小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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カテゴリ:日本関連( 104 )

 (さなえさんに押されるようにして・・・すみません、使い立てして・・。)

 20代で村上氏を読み出して、彼がいなかったら、多分今こうやって文章を書いていない位、影響を受けては来たのだけれど、ここ数年、もしかしたら、村上春樹はどこかがずれているのではなかろうか?と思ってきた。

 私は文学に関してうとく、映画を観ても、人とは全く違う視点で見てしまうこともあるので、「私のほうがおかしいのだろうな」と思って過ごしてきた。

 あれ?と思ったことの最初は「ノルウェーの森」だった。「ハードボイルドワンダーランド」がとても好きだったのだけれど、どこか「違う」感じがした。「ノルウェー」は大ベストセラーになった。

 地下鉄サリン事件のことを書いた「アンダーグラウンド」を買おうと思って立ち読みしていたら、本当にほんの小さなことなのだけど、ある欧米系の人が中に出てきて、その人が「ジョン(ジョナサンかもしれないが、とにかく英語系の名前)さん」として表記されていた。ずい分前のことなので、記憶に間違いもあるかもしれないが、この時私は、「違う」と、また思った。この時の思いを上手に説明できないが、ジョンは「ジョン」であって、「ジョンさん」(ファーストネーム+さん)としてしまうと、日本語体系の中にこの人を引きずりこんでしまうというか、「日本人が想像するところのジョン」になってしまう感じがした(本は買わなかった)。

 それ以降、氏の非常にこなれた日本語の翻訳本が出る度に、これはいわゆる「村上化したフィッツジェラルド」、「村上化したトルーマン・カポーティー」なのではないか?と思い、違和感を感じるようになった。

 その後もいくつかあったが、最近のケースでは、英国でも彼の文学が人気になり、昨年ぐらいに、BBCが特集を組んだ。プロデューサーが村上氏にインタビューをするのだが、何と、声を出すことに合意が出ず、ある声優がインタビューで村上氏が言ったことを読み上げた・再生したのである。

 これはかなり変わっているな、と思ったけれども、「作家として、自分のイメージを大切にしたい」ということなのだろうという解釈も出来る。それだけ自分の仕事に真摯な人なのだ、と。

 先日、「海辺のカフカ」を読んだのだけれど、最後まで読んで、頭は疑問符で一杯になった。作家としては何度も読んで欲しいのかもしれないし、読者に結末や意味するところを自由に想像して欲しいのかもしれない。思い起こせば、昔の「ねずみ男」の存在も含め、常に読者に想像の余地を残しておくことがあったようだった。だとすれば、今回もそうなのだーそれにしても、ここまで疑問符が一杯つくようだと、これはひょっとしたら、村上氏は別世界に飛んでいってしまったのではないか?あるいは、あまりにも人気作家なので、「ここをこうしなさい」という人がまわりにいないのだろうか?つまるところ、カルトの作家なのだろうかー?

 思いは乱れたが、最初にも書いたが、私は文学作品を殆ど読まないので、きっと経験や想像力が足りないのだろうなあ・・・と思ってまた日が過ぎた。

 そして、イスラエルの文学賞でのスピーチのことを知った。

 この件に関しては、既に日本語に訳していらっしゃる方がいるし、また、一部ブログでは称賛されているらしい。称賛・・・というのが本当に不思議だった。

 というのも、一部では、村上氏がイスラエルに行って、「ガザ空爆を批判した」という解釈があるらしい。しかし、私にはどう見てもそうは読めないのだ。

 私がこのスピーチのことを知ったのはエルサレムポストの記事だったが、「卵と壁」に例えて話す・・というのがどうもこそばゆい感じがした。途中まで読んで、どうしても読む気がなくなってしまうのだ。

 私がこのスピーチがおかしいと思うのは、まず、何を言おうとしているのか、殆どよく分からないこと。何十年も続く紛争を卵と壁に例えるのも、ぴんと来ない。村上氏は英語が分かり、米国で教えていたこともあるぐらいだから、イスラエルのことも知っているだろうし、紛争のことも十分知っていると思うのだが。

 読んでいると、airy, fairy・・つまり「ふわふわ」(非現実的・空想的)としていて、意味がないように聞こえる。リアルな思い、リアルな痛み、怒り・・なんでもいいが、リアルな感情が伝わってこない。

 言葉を使って書く人が何故?と思う。英語を知っている人が何故?

 このエアリー、フェアリーな感じは、平和の大切さを叫んでいれば、世界に平和が訪れる・・と考える人にどこか似ている。

 ・・・と私は思っている。
by polimediauk | 2009-03-11 06:43 | 日本関連
 「日経ビジネス」のサイトが15日からリニューアルした。

http://business.nikkeibp.co.jp/

 私が今作っているサイトのレイアウトとちょっと似ているところがあった。こういうデザインは今トレンドなのかもしれない。

 どこが新しいのかの説明を見てみると・・・。

http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090114/182626/

 (引用)

 日経ビジネスオンラインは、組織を変革する創造的な個人に役立つサイトでありたいと考えます。既存の答えが用意されていない課題を解決するための発見、気づきがある記事に巡り合える場です。そのため、異論を重んじる雑誌の複眼思考をさらに進めて、多様性に富んだ記事ラインアップ、1つのニュースへの多面的・重層的な論説を充実していきます。そうした色彩が強い、おすすめ記事を毎日「Breaking Views」として最上部に配置しています。

 (中略)

 2008年のリーマン・ショック後、世界経済の変調が鮮明になりました。これまで繰り返した景気後退にとどまらず、資本主義の仕組み、企業経営の常識、働くことの意味など経済の本質的な部分が大きな転換点を迎えた可能性も指摘されています。国や社会、組織という枠組みが揺らぐ海図のない時代、成長への突破口は個人の創造性にあります。

 企業、市場、政治から世相、サブカルチャーまでの幅広い分野。日経ビジネス・日経ビジネスオンラインの記者だけでなく、企業の実務者、会計士、弁護士、大学の研究者、小説家やコラムニスト、フリーランスジャーナリストなど多彩な執筆陣。欧米メディアに加え、アジア各国の現地メディアが掲載した記事。

 こうした記事の多様性の中に、見通しにくい時代の先を示すヒントが必ず隠れているはずです。(引用終わり)

 そして、スェーデンで障害者集団が働く会社を紹介する記事が・・・。アジアのニュースも紹介。欧州にも目が行く。

 なんだかすごく面白い感じになったなと思う。「個人の創造性」を鍵にしている点もいい感じだ。

 先日、在英日本人で日本から帰ってきたばかりの人と会話をしていたら、「日本はずい分変わった」という話で、NHKの番組がおもしろく、既存メディアが活性化している話を聞いた。その人の話では、「ネットでの言論は『終わった』」のでは?とも。

 ネット(オータナティブメディア)に行けば何かおもしろいこと、既存メディアがカバーできない何かがある、という時代は、ある意味、確かに終わったのかもしれない。既存メディアが捨て身で、本気でネットで何かをやろうとしたら、強いのかもしれない。

 この「強い」というのは、必ずしも「お金がもうかる」ことを意味しない。

 多彩なアイデア、考え方が自由にたくさん出て、個人(仕事もするし、遊びもするし、子育てや料理もする)の生活が前よりも知的に深まったり、楽しくなったり、危機に対応する手段や考え方が増えたりすることに貢献できるーそういう意味の強さ。新聞やテレビ・ラジオは今までずっとそうしてきたと思うし、ネットでもこれを本気でできたらおもしろい。

 今このサイトを読まれている方で、日経を嫌いな人、新聞が嫌いな人、「マスゴミ」と思っている人は多いと思うけれども、「国や社会、組織という枠組みが揺らぐ海図のない時代、成長への突破口は個人の創造性」にある、という発想はやっぱり新鮮だ。「個人としてどうするか?」ー今これしかないと思う。

 翻って英国では、中東やアフリカの話が多い。ガザの件があるから、というのもあるが、フランス、ドイツ、オランダなど、近隣欧州諸国の話がめっきり少ない。思い出したようにやる、という感じ。欧州でもやるのはロシアと東欧か。いつもどうも固定観念がある。目隠しをされている思いがする。ネットでニュースは拾えるけれど、日常的に欧州他国の日々のニュースが,普段のなんでもないようなことなどが報道されておらず、ステレオタイプがどんどん増えていく。

 イスラエルーガザの件も、昔は親イスラエル報道だったそうだが、今は親パレスチナが主のようだ。これについては稿を改めたいが、日本のメディア報道に関しては、デイズ・ジャパンの広河編集長が詳しく書いている。ご参考までに。

http://daysjapanblog.seesaa.net/article/112508511.html
by polimediauk | 2009-01-15 07:55 | 日本関連
 「クーリエ・ジャポン」10月号には、「米国メディア戦争」と題して、マードックのウオール・ストリート・ジャーナル紙買収の分析記事(翻訳)が載っている。米「アトランティック・マンスリー」の記事がオリジナルだ。米国側から見るとこうなのかなあと参考になる。「FT記者が分析する英・米のジャーナリズムはこう違う」という記事も。米国のジャーナリストたちは自らを弁護士や銀行員と同じく世間的に「立派な職業」に従事していると考えている・・・そうである。英国では、「ジャーナリストは自らをアウトサイダーだと規定している場合が多い」。

 例のロシア・グルジア・オセチアの話もたくさん載っており、その一つはFTの記事で、グルジア・サーカシビリ大統領の評価をクエティン・ピール記者が書いている。元記事の日付が出ていないが、「遅すぎた革命家、サーカシビリの野望」という題がつく。大統領の行動が性急過ぎたのでは?という視点。ロシア、グルジアの紙面、ウクライナとのリンクなど、読み応えのある構成になっている。(「コーカサス国際関係の十字路」集英社新書、書店ですぐ見つかりました。)

 「クーリエ・ジャポン」の本物誌面を手に取ったのは初めてだったが、これは非常におもしろいなと思った。(元記事のアドレスや日付が一切ないのは、翻訳として加工しているせいなのか?)世界のメディアといっても、主に英・米・欧+アジアで、アラブ系の定期メディアは特には入っていないようだったけれど、英米とは言え、日本で紹介されていない記事でおもしろいものがたくさんあるようだから、これはこれでいいのだろう。

 日本特集で「A・キャンベル」という人が書いた村上春樹の記事を思わず最初に読んだが、英国にいる人なら誰でも知っている「あの」キャンベル氏が村上春樹のファンだったとは(それにレズビアンに恋した男の物語「スプートニクの恋人」が好きだったとは)、(大)驚愕だった。で、細かい話だが、英国に住む皆様、キャンベルとは「アリステア・キャンベル」(=スピン・ドクター、元国防省顧問ケリーさんを間接的に殺したかもしれない人、イラクの大量破壊兵器の脅威を誇張させた張本人)なのですよ。で、キャンベル氏は「英国の著名政治家」となっていた・・・・。目次と記事の見出しで。いつ彼は政治家になったのだろう?これはもしかしたら、もしかしたら、間違いではなかろうか?

 それでも、次も読みたいと思わせる雑誌だった。

 
by polimediauk | 2008-09-11 20:21 | 日本関連

「論座」が休刊

 東京は連日30度。すでに去ったと思った夏の真っ只中にまた来てしまった感じだ。

 日本に来て、しゃれた表紙(9月号は赤、10月号はグレー)の「論座」(定期購読中)を手にした。10月号?と思っていたら、休刊になったそうだ。実に残念である。(定期購読した分は払い戻しがあるのかどうか?)

 非常に自由な感じがあって、作り手自身が何かしら楽しんでいる雰囲気が出ていた(泉谷しげるのインタビューが印象に残っている)。「フォーリンアフェアーズ」の翻訳も日本と英米圏と間の論考の溝を埋める役割を果たしていたと思う。書評も長くて面白かった。これほど楽しさ、自由さが満ち溢れていた雑誌が休刊になるとは。他の月刊総合誌「中央公論」が赤字に苦しみ、抜本的見直しが検討されている、と「選択」9月号に出ていた。雑誌の冬の時代か。

 10月号でコラムニストの小田嶋隆さんが、「雑誌の場合、文字の組み方や飾り罫の使い方から立ちのぼってくる何かが、誌面の雰囲気のみならず、雑誌自体の文化的な立ち位置を決定しているみたいなところがある。これは、紙の媒体にしかない特徴だ」。

 紙媒体にしかないのかどうかは別としても、「論座」の場合、本当に独特な何かがあり、これが消えたことを繰り返しになるが残念に思う。

 で、話は日本の総合誌の話になるのだが、論座9月号に林香さん(東京大学大学院情報学准教授)がコラムの中で、「業界用語で言う総合月刊誌」が「女性をまったく取り込めないでいる商品のよう」であることを指摘している。林さんによれば、中央公論の読者の93%が男性で、論座は主要記事27本のうち、女性が書いたのは3本のみだった。逆に、論座自身が9月号で女性誌を分析している。日本の女性誌を見ていると、「女性は大変だなあ」といつも思ってしまう。女性誌の言うことをまともに受けとるほうがおかしいと言わざるを得ないのだろうが、完璧に化粧をし、周囲から浮かないように細心の注意を払い、「かわいい+セクシーな女」であり、かつ料理も上手・・・を要求されている感じがする。

 論座の編集後記(10月号)を読んでいると、「まだどこかでお会いしましょう」という表現をしていた人が複数いた。これからも編集職につくだろうから、そういうことなのか、それとももうすでに朝日新聞関連で次の職が約束されているのだろうか?読者はいったいどこへ行けばいいのかと思ってしまう。(・・・などと考える自分は本当に少数派だったのだろうか?休刊になってしまったのだから。)
by polimediauk | 2008-09-09 22:22 | 日本関連
 オーマイニュースが、「オーマイライフ」になった。開けてびっくりである。

http://www.ohmylife.jp/life/money/catetop.php?s=&p=&c=10000
http://www.ohmylife.jp/life/info/declaration.php

 オーマイニュースが「生まれ変わった」という説明があったけれど、「全く別物」としか言いようがない。残念である。跡形もなく消えてしまった感じがするのは私だけではないだろう。この2つをどんな意味でもつなげるのは難しい。新しい方は、結局のところは見て分かるとおり、マネーサイトであろう。マネーサイトでも悪くは全くないが、「同じだが、変わった」という形で説明するのは無理がある。

 既にマイニュースジャパンなどが伝えていたように、前のオーマイニュースの従業員は(ほとんど)全員が解雇になったのは皆さんももうご存知だろう。

http://www.mynewsjapan.com/reports/897
http://blog.goo.ne.jp/koshidasui/e/0efff02489d2cbd46b58a7f09c92c62a
http://blog.dandoweb.com/?eid=37272

 ブログ時評の団藤さんが上記コラムで書かれている部分が心に残る。
(以下引用です)「本当にこれで良いのかが問題です。私は、ブログ「ハブ」機能も持ちつつ、何のために書くのか、ジャーナリズムの意味を勉強し直して、取材や情報収集の訓練も積んだ次世代・市民メディアが生まれても良いと思い始めています。何も企業体である必要もなく、初めは小さなブログ連合体でも良いでしょう。かなり本格的なサーバーをポケットマネーで維持できる時代なのですから。」(引用終わり)。


 何故こうなったのか?どうしてニュース専門メディアが育たないのか?と自問するが、大手新聞社のサイトなどに加え、ブログ、それにヤフー・ニュースがあればいらないのだろうか?

 オーマイニュースが止まってしまったのにはいろいろな理由があるだろう。私は外から見るだけ(記事も2,3本書いたけれど)だから、会社内の人事的なことは知らない(マイニュースジャパンの中で書かれているようなこと)。しかし、最初に鳥越さんの編集長でかなり盛り上がったのに、その後、反韓的な書き込みがずっとあったような気がする。あれでずい分、「自由にものを言える」雰囲気が消えて、編集部は妙に用心深くならざるを得ず、どうも自由におおらかに、楽しく・・・にはならなかったように思う。市民記者もおいそれと心に浮かんだことを書いてみる・・・なんて感じにはなれない。

 それと、一読者として読んでいると、「もう一歩突っ込んで欲しい」と思うことが多々あった。それは、自分が新聞型の記事の構成になれているからそう思ったのかどうか分からない。かゆいところに手が届く前に、記事が終わってしまう感じがあった。「これがニュースになるのかなあ?」と思うことも多かった。でも、「ニュースとはこれだ」という既成概念に自分がとらわれすぎているのかもしれないと思ったりもした。

 3月、東京で平野編集長と話した時、編集室が忙しいこと、なかなか編集室と市民記者たちとが記事を「練り上げる」ところまでいかない(時間の制約で)こと、ある程度しっかりした記事を書く・編集ができる人材を得ることの難しさを聞いた。オーマイニュースが当初の形で続かなかったのは、広告が十分に取れなかった(あるいは高い広告料を取るほどの十分なアクセスがなかった?)とかの、結局は財政上の理由になるのだろうけれど、読ませるコンテンツを長く続けることができなかったという部分も大きかったのではないだろうか。

 純粋にジャーナリズムの視点から言うならば、市民記者に限らず、プロの記者に限らず、一定のレベルの読ませる記事を書くには時間とエネルギー(+経験も?)がいる。これを継続してやっていくには、本当に、本当に大変なのだ。オーマイニュースは息切れもあったのかどうか。

 
by polimediauk | 2008-09-02 07:20 | 日本関連

毎日新聞の謝罪

毎日新聞が「Wai Wai」で不適切な記事が掲載されていた件で、謝罪し、検証結果を20日付で紙面とウェブに掲載した。

http://www.mainichi.co.jp/home.html#02

 思わず読みふけってしまったが、「悪いところは摘出しました」という感じで、やはり、読者に向けてのメッセージとしてはこういう風になってしまうのだろう。

 いろいろな方がいろいろな感想を持つのだろうし、パーフェクトな謝罪・検証はないかもしれない。それでも、毎日自身がそう思っているというよりも、「読者があるいは世間がそう受け止めているから」ということで、書かざるを得ない表現もあったと思う。

・・・と前置きをしてからだが、謝罪や検証記事を読んで、疑問を持つ、あるいは違和感を感じた点は結構多かった。

 まず、「海外に出た」こと自体が1つの問題であったかような文脈だ(そうせぜるを得なかった事情は理解できるけれども)。たとえどんな内容(日本人として恥ずかしいと思うかもしれないことでも)であれ、日本で出版されている内容が、外に出て悪いことはないだろう。情報を日本内だけで隠し通しておける、と思う方がおかしい。私が今回の事件でまずいと思ったのは、毎日新聞の日本語版では出さない(編集規定に反するなど)と判断されるような内容が英語版で出たことだ。何から何までぴったし同じである必要はもちろんないが、「毎日」のブランドでパッケージとして出す場合、基本的に言い訳は絶対にきかない。日本語で読むにしろ、英語で読むにしろ、読者は「毎日の編集基準に沿ったもの」として読むのである。ある情報を毎日のサイトで出しておいて、「これは毎日ではない」とは言えない。

 海外向けの顔と日本向けの顔を変えてはいけないと思う。もちろんもっと説明がいる、海外読者が読みたがるトピックと日本の読者がおもしろがるものは違うかもしれないから、適宜さまざまな編集作業があるとしても、倫理規定とか根幹になる部分を変えてはいけない。また、海外向けに、ことさら日本の良い面ばかりを強調する、あるいはことさら悪い面や困惑する事実は報道しない、ということが(毎日はそうすると言っているわけではないが)、あってはならないと思う。

 それと、「外国人スタッフが」という言葉が何度も出てくる。これが非常に日本的な感じがする。何故、英文毎日の外国人スタッフと日本人スタッフを分けるのか、という問題だ。どちらも英文毎日の「スタッフ」ではないのだろうか。仕事内容や雇用体系が若干違っていても、同じ仲間ではないのか。直接は書かれていないのだけれども、「外国人=日本の知識が少ない」、「日本人=事情を良く分かっている人」という分け方をしているのだろうか。どうも差別に聞こえてしまう。どちらも「プロ」として仕事をまかされていたのではないのだろうか。それとも、外国人スタッフは1つ下の存在だったのか?国籍はどうであれ、日本に関しての記事を書く・編集するには十分な知識と力量があるからこそ、雇われていたのではなかったのか?「外からやってきた人」が起こした問題、と片付けたがっているような感じがする。

 編集チームの上司(部長職)の役割も十分に機能していなかったようだ。これも非常におかしい。どこかに「歴代部長は英文の紙面内容を十分に理解していなかったのでは」という反省も書かれてあったと思う。部長の立場では紙面内容のすべてをみる必要はないだろうけれど、一般的に、「十分には理解していなかった」状況はよくあることかもしれない・・・残念だが・・・。

 そこで、今度は女性の編集長になるという。これも驚きである。女性の視点が足りなかったから、というのが理由だ。女性の視点は女性でないと持てないのだろうか?男性の視点も女性の視点も分かる人がいない、あるいは編集長になれないのだろうか?この人は日本人なのか(多分?)、それとも「外国人スタッフ」なのか?ウェブの英文マイ地のスタッフは「外国人5人、日本人2人」という表記があった。とすると、いわゆる「外国人」スタッフはある程度の自由裁量を与えられ、おそらくは誇りを持って仕事をしていたのではないか?一人前の「スタッフ」として、仕事をしていたのではないか?しかし、今回の事件で、悪いのは外国人スタッフという結論にしゅうれんしつつあるのかもしれず、一体どんな思いでいるのだろう?事件が起きてから、はしごをはずされた、という感じをしている人もいるのだろうか?問題となった記者には、「編集長」という名刺を提供されていたという。これは結構重い。社外の人で彼に会った人は、もちろんこれを額面どおりに受け取ったであろう。

 諸所の理由から、具体的な表現が何であったかなどに関して、深い説明はなかった。若干の短い説明からは、実際のところ、それほど「不適切」な感じはしなかった。日本で出版されている雑誌でそういう記事が出ているのなら、そして出所が記載されているなら、これ自体は問題がないだろう。個人的に付け加えたところもあったようだが、表現自体が問題なのではなく、「毎日がやった」ところが問題だったのだろう。信憑性、おすみつきを与えてしまったからだ。(以下、内容説明を謝罪・検証記事から貼り付ける。)

掲載した原稿は基本的に、雑誌名を示し、表紙の写真を付した上で、導入部で記事全体を要約し、第2段落以降で元の記事を紹介するというスタイルを取っていた。原稿は1本あたり600語程度で、うち6~8割が転載だった。
 掲載された記事には「料理、獣、悪徳とその愛好者」というタイトルで異常な性的嗜好(しこう)の話を取り上げたもの(07年9月)や、「古くから伝わる米の祭りでは、お肌に効果がある洗顔クリームが評判を呼んでいる」というタイトルで日本の伝統的な祭りを性的な話題に結びつけたもの(05年12月)などが含まれていた。エクアドルやベラルーシなど外国で日本人観光客が違法ツアーに参加しているという記事(03年7月)もあった。いずれも事実の裏付けもないまま翻訳して記事化していた。
 未成年者の性に関する記事などを不適切に取り上げたり、翻訳元に掲載されている数字を算出根拠などを明確にせずに使用して誤解を招いたり、数人の女性のコメントから成り立っている雑誌の記事を「日本人女性の間で増えている」といった表現で一般化するケースも確認した。
 また、防衛政策を美少女キャラクターが登場する漫画で紹介しているという月刊誌記事を07年7月に取り上げた際、導入部の防衛省の説明に「真珠湾攻撃と南京大虐殺で世界に名を知らしめた政府省庁の後継」と加筆したケースがあった。担当記者は「美少女とのギャップを浮かび上がらせるために書いた」と語った。

by polimediauk | 2008-07-20 16:07 | 日本関連
 フィナンシャルタイムズの3日付記事(紙は4日か)、Japan goes missing: invisible host at the summit を読んで、「やられたな!」という感じがした。当たりすぎているような・・・。英国内で感じる「Japan passing」、存在感のなさ。これが最近、頭にあった。存在感のなさに関しては、経済大国であるからといって、地理的(心理的にも?)に遠い日本のことを、かつ英国の植民地でもなかった日本のことを、英国でよく議論されることを期待する方がおかしいのかどうか。まずは「英国・欧州から見ると・・・」という視点であることを確認したい。

 それを踏まえて読んでも、やはり、「顔がない国=日本」と言う主張である。何となく、最後まで読むと、ほろっとしてしまう。

http://www.ft.com/cms/s/0/15ac9456-48fe-11dd-9a5f-000077b07658.html

 ヤフーニュースには産経記事とブロガーの方たちのコメントもある。大体が「言えてるなあ」という感想を持ったようだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080705-00000112-san-int

 私なりに若干心に残ったところをあげると、

 「・・・問題は地理というよりも、むしろ心理的なものだ。・・・日本は未だに世界第2の経済大国だが、政治的には全く見えない存在だ」

 「G8の他の国は自分の国がこれだと思うプロジェクトをアピールするためにサミットを使ってきた・・・・日本には、どうしても、という優先事項がないようだ」

 「私は世界中の国際会議に出席してきたが・・・そこでは各国政府が新しい地政学的なランドスケープがどうなるかを探るため、水晶玉をのぞきこむけれど、日本はこうした会議に殆ど出席しないのだ」

 「80年代には日本はライジング・パワーだった・・・今でも人々はトヨタ、ソニー、東芝の製品を使っているけれど、急激に変わるグローバル・パワーのバランスに関する議論の中で、日本は後からの思いつきのような存在になっている」

 冷戦が終わり、西側の一部として、共産主義圏に対抗する中での日本という時代も終わったとコラムニストは見ており、中国が台頭する中で、日本がこれからどうしたいのか、どんな国になりたいのか?を問う。「日本はコンパスをなくした国に見える」、「日本のアイデンティティーをどうするのか」で今後の選択肢が決まってくるー。

 結局のところ、書き手=FTの政治コラムニスト、フィリップ・スティーブンス氏は、日本に、日本人に、これからどうしてやっていくのか、じっくり考えて欲しいのだろうと思ったし、「どうやっていくかなあ・・・」と自分ながらに考え込んでしまった。中国とどうするのか、米国とどうするのか、どうしたいのか?短期的なことではなく、中長期的に自問自答をうながされたような気がした。

 この記事に強い感想を持った方は、スティーブンス氏にメールを出してみるのもいいかもしれない。記事の終わりにメールアドレスがある。

 定期購読制の月刊誌「選択」7月号に福田首相の記事が載っており、「・・・今はただ『失敗したサミット』と言われないよう大過なく議事を消化することだけが日本の目標となっている」、「これでは世界政治で吸引力を持ち得ないのも仕方ない」。「前内閣の閣僚の大半を引き継いで、いつまでも独自路線を打ち出せず、異論反論を気にして全体の調和を重んじる余り決断を先送りするパターンは、政局や政策での煮え切らなさそのままだ」とあった。

 「大過なく議事を消化する」は日本的には悪くないような感じもするのだが、これでは評価されないのだろうなー。いろいろ、考えさせられる。

ーBBC

 私はBBCと9・11テロの際の陰謀説との関わりに関し、「陰謀なし」という説を取るが、6日〔日曜日)、この件に関してBBCが作った番組が放映される。そこで、またBBCのサイト上で議論が起きている。かなり長いコメントがユーザーから寄せられている。これを読むと、「陰謀あり」の人も「なし」の人も、ある程度納得がいくというか、とりあえず一通り論点がカバーされた思いがするのではないか?

http://www.bbc.co.uk/blogs/theeditors/2008/07/controversy_conspiracies_iii.html
by polimediauk | 2008-07-05 21:47 | 日本関連
 日本の青少年を対象にしたネット規制で、状況が未だ全部つかめていない。英国に住んでいると、何故反対なのかがはっきりしない。つまり、「青少年を対象にした、(児童ポルノなどの)ネット規制が、今日本では全くない」のだろうか?

 もし答えが「ない」だとしたら(驚きだが)、規制をする・しないが大問題になっているのだろうか?それとも、「規制する」に関しては社会の中で同意・コンセンサスがあって、「いかにやるか」でもめているのだろうか?

 さっと見た限りでは、「規制するか・しないか」でもめているようにも見える。私の間違いかもしれない。

 いろいろな論点が交じり合っている問題、ということなのだろうか?(それぞれの関係者が、それぞれの観点から反対あるいは賛成している、とか?)

 日本の「青少年を対象にした有害情報のネット規制」が、いわば「パラダイス鎖国」というか、「ガラパゴス」というか、そういう類のことでないことを願っている。日本独特の論理で賛成・反対になっているのかどうか?(ガラパゴス現象の意味に関しては、コメントのまうまうさんの説明をご参考ください。非常によくまとめられています。)
 ・・・ということを、これから調べたいと思っている。(すぐには答えが出ないかもしれないが。漫画の歴史とかを調べないと理解できないかもしれない。私は小学校2年ぐらいで漫画を読むのをやめてしまったので、詳しくはない。)何故これが重要と思うかというと、最近、「ジャパン・パッシング(日本を通り過ぎる)」という状況がある、といろいろな人から聞いた。何だか知らないうちに、日本だけで物事が完結してしまうという現象が生じているのかどうか?他国に日本が合わせる必要はないかもしれないが、世界のほかの地域ではこうなっている・・・ということを、知っておいてもいいかもしれないと思う。

 日本の携帯電話業界が「ガラパゴス状態」にある、という件で、フォト・ジャーナリスト神保さんがインタビューをしたビデオがある。この件を紹介したブログの内容もぜひ一読をお勧めしたい。

 ゲストは総務省総合通信基盤局事業政策課長谷脇 康彦さん
 以下は一部引用。神保さんのブログより

http://www.jimbo.tv/videonews/000460.php

 実際、日本の携帯電話料金は他国と比べてとても割高だ。もともと通話料金が高い上に、高価な高性能端末を安く販売する代わりに、毎月の通話料金でこれを回収することを可能にする販売奨励金分が上乗せされているからだ。日本では極端な場合端末は無料で購入できるが、これはキャリアから販売店に販売奨励金が支払われているためだ。この奨励金のために、販売店は本来の端末原価より安い価格で販売でき、キャリアは月々の通話料でそれを回収する仕組みになっている。販売奨励金のおかげで実際は高価な高性能端末が売りやすくなっている反面、ユーザーは高い通話料金を払わされることになる。同じ端末を長く使う人ほど、また通話の多い人ほど、損をする仕組みでもあり、不公正との指摘も根強い。
 こうした日本独自の「携帯文化」が、海外のメーカーが日本でシェアを伸ばせない原因であると同時に、日本のメーカーが日本で培った技術を世界で活かせない理由にもなっている。しかし、総務省でモバイルビジネスの振興の旗振り役を努めてきた谷脇康彦氏は、日本のこの特殊な携帯文化こそ、これから日本にとっては大きなチャンスになると語る。高速でネットにアクセスできる3G携帯がこれほど普及している国は他にはなく、海外の企業は日本で成功することが、明日の世界の携帯電話ビジネスの成功を約束すると見て、日本進出の機会をうかがっていると指摘する。見方によっては、日本が世界から取り残されているのではなく、世界の一歩先をいっているというのが、谷脇氏の見立てだ。
 しかし、日本がその技術的な優位性を確たるものにするためには、一層の規制緩和と競争が不可欠であると谷脇氏は指摘する。谷脇氏も参加する総務省の研究会「モバイルビジネス研究会」(通称モバ研)は、販売報奨金の見直しや各キャリアがユーザーの囲い込みのために行っているSIMロックの解除、MVNO(ネットワークを持たないサービス業者)の新規参入の促進などの提言を行っている。
(引用終わり)

by polimediauk | 2008-06-24 08:36 | 日本関連
 秋葉原の例の事件で、ビデオジャーナリスト神保さんのトーク・ビデオが非常におもしろい。(一部はそのまま見れるが、全て見るには会員登録。しかし、一月ほんの500円であるのがすばらしい。)ゲストは若者文化やネット事情に詳しい批評家の東浩紀氏だ。

http://www.videonews.com/

 一部を神保さんのブログから引用すると:

http://www.jimbo.tv/videonews/000459.php

 今年に入ってから、土浦連続殺人事件や岡山線路突き落とし殺人事件など、若者が見ず知らずの人を殺傷する事件が相次いでいる。政治家や世の識者らは、動機が不可解なこれらの事件の原因を、若者が抱える『心の闇』に求め、ネットやゲームなど仮想現実の影響として、規制を加えようとしている。現に、町村信孝官房長官が、事件発生直後の記者会見でナイフの規制強化に言及しているほか、サーバーを管理する事業者にネット上の「犯行予告」の書き込みを事前に察知させ、警察への通報を義務づけようとする動きも出ている。

 しかし、そうした場当たり的な規制が、今回のような事件の再発防止に、僅かでも寄与するだろうか。今回の事件について東浩紀氏東(あずま ひろき)氏は「おきるべくしておきた」と語り、この事件の背景には、若者の怒りと不満が爆発寸前まで蓄積している現状があるとの見方を示す。

 東氏は、実際にこのような事件が起きるはるか以前から、いわゆるロストジェネレーションと呼ばれる20~30代の若者たちに、不満や怒りがたまっていることは目に見えて明らかだったと指摘する。だが、昨年、論壇誌で「希望は戦争」と語った赤木智浩が、社会からある種の驚きを持って迎えられたように、彼らの怒りのメッセージはマスコミに無視され、社会には届かず、政治にも反映されてこなかった。また、彼ら自身も、投票による行動やデモなどの政治行動が、彼らの状況を改善するとは到底期待できないと感じていた。政治的な表現の場を失った彼らが、怒りや不満を社会に訴える手段として、ネット掲示板があり、そしてその究極の形としてこのような凶行を選んだと考える方が、今回の事件はより正確に理解できるのではないか。それゆえに、東氏は今回の凶行を「テロ」と呼ぶべきだと言う。事実、ネット上では、加藤容疑者の犯行そのものは断罪しつつも、彼の置かれた境遇については、共感の声が多く寄せられているという。

以上引用終わり。

 このビデオでおもしろいのは、宮台真司氏との対談であることだ。今回の事件を一種の「政治テロ」と見る東氏と、社会学の立場から検証する宮台さんの意見の相違がおもしろい。宮台氏は、超有名だから私が何かを言うほどでもないが、このビデオの中では、独特の分析を披露している。

〈宮台さんのブログ)

http://www.miyadai.com/

 神保さんのブログにこんな表記があるー「あくまでここまで開示された情報を元に判断するしかないが、加藤容疑者のゲームやネット、携帯とのつながりは、現代の若者としては何ら特別なものは窺えない、標準的なものだった。むしろ加藤容疑者の発言を追うと、彼には、携帯サイトに書き込む以外の外界とのコミュニケーションがほとんど存在しない、絶望的な孤独状態にあったことが推察される。東氏は、コミュニケーションが苦手で仮想現実に耽溺していると非難されるオタクたちの方が、むしろ安全であり、今回の事件では、そういう代替物すら持たない状況にある多くの若者を、いかに社会が包摂するかを考えるべきだと指摘する」―。

 「・・・そういう代替物すら持たない状況にある多くの若者」-。こういう若者たちを一括して表現する言葉はあるのだろうか?世代や性差、趣味などによって、ある特徴を持った人々をある言葉で大雑把にくくってしまう作業を私たちはよくするが(それはオタクかもしれないし、ギャル、あるいはオヤジ、無数にあるだろう)、今回、どうもぴったりした言葉がないか、まだ出来ていない感じがする。「ワーキング・プア」に相当するような言葉が、そのうち出てくるのかもしれない。・・というようなことを考えるのにこのトークビデオが役立つ。
by polimediauk | 2008-06-16 06:47 | 日本関連
 グリーンピースと捕鯨の件で、日本ではひとしきり議論が終わったかもしれないが、グリーンピース側の話・見解をベリタが無料記事で出している。

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200805311648336

 ーー西濃運輸からの鯨肉持ち出しは「窃盗罪を構成しないと考えている」としたうえで、米核実験場では抗議する市民による平和的な「不法侵入」が行われて逮捕者が繰り返し出ている例などをあげ、「暗黙の了解で進められる国策の暴走」を止めるために必要な行動があるとの論旨で一方的な批判に反論、「問題の本質が議論できる市民社会になっていくことに寄与できればよいと思う」と結んでいるーーというもの。

 この件、一体どう考えたらいいものか?この記事からグリーンピースのサイトに飛ぶようにもなっていて、米国の「ペンタゴンズペーパー」の話もあり(詳しくはサイトを読んでいただきたいが)、「え?」と思う。(サイトでの説明は、論旨がどうもすっと頭に入ってこなかった・・・。無念。)

 ・・・しかし、私自身はやっぱりひっかかる・・・持ち出しの件は。多分、議論をすれば論理では負けるとは思うけれど。この一件は「これもアリだった」と、もし納得させられたとしても、「目的のためには手段を選ばない」という雰囲気が伝わってくるようなのが、自分にとってはどうもなあ・・・と。一つの目的を達成するための運動団体の考え方と一市民+ジャーナリストの私の考え方が違って当たり前なのかもしれないが。
by polimediauk | 2008-06-01 06:50 | 日本関連