小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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カテゴリ:日本関連( 107 )

 「あいちトリエンナーレ2019」(10月中旬終了)の中の「表現の不自由展・その後」が中止そして再開という過程を経る中で、表現の自由についての論争が発生したが、筆者は普段国外に住んでいることもあって、議論の高まりや報道ぶりを「外から見る」だけとなっていた。

 7日、ハフィントンポスト・ジャパンが東京都内で表現の自由をテーマにしたイベントを開催すると知って、一時帰国前に早速申し込み、抽選に当選のお知らせいただいた後、早速足を運んでみた。

 イベントのタイトルは「ロバート・キャンベルさんと一緒に、200人で賛否両論のアート作品を見てみよう」であった。日本文学研究者のキャンベルさんは国文学研究資料館長で、メディアのインタビュー記事を何度か拝読している。

 ハフポスト編集長の竹下隆一郎さんは、よくテレビに出演していると家族が教えてくれた。

 「いったい、どんなアート作品を見ることができるのだろう」とワクワクしながら席についた。司会はハフィントンポストの南麻理江記者である。

「♯表現のこれから」

 早稲田大学のキャンパスの一角で行われたイベントは、ハフポストによる「♯表現のこれから」というプロジェクトの一環であるという。

 紹介されたスライドによれば、「『伝える』がバズるに負けている・・・『伝える』は誰かを傷つけ、『ヘイト』にもなり得る。どうすれば表現はより自由になるのか」を考える1つの機会でもあった。

 会場に竹下編集長、キャンベルさんが登場し、竹下さんは会場からの参加を呼び掛けた。キャンベルさんの声は穏やかで、心がときほぐれるような感じがした。久しぶりに綺麗な日本語の音を聞いたように思った。

 2人の発言内容は、ハフポスト上で詳しく報じられると思うので、ここでは筆者の印象を書いて見たい。ここでの筆者は、「普段は海外(英国)に住み、特にアートに造詣が深いわけではない一方で、歴史物やドキュメンタリーはよく見ている人物」である。

「2度見」とアート作品

 このイベントで行われた、「2度見」という行為を説明したい。一つの作品を一度見て、その作品について意見を交わしたり、情報を得たりして、その後でもう一度同じ作品を見る、そして見方がどう変わったのかを考える、それについて話してみるという行為である。

 竹下編集長によると、この2度見は「あいちトリエンナーレ2019」のキュレーター会田大也さんがよくやっていることだという(会田さん自身も、後でイベントに登場した)。

 いよいよ、アート作品鑑賞の時となった。

 会場内の大スクリーンに映し出されたのは、固定したカメラが撮影する、広島原爆ドーム周辺の様子だった。ドームの下の道を人々が歩く。わずかに会話の一部が聞こえる。えんじ色の帽子をかぶった、幼稚園か小学生ぐらいの子供達が一軍となって歩く様子も見える。ひたすら、遠くに聞こえる人々の会話をじっと聞きながらスクリーンを見ていた。カメラの前を鳥が時々、飛んでゆく。

 そのうち、ドームの上に広がる真っ青な空に、白い飛行機雲が描かれ出した。飛行機が何かを描こうとしていることがだんだんわかってゆく。最初は、丸、それから「ヒカ」。「ピカ」である。これで終わりかなと思ったら、その後、最後の文字を描こうとしているようだ。

 「ピカ・・・ソ?」・・いや、「ピカッ」であった。

 やっぱり・・・。ステレオタイプ的に見ていたのかもしれないが、広島原爆ドームが画面の中央にドーンと出た時、1945年8月の「あの日」を表しているに違いないと思った。私は、当時、生まれていなかった。でも、歴史物のドキュメンタリーで、何度も「その後」を見てきた。特に戦争物を追ってきたわけではないけれど、日本での学校の授業や報道、そして英国のドキュメンタリーフィルムの中によく出てくるから、忘れようとしても忘れられない。

 「あの日」も、こんな晴天で、青空が広がっていたのだろうか。ドームの下では、次の瞬間に何が起きるかも全くわからず、人々は生活をしていたのだろうか。

 カメラが固定されているから、目を背けることができず、「あの日」あるいは「あの時」と同じように、じっと数分を過ごすしかなかった。写真ではなくて、動画だからこそ、「時」を追体験せざるを得なかった。

 ドームの下の人々の会話や子供達の動きを見るのが、つらかった。自分が生まれてきた時から何十年も前の出来事が、リアルな迫力で迫ってきた。

 飛行機が描いた「ピカッ」という文字によって、作り手のメッセージがより強く伝わってきた。

 広島の人なら、そして日本人なら、「ピカッ」がなくても、市民から突然日常を奪った原爆の惨さがこの動画を見るだけでわかるだろうけれど、日本以外の国の人にメッセージを伝えるなら、ここまで強い表現にしないと伝わらないだろうなあとも思った。

 さて、「1度見」が終わり、会場内の参加者の意見を聞く段階となった。

記号としてのドーム?

 竹下編集長とキャンベルさんがマイクを片手に会場を歩く。参加者の数人に感想を聞いてゆく。「何を見ましたか。一言で言ってください」という問いかけだった。

 最初の数人の答えは、筆者の記憶によれば「鳥の動き」、「空」、「子供達」などであった。驚いてしまった

 というのも、画面の中央にドーンとあるのが広島の原爆ドームで、空も鳥も子供達もその周辺に存在しているので、「一言」と言われたら、まずは「原爆ドーム」という言葉が出てくるだろうと思ったからだ。もしかしたら、「何が心に残ったか」を参加者は述べていたのかもしれないが。

 筆者が考えたのは、「もしかしたら、日本に住む人にとっては、原爆ドームはあまりにも明らかに眼前にあるものなので、それをそのまま答えられない」のか、「中央に明らかにあるものよりは、他のことに目が行った」のか。

 一つの疑問が湧いた。「もしかして、原爆ドームという明らかに有名な物は視界に入らない・重要視されない」、つまり、「ドームは記号化してしまって、『一言』と言われた時にドームを名指しする必要さえ感じない」ことなのだろうか、と。あるいは、「あまりにも重要な存在なので、あえて名指しを避けた」のか?

 

 ただ、次々と参加者が感想を述べていくと、次第にドームの話も出るようになったが。

 

 イベントで鑑賞対象となったのは、アーティスト集団「Chim↑Pom(チン↑ポム)」が2008年に発表した作品「ヒロシマの空をピカッとさせる」だった。

 この作品は、Wikipediaの説明によると:

 

2008年10月、軽飛行機をチャーターして広島市の上空に飛行機雲で「ピカッ」という文字を5回描き、平和記念公園などからメンバーが撮影した。報道が過熱し謝罪会見にまで発展、予定されていた広島市現代美術館での展覧会が取り止めになった。2009年3月に、騒動を検証した本『なぜ広島の空をピカッとさせてはいけないのか』を刊行、それに合わせて「広島!」展を開催し作品を発表した。制作意図を伝えた現在では被爆者らと交流があり、津波で流された額縁で制作した作品「Never Give Up」(2011年)を被爆者団体と共同制作した。

出典:Wikipedia

 イベントでは、原爆ドームの上空に飛行機雲で「ピカッ」と書いた作品が撮影の翌日に地元の中国新聞に掲載されたことが紹介された。新聞記事の見出しには、「広島上空 ピカッの文字」とあり、「市民『不気味だ』」という小見出しがついていた。

 竹下編集長が、イベントの司会役となった南記者にこの件について聞いてみた。南記者は広島出身である。子供の頃から平和教育を受けてきたという同記者は、広島市民への作品の衝撃や、アーティスト集団の創作意図に疑問を感じたことを話す。

 Chim↑Pomの一員である卯城竜太さんのインタビュー動画を試聴後、参加者は作品の2度見に向かった。

感想をグラフ化

 再度、原爆ドームが中央に置かれた作品を参加者全員で見た。

 事情がわかって見ても、固定カメラによる「一定の時間をドームとその周辺を見ながら、時を過ごす」ことのつらさ、数十年前の「あの日」への照り返しの苦しさは変わらず、むしろ強まったように思えた。

 でも、この「ピカッ」という文字表現が広島の市民にとっては「不快」であったことを、広島以外に住む私たちはどう受け止めたらいいのだろうか。アーティストはどうするべきだったのか。

 2度見の後、竹下編集長とキャンベルさんが再度、マイクを片手に会場内を回った。「前回と感想が同じ」という人が複数いた一方で、今度は原爆ドームや戦争の話、広島の人々への思いなどが多く語られたように筆者は記憶している。

 筆者は、この「広島市民の気持ちをどうするべきなのか」ということを、他の皆さんの感想を聞きながら考えていた。

 この作品の場合、「報道が過熱し謝罪会見にまで発展、予定されていた広島市現代美術館での展覧会が取り止めになった」経緯がある。あいちトリエンナーレでの「表現の不自由展・その後」の展示が一時中止されたことも、記憶に新しい。さらには、慰安婦問題を正面から取り扱った映画「主戦場」が、予定されていた映画祭での上映をこれも一時中止されたという事件があった。

 「ヒロシマの空をピカッとさせる」は、強い発信力・批判力を持ったアート作品だと筆者は思った。発表当時、広島市民の少なくとも一部が不快に思ったとしても、制作し、発表する意義は十分にあったと思う。

 「誰かが不快に思うから」という理由だけで、アート作品を公開する・しないを決めるべきではない・・・・というのは筆者の独自の考えではなく、すでに一般常識になっている。この作品で地元市民が不快に感じるのは、それだけ原爆という存在が心身に深い意味を持つことを示すのだろうと思う。筆者は広島市民ではないので、想像だけになってしまうのだけれども。作品の意図が「挑発するだけが目的ではないのか」と感じる人がいるだろうことも想像できる。

 2度見後の参加者の感想の中で、言語化はされなかったけれども、「誰かを傷つけるようなことを表現するアートは、ありなのか」という疑問がくすぶっているように見えた。

 英国では、あくまで個人的に見聞きしただけの話になるが、「誰かを傷つけるアートはOKなのか」という問いはあまり大きな問題とはなっていないように思う。ただし、特定の人種や宗教の信者(例えばイスラム教徒)を攻撃するような場合、人種差別別禁止法や名誉毀損法など法律に抵触する場合は訴追される恐れがあるし、トピックによっては抗議デモが発生する。メディアでも叩かれる。

 

 どこまでがアートの限界なのか。これはもちろん、大きな問いであるし、筆者個人が一言で答えられるものではない。

 しかし、「誰かの感情を傷つけるから」ということがアート作品を制作しない、あるいは制作されても公表されない理由としては考えられていないと思う。

 

 会場には広島出身の方が何人かいらして、それぞれ感想を述べていたが、必ずしも否定的な見方ではなかったように記憶している。

 興味深かったことの1つは、1度見と2度見のときの感想がグラフ化されていたことだ。立命館大学情報理工学部の服部宏充研究室の方がバブルチャートにして可視化してくれたのである。言葉をピックアップして作るグラフだそうだ。

会場からの感想をグラフ化(撮影筆者)
会場からの感想をグラフ化(撮影筆者)

一つの結論にはしない

 参加者の様々な感想、キャンベルさんのインプット、会田さんのお話などが出たイベントには「自分が参加している」という実感があった。

 何よりも興味深かったのは、竹下編集長が「一つの結論にまとめる」という形にしなかったことだ。いろいろな見方があり、それはそれでいいのだというスタンスだった。

 最後に、「考えるヒント」として、イベントの終わりに配られたChim↑Pomの卯城さんのインタビューの書き取り文書から、一部を紹介しておきたい。

 ***

 質問:作品が炎上したことについて、どう思いました?炎上は予想していましたか?

 卯城さんの答えの一部:「炎上」って最近の言葉だけど、アートが議論になってバッシングを受けたりするのは昔からあることなんですよね。では、なぜアーティストはそれでもそういう(際どい)ことをやるのか。そうなった(炎上した)時に、本当の「声」が出てくるからだと思うんですよ。

 質問:どういうことですか?

 卯城さん:僕ら社会に生きている人間には、沢山ありますよね?本当は言いたいのに言わないようにしていることとか、あるはずなのに無かったことにしていること。その「声」が出てくることで、新しく生まれる価値観や議論、常識があると思うんです。(後略。)

 ***


by polimediauk | 2019-12-26 16:09 | 日本関連

 日本人が、宇宙旅行の初めての個人客になる!この驚きのニュースが発表されたのは、つい最近のことである。

 日本のファッション通販大手「ZOZOTOWN(ゾゾタウン)」を運営する「スタートトゥデイ」社の前澤友作社長が、電気自動車大手の米テスラ創業者イーロン・マスク氏が手掛ける宇宙ベンチャー「スペースX」と月旅行の契約を結んだという。

 スペースXの月旅行にZOZOの前沢氏 2023年計画 日経新聞

 

 筆者は、この画期的なニュースを当初BBCの報道で知ったが、17日にスペースXの本社(米カリフォルニア州ホーソーン)で行われたマスク氏と前澤氏の記者会見の様子を、広瀬隆雄氏のブログ記事で興味深く読んだ。

 ZOZO前澤友作Space X本社における英語のスピーチはなぜ100点満点?

 なぜ「興味深い」と思ったのかというと、広瀬氏が前澤社長のスピーチをほめていたからだ。

 ブログの中に紹介されている動画から、26分過ぎに出てくる社長のスピーチを筆者も視聴してみた。そして、感心してしまった。日本にいるビジネスピープル(男女)が、英語圏でスピーチをする際の良い例と思ったからだ。

 どのように優れているのかについては広瀬氏が書いているけれども、筆者が見たところでは

 *主旨がはっきりしている

 *わかりやすい

 *聴衆に語り掛けている

 *最後に動画や文字によるまとめを見せて、メッセージが記憶に残るようにしている

 点が特に良いように思った。

 広瀬氏は米国在住が長く、投資業務を仕事としている。ありとあらゆるアクセントの英語を聞きながら仕事をしてきた経験がある広瀬氏のお墨付きであるから、筆者には大変参考になった。

日本語のアクセント、どう評価する?

 その一方で、別の興味深い評価があった。

 前澤氏が世界初の月旅行へ。記者発表を見ながら考えた、アメリカ人とのビジネスで知っておいた方がいいこと

 ヤフー個人ニュースでの「同志」となる安部かすみ氏が、前澤社長のスピーチ、特にアクセントについて少々厳しい見方を示しているようである。

 以下は、一部の抜粋である。 

 会見について、2つ残念だった点がある。1つは前澤氏の英語のアクセントだ。あれだけの長い記者発表を英語で行ったことは、とてもすばらしい。だが、宇宙という壮大なトピックについての世界に向けた記者会見において、アメリカ人や英語ネイティブにとって「なじみのない英語、聞き取りにくい英語」だった。

 日本では、外国人がカタコトの日本語でスピーチをしようものなら、日本語習得がんばってと親近感がわくだろう。しかしアメリカでは事情が異なる。英語は話せて当たり前とされているため、一般的になじみのないカタコト英語をアメリカ人は「Bad English」として揶揄する傾向がある。本人にはもちろん直接言わないしメディアもそれについてわざわざ書かないが、「Bad Englishを話す人」と印象づけられるのはもったいない。

 ここで断っておくが、筆者は広瀬氏も安部氏も同様に尊敬している。それぞれ在米の方で、お二人の視点・分析には敬意を抱いている。

 今回、お二人は同じスピーチについて、やや異なる感想を持ったようだ。広瀬氏の方はプレゼンテーションの仕方も含めてスピーチを好意的に評価し、安部氏は負の面に注目して、「こうしたほうがいい」とアドバイスしている。

 広瀬氏、安部氏の両方の評価を紹介したが、筆者が改めてこのエントリーを書こうと思ったのには、理由がある。

 例えば、今現在、日本で多くのビジネスピープル(以前は「ビジネスマン」で良かったが、今は男女どちらの場合もあるのでこの言葉を使っている)を含む様々な方が英語を勉強しているに違いない。この中で「海外、特に英語圏で英語でスピーチをするとき、日本語アクセントはどう受け止められるのか?」と知りたく思ったり、なかなか日本語アクセントが抜けない人は「自分はまだまだ、ダメなんだ」と思ったりする人がいるかもしれない(相当数かもしれない)。

 そこで、筆者は英語の専門家ではないけれども、ロンドンに住んで仕事や生活圏で英語を使い、時々は英語でスピーチをしたこともある経験から、何かヒントになるようなことを記すことができれば、と思ったのである。

ロンドン在住者から見て、気づいたこと

 気づいたことを、幾つか挙げてみたい。

 *「英語圏」と言っても、どの国・都市かそして誰が聞き手かによって、アクセントの評価が異なる可能性がある(例えば、アメリカでは出身国のアクセントがある英語を話せば、「Bad Englishを話す人」としてくくられてしまう傾向が強いのだろうか?)。

 *人種、出身国、貧富や教育の差、そのほかの社会的背景などが異なる人々に囲まれて生活するロンドンにいる場合、人種や出身国に由来するアクセントは、話の中身の判断という面からはほとんど問題視されない。この点は、声を大にして言っておきたい。  

 *上の項目に関連するが、ロンドンの場合、誰しもがそれぞれのアクセントで話すのが普通。理論ではなく、現実がそうなっている

 *「標準英語」と言われる発音(例えば「Received Pronunciation」=容認発音)で話す人は、英国の人口全体のほんの数パーセントと言われている。

 ただし、英国では発音・アクセントに人々が鈍感なわけではない。「口を開けば、その人の社会的背景が分かる」と言われ、どんな言葉を使って何をどんな風に話すかについては、かなり敏感だ。例えば、少し前になるが、知性に欠けている英語を話す人として、ある著名サッカー選手がよく笑いものにされたものだ。

 大勢の人の前で話す、スピーチの場合はどうか?

 ここでは、前澤社長のように、「公式の場で」「一定の知識人や報道陣の前で話す」ことを前提にしてみよう。

 発音・アクセントに絞ってみると、筆者のこれまでの経験(聴衆の一人だったり、話す側だったり)で重要なことは:

 分かりやすいこと。意味が通じること。

 これが鉄則だ。特定のアクセントがある・なしは関係ない。誰にでもそれぞれのアクセントがあるからだ。繰り返しになるが、英国では標準英語を話す人は数%しかいないのだ。しかも、この標準アクセントも英国南部のエリート層が話す英語を基本にしたものであり、そのルーツは必ずしも「中立」ではない。

 最後に、筆者が前澤社長の日本語アクセントをどう評価するかを書いておきたい。あくまで私見であるが、実体験に根ざした見方として参考にしていただければと思う。

 筆者が思ったのは「確かに日本語アクセントがある英語だった」。しかし、「わかりやすい英語だった」。聞いている人に意味が通じただろうと思う。少なくとも英国・ロンドン的には「わかりやすかったか、意味が通じたか、メッセージが伝わったか」が評価点である。


 筆者の結論としては、「日本語アクセントがあったが、わかりやすい、綺麗な英語だった」。


 筆者が英国に移住したのは、16年前だ。現地の英語が分からなくて、右往左往したものだ。英語で公にスピーチをしなければならないとき、筆者は練習するために音声を録音する。あとで再生してみると、自分の英語のくせ・日本語アクセントが分かる。典型的な日本人の一人として、例えばthやfの発音、それにlとrの違いがうまくできない。一生懸命矯正しようと思うのだが、なかなかできない。


 なぜ矯正しようと思うのかというと、いわゆる「日本語アクセント」を消したいからというのではなくて、「thやfの発音、それにlとrの違いがうまくできない」ことによって、意味が通じないことがあるからだ――録音を聞くと、いくつかの言葉の発音が不明瞭なため、自分で話したことなのに、「は?」となるのである。これでは、いけない(!!)。

 スピーチをしていて、ある単語や文章の意味が通じなかったら、100%アウトなのである。

 そこで、今英語を勉強中の皆さんに伝えたかったのは、「日本語アクセントを消す」というよりも、英語の特徴となる幾つかの発音をしっかりできるようにして、相手にとって「わかりやすいかどうか」を目標にしていただきたいと思う。

 どれほど頑張っても「ネイティブのように」話すのは容易ではないし、英国に住んでいると、この「ネイティブ」とは誰なのか?と考え出すと、問題が限りなくぼやけてくる。つまり、どの社会層に属する誰のアクセントを目指すべきなのか?BBCのアナウンサーのような「標準英語」を話したら、気取った人と思われなくもない・・・。自分のこれまでの経験がにじみ出る英語しかないし、みんなそうやって話している。

 筆者もまだまだ勉強中だ。

 自分が主張したいことを相手に伝え、より楽しい議論につながるよう、頑張っていきましょう!

 


by polimediauk | 2018-09-27 16:46 | 日本関連

大和日英基金のイベントで。左からウォーカー氏、大崎氏、伊藤氏(筆者撮影)

 最近、セクハラや性的暴行に抗議する#MeToo運動について考えることが多い。

 運動のきっかけは、昨年秋、ハリウッド映画のプロデューサーによるセクハラ・性的暴行の犠牲者となった女性たちが声を上げ始めたことだが、日本でも財務省官僚による女性記者へのセクハラ言動で、この問題が大きくクローズアップされた。

 

 米国では娯楽産業、日本では政界・メディア界が注目の的になったが、もちろん、特定の業界に限るわけではなく、英国ではチャリティー業界でも発生していることが明るみに出ている(「オックスファムの買春疑惑」)。

 4月以降、筆者は欧州で開催される複数のメディア会議で女性たちの声を聞いてみたが、メディア界でのセクハラ行為はどこの国でもほぼ同様に発生しており、状況もその悩みも非常によく似ていた(「セクハラをなくすには?海外メディアの女性らが明かす]」)。

 この中で、BBCのニュース番組は、出演者の男女比を50%ずつにしようと努めていることを知った。性差別を解消するための一環だが、他には何ができるか。

 性差別関連では、8月、日本の東京医科大学で「女子受験者の得点を一律に減点し、合格者数を抑えていたこと」が発覚している。

 6月26日、ロンドンにある大和日英基金が、「新しいアプローチ:日本と英国の#MeToo」という題名のイベントを開催した。ここではその熱気あふれる議論を報じてみたい(なお、イベントの使用言語は英語で、以下は筆者が適宜訳したものである)。

 会場は100人超が参加し、筆者は「#MeToo運動は終わっていない!」という強いメッセージを受け取った。

伊藤氏の話

 自分の体験を基に性犯罪について日本の司法や社会の現状を綴った「Black Box」を書いた、フリーランス・ジャーナリスト、ドキュメンタリー作家の伊藤詩織氏は「3年前に私はレイプされた。その後、何が起きたかを話したい」という。

 伊藤氏は、イベントの2日後にBBCで放送された番組「日本の秘められた恥」の一部を紹介した。彼女の体験や調査を基にしたドキュメンタリーだ。

 昨年5月末、実名・顔出しで記者会見をし、自分の体験を公にした伊藤氏。「ジャーナリストとしては利口なやり方ではなかったかもしれない。第3者という視点を維持するべきだったのだろう。しかし、このやり方をするほかはなかった」。

 会見後、バッシングにあった伊藤氏は、日本を出て英国に住むようになった。調査報道が盛んな英国では、こうした問題を語ることが「はるかにやりやすい。日本で話をするのは非常に難しい」という。

 「日本の秘められた恥」の中から、いくつかの動画が紹介された。

 その1つには、レイプされたある女性が登場する。女性は友人一人には自分の体験を話したが、警察には届け出をしなかった。伊藤氏はこの女性の家を訪れる。

 伊藤氏が聞く。「話すことは、どうして難しいと思いますか。どういう恐怖を感じましたか。話したらどうなるんだろう、と」。

 女性が答える。「男の人が、男の警官が来る」、「色々聞かれる・・・どうしてなのか、なぜ声を出さなかったのか。写真を撮られるんじゃないか・・・現場に連れていかれるんじゃないか・・・。人形を出されたり、『どんなことをされました?』とか」聞かれることを恐れたという。「何もなかったことにしたかったのに」。

 「詩織さんが名前と顔を出したことで、この人は、本当に日本を変えたいんやな、と思って」

 「一滴の水は何もならないですよ」、でもそれが集まれば「津波になる」

 「みんなの意識が、そこに向かうだけでも大きな力になると思う」。

 次の動画では、伊藤氏が大学を訪れている。

 女学生の一人がこう言う。「私は中高で女子高だったんですね。制服もセーラー服でかわいいし、友達が痴漢被害を受けていても、自分が受けても、女子高生だし、仕方ないよね、みたいな」。

 男子学生が続ける。「修学旅行の時に、女友達が目の前で痴漢されちゃって、男の自分でも見ていて、やめてくださいっていうのを叫べなかったし、どうにもできないことなんじゃないかと考えちゃって」。

 大学の先生が説明を加える。「生徒に聞く質問の1つは、レイプされた人を知っていますか、と。22人の学生がはい、と答えた」。その中で、警察に通報した人はほとんどいなかった。

 動画が終わり、伊藤氏が話す。「過去の自分を振り返って、なぜ何もしなかったのかと思う。(痴漢行為は)日常のありふれた一部だった。もし通報したら、学校に遅れてしまう。毎日、発生していたから」

 「なぜかは分からないが、私たちのほうが処理するべきだと考えていた」。

 伊藤氏は、日本では十分な性教育が行われてこなかったのではないか、と指摘する。

 伊藤氏は、米英では女性たちがまとまって、#MeToo運動で何かしようと動き出すのを自分の目で見た。「しかし、日本では同じような現象にはならなかった。自分の個々の体験を話せば、何かアジェンダ(隠れた意図)があるのだろうといわれてしまう」

 「私は#MeToo運動を信じている」。

 伊藤氏が注目するのはスウェーデンの動きだ。イベントの翌月(7月)から、明確な同意がない性行為は違法となるからだ。「スウェーデンの首相は、法改正は社会がレイプの被害者のほうに立っていることを意味する、と言った。被害者のほうに立って、支援するべきだと思っている、と」。 

 昨年、110年ぶりに日本の強姦法が変わった。「2つまだ直すべきところがある。1つは、同意年齢が13歳であること。もう1つは性交時の同意についての表記がない。レイプであることを立件するには、暴力が使われた、脅されたなどが条件となる」。

 性行為の同意については、ロンドンのテームズバレー警察が作った、紅茶の飲み方についての動画があり、これが大学などで使われているという。

 「できることはたくさんある。最初のステップは何が起きたかを知ること。ここに来ていただき、ありがとうございます」。

強姦法改正は「市民社会の勝利」

 次に登壇したのは、ジェンダー問題の専門家で、特定非営利活動法人「Gender Action Platform=GAP」の理事でもある大崎麻子氏である。

 大崎氏は性犯罪についての日本の法制度を中心に説明し、一つの神話にさえなっている「日本はいつまでたっても変わらない」という見方を覆してくれた。

 同氏がプレゼン資料で説明した内容を整理してみると、まず、2017年7月、性犯罪の処罰を110年ぶりに厳罰化した改正刑法が施行された。

 改正前(1907年制定、08年施行)の規定では、強姦とは暴行・脅迫を用いた膣性交(陰茎の膣内への挿入)を意味し、強姦罪を犯した者は最低3年の有期懲役となった。被害者が告訴しなければ、刑事裁判にかけることはできなかった(こうした罪は「親告罪」と呼ばれる)。

 改正後、強姦にあたる性行為として膣性交、陰茎の口や肛門への挿入も含まれることに。有罪になった人は5年以上の有期懲役になる。被害者は告訴をしなくても起訴できる(親告罪の規定の撤廃)。

 また、親などの「監護者」がその立場を利用して18歳未満の者と性的行為を行った場合、暴行・脅迫がなくても処罰することが出来るようになった。

 刑法改正案が可決成立した時、3年後の見直し*、被害者の心理などについての研修を警察官、検察官、裁判官に対して行うこと、二次被害防止に努めることなどが付帯決議となっている(*改正法の施行は昨年だったので、現在から2年後に見直しとなる)。

 大崎氏によると、法改正は「市民社会の大きな勝利」だった。

 具体的には:

 法改正を求める非政府組織、自助グループ、学生団体、学者、リサーチャー、専門家、議員、メディア組織、ジャーナリストなどが「戦略的パートナーシップ」を組んだ。直接顔を合わせてのミーティング、討論会、ソーシャルメディア、オンラインの署名活動、既存メディアで取り上げるなどの手段を使うと同時に、議員や政党にも働きかけ、国連の「CEDAW(セダウ)(女子に対するあらゆる形態の差別の撤廃に関する条約)」(日本は1985年に批准)の枠組みを活用したという。

 「最初の改正までに110年かかった」が、今はさらなる改正への「機運がある。ソーシャルメディアの時代に、もっと早くできるだろう」。

 具体的には、「政府に説明責任を持たせ、政策対話に参加すること」。

 例えば、政府の「すべての女性が輝く社会づくり本部」は「女性活躍加速のための重点方針 2018」を6月12日に発表している。この中に「セクシュアル・ハラスメントの根絶に向けた対策の推進」の項目が入っている。

 また、国際労働機関(ILO)は6月、セクハラなど働く場での暴力やハラスメントをなくするための条約をつくる方針を決めている。(「日本には職場での暴力やハラスメントを禁止する法律がない」と大崎氏)。

 カナダ・シャルルボワで行われたG7サミット(6月)で参加国は「性的及びジェンダーに基づく暴力、虐待及びハラスメントの撲滅に対する」誓約に合意している。

 先のCEDAWを始めとする国際的な枠組みを活動の根拠にしたり、毎年日本で開催されている「国際女性会議(WAW!=ワウ)」やG20の下部組織となるW20の会議で推進力を高めるなど、私たちができることを大崎氏は説明した。また、活動家同士が「つながること」の重要性も強調した。

イベントは時に笑いも入り、リラックスしながらも真剣な議論が続いた(撮影筆者)
イベントは時に笑いも入り、リラックスしながらも真剣な議論が続いた(撮影筆者)
左からウォーカー氏、大崎氏、伊藤氏(撮影筆者)
左からウォーカー氏、大崎氏、伊藤氏(撮影筆者)

#MeTooが行き過ぎている?「冗談でしょう」

 最後は、英国の女性平等党の党首ソフィー・ウォーカー氏の番だった。

 ウォーカー氏は2016年のロンドン市長選と昨年の下院選に立候補したが、落選している。

 筆者は女性平等党について、「今さら、女性を特別視する必要があるのだろうか」と懐疑的に見てきたが、#MeToo運動渦中の現在、ウォーカー氏の言葉に大きく揺さぶられる思いがした。

 先に、BBCのニュース番組が出演者の男女比を50%ずつにする動きについて紹介したが、こうなると男性が出なくなる方向まで進むのかなと不安感を持っていた。「少々、やりすぎかな?」とも。

 しかし、そんな不安感を払しょくしたのがウォーカー氏のスピーチだ。

 「#MeTooが行き過ぎている・・・と考える人がいない場所で今、話せる」とまず安ど感を表明。「行き過ぎているのではないか、という質問をよくされる。これを聞くたびに1ポンドもらっていたら・・・」。今頃は大金持ちになっていただろう、というニュアンスだ。会場から笑いが洩れる。

 「行き過ぎているのでは?に対する答えは、『冗談でしょう?』です」。

 

 #MeToo運動は米国で娯楽・メディア業界でのセクハラ・性的暴行事件の告発がきっかけだった。「それも当然だ。娯楽業界で男性は権力の中心にいる。女性は男性よりも低い存在として描かれる。主人公の母、妻として登場するか、仕事を持つ女性が出てくる場合でもアルコール依存症に苦しんでいるように描かれることが多い」。

 

 告発は政界にも広がったが、「どこの国でも男性議員の比率が高い。女性のジャーナリストたちは男性議員のハラスメントを受けている」

 「セクハラが起きるとハラスメントされた側が話題に上るが、ハラスメントをした方の責任は問われない」。

 オックスファムをはじめとするチャリティ業界でのセクハラ・性的暴行も話題に上るようになった。

 「#MeTooは多くの分野にまたがる。今こそ、#MeTooを訴える集団としての意識をもって、社会構造を変えるべきだ」。

 ウォーカー氏の話で筆者が「目からうろこ」の思いがしたのが、彼女がこう言った時だ。「セクハラは実はセックス・性の話ではない。パワー・権力の話だ。(セクハラ・性的攻撃の対象になるのは)女性がパワーを持っていないことを意味する」。

 「やるべき課題は多い」とするウォーカー氏は、常に特定の個人に問題ありとされる傾向を指摘する。「問題が起きるのは女性に責任があるから、と言われる。差別をなくするためにがんばれ、と。完璧な体形を持つように、がんばれ・・・」。こうした風潮に流されてはいけないという。

 ウォーカー氏は、「#MeTooとは、ほかの多くの女性たちの後ろに立って『ああ、私もそうだ。共感する(Me, too)』と声を上げることだ。集団としてまとまること。女性がこれで力を得ることだと思う」。

ネットで始まったことの意味

 ウォーカー氏は参加者に向かってこう言った。「ここに来れない女性たちがいますよね」。イベントに来て議論に参加できない女性たち、障がいがあって自由に動けない人、あるいはほかの人をケアしている人、無休で働く人、貧困者、ここに来るまでの切符を買えない人、忙しくて時間を割けない人―」。

 でも、ネットにアクセスすることができれば、「孤立していた人がオンラインのコミュニティに入れる。Me, tooと言える」

 「女性たちは、待っていても誰も自分を助けに来ないことが分かったのだと思う。だから、自分で自分を助ける。誰も待つ必要がない」。

 しかし、女性たちはオンラインハラスメントの対象になりがちでもある。「声を上げた人がハラスメントを受けて、ばらばらにされてしまう」

 「男性たちは、自分を解雇できるような人には決してハラスメントをしない」――なるほど、確かにそうだと筆者は思った。

 ウォーカー氏は最後に、「性の商業化をやめよう、女性たちは互いの声を聞こう、雇用面の差別をなくしよう、経営陣も政界も男女比率を半々にしよう、メディアは多様性と公正さを反映するようにしよう。ハラスメントされることを恐れずに、テクノロジーを使うようにしよう」と呼びかけた。

―セクハラ解消の具体策は?

 会場から、「セクハラ解消の具体策」についての質問が出た。

 ウォーカー氏:「9月に政党の党大会があるので、そこで具体策を詰めたい。今すぐできることは、性差別やセクハラについて関心を持っていること。自分に正直であること。問題が大きすぎて諦めてしまう人が多いが、自分は何が得意かを考えてみてほしい。何が達成できるか、いつまでにできるのか。また、同じことを考えている仲間を見つけること。互いを励まして行動ができる」。

 大崎氏:「私が関わっている国連女性プログラムが日本で始まる。お金は欧州連合(EU)から出ており、女性の経済エンパワーメントを目指す。また、職場でのセクハラを解消するための作業もある。ILOが職場のセクハラについての新しい条約を作るために動いている。法的に縛りをかけるのか、あるいは自由意思にするのか。法的義務となるよう、調整している」

 「また、日本の女性は声を上げることに慣れていない。家父長的な傾向が強い地域では、(これを変えるための)ワークショップを開催している」。

 #MeToo運動は、まだ終わっていない。

 ウォーカー氏の言葉をもう一度。

 「行き過ぎているのでは?に対する答えは、『冗談でしょう?』です」

 「セクハラは実はセックス・性の話ではない。パワー・権力の話だ。(セクハラ・性的攻撃の対象になるのは)女性がパワーを持っていないことを意味する」

 「男性たちは、自分を解雇できるような人には決してハラスメントをしない」。


by polimediauk | 2018-08-23 18:23 | 日本関連

(新聞通信調査会が発行する「メディア展望」7月号の筆者原稿に補足しました。)

書評:原野城治著(ホルス出版=1400円+税)

「日本の発言力と対外発信」

***

 日本の海外に向けた発信力は、今一つなのではないか?そんな疑問を持ったことはないだろうか。

画像

 本書の著者原野城治氏は、日本の発言力や対外発信の現状に強い危機感を抱く。同氏は時事通信社で政治部、パリ特派員、解説委員、編集局次長を務めた後で対外発信の現場に飛び込んだ。多言語季刊誌「ジャパンエコー」を経営・編集し、多言語サイト「ニッポンドットコム」の運営を約15年間、担当した。世界の舞台での日本の発言力・発信力を観察するには絶好の立場にいた。

 原野氏は、日本からの対外発信の目玉として「マンガ・アニメ」ばかりという選択肢のなさを見て、「日本の文化的劣化さえ覚える」という。また、「IT時代において、政府レベルに最低限必要な『国連公用語六カ国語』(英、仏、西、中、露、アラビア各語)の対外発信基盤が常設されていない現実は、『ダメな国だ』という諦めより虚しさに近いものだった」。

 第1章から3章まで、著者が見聞きした対外発信の具体例がつづられてゆく。

 第3章では多言語発信の現状が紹介されているが、最も多くの言語でラジオ放送を行っているのは「中国国際放送」(CRI)で61言語、これに米「ボイス・オブ・アメリカ」(42言語)、ロシアの「スプートニク」(39言語)と続く。NHKの国際放送(「NHKワールド」)は18言語だという。国際戦略の違いが出た格好だが、このままで良いのかと著者は問う。

 第4章では、日本のメディアによる英語での情報発信が「規模が小さく、採算的にも赤字を垂れ流し」、「英語力も質量的に不十分」と指摘する。かつて日本の英字媒体で働いていた筆者にとっては、耳が痛い。何とかならないものかと筆者自身が焦燥感を持ってきた。

 著者は第5章以下で、日本や欧米諸国が対外発信、対外文化事業に力を入れた1930年代の歴史を紐解く。1934年に発刊されたのが日本初の本格的なグラフ誌「Nippon」。写真家・編集者の名取洋之助氏が中心となって編集され、日本と日本文化の国際性をアピールすることを主眼とした。44年までの10年間に英語、ドイツ語、フランス語、スペイン語で刊行されている。同じ頃に設立された「国際文化振興会」の資金援助を得て、名取は「国内の多様な写真撮影を行い、アーカイブス化して海外に配信した」。

 第6章は戦後の動きを扱う。「国際交流、異文化交流の『民力』の拠点となった」、「国際文化会館」の創設に尽力したジャーナリスト、松本重治氏に焦点があてられる。

松本重治氏(ウィキペディアより)
松本重治氏(ウィキペディアより)

 米エール大学に留学した松本氏は歴史学の教授だった朝河貫一博士に出会い、「本物の国際人は、本物の日本人でなければならない」と教えられる。1951年に締結されたサンフランシスコ講和条約をめぐる過程で、松本氏は戦前の日米人脈を活用したという。日米文化交流の土台が作られてゆく経緯が本書に詳細に記されている。 

 国際文化会館を舞台とする松本氏らの国際交流は「日米の学者や有識者を中心とする人的ネットワークに依存したもの」で、終戦から独立の回復へという混乱の中で「物事を多面的に見ようとする知的エリートによる交流と対話の復活」を軸とした。これには「日米両国間のコミュニケーションが不全状態に陥った歴史に対する」松本氏の「強い反省の意が込められていた」。

 終章では著者が深く関わっていた「ジャパンエコー」創刊にまつわる話や、日本の等身大の姿を伝えるためのコンテンツ作りの肝が紹介される。例えば「知ったかぶりをしない」、「しっかり時間をかける」、「海外の読者をどんなことがあっても『見くびらない』」など。

 著者は、これからの日本は「静かなる有事」に備えなければならない、という。「静かなる有事」とは、「有事」ではないが、漫然とした「平和な時」でもない状態を指す。国際社会において日本からの発言力をこれまで以上に高め、「等身大の姿を説明するための持続的で強力な対外発信基盤の構築」を提唱する。そのための必要最低限の条件として著者が勧めるのは、国連公用語による対外発信だ。「言語戦略は極めて重要な国家戦略であって、言語はソフトパワーそのもの」だからだ。

 日本の対外発信の歴史を振り返り、今後を考えるための一冊と言えよう。 


by polimediauk | 2018-08-07 18:06 | 日本関連

 ロンドン近辺にいらっしゃる方、よろしかったら、ご参加ください。

***

伊藤詩織さんを囲む会 -BBC「日本の秘められた恥」放送後、 私たちに何ができるか


 セクシャル・ハラスメントや性的暴力に対して声を上げる「MeToo」運動が世界中に広がっています。日本でも、財務次官による女性記者へのセクハラが報道されたことでこの問題にスポットライトが当たり、ジャーナリズムに携わる女性による職能集団「メディアで働く女性ネットワーク」が組織化されています。

 日本の雑誌を手に取ると、続々と「セクハラ」「性暴力」が特集記事のトピックとして選択されるようになりました(「新聞研究」、「Journalism」、「世界」など)。

 英国では、6月26日に大和日英基金で「
日英のMeToo運動と題されたイベントが開催され、熱い議論が交わされた後、2日後の28日には、性犯罪に対する日本社会の状況を変えるために活動を続けるフリーランス・ジャーナリスト、伊藤詩織さんに焦点を当てたBBCのドキュメンタリー番組「日本の秘められた恥」が放送され、大きな反響を呼びました。

 
日本の性犯罪についての法律をより
実態に即したものに変えるため、7月9日から13日まで性暴力被害当事者団体「Spring」が英国を視察し、ロンドンで公開イベント(7月11日)を開催したこともあって、「状況を変えていこう」、「英国に住む邦人ができることを知りたい」という機運が高まっています。


 そんな今、滞英中の伊藤さんを囲み、性による差別を解消し、男女ともに生きやすい社会を作るにはどうしたらいいかを一緒に考えてみませんか。


 BBCの番組の裏話、SPRINGの視察イベントについて、また世界各国でドキュメンタリー映像を取材・制作する伊藤さんの米ニューヨーク・フェスティバルでの銀賞受賞作品について、そして世界の性教育、現在追っているテーマなどについてもお話しいただき、情報を共有してみませんか。


 番組を視聴したことを前提に、双方向の会話ができる会にしましょう。


日時:7月16日(月曜日)午後6時半から8時ごろまで


場所:ロンドン大学 SOAS: School of Oriental and African Studies, University of London

Room 4429, onthe 4th floor of SOAS Main Building

- Address: 10 Thornhaugh Street, London, WC1H 0XG
- Nearest tube station: Russell Square (Zone 1, Piccadilly Line)


参加費:無料


会場では、伊藤さんの著書「Black Box(1冊15ポンド)をお買い求めできます。


参加申し込み:電子メールで、dekirukoto988@gmail.com までお申込みください。お名前、当日に連絡がつく電話番号をご明記ください。伊藤さんにお聞きになりたいことなどありましたら、お書きください。


主催:日本の未来をイギリスから考える会 有志(小野信彦、小林恭子ほか)


ご参考資料:


*「日本の秘められた恥」  伊藤詩織氏のドキュメンタリーをBBCが放送
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-44638987

*メディアで働く女性ネットワーク
https://www.facebook.com/WiMNJapan/ 



by polimediauk | 2018-07-15 07:57 | 日本関連

(BBCのウェブサイトより)

 BBCテレビが、6月28日、性犯罪に対する日本社会の状況を変えるために活動を続けるフリーランス・ジャーナリスト、伊藤詩織氏に焦点を当てたドキュメンタリー番組「日本の秘められた恥」を放送した(チャンネル「BBC2」、午後9時から1時間)。

 その内容については、BBCニュースの日本語版が詳しく伝えている。英国内での反応や、日本では今のところ放送予定がないことが後半に記されている。

 ドキュメンタリーは、制作会社が数か月にわたって取材したものだ。番組は男性ジャーナリストからの性的暴力を告発した「伊藤氏本人のほか、支援と批判の双方の意見を取り上げながら、日本の司法や警察、政府の対応などの問題に深く切り込んだ」(BBCニュース日本語版より)。

 番組では「複数の専門家が、日本の男性優位社会では、被害者がなかなか声を上げにくい状況」であると指摘。伊藤氏は強姦の被害届を出し、「顔と名前を出して記者会見をした数少ない女性」だ。

 事件の経緯についてはすでに日本で広く報道されてきたため、ここでは詳細を繰り返さないが、基本だけ押さえておくと、事件が発生したのは2015年4月。伊藤氏に対する「準強姦罪」の被疑者となったのは当時TBSのワシントン支局長だった山口敬之氏。同氏に対し、一旦は逮捕状が出されたものの、直前に逮捕は取り消された。この年の8月、検察に書類送検され、2016年7月、不起訴が確定。

 2017年5月、伊藤氏は司法記者クラブで記者会見を開き、不起訴処分を不服として検察審査会に申し立てをしたと述べた。4か月後、審査会は山口氏を不起訴相当とした。刑事責任を問うことができなくなったため、伊藤氏は今度は民事訴訟で戦っている。

 番組は伊藤氏の体験ばかりではなく、性犯罪に対する日本社会の状況を学者、専門家が語り、伊藤氏が性犯罪の被害者を支援するセンターを訪ねたり、学生と対話をしたりする場面もあって、「日本の性犯罪を巡る状況を考える」内容になっていた。山口氏の主張、山口氏を支持する人々のコメントも入り、バランスの取れた作りになっていたように思う。

英国での反応は?

 英メディアの反応はどうなっているのか。

 先のBBCニュース日本語版でも終わりの方にいくつか紹介されていたが、ネットで拾ってみると、サン紙イブニング・スタンダード紙タイムズ紙ガーディアン紙テレグラフ紙、週刊「ラジオ・タイムズ」などに番組評が出ていた(閲読は、一部有料)。

 レベッカ・ニコルソン氏による、ガーディアン紙の番組評の出だしと最後を紹介してみよう。

 「強姦についての日本のタブーを破る」が見出しとなっている。

 冒頭は:

「日本の秘められた恥」は視聴が非常に困難な映画だ。痛ましく、悔しく、悲惨だ。同時に、とても重要な映画だ。勇敢で、必要な映画。制作者・監督のエリカ・ジェンキンが丁寧にそして静かな怒りを抱いて作っている。女性に対する暴力、その構造的な不平等性や差別という大きな物語を、より小さな、より個人的な物語を通して語っている」。

 最後は:

 「日本の秘められた恥」を見た視聴者は多くの怒りにかられる。私は冒頭から胃が締め付けられる思いがした。しかし、この恐ろしい物語の中に一筋の希望もある。(番組の中に出てくる)高齢の女性たちが自分たちの物語を語るようにさせた著名人として伊藤氏を見ていることだ。最後の場面では、強姦をされたが、伊藤氏に会うまでは一度もこの体験を話したことがなかった女性が出てくる。「一滴の水は何もできないけれど、たくさん集まれば、津波を起こせる」。

男性評者が「MeToo」

 デイリー・テレグラフの評者は星5つが最大の評価の中で、星4つを与えている。

 番組を通して、男性評者のジャスパー・リーズ氏は以下を学んでいく。

 ー性的犯罪の被害者を助けるセンターが日本には非常に少ない

 ー警察官の「ほんの8%が女性」

 ー強姦についての日本の法律では被害者が抵抗したことを示さなければいけない

 ―女性がアルコール飲料を飲めば、さらに悪いと見なされる

 ー女性が性衝動を持つことは女らしくないとされるので、日本のポルノは(男性からの性的アプローチに対し)最初はノーと言うが、後で征服される女性のイメージで一杯だ

 -女性が男性の性暴力について声を上げれば、「私的な恥を公的空間に出した」と解釈される。


 そこでリーズ氏は、「犠牲者を責める不快な風潮の中で声を上げるのは、さぞ勇気が必要だったろう」と感想を漏らす。


 伊藤氏が人形を使って暴行の様子を再現しなければならなかったのは「セカンド・レイプ」と呼ぶ人もいることを紹介する。「一方、時事番組に出演した山口氏と他の男性出演者たちはアルコールを飲む女性への嫌悪感を露わにし、不起訴処分が決定するとシャンパングラスを上げて祝った」。

 リーズ氏も、番組の冒頭で高齢の女性たちが伊藤さんについて「大ファンなのよ」と述べる場面に最後に触れている。

 同氏の最後の言葉は:「MeToo」(私も)。

何故被害者にバッシングが起きるのだろう

 BBCの番組の中では、オンライン上で様々な脅し、嫌がらせ的言論が伊藤氏に対して発せられたことが紹介されている。

 女性に対するオンライン上の嫌がらせは、日本ばかりではない。英国でも女性の学者、ジャーナリスト、議員など表に出る人へのヘイトメールや脅しの攻撃はすさまじいものがある。

 伊藤氏の例に限ると、何故嫌がらせやバッシングが起きるのかと、筆者は不思議な思いがする。

 例えば「女性が低く見られている」という面があるのかもしれない。被害者の女性の方を攻撃の対象にしてしまう、と。

 あるいは、筆者が思うには、「MeToo」という感情を共有できないからではないだろうか。「MeToo」、つまり、「ああ、やっぱりそうだよな、分かるよ」という気持ちである。この気持ちをどうか、思い出していただきたい。

 日本の女性の多くが学生時代に満員電車の中で痴漢行為にあったことがあるはずだ。男性も被害者になったことがあるかもしれないが、圧倒的に女性が多い。

 あるいは、組織に勤めていて女性であるがゆえに軽んじられたり、体を触られたり、冗談の的にされたりしたことがあるのではないか。

 こうしたもろもろの体験を心身が記憶しているはずだ。

 そうすると、番組の中で、伊藤氏が暴行を受けたホテルの前に立っているうちに表情が険しくなって、短時間で去ってしまう場面になると、その「身体のガクガク感」が実感としてよくわかるだろう。女学生が高校生の時にあった痴漢行為について話す場面にも、同感してしまうのだ。

 筆者にも、いろいろな過去の記憶が甦ってきた。

 古い記憶をたぐると、「仕事を紹介できる人を知っている」と言った男性に会うために、20代後半の時にホテルのバーに行ってお酒を飲んだことを思い出す。有頂天で、信じ切って出かけて行ったものだ。

 しかし、その「仕事を紹介できる人」は、2時間経っても現れなかった。男性は、「上に行って、ゆっくりしない?部屋を取ってあるから…」と言った(私は部屋に行かなかった)。そこで「帰ります」と言ってバーを出た私だったが、長い間、本当にやってくるはずの人が都合が悪くなって来れなかったのだろうと信じていた。

 もし当時がソーシャルメディアの時代だったら、恐らく最初から誘うことを目的にしていたこの男性ではなく、出かけて行った私がバッシングされていたのだろうか?「男性」と「2人きり」で、「夜」、「ホテルのバーで飲んでいた」から?

 しかし、バッシングされるのはいつもスカートをはいていた女性の方・・であって良いはずがない。

 「セクハラ・性的暴行は日常茶飯事」、「不快な行為をさばいていくのが女性の処世術」と思う方がいたら、かつての悔しい気持ち、不快な気持ちに思いを巡らせてみてほしい。あなたにも、「MeToo」体験があったのではないか。

 あるイベントで女性が言った言葉が忘れられない。「男性は自分のキャリアについて決定権がある女性には、決してセクハラをしない」。

 セクハラはパワハラ。セクハラをされたことがなくても、パワハラをされた経験がない人はいない。

 少なくとも米英では、女性がお酒を飲んでいようが、セクシーな洋服を着ていようが、同意なしに男性が手を出したら、「アウト」。英国の国防相は、十数年前に女性ジャーナリストの「膝に手を置いた」ことが発覚して、昨年秋辞職した。メイ英首相の右腕と言われた副首相も、同様の状況で辞任した。ここまで厳しくなっているのである。

 MeTooの意識が広がる英国で、BBCの「日本の秘められた恥」は強いアピール力を持つドキュメンタリーとなった。

***

 伊藤氏による、性的暴行疑惑についての日本の状況


by polimediauk | 2018-07-10 18:13 | 日本関連

(新聞通信調査会発行の「メディア展望」1月号掲載の筆者記事に補足しました。)

「メッセージの時代」に生きている

ネット時代に「読まれる」文章を書くコツとは 書評『21世紀の共感文章術』_c0016826_00355225.jpg


ネット上で誰もが気軽に情報発信ができるようになり、私たちは溢れるほどの情報に囲まれている。しかし、果たして書き手の意図は十分に読み手に伝わっているのだろうか?「読める」文章を書くための手助けとなるのが坪田知己氏による『21世紀の共感文章術』(文芸社)だ。

メディア環境の激変を見てきた坪田氏は、私たちが「メッセージの時代」に生きているという。「ネットで交換するメッセージの質」が問われるようになった、と。

 また、21世紀は「感性の時代」でもあるという。「『人間らしさ』が尊重される時代」に、一番大事なことは何か。著者はコミュニケーションにおける「共感」を挙げる。文章術においても「共感を呼ぶ」ことが「成否の分岐点になる」、と。

 著者は、これまでに出版された著名な小説家による一連の文章読本は文学を志す人には必読書でも、「日常的な文章を読み聞きする私たちには別世界」と結論づける。

 また、読解に頼りがちで「文学」と実用的な「文章」の区別をしていない日本の国語教育にも疑問を抱く。授業では生徒は文学作品を読まされることが多いが、「人生を生きていくうえで重要なのは、『コミュニケーションとしての日本語』ではないか」、と読者に問いかける。

本書のタイトルにも入っている「共感」=エンパシー=の今日的な重要性については、筆者も最近実感しているところだ。21世紀のメディアのキーワードといってもいいだろう。

ソーシャルメディアの共有機能や「いいね!」ボタンはまさに共感を通じて交流が行われていることを示す。デジタル収入を増加させるための動画の活用でも、「感情(エモーション)」や共感が視聴回数を増加するための鍵を握る。

本書による「いい文章」の要素は

何が言いたいのかが簡潔・明瞭、

リズム感があって読みやすい、

筆者の気持ちが伝わること。

興味深いのは中立公正の原則がある新聞記者が書く文章が必ずしも「ベスト」というわけではない、としている点だ。 

また、文章はあくまでも本人のものであり、講師のまねをしても「上手にならない」と釘を刺す。

本書の元になったのは、著者が2011年から開催してきた文章講座だ。2015年末までに参加した生徒数は約900人に上る。

一つの教室の生徒は約6人。全4回で、生徒が書いた文章を坪田氏が添削する。

本書には添削の具体例が多数掲載されており、添削前後の文章を比較しながら、コツをつかめるようになっている。 頭の中で分かったつもりでいても、実際に文章を書いてみなければ身につかず、添削指導を受けることで文章力が向上するという

文章講座での学びがどんどん活動の幅を広げていく。昨年東京・二子玉川で開催された講座終了後、受講した生徒たちが在宅ライターの仕事をしたいと申し出たことで、今年3月には「合同会社・Loco共感編集部」が設立された。都内数カ所で文章講座を開催し、企業からの記事執筆依頼を受けて仕事をする生徒たちも出てきた。今年2月には、講座参加者による文章を 「心の華」として自費出版するに至った。

本書の終盤で坪田氏は日本人が自律するためにも文章力、表現力の向上を願う、と書く。「人間が自律できているかどうかは、その人の意見表明によって確認できます。ところが、話し方が下手だったり、文章力が不足していると、意見がしっかりと他人に届きません」。

著者は中学校、高校の国語の正課として「文章の書き方」が教えられることを望む。「筆者の個性が輝く」ように教えて欲しい、とも。「ひとりひとりが『自分の文章』をしっかりと身に付けて成長すれば、日本はもっともっといい国になると思います」。


by polimediauk | 2017-02-01 00:30 | 日本関連
 ブログサイト「BLOGOS」と松竹映画が共同で主催した映画「日本のいちばん長い日」の試写会に、先月末、足を運んだ。真夏の盛りの1日で、汗だくで東京・銀座の松竹の試写室に入った。

 戦後70年ということで、2015年現在の自分にとってこの映画がどう映るのかを確かめてみたかった。上映後のジャーナリスト田原総一郎氏と漫画家小林よしのり氏のトークにも大いに興味が湧いた。

 皆さんご存知のように、映画(原田眞人監督)は作家半藤一利氏のノンフィクション「決定版 日本のいちばん長い日」(文春文庫)が原作だ。1967年には岡本喜八監督が三船敏郎氏の主演で映像化している。

 戦争、そして日本でいちばん長い日と言えば、1945年8月15日の終戦記念日のことだ。降伏するのか、本土決戦を選ぶかを巡って、政治家たちが苦悩する日々をドラマ化している。

 公式サイトの紹介や物語の筋を読むと大体の流れが分かるが、15日の昭和天皇による玉音放送までのてんまつは、日本人であれば、知らない人はいないといってよいだろう。

 何故この映画が、今、作られたのか?

  戦後70年と言うことが背景にあるようだが、原田監督のBLOGOSでのインタビューを読むと、以前から構想があり、「昭和天皇を魅力的な人間として描きたい」という思いがあったという。昭和天皇が主役の映画「太陽」(2006年)でイッセー尾形が演じた天皇が「違うな」と思ったそうだ。

 戦争をテーマにしている、終戦にまつわる報道が増える夏に公開・・・と聞いただけで、戦争を好意的なトーンで描くのかな、だとしたら、それは一体どうなのか、とひねて考えてしまう自分だが、この映画については、すっと抵抗なく物語の中に入っていけた。

 一つ、映画を観ていて、「ああ、これは見たことがある」という思いを持ったことがある。政治家や軍人がこの先をどうするかをなかなか決められない中、天皇による「ご聖断」を待つ動きに、東京五輪に向けての新国立劇場建設についてのドタバタが重なった。誰も責任者がいないようで右往左往する、2015年のスポーツ関係者の動きだ。

 70年前の止むに止まれぬ状況と、現在の政治家やスポーツ組織の上層部の迷走振りを並列させるなんて、滅相もない話なのだろうけれどー。2015年の今だから、こんなことを言えるのだろうけれど。

 途中で、若い兵士たちが徹底抗戦を望んで、クーデターを試みる。その血気盛んな様子を見ていて、非常に悲しくなった。最期は結局、無理だったことが今となっては分かるせいだろう。今日まで米国と言う敵を倒すことに全身全霊を傾けていて、明日から終戦と言われても、納得がいかないだろうし、体もそうはいかない。

 話の展開を追うことに集中していたら、座席から飛び上がるほどに驚いたのが、爆撃されたときの音だ。東京大空襲の後の焼け野原の様子もありありと映された。原爆落下も。東京の試写室に座っているだけの自分だが、すさまじさを感じたし、怖いと思った。こういう場面を体感するだけでも、この映画を観る価値があると思った。

 最期は昭和天皇のご聖断で映画は静かに終わる(本木雅弘氏の演技が秀逸)。

 映画が終わる頃、私の頭は「何故」で一杯だった。それは、先ほどの「ドカン!」という爆撃・爆弾落下の音や映像による衝撃がまだあったからだ。悲惨な焼け野原の光景も見た。当時、米国は敵だった。それなのに、70年後の現在、日本人は米国が大好きのようである。何故なのか。いつから、どうやってそうなったのだろう?

「敵=米国」から、「米国、大好き」へ

 皆さんも不思議に思ったことはないだろうか?日本人の米国好きについて。

 70年前の日本では米国は敵だった。それが何故、現在に至るまで、米国への大きな好感が日本に存在するのだろうーこれが大きな疑問だった。国によっては、現在に至るまでも旧敵国を憎み続ける場合もあるのだから。

 広島、長崎に原子爆弾を落とされた衝撃は相当のものだったはずだ。どうやってこれを呑み込んで、先に進めたのだろう?

 私が(勝手に)理解しているところでは、戦後、米政府(進駐軍政府)による、徹底的な軍備排除政策及び親米策がとられたからだと思っている。しかし、それ以外にもたくさん理由があるだろう。

 敗戦国としての日本ばかりか、ほかの多くの国にとっても、経済的にはるかに豊かな国、米国は憧れの国として映ったはずだ。

 日本の場合は、他に何か理由があるのだろうか?

 そこで、上映が終わった後、田原氏に「何故そうなったのか」を聞いてみた。その時の様子はBLOGOSの記事に掲載されている。

 同氏によれば、3つ理由があった。一つは「憲法」、「日本国民は民主主義という考え方にしびれた」、「日本は戦後、経済復興に力を入れるようにされたから」だった。国防については考えなくても良いような政治がずっと続いてきたのである。

 以下、原文を書き取った部分である。(文中の「小林」は「小林よしのり」氏のこと。)

田原:日本人がアメリカを好きになっちゃたのは、結局、小林(よしのり)さんがダメだと言っている憲法だね。

憲法にはアメリカにとって3つの目的があった。1つは日本を弱体化すると。再び戦争を出来ない国にすると。

もう1つは、日本を徹底的な理想的な民主主義の国にしたと。それで、言論・表現の自由、男女同権、基本的人権の尊重。これにね、日本人は相当しびれたところがある。「いいじゃないか」と。

そしてもう1つ。戦後日本は、経済の発展のためには、エネルギーのほとんどを使ったの。安全保障は、ほとんどアメリカに委ねちゃったんですよね。委ねて、なんとなく安心したと。そこがあるんじゃないですか。

安全保障をアメリカに依頼するってことは、実は外交の主権をアメリカに委ねちゃってるんですよね。今になって、そこに気がついて、さあ、どうするかっていう問題になっている。

by polimediauk | 2015-08-26 22:13 | 日本関連
 神戸連続児童殺傷事件(1997年) の実行犯であった元「少年A」が書いたとされる「絶歌」。出版直後からずいぶんと話題が沸騰した。多く目に付いたのは「こういう本を出してはいけない」「被害者のことをどう思っているのか」という否定的なものだったように思う。「知りたい」「読んでみたい」と言えなくなるような雰囲気が、一時、あったように感じた。

 本が出版されるべきではなかった、遺族の感情を考えていない、十分な敬意が払われていない、お金儲けのためだろう・・・・それぞれの主張にはそれなりの正当性があるのだろうと思う。

 しかし、私は読んでみたかった。それは、1つには、1997年のあの殺傷事件が頭にこびりついて離れなかったからだ。

 ここでは詳細しないが、非常にショッキングな事件だった。

 事件のあらましを知ったとき、犠牲者となった男児や女児、それぞれの遺族の方への痛ましい思い、胸苦しさ、悲しさがあった。同時に、それと同じぐらいの強さで、当時14歳と言う少年の心中を思うと、胸が締め付けられるような感じがした。

 何故、加害者の心のうちなど気にするのかー?そう、それは確かにそうなのだが、こちらはどうしても何かをそこに読み取ろうとする。一体全体、いかほどのことがあって、あんな殺傷行為に走ったのか。

 また、どうしても「どこかの知らない人」がやった犯罪とは思えなかった。まるで自分の身内の1人がやったように感じるほど、身近に思えた。今回は少年Aだったかもしれないが、ひょっとしたら、自分の身内の誰かが殺傷行為をしたかもしれない、自分は止めることができただろうか、と。

 1997年と言うと、今の若い人にとってはもう昔のことで知らない・覚えていない人が多いかもしれない。

 しかし、当時は、「あの少年は自分の息子だったかもしれない」と思う母親たちがたくさんいた。そういう声がテレビや新聞、雑誌で取り上げられたし、母親たちの緊急集会なども開かれたように記憶している。私だけが自分のことのように感じたのではなかった。

 殺害者が14歳と言う年齢だったこと自体が、その若さ、幼さが衝撃だった。

 14歳と言えば思春期だ。もう小さな子供ではないが、大人でもない。急に背が伸びたり、声変わりをしたりする。家族の中で、この間まで子供と思っていた1人が、なんだか、別人のように思えてくるー。わが子ながら、わが子でないような。

 家庭の中の異人と化した息子に母親たちは少年Aの影を見た。

 少なくとも、私はそう記憶している。

 実際、そんな当時の熱風のような状態を、2015年の現在、この本について書くときに誰も指摘していないようなのが、非常に不思議である。当時、単なる殺人事件ではなかったし、「14歳」という年齢は非常に大きな意味を持っていた。誰しもが打ちのめされたのである。

 「一体何故、少年はあんなむごいことをしたのか」?私も母親たちもそう思った。何故かをみんなが知りたがった。

 そして、18年が経った。

 今年になって、ようやく、私たちはあのときの14歳の少年の生の言葉を聞くことができた(この本をあの少年が書いたものではないと言っている人も一部でいるようだが、ひとまず、彼が書いたものとして話を進める)。

 途中から、私は涙が止まらなくなった。少年の家族がどう反応しているかのくだりである。

 自分の子供がひどい殺傷事件を起こして、自分の元に返ってきたら、親としてどう対応するだろう?気持ち的にはどうなるだろう?

 書店の中には販売していないところもあると聞いたが、ぜひ手にとって、自分の目で元少年Aの言葉をたどってみて欲しいー特に、1997年当時、少年とわが子を一時でもクロスさせた親たちにとって、意義深いものになるのではないか。

 人を裁くとはどういうことか、罪はいつかは消えるべきものなのか、生きることはどういうことか、所定の刑期を終えた元少年Aには人間らしく生きる権利があるのだろうが、それは遺族や犠牲者にとってはどうなのか。自分が、あるいは自分の子供が加害者になったら、自分はどうするか?どうやって罪と向き合いながら、生きてゆくべきなのか。読みながら、そんなことを考えていた。
by polimediauk | 2015-08-21 02:21 | 日本関連
 17日、衆院を安保関連法案が通過し、27日からは参院審議が始まった。数人の識者に法案の評価、メディア報道、反戦デモについて聞いてみた。

 今回は、軍事ジャーナリストで作家の清谷信一氏だ。東洋経済オンラインの連載「総点検~日本の防衛は大丈夫か」では、自衛隊の装備の不備を追及している(最新記事)。氏は2003年から2008年まで英国の軍事専門誌『ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー』日本特派員を務める。香港を拠点とするカナダの民間軍事研究機関「Kanwa Information Center」上級アドバイザー、日本ペンクラブ会員で東京防衛航空宇宙時評(Tokyo Defence & Aerospace Review)発行人。『防衛破綻ー「ガラパゴス化」する自衛隊装備』『専守防衛-日本を支配する幻想』など著書は多数。

 海外の状況をよく知る軍事ジャーナリストの一人として、今回の法案議論をどう見るのか、ぜひ聞いてみたかった。以下はインタビューの抜粋である。文脈を明確にするために言葉を整理した部分がある。カッコ内の注釈は筆者によるものである。

***

「現実の把握ができていない」

ー安保関連法案を通そうとする安倍政権をどう見ているか。

清谷信一氏:安倍首相は自衛隊と外国の軍隊が同じだと思っているのではないか。多分、自衛隊の現実を知らない。

ー法案そのものはどう見ていらっしゃるか。

 そもそも、現実の把握ができていない。それなのに、例えばビルで言えば地盤がめちゃくちゃなのにペントハウスを建てる話をするようなものだ。

ー法律を作っても、実地がないからダメということか?

 今までは、実戦(実地)はできなくてもいいよね、ということでやってきている。(自衛隊は)「軍隊じゃないし、単なる行政機関だ」という意識だ。内輪同士で「いいよね」と言っている人たちが、いきなり実戦に出されたときに、どういうことが起きるか。

 現実を知らないから、そういった中で、法的なことだけを話していればいいんだ、というのが、おかしいと思う。

「今の態勢や技術、意識で、これで戦争をできるんですか」、という人がいない。そこがまず問題だと思っている。

ーこれまでは、日本では、戦争の現場、つまり武力行使の可能性についてはあまり考えないようにしてきたのかもしれない。

 演習だけ無難にこなせばそれでいい、という考えがあった。だから、(2011年の)東日本大震災でも大変だった。例えば無線機は3割ぐらいしか、ちゃんと動くのがなかった。

 今までは中隊規模ぐらいしか演習をしないので、連隊の他の中隊から借り、私物の携帯電話を使えばいい、と考えてきた。

 ところが、震災では連隊の全隊が行くことになった。そうすると、(他の部隊から)借りられない。今までは携帯電話で連絡をとっていたが、震災では現地に行ってみたら、携帯の支局が全部流されていた。「火の出るおもちゃ」、つまり戦車とかミサイルとかを買いたがるので、(十分な数の)無線機は買っていなかった。無線機は3世代ぐらいあるが、世代が違うと、互いに通じない。

 そもそも自衛隊に割り当てられている周波数帯は軍用にはそぐわない。このため普段から通じが悪い。当然現場で通じない、混線する場合も多かった。米軍の無線は電波がガンガン入ってくるのだけど、近くの自衛隊の無線は通じない。総務省から(周波数の)割り当てを変更してもらえばいいのだが、それをしていなかった。未だに周波数帯の問題は手付かずだ。

 災害だったからまだ良かったけれども、これが実戦だったらどうするのか。

 震災後に新型無線機の導入を進めているが、これまた同じ周波数帯を使っており、現場では全然通じないという声が聞こえている。

ー世論を気にして、思い切って機材を買えないという可能性は?

 関係ない。世論による批判を気にしているのだったら、オスプレイよりもまず災害派遣で必要不可欠な無線を何とかしよう、となっているはずだ。目立たないところにはお金を使わない。

 被災地にいた市民に温かい食事を与えて、自衛官は冷や飯を食っているという話が美談にされたが、実際には美談ではない。単に(温かい食事を提供する給食の)装備の不足だった。自衛隊では中隊規模を賄う牽引式の炊事車しかないが、諸外国ではより大規模なコンテナ式の食堂を使用している。

「実際の戦闘による被害を想定していない」

ー清谷氏のコラムでは、「陸上自衛隊は実際の戦闘による被害を想定していない」とし、具体例の1つとして個人用のファースト・エイド・キット(個人携行救急品)の不備を指摘しているが。

 兵站もそうだ。

 現場で中隊規模の演習さえ抑えればいいと思っているから、もっと大規模な部隊を動かしたりするスキルなどを持っていない。

ーお金がないわけではない?

 それよりも「火の出るおもちゃ」を買ってしまう。戦車とか、オスプレイとか。

 予算の面から言うと、今年の予算でオスプレイを買い、水陸両用装甲車AAV7を買う。高いおもちゃをいっぱい買っている。そうすると、既存の予算が圧迫を受ける。

 それほど予算が増えていないところに高いものを買ってしまうと、何を削るかという話になる。

 しかし、何を削っているのかと聞くと、(当局は)言わない。

 何かを諦めるときに、「火の出るおもちゃ」はあきらめない。兵站や訓練、整備費や出張費、果てはコピー用紙とかを削る。ますます軍隊として活動する能力が減ってきている。

 AAV7の場合、本来であれば6年ぐらい評価試験をして、採用か否かを決めるはずだった。ところがこれを縮めて約半年で導入決めた。

 ぼくは当時の陸幕長に会見で、例えば中国との軍事的緊張が高まるなど、国際的な環境が変わってきているから、緊急な必要性が生じて買うのか、と聞いてみた。

 答えは、「違います、国際状況は変わっておりません」と。

ー「変わっていない」ー?

 なぜ評価試験の期間を端折るのかと聞いたら、答えは「アメリカとの調整の結果です」。

 アメリカ様から言われたら、本来するはずの試験を端折っているという軍隊が、本当に「いや、アフガンに行きません」とできるのだろうか。

 ぼくは、実は法的話はあまり意味がないことだと思っている。日本はあまり遵法的なことをしない国ではないか。割と成り行きでやったりする。

 例えば、アメリカ大使館の前で、警察が平然と交通妨害をしている。本来は通れるはずの横断歩道を通さない。通ろうとすると邪魔される。理由を聞くと「お願いします」と。「お願いは任意ですよね?」「お願いします」。これは強要に当たり不法行為だ。法的根拠があるかと20分ぐらい説得したら、どうぞ、と。

 同盟国の大使館の目の前で、法執行機関である警察が市民に不法行為を堂々と行っている。そういう国が法治国家かと言ったら、ちょっと疑問だ。同盟国である米国がまともな法治国家として信用しているだろうか。

 代用監獄の例もある。検察側が99.9%で勝つとか。どう考えてもおかしい、

 マスコミが容疑者を犯人視して報道している。被害者の顔も出す。人権面から、おかしくないか、と。 そういう国で、文言だけやりあっても、どうなのか。

民間によるセカンドオピニオンの不在

ーそうすると、合憲か違憲かの議論が新聞報道などでは活発だが、清谷氏は醒めた思いでみている感じなのだろうか?

 はっきりいうと、神学論争だ。

 議論をする人たちが、今の自衛隊が戦争で怪我をしたらどういう対応をするのか、いかにケアできないのかを知らない。防衛省や自衛隊からの政治家向けの「ご説明」だけを論拠にして、それで議論している。

ーこれを機会に、まともな議論、まともな装備につながるか?

 多少は期待している。だからぼくも、同じテーマでしつこく書いている。

 この間は「自衛官を犬死にさせていいのか」、と書いた。犬よりも劣った(衛生)キットしか持っていないから。

 実際にそういうことがいっぱいある。空理空論を当たり前と思っていて、それをもとに装備を買ったり、訓練している。畳の上の水練だ。しかしそういう人がいきなり海に投げ込まれて、泳げるかということだ。

 日本の問題は、防衛に関して民間のセカンドオピニオンがないことだ。法務省や法律問題ならば法曹界や学者が発言するし、厚労省や医療の問題ならば医者が発言し、セカンドオピニオンが政界にも浸透している。だが防衛に関しては自衛隊とか防衛省の「ご説明」しか聞いていない。センセイ方はそれがオカシイと思っても調べたり検証する術を持っていない。

 大学でもそういう勉強をしているところがあるが、結局、首から上の話しかしない。実際に、戦略にしても最終的にはどういう装備を持つのか、どのような補給態勢を維持するのかという話になってくる。結局政策は予算で決まる。つまり予算の使い道を具体的に議論できなければ、実質的に防衛問題は語れない。

 そういう議論がなくて、うわずみのところだけで議論をするので、おかしくなるのだと思う。

(取材日:7月7日、東京有楽町にて)
by polimediauk | 2015-07-31 22:07 | 日本関連