小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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カテゴリ:日本関連( 101 )

「論座」が休刊

 東京は連日30度。すでに去ったと思った夏の真っ只中にまた来てしまった感じだ。

 日本に来て、しゃれた表紙(9月号は赤、10月号はグレー)の「論座」(定期購読中)を手にした。10月号?と思っていたら、休刊になったそうだ。実に残念である。(定期購読した分は払い戻しがあるのかどうか?)

 非常に自由な感じがあって、作り手自身が何かしら楽しんでいる雰囲気が出ていた(泉谷しげるのインタビューが印象に残っている)。「フォーリンアフェアーズ」の翻訳も日本と英米圏と間の論考の溝を埋める役割を果たしていたと思う。書評も長くて面白かった。これほど楽しさ、自由さが満ち溢れていた雑誌が休刊になるとは。他の月刊総合誌「中央公論」が赤字に苦しみ、抜本的見直しが検討されている、と「選択」9月号に出ていた。雑誌の冬の時代か。

 10月号でコラムニストの小田嶋隆さんが、「雑誌の場合、文字の組み方や飾り罫の使い方から立ちのぼってくる何かが、誌面の雰囲気のみならず、雑誌自体の文化的な立ち位置を決定しているみたいなところがある。これは、紙の媒体にしかない特徴だ」。

 紙媒体にしかないのかどうかは別としても、「論座」の場合、本当に独特な何かがあり、これが消えたことを繰り返しになるが残念に思う。

 で、話は日本の総合誌の話になるのだが、論座9月号に林香さん(東京大学大学院情報学准教授)がコラムの中で、「業界用語で言う総合月刊誌」が「女性をまったく取り込めないでいる商品のよう」であることを指摘している。林さんによれば、中央公論の読者の93%が男性で、論座は主要記事27本のうち、女性が書いたのは3本のみだった。逆に、論座自身が9月号で女性誌を分析している。日本の女性誌を見ていると、「女性は大変だなあ」といつも思ってしまう。女性誌の言うことをまともに受けとるほうがおかしいと言わざるを得ないのだろうが、完璧に化粧をし、周囲から浮かないように細心の注意を払い、「かわいい+セクシーな女」であり、かつ料理も上手・・・を要求されている感じがする。

 論座の編集後記(10月号)を読んでいると、「まだどこかでお会いしましょう」という表現をしていた人が複数いた。これからも編集職につくだろうから、そういうことなのか、それとももうすでに朝日新聞関連で次の職が約束されているのだろうか?読者はいったいどこへ行けばいいのかと思ってしまう。(・・・などと考える自分は本当に少数派だったのだろうか?休刊になってしまったのだから。)
by polimediauk | 2008-09-09 22:22 | 日本関連
 オーマイニュースが、「オーマイライフ」になった。開けてびっくりである。

http://www.ohmylife.jp/life/money/catetop.php?s=&p=&c=10000
http://www.ohmylife.jp/life/info/declaration.php

 オーマイニュースが「生まれ変わった」という説明があったけれど、「全く別物」としか言いようがない。残念である。跡形もなく消えてしまった感じがするのは私だけではないだろう。この2つをどんな意味でもつなげるのは難しい。新しい方は、結局のところは見て分かるとおり、マネーサイトであろう。マネーサイトでも悪くは全くないが、「同じだが、変わった」という形で説明するのは無理がある。

 既にマイニュースジャパンなどが伝えていたように、前のオーマイニュースの従業員は(ほとんど)全員が解雇になったのは皆さんももうご存知だろう。

http://www.mynewsjapan.com/reports/897
http://blog.goo.ne.jp/koshidasui/e/0efff02489d2cbd46b58a7f09c92c62a
http://blog.dandoweb.com/?eid=37272

 ブログ時評の団藤さんが上記コラムで書かれている部分が心に残る。
(以下引用です)「本当にこれで良いのかが問題です。私は、ブログ「ハブ」機能も持ちつつ、何のために書くのか、ジャーナリズムの意味を勉強し直して、取材や情報収集の訓練も積んだ次世代・市民メディアが生まれても良いと思い始めています。何も企業体である必要もなく、初めは小さなブログ連合体でも良いでしょう。かなり本格的なサーバーをポケットマネーで維持できる時代なのですから。」(引用終わり)。


 何故こうなったのか?どうしてニュース専門メディアが育たないのか?と自問するが、大手新聞社のサイトなどに加え、ブログ、それにヤフー・ニュースがあればいらないのだろうか?

 オーマイニュースが止まってしまったのにはいろいろな理由があるだろう。私は外から見るだけ(記事も2,3本書いたけれど)だから、会社内の人事的なことは知らない(マイニュースジャパンの中で書かれているようなこと)。しかし、最初に鳥越さんの編集長でかなり盛り上がったのに、その後、反韓的な書き込みがずっとあったような気がする。あれでずい分、「自由にものを言える」雰囲気が消えて、編集部は妙に用心深くならざるを得ず、どうも自由におおらかに、楽しく・・・にはならなかったように思う。市民記者もおいそれと心に浮かんだことを書いてみる・・・なんて感じにはなれない。

 それと、一読者として読んでいると、「もう一歩突っ込んで欲しい」と思うことが多々あった。それは、自分が新聞型の記事の構成になれているからそう思ったのかどうか分からない。かゆいところに手が届く前に、記事が終わってしまう感じがあった。「これがニュースになるのかなあ?」と思うことも多かった。でも、「ニュースとはこれだ」という既成概念に自分がとらわれすぎているのかもしれないと思ったりもした。

 3月、東京で平野編集長と話した時、編集室が忙しいこと、なかなか編集室と市民記者たちとが記事を「練り上げる」ところまでいかない(時間の制約で)こと、ある程度しっかりした記事を書く・編集ができる人材を得ることの難しさを聞いた。オーマイニュースが当初の形で続かなかったのは、広告が十分に取れなかった(あるいは高い広告料を取るほどの十分なアクセスがなかった?)とかの、結局は財政上の理由になるのだろうけれど、読ませるコンテンツを長く続けることができなかったという部分も大きかったのではないだろうか。

 純粋にジャーナリズムの視点から言うならば、市民記者に限らず、プロの記者に限らず、一定のレベルの読ませる記事を書くには時間とエネルギー(+経験も?)がいる。これを継続してやっていくには、本当に、本当に大変なのだ。オーマイニュースは息切れもあったのかどうか。

 
by polimediauk | 2008-09-02 07:20 | 日本関連

毎日新聞の謝罪

毎日新聞が「Wai Wai」で不適切な記事が掲載されていた件で、謝罪し、検証結果を20日付で紙面とウェブに掲載した。

http://www.mainichi.co.jp/home.html#02

 思わず読みふけってしまったが、「悪いところは摘出しました」という感じで、やはり、読者に向けてのメッセージとしてはこういう風になってしまうのだろう。

 いろいろな方がいろいろな感想を持つのだろうし、パーフェクトな謝罪・検証はないかもしれない。それでも、毎日自身がそう思っているというよりも、「読者があるいは世間がそう受け止めているから」ということで、書かざるを得ない表現もあったと思う。

・・・と前置きをしてからだが、謝罪や検証記事を読んで、疑問を持つ、あるいは違和感を感じた点は結構多かった。

 まず、「海外に出た」こと自体が1つの問題であったかような文脈だ(そうせぜるを得なかった事情は理解できるけれども)。たとえどんな内容(日本人として恥ずかしいと思うかもしれないことでも)であれ、日本で出版されている内容が、外に出て悪いことはないだろう。情報を日本内だけで隠し通しておける、と思う方がおかしい。私が今回の事件でまずいと思ったのは、毎日新聞の日本語版では出さない(編集規定に反するなど)と判断されるような内容が英語版で出たことだ。何から何までぴったし同じである必要はもちろんないが、「毎日」のブランドでパッケージとして出す場合、基本的に言い訳は絶対にきかない。日本語で読むにしろ、英語で読むにしろ、読者は「毎日の編集基準に沿ったもの」として読むのである。ある情報を毎日のサイトで出しておいて、「これは毎日ではない」とは言えない。

 海外向けの顔と日本向けの顔を変えてはいけないと思う。もちろんもっと説明がいる、海外読者が読みたがるトピックと日本の読者がおもしろがるものは違うかもしれないから、適宜さまざまな編集作業があるとしても、倫理規定とか根幹になる部分を変えてはいけない。また、海外向けに、ことさら日本の良い面ばかりを強調する、あるいはことさら悪い面や困惑する事実は報道しない、ということが(毎日はそうすると言っているわけではないが)、あってはならないと思う。

 それと、「外国人スタッフが」という言葉が何度も出てくる。これが非常に日本的な感じがする。何故、英文毎日の外国人スタッフと日本人スタッフを分けるのか、という問題だ。どちらも英文毎日の「スタッフ」ではないのだろうか。仕事内容や雇用体系が若干違っていても、同じ仲間ではないのか。直接は書かれていないのだけれども、「外国人=日本の知識が少ない」、「日本人=事情を良く分かっている人」という分け方をしているのだろうか。どうも差別に聞こえてしまう。どちらも「プロ」として仕事をまかされていたのではないのだろうか。それとも、外国人スタッフは1つ下の存在だったのか?国籍はどうであれ、日本に関しての記事を書く・編集するには十分な知識と力量があるからこそ、雇われていたのではなかったのか?「外からやってきた人」が起こした問題、と片付けたがっているような感じがする。

 編集チームの上司(部長職)の役割も十分に機能していなかったようだ。これも非常におかしい。どこかに「歴代部長は英文の紙面内容を十分に理解していなかったのでは」という反省も書かれてあったと思う。部長の立場では紙面内容のすべてをみる必要はないだろうけれど、一般的に、「十分には理解していなかった」状況はよくあることかもしれない・・・残念だが・・・。

 そこで、今度は女性の編集長になるという。これも驚きである。女性の視点が足りなかったから、というのが理由だ。女性の視点は女性でないと持てないのだろうか?男性の視点も女性の視点も分かる人がいない、あるいは編集長になれないのだろうか?この人は日本人なのか(多分?)、それとも「外国人スタッフ」なのか?ウェブの英文マイ地のスタッフは「外国人5人、日本人2人」という表記があった。とすると、いわゆる「外国人」スタッフはある程度の自由裁量を与えられ、おそらくは誇りを持って仕事をしていたのではないか?一人前の「スタッフ」として、仕事をしていたのではないか?しかし、今回の事件で、悪いのは外国人スタッフという結論にしゅうれんしつつあるのかもしれず、一体どんな思いでいるのだろう?事件が起きてから、はしごをはずされた、という感じをしている人もいるのだろうか?問題となった記者には、「編集長」という名刺を提供されていたという。これは結構重い。社外の人で彼に会った人は、もちろんこれを額面どおりに受け取ったであろう。

 諸所の理由から、具体的な表現が何であったかなどに関して、深い説明はなかった。若干の短い説明からは、実際のところ、それほど「不適切」な感じはしなかった。日本で出版されている雑誌でそういう記事が出ているのなら、そして出所が記載されているなら、これ自体は問題がないだろう。個人的に付け加えたところもあったようだが、表現自体が問題なのではなく、「毎日がやった」ところが問題だったのだろう。信憑性、おすみつきを与えてしまったからだ。(以下、内容説明を謝罪・検証記事から貼り付ける。)

掲載した原稿は基本的に、雑誌名を示し、表紙の写真を付した上で、導入部で記事全体を要約し、第2段落以降で元の記事を紹介するというスタイルを取っていた。原稿は1本あたり600語程度で、うち6~8割が転載だった。
 掲載された記事には「料理、獣、悪徳とその愛好者」というタイトルで異常な性的嗜好(しこう)の話を取り上げたもの(07年9月)や、「古くから伝わる米の祭りでは、お肌に効果がある洗顔クリームが評判を呼んでいる」というタイトルで日本の伝統的な祭りを性的な話題に結びつけたもの(05年12月)などが含まれていた。エクアドルやベラルーシなど外国で日本人観光客が違法ツアーに参加しているという記事(03年7月)もあった。いずれも事実の裏付けもないまま翻訳して記事化していた。
 未成年者の性に関する記事などを不適切に取り上げたり、翻訳元に掲載されている数字を算出根拠などを明確にせずに使用して誤解を招いたり、数人の女性のコメントから成り立っている雑誌の記事を「日本人女性の間で増えている」といった表現で一般化するケースも確認した。
 また、防衛政策を美少女キャラクターが登場する漫画で紹介しているという月刊誌記事を07年7月に取り上げた際、導入部の防衛省の説明に「真珠湾攻撃と南京大虐殺で世界に名を知らしめた政府省庁の後継」と加筆したケースがあった。担当記者は「美少女とのギャップを浮かび上がらせるために書いた」と語った。

by polimediauk | 2008-07-20 16:07 | 日本関連
 フィナンシャルタイムズの3日付記事(紙は4日か)、Japan goes missing: invisible host at the summit を読んで、「やられたな!」という感じがした。当たりすぎているような・・・。英国内で感じる「Japan passing」、存在感のなさ。これが最近、頭にあった。存在感のなさに関しては、経済大国であるからといって、地理的(心理的にも?)に遠い日本のことを、かつ英国の植民地でもなかった日本のことを、英国でよく議論されることを期待する方がおかしいのかどうか。まずは「英国・欧州から見ると・・・」という視点であることを確認したい。

 それを踏まえて読んでも、やはり、「顔がない国=日本」と言う主張である。何となく、最後まで読むと、ほろっとしてしまう。

http://www.ft.com/cms/s/0/15ac9456-48fe-11dd-9a5f-000077b07658.html

 ヤフーニュースには産経記事とブロガーの方たちのコメントもある。大体が「言えてるなあ」という感想を持ったようだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080705-00000112-san-int

 私なりに若干心に残ったところをあげると、

 「・・・問題は地理というよりも、むしろ心理的なものだ。・・・日本は未だに世界第2の経済大国だが、政治的には全く見えない存在だ」

 「G8の他の国は自分の国がこれだと思うプロジェクトをアピールするためにサミットを使ってきた・・・・日本には、どうしても、という優先事項がないようだ」

 「私は世界中の国際会議に出席してきたが・・・そこでは各国政府が新しい地政学的なランドスケープがどうなるかを探るため、水晶玉をのぞきこむけれど、日本はこうした会議に殆ど出席しないのだ」

 「80年代には日本はライジング・パワーだった・・・今でも人々はトヨタ、ソニー、東芝の製品を使っているけれど、急激に変わるグローバル・パワーのバランスに関する議論の中で、日本は後からの思いつきのような存在になっている」

 冷戦が終わり、西側の一部として、共産主義圏に対抗する中での日本という時代も終わったとコラムニストは見ており、中国が台頭する中で、日本がこれからどうしたいのか、どんな国になりたいのか?を問う。「日本はコンパスをなくした国に見える」、「日本のアイデンティティーをどうするのか」で今後の選択肢が決まってくるー。

 結局のところ、書き手=FTの政治コラムニスト、フィリップ・スティーブンス氏は、日本に、日本人に、これからどうしてやっていくのか、じっくり考えて欲しいのだろうと思ったし、「どうやっていくかなあ・・・」と自分ながらに考え込んでしまった。中国とどうするのか、米国とどうするのか、どうしたいのか?短期的なことではなく、中長期的に自問自答をうながされたような気がした。

 この記事に強い感想を持った方は、スティーブンス氏にメールを出してみるのもいいかもしれない。記事の終わりにメールアドレスがある。

 定期購読制の月刊誌「選択」7月号に福田首相の記事が載っており、「・・・今はただ『失敗したサミット』と言われないよう大過なく議事を消化することだけが日本の目標となっている」、「これでは世界政治で吸引力を持ち得ないのも仕方ない」。「前内閣の閣僚の大半を引き継いで、いつまでも独自路線を打ち出せず、異論反論を気にして全体の調和を重んじる余り決断を先送りするパターンは、政局や政策での煮え切らなさそのままだ」とあった。

 「大過なく議事を消化する」は日本的には悪くないような感じもするのだが、これでは評価されないのだろうなー。いろいろ、考えさせられる。

ーBBC

 私はBBCと9・11テロの際の陰謀説との関わりに関し、「陰謀なし」という説を取るが、6日〔日曜日)、この件に関してBBCが作った番組が放映される。そこで、またBBCのサイト上で議論が起きている。かなり長いコメントがユーザーから寄せられている。これを読むと、「陰謀あり」の人も「なし」の人も、ある程度納得がいくというか、とりあえず一通り論点がカバーされた思いがするのではないか?

http://www.bbc.co.uk/blogs/theeditors/2008/07/controversy_conspiracies_iii.html
by polimediauk | 2008-07-05 21:47 | 日本関連
 日本の青少年を対象にしたネット規制で、状況が未だ全部つかめていない。英国に住んでいると、何故反対なのかがはっきりしない。つまり、「青少年を対象にした、(児童ポルノなどの)ネット規制が、今日本では全くない」のだろうか?

 もし答えが「ない」だとしたら(驚きだが)、規制をする・しないが大問題になっているのだろうか?それとも、「規制する」に関しては社会の中で同意・コンセンサスがあって、「いかにやるか」でもめているのだろうか?

 さっと見た限りでは、「規制するか・しないか」でもめているようにも見える。私の間違いかもしれない。

 いろいろな論点が交じり合っている問題、ということなのだろうか?(それぞれの関係者が、それぞれの観点から反対あるいは賛成している、とか?)

 日本の「青少年を対象にした有害情報のネット規制」が、いわば「パラダイス鎖国」というか、「ガラパゴス」というか、そういう類のことでないことを願っている。日本独特の論理で賛成・反対になっているのかどうか?(ガラパゴス現象の意味に関しては、コメントのまうまうさんの説明をご参考ください。非常によくまとめられています。)
 ・・・ということを、これから調べたいと思っている。(すぐには答えが出ないかもしれないが。漫画の歴史とかを調べないと理解できないかもしれない。私は小学校2年ぐらいで漫画を読むのをやめてしまったので、詳しくはない。)何故これが重要と思うかというと、最近、「ジャパン・パッシング(日本を通り過ぎる)」という状況がある、といろいろな人から聞いた。何だか知らないうちに、日本だけで物事が完結してしまうという現象が生じているのかどうか?他国に日本が合わせる必要はないかもしれないが、世界のほかの地域ではこうなっている・・・ということを、知っておいてもいいかもしれないと思う。

 日本の携帯電話業界が「ガラパゴス状態」にある、という件で、フォト・ジャーナリスト神保さんがインタビューをしたビデオがある。この件を紹介したブログの内容もぜひ一読をお勧めしたい。

 ゲストは総務省総合通信基盤局事業政策課長谷脇 康彦さん
 以下は一部引用。神保さんのブログより

http://www.jimbo.tv/videonews/000460.php

 実際、日本の携帯電話料金は他国と比べてとても割高だ。もともと通話料金が高い上に、高価な高性能端末を安く販売する代わりに、毎月の通話料金でこれを回収することを可能にする販売奨励金分が上乗せされているからだ。日本では極端な場合端末は無料で購入できるが、これはキャリアから販売店に販売奨励金が支払われているためだ。この奨励金のために、販売店は本来の端末原価より安い価格で販売でき、キャリアは月々の通話料でそれを回収する仕組みになっている。販売奨励金のおかげで実際は高価な高性能端末が売りやすくなっている反面、ユーザーは高い通話料金を払わされることになる。同じ端末を長く使う人ほど、また通話の多い人ほど、損をする仕組みでもあり、不公正との指摘も根強い。
 こうした日本独自の「携帯文化」が、海外のメーカーが日本でシェアを伸ばせない原因であると同時に、日本のメーカーが日本で培った技術を世界で活かせない理由にもなっている。しかし、総務省でモバイルビジネスの振興の旗振り役を努めてきた谷脇康彦氏は、日本のこの特殊な携帯文化こそ、これから日本にとっては大きなチャンスになると語る。高速でネットにアクセスできる3G携帯がこれほど普及している国は他にはなく、海外の企業は日本で成功することが、明日の世界の携帯電話ビジネスの成功を約束すると見て、日本進出の機会をうかがっていると指摘する。見方によっては、日本が世界から取り残されているのではなく、世界の一歩先をいっているというのが、谷脇氏の見立てだ。
 しかし、日本がその技術的な優位性を確たるものにするためには、一層の規制緩和と競争が不可欠であると谷脇氏は指摘する。谷脇氏も参加する総務省の研究会「モバイルビジネス研究会」(通称モバ研)は、販売報奨金の見直しや各キャリアがユーザーの囲い込みのために行っているSIMロックの解除、MVNO(ネットワークを持たないサービス業者)の新規参入の促進などの提言を行っている。
(引用終わり)

by polimediauk | 2008-06-24 08:36 | 日本関連
 秋葉原の例の事件で、ビデオジャーナリスト神保さんのトーク・ビデオが非常におもしろい。(一部はそのまま見れるが、全て見るには会員登録。しかし、一月ほんの500円であるのがすばらしい。)ゲストは若者文化やネット事情に詳しい批評家の東浩紀氏だ。

http://www.videonews.com/

 一部を神保さんのブログから引用すると:

http://www.jimbo.tv/videonews/000459.php

 今年に入ってから、土浦連続殺人事件や岡山線路突き落とし殺人事件など、若者が見ず知らずの人を殺傷する事件が相次いでいる。政治家や世の識者らは、動機が不可解なこれらの事件の原因を、若者が抱える『心の闇』に求め、ネットやゲームなど仮想現実の影響として、規制を加えようとしている。現に、町村信孝官房長官が、事件発生直後の記者会見でナイフの規制強化に言及しているほか、サーバーを管理する事業者にネット上の「犯行予告」の書き込みを事前に察知させ、警察への通報を義務づけようとする動きも出ている。

 しかし、そうした場当たり的な規制が、今回のような事件の再発防止に、僅かでも寄与するだろうか。今回の事件について東浩紀氏東(あずま ひろき)氏は「おきるべくしておきた」と語り、この事件の背景には、若者の怒りと不満が爆発寸前まで蓄積している現状があるとの見方を示す。

 東氏は、実際にこのような事件が起きるはるか以前から、いわゆるロストジェネレーションと呼ばれる20~30代の若者たちに、不満や怒りがたまっていることは目に見えて明らかだったと指摘する。だが、昨年、論壇誌で「希望は戦争」と語った赤木智浩が、社会からある種の驚きを持って迎えられたように、彼らの怒りのメッセージはマスコミに無視され、社会には届かず、政治にも反映されてこなかった。また、彼ら自身も、投票による行動やデモなどの政治行動が、彼らの状況を改善するとは到底期待できないと感じていた。政治的な表現の場を失った彼らが、怒りや不満を社会に訴える手段として、ネット掲示板があり、そしてその究極の形としてこのような凶行を選んだと考える方が、今回の事件はより正確に理解できるのではないか。それゆえに、東氏は今回の凶行を「テロ」と呼ぶべきだと言う。事実、ネット上では、加藤容疑者の犯行そのものは断罪しつつも、彼の置かれた境遇については、共感の声が多く寄せられているという。

以上引用終わり。

 このビデオでおもしろいのは、宮台真司氏との対談であることだ。今回の事件を一種の「政治テロ」と見る東氏と、社会学の立場から検証する宮台さんの意見の相違がおもしろい。宮台氏は、超有名だから私が何かを言うほどでもないが、このビデオの中では、独特の分析を披露している。

〈宮台さんのブログ)

http://www.miyadai.com/

 神保さんのブログにこんな表記があるー「あくまでここまで開示された情報を元に判断するしかないが、加藤容疑者のゲームやネット、携帯とのつながりは、現代の若者としては何ら特別なものは窺えない、標準的なものだった。むしろ加藤容疑者の発言を追うと、彼には、携帯サイトに書き込む以外の外界とのコミュニケーションがほとんど存在しない、絶望的な孤独状態にあったことが推察される。東氏は、コミュニケーションが苦手で仮想現実に耽溺していると非難されるオタクたちの方が、むしろ安全であり、今回の事件では、そういう代替物すら持たない状況にある多くの若者を、いかに社会が包摂するかを考えるべきだと指摘する」―。

 「・・・そういう代替物すら持たない状況にある多くの若者」-。こういう若者たちを一括して表現する言葉はあるのだろうか?世代や性差、趣味などによって、ある特徴を持った人々をある言葉で大雑把にくくってしまう作業を私たちはよくするが(それはオタクかもしれないし、ギャル、あるいはオヤジ、無数にあるだろう)、今回、どうもぴったりした言葉がないか、まだ出来ていない感じがする。「ワーキング・プア」に相当するような言葉が、そのうち出てくるのかもしれない。・・というようなことを考えるのにこのトークビデオが役立つ。
by polimediauk | 2008-06-16 06:47 | 日本関連
 グリーンピースと捕鯨の件で、日本ではひとしきり議論が終わったかもしれないが、グリーンピース側の話・見解をベリタが無料記事で出している。

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200805311648336

 ーー西濃運輸からの鯨肉持ち出しは「窃盗罪を構成しないと考えている」としたうえで、米核実験場では抗議する市民による平和的な「不法侵入」が行われて逮捕者が繰り返し出ている例などをあげ、「暗黙の了解で進められる国策の暴走」を止めるために必要な行動があるとの論旨で一方的な批判に反論、「問題の本質が議論できる市民社会になっていくことに寄与できればよいと思う」と結んでいるーーというもの。

 この件、一体どう考えたらいいものか?この記事からグリーンピースのサイトに飛ぶようにもなっていて、米国の「ペンタゴンズペーパー」の話もあり(詳しくはサイトを読んでいただきたいが)、「え?」と思う。(サイトでの説明は、論旨がどうもすっと頭に入ってこなかった・・・。無念。)

 ・・・しかし、私自身はやっぱりひっかかる・・・持ち出しの件は。多分、議論をすれば論理では負けるとは思うけれど。この一件は「これもアリだった」と、もし納得させられたとしても、「目的のためには手段を選ばない」という雰囲気が伝わってくるようなのが、自分にとってはどうもなあ・・・と。一つの目的を達成するための運動団体の考え方と一市民+ジャーナリストの私の考え方が違って当たり前なのかもしれないが。
by polimediauk | 2008-06-01 06:50 | 日本関連

 靖国神社を舞台としたドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映中止事件を、英紙のインディペンデント(2日付)、ガーディアン(3月19日付け)、またロイター通信が報じている。

http://www.independent.co.uk/news/world/asia/japans-nationalists-on-warpath-over-shrine-film-803545.html

http://www.guardian.co.uk/world/2008/mar/19/japan.filmnews

http://www.reuters.com/article/filmNews/idUST27488920080402?sp=true 

 それぞれ淡々と報じているが、ガーディアンが「極右が映画上映を中止させた」とする見出しで、日教組の大会開催場所を変更させた件も含めて書いている。

 何故国会議員向けに映画を上映する必要があったのか(「中立でない」疑いがあったからだそうだが)、とまず思った。政治的に中立な映画というのはなかなかなく(あり得ない??)、芸術作品であれば、必ず何らかのアングルがあるだろう。政府から助成金をもらっていたとしても、それイコール「政治的に中立」である必要もないだろう。といっても、こういうことは本当はどちらかというと大きな問題の中の小さな一部で、つまるところ、自民政治家が「こうあって欲しい」方向とは逆方向の視点で作られたのではないか?という点が心配だったのだろう。

 できれば、観客が自分で見て、「これは政治プロパガンダの作品だな」、あるいは「プロパガンダではない」などと自分でと気づくようであるのが望ましい、政治家にどうこう言われる前に。

 この作品を見ていないので想像・仮定の話になるけれども、私たちは政治あるいはイデオロギーのプロパガンダ、商業主義のプロパガンダに満ち溢れた作品に囲まれているのが現状ではないか。少なくとも私はそう感じている。一視聴者、鑑賞者としては、非常にシニカルにならざるを得ない。

 この映画の上映中止は日本だけの問題ではないことを強調したい。欧州ではイスラム系あるいは他の宗教(シーク教など)がらみのトピックで、上映中止、掲載中止、あるいは掲載後脅しが来るとか、自主規制するとか、同じような問題がある。

例えば、今日のBBCサイトに、英コメディアン・劇作家ベン・エルトンのインタビューが紹介されている。これによると、イスラム過激派からの攻撃を恐れ、BBCはイスラム教をジョークのネタにすることを恐れている、と言う。

 http://news.bbc.co.uk/1/hi/entertainment/7326476.stm

 どこの国でもうまい解決策がないように思う。

 ただ、最近思うのは、靖国問題もそうだけれど、英国・欧州の場合はイスラムを巡る表現の問題は、国民の一部(例えばイスラム教徒)が、非常にこだわる問題であること、その「こだわり」をどう見るのか、ということ。対話によって歴史的解釈の違いを解きほぐし、こだわりを少なくすることができるかもしれない。こだわりがあること自体は悪いことではないと思う。

 しかし、ほとんどの場合、どんな理由にせよ、ある表現行為を止めたいとある人が思い、映画館や新聞社にプレッシャーをかける、殺人を含めた傷害行為の脅しをかける、というのは、あまりにも乱暴な行為だ。・・・と、日本の新聞の社説のようなつまらない結論になってしまって恐縮である・・・。

 さらに、本当に怖いのは、実はこういう目立つことではなくて、(最近さらにシニカルになっている私は)、お金を沢山持つ巨大メディア企業が、世界のメディアをどんどん独占しつつある現況だ。007の映画の1つに、メディアを独占し、「明日のニュース」を作ってしまう人物(マードックがモデル?)が出ていた。何だかいやだなと思っている。


(追記)映画を観ていないので、雲を掴むような部分があるが、私が重要なポイントだと思ったのは、産経新聞の記事の中にあった、「これに対し、日本芸術文化振興会と文化庁の担当者は「ドキュメンタリーなので、いろいろな見方があるのでやむを得ないが、助成手続きは適正だった」と説明している」と言う部分だ。


http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080313/stt0803131856004-n1.htm



 いろいろな芸術・言論活動に助成金を割り当てる役目をする機関(この場合、日本芸術文化振興会)が「適性だった」(ここでは「手続き」と書かれているが、意味は「判断」ということも含めてかと思う)としたある作品に関して、後で議員が異を唱えるのは、文化振興会の判断に疑問をはさんだことを意味し、異を唱えること自体はそれこそ「言論の自由」だろうが、場合によっては「政治介入」と解釈される危険があるように感じた。

 また、異議があって、国民の血税を使うからには・・・という理由で行動を起こしたとしても、議員対象の上映という形になったのでは、いかにも「事前検閲」っぽい感じだ、結果的にいくつかの映画館が公開を中止したのだから。見えないプレッシャーになっただろうことが想像される。

 この作品のよしあしとは全く別の問題、それ以前の問題として、まずい感じがする。

 また、靖国問題は人によってずい分見方が違うので、殆ど必ずといっていいほど、ある一定のアングルが出る、ということも一般的に了解しておかなければならないと思う。「Aという意見もあるが、Bという意見もある」という描き方では、芸術作品にはならないかもしれない。

 願わくば、「これは相当の政治プロパガンダだった、(悪い方向に)偏った映画だった」あるいは「すばらしい映画だった」など、公開された後で、国民一人一人が自由に受け止められるようであればいい。文化振興会がそれなりの判断をして助成金を出した、ということがここまでの論の前提となっている。決定をした人よ、頼んだぞ、という感じである。場合によっては、見た後で、「振興会の決定はまずかったと思う」となるかもしれない。いずれにしても、「国民が自ら判断する」状態であるべきだ。助成金が使われたことの良し悪しに関しても、である。

 しかし、繰り返しになるが、これは日本特有の問題ではなく、強い思いのあるトピックに関する作品が、自由な一般公開にはスムーズにいかないケースはどこの国でも多かれ少なかれある。日本では一部の映画館で公開予定と言うことなので、(制作者側にとっては胸が痛むだろうが)、少なくともイスラム系の恐怖におびえる英国+欧州の場合よりは、自由度が残っているのかもしれない。


関連
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080313/stt0803131856004-n1.htm
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/entertainment/129411/
http://blog.goo.ne.jp/tokyodo-2005/e/c5b814517e24a71260bbeaee56afbbc7
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/politics/129618/
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-04-05/2008040503_01_0.html
by polimediauk | 2008-04-03 05:13 | 日本関連
 日本の捕鯨船にオーストラリア人が「拘束」されている件で、こちら英国でも夕方のニュースから聞き出したところ、注目度が高い。と言っても、トップニュースではないが。

 まず、議会(上院)で議論されたのだ。そのニュースを夜遅い時間にラジオで聞いた。「日本側は拘束者に危害を加えないと言っている」というコメントが、ニュース内と、上院議員の説明の中にあった。「危害を加えない」・・・って???まるでイランかどこか、「悪者」、「危険な奴ら」につかまった、とでも言うニュアンスだ。一体何故危害を加える必要があると言うのだろう。そう思うこと自体が失礼だなと思った。まあ、そういう風に見ているのだろうーー。

 議員は、「調査捕鯨と言っていますが、全く何の調査書も出していないんですから。それで、鯨肉は日本のレストランに行くわけです」。調査書はともかくも、レストランに行くっていうのは事実なんだろうけどね。「ビジネスのためにやっている」と言いたいのだろう。

 英メディアに関する限り、日本は完璧に悪者で、その、いかにも、「日本=悪者」的報道が、あまりにもストレートで、驚いてしまう。ニュース報道の客観性はどっかに飛んでしまっている。

 日本の外務省の人が、BBCラジオ4のPMという番組に出演し、一生懸命説明していた。

 もし日本・日本政府がこの件で、自分たちが正しいと思うなら、外のメディアにこうやってどんどん出て、きっちりと説明していくしかない。


 明日以降も、どんどんエスカレートしそうだ、「日本=悪者」報道が。

 しかし、日本もどうしてここまでしてやらないといけないんだろうー。こんなこともふと思う。海外に住む日本人の勝手な思いだろうか。

(以下、ヤフージャパン参考)

日本の調査捕鯨船に豪連邦裁判所が操業停止命令
1月15日23時44分配信 読売新聞


 【シドニー=新居益】オーストラリア連邦裁判所は15日、同国が国内法に基づいて南極海の一部に設定している「クジラ保護区」で、日本の調査捕鯨船がクジラを殺傷しているのは違法だと訴えた豪動物保護団体の主張を認め、日本船に操業停止命令を出した。

 日本政府は判決を拒否し、捕鯨を継続する方針だ。南極大陸の一部に領有権を主張する豪州は沿岸海域に排他的経済水域を設定。同水域を「クジラ保護区」と定め、クジラの殺傷を禁止している。

最終更新:1月15日23時44分

捕鯨反対の米活動家引き渡しへ、水産庁が手続き
1月16日14時21分配信 読売新聞


 南極海上で15日、日本の調査捕鯨船「第2勇新丸」を妨害するため、同船に乗り込んで拘束された米国の環境保護団体「シー・シェパード」の男性活動家2人について、水産庁は16日、団体側に身柄を引き渡す手続きに入ったことを明らかにした。

 同庁によると、2人が同船に乗り込んできたのは、日本時間15日午後4時ごろ。2人は船員に抗議文を手渡したが、その後、拘束された際も抵抗はしなかった。水産庁所管の財団法人・日本鯨類研究所では「2人に危害を加える意思がないことが確認された」として、16日未明から、電話や電子メールを通じて同団体側に2人を引き渡す意向を伝えているが、団体側から回答はないという。

最終更新:1月16日14時21分

by polimediauk | 2008-01-17 09:22 | 日本関連

 日本の貧困問題を遅ればせながら考え出すようになり、手元にあった雑誌を見てみると、「論座」昨年11月号に「特集:現代の連帯」という記事があった。「全労連」の専従者で作家の浅尾大輔さんの原稿で、全労連に労働相談に来た人の話が書かれてあった。低賃金、有期雇用(雇用期間が限定されている)若者たちの話で、解雇の脅し、「セクハラ、パワハラ」といった労働者いじめの具体例が出ている。「生存の破壊、誇りの破壊、未来の破壊」に苦しみ、「働いても働いても生命を存続させることが難しい、働いても働いても自分に自信が持てない、そして将来設計すら立てられない」若者たちがいる、と。

 「・・組合活動を始めた私は、働いている人々の表情を自然に意識するようになった・・・(中略)・・・いつも思うことは、みんな働いている、懸命に働いているのだという極めて単純な事実、しかしそれは耐えられない苦しみや悲しみと表裏をなしている場合があるという認識だ。私は、いつか、その苦しみと悲しみがこの世からなくなればいいと思う」。

 ページをめくると、ルポで、「論座」の小丸朋恵さんがある男性を追う。「船舶造修業・労務管理・正社員」の求人票を見て応募した男性が、採用後、「月給25万円」が「自給1000円」に、各種保健加入が任意加入に、休日が土日祝日から平日に変わったことに気づく。「もうキャンセルできない」と言われ、研修期間中に辞めたら、赴任費用を返還しなければならないと言われて、辞めることができなくなる。重労働の末、紆余曲折あって、「青年ユニオン」に別の職場で働きながらも加入する。新しい職場では、「年俸制」と言われたが、月に80時間の残業代が含まれていたー。本当に、読んでいて苦しくなるような壮絶な状況だ。

 「世界」2月号では、首都圏青年ユニオンの川添誠さんと「もやい」事務局の湯浅誠さんが対談をしている。「反・貧困を軸とした運動を」という題がつく。
 
 「困窮した生活の中で意欲も困窮化してしまう。貧困状態の中では世間を器用に渡るためのコミュニケーション能力もなかなか育てられない。そういう人が真っ先に解雇されてしまう。本人もそれに異議を申し立てたり、たたかっていこうとする意欲を持てない。何度も解雇されていくなかで自分への自信も失われてしまっている。貧困とはそういうもの」、「これだけ貧困問題で取材者が来ても、団交を報じたメディアはほとんどない。貧困を解消する労働運動という側面が、あまり出ない」。「障害者団体やシングルマザーの団体、多重債務問題に取り組む団体も、それぞれの問題の根っこに貧困が存在する。でも、これらの団体が連帯していくという発想がこれまでなかった」(川添氏の発言から抜粋)。

 「貧困の問題には社会的偏見が強いために、当事者が発言しづらい」、「貧困状態に追い込まれた人は、〈中略〉、『溜め』が小さくなっています。発言できるまで、『溜め』が回復していくプロセスを前提に考えなければいけない。生活保護を受けてようやくアパートへ入れた人が、翌日から発言できるようにはなりません」(湯浅氏発言の一部)。

 湯浅氏は丁稚奉公が続く美容師の例をあげ、「美容師に限らず、正社員であっても月給十数万で劣悪な長時間労働を強いられいてる人がたくさんいる」と指摘している。

 川添氏:「ある女性が労働条件が当初の約束とあまりにも違うので辞めようとしたら、『そんなにいきなり辞めるなら一か月分の給与は払わない』と経営者に言われた。その賃金は未払いのまま新しい会社に就職したのですが、給料日まで20日ぐらいある。その間の交通費がまかなえない。このままだと通勤できないために失業してしまう」。

 ・・読めば読むほどにつらいなあと思うのと同時に、自分自身の体験を思い出す。実際に働き出して、当初の労働条件とは違っていたり、急に職務内容や時間が変わったり、経費支払いを約束された後で、突如「経費は払えなくなった」といわれ自腹を切ったりー。ある会社でアルバイトをしていた時、景気が悪化し、他のアルバイト仲間が「人員削減の際には、君から辞めてもらう」と言われた時のことも思い出す。会社が経営不振に陥り、未払いとなった給与、賃金もずい分ある。その時の悔しさ、悲しさを思い出す。労組にまともに入ったことなく、意識が低かった自分自身の未熟さ、弱さも。

 自分自身がいやだなと思ったことは、多くの人にも起きていたし、現在も起きていると改めて感じ、雑誌の記事が頭に残った。

 「世界」湯浅氏によると、厚生労働省は生活扶助基準に関する検討会を開き、11月30日、結論を出した。大臣は生活保護基準の切り下げを言明している。しかし、切り下げで生活保護を受けている人の収入が減るのだと湯浅氏は言う。最近では、「老齢加算や母子加算が削られることで、70歳以上の高齢者や母子家庭の人たちは、すでに収入が二割近くカットされて」いる。これに加えて生活保護基準が切り下がれば、「合計20%以上の切り下げになる」。一般の人で収入が20%以上減れば大変で、「ぎりぎりの生活をしている人にしてみればなおさら」だと言う。「弱い者にだけ収入の切り詰めを求めるのは、どう考えてもおかしい」。

 英国の貧困について、次回、書きたい。
by polimediauk | 2008-01-15 01:08 | 日本関連