小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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(新聞通信調査会発行の「メディア展望」1月号掲載の筆者記事に補足しました。)

「メッセージの時代」に生きている

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ネット上で誰もが気軽に情報発信ができるようになり、私たちは溢れるほどの情報に囲まれている。しかし、果たして書き手の意図は十分に読み手に伝わっているのだろうか?「読める」文章を書くための手助けとなるのが坪田知己氏による『21世紀の共感文章術』(文芸社)だ。

メディア環境の激変を見てきた坪田氏は、私たちが「メッセージの時代」に生きているという。「ネットで交換するメッセージの質」が問われるようになった、と。

 また、21世紀は「感性の時代」でもあるという。「『人間らしさ』が尊重される時代」に、一番大事なことは何か。著者はコミュニケーションにおける「共感」を挙げる。文章術においても「共感を呼ぶ」ことが「成否の分岐点になる」、と。

 著者は、これまでに出版された著名な小説家による一連の文章読本は文学を志す人には必読書でも、「日常的な文章を読み聞きする私たちには別世界」と結論づける。

 また、読解に頼りがちで「文学」と実用的な「文章」の区別をしていない日本の国語教育にも疑問を抱く。授業では生徒は文学作品を読まされることが多いが、「人生を生きていくうえで重要なのは、『コミュニケーションとしての日本語』ではないか」、と読者に問いかける。

本書のタイトルにも入っている「共感」=エンパシー=の今日的な重要性については、筆者も最近実感しているところだ。21世紀のメディアのキーワードといってもいいだろう。

ソーシャルメディアの共有機能や「いいね!」ボタンはまさに共感を通じて交流が行われていることを示す。デジタル収入を増加させるための動画の活用でも、「感情(エモーション)」や共感が視聴回数を増加するための鍵を握る。

本書による「いい文章」の要素は

何が言いたいのかが簡潔・明瞭、

リズム感があって読みやすい、

筆者の気持ちが伝わること。

興味深いのは中立公正の原則がある新聞記者が書く文章が必ずしも「ベスト」というわけではない、としている点だ。 

また、文章はあくまでも本人のものであり、講師のまねをしても「上手にならない」と釘を刺す。

本書の元になったのは、著者が2011年から開催してきた文章講座だ。2015年末までに参加した生徒数は約900人に上る。

一つの教室の生徒は約6人。全4回で、生徒が書いた文章を坪田氏が添削する。

本書には添削の具体例が多数掲載されており、添削前後の文章を比較しながら、コツをつかめるようになっている。 頭の中で分かったつもりでいても、実際に文章を書いてみなければ身につかず、添削指導を受けることで文章力が向上するという

文章講座での学びがどんどん活動の幅を広げていく。昨年東京・二子玉川で開催された講座終了後、受講した生徒たちが在宅ライターの仕事をしたいと申し出たことで、今年3月には「合同会社・Loco共感編集部」が設立された。都内数カ所で文章講座を開催し、企業からの記事執筆依頼を受けて仕事をする生徒たちも出てきた。今年2月には、講座参加者による文章を 「心の華」として自費出版するに至った。

本書の終盤で坪田氏は日本人が自律するためにも文章力、表現力の向上を願う、と書く。「人間が自律できているかどうかは、その人の意見表明によって確認できます。ところが、話し方が下手だったり、文章力が不足していると、意見がしっかりと他人に届きません」。

著者は中学校、高校の国語の正課として「文章の書き方」が教えられることを望む。「筆者の個性が輝く」ように教えて欲しい、とも。「ひとりひとりが『自分の文章』をしっかりと身に付けて成長すれば、日本はもっともっといい国になると思います」。


by polimediauk | 2017-02-01 00:30 | 日本関連
 ブログサイト「BLOGOS」と松竹映画が共同で主催した映画「日本のいちばん長い日」の試写会に、先月末、足を運んだ。真夏の盛りの1日で、汗だくで東京・銀座の松竹の試写室に入った。

 戦後70年ということで、2015年現在の自分にとってこの映画がどう映るのかを確かめてみたかった。上映後のジャーナリスト田原総一郎氏と漫画家小林よしのり氏のトークにも大いに興味が湧いた。

 皆さんご存知のように、映画(原田眞人監督)は作家半藤一利氏のノンフィクション「決定版 日本のいちばん長い日」(文春文庫)が原作だ。1967年には岡本喜八監督が三船敏郎氏の主演で映像化している。

 戦争、そして日本でいちばん長い日と言えば、1945年8月15日の終戦記念日のことだ。降伏するのか、本土決戦を選ぶかを巡って、政治家たちが苦悩する日々をドラマ化している。

 公式サイトの紹介や物語の筋を読むと大体の流れが分かるが、15日の昭和天皇による玉音放送までのてんまつは、日本人であれば、知らない人はいないといってよいだろう。

 何故この映画が、今、作られたのか?

  戦後70年と言うことが背景にあるようだが、原田監督のBLOGOSでのインタビューを読むと、以前から構想があり、「昭和天皇を魅力的な人間として描きたい」という思いがあったという。昭和天皇が主役の映画「太陽」(2006年)でイッセー尾形が演じた天皇が「違うな」と思ったそうだ。

 戦争をテーマにしている、終戦にまつわる報道が増える夏に公開・・・と聞いただけで、戦争を好意的なトーンで描くのかな、だとしたら、それは一体どうなのか、とひねて考えてしまう自分だが、この映画については、すっと抵抗なく物語の中に入っていけた。

 一つ、映画を観ていて、「ああ、これは見たことがある」という思いを持ったことがある。政治家や軍人がこの先をどうするかをなかなか決められない中、天皇による「ご聖断」を待つ動きに、東京五輪に向けての新国立劇場建設についてのドタバタが重なった。誰も責任者がいないようで右往左往する、2015年のスポーツ関係者の動きだ。

 70年前の止むに止まれぬ状況と、現在の政治家やスポーツ組織の上層部の迷走振りを並列させるなんて、滅相もない話なのだろうけれどー。2015年の今だから、こんなことを言えるのだろうけれど。

 途中で、若い兵士たちが徹底抗戦を望んで、クーデターを試みる。その血気盛んな様子を見ていて、非常に悲しくなった。最期は結局、無理だったことが今となっては分かるせいだろう。今日まで米国と言う敵を倒すことに全身全霊を傾けていて、明日から終戦と言われても、納得がいかないだろうし、体もそうはいかない。

 話の展開を追うことに集中していたら、座席から飛び上がるほどに驚いたのが、爆撃されたときの音だ。東京大空襲の後の焼け野原の様子もありありと映された。原爆落下も。東京の試写室に座っているだけの自分だが、すさまじさを感じたし、怖いと思った。こういう場面を体感するだけでも、この映画を観る価値があると思った。

 最期は昭和天皇のご聖断で映画は静かに終わる(本木雅弘氏の演技が秀逸)。

 映画が終わる頃、私の頭は「何故」で一杯だった。それは、先ほどの「ドカン!」という爆撃・爆弾落下の音や映像による衝撃がまだあったからだ。悲惨な焼け野原の光景も見た。当時、米国は敵だった。それなのに、70年後の現在、日本人は米国が大好きのようである。何故なのか。いつから、どうやってそうなったのだろう?

「敵=米国」から、「米国、大好き」へ

 皆さんも不思議に思ったことはないだろうか?日本人の米国好きについて。

 70年前の日本では米国は敵だった。それが何故、現在に至るまで、米国への大きな好感が日本に存在するのだろうーこれが大きな疑問だった。国によっては、現在に至るまでも旧敵国を憎み続ける場合もあるのだから。

 広島、長崎に原子爆弾を落とされた衝撃は相当のものだったはずだ。どうやってこれを呑み込んで、先に進めたのだろう?

 私が(勝手に)理解しているところでは、戦後、米政府(進駐軍政府)による、徹底的な軍備排除政策及び親米策がとられたからだと思っている。しかし、それ以外にもたくさん理由があるだろう。

 敗戦国としての日本ばかりか、ほかの多くの国にとっても、経済的にはるかに豊かな国、米国は憧れの国として映ったはずだ。

 日本の場合は、他に何か理由があるのだろうか?

 そこで、上映が終わった後、田原氏に「何故そうなったのか」を聞いてみた。その時の様子はBLOGOSの記事に掲載されている。

 同氏によれば、3つ理由があった。一つは「憲法」、「日本国民は民主主義という考え方にしびれた」、「日本は戦後、経済復興に力を入れるようにされたから」だった。国防については考えなくても良いような政治がずっと続いてきたのである。

 以下、原文を書き取った部分である。(文中の「小林」は「小林よしのり」氏のこと。)

田原:日本人がアメリカを好きになっちゃたのは、結局、小林(よしのり)さんがダメだと言っている憲法だね。

憲法にはアメリカにとって3つの目的があった。1つは日本を弱体化すると。再び戦争を出来ない国にすると。

もう1つは、日本を徹底的な理想的な民主主義の国にしたと。それで、言論・表現の自由、男女同権、基本的人権の尊重。これにね、日本人は相当しびれたところがある。「いいじゃないか」と。

そしてもう1つ。戦後日本は、経済の発展のためには、エネルギーのほとんどを使ったの。安全保障は、ほとんどアメリカに委ねちゃったんですよね。委ねて、なんとなく安心したと。そこがあるんじゃないですか。

安全保障をアメリカに依頼するってことは、実は外交の主権をアメリカに委ねちゃってるんですよね。今になって、そこに気がついて、さあ、どうするかっていう問題になっている。

by polimediauk | 2015-08-26 22:13 | 日本関連
 神戸連続児童殺傷事件(1997年) の実行犯であった元「少年A」が書いたとされる「絶歌」。出版直後からずいぶんと話題が沸騰した。多く目に付いたのは「こういう本を出してはいけない」「被害者のことをどう思っているのか」という否定的なものだったように思う。「知りたい」「読んでみたい」と言えなくなるような雰囲気が、一時、あったように感じた。

 本が出版されるべきではなかった、遺族の感情を考えていない、十分な敬意が払われていない、お金儲けのためだろう・・・・それぞれの主張にはそれなりの正当性があるのだろうと思う。

 しかし、私は読んでみたかった。それは、1つには、1997年のあの殺傷事件が頭にこびりついて離れなかったからだ。

 ここでは詳細しないが、非常にショッキングな事件だった。

 事件のあらましを知ったとき、犠牲者となった男児や女児、それぞれの遺族の方への痛ましい思い、胸苦しさ、悲しさがあった。同時に、それと同じぐらいの強さで、当時14歳と言う少年の心中を思うと、胸が締め付けられるような感じがした。

 何故、加害者の心のうちなど気にするのかー?そう、それは確かにそうなのだが、こちらはどうしても何かをそこに読み取ろうとする。一体全体、いかほどのことがあって、あんな殺傷行為に走ったのか。

 また、どうしても「どこかの知らない人」がやった犯罪とは思えなかった。まるで自分の身内の1人がやったように感じるほど、身近に思えた。今回は少年Aだったかもしれないが、ひょっとしたら、自分の身内の誰かが殺傷行為をしたかもしれない、自分は止めることができただろうか、と。

 1997年と言うと、今の若い人にとってはもう昔のことで知らない・覚えていない人が多いかもしれない。

 しかし、当時は、「あの少年は自分の息子だったかもしれない」と思う母親たちがたくさんいた。そういう声がテレビや新聞、雑誌で取り上げられたし、母親たちの緊急集会なども開かれたように記憶している。私だけが自分のことのように感じたのではなかった。

 殺害者が14歳と言う年齢だったこと自体が、その若さ、幼さが衝撃だった。

 14歳と言えば思春期だ。もう小さな子供ではないが、大人でもない。急に背が伸びたり、声変わりをしたりする。家族の中で、この間まで子供と思っていた1人が、なんだか、別人のように思えてくるー。わが子ながら、わが子でないような。

 家庭の中の異人と化した息子に母親たちは少年Aの影を見た。

 少なくとも、私はそう記憶している。

 実際、そんな当時の熱風のような状態を、2015年の現在、この本について書くときに誰も指摘していないようなのが、非常に不思議である。当時、単なる殺人事件ではなかったし、「14歳」という年齢は非常に大きな意味を持っていた。誰しもが打ちのめされたのである。

 「一体何故、少年はあんなむごいことをしたのか」?私も母親たちもそう思った。何故かをみんなが知りたがった。

 そして、18年が経った。

 今年になって、ようやく、私たちはあのときの14歳の少年の生の言葉を聞くことができた(この本をあの少年が書いたものではないと言っている人も一部でいるようだが、ひとまず、彼が書いたものとして話を進める)。

 途中から、私は涙が止まらなくなった。少年の家族がどう反応しているかのくだりである。

 自分の子供がひどい殺傷事件を起こして、自分の元に返ってきたら、親としてどう対応するだろう?気持ち的にはどうなるだろう?

 書店の中には販売していないところもあると聞いたが、ぜひ手にとって、自分の目で元少年Aの言葉をたどってみて欲しいー特に、1997年当時、少年とわが子を一時でもクロスさせた親たちにとって、意義深いものになるのではないか。

 人を裁くとはどういうことか、罪はいつかは消えるべきものなのか、生きることはどういうことか、所定の刑期を終えた元少年Aには人間らしく生きる権利があるのだろうが、それは遺族や犠牲者にとってはどうなのか。自分が、あるいは自分の子供が加害者になったら、自分はどうするか?どうやって罪と向き合いながら、生きてゆくべきなのか。読みながら、そんなことを考えていた。
by polimediauk | 2015-08-21 02:21 | 日本関連
 17日、衆院を安保関連法案が通過し、27日からは参院審議が始まった。数人の識者に法案の評価、メディア報道、反戦デモについて聞いてみた。

 今回は、軍事ジャーナリストで作家の清谷信一氏だ。東洋経済オンラインの連載「総点検~日本の防衛は大丈夫か」では、自衛隊の装備の不備を追及している(最新記事)。氏は2003年から2008年まで英国の軍事専門誌『ジェーンズ・ディフェンス・ウィークリー』日本特派員を務める。香港を拠点とするカナダの民間軍事研究機関「Kanwa Information Center」上級アドバイザー、日本ペンクラブ会員で東京防衛航空宇宙時評(Tokyo Defence & Aerospace Review)発行人。『防衛破綻ー「ガラパゴス化」する自衛隊装備』『専守防衛-日本を支配する幻想』など著書は多数。

 海外の状況をよく知る軍事ジャーナリストの一人として、今回の法案議論をどう見るのか、ぜひ聞いてみたかった。以下はインタビューの抜粋である。文脈を明確にするために言葉を整理した部分がある。カッコ内の注釈は筆者によるものである。

***

「現実の把握ができていない」

ー安保関連法案を通そうとする安倍政権をどう見ているか。

清谷信一氏:安倍首相は自衛隊と外国の軍隊が同じだと思っているのではないか。多分、自衛隊の現実を知らない。

ー法案そのものはどう見ていらっしゃるか。

 そもそも、現実の把握ができていない。それなのに、例えばビルで言えば地盤がめちゃくちゃなのにペントハウスを建てる話をするようなものだ。

ー法律を作っても、実地がないからダメということか?

 今までは、実戦(実地)はできなくてもいいよね、ということでやってきている。(自衛隊は)「軍隊じゃないし、単なる行政機関だ」という意識だ。内輪同士で「いいよね」と言っている人たちが、いきなり実戦に出されたときに、どういうことが起きるか。

 現実を知らないから、そういった中で、法的なことだけを話していればいいんだ、というのが、おかしいと思う。

「今の態勢や技術、意識で、これで戦争をできるんですか」、という人がいない。そこがまず問題だと思っている。

ーこれまでは、日本では、戦争の現場、つまり武力行使の可能性についてはあまり考えないようにしてきたのかもしれない。

 演習だけ無難にこなせばそれでいい、という考えがあった。だから、(2011年の)東日本大震災でも大変だった。例えば無線機は3割ぐらいしか、ちゃんと動くのがなかった。

 今までは中隊規模ぐらいしか演習をしないので、連隊の他の中隊から借り、私物の携帯電話を使えばいい、と考えてきた。

 ところが、震災では連隊の全隊が行くことになった。そうすると、(他の部隊から)借りられない。今までは携帯電話で連絡をとっていたが、震災では現地に行ってみたら、携帯の支局が全部流されていた。「火の出るおもちゃ」、つまり戦車とかミサイルとかを買いたがるので、(十分な数の)無線機は買っていなかった。無線機は3世代ぐらいあるが、世代が違うと、互いに通じない。

 そもそも自衛隊に割り当てられている周波数帯は軍用にはそぐわない。このため普段から通じが悪い。当然現場で通じない、混線する場合も多かった。米軍の無線は電波がガンガン入ってくるのだけど、近くの自衛隊の無線は通じない。総務省から(周波数の)割り当てを変更してもらえばいいのだが、それをしていなかった。未だに周波数帯の問題は手付かずだ。

 災害だったからまだ良かったけれども、これが実戦だったらどうするのか。

 震災後に新型無線機の導入を進めているが、これまた同じ周波数帯を使っており、現場では全然通じないという声が聞こえている。

ー世論を気にして、思い切って機材を買えないという可能性は?

 関係ない。世論による批判を気にしているのだったら、オスプレイよりもまず災害派遣で必要不可欠な無線を何とかしよう、となっているはずだ。目立たないところにはお金を使わない。

 被災地にいた市民に温かい食事を与えて、自衛官は冷や飯を食っているという話が美談にされたが、実際には美談ではない。単に(温かい食事を提供する給食の)装備の不足だった。自衛隊では中隊規模を賄う牽引式の炊事車しかないが、諸外国ではより大規模なコンテナ式の食堂を使用している。

「実際の戦闘による被害を想定していない」

ー清谷氏のコラムでは、「陸上自衛隊は実際の戦闘による被害を想定していない」とし、具体例の1つとして個人用のファースト・エイド・キット(個人携行救急品)の不備を指摘しているが。

 兵站もそうだ。

 現場で中隊規模の演習さえ抑えればいいと思っているから、もっと大規模な部隊を動かしたりするスキルなどを持っていない。

ーお金がないわけではない?

 それよりも「火の出るおもちゃ」を買ってしまう。戦車とか、オスプレイとか。

 予算の面から言うと、今年の予算でオスプレイを買い、水陸両用装甲車AAV7を買う。高いおもちゃをいっぱい買っている。そうすると、既存の予算が圧迫を受ける。

 それほど予算が増えていないところに高いものを買ってしまうと、何を削るかという話になる。

 しかし、何を削っているのかと聞くと、(当局は)言わない。

 何かを諦めるときに、「火の出るおもちゃ」はあきらめない。兵站や訓練、整備費や出張費、果てはコピー用紙とかを削る。ますます軍隊として活動する能力が減ってきている。

 AAV7の場合、本来であれば6年ぐらい評価試験をして、採用か否かを決めるはずだった。ところがこれを縮めて約半年で導入決めた。

 ぼくは当時の陸幕長に会見で、例えば中国との軍事的緊張が高まるなど、国際的な環境が変わってきているから、緊急な必要性が生じて買うのか、と聞いてみた。

 答えは、「違います、国際状況は変わっておりません」と。

ー「変わっていない」ー?

 なぜ評価試験の期間を端折るのかと聞いたら、答えは「アメリカとの調整の結果です」。

 アメリカ様から言われたら、本来するはずの試験を端折っているという軍隊が、本当に「いや、アフガンに行きません」とできるのだろうか。

 ぼくは、実は法的話はあまり意味がないことだと思っている。日本はあまり遵法的なことをしない国ではないか。割と成り行きでやったりする。

 例えば、アメリカ大使館の前で、警察が平然と交通妨害をしている。本来は通れるはずの横断歩道を通さない。通ろうとすると邪魔される。理由を聞くと「お願いします」と。「お願いは任意ですよね?」「お願いします」。これは強要に当たり不法行為だ。法的根拠があるかと20分ぐらい説得したら、どうぞ、と。

 同盟国の大使館の目の前で、法執行機関である警察が市民に不法行為を堂々と行っている。そういう国が法治国家かと言ったら、ちょっと疑問だ。同盟国である米国がまともな法治国家として信用しているだろうか。

 代用監獄の例もある。検察側が99.9%で勝つとか。どう考えてもおかしい、

 マスコミが容疑者を犯人視して報道している。被害者の顔も出す。人権面から、おかしくないか、と。 そういう国で、文言だけやりあっても、どうなのか。

民間によるセカンドオピニオンの不在

ーそうすると、合憲か違憲かの議論が新聞報道などでは活発だが、清谷氏は醒めた思いでみている感じなのだろうか?

 はっきりいうと、神学論争だ。

 議論をする人たちが、今の自衛隊が戦争で怪我をしたらどういう対応をするのか、いかにケアできないのかを知らない。防衛省や自衛隊からの政治家向けの「ご説明」だけを論拠にして、それで議論している。

ーこれを機会に、まともな議論、まともな装備につながるか?

 多少は期待している。だからぼくも、同じテーマでしつこく書いている。

 この間は「自衛官を犬死にさせていいのか」、と書いた。犬よりも劣った(衛生)キットしか持っていないから。

 実際にそういうことがいっぱいある。空理空論を当たり前と思っていて、それをもとに装備を買ったり、訓練している。畳の上の水練だ。しかしそういう人がいきなり海に投げ込まれて、泳げるかということだ。

 日本の問題は、防衛に関して民間のセカンドオピニオンがないことだ。法務省や法律問題ならば法曹界や学者が発言するし、厚労省や医療の問題ならば医者が発言し、セカンドオピニオンが政界にも浸透している。だが防衛に関しては自衛隊とか防衛省の「ご説明」しか聞いていない。センセイ方はそれがオカシイと思っても調べたり検証する術を持っていない。

 大学でもそういう勉強をしているところがあるが、結局、首から上の話しかしない。実際に、戦略にしても最終的にはどういう装備を持つのか、どのような補給態勢を維持するのかという話になってくる。結局政策は予算で決まる。つまり予算の使い道を具体的に議論できなければ、実質的に防衛問題は語れない。

 そういう議論がなくて、うわずみのところだけで議論をするので、おかしくなるのだと思う。

(取材日:7月7日、東京有楽町にて)
by polimediauk | 2015-07-31 22:07 | 日本関連
 16日、安保関連法案が衆院を通過し、27日午後には参院での審議が始まった。反対の声が日増しに強くなる中、今国会中に成立するのかどうか、大きな注目を浴びている。数人の識者に法案の評価、メディア報道、反戦デモについて聞いてみた。

 今回は、日本初のニュース専門インターネット放送局「「ビデオニュース・ドットコム」を主宰する、ビデオ・ジャーナリスト神保哲生氏に外国特派員クラブで聞いた(取材日は7月7日)。

 神保氏は15歳で渡米し、コロンビア大学ジャーナリズム大学院修士課程を修了(1986年)。AP通信など米国報道機関の記者を経て独立し、日米のテレビ局向けに数多くのリポートやドキュメンタリー作品を提供してきた。1999年設立のビデオニュース・ドットコムは独立した公共的な報道を行うため、広告収入ではなく会員からの講読料で運営されている。

 大手マスメディアが十分に取り上げない、時事トピックの裏側を次々と取り上げるビデオニュース・ドットコムの動画を私自身、非常にスリリングな体験として視聴させてもらっている。

 今回、神保氏に特に聞きたかったのは日米でジャーナリズムを実践したご自身の経験から、安保関連法案を巡る議論をどのように受け止めたか、である。合憲か違憲かがメディア報道の中心となっているように見えたが、それだけでよかったのかどうか、また、次の話、つまり憲法を超えたところで、日本の国防あるいは国としての将来をどうするかの議論をしなくて良いのか、という大きな疑問があった。

 以下は一問一答である。論旨を明確にするために、若干言葉を整理したところがある。また、日本のメディア状況についてもじっくりと聞いているので、それは別途、ご紹介したい。法案の衆院通過前の話であることにご留意願いたい。カッコ内の情報補足は筆者による。

***

外務省の「アメリカの要請にはなるべく応えたいという強い思い」

ー安保関連法案に対し、マスコミ報道は合憲か違憲かを大きく報道してきた。若者たちによる反戦デモも大きな盛り上がりを見せている。一連の動きをどう見ているか。法案は戦争につながるから危ないとする反対派の声もあるが。

神保哲生氏: そういう短絡的なことではないが、「危ない」という指摘は当たっていると思う。その理由は、単純、単調なものではない。

 まず、法案には、かなり同床異夢の人が乗っかっている。

一番の首謀者は外務省だが、外務省ではご存知のようにアメリカ・スクール(アメリカ派)が圧倒的に強い。「アメリカ・スクールにあらずんば、外務官僚にあらず」、と。

 アメリカ・スクール主流派から言えば、アメリカもいろいろな意味で力も弱くなっているということもあって、アメリカから要請を受けたなら、なるべくこれに応えたいという強い思いがあった。

 ただし、憲法の制約があって、特にセキュリティーとか軍事面でのリクエストには日本はできないと言い続けなければならなかった。これに対し、非常に歯がゆい思いを持っていた。その一番最初の経験は1990年の湾岸戦争から始まっているのだけれども。

 外務省としては、前回の「2プラス2」(「ツー・プラス・ツー」=日米安全保障協議委員会」、今回の「2プラス2」で決めたようなことをできるようになるといいなあという願望があった。

 もう1つ、日本には、旧民主党時代から流れをくむ、タカ派と言われる人たちが厳然といる。日本は独自の軍隊を持っていない、戦争に負けて、憲法9条を作られた。日本がある種のインポテンツであるとー性的なものではなくてー不能者であると思っている人たちだ。

 これに、単に軍事という意味ではなくて、国際貢献という綺麗な言葉も一緒に乗っかることで、そこそこの数になる。日本がもっといろいろできるようになったほうがいいじゃないか、と。

 例えば、この間亡くなってしまったが、岡崎久彦さん(注: 駐サウジアラビア特命全権大使、外務省情報調査局局長、駐タイ特命全権大使を歴任)とか、防衛大学校名誉教授佐瀬(唱盛)先生とかは、かなり早い段階でそのようなアジェンダをクリアするために、安倍さんを90年代の当選直後から教育してきた。いずれ、安倍というのがそれを実現してくれる総理になるだろう、と。

 安倍さんはもうちょっと次元が違って、おじいちゃん(注:岸信介、第56-57代首相、在位は1957年2月ー1960年7月)が成し遂げられなかったことをやりたいという意味と、今回首相としては2回目なので、前回何も名前を残せなかったために今回は何か名を残すことをしたい、という思いがある。

 憲法を最初に改正した総理になるという強い願望があったけれども、さすがに憲法改正は議会の3分の2の支持を得るだけでも大変だと。下手に国民投票にかけたら過半数に行かないと、本当に憲法を変えられなくなる。最初は(憲法の改正過程を規定する)96条を変える可能性をチラつかせたのだが、それはあまりにもちょっとひどい、と言われた。

 結局、最後に絞り込んだのが、集団的自衛権を行使できるようにした最初の総理になることが、彼の政治的野望だ。そういうレベルで乗っかっている人もいる。

 法案の本質としては、サブスタンス(実体)として何があるのかというと、分からない。

 僕が見る限りにおいては、結局は、一番のエッセンスを構築しているのは外務省だ。アメリカから要求があったときに、その要求に・・・

ー応えて、海外派兵ができるように?

 派兵でも何でも、応えられるようになっておく状態にする必要があるので、首相は「存立危機事態」と言っている。「サバイバル・オブ・ザ・ベリー・エグスタンス・オブ・ザ・ネーション」と。それが揺らぐような事態、という言い方までしておいて、決して具体例は言わない。言ってしまったら、それに縛られてしまうので。

 「米国がやろうとすることは何でも」、というのが本当の答えだと思う。

 ただ、安倍首相にとっては、集団的自衛権を達成した総理になりたいというような、非常に小さな功名心からだと僕は思う。

 同時に、(党内の)右側の人たちは自分たちなりのアジェンダを持っている。

民主党政権の失敗と対抗勢力の弱体化

 また、対抗する左側が民主党政権の失敗によって決定的に弱体化している。これも、今回の安保関連法案がここまできたもう1つの要因だ。

 ある種、オポチューニストというか、場当たり的状況が可能になっており、本当にどれくらいニーズがあるのか、メリットがあるのかということが、十分に整理されないまま、(法案が)実行されてしまう可能性がある。

 その場合の問題は、実際に実行された時に、ちゃんとコントロールできるのかどうか。

 誰かが本当に、例えば安倍さんが全部事態を把握して、掌握した上でやっていることであれば、安倍さんの意図しないことまでは絶対に起きない。

 でも、安倍さんやその一派が、今回の法案が可能にしている事態すべてを自分で掌握できているとは思えない。

 外務省は所詮は官僚であるため、最後は責任をとらなくていいという立場なので、結局、いざこういう法案が通った時に暴走してしまう可能性がある。

 暴走する時に、作った人の意図と関係ない形で行ってしまう可能性があるというのが、危ないといえば危ない。「No one is controlling the situation」(誰も状況をコントロールしていない)という可能性がある。

合憲か、違憲かの議論だけで良いか


ー反対する議論の中で、合憲か違憲かという議論がある。それも一つの論点だが、結局、最終的にはどうしたいのか、どうあるべきかという議論が十分にないのではないか。アメリカとの関係をどうしたいのか、という論点もほとんど目にしないが。

おっしゃる通りだ。

 違憲か合憲かという議論だけになって、例えば「違憲だからだめだ」となると、いずれ、合憲にするために憲法を変えようという話になったときに、何の抵抗もできなくなる。

 憲法を変えるのが、なぜ難しいのかというときに、そこまで本当の必要がないからだと国民が思っていないから、というのであれば、それはそれでいいが、むしろアレルギー的なものに乗っかっている。憲法を変えることへのアレルギーがあることに依存している形の違憲論だ。

 今後日本が国内的にも国際的にもどういう国を目指すのかということを、本当は根本的に議論をして、その骨格に基づいて、じゃあ、日本は例えば個別的自衛権しかやらないということはこういう意味になるけれども、それでも日本はそれを目指すべきなんだという議論であれば、それはそれで、そういう根拠で今回の集団的自衛権に反対するならそれは別に構わないけれども、その集大成として憲法があるわけだから、憲法にそう書いてあるからだめなんだというのは、憲法を変えればいいという話になりかねない。僕もそこは弱いと思う。

 憲法が憲法になっているのは、その後ろにこういう民意の裏付けがあるんだ、と。その民意というのはこういうものであると。だけど、そういう議論にはなっていない。

ーこういう議論が出る時に、日本人として、いくつかの選択肢を示す論考を目にしたい。いつも戦争、つまり戦闘行為を他国でやっている英国に住んでいると、70年間、日本は戦争をしてないが「戦争がいやだ」と言い続けて戦争が起きないならーここでは紛争地での戦闘行使という意味だけれどー例えば、ウクライナの人もいやだろうと思う。だからといって、紛争を避けられるとも限らない。世界中で起きている、戦争、紛争地での戦闘について、どれだけ認識されているだろうか。安保をどうするのか、日米同盟はどうか、アメリカとどのような関係にしたいのかなど、根本的に考える必要があるのではないか。

 なぜここで憲法を盾に議論が強くなっているかというと、1つにはイデオロギー主義的な、教条主義的に反対している人がいるからだ。

 でも、それだけではなく、今おっしゃった、アメリカとの関係も今のままでいいのか、アメリカに依存するとき、アメリカはお金がないから、それを日本が埋めると言って、集団的自衛権も入れるというそんな議論でいいのかを考える必要がある。それとも、これは共産党ぐらいしか言っていないことだが、日米同盟を徐々に、軍事同盟から、対等な友好同盟にして行くのか。

 そういう議論は時間をかける必要がある。でも今回、突然、国会の法案の形で出てきてしまった。通すと通さないになっている、と。そうすると、止める側は、じっくり時間をかけて議論していこうと言っても、通されてしまう。一番手短にあるツールでとにかく防がなければならない。止めるためには有効である、という判断では(合憲違憲の議論は)戦術論としては間違っていない。

 もっと大きなピクチャーの中で考えるとそれだけでは不十分だ。

 対米関係も含めて、日本は長期的にどういう国を目指すのかという議論を本当は同時に始めないといけない。でもそれは少なくとも今国会中には結論が出ないのでー。

アメリカの核には反対でも、核の傘の下に生きること

ーどうにも、いつも嘘をつかれている感じがしてならない。自衛隊は実質的には軍隊ではないのかどうか、また個別的自衛権、集団的自衛権などの言葉がいろいろあるが、広い意味ではわかりにくい感じがする。

 日米協定のことは色々、考えるべきことはあると思う。もはや、昔の占領時代ではないのだから。

 ただ、それはそれとして、沖縄がどれだけ戦略的に重要かというと、軍事面としての議論はあるが、米軍に頼らないということは、共産党のような非武装中立に行くんでなければ、それを自衛隊で見なければならなくなる。

 実は沖縄では、日本軍に痛い目に合わされているので、米軍よりもむしろ日本軍の方がよっぽど嫌と思われている。

だから、ただ、アメリカ帰れと言ったところで、じゃあそこは公園にしますというだけで済むかという問題があって。そこは避けて通っているところだ。

 みんながアメリカの核には反対だが、アメリカの核の傘にいて平気でぬくぬくやってきたことと同じようなところがある。そこが、戦後レジームからの脱却と安倍さんが言うのだったら、一番大きな矛盾はまさにそこだろう。

ーアメリカとの関係だ。

 憲法9条で軍隊を明確に否定しているのに、自衛隊は「隊」だ、と。でも英語では、「セルフ・ディフェンス・フォース」だ。結局、あれは軍隊じゃないことになっている。

 PKOで自衛隊が海外にいっても、派遣先で日本は軍隊ではないことになっているので、例えば、撃ってきて自衛隊が応戦した場合にそれは軍事行動ではないので、刑事裁判にかけられてしまう。それが正当防衛だったかどうかを。軍隊が発泡して、日本に帰ってきて刑事裁判にかけられるなんていうような状態になっている。

 自衛隊は軍ではなく、裁くための軍法がない。そんな法的に不安定な立場にいる自衛隊が軍と同じ海外に出て行って、危険に晒されるという状態はあってはならないのではないか。

 (戦後70年で)もし戦後レジームの転換というならば、一番本当は、やらなければならないことは、日米関係をどうするのか、自衛隊をどうするのか、軍隊にするのかしないのかだろう、本当は。

 でも、とてもではないけども、これをまだ議論できるような成熟度が今あるようには見えない。

日本をどういう社会にしたいのか

ーもっと報道すること、書くべきことはあるようだ。

 ある。しかし、そういうことを書くと、叩かれたりする可能性もあるが。右からも左からも叩かれることを覚悟の上で、議論の地平を開拓しないといけないのだが。その手前のところで、ああでもないこうでもないとやっている。要するに、この集団的自衛権だ、個別的自衛権だというのは55年体制の議論だ。

 55年体制下の旧社会党と自民党がずっとやってきたようなことの、結局はまた繰り返しで、それ自体は僕は無意味だとは思っていないけれども、もう一段上の、「日本はどうしたいんだ」ということの議論は、絶対に必要だと思う。

 でも、これは経済についても全く言えることだが、日本をどういうような社会にしたいのかという時に、やっぱり今は安倍政権に代表される、小泉さん以降だが、新自由主義な政策をとっていて、結果的に日本の租税負担率というのはアメリカにならんで、世界的にも最も低いものになっている。

 それでいて、アメリカよりもはるかに充実した、まあ中福祉ぐらいの福祉を提供している。低負担、中福祉になっているから、日本は大赤字だ。

 じゃあ、その福祉を切るほうをやるのか、それとも、日本はより高負担な、中負担ぐらいまで負担を増やすけれども、その代わりちゃんと中福祉を維持するのかというのも、本当は国のあり方として議論しなければいけないが、全部場当たり。

 ちょっと社会保障費が高いからちょっとずつ削っていきましょう、とか。結局、それは弱者の方に全部しわ寄せがいく。生活保護を絞られたり。老人医療を絞ったりとか。

 特に公的保障に依存しなくてもいいお金持ちの人たちは、みなさん、ぬくぬくとくらしている。

ー政治の選択が必要ではないか。自民党以外に政権を担える党として、投票できる政党が必要だ。

 自民党が心中主義政党になったと思えるのであれば、対立政党がもうちょっと出てくるのだが、まず右と左で言えば左側が今、どこにいるのかわからない。

 自民党内に、いわゆる経済保守という新自由主義者とそうじゃない、オールドライト(旧右派)の人たちがいる、宏池会に見られるような。これが非常に弱体化してしまっている。

 自民党の今回の選挙での得票率は20%ちょっと。公明党と合わせても25%。野党は全部合わせると、それよりも取っている。

 票だけでは、自公民よりも野党の方が多いのだけれども、こっちは、維新があり、民主党があり、共産党あり、社民党ありだから、結局、わずか20-25%の支持の人たちが3分の2の議席を取ってしまっている。

 当面、対抗勢力がすぐに出てくるというのが見えない状態。

ー野党勢力がなぜ弱いのかについてはまたじっくりと。

 デモも大事だし、僕はどんどんやったらいいとは思うのだけれど、同時にやっぱり、野党を結集させるにはどうしたらいいか。自民党内の、安倍さんの政策を決していいとは思っていない勢力と野党の一部をもうちょっと連携させるような流れとかをつなげることができる人がかつてはいたのだが、今はもうそんなことをできる人は誰もいなくなった。

ー残念だが、ここから政治的状況は変わっていくか。上に上がる可能性は?

 底を打てば、そこから上がる。まだ底を打ったかどうかは見えない。

ーしかし、様々な新しい動きが出てきたのでは?危機感が大きな声として出てくるようになった。
さすがに、あまりにも政権党が実は少数党でありながら議席をたくさん持っているというだけの理由で、かなり横暴な政策をごり押ししてきたということで、危機感が出てきている。

 ただ、果たして、それが投票行動に繋がるかどうか。

 政権としては、来年の参議院選挙までには、このことは忘れられるだろうと思っている。まだ1年以上あるから。だからなるべく早く通したい。

 でも、その間にまたいろんなことが起きる。ギリシャもどうなるかわからないし、経済も。そうなったときに、本当に、去年の8月何日に、あるいは9月に、あの法案を無理やり通されたんだよ、と国民が覚えているかどうかー。

(取材日、7月7日。東京・外国特派員協会にて。)
by polimediauk | 2015-07-28 09:38 | 日本関連
 16日、 安保関連法案が衆院を通過した。反対の声が日増しに強くなる中、今国会中に成立するのかどうか、大きな注目を浴びている。数人の識者に法案の評価、メディア報道、反戦デモについて聞いてみた。

 関連:内閣官房「平和安全法制などの整備について」「「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備についての一問一答」など。

 今回は、孫崎享氏にお話をうかがった。氏は駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使を経て、2009年まで防衛大学校教授。東アジア共同体研究所理事・所長。日米関係の戦後を綴った「戦後史の正体」(創元社)は22万部の売れ行きとなった。「日本の国境問題-尖閣・竹島・北方領土」(ちくま新書)などほかにも著書多数。最新刊は「日米開戦の正体」(祥伝社)。ニコニコ動画ツイッターで積極的に情報発信をしている。

 今回の安保関連法案の是非について考えるとき、日本の文脈だけで考えていては見えてこないものがあるのではないか、と思っていた。外務省の元国際情報局長で、米、英国、イランなど、世界を様々な視点から見てきた孫崎氏に、国際的な文脈を踏まえての視点を聞いてみたかった(取材日は7月10日)。以下はその一問一答である。論旨を明確にするため、言葉を整理した部分がある。

***

ソ連崩壊後の世界で

ー現在の安保関連法案をどう見ていらっしゃるか。

孫崎享氏:私は92-3年から(話が)スタートすると思っている。

  (1991年)ソ連が崩壊した。アメリカの軍需産業、作戦とか、戦略であるとか、武器であるとか、すべてがソ連と戦うために進んできた。ソ連が崩壊することによって、 もうアメリカの軍は要らなくなった。今後は経済に特化するべきであるという意見を、マクナマラ元国防長官などが言っていた。

 しかし、せっかく世界一になったので、この位置を維持したい、と考えた。その軍事を使って、アメリカの意図を政治に反映させていくという考えが主流になってきた。

 1992年に、こうした考えが一応完成し、93年のクリントン(民主党)政権にも引き継がれた。その後、共和党、民主党を超えて、ソ連崩壊後も米国の軍事力が展開されてきた。

 さて、ソ連がなくなったら、誰が「脅威」になるのか?当時は「脅威とはイラン、イラク、北朝鮮である」、という位置付けをした。

 しかし、イラン、イラク、北朝鮮といっても彼らはアメリカを攻撃するような力がないので、アメリカ側は積極的に相手に関与していくという路線を作った。それが今日まで続いているわけだが。

 アメリカにとって1990年代始めに一番脅威となったのは日本やドイツの経済力だった。ドイツと日本を蚊帳の外に置いたら、彼らは経済に特化するから、これを中に入れよう、という形が戦略になってゆく。

 じゃあ、日本をどうするかというと、日本には平和憲法がずっと続いているから、いきなり、日本を軍備に向かわせることはできない。だからまずは人道支援、災害救助、こういうところに自衛隊を使っていくことによって、軍隊が海外に出るアレルギーをなくしていこう、という動きが続いて、それが徐々に徐々に、1990年代、拡大していった。

 2002年ぐらいには、もうそろそろ自衛隊を軍備のほうに使っていいだろうという感じがアメリカの中に出てきて、それが日本政府には2004年ぐらいに明確な形で伝達される。こうして、2005年10月に、「日米同盟未来のための変革と再編」という文章ができる。

ーどんな形となったのか。

 国際的安全保障環境を改善する、という日米共通の戦略のために自衛隊を使う。その内容には、今の集団的自衛権で議論されているものがすべて入ってきている。

 例えば、秘密を守る法律を強化する、機雷の掃海を行う、後方支援を行うなど。2005年の時点で、日米が軍事的な関与をすることに。これは小泉首相が辞めて、小泉さんから安倍さんになった頃。安倍さんは第1回目の政権(2006年9月ー2007年9月)ではこの路線に非常に積極的に関与していく。集団的自衛権という言葉が、ここから出てきている。

 安倍さんはNATOに行って演説をした。私が防衛大学にいた時に、同僚の先生が数えたところ、安倍首相は「アフガニスタン」という言葉に13回言及していたという。アフガニスタンに入るという意思表示を既にしている。

 ところが先ほどの日米協力が重要だということで、こういう流れにはあまり反発はしなかったわけだ。

 安倍さんが首相を辞め、福田首相が就任した(2007年9月-08年9月)。福田さんは集団的自衛権の危険性をものすごく感じていた。具体的にアフガニスタンで協力をしてくれということを言われて、これを断っている。概念自体の集団的自衛権も断る、と。

ー福田首相の在任期間は短かったがー。

 次の自民党は短期政権で、民主党が政権党(2009年9月ー12年12月)になった。

 (日米の軍事協力についての)流れがいったん消えていたが、第2次安倍政権の発足(2012年12月ー)でまた出てきたーこれが現在までの流れだ。

ー今回の法案では、具体的にもっと自衛隊が関与できるように法制化することになったー。

 そうだ。集団的自衛権をやるといっても、実際に自衛隊を運用しなければいけないので、これまでは規制がかかっているから、その規制を取っ払わないといない、と。そういう作業が今、行われている。

ー特に新しいものではなくて、法律でしっかりとできるようにしてゆく、と。

 理念的には、出発点は93年で、日米間で方針が固まったのは2005年。その当時、憲法との関連はそれほどつけなかった。

憲法と関連付けて、国民が目を向け始めた

ーそれ以来、少しずつ、法律解釈などを変えることでやってきた、と。

 そうだ。そのようにしていれば、私は今度の法律も簡単に通ったと思う。

 ところが、安倍さんは政治的な野心があったから、自分は憲法に手をいれたという形にしたいと思って、この問題を憲法と関連づけてしまい、国民が目を向け始めた。

 9条に違反するという部分がクローズアップされて、今、かなりの批判勢力が出てきてしまった。

ー反戦を掲げる、いわゆるリベラル系の論壇は、それ以前の段階ではあまり声をあげなかった?

 黙っていた。勉強をしていないから。
 
 護憲派の一番の問題は、これまで、9条を守ることだけをやっていたこと。現実の政治の問題でどういう動きがあるのか、それを見ながら、一つ一つ、反論したり、問題点を提起したりという努力はせずに、9条だけ守ればいい、という姿勢だった。9条に抵触するようなことがあっても、勉強して問題点を提起するような流れまでには行かなかった。9条が残っていれば、それでいいんだ、と。

 そういう意味では、安倍政権やアメリカにとって一番良かったのは、憲法には手をつけない形でやってくれることだった。しかし、安倍さんに野心があったから、憲法にまで手をつけようとしてしまった。

 だから、今の関連法案というのは、もしも黙って法律を出してきたら、国民は全然反対しなかったと思う。憲法というものに関連づけてしまったから、 それが憲法に抵触するというので、いったい何が起きているのか、という形で反対が出てきた。

ー今回の法案が成立することで何が変わるのか。

 大きな違いがある。いろいろあるが、例えば今までは、自衛隊がイラクにも行ったが、これは特別措置法でやっている。法案が成立すれば,(海外派遣が)恒久法の下で行える。

ーいつでも行ける・・・。

 いつでも行けるようにしてある。

 概念的には、特別措置法で行っていたことを今回は恒久法で、というのは本来はそれほど抵抗がないはずだった。しかし、憲法と関連づけたので、国民はそんなことまでやるの、という話になってきた。

ー法律となれば、普通に海外派遣ができるようになる。

 私は、その時の政治的な空気に影響すると思う。例えば、「3条件」というのがあってー。

ー内閣官房のウェブサイトにある、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備についての一問一答」に、「自衛の措置としての武力の行使の新3要件」が書かれている。これによると、(1)「我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力抗争が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」、(2)「これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないこと」、(3)「必要最小限度の実力酷使にとどまるべきこと」とある。

 安倍さんや安倍さんたちの周辺は、3条件を基本的にクリアできると思っている。あの3条件でできないことはない、と思っている。

 だが、一応3条件みたいなものがあるから、この問題がこれだけみんなの着目を浴びてきたら、今後の国民の反発の度合いによっては、そう簡単に実施はできないと思う。

 方便である3条件が、ある意味で実際上、有効なものになるかもしれない。

 よく、「関連法は成立するのだから、今さら抵抗してもしょうがない」という人がいるが、私はそうではないと思う。

ー確かに、私もそういう意見をよく耳にした。

 この問題に対する国民の反発が安倍政権の支持に影響を与える、ということが見えてくると、次の段階で実施する時にちゅうちょすると思う。

若者と女性の声

ーでは、反対の声を上げることは無駄ではない。

 全然、無駄ではないと思っている。

 非常に新しい動きは2つあって、今までの日本の(政府案への反対)運動のマイナスは、学生が動いていないこと、女性が動いていないこと。運動の展開に非常にエネルギーを欠いていた。だいたい反対というと60代以上の男性。ここにきて流れが変わってきた。

 「女性自身」と「週刊女性」が最近、同じようなタイトルで(安保関連法案について)書き出した。それも10ページの特集だ。一般人の関心事になってきたことを示す。1回火をつけると、どんどん広がってくる。

 学生さんの「シールズ」もある。

 今までとは違った雰囲気が出はじめた。

 ある週刊誌系の人と話していたのだが、「週刊文春」や「新潮」まで安倍批判を始めた。今までは、(大政)翼賛会みたいだったのが、ちょっと流れが変わってきた。

 もうすでに毎日新聞は政権批判の方が賛成を上回ったと言っており、実際に、政権批判の方がもう世論は強くなっている。

 今後反対の動向がどうなるかのターニングポイントに少なくとも来ていると思う。

ー反対運動は、もし法案が通ったとしても、実際の運用時に歯止めになる、と。

 歯止めになるし、通っても(実行できなくなる)。安倍政権が無理をしたということで、自民党政権の基盤がぐらついてくる。ぐらついてくれば、実行できるわけがない。

ー日本として海外派兵ができ、アメリカと一緒になってやることができるようになる状態というのは、これはいいことなのだろうか。

 いや、非常に悪い。

 一番簡単なことは、行く理由がないからだ。

ー海外派兵ができ、アメリカと軍事行動ができるようになると、アジアの他の国はどんな風に見るか。

 基本的には、アセアンは武力行使には消極的な地域だったが、中国の台頭の中で、ベトナムとフィリピンがかなり中国に対して好戦的な動きを出してきた。そういう中で、日本の軍事的な関与に対しては批判というよりは、中国にどう対応するかであって、全体として日本を批判するというふうには今はなっていないかもしれない。

 私は、ベトナムとフィリピンの動きというのは一時的だと思う。中国の経済力が圧倒的なわけだから、台湾と同じ路線をたどると思う。

 台湾は反中、独立志向だったわけだが、今は自分の国の生存は中国市場にあるということで、ベトナムもフィリピンもそのうちその方向に行くのではないかと思っている。

ー私が住むイギリスからすると、9条の憲法がある日本では、どうやって国を守っていくのかと不思議になる。

 冷戦が終わった時と今とは状況が違う。非常に大きな点として、西側に対しての攻勢があるわけではない。誰かが西側に対して攻撃があったから、西側がレスポンドしているのではなくて、自分たちの利害の為に戦争に行っている状況がある。

ー冷戦後にそうなった、と。

 そうだ。そういう意味で、西側が行動しなかったら、我々がやられるという状況ではないと思う。

 そういう中で、米国がなぜ軍事行動をしているのか。

 中東を見ると、大きな理由が2つある。1つはイスラエル寄りの政策を実行し、イスラエルの安全保障に向けて行動を起こしている。もう1つは、軍産複合企業体の利益、ということだと私は思っている。イギリスの保守層はアメリカと非常に密着している。

 イギリスの保守層から見ると、今のような議論(軍隊がないのにどうやって身を守る事ができるのか)が出ると思うが、国全体として日本がおかしいのではないかという考え方にはならないのでは。

ー自衛隊の能力について聞きたい。実戦に参加しなくても、十分に機能できるか。

 第2次大戦後の枠組みはそれ以前の枠組みから非常に大きく変化している。

 大きな枠組みの変化の1つは超大国同士では戦争できないということ。これは非常に大きな意味合いを持っていて、(米政治学者)ジョセフ・ナイが、私がハーバード大に研修に行っていたときに、戦争はどういうときに起きるか、と言って、それは、ナンバーワンがナンバーツーに覇権を脅かされる、そのようなときに戦争というものが起こってくる、と説明した。

 これに核兵器という問題が入ってきたので、核兵器で戦争をナンバーワンとナンバーツーがやると双方ともに破れてしまう。そこで、ナンバーワンとナンバーツーはどういうことがあっても戦争はできないという大きな枠組みが出てきた。

 2つ目は、イギリスが代表的だが、植民地経営というのは結局はマイナスだ、と。コストがかかって。ということだから、今の戦争でどこかの国がどこかの国を植民地にするような形の戦争というのはもうなくなってきたと思う。

 唯一残りは領土問題。これを戦争にしないような枠組みを作れば良いわけで、その努力をやれば、私は戦争は起きないと思う。

 例えば中国をどう見るかというときに、カザフスタンという国がある。石油やガスの、世界で5-6番の産油国だ。中国が一番欲しいものはエネルギーだ。じゃあ、カザフスタンをとってしまえばいいじゃないか、と。

 カザフスタンはアメリカと同盟関係にあるわけじゃない。軍事力が中国に対抗できるものではない。じゃあ何故とらないのか。

 答えはどういうことかというと、基本的に、中国も国際社会との連携によって発展しているわけだから、それにマイナスになることを行うことのほうが、とることによる利益よりも大きくなってきた。

 だから、軍事力でどこかがどこかをとるという時代では、私は基本的になくなっていると思う。

ーイギリスは古い考え方の国かもしれない。ずっと戦争をしている。自国ではなく他国に行って戦闘行為などを行い、常に干渉をしている。

 それを切り抜けたのがドイツだ。

 ではイギリスがどうしてやっているのかー。それは、戦争する層がいるからだろう。

ーイギリスメディアの論調を読んでいると、外国の中ではロシアや中国については、怖い事が起きている国というイメージを与える。東アジア地域においては、日本に一定の戦闘力を望む報道を見かける。

 欧州については、私はウクライナ問題というのは、アメリカのネオコンに仕掛けられたと思っている。

 今から3-4年前に、NATOが言葉の表現は別として、ロシアを敵にしないという決定をした。軍事的に欧州が努力する必要は何もない。米軍も欧州から撤兵した。

 安全保障を冷戦構造的にやってきた人から見ると、ものすごく困る状況だ。それで出てきたのが、ウクライナ問題。

 仕掛けていったのが、ヌーランド米国務次官補。夫はネオコンの(歴史家)ロバート・ケイガン。今、アメリカの中ではネオコンが国務省を乗っ取っている。ネオコンは、基本的に対立構造を求めている。ウクライナ問題は自然発生的に出てきた問題ではない。

 尖閣諸島も棚上げ合意という方法があって、これは、日中の間で合意しているので、本来的には紛争になるものではない。

 ところが、領土問題を利用することによって、日中の対立が深まる、日中の対立が深まれば、それは日本をより軍事的な方向に持っていくことができる。それはアメリカにとってプラスだという考え方がある。

ーアメリカにとって、都合がいい?

 そうだ。

 冷戦時代に、日本とソ連の間に領土問題を置けば、日本が自分たちが都合の良いように動いてくるーという報告をイギリス大使館が本国に出している。こういう考え方はイギリスには昔からある。

日米関係の注目は次の大統領選後

ー日米関係はどうなるか。

 (注目は)次の大統領選挙の後だと思う。

 共和党になれば、ものすごく好戦的な人が出てくる、これは間違いない。

 クリントンが大統領になれば、オバマよりは好戦的。オバマ本人は軍備を拡大しようとは思っていない。軍事(を推奨する)グループに抵抗する力はないから、彼らのいう通りにしなければいけないが、本人が率先しているわけではない。

 しかし、クリントンも含めて大統領候補になろうとする人は、本人が積極的に好戦的になろうとしている。だから、次の選挙には誰が出てくるかは分からないが、今よりは非常に好戦的になる。

 そういう意味で、(アメリカにとって)集団的自衛権を今やる意味がある。

ー将来、日本はこれからどうあるべきか?外交的により自立していくべきか。

 非常に大きな変動は中国の動きだ。GDPや購買力平価ベースではアメリカを追い抜いている。

 日本がどうこうすることとは関係なく、中国の経済力に従って、日本の対中政策の見直しが行われる。そのときに、当然のことながら、日米関係も変わる。

 流れ的にいうと、台湾が一番いい例だ。台湾は長い間、独立志向だった。西側との協力ということを一番重要視したが、最終的には独立はとっくの昔にどこかに行ってしまい、中国との経済をどうするかに台湾の繁栄がある、という方向に舵を切った。それと同じ流れが数年遅れで日本に多分、起きるのだろうと思う。

ー安保関連法案の話に戻ると、どうせ成立するのだから反対をしても意味がないという声を聞いた。

 (意味がないというのは)全く違う。

 反対という姿勢は、政権を揺さぶる可能性がある問題だ、として認識されるようになると、運用の段階で、変わってくる。

 法律があって、(自衛隊が)出る、というものではない。法律があって、米国が要請したときに、じゃあどういう判断をするか。そのときに安倍首相のときに政権を揺さぶられたが、とてもじゃないけど、私の政権ではそんな危ないものをやれないという雰囲気に、多分なると思う。

 女性週刊誌など、今まで、安倍批判はタブーだった。だけど(批判は)私たちが思っている以上に進んでいる。

ー日本の国民の中で、絶対戦争に行かせないという気持ちがこれほど強いとは、私自身、思わなかった。

 例えば、私は、ある大学の1年生300人ぐらいに、こういう質問をした。「あなたたちは戦争に行くことは絶対にない。自衛隊に入っていないから。しかし、あなたたちと同じ年代の人で自衛隊に入っている人たちがいる。この人たちは確実に、集団的自衛権で(海外の戦闘に)行ったら死にます。あなたたちは同情しますか、それとも、まあしょうがない、そんなに強くは同情しないか、どちらですか」、と聞いた。

 答えはどういう比率になると思うか?

ーピンと来ない、同情しないという人が多いのでは?

 と思うでしょう?ところが、全員が、同情だった。

ーそれは驚きだ。戦争反対の気持ちが強く、もし行って死んだらかわいそうということが若者の間に刷り込まれているのか。

 そうだ。そこはアメリカとは違う。

ーイギリスとも全然違う。

 アメリカは、富裕層と下層との認識が完全に分かれいて、富裕層は俺たちは戦争に行く必要がない、行くのは下の層・・・・。

ーイギリスもそうだ。ミドルクラスの人に聞くと、「志願兵だから、仕方ないだろう」という。同情心はあまりない。

 私もそうだろうと思った。しかし、質問したらみんな、「私たちは(戦争には)反対です」だった。後から一人やって来て、「だって私たちの友達で、(自衛隊として)行っている人がいるから」。

ー自衛隊には十分な実戦体験がないと指摘する人もいる。それで、怪我になったときも互いを十分に守れないと。

 私はそんな恐れはないと思う。自衛隊の人たちの適応能力は高く、世界の軍隊の誰よりも良い資質の人がいると思う。そう心配する必要はない。

 問題は、ものすごい量の精神的ショック受けた人が出てくる点だ。

 後方支援でやっていても生命がやられるわけだ。毎日毎日、死と向き合うという意識でないといけない。これは普通の人には耐えられない。相当に大きなショックが自衛隊の中に起きると思う。

ー70年間、一度も軍事的に人を殺したり殺されたりしたことがない・・・・。

 そうだ。防衛大学では学生同士で殴り合いは絶対に許されない。(もしそうしたら)退学だ。そういうカルチャーの中にいる。殴ることも許されないのに、人を殺すことへのハードルはものすごく高い。

ーそれでも今の自衛隊の対応力は十分と思うか。

 組織としては、対応できる。組織は上の人が判断して動かすが、個々人はものすごく、病んでいく。後方支援のストレスでそうなる。戦争の日常によって。

ーそうなったら、毎日が・・・

 恐怖との戦いだ。

アジアの「脅威」はどうする?

ー戦争で命を落とす兵士のニュースが頻繁にあるような国から来ると、日本では何もなくてどうやって国を守れるのかと心配になる面も。

 非常に簡単なことをある人が言っている。北朝鮮がなぜ今攻撃をしないか。攻撃をしないほうが得だから、しない、と。北朝鮮が攻撃をしたら、自分の国がなくなるわけだから。

 北朝鮮のように孤立している国でも、どこかの国を攻撃したらマイナスだということが分かっている。今の世界の指導者の中で、何処かの国を攻撃したら、利益になると思っている政治家というのは、まずないだろう。これは時代が共有する価値観だと思う。

 第2次大戦の後、世界は大きく変わった。

ー日本は今軍事的な脅威にはないのか。

 本質的には全然ない。全くない。

ー中国はどうか。

 アメリカの国防省の2012年の本によれば、中国の戦略は中国共産党の指導者によって決められる、と。これはいいだろう。中国共産党の指導者は、未来永劫的に指導層にいたいと思う。これもいい。指導層にいるためには、国民の支持を必要とする。これもいい。じゃあ、中国の国民にとって、一番重要なポイントは何かというと、自分たちの生活が日々良くなれば、共産党を支持する。

ー経済がモノを言う、と。

 ここもいいだろう。では、経済を良くするためには何が必要かというと、自分たちの作ったものが海外で売れなければいけない。海外で売れるためには海外と敵対的にはなれない。だから中国の基本的な戦略は、対外的に敵対的な行動はとらないことー。非常に論理的ではないか?

(取材日、7月10日)
by polimediauk | 2015-07-22 19:40 | 日本関連
月刊「新聞研究」3月号掲載の筆者原稿に補足しました。)

 イスラム教スンニ派過激主義組織「イスラム国」(イスラミック・ステート:IS、通常の意味の「国」ではない)による2人の日本人(湯川遥菜さんと後藤健二さん)の拘束事件と最悪の結末は筆者にとって大きな衝撃だった。

 1月20日、「イスラム国」グループは最初の動画をユーチューブに投稿し、身代金2億ドルの支払いを要求した。この動画を初めて英国のテレビで見たときのことを良く覚えている。オレンジ色のつなぎ服に身を包んだ後藤さんと湯川さんが砂漠に並んでいた。私は胃をぎゅっと誰かにつかまれた思いがした。

英国の体験

 英国はこれまでにもイスラム教過激主義グループが中東諸国にいる英国人を拘束し、身代金や政治目的での交換条件を要求する事件に何度も遭遇してきた。政府は身代金を支払わない方針を崩さず、「テロリストとは交渉しない」姿勢を(少なくとも建前上は)維持してきた。

 筆者が特に忘れられないのは2004年、イラクでジハード・グループに拘束された英国人ケン・ビグリー氏や、2005年、慈善団体で働いていたマーガレット・ハッサンさんのケースである。

 仕事でイラクにいたビグリー氏はオレンジ色のつなぎ姿で動画に登場し、「助けて欲しい」と訴えた。ハッサン氏も動画を撮影され、イラクにいる英軍の撤退を求めた。両者ともに拘束グループに命令された言葉を発しているのは明らかだった。

 家族や知人、友人、著名人を使った解放への訴えにもかかわらず、ビグリー氏は拘束から1ヶ月で、ハッサン氏も約1ヶ月後に拘束グループに殺害された。

 昨年夏、「イスラム国」のメンバーによって米国人ジャーナリスト、ジェームズ・フォーリー氏の斬首動画が公開された。夏から現在までに欧米人では5-6人、非欧米人(レバノン軍兵士、シリア軍兵士、クルド人兵士など)では数十人が残酷な手法で殺害され、動画がネット公開された。英国では国民2人がフォーリー氏と同様の手法で殺害されている。

 2月3日には、日本側が後藤さんとともに解放されることを望んでいたヨルダン軍の戦闘機パイロット、ムアーズ・カサーベス氏が殺害されたと見られる映像がネット上に投稿された。

 今回の日本人拘束・殺害事件は、その時々によって名前を変えてきたイスラム武装グループ(現在最も著名なのは「イスラム国」)による人質殺害事件の一つだった。

英国メディアの報道振り

 こうした経緯もあって、今回の日本人の人質事件を英メディアは連日、詳細に報じた。2人の経歴、家族の会見の様子、日本政府の動き、ヨルダン政府との交渉の行方などを特派員報告を中心に掲載した。

 ネット界でトレンドとなっていることを取りあげる「BBCトレンディング」(1月26日付)は、「アイ・アム・ケンジ」というハッシュタグが広がっていることや、いわゆる「クソコラ・グランプリ」について紹介した。後者は「イスラム国」の動画に出ていた人物をアニメや漫画を使った加工した画像の数々だ。

 ロンドン大学の講師グリセディス・カーチ氏は「ソーシャル・メディア上では2人がそもそもシリアに行くべきだったのかどうかについて、議論がある」と指摘した。

 BBCはウェブサイトで後藤さんについて充実したプロフィールを掲載した。NHKやテレビ朝日でのリポートにリンクが貼ってあり、ジャーナリストとしての後藤さんへの敬意がにじみ出た。

日本の安保政策の変更に注視

 英メディアが熱く注視するのは、今回のテロ事件をきっかけに日本の安保政策に変更があるかどうか、だ。

 英フィナンシャル・タイムズの知日派デービッド・ピリング記者(著書『日本‐喪失と再起の物語:黒船、敗戦、そして3・11』)は電子版1月28日付の記事で「平和憲法に基づいた日本の外交政策は今、転換期にある」と書いた。防衛専門家岡本行夫氏のコメントとして、「誘拐は日本国民に世界の不愉快な現実を顕在化させた。見せ掛けの中立性にもはや隠れているわけには行かない」を紹介している。

 「安倍首相にとって憲法の再解釈を行うための法改正は簡単ではなさそうだ」が、「後退は一時的だろう」とピリング氏は予想する。「世界は変わっている。中国は日本に対し領土権主張を求めてくる」、また米国は「いざとなったら、日本を守るために米国人の血を流すことはしないだろう」-。日本政府が「傍観する日々は終わりつつある」。

 FTの電子版2月2日付の社説「日本のテロへの反応は孤立であるべきではない」は軍事力の施行を待望する論調だ。

 記事は人質事件によって、日本国内で「受動的な国際上の役割を維持する声」が大きくなる可能性を懸念する。人質拘束後に、安倍首相が2億ドルに上る人道支援を中東諸国に提供すると確約したことで、首相の批判者たちが「タイミングが悪かった」「人質の状況を悪化させた」「日本はグローバルなプロフィールを大きくしようとしないほうがいい」と言いだした。「しかし」、とFTは続ける。この事件が「安倍首相が計画している憲法上の変化の土台を壊してはならない」。

 最後の段落はこのように終わる。2人の殺害は「例え平和主義の国であっても、イスラム戦闘勢力の心無い暴力から逃れられないことを示した。日本の反応は国際的なエンゲージメントに根ざすものであるべきで、新たな孤立であるべきではない」。「国際的なエンゲージメント」は、戦闘も含めてのテロ戦参加を望んでいることを意味するだろう。

 筆者は、ここまでFTが日本に軍事的な対応を求めていることを知って、いささか驚いた。

 ガーディアン紙のジャスティン・マッカリー記者も、電子版2月1日付記事で安保政策の行方を案じた。

 物事がいったん落ち着いた後で、安倍首相は「日本は地域内の安全保障の分野で、より大きな役割を果たす必要があると主張するようになるだろう」。

 テンプル大学のアジア研究部門のディレクター、ジェフ・キングストン氏は記事の中で、後藤さん殺害のニュースに「日本の国民は恐怖感を感じ、事態を理解する段階にいる。どのように世論が動くのかは不透明だ」。

 記事は同氏のコメントで終わる。「国民は安倍首相の安保政策や、反ISIS(「イスラム国」)勢力に参加することへの深い懸念を持っている」―。首相が望むようには物事が進まないのではないかと示唆して終わっている。

 さて、どちらの方向に進むのだろう?
by polimediauk | 2015-04-01 07:30 | 日本関連
 安倍首相が26日、靖国神社を参拝した。英国のメディアはこれをどう報じたのだろうか?

 私はいま東京滞在中で、ネットで記事を読むぐらいなのだが、若干紹介してみたい。

 英BBCの報道の1つには、「中国が日本の安倍晋三首相の靖国参拝を非難」という見出しがつく(後で更新されるかもしれないが、日本時間の夜中12時頃のバージョンを使った)。

 その後の流れは以下のようだ。

***

 中国と韓国は戦争犯罪者を含む日本の戦没者が祭られている神社を参拝した日本の安倍晋三首相を非難した。

 韓国は「嘆かわしい」行為に激怒すると述べ、中国は参拝を「絶対に受け入れられない」として、日本の大使を呼びつけた。

 日本の隣国は靖国参拝を第2次世界大戦における日本の軍国主義の象徴と見る。

 米国高官らは参拝がこの地域の「緊張感を悪化させた」と述べた。

 中国、日本、韓国は東シナ海の領域をめぐって、いくつもの論争の渦中にある。

 紛争のために、どの国でも国粋主義的感情が熱を帯びている。

―「自省」

 安倍首相による参拝は現役の首相としては2006年の小泉首相以来で、その様子はテレビで生中継された。

 「中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは、全くありません」と安倍首相は述べている。参拝は不戦の行為であったという。

 官邸によれば、首相は私人として参拝しており、政府を代表したわけではないという。

 しかし、その後間もなくして、中国は北京の日本大使を呼び、「強い抗議」の意を伝えた。

 中国のQin Gang外務省広報官は、「日本の指導者の行為を深刻に非難する」と述べた。

 「参拝は2国関係の向上に、大きな政治的な障害をつくる。日本は参拝が引き起こす結果全てに責任を持つべきだ」。

 中国の怒りは韓国や台湾でも繰り返された。台湾のデービッド・リン外務大臣は日本に対し、自省や隣国の感情を傷つけないよう求めた。

 20世紀初期、日本は軍国主義の国家に変貌した。天皇は神としてあがめられた。

 日本は台湾、韓国半島、中国の大部分を占領した。

 第2次世界大戦中、日本の帝国軍はアジア東部や南東部で残虐行為を行った。例えば、韓国の女性を性の奴隷とし、中国で虐殺を行った。

 上記の隣国は日本がその犯罪を償うために十分なことをしていない、歴史をごまかそうとしているとして、頻繁に不満を表明してきた。

―A級戦犯

 靖国神社は19世紀半ば、戦争で亡くなった男性、女性、子供を追悼するためにできた。

 神社にはこうした人々のなきがらが収容されているが、遺族が敬意を払うために向かう象徴的な場所となっている。

 現在、250万人の戦没者を「英霊」と称して祭っている。その多くが民間人だ。

 しかし、第2次大戦の戦犯となった数百人も祭られている。

 いわゆるA級戦犯となる14人――戦争を計画した人々――もこの中に含まれている。1948年、戦争犯罪で処刑された、参謀総長東條英機も入っている。

***

 以下は、上記の記事についている、BBCの特派員ルパート・ウイングフィールドヘイズ氏の分析だ。

―「神社が中国や韓国にとって侮辱的な存在なら、何故安倍首相は参拝したのか

 まず第一に、安倍氏がそうしたかったからだ。首相を深く観察してみると、その心は国粋主義者であり、歴史的修正主義者だ。日本の戦時の指導者たちを有罪とした裁判は「戦勝国による裁き」であったと見ている。

 安倍氏の祖父であった岸信介氏は、戦時内閣に入っており、A級戦犯の疑いで米国に逮捕された。後で釈放された。しかし、中国での日本の戦争犯罪に関わりがあったという汚点は完全には消えなかった。

 次に、安倍氏の支持ベースは自民党の右派勢力であることが参拝の理由だ。東京のテンプル大学のジェフ・キングストン教授によれば、安倍氏は「自分がタフ・ガイ(強い人物)であることを見せている」、中国を怖がっていないことを示しているのだという。こういう姿勢は、安倍氏を支持する人々に受けがいいのだ。

***

 英ガーディアン紙の見出しは「日本の安倍晋三が、戦死者の神社参拝によって隣国との緊張関係を危険にさらす」。

 内容はー:

 日本の首相安倍晋三氏が東京にある、論争がある戦争神社(注:靖国神社のこと)に参拝し、中国を激怒させている。

 丁度1年前に2度目の首相になった安倍氏は、7年前に靖国を参拝した小泉純一郎氏以来初めて現役の首相として参拝した人物となった。

 安倍氏は、アジアでの戦時中の行動についての「自虐的な」罪悪感を日本は終結する必要があると述べたことがある、保守派の人物だ。2006年9月からの最初の首相就任時に、最初の年に参拝しなかったことを残念に思うと発言したことがある。

 26日の参拝は中国と韓国から予想通りの怒りを引き起こした。この2つの国は、靖国が日本の軍国主義の強力な象徴であると見ている。政治家による靖国参拝を、20世紀の前半に中国や韓国半島の一部で行った残虐行為について日本が罪滅ぼしをしていない証拠ととらえている。

 「中国政府は、日本の指導者が中国やその他の犠牲となった国々の人々の感情を踏みにじったこと、歴史的正義への公然とした挑戦であることに強い憤りを表明する・・・そして、日本に対する強い抗議と深刻な非難を表する」とする声明文を中国外務省が発表した。

 中国外務省広報担当Qi Gang氏は、続けて、「日本の指導者の行動に強く抗議し、深刻に非難する。日本の指導者の靖国参拝の本質は、軍事的侵略と植民地支配の歴史を美化するものだ」。

 ロイター通信によれば、韓国は、参拝を日韓の絆に損害を与える、嘆かわしく時代錯誤的動きだと述べた。

 「私たちは、この参拝についての遺憾と怒りを差し控えることができない」と、韓国の文化・スポーツ・観光担当大臣ヨー・ジン・リョン氏が述べている。参拝は時代錯誤的な行為だ、と。

 靖国神社は19世紀後半以降、戦争で亡くなった250万人の日本人に敬意を表している。連合国による裁判でA級戦犯とされた、戦時の指導者数人もこの中に入っている。

 安倍首相は中国や韓国の人々の感情を傷つけるつもりは「まったくない」と述べている。

 「靖国参拝については、戦犯を崇拝するものだと批判する人がいますが、私が安倍政権の発足した今日この日に参拝したのは、御英霊に、政権1年の歩みと、二度と再び戦争の惨禍に人々が苦しむことの無い時代を創るとの決意を、お伝えするためです」。

 「国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました。貴重な人生を犠牲にした戦死者に経緯を表すために祈り、安らかに眠られるようにと願いました。靖国神社への参拝については、残念ながら、政治問題、外交問題化している現実があります」、「中国、韓国の人々の気持ちを傷つけるつもりは、全くありません」。

 後で発表された声明文で、安倍首相はこう続けた。「靖国神社に参拝した歴代の首相がそうであった様に、人格を尊重し、自由と民主主義を守り、中国、韓国に対して敬意を持って友好関係を築いていきたいと願っています」。

 安倍氏の参拝は日本と隣国との絆にもっと損害を与えると見られている。日本は中国とは東シナ海の戦略的に重要な場所にある複数の島――日本では尖閣といい、中国では釣魚島ーーを巡って、韓国とは、韓国では独島と言われる竹島の領有権を巡って長期の対立状態にある。

 安倍首相は今年、中国と韓国を怒らせてもいる。一般的になっている、日本がアジア本土で侵略戦争を起こしたという見方を疑問視したからだ。日本の隣国はまた、日本の自衛隊(注:原文は「軍隊」)を強くしようという最近の計画や、自衛隊が海外でもっと積極的な活動ができるようにするために日本の平和憲法を改正しようという動きについても、神経質になっている。

 安倍氏の靖国参拝が米国を困惑させたと見る人もいる。米国は日本と隣国との関係の良好化を願っているからだ。

 「(安倍首相は)おそらく、大丈夫だと思っているのだろう。比較的人気があるし、信念をもってそうしている」と上智大学の中野晃一教授(政治学)が話す。「小泉首相の場合は、彼が修正主義者・国粋主義者ではないことをみんなが知っていた。安倍首相はどうなのかと、人々は疑問に思っていた。その答えが、今出た」。

***

 参考:安倍首相談話「恒久平和への誓い」(全文)
by polimediauk | 2013-12-27 01:07 | 日本関連
 ホームレスの人が販売している雑誌「ビッグイシュー」日本版が創刊されてから、10年になるそうです。

 今まで続いてきたことを記念して、10周年のイベントが複数開催されます。


 ビッグイシューから送られてきたメールの内容を以下に貼り付けます。

***

 10周年記念イベント:その4/ジョン・バード氏と日本人若手社会起業家たちが語る「社会を変える仕事をしよう~社会的起業を通して見えてきたこと」

 今から22年前、1991年に雑誌『ビッグイシュー』はロンドンの街角でスタートしました。その2年後にはINSP(国際ストリートペーパーネットワーク)が立ち上がり、今では世界100カ国以上にメンバー誌がある「貧困問題の解決」のためのネットワークへと成長しています。そのムーブメントの創始者であるジョン・バード氏に「英国における社会的起業のいまとそれを取り巻く社会の状況」などについてお話をいただきます。

 そして、そんな彼と若い日本人社会起業家3人に、それぞれの起業のきっかけやビジネスを続ける中で見えてきた課題などをお話しいただいた後、パネルディスカッション、フロアも一緒になってのディスカッションを行います。その後、当日の司会者の料理研究家の枝元なほみさんに軽食をプロデュースいただいた懇親パーティもあります。レアでアットホームな集いにしたいです。

日時:2013年9月4日(水)18時~21時半
場所:UBS証券株式会社 会議室
東京都千代田区大手町1丁目5番1号大手町ファーストスクエア イーストタワー12階
登壇者:ジョン・バード氏(ビッグイシュー創始者)/永岡鉄平さん(株式会社フェアスタート代表取締役)/白木夏子さん(株式会社HASUNA代表取締役)/岩瀬香奈子さん(株式会社アルーシャ代表取締役)
司会者:枝元なほみ(料理研究家・チームむかご主宰、ビッグイシュー基金理事)/佐野未来(ビッグイシュー日本東京事務所長)
参加費:3500円(懇親パーティ参加費含む)
定員:100名
お申込方法:以下のフォームよりお申し込みください。
http://goo.gl/AAlzTd
申し込み締め切り:8月30日(金)
主催:(有)ビッグイシュー日本
助成:大和日英基金
協力:UBS (UBS証券株式会社、UBS銀行東京支店、UBSグローバル・アセット・マネジメント株式会社)

お問い合わせ:ビッグイシュー日本東京事務所(03-6802-6073)
http://www.bigissue.jp

 ☆以下のイベントも残席あります!☆

 ・9月1日(東京)浜 矩子さん×萱野 稔人さんの対談と講演「これからの日本を考える」&交流会。
 ・9月2日(大阪)[THE BIG ISSUE創始者] ジョン・バード×ビッグイシュー販売者「社会的な排除&包摂に取り組むビッグイシューのいま、これから」
 「すべての人に居場所と出番のある社会」を考える。

 詳細は以下のリンクをご覧ください。
 http://www.bigissue.jp/anniversary.html


by polimediauk | 2013-08-08 16:53 | 日本関連
 毎日のように次から次へとニュースが発生するので、やや遠い事件のようにも思えるが、今年1月から3月ぐらいまで、アルジェリア人質事件で犠牲者の実名をいつどのように報道するかで大きな議論が起きた。

 この件について、月刊冊子「メディア展望」4月号(新聞通信調査会発行)に思うところを書いた。以下はそれに若干補足したものである。

 この問題については、電子雑誌「ケサラン・パサラン」14号に浅野健一同志社大学大学院教授が論考(アルジェリア犠牲者報道問題だけではない 日本メディアの問題点 「実名報道」による「報道被害」を放置・容認してもよいのか?)を寄せている。教授の記事をご参照いただければ、より理解が深まるように思う。 

 なお、この問題については賛否両論の論点がひとしきり、出尽くしたと思う。私は賛成派と反対派の溝に注目した。長いので、強調したい部分は太字にした。

***
 
日揮とテロ事件
大手メディアは実名、ネットは匿名支持 
人質死亡事件で大論争に

 今年1月中旬、アルジェリア・イナメナスの天然ガス精製プラントで、イスラム武装勢力による人質拘束事件が発生した。アルジェリア軍による掃討作戦で日本人10人を含む外国人多数が死亡する痛ましい結果となった。これに付随して、日本国内では犠牲者の実名報道の是非について、大きな議論が沸き起こった。実名報道をジャーナリズムの基本に据える大手メディアと、遺族の感情に配慮して、匿名も可とする国民との溝の深さが露呈した。

 本稿では、この2つの考えの溝に注目した。匿名を支持する国民の声の中にはマスコミへの大きな不信感が垣間見えた。何故こうした不信感が出るかの検証は大手新聞、テレビ界の将来にとっても、極めて重要と思える。

 ここで取り上げる「国民の声」は、主としてネット空間で発された言論だ。国民全体を代表するとは言えないかもしれないが、時代の変化に敏感に反応するネット利用者の発言は考察の対象に値する。

 実名報道が問題視された経緯、諸外国の事例、匿名報道が原則のスウェーデンの例などを紹介したい。

―英国は遺族の意向を尊重

 事件発生から一ヶ月ほどの経緯を、英国の視点から振り返ってみる。

 アルカイダ系武装勢力「イスラム聖戦士血盟団」がアルジェリア南東部イナメナスの西南に設置されたガス精製プラント(アルジェリアのソナトラック、英BP、ノルウェーのスタトイルなどによる合弁事業)を襲撃したのは、1月16日のことである。日本企業日揮の社員、派遣社員などもここに勤務していた。アルジェリア人、外国人など多数が人質となった。17日からアルジェリア軍が掃討作戦を開始する。21日までに武装勢力の駆逐に成功するが、この間、日本人10人を含む30余人が命を落とした(3月末の判明時点)。

 人質の数や国籍、その後の死亡者の情報は刻々と変化した。キャメロン英首相が「英国人3人が死亡」と述べたのは、事件発生から4日後の20日であった。このとき、個人名は出さなかった。BP側は「18人がプラントに勤務していたが、身元情報はプライバシー保護と家族の依頼で公表できない」と同日のウェブサイトで述べた。

 21日には、海外での英国人の身元情報を管理する英外務省が、遺族の同意を得て、犠牲者の個人名の一部を公表した。この日から、英メディアは独自取材で亡くなった英国人の実名を報道していく。外務省は自らが個人情報を出すのではなく、メディアが取材して分かった情報を外務省に問い合わせ、外務省が遺族の確認をした後、問い合わせに返答した。

 BPが亡くなったBPの従業員3人の名前と経歴をウェブサイト上に出したのは28日だ。4人目は「身元情報を出せない」とした。4人目の名前を公表したのは2月12日である。同日、BBCは、英国側の犠牲者は7人(BP関係者4人とほか3人)であったと報道した。

 ここまでの話が少々細かくて恐縮だが、全員の実名が出るまでに、事件発生から一ヶ月弱かかったということだ。

 2月4日には、外務省が報道陣に向けてメールを流し、翌週の英国人2人の犠牲者の葬式への取材を控えること、遺族や関係者への取材ではプライバシーに考慮するよう呼びかけた。

 毎日新聞(2月2日付)によると、政府が犠牲者名を発表したのは米国、フランス、アルジェリアである。

 「米国務省は(1月)21日に米国人犠牲者全員(3人)の実名を発表。しかし、国務省は『遺族のプライバシーを尊重し、これ以上のコメントはない』と付け加えた」という。

 フィリピン政府は遺族の意向で犠牲者の名前を公表せず、メディアは独自取材で実名報道した。ノルウェーは「行方不明5人(その後全員死亡確認)の名前を企業(スタトイル)が発表した」。

 各国によって対応にばらつきがあること、遺族の意向やプライバシーが重要視されていることが分かる。


―日本では実名報道の是非が大問題に発展

 1月16日の人質拘束から翌日のアルジェリア軍による攻撃作戦、これが終了する21日までの数日間は、作戦の意図、経過、人質の人数、国籍、犠牲者数などの重要情報が錯綜した時期である。

 正確な事態把握が困難な中、日本では政府や日揮が犠牲者の身元情報を出さないことへの不満感がメディア側に募っていたようだ。週刊「新聞協会報」(1月29日付)から政府・日揮側とメディアとの対立の経過を拾ってみる。

 「事件発生から5日後の(1月)21日、日揮の日本駐在員7人(筆者注:後に10人と判明する)の死亡が確認された」、官房長官が同日の会見で「ご家族や会社の方々との関係もあるので、(氏名の公表は)控えさせていただく」と説明。翌22日、内閣記者会が「官邸報道室を通じ被害者の氏名・年齢公表を文書で申し入れた」。この日、朝日新聞が一部の犠牲者氏名を報道している。

 政府が亡くなった10人の氏名を公表したのは、「遺体を乗せた政府専用機が羽田空港に到着した25日。内閣記者会の常駐する記者室に貼りだし、国会記者クラブ、国会映放クラブ、国会民放クラブにファックスで送信した」。この後で会見した官房長官は、「遺体の帰国後、家族と対面するタイミングを捉え、政府の責任の下に公表することが適当」と判断したと説明した。年齢、出身地、住所は「遺族の意向」で発表しなかった。

 日揮の川名浩一社長が同日、会見を開き、「政府発表以上の詳細な情報の発表は差し控えたい」と語っている。「本人、家族や遺族にこれ以上のストレスやプレッシャーをかけてはならないという考えが根底にある。この考えは決して変わらない」と述べている。「決して」と言う部分に固い決意が見て取れる。3月末の時点で、日揮自身からの被害者氏名の公表は実現していない。

 メディアによる被害者情報の開示要求は、21日前後から、思わぬ反響を呼んだ。国民の代表としての情報開示要求だったが、ネット利用者を中心とした国民の側は遺族への配慮をより重要視し、マスメディアへの反発が膨らんだ。

 実名報道の是非についての対立が明瞭になった1つの例が、1月21日、毎日新聞社会部長小川一氏がマイクロブログ・サービス「twitter」でつぶやいた発言である。「亡くなった方のお名前は発表すべきだ。それが何よりの弔いになる。人が人として生きた証は、その名前にある。人生の重さとプライバシーを勘違いしてはいけない」。これに対し、「そっとしておいてほしい」(yokorocks)、「報道機関っていうのはホント悲しみを食い物にして視聴率や部数で利益を欲しがる、そんな強欲なセイブツなんだろうか?」(northfox_wind)というツイートが続いた(表記は原文のまま)。

 22日、犠牲者の一人の甥、本白水智也氏が自分のブログで、「実名を公表しない」という約束で対応した朝日新聞の取材にもかかわらず、掲載された記事には実名とフェイスブックの写真が「無断で掲載されていた」と書いた。「ただでさえ昨夜の発表(注、叔父の死の政府発表)を受け入れるのが精一杯の私たち家族にとって、こんなひどい仕打ちはありません。記者としてのモラルを疑います」と批判した。

 23日、本白水氏は「叔父の子供が住むマンションに報道各局が押し寄せ」、「近隣に迷惑をかけて」いる、「やめてくれ」とツイートし、同日、朝日新聞社長にあてた抗議の書簡を出した。

 同じ日、ITジャーナリストとして著名な佐々木俊尚氏(元毎日新聞記者)が自分のブログで、先の小川氏のツイッターに間接的に触れ、「新聞記者は『一人の人生を記録し、ともに悲しみ、ともに泣くため』などと高邁な理想で被害者の実名報道の重要性を語るけれども、実際にやっているのはメディアスクラムで遺族を追い掛け回しているだけ」、と書いた。Twitterで17万人を超えるフォロワー(Twitterの呟きを追う人)を持つ佐々木氏の発言は、ネット界で大きな影響力を持つ。

 この日の夜、テレビ朝日のニュース番組「報道ステーション」が、当時分かっていた7人の犠牲者の名前を報道した。日揮の要請を受けて、政府は犠牲者の名前を公表していなかったが、「喜怒哀楽を抱えて生きてきた人生」が「断ち切られてしまった」その無念を「お名前で伝えさせていただく」と司会者が前置きをしての報道だった。この実名公表の決断は、ネット空間で大きな批判の嵐を呼び起こした。

 一方、24日付の産経新聞記事では、岡田浩明記者が、政府が死亡者の氏名や年齢を公表しないでいることについて「説明責任の観点から情報隠蔽(いんぺい)の批判にさらされかねない」と書いた。

 こうして、25日の政府による正式発表以前、マスコミ側の焦燥感は募るばかりとなった。

 同じ頃、Yahooのニュースサイトに設けられたクイックリサーチ(簡単な質問にウェブサイト上で答える仕組み)によると、「氏名を公表すべきだ」が1万6335票(約30%)、「公表すべきではない」が3万7241票(約70%)で、ネットユーザーの圧倒的多数が「公表すべきではない」を支持していた。

 元産経新聞ロンドン支局長で現在はフリージャーナリストの木村正人氏は、実名報道を求める報道機関と集団的過熱取材による報道被害を懸念する市民感覚との「かい離」を、自分のブログ(23日付)で指摘した。

 同氏は同日付で数本の投稿を行い、その中の1つ(「僕は『Aさん』では死にたくない」)では、「みんなで泣き叫んだり、怒ったり、笑ったりする記憶を共有する社会は『匿名』の中からは生まれてこない」と書いた。

 一連の木村氏のエントリーには多くの否定的な意見が寄せられた。「悲しんでいる遺族の所にマスコミがメディアスクラムを組んで押しかけるのは許されない」、「遺族が否定する犠牲者の氏名をマスコミは何の権利があって公表するのか」など。

 木村氏は、「高度経済成長を経て、次第に個人の権利意識が高まり、プライバシー保護が重視されるようになった」現在、「匿名発表」や「匿名報道」が市民権を受けるようになったのに対し、マスコミは「なぜ実名報道を原則とするのか」の「十分な説明を怠ってきたのではないか」と問いかけた。

 全国の新聞社が加盟する日本新聞協会は、2006年末に出版した小冊子「実名と報道」の中で、実名報道の意味を、「訴求力と事実の重み」、「権力不正の追及機能」、「被害の事実と背景を広く訴える」、「実名の尊厳」(氏名は人が個人として尊重される基礎)として挙げる。

 実名報道の現状を英国に留学して研究した経験を持つ共同通信の澤康臣記者(ニューヨーク支局次長)は、「ニュースは社会に生きる一人一人が何をし、何に巻き込まれたかを記録し伝えるもの。どんな人でも社会と歴史の主人公だというのが実名報道の立場だと思う。でもそれは時に大変残酷で、申し訳ない面を持つ。それを重く受け止め謙虚に取り組むべきだ」と筆者に語る。

 実名公表の是非議論を通して、メディアスクラムに対する一般市民の嫌悪感、メディア報道への不満が一気に噴出したが、時事通信社会部の柴田裕之記者は「新聞協会報」の署名記事(3月5日付)の中で、一連のメディア批判は必ずしも正しくなかったのではないかと疑問を投げかける。

 同氏は、犠牲者や生存者を独自取材で割り出す取材を続けたこと、慎重に遺族取材を進めたことを記す。日揮側の「遺族にストレスを与えたくない」としたコメントがネット上で「断片的に引用され」、「メディアスクラムを既成事実化する書き込みが散見された」と指摘し、「事実と異なるメディア批判の呼び水になったとすれば残念というほかない」と書いた。

―スウェーデンでは

 犯罪事件の被疑者、被告人を匿名で報道するのがスウェーデンだ。
 
 月刊誌「Journalism」(2009年5月号)に掲載された、高田昌幸氏(当時北海道新聞記者、現在高知新聞記者)の現地取材によると、スウェーデンでは、「政治家・公務員、大企業経営者らが職務に関して犯罪や不正を働いた場合を除き、一般私人の犯罪は判決確定まで、ほとんど匿名で報道する」のが常だという。

 高級紙スベンスカ・ダーグブラーデットの編集局次長は「名前や現場住所を抜いても詳細な報道はできるし、読者は容疑者氏名を知らずとも、事件の背景、問題点は理解できる」と高田氏に語り、大衆紙アフトン・ブラーデットの編集局次長は、「司法のプロセスをきちんと伝えるのが報道の役割だ」、「容疑者逮捕は警察の仕事であってメディアの仕事ではない」と述べた。

 英国では、報道する側つまり記者の署名記事も含め、事件事故報道でも実名報道が原則だ。ただし、性犯罪の被害者及び18歳未満の未成年が加害者になった場合にのみ、匿名となる(重大事件は別)。実名報道の歴史があるので、事件発生時には実名が出るという認識が社会の中で共有されている。

 国際的な犯罪事件、テロ事件が発生すると、英外務省・政府は外部に公式に出す情報について非常に慎重になる。犠牲者、負傷者情報の公表は、家族・遺族の了解後になるが、必ずしも自らは情報を出さない。今回は、BPの犠牲者について正式に情報を出したのはBP自身であった。

 BPによる氏名発表(3人分)は、先述したが、1月28日。日本政府の25日発表と比較し、遅れること3日である。BPによる同社の最後の犠牲者の名前は2月12日に発表されている。その一方で、1月21日ごろから英メディアは遺族の協力を受けながら、氏名を報道している。

 「実名報道が実現したかどうか」と言う点において、日本も英国も最終的結果は一緒になった=実現した。しかし、英国では、遺族やプライバシーに配慮しながら、公表内容や時期をずらすことはなんら報道の自由とは衝突せず、むしろこうした配慮がなされることが当然と考えられていたという点で、政府による実名報道の(早急な)公表を迫り、「権力と対峙するメディア」という争点を作ったように受け取られてしまった、日本の場合と一線を画したように思う

―匿名社会は何をもたらすか

 共同通信の澤記者は、「日本のネット社会はとりわけ匿名で出来事を記述する志向が強い」と語る。「ウィキペディアの同じ項目で(英語版では実名が入っている場合でも)日本語版は匿名になっていることがあるのは特徴的だ」。

 同氏の観察によれば、「日本は既に匿名記事やモザイク映像が英米に比べ極めて多く、だから『匿名で社会に参加できる』という考え方が広まった可能性がある」、「取材に応じてくれた方に名前を出すことのお願いすらせず匿名記事にする記者が増えていると聞いて驚いた」。

 もし、日本で匿名化があらゆる報道に拡大した場合、行き着く先はどうなるのだろう?

 澤氏は、著書「英国式事件報道 ―なぜ実名にこだわるのか」の中で、公開の場所から人の名前が消える「匿名社会」は、市民の共感、そして連帯をも妨げる」のではないかと指摘した。

 民主主義社会で「主権者である私たちが主権者として行動するため欠かせない『知る』ということを提供」する存在としてジャーナリズムを捉える澤氏は、メディアと国民(=私人)とのあるべき関係をこのように説明する。

 (民主主義社会の中では)「観客とステージがつながっているかのように、どんな『私人』であっても誰もが意見を言い、意見を求められる。その中にあって記者は、つらい立場の人を気遣いながらも、声の小さな人や少数派である人ほどに多くの意見を言ってくれるよう促し、励ます存在でありたい。それも衝立の向こうではなく、こっちに来て話してくれませんか、と。私たちの社会で生きる隣人、一人一人の人間としての同僚市民に心を寄せ、お互いの声を響かせあうマス・コミュニケーションとなるために」。

 氏名公表をめぐる大手メディアの実名の主張と国民の間のマスコミ批判や匿名志向との「溝」を埋めるためには、この「社会で生きる隣人、一人一人の人間としての同僚市民に心を寄せ」る努力が、いま一度必要なのではないだろうか。
(終)
by polimediauk | 2013-05-01 06:38 | 日本関連