というのは、長年続く傾向である。

 本稿では、昨今の「エリザベス・フィーバー」の由来とその背景に注目し、英王室と国民、そしてメディアとの関係を振り返ってみたい。

 女王エリザベス2世の誕生は1952年。当時20代半ばのエリザベスは夫のフィップ殿下とともにケニアを公式訪問中に、父親である国王ジョージ6世の病死を知った。

 当時は、第2次大戦は終わっていたものの配給制度は続いており、多くの国民が耐乏生活を余儀なくされていた頃である。若々しい女王の誕生は新たな時代の幕開けとして受け止められた。

 翌年の戴冠式のテレビ放送は国内外の視聴者を魅了した。これを機にテレビ受像機の販売台数が一気に増加。マスメディア時代の初のアイドルが生まれていた。

 1950年代と比較すれば、現在の英国は、肌の色や人種が異なる多くの人間が「英国人」として生活する国である。移民(外国生まれ)人口は1951年の国勢調査で全体の4・2%だったが、2010年では11・9%を占めた。

 可処分所得が増えて、「中流」とされる層が広がってゆくのは1960年代だが、このとき、失われていったのが、親や教師、政治家など、目上の人間や権威に対する敬意だといわれている。あらゆる権威を批判やジョークの対象とする「風刺ブーム」がテレビやラジオで勃興してゆくのも60年代である。王室も鋭い風刺の対象として俎上に上るようになった。

 女王や王族たちは有名人として扱われ、ゴシップ記事や写真が満載の専門雑誌(「OK!」や「ハロー!」などが代表格)に頻繁に登場するようになった。1980年代以降、人気の王族たちはスクープ写真を狙う写真家たち=パパラッチに追われた。新聞は王室の話題を載せれば部数が伸びるとあって、ネタ探しに奔走した。

 王族がメディアの取材に応じることはあまりないが、60年間の在位中、一度もメディア取材に応じたことがないのが女王だ。女王に関する雑誌記事や書籍は、関係者への取材を元にしたものばかりである。

 王室一家が休暇を過ごす様子を撮影したテレビ用映画「ロイヤル・ファミリー」の制作(1969年、放映)を許可したことがあるが、現在では、この映画の再放送を認めていない。プライベートな面を外に出すのは「自分の役割外」とでも考えているかのようだ。

ー「王冠をかけた恋」への反発

 エリザベス女王の強い義務感は国民の賞賛の的だ。王室はいわば非上場の会社であり、女王という役割は自分の仕事だ、と考えているようだ。こうした義務感は、離婚女性ウォリス・シンプソン夫人との結婚を選択して王位を捨てた伯父エドワード8世を反面教師としていると言われてる。

 まだ王女であった1947年、初めての外遊で訪れた南アフリカで演説を行ったエリザベスは、「全生涯を英連邦の為に捧げる決意である」と表明した。80代半ばの現在も、1年に400件を超える内外の公務をこなし、その義務を日々全うしている。

 派手さを嫌う女王は「誠実だが、(やや)退屈」という印象を与えながらも高い人気を維持してきた。ところが、1990年代には、女王個人そして王室は国民やメディアの大きな批判の的になった。

 長男のチャールズ皇太子がダイアナ・スペンサーと1981年に盛大な結婚式を挙げたが、その後、二人は不仲となった。夫婦が互いの不倫関係をメディアに「告白」するという、前代見聞の事態が発生した。王族のモラルが問題視され、ウィンザー城も火災に見舞われた。女王は1992年を「ひどい年」と演説で表現している。皇太子夫妻は1996年に離婚の結末を迎えた。

 1997年、ダイアナ元妃がパリで交通事故で亡くなり、国民の多くが女王から哀悼の言葉を望んだ。しかし、女王一家は休暇先のスコットランドからロンドンに戻ろうとしなかった。「国民の気持ちが分かっていない」-そんな思いを国民が持ち、メディアも現実からかい離した王室を大きく批判した。

 数日後、ロンドンに戻った女王一家は、国民の悲しみの大きさを知った。女王はテレビに出演して元妃に対する哀悼の言葉を発し、国民の怒りは次第に収まっていった。

 上流、上・中流、中流、労働者階級といった社会的な階層分けが厳しい英国では、両親が富裕あるいはエリート層であったり、良いコネがあれば、社会的な成功の度合いが高くなる。女王の自伝を書いたアンドリュー・マーは「この30年で、社会的流動性は逆行している」と語る。

 格差社会を問題視すれば、その象徴たる王室も由々しき構造と見えてくる。60周年祝賀行事の開催中にも、各地で共和制の実現を訴えるデモが行なわれた。参加者が手にもったプラカードには、「王室を過去のものにしよう」、「1人の女王を支えるお金で9500人の看護婦が養える」などのメッセージが記されていた。英国は民主主義国家だが、立憲区君主制をとっているため、国民は女王の「臣下」となる。共和制支持者は王室制度は「民主的ではない」として、廃止を唱えている。

 国民の憧れの対象である王室だが、同時に、王室には国民の税金を使う特権階級という側面があることを、多くの国民は見逃していない。そこで女王は、1993年からは所得税の支払いを実行し、バッキンガム宮殿の修繕費を作るために宮殿を一般公開するなど「国民に開かれた」王室作りに力を入れてきた。過去20年間、政府は財務省から出る王室費の値上げを凍結しているが、来年からは王室が所有する不動産の管理会社の収入の一部を王室予算とする方式が実施される。無駄なお金を使わない・使わせないのが英国流だ。

 左派系ガーディアン紙の最近の調査によると、69%が「王室がなくなったら、英国は悪くなる」と答えたものの、女王没後、新国王としてチャールズ皇太子を支持すると答えた人は39%と意外に少なく、その息子のウィリアム王子は48%で、父を超えた。「選挙で選出するべき」は10%のみが支持しているため、王室はしばらく続きそうだ。(終)

***

補足:祝賀行事の報道で目だったのが、BBCによる水上パレード番組への苦情だ。http://www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-18337851

2000以上の苦情がBBCに殺到した。なんでも、番組のキャスターの報道がつまらなかったそうだ。こういう大イベントの報道では、キャスターがたくさん情報を持っていて、視聴者をあきさせない工夫が必要だが、今回は、画面を見ればすぐに分かるようなことを説明したり、知識量が少ないためにほとんどまともな解説とはなっていなかったという批評が新聞でも出ていた。通常、BBCはある程度経験が豊富なキャスターを選んで、何が起きても、知的に満足させるような解説ができる人を配置するが、今回はそうではなかったようだ。
by polimediauk | 2012-07-01 13:21 | 英国事情
 英国の公務員のリストラについて、「週刊東洋経済」5月26日号(21日発売分http://www.toyokeizai.net/shop/magazine/toyo/detail/BI/109dda28c1574e0a1c8e7a8e7fcab545/ )に寄稿した。以下はそれに若干付け足したものである。

 ちなみに、英政府の緊縮財政への批判が、最近、とみに高まっている。欧州債務問題、ギリシャ債務問題、ユーロの危機といった流れが近年続いており、欧州首脳陣が大胆な(かつ効果的な)政策を打ち出せないままに、ここまで来てしまった。フランスでは、現職サルコジ大統領からトップの座を奪ったのは、緊縮策よりも成長に比重を置くべきと主張した、社会党のオランド新大統領であった。

 英緊縮財政への抵抗が、最も目に見える形で表に出たのが、公務員の処遇にかかわる大規模デモであった。

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英国で進む公務員50万人の大リストラ
 ー大量首切りに加え、給与水準の引き下げ、年金負担の増額もー。明日の日本の公務員の姿か?


 「68歳では、遅すぎる!」-こんなプラカードを掲げながら、英国の公務員労組約40万人が、5月10日、24時間ストを決行した。

 病院や刑務所の職員、入国管理局員、救急隊員、非番の警官まで参加したデモは、政府が目指す年金改革や大幅人員削減に対する抗議運動だ。

 政府案によれば、保険料の支払いが増加する上に、現行60歳の受給開始年齢が68歳にまで上昇しまうのだ。

 公的部門に勤める職員(特殊法人、国民医療サービス、軍隊、地方政府、警察、学校などに勤務する約600万人。ちなみに英国の人口は日本の約半分の6000万人)の将来に大きな暗雲が出始めたのは、2010年秋だ。

 金融危機で膨れ上がった財政赤字の解消を最重要課題とするキャメロン政権は、今後4年間の歳出大幅削減計画を発表。日本の消費税に相当する付加価値税の引き上げ、補助金削減、省庁別予算の平均19%の圧縮に加え、公的部門全体で約50万人の雇用削減を行うと宣言した。「50万人」とは過去に例のない、空前の規模のリストラ方針だ。

―サッチャー時代を凌駕する削減数

 さきの削減計画発表から1年半が過ぎた現在、公的部門の人減らしは粛々と進んでいる。

 国家統計局(ONS)の今年3月発表分によれば、昨年1年間だけでも、教育関係者では7万1000人、医療関係者は3万1000人など約27万人が離職した。現政権が発足した10年第1四半期から数えると、昨年末時点で38万人以上が職場を去った計算になる。「4年間で50万人」は決して誇張ではなかったのである。

 オズボーン財務相は「公的部門の歳出の30%が給与の支払いであるため、歳出削減には人員整理が最も有効」と説明するが、削減の速度が「きつすぎる」とシンクタンク「インスティテュート・フォー・ガバメント」は指摘する。

 「小さな政府」を実行したサッチャー元首相は、高額給与を得ていた幹部公務員数を4年間で10%のペースで削減したが、現政権は「すでに複数の省庁で幹部を30-40%削減している」(同シンクタンク)。

 また、英国の人口の5分の4を占めるイングランド・ウエールズ地方の警察は、15年までに課せられた3万4000人の削減のうち、削減策発表から半年も経たない間に約1万人分の職を減少させた。

 人材紹介会社ペンナを活用したある男性は、これまで32年間に渡り警察官として働いてきた。「この仕事は安定していると思っていたのに。まさか自分が首切りに直面するとは」と衝撃を隠さない。

 警察官や軍隊など特殊な職に就いていた人材が、高齢で失業者となった場合、再就職は極めて厳しい。英国の直近の失業率は8・3%で、大卒者でも就職が難しいおりだけになおさらだ。民間企業での雇用が公的部門の削減分を吸収できていないのが現状だ。

 年金制度の見直しも将来不安に拍車をかけている。高齢化によって、年金の支払い期間や総額は年々、上昇するばかり。そこで政府は、公的部門勤務者による年金支払い負担額を若干増加させる一方、受給開始の年齢を国民年金(段階的に68歳)に合わせて遅らせることを決定した。

 さらに下押し圧力となっているのが、政府が予定する、地域間の経済格差を反映した給与体系への変更方針だ。

 現在は勤務地がどこであれ、同様の仕事をしている場合、公務員の給与水準は同一となっている。これを全面的に変更し、物価が安く生活費の支出が低く済む地域では、これにあわせて給与を低く調整するという仕組みだ。

もともと、公的部門勤務者の給与は民間企業に雇用されている人の給与よりも一般的に高い傾向にある。地域別では、ロンドンがある南東部では民間企業と公的部門の間の給与差はほとんどないが、ウェールズ地方では公的部門勤務者は民間企業勤務者よりも18%高い給与を得ている。

 政府は今年中に、職業安定所などに勤める16万人を対象に地域差を反映した給与体系を実行し、来年以降、全公的部門に適用する予定だ。

 公的部門の職員の給与は14年まで凍結状態にある。目下の情勢を見る限り、当分は厳冬期が続くことになりそうだ。(終)
by polimediauk | 2012-05-28 00:46 | 英国事情
 米パンナム機爆破事件(「ロッカビー事件」、1988年発生)のリビア人容疑者、アブドルバセト・メグラヒ氏(アルメグラヒ氏と表記する媒体もある)が、20日、リビアの自宅で死去した。同氏はガンで闘病中だった。

 メグラヒ氏はスコットランドの裁判所で2001年に有罪判決を受け、受刑していた。後、前立腺がんで余命3か月と診断され、2009年に「温情措置」として釈放された。

 パンナム事件の経緯やメグラヒ氏釈放にかかわる背景を、2009年 09月 05日付けでブログ http://ukmedia.exblog.jp/12265709/ に書いた。以下はこれに補足した再掲である。(一部、敬称略。肩書きなどは当時のもの。)

 死去のニュースを聞いた、米国での反応などは以下の記事をご参考に。

パンナム機爆破事件のアルメグラヒ元受刑者が死亡
http://www.afpbb.com/article/disaster-accidents-crime/crime/2879068/8972171?ctm_campaign=txt_topics

***

c0016826_10583173.jpg
 スコットランド・エディンバラで開催されたテレビ会議の後で、ロッカビーに行ってみた。米パンナム機の爆破事件(20年ほど前)が今、英国でホットな話題になっているが、飛行機はこのロッカビーの上空で爆破したのである。

 270人(住民は11人)が亡くなって、墓地の一角に記念碑ができている(上の写真)。訪れた日は雨で、殆ど誰もいなかったけれど、きれいな生花の花壇があった。犠牲者の名前が刻みこまれた石材などを見ていると、「一体真実は何だったんだろう」と思い、いまだにこれが明らかになっていないことへの怒りの感情がわいてくるのだったーリビアにもパンナム機にも全く関係のない私なのだがー。

 「英国ニュースダイジェスト」に、この事件のあらすじと何故いま騒がれているのかを書いた。原稿は先週末ぐらいまでの情報をもとにしたものである。    

リビア爆破犯釈放で波紋   

―英国の国益関与か?

 1988年の米パンナム機爆破事件で、爆破犯として有罪となり、スコットランドの刑務所で受刑生活を送っていたリビア人男性が、8月20日、スコットランド司法局の恩赦によって釈放された。末期がんを患い、余命いくばくもないことからの措置だったが、犠牲者を多く出した米国から大きな反発が出た。釈放の背景には英国とリビアとの間のビジネス権益が絡んでいたという噂が出た。 

―パンナム機爆破事件とは

 1988年12月21日、米パンナム103便がロンドン・ヒースロー空港をニューヨークに向けて出発。離陸から38分後、積んでいた荷物の中にあった爆弾が爆発。スコットランド南西部の町ロッカビー(人口約4000人)に航空機が墜落。乗客243人、クルー16人、ロッカビーの住人11人の合計270人が亡くなる。乗客の大部分が米国人だった。

 事件から2年後、英米の共同捜査員らがリビアの情報部員とされる男性2人を殺人罪などで起訴したが、リビア側は容疑者の引渡しを拒み、何年にも渡る交渉が続く。リビアが「中立国」での裁判を希望したため、2000年、在オランダのスコットランド法廷で公判が開始された。翌年、アブデルバセト・メグラヒ被告が有罪に。2009年8月、メグラヒが恩赦でリビアに帰国。メグラヒは一貫して無罪を主張。

―アブドルバセト・メグラヒとは

 リビアの首都トリポリ生まれ(2012年の死去時点では、60歳)。アラビア語が母語だが米国で勉学し、英語に堪能。1980年代に結婚し、5人の子がいる。リビアの元情報部員(本人は否定)。リビア・アラブ航空(LLA)の警備部門の統括役だった時、複数の偽のパスポートを作りパンナム機爆破事件の爆弾の時限装置の作成に関与。LLAを退職し、年金と教職で生活していたところ、1988年のパンナム爆破事件容疑者として1990年代、米英側に引き渡される。2001年、有罪判決下る。2009年8月、恩赦でリビア帰国。2012年、死去。

―温情釈放までの経緯

 「スコットランドの評判はこれでがた落ちになった」-。スコットランドのジャック・マコンネル前首相は、こうつぶやいた。2009年8月20日、スコットランド司法当局は、270人の死者を出した米パンナム機爆破事件で、爆破犯として有罪判決を受けた元リビア人情報員のアブデルド・メグラヒ受刑囚を釈放してしまったからだ。

 釈放理由は、末期がんを患うメグラヒ氏は余命が数ヶ月と言われ、「恩赦が妥当」(スコットランドのマカスキル法相)と判断されたからだった。

 釈放は米国政治家や遺族の反対を押し切って行われた。約21年前、ニューヨーク行きパンナム機はロンドン・ヒースロー空港を離陸後間もなく、機内に仕掛けられた爆発物が爆発し、スコットランド南西部の町ロッカビーに墜落した。死者の殆どが米国人で、いわゆる「ロッカビー事件」の記憶は多くの遺族の脳裏から消えていない。クリントン米国務長官が「遺族の意思に反している」など釈放に反対する声をあげた他、オバマ大統領も「(釈放は)間違いだ」と述べた。

 メグラヒ氏の病状を情状酌量したとしても、「何故特別扱いするのか」という疑問の声が次第に大きくなり、スコットランドのメディアも問題視するようになった。

―何らかの取引の可能性?

 地方分権化が進んだ英国ではスコットランドは独立した法体制を持つ。ミリバンド英外相は「(釈放は)スコットランド政府の独自の決定による」と主張した。しかし、リビアと英国との間で何らかのビジネス上の取引があり、英国側がアルメグラヒを帰国させるように仕向けたのではないかという噂が根強い(政府側は否定)。リビアの最高指導者カダフィ大佐の息子セイフ・イスラム氏が「石油やガスなど英国との商業上の全契約において、受刑者の釈放が常に交渉のテーブルにあった」と述べたことで、疑念はいっそう強まった。

 リビアが03年に大量破壊兵器開発計画とテロ放棄を宣言してから、英米国とリビアは雪解け状態となっており、ブレア元首相がリビアを2004年と2007年に訪問している。07年の訪問時には英エネルギー大手BPが5億4000万ポンド(約830億円)の油田採掘契約を成立させている。BBCの報道によれば、英リビア間の2008年の輸入額は前年比で66%増、輸出では49%増となっている。カダフィ大佐がブラウン首相に対し、釈放をめぐり「感謝の意」を表したことも裏の取引疑惑を強めている。

―真相は藪の中?

 「体調を考慮した恩赦」以外の理由が今回の釈放の背後にもしあったとしても、真相が明るみに出るかどうかは不明だ。

 また、メグラヒ受刑囚は爆破事件で無実を主張してきたが、リビアに戻ってしまったことで、「事件の真相解明は不可能になった」(英国の遺族)とする見方が強い。

 米国内でウイスキーなどのスコットランド製品の不買運動が起きるのではないかという懸念も出ている。もし米国の釈放反対の声に耳を傾ければ、「米国の圧力に負けた」という批判が出る可能性もあった。温情を示したスコットランドは、つらい立場に立たされている。

―釈放を巡る米、英、リビア関係者の反応(2009年当時)

*リビアの最高指導者カダフィ大佐の次男、セイフ・イスラム:「英国の全ての権益が釈放と関連している」、「石油やガスなど英国との商業上の全契約において、受刑者の釈放が常に交渉のテーブルにあった」。

*リビアの最高指導者カダフィ大佐:「エリザベス英女王とブラウン首相による、釈放までの働きかけに感謝する。今後、両国関係のあらゆる分野で前向きに反映されるだろう」。

*オバマ米大統領 :「スコットランド当局がメグラヒを釈放したのは間違いだ。リビア政府には受刑者が歓迎されないようにしてほしい、自宅軟禁状態にして欲しいと伝えている」。

*ヒラリー米国防相:釈放は「完全な間違いだ」。

*弟を爆破事件で亡くした、米市民カーラ・ウェイプツさん:「全くひどい。何故スコットランド当局が温情を示せるのか理解できない。侮辱だ」。

*娘を亡くした、英市民ジム・スワイヤーさん:受刑者は「無実だと思う。釈放を喜ぶ」、「この事件は最初から最後まで政治的裏切りだ。真相解明が必要だ」。

*スコットランドのケニー・マカスキル法務大臣 :「メガラヒ受刑者は犠牲者に対し何の温情も示さなかった。しかし、だからといって私たちが受刑者やの家族に温情を示さない理由にはならない」、末期がんを患う受刑者に対し、「温情的理由から、リビアで死ぬために戻ることを許可する」。

*デービッド・ミリバンド英外務相 :「受刑者の釈放はスコットランド当局のみの決定による」、英国とリビアの外交関係を前進させる目的があったという主張は私や外務省に対する中傷だ」。

*ピーター・マンデルソン企業相:釈放とビジネス上の取引とが関連していたという発言は「侮辱だ」。

*クリスチャン・フレイザーBBC記者 :「欧州にとってリビアはエネルギー供給国として非常に重要。リビアも投資相手を探している」。 (資料:BBC、新聞各紙)

―事件のタイムライン

1988年12月21日:ニューヨーク行きパンナム機103便がスコットランドの上空で爆破される。270人が死亡。

1991年11月:リビア人男性アブデルバセト・メグラヒが起訴される。リビアは米国への身柄引き渡しを拒否。メグラヒは他に起訴されたもう一人のリビア人男性と共にリビア国内で自宅軟禁状態に。

1992年4月:リビアが男性らの引渡しを拒み、国連安全保障理事会がリビアに対して制裁を課す。

1998年4月:爆破事件の犠牲者の父親ジム・スワイヤー氏が犠牲者を代表してリビアの最高指導者カダフィ大佐に接見。大佐は米英ではない国での裁判のために、男性らの身柄を引き渡すことに合意。

1999年3月:ネルソン・マンデラ南アフリカ大統領(当時)が国連使命としてリビアでカダフィ大佐と会談。翌月、国連によるリビアへの制裁が一時停止。両男性が正式起訴に。

2000年5月:オランダに設置されたスコットランド特別法廷で公判開始。

2001年1月:メグラヒが爆破事件で有罪に。終身刑が言い渡される。もう一人の男性は無罪に。

2001年2月:メグラヒが控訴申請。

2002年3月:控訴が却下される。グラスゴー刑務所で受刑開始。

2003年9月:メグラヒの弁護団がスコットランドの刑事裁判再審委員会に罪状と量刑の見直しを求める(2007年、2回目の控訴が認められる)。

2004年:ブレア首相(当時)がカダフィ大佐と会談。英国とリビア間の受刑者引渡し問題が話題に上ったといわれる。

2007年5月:ブレア首相、カダフィ大佐と会談。

2008年10月:弁護団がメグラヒが前立腺ガンを患い、余命が長くないことを明らかにする。

同年11月:メグラヒが控訴を続ける限り、刑務所からの釈放はないと裁判所が結論付ける。

2009年7月25日:メグラヒ側が温情的措置という理由での釈放を求める。翌月、控訴を取り下げる。

同年8月20日:スコットランドのケニー・マッカスキル法務大臣がアルメグラヒを恩赦で釈放する。メグラヒ、リビアに帰国し、歓迎を受ける。

2012年5月20日、リビアで死去

―関連キーワード

Scotland:スコットランド。人口約500万人。英国(正式名はUnited Kingdom of Great Britain and Northern Ireland=グレート・ブリテン及び北アイルランド連合王国)の一部で、グレートブリテン島の北部に位置する。1707年の合同法によってグレートブリテン王国が作られるまではスコットランド王国として独立していた。現在でも、その法制度、教育制度、裁判制度がイングランド・ウェールズ地方、北アイルランドとは独立している。労働党政権による分権化推進政策の下、1999年、スコットランド議会が設置されている。パンナム機爆破事件の受刑者釈放問題は、スコットランドの司法当局や政治家の判断による。外交問題を扱うのは在ロンドンの英外務省。ミリバンド外相は「ロンドンは一切圧力を与えてない」と説明し、スコットランド法曹界・政治界の独立性を考慮した発言をしている。
by polimediauk | 2012-05-21 10:58 | 英国事情
c0016826_204270.jpg 月曜日(21日)に発売予定の「週刊東洋経済」に公務員特集が掲載されています。この特集の中に、英国の公務員の大幅カットについて寄稿しました。もし手に取れるようでしたら、ご覧ください。

http://www.toyokeizai.net/shop/magazine/toyo/#mokuji

 英国では、つい数日前にも、24時間ストが(20万ー40万人の公務員が参加)あったばかり。政府の緊縮財政策の一環で、各省庁は歳出を減らすように言われています。同時に、人減らし、及び、年金額も縮小させるよう、圧力がかかっています。

 少々、失業者数は減ったのですが、失業率は今、8%ほど。しかし、若者に限ると、これが25%ほどになるとのことです。

 ギリシャでは、全体の失業率が20%をこえ、若者にいたっては、40%以上と聞きます。かなり生活が厳しくなっていると想像します。若者が、仕事がない状況がずっと続くと、雇用されたことがない世代ができてゆき、いわゆる「失われた世代」になってしまうと、長い目で見てもその影響は大きいだろうなと思っています。
by polimediauk | 2012-05-18 20:04 | 英国事情
 先月、海外から英国への玄関口と言えるヒースロー空港で、入国審査を待つ旅客が長蛇の列を作る事態が発生した。最悪では3時間近くも待つ場合があったという。空港当局らは入管人員を増加させたが、今月になっても2時間近く待たされたという声が届いている。一体、何故こんなことになったのだろう?

 「英国ニュースダイジェスト」最新号のニュース解説面に、ヒースロー空港での長い入国審査待ち問題について、書いている。

http://www.news-digest.co.uk/news/news/in-depth/8985-long-queues-at-heathrow-airport.html

 以下はこれに若干補足したものである。

***

 ロンドン・ヒースロー空港で、先月、入国審査の待ち時間が2-3時間にも及ぶ事件が起きた。長蛇の列に並んだ乗客は、待ち時間の長さに痺れを切らし、審査官に向かって野次を飛ばしたり、皮肉をこめてゆっくりと手を叩いたといわれている。

 乗客の多くは、水や食事を取る機会がなく、立ったままで待つ苦汁を強いられた。長蛇の様子を携帯電話などで撮影する乗客もおり、この模様が広く知られると、「まるで動物扱い」、「人権無視」などの大きな批判が出た。

 英国の空港での入国審査は、英国と「欧州経済地域(European Economic Area)」と呼ばれる、欧州連合諸国に数カ国をを含めた地域のパスポート保持者と、日本も含まれるそのほかの国のパスポート保持者とを分けて、作業が進む。今回、大きな影響を受けたのは、主に後者だ。7月末からのロンドン五輪では、海外から多くの関係者や旅行客がやってくると予想され、「これでは五輪に対応できない」と野党労働党議員らが声をあげた。

 窮地が混迷を極めたのは、何故このような遅延が突然生じたのかについて、当初、理由がはっきりとしないことであった。

 ダミアン・グリーン移民問題担当閣外相は、4月30日、下院において、「主として悪天候による飛行ダイヤの乱れ」を原因とした。また、「メディア報道は数字を誇張している」として、EEA以外の旅客の場合、待ち時間は1時間半、英国及びEEAの場合はこれより「はるかに少ない時間だ」と述べた。

 空港を運営する会社BAAにしてみれば、天候の変化を予測できなかった自分たちの責任と言われたも同然であった。早速、BAAは自己の調査結果を発表し、入国審査を担当する、内務省所属の英国国境隊が目標とする、EEA以外の国のパスポート保持者の審査を「45分以内に終了する」が、4月は十分に満たされなかったと報告。最長の待ち時間は30日に発生し、ターミナル4で3時間待ちというケースがあったという。BAAは、入国審査の管理者=政府に責任がある、とした。

 大手航空会社BAなどを傘下におくインターナショナル・エアラインズ・グループの最高経営責任者ウィリー・ウオルシュ氏は、報道が誇張とする政府の説明は「おかしい」と指摘。異様に長い待ち時間の様子を目にした海外の投資家が「英国への投資をとりやめるかもしれない。経済に打撃だ」と述べた。

―大幅人員削減の影響か

 待ち時間長期化の理由の一つは、英週刊誌「エコノミスト」によれば、パスポートチェックの厳格化だ。2007年、過度の混雑状態となった場合、チェックを簡素化することを政府や関連団体の当局らで合意がなされていたという。しかし、半年前にこれが政治問題となり、英国国境隊のトップが辞任に追い込まれている。
 現場の非効率も遅延の理由だ。審査用デスクがすべて埋まっていることは珍しく、虹彩を読み取るハイテク・スキャナーも「壊れていることが多い」。

 最も大きな原因となったのは、人員削減だ。政府は各省庁に2015年までに20%前後の歳出削減策を課しており、国内に勤務する入国管理官約8500人は、15年までに5000人に削減される予定という。

 オズボーン財務相は「緊縮財政策を撤回しない」とBBCの取材に応えており、ロンドン五輪のつつがない遂行に、省庁の歳出削減策やぎりぎりの人員による審査などが、影を落とす現況となっている。

ー関連キーワード:UK Border Agency (UKBA)、英国国境局。

 内務省に所属する国境管理のための一元的機関として、2008年発足。職員数は約2万3500人で年間予算額は約22億ポンド(約2830億円)。2015年までに約5000人を削減する予定だ。主な業務は①海外でのビザ発行など、外国から英国への入国審査、②パスポート確認や税関での物品の流入を国境地点で管理(UK Border Force:英国境隊が担当)、③難民申請の処理、不法滞在者の撤去など。国境局の活動は、独立チーフ・インスペクター、ジョン・バインが監視役として検証する体制となっている。
by polimediauk | 2012-05-17 23:23 | 英国事情
 ケイト・ミドルトンさんが、王位継承順位第2位のウイリアム王子と結婚し、ケンブリッジ公爵夫人=「キャサリン妃」となってから、4月29日でちょうど1年となる。

 今では1人で公務をこなすまでになっており、同妃の笑顔が英国の新聞や雑誌に出ない日はないと言ってよいほど、人気が高い。

 これまでと今後に注目した原稿を「英国ニュースダイジェスト」最新号の「ニュース解説」に出している。ウェブサイトでは、キャサリン妃、エリザベス女王、故ダイアナ元皇太子妃の比較表もあるので、よかったら、ご覧になっていただきたい。http://www.news-digest.co.uk/news/news/in-depth/8857-catherine-duchess-of-cambridge.html 本文に若干足したものは以下である。


ご成婚から1周年 ―キャサリン妃の評価とは

―ダイアナ元妃の違いとは?

 キャサリン妃は、ウィリアム王子の母、故・ダイアナ元皇太子妃(1997年パリで事故死)とよく比較される。

 容姿端麗であることに加え、国民の大きな注目を集めるファッション・アイコンである点など、共通する部分が多い。1981年、チャールズ皇太子と結婚したダイアナ元妃は婚約時代から執拗にメディアに追われたが、この点もキャサリン妃の場合と似ている。

 一方で、2人の間には大きな違いもある。元妃が伯爵家の出身であるのに対し、キャサリン妃は平民出身だ。ダイアナ元妃は20歳で結婚したが、キャサリン妃の場合は29歳である。また英国史上で初の大学教育を受けた王妃となったキャサリン妃は王子ともにスコットランドの名門セント・アンドルーズ大学で学んだが、勉強嫌いのダイアナ元妃は大学に進学していない。

―ウィリアム王子の理解が助けに

 キャサリン妃の結婚後の人生は、ダイアナ元妃のそれとは正反対の方向に進んでいるようだ。

 ダイアナ元妃は、チャールズ皇太子に愛人がいたことが発覚して夫婦関係にひびが入った。また王室の流儀に溶け込めないまま、拒食症になり、自傷行為を繰り返したという。

 一方のキャサリン妃は、結婚前の時代からウィリアム王子とパートナーとしての関係を結んでいた。8年近く交際を続け、ほかの友人たちとの共同生活も経験した。王室の一員ともなれば、常時監視状態に置かれることをキャサリン妃は身をもって学んでいた。

 さらに母が王室入りした際に大きな苦難を経験したことを理解するウィリアム王子は、メディアとの付き合い方にも気を使っている。1年前に行われた結婚式は世界中のメディアが取材したが、その直後のハネムーンは行き先も含め、一切公表せず、2人はプライベートな旅行を楽しんだ。

―キャサリン妃の王室活動

 結婚後は北米訪問など夫婦仲良く公務を続け、キャサリン妃は次第にファンを増やした。今では、着ているドレスやアクセサリーがあっという間に売切れてしまうほどだ。昨年夏のイングランド地方で発生した暴動では、英中部バーミンガムで攻撃にあった商店街を訪ね地元の人の話に耳を傾けた。

 今年1月になって、キャサリン妃は自分がパトロンとなる4つの慈善団体の名前を明らかにした(後述)。どれも、「自分でじっくり考えて、本当に力を注げる団体を選ぶ」という方針の下で決定されたという。

 同時に、幼少時にガールスカウトのメンバーであったことを生かし、英スカウト協会のボランティアになると発表した。子供たちにテントの設置の仕方や野外で火を起こすやり方を教えるなど、実際のボランティア活動に従事する予定だ。

 英空軍に勤務する王子が2月、英領フォークランドの空軍基地に派遣されると、今度は1人で公務を次々とこなした。3月末には、児童の医療施設を訪問し、初めて公の場でのスピーチに挑戦。手元が震えながらも、3分間のスピーチを無事終了し、大きな拍手を得た。

 このように一歩一歩、「嫁ぎ先」となった王室の慣習を学び、パートナーと力を合わせて、新しい環境を生きているように見えるキャサリン妃。国民の気持ちを汲み取り、共感し、支援する、そしてファッションとともにスポーツを楽しみ、健康的に生活するー。こうした前向きなメッセージを、キャサリン妃は私たち一般人に発信している。

―関連キーワード:SLOANE RANGER:「スローン・レンジャー」族。

 1980年代以降、上流階級の若い、スタイリッシュな男女を指す言葉として流行した。富裕層が住むロンドンの高級住宅街チェルシーとベルグラヴィアの境界付近にある公園「スローン・スクエア」と、ラジオ及びテレビの西部劇「ローン・レンジャー」の名前を組み合わせた。「公式スローン・レンジャー・ハンドブック」という本が出版され、この表現が広く認知された。代表格はダイアナ皇太子妃(当時)。リッチで保守的なファッションを現代的に引き継いだのがキャサリン妃といわれている。


―キャサリン妃がかかわる慈善団体・ボランティア組織


パトロンとして

アクション・オン・アディクション(アルコールや麻薬など依存症に苦しむ人や家族への支援、教育、研究)http://www.actiononaddiction.org.uk/home.aspx

イースト・アングリア児童病院(EACH)(ケンブリッジシャー、エセックス、ノーフォーク、サフォーク州に住む、難病にわずらう児童やその家族への支援)
http://www.each.org.uk/

ナショナル・ポートレート・ギャラリー(世界で最も広範なコレクションを誇る、肖像画専門の美術館)http://www.npg.org.uk/

ジ・アート・ルーム(芸術を通して、児童の自信を醸成、深める)
http://www.theartroom.org.uk/

ボランティアとして

スカウト協会(野外教育を通した青少年人材育成活動。英国内では約40万人の青少年が参加)http://scouts.org.uk/
by polimediauk | 2012-04-25 05:26 | 英国事情
(以下は朝日新聞の月刊メディア雑誌「Journalism(ジャーナリズム)」3月号に掲載された記事に補足したものです。) http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=13583

―新聞コラムは誰が書いているか、週刊誌が調べてみるとー

 英国で有色人種人口に最も閉じられた世界といえば、新聞界も例外ではない。

 左派系週刊誌「ニュー・ステーツマン」電子版の分析(1月12日付)によると、日曜大衆紙「ニューズ・オブ・ザ・ワールド」(昨年7月廃刊)での電話盗聴事件への反省から、新聞界の報道の実態や倫理基準を調査する、「レベソン委員会」(レベソン判事の名前から由来)が、昨年秋から公聴会を開いているが、年末までに名前が挙がった99人の証言者の中で、社会の少数民族(マイノリティー)であった人物はわずか2人だったという。

 ガーディアン紙が編さんする、『メディア界の重要人物100人のリスト』の中で、少数民族の人物は1人だけ。全国紙の編集長あるいは政治部長で非白人である人はいない。

 また、昨年12月5日から11日までの間に、同誌が複数の全国紙の論説コラムを誰が書いたかを調べたところ、タイムズ紙とその日曜版「サンデー・タイムズ」の39のコラムのうち、非白人が書いたものはわずか2本。インディペンデント紙およびその日曜版ではコラム総数が34のうち、非白人によるものは1つ。ガーディアン紙および日曜版に該当するオブザーバー紙では総数が48で非白人が書いたコラムは4。

 「デイリー・メール」および「メール・オン・サンデー」では全部が23の中で、非白人が書いたコラムはゼロ。「デイリーテレグラフ」と「サンデー・テレグラフ」、および「デイリー・エクスプレス」と「サンデー・エクスプレス」の場合はそれぞれ総数が46、22で、非白人によるものはゼロだった。経済紙「フィナンシャル・タイムズ」では総数35のうち、3つを非白人コラムニストが書いていた。

 参考までにいうと、政府統計局(ONS)の調べでは、2009年、イングランドおよびウェールズ地方(英国の人口全体の5分の4を占める地域)での非白人は全体の16・8%であった。これは6人に1人の割合だ。

 「ニュー・ステーツマン」の政治記者メーディ・ハッサン氏は、「第2次世界大戦後の労働力不足で、英国が西インド諸島から多くの労働者を移民として呼び寄せたときから64年、人種関係法が成立してから36年、ローレンス事件が起きてから18年が経った現在も、英国の論壇は単一民族、単一文化」が支配する状況が続いてきたと述べる(1月16日付)。「新聞や雑誌の論壇面はその国の世論形成に大きな影響を与える」、だから書き手が多様な人種、社会的背景を持っていることが重要なのだという。
 
 ストロー元内相が先のBBCラジオの番組「ロング・ビュー」で述べたように、ローレンス事件は、英国の人種差別撤廃への大きな一歩となった。しかし「まだまだ長い道のりがある」(ストロー談)ことも確かだ。

 メディアはジャーナリズムによる貢献とともに、多様な声を確保するために職場の人事構成においても変革を求められている。(終)

ーーー補足ーーーーー

*人種差別にからんだ事件は、最近でもよく発生している。

 例えば、差別的発言が問題視されたケースにサッカーのプレミア・リーグのクラ
ブの1つチェルシーに所属するジョン・テリー選手の件がある。テリーは、昨年10月に行われたクイーンズ・パーク・レンジャーズのアントン・ファーディナンドに人種差別発言を行ったとして、起訴された。

 そして2月上旬、イングランドサッカー協会は、テリーからイングランド代表チームの主将の座を剥奪すると発表した。本人は容疑を否認しているが、公判が7月まで延期になったため、疑惑が解消されるまで、テリーが代表チームの主将であり続けるのは好ましくない、との判断だ。本人が否定する「疑惑」でも、ここまでしなければ大きな批判を浴びることになるため、組織の側も迅速に動く。

 この件でイングランド代表の監督だったファビオ・カペッロが電撃辞任する事態が起きた。カペッロにしてみれば、テリーはまだ有罪になったわけではないし、代表チームの人選は監督の仕事の範囲と考えた場合、これを侵害されたと思ったのだろう。

 ところが、英国の人種差別法がらみの文脈は、非常に厳しい。これでもか!というところまでやらないと、納得してもらえない。ある意味異常かもしれないが、今のところ、そうなっている。

*上の記事で、何故有色人種のコラムニストが少ないかについての補足だが、これは、全体的に有色人種(特に西インド諸島、カリブ海系、アフリカ系など)の雇用率、教育程度が白人人種と比較して低いこと、貧困度がより高いなどの社会的要因がまずある。こういった要因があるために、高級ホワイトカラーに就く男性成人のロールモデルが少ない。それと、英国のメディアへの就職は非常に難しく、コネで仕事を見つけたりする、最初はほぼ無給か非常に定額の賃金で働くといった状況があって、なかなか有色人種層に道が開かない。コネというのは、ここでは例えば、「知っている人・友人やその子弟などに仕事を回す」ことだが、もともと白人層が多い仕事の場合、コネだとどうしても自分と同じ社会的層にいる人を引っ張ることになる。こうして悪循環が止まらない。

*ローレンス殺人事件関連の本がいろいろ出ている。以下の2冊は、自分で読んだものだが、もし英語で読むのがいやでなかったら、お勧めしたい。1冊は青年の母親が、もう1冊は友人ブルックスが書いたものだ。「ブクログ」というところで、書評を書いているので、そのアドレスを添付する。

And Still I Rise
http://booklog.jp/users/ginkokoba/archives/2/0571234593

Steve and Me: My Friendship with Stephen Lawrence and the Search for Justice
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by polimediauk | 2012-04-12 17:21 | 英国事情
 朝日新聞の月刊メディア雑誌「Journalism(ジャーナリズム)」3月号に、英国で最も有名な人種問題の1つ、スティーブン・ローレンス殺人事件とメディアに関する原稿を出した。http://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=13583

 4月号が発売になったので、この原稿をブログに転載したい。長いので、ちょっとした読み物としてご覧いただけると幸いである。

 その前に、4月号で目に付いたことなのだが、この中に、*「プロメテウスの罠」とは何か -異端の集団が紡ぐ新聞の実験*という記事がある。このコラムの取材担当班にいた、依光隆明さんが書いている。「プロメテウスの罠」は、知る人ぞ知るのコラムで、大変人気があると聞いた。淡々とした感じで書いているのが、逆に、熱い感じがする記事である。

 報道機関・メディアが、自分たちの報道を検証・省みる・振り返るプラットフォームを置いておくことは、自己のジャーナリズム水準の維持とともに、読者の信頼感を維持するあるいは取り戻すためにも重要だろうと思う。朝日の「ジャーナリズム」は、ジャーナリズム学校の一環で、この「学校」とは、朝日の記者教育のための社内組織である。しかし、社外の人も参加できる研修も開いているという。

 ネット上ではマスコミに対する批判が相当強い。だからこそ、自己検証ができるプラットフォームの存在の価値があるだろうと思う。


***

黒人青年殺人事件と英メディア ―18年後、白人犯人に有罪判決(上)


 1993年、18歳の黒人青年スティーブン・ローレンスが、人種差別主義者と思われる白人男性ら数人に暴行を受けて、亡くなった。

 青年の死は、人々の人種差別に対する認識、警察の捜査のあり方、メディアの論調、司法体制、政治など、「すべてを変えた」と人種差別撤廃のための公的組織「平等と人権委員会」代表、トレバー・フィリップスは述べている(保守系高級紙「デイリー・テレグラフ」、今年1月4日付)。

 今年1月上旬、事件発生から19年を経て、2人の白人男性が殺人罪で有罪となった。ローレンス事件で容疑者に有罪判決が下ったのはこれが初めてだ。何度となく裁判まで持ち込んだが、いずれも「証拠不十分」とされていた。事件解決のためには、ローレンスの両親や支持者たちが大規模なキャンペーン運動を展開し、大衆紙「デイリー・メール」の大胆な報道も一役買った。

 本稿では、社会にさまざまな変化を引き起こしたローレンス事件でメディアが担った役割を、事件の経緯をたどりながら紹介する。

 その前に英国の移民をめぐる対立について少々説明したい。

 英国に大量の有色人種の移民がやってくるのは第2次世界大戦後まもなくである。

 労働力不足を補うため、政府は旧植民地諸国から多くの若者を移民として呼び寄せた。1962年までは特別なビザを取得しなくても、英連邦の市民として移住することが可能だった。当初、移民規模は年に数千人だったが、1961年には10万人を超えた。その後は移住前に仕事を見つけることなど、さまざまな条件が課せられたが、移民は増え続けた。

 白人が大部分の国に、多くの有色人種が押し寄せ、地元白人住民の一部や警察との対立が暴動に発展することも何度かあった(1958年、ロンドン・ノッティングヒルでの白人住民と西インド諸島出身の黒人住民との対立、2001年にはイングランド北西部オールダムや同北部ブラッドフォードでも衝突事件が発生した)。

―事件はロンドン南東部、白人が90%の町で起きた

 1993年4月22日午後10時半過ぎ。ロンドン南東部エルタムのバス停で、ローレンスは同じく黒人で友人のデュエイン・ブルックスとともに、バスが来るのを待っていた。

 ローレンスの両親はともに西インド諸島・ジャマイカの出身。3人兄弟の長男ローレンスは将来、建築家になることを夢見る青年であった。

 人口約8万人のエルタムは90%近くの住民が白人である。この比率はほかの地域と比較して特に高くはない。90年代前半、「白人至上主義」という落書きが目に付き、有色人種の住民たちは「地元警察が黒人の若者たちの身の安全に注意を払っていない」と感じていたという(BBCニュース、今年1月3日付)。

 ローレンスとブルックスは、なかなかバスがやってこないので、バス停があるウェルホール・ロードから見て左手にあるロチェスター・ウェーに向かって歩きだした。まもなくして、数人の白人青少年のグループに囲まれ、侮辱語である「黒ん坊(nigger)」という言葉を浴びせられた。

 身の危険を感じた2人はあわてて引き返したが、ローレンスはグループにつかまり、数回にわたり殴る蹴るの暴行を受けた後、鋭利な刃物で左肩と右の鎖骨を刺された。15秒ほどのできごとだった。

 グループが逃げた後、ローレンスはしばらくウェルホール・ロードを走ったが、約120メートル進んだところで歩けなくなって倒れこんだ。その後病院に運ばれ、深夜に息を引き取った。

 事件発生から48時間以内に、地元警察は事件にかかわる26の通報を受けた。被疑者の名前を書いた手紙が電話ボックスの中に置かれていたり、警察のパトカーの窓のワイパーに別の手紙が挟まれていたこともあった。ローレンス青年の母親も被疑者と思しき人物の名前を警察に伝えた。

―白人5人が逮捕されたが「証拠不十分」で無罪に

 通報で浮かび上がってきた名前の中に、後に有罪判決を受けるデービッド・ノリス、ギャリー・ドブソンのほかに、ルーク・ナイト、自称「クレイ兄弟」(1950-60年代に悪名を高めたギャング)と名乗る兄ニールと弟ジェイミー・アコートの5人が入っていた。

 警察は被疑者らをすぐには逮捕せず、アコート兄弟の家の外に監視カメラを置くなど、情報を集める行為に集中した。カメラは兄弟の家から何者かがごみ袋として使われる黒いビニールバッグを持ち出している様子や、ジェイミー自身が黒いごみ袋を持って出る様子を撮影したが、警察は袋の中身の確認やジェイミーの追跡を行わなかった。

 5月7日以降、警察は5人を次々と逮捕した。事件の目撃者や通報者の多くは、この事件が白人住民による黒人への攻撃と見て、人種偏見が根にあると考えていたが、警察内ではそうではなく、「あくまで地元のギャングによる暴行」(当時の捜査官の1人)と見ていたという。

 ブルックスの母親やローレンスの母親は、事件にかんするそれぞれの著書の中で、まるで自分たちが犯人であるか、あるいは黒人コミュニティーの中に犯人がいるかのような疑念を警察に向けられたと書いている。

 物的証拠が乏しく、目撃証言はバス停にいた数人と友人ブルックスのみという状態が続いた。

 1996年、ドブソン、ナイト、アコート兄弟の兄ニールを被告(ノリスとジェイミーは不起訴)とする、ローレンス殺害事件の裁判が開始されたが、裁判官は「証拠不十分」とし、3人は無罪となった。

 翌97年、青年の死因審問が始まった。英国では、死亡が暴力行為によるときや不自然と思われる場合は、死因を審査するための審問手続きが取られる。審問は公開が原則で、陪審団を使うこともある。当初の審問は事件の発生年に開始されたが、ローレンス側が新たな証拠が出る可能性を指摘し、中断されていた。

 審問では、アコート兄弟、ナイト、ドブソン、ノリスの5人は黙秘権を使い、自分の名前を聞かれても黙秘を通した。2月、審問の結論は、ローレンスは「5人の白人の若者たちによる、まったくいわれのない人種差別攻撃で」殺害されたというものであった。5人はテレビ番組に出演し、無罪を主張した。

―「殺人者たち」と書いた「デイリー・メール」の決断

 保守系大衆紙「デイリー・メール」は、移民、特に有色人種の英国への流入には否定的な見方を表に出すのが常である。人種、性、宗教の面からの少数派を排斥に向かわせるような、扇情的な記事も多い。

 しかし、「メール」のポール・デーカー編集長の決断が、ローレンス事件解決への道程作りに貢献した。

 ローレンスの父親はデーカー編集長の自宅で左官として働いたことがあったが、デーカー自身は事件発生当初、その記憶がなかった。しかし、ローレンス殺しの犯人がなかなか捕まらないことへの読者の苛立ちや、同紙の犯罪事件記者の「あの5人が犯人だと確信している」という声を耳にし、いつしか5人に対する「怒りが生まれていた」(デイリー・メール紙、1月4日付、以下同)という。

 ローレンスの死因審査の過程で、5人がまともに質問に答えない様子を報道で知ったデーカー編集長は、男性たちの「傲慢さ」に不快感を持った。テレビで死因審査の結果を報道するニュースを見ていたとき、医師が死因を決定するために30分ほどしかかからなかったことや、「いわれのない人種差別攻撃による」非合法の殺人と断定したことを知って、デーカーは一つの決断をした。


 ニュース番組が終わった時、午後8時を回っていた。デーカーはレイアウト用紙手に持ち、鉛筆で「殺人者たち」と書いた(コンピューター画面を使っての紙面製作が今ほどには発達していなかった頃である)。その下に「メール紙はこの男性たちを殺人者と呼ぶ。間違っていたら、訴えればいい」と続けた。

 この見出しは、今後始まるかもしれない裁判で、容疑者を犯人視した報道だとして、法廷侮辱罪に問われる可能性があった。また、5人がメール紙を名誉毀損で訴える可能性もあった。

 編集幹部や社内の法務弁護士と相談の上、デーカーはこの見出しを使うことに決めた。「殺人者」と書かれた大きな見出しの下に、5人の顔写真が並ぶ、後に有名となる1面ができあがった。

 訴えられることの恐れから不眠になることを想定したデーカーは、睡眠薬を服用して床についた。それでも、午前4時ごろ、汗をいっぱいかいて目覚めた。やりすぎたのではないかという不安感があった。

 翌日、メール紙の1面が大きなニュースとなった。高級紙テレグラフはデーカーが法廷侮辱罪で禁固刑を受けるべきと書いた。法曹界からは当初批判も出たが、「よくやった」という声も同時にあがった。

 報道から3日後、メージャー首相がメール紙支持を表明し、当時の法務長官(報道が法廷侮辱にあたるかどうかを決定する)が報道は侮辱罪にはあたらないとする旨をメール紙に伝えた。「殺人者たち」と評された男性たちからの提訴もなかった。

 「推定無罪」という英国司法の原則からすると、デーカー編集長の決断は、容疑者を犯人視したという点で、偏った報道であった。

 「殺人者」とレッテルを貼られた方からすると、まるでリンチのような報道は法廷侮辱とされても仕方のない越権行為だったが、時の政権も法曹界もその意義を認めたことになる。

 メール紙は「殺人者たち」報道の翌日の紙面で、1994年に、警察がドブソンのアパート内の様子を隠し撮りしていた、と報道した。この中で、ドブソンは「パキ(パキスタン住民の蔑称)」、「ニガー」という言葉を何度も使い、黒人の同僚を「ナイフで刺したい」と発言していた。またノリスは黒人の住民に火をつけ、「腕や足を吹き飛ばす」と宣言していた。

ー原因究明のために、内相が調査委員会を発足させる

 当時、野党労働党の「影の内閣」で内相となっていたジャック・ストローは、「殺人者たち」という見出しがついたメール紙の記事に目を留めた1人であった。

 ロンドン警視庁トップから事件の概要についての報告を受けていたものの、ストローは「『これがすべてではないだろう』、と心の底では思っていた」という(BBCラジオ4の番組「ロング・ビュー」、1月17日放送)。

 97年5月、保守党が総選挙で破れ、労働党政権が発足すると、ストローは内相に就任した。同年7月、ストローはBBCなどのテレビのインタビューの中で、有力容疑者を特定しながら立件できないことに対し、「黒人社会ばかりか国民全体に怒りが広がっている」と指摘した。そして、「人種偏見に基づいたこのひどい犯罪」の犯人がなぜ見つけられないのか、その原因を突き止めるために公的な調査会(調査を率いたマクファーソン判事の名をとって、通称「マクファーソン調査会」)を立ち上げた。

 調査会に召喚された5人は、会場の外に集まった写真家につばを吐きかけたり、市民たちに挑発行為として投げキッスを送った。一部の市民が侮蔑を示す行為である、卵を5人に投げつけると、取っ組み合いの喧嘩になった。

 1999年に発表した報告書で、マクファーソン判事は証言をした5人が「傲慢で軽蔑の態度を示したこと」、その証言がまったく用をなさなかったと述べるとともに、警察の捜査を批判した。報告書は、ロンドン警視庁には「組織的な人種差別主義」がある、と結論づけた。

 マクファーソン報告書の提言を生かし、2つの大きな司法上の動きが起きた。

 まず、人種関係修正法(2000年制定、01年施行)によって、警察、地方自治体、中央政府などの公的機関で人種間の平等を促進するための手段を講じることが義務化された。

 また、刑事裁判法(03年制定、05年施行)により、800年の歴史を持つ一事不再理の原則(同一の罪について二度裁かれることを禁止する)が廃止され、新たな証拠が出た場合に、事件の再審理が可能になった。

 これで、1996年に「証拠不十分」などの理由から起訴にいたらなかったドブソンを、再度、裁判にかける可能性が出てきた。

 初期捜査の失敗や人種差別主義を報告書で指摘された警視庁は、新たな捜査チームを結成し、真犯人探しに取り組んだ。

 2000年、10歳の少年が何者かに殺害された事件が迷宮入りとなっていたが、06年、警視庁は最新のDNA鑑定技術を利用することで、犯人2人を突き止めた。

 同様の技術をローレンス事件にも使い、5人組の1人、ドブソンの上着についていた血痕の一部のDNAを調べてみたところ、ローレンスのDNAと合致することを発見した。さらに、同じく5人組の1人、ノリスが事件当時に来ていた衣服から、ローレンスの衣服の繊維が見つかった。

-2010年9月、犯人を再逮捕

 その結果、2010年9月にドブソンとノリスがローレンスの殺害容疑者として再逮捕された。ドブソンは1996年に同容疑で逮捕され、裁判では無罪となっていたが、2011年、控訴院がその無罪を破棄し、再審理を命令していた。

 公判が同年秋に開始され、ドブソンとノリスが殺人罪で有罪となったのは今年1月3日。翌日、死刑がない英国では最も重い量刑となる終身刑が下った。英国で言う「終身刑」とは仮釈放の可能性を含む刑で、通常は裁判官が「最低服役期間」を決定する。今回、ドブソンには15年2ヶ月、ノリスには14年3ヶ月の最低服役期間が科された。犯行当時の1993年、両者は未成年であったため、最低服役期間は成人であった場合と比べて軽いものになっている。

 1993年の殺害事件発生当時、事件は新聞の中面で短く報道されるのが主で、大きな注目は集めなかった。社会の少数派の問題を丹念に追う左派系高級紙インディペンデントも人種差別による事件の1つとして報じただけだった。黒人青少年の傷害・殺害事件は珍しくなかったのである。

 しかし、5月、ローレンスの両親が記者会見を開き、捜査について不満を表明すると、大衆紙「デイリー・エクスプレス」がロンドンでの人種差別をテーマにした連載記事を始めた。また、ロンドンを訪問していた、人種差別撤廃運動の象徴ともいえるネルソン・マンデラ(当時、南アフリカ共和国の政党アフリカ民族会議の議長。後、同国の大統領)が両親と会い、その模様が報道されたことで、大きく人目を引いた。

 ローレンスが亡くなったことを聞き、すぐに両親に連絡を取った団体があった。反人種差別の団体ARAである。 

  ARAの一員マーク・ワズワースは、人種差別による暴力で犠牲者となる黒人住民に対し、大衆紙が無関心である状況を変えたいと思ったという。「『
ローレンスはあなたと同じ人間なんですよ』、というメッセージを白人社会に伝えたかった」。(BBCニュース、1999年2月19日)。

 ロンドンで命を落とす若い黒人少年・少女はローレンス1人ではないが、英国民にとってローレンス事件が特別な存在になった理由を、『スティーブン・ローレンス事件』の著者、ブライアン・カスカートはこう説明した。ローレンスは「どうみてもギャングではなかった」。法律を遵守するまっとうな家庭の出身で、「どんな犯罪行為にも手を染ない、将来の夢を抱く青年だった」。「英国の人口の大部分を占める白人の支配者層は、青年が警察の正当な捜査に値する人物として受け止めた」のだという。

ー18年間で変わったこと、変わらなかったこと

 ローレンスが白人住民からすれば「自分とは関係のない人物」から、「自分、あるいは自分の家族の一員でもあったかもしれない人物」として認識されるようになると、メディアの論調は大きく変わった。

 「デイリー・メール」が「殺人者たち」報道から、犯人を突き止めるためのキャンペーンを続ける一報で、民放チャンネル4は、1998年のクリスマスに、ローレンスの両親に息子の犯人に正義を下すためのメッセージを伝える時間を設けた。翌年、同じく民放のITVがローレンス事件をドラマ化した番組を放映。同年、BBCは法廷でのこれまでの証言を書き取ったものを基にした番組を放映した。

 一方、1990年代末、殺害を否定し続けた白人青年5人は、メディア報道によって犯人視される日々を送った。5人の母親たちはBBCラジオの朝のニュース番組「トゥデー」に出演して無実を訴えるとともに、5人自身もITVのジャーナリストによるインタビューに応じた。後に、5人はITVの番組が自分たちに不利なように編集された、と不満を述べた。

 事件以降、有色人種に対する差別や偏見が消えたわけではない。人種対立から起きる犯罪はまだ多く、2010年には4万件が記録されている。

 警察官による路上の職務質問(自分の身元情報について聞かれる上に、持ち物や衣類を検査される)を受ける人の中で、有色人種の比率が高い(司法省が昨年10月発表した報告書によれば、2010年時点、黒人住民は白人よりも7倍多く、こうした取調べを受けている)ことも問題視されている。

 有色人種に対する職務質問の多さは非白人人口の間に、警察に対する不信感を広める一因になっている。昨年8月にロンドンからイングランド地方各地に暴動が広がったが、そのとっかりとなった事件とは、ロンドン・トッテナム地域で、捜査の対象となった黒人青年を警察官が誤射したことによる。警察に対する不信感を抱く地元民らが、青年の死を追悼するとともに、射殺までの経緯の説明を求めて警察署に多数集ったことがきっかけとなった。

 高級紙の編集者も、有色人種であるというだけで取調べを受けた経験を持つ人が少なくない。

 「タイムズ」紙の編集設計者の1人は、褐色の肌を持つ30歳の自分が「16歳のアジア系少年の犯罪捜査」のために警察官に職務質問を受けたときの体験を書いた(1月5日付、以下同)。警察への強い反感を覚えたという。

 同紙の特集面を担当する黒人女性も「黒人が犯した犯罪」の捜査で、自分が黒人女性であるというばかりに拘束され、路上で検査を受けている。理由も説明されずに身体を検査されるのは不当だと警察官に述べたところ、「逮捕するぞ」といわれたという。高価なブランド品の衣料を売っている店舗では、有色人種であるだけで「潜在的犯罪者」とみなされることに不快感を覚える、と書く。

 同日付「タイムズ」は、ローレンスが攻撃を受けたエルタムでソーシャル・ワーカーとして働くサマンサ・オリバーの話を紹介している。

 ロンドンでナイフ犯罪によって命を落とす青少年の実態は変わっていないが、今は人種差別というよりも「地域のギャング同士の戦い」になっているという。青少年が命を落とすたびに葬式に出かけるオリバーは「あまりにも葬式の数が多すぎて、数えるのをやめた」という。ローレンス事件の前後では、「事件を起こせば、必ず罰を受ける」ことを攻撃する側も知っているのが大きな違いだと語っている。(つづく。次回は英メディアでの有色人種の雇用)
by polimediauk | 2012-04-11 18:13 | 英国事情