小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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カテゴリ:欧州表現の自由( 104 )

(ロシアの情報戦について話す専門家たち)(撮影 Diego Figone)
 

 欧州に住んでいると、ロシア対西欧諸国の情報合戦をひんぱんに目にする。

 例えば、今年3月、そして6月末に英国で発生した、神経剤「ノビチョク」による男女数人への攻撃だ。3月には英南部ソールズベリーで、ロシア連邦軍参謀本部情報総局のセルゲイ・スクリパリ元大佐と長女ユリアさんが一時重体となり、6月末にはソールズベリーから数キロ離れたエームズベリーでドーン・スタージェスさんと友人のチャーリー・ラウリーさんが意識不明となって病院に運び込まれた(7月8日にスタージェスさんは死亡)。

 どちらの事件でも英政府はロシアの関与を疑っているが、ロシア側はこれを否定している。

 4月、米英仏はシリアに爆撃を行ったが、これはシリア軍が東グータ地方ドゥーマー市で市民に「化学兵器を使用したこと」が理由だった。シリアとロシア側は「化学兵器は使われていない」と主張している(この件の詳細は青山弘之氏の記事に詳しい。米英仏のシリア攻撃の根拠となったドゥーマー市での化学兵器攻撃で化学兵器は使用されなかったのか?シリア化学兵器(塩素ガス)使用疑惑事件と米英仏の攻撃をめぐる“謎”)。

 いったい、何が真実なのか。非常に分かりにくい状況となっている。

 イタリア・ペルージャで開催された「国際ジャーナリズム祭」(4月11日から15日)の中で、専門家がロシアの情報戦の内情について議論するセッションがあった。開催時から時間が経っているが、その内容は古くなっていない。議論の一部といくつかのほかのセッションを紹介したい。(新聞通信調査会が発行する「メディア展望」6月号の筆者記事に大幅補足しました。)

ロシアが仕掛ける情報戦 その実態とは

 サイバー空間で偽情報を流し、外国の政治状況に影響を及ぼそうとする動きが目立つようになった。

 兵器を使って互いの武力が衝突する戦争が「熱い戦争(ホット・ウォー)」、東西圏が互いをけん制する「冷戦(コールド・ウォー)」を経て、私たちは今「情報戦」(インフォメーション・ウォー)の時代に突入しているのだろう。

 「中から弱体化させる -情報化時代のロシアの戦争技術」と題するセッションのパネリストは、以下の3人だった。

 -オーストリアのジャーナリストで米「ニューリパブリック」にロシアの情報戦争に関しての記事(2017年12月)を寄稿したハンス・グラッシガー

 -ロシアの独立系情報サイト「アゲンチュラ」の編集長アンドレイ・ソルダトフ

 -ロシア語のメディア「メドューザ」の編集主幹ガリーナ・ティムチェンコ氏(ラトビア在住)

 (以下はパネリストたちからの情報を補足し、整理した内容となっている。)

2009年、エストニアで何が起きたか

グラッシガー氏(撮影 Diego Figone)
グラッシガー氏(撮影 Diego Figone)

ハンス・グラッシガー氏:ネット上で繰り広げられる「サイバー戦争」 の「テスト」が大々的に行われたのは、2007年だったと思う。攻撃を受けたのは東欧のエストニアだ。

 エストニア(人口約134万人)は北欧に位置し、東部はロシアと地続きだ。18世紀からロシア領となり、1918年に独立したものの、40年にソ連(1922~91年)に併合された。「ベルリンの壁」崩壊後、ソ連からの独立を果たしたのは、1991年。欧州への復帰をめざし、2004年には米国を中心とした国際的軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)、欧州連合(EU)への加盟を達成した。

 エストニアには、NATOのサイバーテロ防衛機関の本部も置かれている。

 ロシアにとってエストニアとは、「米国や西欧に顔を向けた国」と言える。

攻撃の発端

 サイバー攻撃事件の発端は、4月26日、午前10時。エストニアの首都タリンで、ロシア系住民が暴動を発生させ、一人が死亡。数十人が負傷した。

 暴動が発生する前、エストニア政府はタリンの中心部の広場に建てられていた、第2次世界大戦の英雄とされるソビエト兵の銅像を撤去することに決めた。

 エストニア人にとっては、ソ連領となった過去を思い出させる銅像だ。国内のロシア語を話す住民(人口の約25%)にとっては、銅像はファシズムを追い出した英雄だ。

 26日夜、国会、大学、新聞社のウェブサイトへのサイバー攻撃が始まった。多数のパソコンから標的にアクセスを集中させ、機能停止に追い込む「DDoS(ディードス)」攻撃が中心となり、エストニアの電子ネットワークが打撃を受けた。

 エストニアは最も電子化が進んだ国として知られる。政治の透明化、オープン化をモットーとして電子化を進めてきたエストニアだが、これが逆にあだになった。

 攻撃の発信源は170カ国を超え、8万台を超える「ボット」(乗っ取りパソコン)が使われた、通信量は通常の400倍に上った。

 5月10日には国際最大の銀行ハナサバンクがオンライン・サービスや国際カードの決済を停止せざるを得なくなった。

 5月19日、攻撃は止んだ。にっちもさっちもいかなくなったエストニア政府が電源を一切切ってしまったからだ。

 ロシア政府が背後にいたという見方が強いが、攻撃の責任を負わされた人・組織はいない。

 いったい、誰がやったのか。何が目的だったのか。今でもその全貌は明確になっていない。

 1998年に、ロシアの軍事アナリスト、セルゲイ・ラストルゲフ氏が「情報戦争の哲学」という本を出している。これによると、現代の紛争で最も効果的な武器は情報だという。正確に言うと「ディス・インフォメーション(偽情報)、フェイクニュース、ソーシャルメディアの煽情的な情報」だ。

 サイバー戦争の核となる考え方は心理的な操作で、これによって敵国を内部から崩壊させること。ある考えを持つ国民と別の考えを持つ国民とを分断させ、国の亀裂を大きくしてしまう。

パネリストたち。壇上の左端が司会者、隣がグラッシガー氏、ソルダトフ氏、ティムチェンコ氏(撮影 Diego Figone)
パネリストたち。壇上の左端が司会者、隣がグラッシガー氏、ソルダトフ氏、ティムチェンコ氏(撮影 Diego Figone)

「メドューザ」の編集主幹ガリーナ・ティムチェンコ氏:2015年、ポーランドのあるエンジニアがロシアのIT企業に雇われた。職務は表向きにはITシステムの管理だったが、実際にはウクライナ国防省を攻撃する仕事だったと聞いたことがある。

アゲンチュラ」の編集長アンドレイ・ソルダトフ氏:ロシアは1999年から変わった。これは第2次チェチェン戦争(注:チェチェン紛争=ロシアからの分離独立を目指すチェチェン共和国とロシアとの間で,1994年から2度にわたり行われた民族紛争)の時だ。

 ロシアがチェチェン地方に本格的に軍隊を送ったのは、1995年から96年にかけて(注:こちらでは1994年12月から侵攻)と、99年だ。なぜ2回も兵が送られたのか、なぜ最初に解決できなかったのかを国民は知りたがった。政府は、派兵が失敗したのは「メディアのせいだ」と言った。ロシアはメディアを通じて外国からの脅威にさらされているのだ、と。

 

 ロシア政府は(サイバー攻撃が)アウトソースできることを学んでいる。攻撃に実際に手を下している人物は学生かもしれない。政府が直接関わるわけではない。

 2016年には米大統領選や英国の欧州連合(EU)からの離脱をめぐる国民投票があった。昨年にはフランスの大統領選があった。こうした選挙の背後にはロシア政府が関与していたのどうか。

 私は、ロシアがもし関与していたとしても、インパクトがあったのかどうかは疑問だと思っている。

「サイバー戦争」と「情報戦争」

 ソルダトフ氏:西側とロシアのサイバー専門家とのあいだにはその認識に隔たりがある。例えば、西側は「サイバー戦争」と言っているが、ロシアは「情報戦争」と言う。

 ロシアはジャーナリストを「兵士」として扱うが、西側はそういう風にはしたがらない。例えば、ロシアは米CNNや英BBCの記者を兵士と見ている。

 しかし、2016年、西側もメディアを「兵士」として使えることを知ったのだと思う。(ロシア側の論理を浸透させたという点からは)ロシアは成功した、と言える。両者にとって、危険な状態だと思っている。

 ティムチェンコ氏:ロシアの 戦略は人を怖がらせることだ。1人犠牲者を見つけて、その人を処罰するやり方だ。

 プーチン大統領には外向けと内向けの戦略がある。例えば、ロシアの国際報道局「RT」の視聴者数が実数よりもはるかに大きいとしている。現在、自分はラトビアに住んでいる。ロシアの通信社「スプートニク」のラトビア語版は1万人が読んでいると言われているが、それほど多いかどうかを疑問に思っている。

 プーチン大統領が人々に恐れを植え付けたがっているのは確かだ。

司会者: 選挙の際には、どのような情報戦を行っているのか。

 グラッシガー氏:エストニアの場合は、ディス・インフォメーション を与えていた。ロシア語のメディアやソーシャルメディアが常に攻撃をかけてくる。「情報戦争」と言う言葉を使わざるをえない状況だ。

 ソルダトフ氏:その戦略は、非常に洗練されている。

 しかしその一方で、私が運営する、政権に批判的なニュースサイトも、野党の党首のウェブサイトも閉鎖されておらず、非常に人気がある。国外では強面、国内ではソフトに、という奇妙な矛盾がある。国外と国内で戦略を変えている。混乱させるために異なる文脈を使っている。

 ロシア政府はネット上の情報戦争を抑制することができていないと思う。プーチン大統領にとって、インターネットは大きな挑戦だ。コントロールすることが難しいからだ。

司会 サイバー空間で冷戦が起きていると聞くが

ソルダトフ氏:その始まりは1990年代だ。1998年、コソボ紛争が発生し、NATO軍がユーゴスラビアの首都ベオグラードの軍事施設を空爆した(1999年)。空爆は国連安全保障理事会の決議を経ておらず、国際世論の批判を招いたが、これはロシア政府にとっては好機だった。「西側がロシアを裏切った、偽善的」と非難することが出来たからだ。

 2008年、グルジアからの独立を主張する北部南オセアチアをグルジア軍が攻撃し、ロシア軍がグルジアに侵攻した際も、ロシア政府は「BBCやCNNが偽善的な報道を行った」と主張し、ロシアの国民の信頼を得た。このようなパターンが繰り返されている。

 元来、プーチン大統領の支持者は地方が多かったが、都市のリベラル層に対しても西側諸国の行動を反ロシア的として認識させることで、プーチン支持に結び付けた。

 グラッシガー氏 :サイバー攻撃についていうと、プーチン大統領が背後にあるという証拠は得られなかった。しかし、さらに調査をしてみると、例えばプーチン大統領の知人らが関与していた。「大統領を喜ばせるためにやっている」と聞いた。プーチン氏を喜ばせるために行動を起こす人がロシアには沢山いるのだ、と。

 ティムチェンコ氏:「トロール」を生み出すサービスを運営する人は、プーチン政権下で富裕になったので、「ありがとう」ということだろう。

 ソルダトフ氏:いわゆる「トロール工場」は2014年にできたと認識している。しかし、「プーチン氏を喜ばせるため」というのは、どうか。

 2年半ほど前にプーチン氏は変わった。もっとマイクロマネジメントになった。多くの件で自分が関与するようになったとは聞いているが

 しかし、「天才」ではない。

 

 例えば、ロシア政権はFacebookをどう使っていいか分からない状態だ。私が聞いたところでは、「ソーシャルメディアも全く何だかわからない」と言っていた。

 司会:大量の人を監視する(「マスサーベイランス」)仕組みはどうなっているか。

ソルダトフ氏(撮影 Diego Figone)
ソルダトフ氏(撮影 Diego Figone)

 

 ソルダトフ氏: ロシア政権はパラノイアになっている。ネット上のマスサーベイランス体制をどう導入するかが課題になり、2015年ごろから17年にかけて、中国から専門家を呼んだ。中国側もこれに嬉々として応じた。

 データの保管や監視ソフトについて協力を得ていたが、途中でこのプロジェクトは終わってしまった。それはロシア連邦保安庁がパラノイアになったからだ。中国がロシアに入り込んでしまうことを危惧したからだ。だから、本当の意味のネットの監視体制は構築されていないと思う。

 会場からの質問:西欧諸国でも、マスサーベイランスが行われているのではないか。

 ソルダトフ氏:「マスサーベイランス」と言っても、民主主義の国と独裁主義の国とではその意味するところが違う。民主主義の国ではメディアの動きも違う。

 ティムチェンコ氏:何かあると、「西側の干渉だ」というのがプーチン氏の論理。ロシアが米国の大統領選に干渉しようとしたのかと聞かれれば、「そうだ」と答えるだろう。しかし本当にできたのかどうかというと、疑問だ。

プーチン大統領だけが信頼されている理由とは

 ソルダトフ氏: プーチン氏が政権の中枢部に入ってから、18年となった。他にはトップになるべき人が誰もいないような状態になった。これには理由がある。

 プーチン氏は、他の組織の意義を抹殺しようとしてきた政治家だ。それは組合であったり、政党であったり、企業であったり、官僚であったり、メディアであったりする。人々はこうした組織を信じないようになった。信頼できる人は、たった1人。それがプーチン氏、というわけだ。

 例えば、ロシアではテレビの番組で堕落したジャーナリストを殺すというストーリーの番組があった。こうした番組を通して、国民はジャーナリストを堕落した存在と見るようになった。

 少し前までは、ジャーナリストと言えば一目置かれていたが、今では、「300ドル払えば、何かいいことを書いてくれるのか」と言われる。

 議会の意義も、国民は忘れている。

 ティムチェンコ氏:ロシア政府は、ジャーナリストが真実を言っていない、と言う。

 私自身は、誰もがそれぞれの「アジェンダ」(議題、意図など)を持っていると思う。プーチン氏はこれからも戦っていくと思う。私の見方は非常に悲観的だ。

 ソルダトフ氏:楽観的なことを最後に言いたい。(米大統領選があった)2016年、世界中の人々がようやくロシアについて考え出した。どんな国なのか、何が起きるのだろうか、と。(関心が高まったことは)良いことだと思っている。

「おそらく、ロシアがノビチェク事件の背後にいる」

 セッション終了後、筆者は3月の「ノビチョク事件」についてソルダトフ氏に聞いてみた。英政府はロシアに責任があるとし、ロシアは関与を否定している。

 ソルダトフ氏は諜報情報の専門家だ。「100%、ロシア政府が背後にあるとは言えない。しかし、過去の例やそのほかの事情を考慮すると、政府が背後にいたことを否定するのは難しい」。

 

危険にさらされるジャーナリストたち

 日本や筆者が現在住む英国にいると実感しにくいが、ジャーナリストが政府や暴力組織などから攻撃を受けることは世界各地を見ると決して珍しいことではない。セッション「反撃する -攻撃に対して、いかにジャーナリストが反応するべきか」をのぞいてみた。 

カセリ氏(撮影Chiara Di Lorento)
カセリ氏(撮影Chiara Di Lorento)

 フリーランス・ジャーナリストのアイリーン・カセリ氏はラテンアメリカ諸国のメディア状況に詳しい。同氏によると、メキシコはジャーナリストにとって「非常に危険な国」だ。1990年代から1000人以上が殺害されているという。自衛手段として作ったのが「サラマ」という名前のアプリ。記者2人が1つのチームとなり、30分ごとに互いの安全性を連絡しあう。

 一方、経済が悪化するアルゼンチンでは「2015年以降、3000人を超えるジャーナリストが職を失った」。失職状態となったジャーナリストたちが立ち上げた新聞「ティエンポ・アルゼンティーノ」(3万5000部)は、働く人がお金を出し合う共同体形式で発行されているという。

 米ニーマン財団のアンマリー・リピンスキー氏は、「かつては、戦場取材の際に記者は危険な状態に置かれた。今はどこも危険な場所になってきた」。

「性の暴力は女性を黙らせる道具だ」

 昨年秋以降、性的ハラスメントや暴行に対して声を上げる「MeToo」運動が世界的に広がっている。ジャーナリズム祭ではこれをトピックにしたセッションが複数開催された。

 「性の暴力は女性を黙らせる道具だ」というセッションでは、米国、エジプト、英国、スペインで取材をした女性ジャーナリストらがパネリストとなり、それぞれの体験談を語った。

 米慈善組織「デモクラシー・ファンド」のトレイシー・パウェル氏は米国の新聞社で記者として働いていた時の様子を伝えた。米国では人種を扱った記事を書くと攻撃を受けやすいという。特に攻撃対象になるのが女性で、「レイプするぞ」などのコメントをメールで送ってきたり、住所を探り出して家族にハラスメントをしたりするという。「引っ越しを余儀なくされた女性が何人もいる」。かつての自分の体験も含めて、つらそうに話す様子が今も忘れられない。

 ジャーナリストが安全に働けるようにガイドラインを作る報道機関が増えてはいるものの、性的ハラスメント、暴力を含む性的攻撃への対処策は想定外となっていることが多いという指摘があった。

***

 ロシア情報戦争の動画

 ジャーナリストの安全性の動画

 性の暴力についての動画


by polimediauk | 2018-07-19 19:10 | 欧州表現の自由
 先月中旬、オランダで下院選挙(定数150)が行われたが、反移民・反イスラム教の排他的政党「自由党」が第1党になるのではという予想は大きく外れた。欧州の主要ポピュリスト政党の1つとなる自由党が第1党になったら「大変なことになる!」という懸念を抱え、外国メディアがオランダに大挙したが、自由党は第2位にとどまった。獲得議席数は20(5議席増)で、得票率は13%。少数政党が乱立するオランダ議会で第2位ではあるものの、政界を「席巻する」事態ではない。

 それでも、どの政党も移民を解決するべき問題の1つとして位置付けるようになっており、自由党の影響力は侮れない。

 反移民、反イスラム教――どちらも、筆者が住む英国では「政治的に正しくない」政治姿勢だ。自由党の党首ウィルダース氏はイスラム教のモスク(礼拝所)閉鎖や聖典コーランの禁書を公約として訴えた。世界に多くの信者を持つイスラム教の聖典を禁止せよと言う人がオランダでは議員として活動ができるなんて、「信じられない」という思いで一杯だ。

 異なる価値観を持つ移民を何世紀にもわたって受け入れてきたオランダ。ステレオタイプ的かもしれないが、この「寛容の国」で、一体何が起きているのだろうか。

 オランダの政治ジャーナリスト、マルク・シャバン氏に、その本音部分をアムステルダムのカフェでじっくりときいてみた。

***

 シャバン氏はオランダの会員制新興メディア「コレスポンデント」の政治記者だ。会話はまず、コレスポンデントの話から始まった。

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会員数が5万人を超えたというブログ記事(Mediumより)

―コレスポンデントはクラウドファンディングで当初の資金を作ったと聞く。2013年から始まって、今はどれぐらいの購読会員がいるのか。

シャバン氏:約5万6000人だ。すごいスピードで増えている。

―なぜ人気なのか。

どの政治勢力にも属さない、独立した論調があるからだろう。書き手は自分が思うことを書く。あの人がこういった、この人がこういったという風に発言を引用しながら中立的な記事を書くのではなく、自分の考えていることを書く。

 購読者(=会員)だけが記事にコメントを残せる。このため、コメント欄が荒れない。本当の議論ができる。

 現在はオランダ語の記事の1部を英語に翻訳しているが、本格的な英語版の発足に向けて準備も進めている。

―コレスポンデントの前はどんなメディアで働いていたのか。

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シャバン記者

 有力紙「NRCハンデスブラット」で42年間、政治記者だった。特派員としてパリ、ロンドンにも派遣された。

 1年前に、コレスポンデントに入らないかと声をかけられた。未来のジャーナリズムの姿を見たいと思って働くことにした。

―既存のメディアに勤めて、今は新興の、ネットオンリーのニュースサイトで働くわけだが、どんな感じに違うのだろうか。

 非常に面白いメディアだ。コレスポンデントは思い切った議論を掲載しているし、読者との相互コミュニケーションがある。新聞の場合は、読者はメールや手紙で意見を寄せてきた。コレスポンデントでは記事が掲載されると数分後には読者のリアクションが次々と出てくる。時には参考にならない意見もあるが、面白いものも多い。

―なぜウィルダース氏のような政治家が人気なのか?ほかの政治家が移民やイスラム教にかかわる問題に十分に関与してこなかったせいだろうか。

 答えは少々複雑だ。

 オランダは1950年代、60年代にイスラム教の国から移民を受け入れた。労働力を補うための「ゲストワーカー」だった。例えば、オランダ企業の経営者がモロッコ、アルジェリア、トルコなどに行って、人を探してきた。オランダ人がやりたがらないような単純作業をやってくれる人が欲しかった。例えば清掃作業や工場で働くことだ。あくまでも一時的な滞在を想定していた。働く期間が終わったら帰るだろう、と。

 ところが、こうしたゲストワーカーたちはオランダにい続けた。一時的な滞在ではなく、永住となった。永住権を得たので、今度は本国から家族を呼び寄せるようになった。

 移民の第1世代は母語をそのまま維持していた。第2,第3世代になると、学校でオランダ語を学ぶ。家では家族と母語で話し、外ではオランダ語だ。第2,第3世代はここで生まれ育っているのでオランダ文化を吸収するわけだが、必ずしも社会から受け入れられているわけではない体験をしている。犯罪事件に巻き込まれる人も多くなった。

 トルコやモロッコからの移民家庭の出身者のほとんどがオランダ社会によく融合しているものの、一部の人は、親あるいは祖父母の出身国の文化にも、オランダの文化にも属さないと感じる存在となった。

 グローバル化も移民出身者に影響を及ぼす。国境がオープンになり、人が外から入ってくる。企業はより安く使える人を世界中から呼んでくる。移民の第2、第3世代の失業率は先住オランダ人口の失業率よりもはるかに高い。

 かつてゲストワーカーが手掛けてきた仕事は世界中にアウトソースされるようになった。それほど多くのゲストワーカーは必要とされなくなった。すでに永住してオランダにいる、かつてのゲストワーカーはどこにも行けなくなった。

―オランダに元々いる人はどんな思いでいるのか。

 グローバル化で職を失うのは先住オランダ人も一緒だ。エリート層がいかに欧州連合(EU)が素晴らしいといっても、意味がない。先行きに不安感を持っているし、職を失っている人もいる。移民が自分たちの仕事を奪ったのだ、と思っている。実は、世界的なグローバル化の現象や機械化が進んだためであるのだが。

 EUや移民のせいばかりではなく、世界経済の動向によって、教育程度やスキルが低い人は職を失ったり、あるいはより低賃金を強いられたりするようになっており、自分たちの声を聴いてくれる政治家がいないことに不安を持っている。

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選挙戦中にルッテ首相(左)とともに子供用番組に出るウィルダース氏(中央)

 ここにウィルダース氏がやってくる。不安感を持っている人の声を代弁し、解決策を提供できる、と主張している。米国のトランプ氏のように。

 ウィルダース氏は移民が入ってこないように国境を閉鎖したいという。

 彼が「普通の市民のために」主張する時の「移民」とはゲストワーカーとしてやってきたイスラム教徒の国民だ。この人たちはすでにオランダにいるのだし、オランダはEUの加盟国だから、(ヒト、モノ、資本、サービスの自由化が原則の)EU市民の流入は止められないのだけれども。

―ゲストワーカーとしてオランダにやってきた人々の何が問題視されているのか?

 その大部分が都市部出身ではなかった。都市部から遠く離れた土地に住み、ほとんど教育らしい教育を受けてこなかった人々だった。モロッコだったらカサブランカのような大都市から来た人々ではなく、地方からやってきた人々だった。トルコも同様だ。

 イスラム教という異なる宗教の国からやってきたばかりか、オランダの近代的な都市文化に慣れていない人たちが来てしまった。様々な対立が発生することになる。

 移民の第2、第3世代は宗教を自分の隠れ場所として捉えた。オランダ社会の主要部分に受け入れられてもらえないと感じた人の一部が過激化し、「イスラム国」(IS)のメッセージに魅了されている。

 社会の中での居場所を見つけられなかった人はISのイデオロギーに染まってしまう。すべてを西欧的、資本主義的=悪、と見なすようになる。

 ウィルダース氏の政治家としての問題は、十分な解決策を示していない点だ。この21世紀で国境を閉鎖するのは不可能だ。アジアやほかの地域が急成長する世界で、欧州だけが閉じた状態ではいられない。イスラム教を禁止するのは信仰や言論の自由を規定する憲法にも反する。それにもかかわらず、ウィルダース氏はこの社会で無力だと感じる人々の声を代弁する政治家になっている。

―今や、ほかの政党も移民問題を論じている。

 ウィルダース氏が議論の流れを変えたのは確かだ。

 ルッテ政権は財政再建には成功したが、人々の移民やイスラム系市民の存在に対する懸念に耳を傾けてこなかった。なぜ世界が変わったのかを説明してこなかった。

 このために、多くの人が自由党に投票した。自由党が政権を取らないことを知っていても、怒りを表現したかったのだと思う。

―移民によって「仕事を奪われる」と感じる国民がいる、と。

 例えば、東欧のEU加盟国ブルガリアやルーマニアからやってくる人々がいる。オランダと比較するとこうした国の労働賃金ははるかに低い。オランダに来て、国内の通常の賃金よりも低い金額で働くので、オランダ人は職を失ってしまう。

 オランダ人のトラックの運転手が自分の半分の賃金で働くルーマニアの運転手に仕事が奪われるという事態が発生する。職を失ったオランダ人の運転手はこれがEUのせいだと思い、反EUの政党に投票してしまう。

 EUの見方にも誤算があった。新たにEUに加盟した旧東欧諸国に対し、EUは早く加盟国としてなじんでほしいと願った。民主主義、自由、法による支配という原則を味わってほしい、と。いわば、民主主義の文明開化を体験してほしいと願ったのだが、現実には新EU市民は低賃金で働くことでホスト国の人の仕事を奪い、ホスト社会の人々を不幸にしてしまった。

 EUの理想への信奉や、拡大に向かう動きはまだあるけれども、これによって多くの労働者を傷つける結果となった。

 大きな幻滅感があり、ウィルダース氏やフランスの国民戦線のルペン党首、そして英国のEUからの脱退を求めてきた英国独立党が人気を博すようになった。

 「EUに加盟しているのは良いけれど、家も職も失ってしまった」という人をたくさん生み出してしまった。

―エリート層は事態をどう見ているのか

 政治のエリート層は概して、まだEUの理想を信じている。しかし、統合が早すぎ、深すぎたことを認めざるを得なくなった。 リベラル過ぎたし、オープンな市場を実践しすぎた。

 加盟国の中でも英国はEUの価値を単一市場の存在と同一視してきたが、一方のドイツ、フランス、オランダは、欧州とは価値観を共有するコミュニティだととらえてきた。共通の法律、共通の理想、共通の原則を持つ存在なのだ、と。

―オランダのリベラリズムや「寛容」について聞きたい。

 16-17世紀以来、オランダが外に対して常にオープンで寛容であったのかどうか、あるいは生き残りのためにそうしていたのかについては、様々な見方がある。

 「あなたはカトリック教徒、自分はプロテスタント教徒だ。あなたは自分がやりたいことをやり、私もそうする」、と言うのが基本の形だった。だからといって、互いを好んでいたわけではない。誰もが社会を構成する少数派の1つであったために、表面的に受け入れていただけだ。深く関わっていたのではない。

 ユトレヒト大学で教える米国人の歴史家ジェレミー・ケネディ氏の最新の本によれば、オランダ人は自分たちがオープンで寛容だと思い、世界にもそうであるように思われたがっている。しかし、それほど単純なことではなかったのだ、という。オープンさ、寛容さは生き残るための術だったのだ、と。

―オランダは異なる宗派のキリスト教徒やユダヤ人を受け入れてきた歴史がある。なぜここに来て、イスラム教が争点となるのか?

 17世紀、18世紀、フランスから「ユグノー」(カルバン派プロテスタント)の知識人たちがやってきた。オランダの都市がオープンで国際的であったから受け入れることができたが、ビジネス面での利点もあった。本を買ってもらえるし、技術も入ってくるかもしれない、と。それほど大きな人数ではなかったことで、普通の市民は負の影響を受けなかった。

 しかし、移民の流入数が大きくなると事情は変わってくる。

 オランダの元植民地スリナムやアンティル諸島、そしてトルコやモロッコから熟練したスキルを持ってない人がオランダにやってきて、問題が表面化した。社会の下層にいる、スキルを持たない人に損害を与えるようになってきたからだ。こんな時、寛容はどこかに吹っ飛んでしまう。先住のオランダ人にすれば頭に来る現象だ。自分の家や仕事を奪われてしまうからだ。

 つまり、自分たちに損害を与えない限りにおいては、私たちは寛容だということだ。しかし、今はその寛容さの限度を揺るがせるレベルに到達しつつある。

―寛容さには限界があった、ということか。

 限界はある。私たちの寛容さは、決して私たちが清く美しい心を持つからそうなったのではなく、常に、現実的な理由からだった。このため、ある時点になると、寛容さが消えてしまう―心の底から発生した寛容さではないからだ。

 知的で、お金がたくさんある人だったら、寛容でいられる。しかし、自分の住む町の90%が世界各国の文化で一杯になる時、寛容さは無意味になってしまう。

―しかし、異文化あるいは移民への違和感を西欧社会で口に出すことは難しい。政治的に正しくないからだ。

 確かにそうだ。ウィルダース氏が異文化や移民に対する人々の全うな懸念に言及する時、どうしても非常に差別的な表現になってしまう。これがなんともつらい。 

 2014年、地方選挙の演説で「モロッコ人(移民)が増えるのと減るのではどちらがいいか」と聴衆に呼びかけ、「減るほうがいい」という声が上がると、ウィルダース氏は「よし、減らそう」と答えた。この一件で、ヘイトスピーチを行い国民を扇動した罪で有罪(昨年12月)となった。

 裁判官はウィルダース氏の発言を有罪とした。こんなことを言ってはいけないからだ。 犯罪者が少ないほうがいい、と言ってもよい。しかし、モロッコ人が少ないほうがいい、とは言ってはいけない。

 しかし、ウィルダース氏はあえてそう言ってしまう。これが人々の本音だからだ。

 さて、本当に「本音」なのか?

 胸に手をあてて問いかけてみれば、オランダ人はかなり寛容だと言えるだろう。ほとんどの人が、モロッコ人やトルコ人、ルーマニア人に国を出て行ってほしいとは思っていない。しかし、自分の生活を乗っ取られたくないとも思っている。

 例えば、こういうことだ。スカートをはいたオランダ人女性が自転車に乗って通りを走っているとしよう。オランダ内のある場所に行けば、彼女に「売春婦め!」という罵声が浴びせられる。伝統的なイスラム教の価値観を持つ人からの罵声だ。女性はもうオランダが自分の国ではないと思ってしまうだろう。

 イスラム教徒の女性で外出時にスカーフで頭髪を隠す人はたくさんいる。女性が通りでイスラム風のスカーフをかぶっていること、それ自体は全く問題ない。

 しかし、 ある女性が自転車に乗っているとき、罵声を浴びせられたり、自転車を倒されたりしたら、これは実に問題になる。

―筆者が住む英国では、公営のスイミングプールをイスラム教徒の女性専用に開ける自治体がある。その時には窓を全部占め、外からはのぞけないようにしている。

 民間のスイミングプールで私的にそうするのはかまわないだろうが、公営プールでこうしたことを要求した場合、オランダなら「それはオランダのやり方ではない」という声が出るだろう。

 比較的最近やってきた移民の市民がこれまでの法律を変えようとすることがある。こうした時、「申し訳ないが、ここは私たちの国だし、これが法律だ。順守してほしい」と先住のオランダ人は言うかもしれない。対立が起きる。

―選挙後、連立政権発足のために政治家の話し合いが続いている。新政権に何を望むか。

 新政権には大きな課題がある。人々の声に耳を傾けること。痛みを共有すること。困窮状態にある人を訪ね、支援し、行動に結び付ける。同時に、何世紀もかけて築き上げたきたこの国の法律に従わない人、イスラム教のシャリア法を導入させようとする人には、オランダは寛容になれないことを伝えるべきだ。

―オランダの下院選にはたくさんの政党が参加した。

 比率代表制になっている。28の政党が参加した。有権者は政党に投票し、得票率に沿って議席が獲得される。

 多くの異なる意見が選挙戦で出る仕組みだ。混乱状態となるが、私は様々な意見が出るという意味でよい制度だと思う。

 連立政権が成立するまでには時間がかかる。数か月はかかるだろう。それぞれの政党が妥協しなければならない。

―常に連立政権か?

 そうだ。比例代表制で多くの政党が参加するため、定数の半分以上を1つの政党が獲得することがない。独裁政権が生まれにくい仕組みだ。
 
 そこで、複数の政党が政権を発足させるために互いと話し合いをする。今回は4党か5党が一緒になりそうだ。様々な意見が集約される、良いシステムだと思う。

 私たちはこの話し合いの仕組みを「ポルダー体制」と呼んでいる(ポルダーとは「低湿地を干拓してつくりだした陸地」を指す)。それぞれが社会の少数人口を代表しているという前提の下で、落としどころを見つけてゆく。長い時間をかけて最終的なゴールに到達する。

―どの政党を支持しているか?

 政治記者になってから、一度だけ投票したことがあるが、それ以来、投票はしないことにしている。心を自由にしたいからだ。前に投票した時、どうも落ち着かなかった。

 政治記者はどの政党に投票したかを公表するべきではないと思う。自分の場合はさらにその一歩先を行って、一切、投票しないことにしている。私の役目は選挙について報道し、分析することだ。

****

 オランダの知識人の見方を紹介したほかの記事は以下です。よろしかったら、ご覧ください(タイトル部分をクリックすると、記事に飛びます)。

(東洋経済オンライン、3月23日付)

(現代ビジネス、3月17日付)

(朝日 Web Ronza、4月3日、課金記事)

by polimediauk | 2017-04-14 16:34 | 欧州表現の自由
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(ツイッター画像より)

 フランスの風刺雑誌「シャルリエブド」の最新号が、トルコの海岸で見つかった、シリアからの難民男児アイラン・クルディちゃん(3歳)の遺体画像を風刺画のトピックとして描いている。ツイッターを見ると、「気持ち悪い」「恥を知るべきだ」などの声が出ている。(*Aylan=アイラン=ちゃんは Alan=アラン=と表記されることもあるようです。)

 今月2日、波打ち際に顔をふせて横たわっていたアイランちゃん。その姿を撮影した画像は、世界中の注目の的となった。赤いTシャツに半ズボンのアイランちゃんは、両親と兄と一緒にゴムボートに乗り、ギリシャに向けて出発したが、ボートが転覆し、命を落とした。母と兄も亡くなった。

  画像では顔の正面は見えなかったが、アイランちゃんは小さな体を通して、欧州に渡ろうとする難民たちの姿を生々しく伝えた。子供がある人もない人も、心を動かさずにはいられない光景だった。

  このアイランちゃんの画像をもとに、シャルリエブドは2つの風刺画を掲載した。

 その一つは「移民さん、ようこそ」という題名がつき、横たわる子供のイラストの左上に、「ゴールにとても近かったのに・・・」という文字が書かれている。その右隣にはマクドナルドの看板が描かれている。看板には、「子供たち二人のメニューを、一人分で」(買える)というプロモーションがある、と書かれている。

  もう1つの風刺画は、題名が「欧州がキリスト教信者である証拠」。左側にキリストと見られる人物が立っている。その右横には、半ズボンをはいた、子供らしい人物が海の中に頭を突っ込んでおり、半ズボンと足だけが見える。キャプションが付いていて、「キリスト教徒は水の上を歩く。・・・イスラム教徒の子供たちは沈む」。

 果たして、これが風刺なのだろうかー?筆者はこの二つの風刺画をネットで見ただけで、実際の雑誌を手に取っていないので、ほかに関連の表記があるのかどうかは分からない。

  しかし、もし風刺の目的が「権力者を批判する・笑う」のであれば、これは風刺には当たらないだろう。弱者を笑っているように見えるからだ。イスラム教徒を差別的に描いているようにも見える。

 いったい何が面白いのかなと個人的には思うが、何か深い意味があるの「かも」しれない。あるいは、ないのかもしれない。状況が分かる方に教えていただきたいものだ。もっとも、「笑い」は説明されてしまっては、つまらなくなるものだが。

 一つの解釈として、亡くなった子供やイスラム教徒を笑っているのではなく、「難民問題をうまく処理できない、右往左往状態の欧州政府を笑っている」と言えなくもないがー。

  ご関心のある方は、ハフィントンポスト英語版のサイトからご覧になっていただきたい。
by polimediauk | 2015-09-15 08:07 | 欧州表現の自由
(月刊誌「メディア展望」4月号==サイトからダウンロード可=の筆者原稿に補足しました。数字などが原稿を書いた当時の3月中旬のものであることにご留意ください。)

 「忘れられる権利」(right to be forgotten)という表現が、このところ大きな注目を浴びている。

 インターネットが普及した現在、いったんネット上に情報がアップロードされてしまうと完全に削除することは困難だ。「忘れてくれない」のがネットの特質とも言える。しかし、個人情報やプライバシー保護の観点から何らかの是正措置があるべきという声が高まってきた。

 ネット上の個人情報の保護について画期的な判決が出たのは、昨年5月だ。欧州連合(EU)の最高裁判所となる欧州司法裁判所(CJEU)が米検索大手グーグルに対し、EU市民の過去の個人情報へのリンクを検索結果に表示しないように命じる判決を下したのである。

 「忘れられる権利」をめぐって欧州の市民がグーグルに初めて勝訴したのは2011年と言われている。フランスの女性が若いときに撮影したヌード写真が30万以上のホームページにコピーされたことから、グーグルを相手取り、写真の削除を求めて訴訟を起こした一件である。

 昨年5月のCJEUの判断は、欧州内で市民に忘れられる権利を保障する典型的な判例となったこと、グーグルが包括的な取り組みを開始したという点で非常に大きな動きだ。

 本稿ではその経緯と余波を記してみたい。

スペイン人男性による訴え

 もともとの話は1998年にさかのぼる。スペインの新聞「バンガルディア」は同国人の男性が社会保障費を未払いし、回収のために不動産を競売にしたという記事を掲載した。その後、男性は未払い分を処理したが、この新聞のウェブサイトには当時の記事が掲載され続けた。このため、男性がグーグル検索で自分の名前を入力すると、十数年前の未払い問題が表示結果に上ってきた。

 2010年、男性はバンガルディア紙とグーグル・スペイン社及び米本社に対し情報の削除を求める訴えをスペインのデータ保護局に起こした。保護局はバンガルディア紙の報道は「合法」として男性の削除願いを退けた。しかし、グーグルに対しては表示結果に出さないように命じた。これを不服としたグーグルがスペインの高裁に控訴し、高裁はCJEUに判断をゆだねた。昨年5月13日、CJEUはグーグルに対し該当する個人情報を表示しないように命じた。

 CJEUはグーグルが「データの管理者」の役目を果たしている、と見る。グーグルには市民の基本的権利、自由、特にプライバシーを維持する権利を守るというEUデータ保護指令(1995年発効)に基づいた「責務を順守する必要」があり、個人が不都合と考える自分についての情報を表示結果に出さないようにするべきという判断を示した。その一方で、利用者の知る権利とプライバシー保護には「公正なバランス」が必要で、公人の場合は利用者の知る権利が優先されるとした。

 2012年には、欧州委員会が保護指令のアップデート版とも言える「データ保護規則案」を提案。これは非欧州企業であってもEUのデータ保護規則などに従う必要があること、情報の削除を申請する個人ではなく情報を発信する企業側に立証責任を持たせることなどを含む。今年3月13日、EU加盟国はいくつかの修正を加え、規則案を採択した。

 日本では昨年10月、東京地方裁判所がグーグルに対して検索結果の削除を命じる仮処分判断を発令している。検索結果自体の削除を裁判所が命じた、日本初の事件と言われている。

グーグルの対応


 グーグルは、昨年5月29日から削除申請の受付を開始した。自社の「透明性レポート」のサイトで結果を公開している(毎日更新)。

 3月14日時点では削除申請総数が欧州全体で23万1316件、削除のために評価したURLは83万5940に達した。評価したURLの中で59・5%が削除された(表示結果に示されないようになった)。

 意したいのは、こうした数字はあくまでEUの司法判断を受けての関連削除である点だ。どの大手検索エンジンも一部の情報については表示結果に出ないようにする作業を常時行っている。違法行為につながるような情報(著作権物の違法ダウンロード、児童ポルノに関わる情報・画像など)や性犯罪の犠牲者の個人情報などがこれに入る。

 司法裁判所による「忘れられる権利」の判断は果たしてどこまで及ぶべきだろうか。

 グーグル側は欧州で利用される検索エンジンのサービス(例えばフランスのgoogle.fraなど)に限定したのに対し、昨年11月、EUの個人情報保護規制当局で作る調査委員会は、対象を全世界での検索エンジンに採用することを求めた。

 しかし、2月6日に発表された、グーグルの「諮問委員会」による報告書によれば、グーグルは今後もこれまでの方針を変えないようだ。

 諮問委員会はグーグルが司法判断を実際に運用する際の指針作りのために設置された。ドイツの元法相、ネットサイトの創始者、学者などグーグル側が選出した専門家8人が委員として参加し、委員会の招集者としてグーグルの最高法務責任者とエリック・シュミット会長が名を連ねた。

 報告書はリンクを表示結果に出さないようにする行為を「リストからの削除(delisting)」と表記している。ここでの「削除」とは情報を掲載するウェブサイト自体を削除するのではなく、また情報自体を削除するのでもなく、「表示結果に出さない」という意味であるため、より正確な表記といえよう。

 報告書はグーグルが「リストからの削除」をする際の4つの指針を提案している。(1)公人かどうか、例えば政治家、企業経営陣、著名人、宗教上の指導者、スポーツ選手など。この場合、削除の対象にはならない可能性が高い、(2)情報の種類(個人の性生活、財務状況、身元情報、未成年の情報など)も削除対象となる要素だ、(3)情報源がメディアの記者、著名なブロガー、作家などで公益のために情報を出した場合、削除対象になりにくい、(4)時間―その情報が出てからどれほどの年月が経っているかで判断が変わりうる。

 どの地域が対象となるかについて、大部分の委員が「欧州域内での検索サービスに適用」を支持した。グーグルによると欧州の利用者の95%が自分たちの居住国版の検索エンジンを使っているという。欧州にいながらも他地域の例えば米国版グーグルを使うことは可能であるため欧州域内での検索サービスに限定しても問題はなく、逆に全世界を対象とすると情報統制をもくろむ「独裁国家が利用者に厳しい統制をかける」手法として悪用されることを避けるためだ。

 報告書の「付録」部分には各委員の意見が表明されている。委員3人は「削除」がパロディーを行う権利を侵害する恐れから、削除対象に宗教についての情報を入れないようにするべきと主張した。

 「ウィキペディア」創立者のジミー・ウェールズ氏はグーグルという一企業が削除対象を自分たちで決定することへの大きな危惧を表明した。「情報をもみ消される側の出版社が申し立てを起こす適切なステップを与えられないままに、一営利会社が私たちの最も基本的な権利である表現やプライバシーについて、裁判官の役目を果たすことを余儀なくされる司法体制に真っ向から反対する」。同様の危惧は複数の英語圏の報道で散見された。

 米国でグーグルを検索エンジンとして使う人の割合は60数パーセントだが、欧州では90%を超えるとされる。1企業が市場をほぼ独占する事態が現実化している。

 個人情報の「リストからの削除」について、言論活動に関わる人から出た懸念は、「歴史を書きかえる」行為につながりはしないかと言う点だ。たとえ本人にとっては不快であり、一般的には瑣末と思われる情報でも、ある社会状況を研究する、あるいは正確に把握するためには貴重で重要な情報となる場合もあり得る。

 しかし、ひとまず、不正確な個人情報を「正す」仕組みができたことは大きな功績といえよう。検索エンジンが何を表示するかしないかは運営側にほぼ一任されてきたが、CJEUの判断は市民側からの申し立ての道筋を作ったのである。

 (月刊誌「メディア展望」4月号の筆者原稿に補足しました。筆者の原稿のほかに、中国や米国の海外情報ほか、興味深い記事がたくさん掲載されていますので、よろしかったら、サイトをご覧ください。)
by polimediauk | 2015-05-15 09:19 | 欧州表現の自由
 追加:先ほど(12日)、フランス24(テレビ局)を見ていたら、議論のコーナーがあり、昨日のデモを自己批判していた。いろいろな意見が出ていたが、すでに「表現の自由」の話ではなくなっている。

 欧州の中のムスリム(イスラム教徒)の存在、非ムスリムの国民の存在、「フランスは世俗国家だ」という点を「押し付けている」のではないかという批判などなど。含蓄に富むコーナーだった。

***

 7日、週刊紙「シャルリ・エブド」(「週刊チャーリー」)のパリ本社で、風刺画家などを含む12人が殺害される事件が起きた。ここ数日、このニュースをずっと追っている。

 これを「イスラム過激主義者によるテロ」とひとまずくくるとしても、この事件やその影響・余波についてはいろいろと思うことがありすぎてどう書いたらいいのか分からない状況にいる。

 欧州社会の「表現や言論の自由」をめぐり、「イスラム教過激派(原理主義者?)が何らかの抗議をする・時に暴力行為となる」事件に、ここ10年ほど目を奪われてきた。

 自分自身がこの問題に注目するようになったきっかけは、2004年のオランダで発生した映画監督殺害事件である。白昼、イスラム教を批判する映画を作った監督がイスラム教過激派の若い男性に殺害された。大変なことが起きたなと思った。

 その後、大きなものとしてはデンマーク風刺画事件があった。

 その後もまたいろいろあるのだけれども、デンマーク事件より以上に衝撃が大きいかもしれないのが、今回のフランス風刺画事件であろう。

 この事件はいろいろな面から解釈、論評ができるのだけれども、私が常々感じてきたのは、欧州(西欧)は表現や言論の自由も含め、現在私たちが生きている(西欧化された)世界を形作るさまざまな価値観の基になる思想を提供してきたけれども、

 「果たして一体どこまで普遍的な正当性があるのだろうか?」

 という問いが心の中でふくらむようになった。

 具体的に言えば、一連の風刺画事件で、例えばデンマークやドイツの新聞の論者たちは「すべてを批判・風刺の対象とする」「表現の自由はなんとしても守るべきもの」というスタンスであった。表現の自由は「欧州社会の」かつ「私たち」の基本であり、歴史から育まれたものであり・・・と。これに対し、「おや?」と思ったのである。

 「欧州社会」って、誰を含むのだろう?「私たち」とは誰か?と疑問がわくようになった。「自分たちの宗教を過度に茶化すのはいやだ」という人がもし社会の中にいたら、その人たちはすでにある規範にどうしても従わないとダメなのだろうか?

 つまるところ、これは「欧州」の話でなくてもなんでもいいのだけれども、「社会の大部分=マジョリティ=の人は、少数派=マイノリティー=の人の考えや感情に思いをはせて、自分たち自身を変えるという発想はないのかな」、と。この疑問がわいてくると、「表現の自由は譲れないことだから・・・」と主張する上記の論者たちの言い方はどうなのか、と思うようになった。

 といって、「表現の自由などの価値観をマイノリティーの考えを考慮して、曲げるべきだ!」と思っているわけではない。もちろん、表現や言論の自由は大切だ。

 しかし、単に、「自分の信念は絶対に曲げない」と繰り返されると、対決姿勢がますますきつくなるのではないかなとか、「俺のいうことを文句を言わずに、聞けよ・だれが今の自由な世界を作ったと思っているんだ!」と強制されてしまう気もするのである。

 フランスで表現・言論の自由を守ることの重要さも、私が住む英国とは比べ物にならないぐらい強い、歴史や文化の一部であることも理解できる(理論的には)。

 それでも、風刺画関連の事件を追っているうちに、フランスだけではなくて、オランダでも、デンマークでもドイツでも、「われわれのやり方はこうなんだ。だから、これに従うべきだ」という、社会のマジョリティーとしての無言の圧力を感じたのである。

 つまるところ、欧州と何なのか、将来はどうなるのかを考える、重要な事件の1つになるのだろうと思う、今回の殺害事件は。

 欧州のマイノリティーの一員として生きる自分にとっても、非常に切実な問題である。

 共同通信の9日配信版ニュースに、以下の原稿を書いた。ネット版では流れないそうなので、許可を得て転載したい。

 この中では「移民」という視点から書いている。もっと別の面もたくさんあるのだけれどー(テロの話や、中東の話、フランスの独自の歴史、表現の自由の意味など)。


仏週刊紙襲撃事件
歩みよりはないのか
 ー市民に強いる風刺も


 欧州最大のムスリム人口(全体の7・5%、約500万人)を抱えるフランスで、衝撃的な事件が7日、発生した。

 風刺週刊紙「シャルリ・エブド」のパリ本社に複数の人物が押し入り、銃を乱射して編集長、風刺画家、警官を含む12人を殺害したのである。犯人らは「(イスラム教の)神は偉大なり」などと叫んだと言われ、イスラム教過激派と関連するテロとの見方が広がっている。

 あらゆることを風刺の対象とするシャルリ・エブドは、2006年、デンマークの新聞ユランズ・ポステンに掲載されて多くのイスラム教徒の怒りをかった預言者ムハンマドの風刺画を再掲載している(ムハンマドの姿を描くことさえイスラム教は「冒涜的」とする)。2011年にはパロディ版シャリア(イスラム法)を巻頭特集にし、本社ビルに火炎瓶を投げ込まれた。

 イスラム教やムハンマドをモチーフとした言論及び芸術表現について制作者・表現者が威嚇や殺害されたり、世界的な抗議デモに発展するケースはこれまでにもあった。もっとも著名な例は英作家サルマン・ラシディが小説「悪魔の詩」(1988年)を発表し、イランの宗教指導者から死刑宣告を受けた騒動だが、2004年にはオランダの映画監督でイスラム教の批判者がイスラム教過激主義に染まったとされる若い男性に殺害されている。

 「イスラム教を批判しにくい」現状を問題視したユランズ・ポステン紙がイスラム教をテーマにした風刺画数点を同紙に掲載したのは05年だ。翌年、他国の複数の媒体が風刺画の一部を再掲載。インターネット時代に情報はあっという間に広がった。特に問題視されたのがムハンマドの頭部に爆弾がついた風刺画で、イスラム教をテロ行為と直接結び付けたとして、イスラム教徒の市民の間に大きな反発を引き起こした。問題の風刺画を実際に見たことがないと思われる多くの人が抗議デモに参加した。

 今回の事件を受けて、オランダの極右政治家ヘールト・ウィルダース氏は「欧州の文化的価値を共有しない人は欧州から出て行くべきだ」と、英国のテレビで語った(8日)。「欧州で生まれ育った人はどうするのか?」と司会者に聞かれ、「それでも出て行って欲しい」―。この言葉をどう解釈すればいいのか。

 宗教改革を経験した欧州社会にとって、絶対的な権威の象徴だった教会組織をも批判できる自由は妥協できない価値観だ。しかし、「すべてが風刺の対象になるべき」という主張を多様な宗教、人種で構成されるようになった欧州市民に強いる部分はないだろうか。「もっと節度のある表現もあってしかるべきではなかったか」という論調を欧州の複数のメディアの一部で目にするようになったのは変化の兆しに見える

 仏テレビ局「フランス24」の討論番組(7日)で、イスラム教徒の地方議員マジド・メサウデネ氏は「シャルリ・エブドは風刺の度合いが許容範囲を超えていると思う」と指摘する一方で、「そんな風刺を世の中に出す権利は認める。同時に、『許容範囲を超える風刺だ』という自分の意見も社会に存在する権利があると思う」と述べた。

 メサウデネ氏も、ウィルダース氏も同じ欧州市民だ。異なる見解を持つ欧州市民同士が同等の立場で互いに譲り合い、歩み寄ってこそ、未来が開けるのではないかと思う。(終)
by polimediauk | 2015-01-12 23:38 | 欧州表現の自由
 アルメニア系トルコ人で、新聞の編集長だったフラント・ディンクは、2007年1月、イスタンブールの新聞社事務所の前で、何者かに殺害された。

 「私たちはアルメニア人だ」というプラカードを持って、10万人ほどの住民がイスタンブールでディンクの葬儀に参加した様子をネットで見たとき、非常に胸が打たれる思いがしたのを覚えている。

 殺害事件後、まもなくして逮捕されたのが、17歳(当時)の少年で超国家主義者のオギュン・サマストであった。当時の地元紙の報道によると、少年は知人の民族主義組織のトップ、ヤシン・ハヤルに殺害を依頼されたという。ヒュリエト紙によると、ハヤル氏はディンク氏を敵視しており、「政府が何もできないのなら、我々が手を下す」などと語っていたという。サマスト容疑者自身は、後の警察への供述の中で、ディンクは「トルコ人を侮辱したために殺害した」と述べていると報じられた。

 時は進んで、今年である。去る7月25日、トルコの裁判所は、ディンクを殺害した青年に、22年と半年の禁固刑を下した(ただし、一部報道では21年と半年とある)。裁判官は当初、サマスト被告に終身刑を考えたが、犯行実行当時未成年だったため、長期禁固刑となった。

 ディンクはトルコ語とアルメニア語とを使う2ヶ国語の新聞の編集長だったが、トルコが否定する、第1次世界大戦中のオスマン帝国の「アルメニア人虐殺」に関する記事や発言で、刑法国家侮辱罪301条で起訴され、2005年に執行猶予付きの有罪となるなど、数度の訴追を受けていた。

 ディンクの弁護士フェティエ・ケティンがBBCに語ったところによれば、刑の長さには大きな意味があるという。現在、ディンク殺害に関連して、他数人が関与していたといわれており、「サマストやほかの容疑者たちはこれほど長い禁固刑になるとは予想していなかったと思う」。そして、「今回の刑の重さが、同様の犯罪を防止する役割を果たすと思う」。

 BBCなどによると、昨年、欧州人権裁判所は、トルコ当局がディンクを保護することに失敗したと述べ、ディンクの家族に17万ドルの賠償費用を支払うよう命じた。生前、超国家主義者によるディンク殺害計画があったからだ。

 今年6月、裁判所は、軍人2人を含む数人の容疑者に対し、諜報情報を元に行動を起こすことに失敗した罪で禁固刑を下している。

―本当の犯人を何故捕まえないのか?

 トルコの新聞「ヒュリエト」英語版(7月26日付)では、ディンクの友人というユスフ・カンリが、「引き金を引いた人を捕まえるだけでは不十分」「引き金を引かせた人を裁くべきだ」と書いている。

 殺人行為を行ったとき、サマストは「未成年であった」ことから、刑を軽くしたなどというのは茶番劇だったとカンリはいう。

 ディンクの死からもう何年も経っているのに、「ディンクを殺すようサマストに依頼した人はつかまっていない」「銃と弾を提供した人、殺すことをサマストに教えた人は、鳥のように自由の身だ」。

 「サマストが故郷で捕まったとき、トルコの国旗を前に一緒にポーズをとった警察官」や、サマストをまるで有名人のように扱った人々は、トルコ社会の忘れっぽさから恩恵を受けているだけなのだ、と述べる。

 一方、27日付のザマン紙英語版によると、サマストの父アーメットは、報道陣に対し、息子は殺人計画に使われているだけで、本当の実行者はほかにいる、と述べた。

 「息子をだまして、使ったんだ。この殺人事件は十分に捜査されるべきだ。誰か他の人が背後にいるなら、その人が裁判にかけられて、懲罰を受けるべきだ」。

 父は、自分の家族は犯罪行為に一切手を染めたことはない、という。

 「息子のことを当局に通報したのは自分だ。罰を受けるべきだと思ったからだが、息子は銃を撃ったときはほんの17歳だったんだ。この禁固刑は重過ぎる」-。

 近代トルコの建国の父アタチュルクが主導した「政教分離」「世俗主義」はトルコの国是となっており、「トルコらしさ」から逸脱する人物には疑いの目が向けられる雰囲気がある。

 果たして、この殺人の「黒幕」は誰なのだろう?

(トルコとディンクの殺害前後の話にご関心がある方は、ニューズマグに、関連アーカイブ記事を出しています。アーカイブ: トルコ、表現の自由の行方 -ジャーナリスト殺害で民族主義者が台頭か http://www.newsmag-jp.com/archives/9376)
by polimediauk | 2011-08-02 06:48 | 欧州表現の自由
 2006年初頭に広まった、「デンマーク諷刺画事件」(デンマークの新聞ユランズ・ポステン紙がイスラム教預言者ムハンマドに関わる12枚の風刺画を掲載したことがきっかけ)の余波は、まだ続いているーそんなことを思わせる事件が、1日、起きた。風刺画を作成した漫画家の自宅に、斧で武装した男が押しいったのだ(注:日にちは2日でなく1日でした!)。

 男はソマリア人で、地元警察によると、イスラム系武装組織に関与している。過激イスラムグループの「アル・シャバブ」が攻撃をたたえるコメントを、AFP通信に出している。

 このソマリア人男性(28歳)が攻撃しようとしたのは、漫画家クルト・ベスタゴー氏(74歳)。1日、デンマークの西部オーフス(先のユランズ・ポステンの編集室がある)に住むベスタゴー氏の自宅に、斧とナイフを手にして押し入ろうとした。ブロークンな英語で、ベスタゴー氏を殺したいと叫んだという。自宅にいた同氏が警察に連絡すると、男はかけつけた警察官らを斧で攻撃しようとしたという。ひざと肩部分(後の英紙報道ではひざと手の部分)を警察官に撃たれた。

 デンマークの法律による制限で、この男の名前は公表されていないが、現在、殺人未遂容疑となっている(本人は容疑を否定)。

 ベスタゴー氏は、12枚の風刺画の中で、ターバンをかぶった人物(多くの人がムハンマドと同一視)を描いた。ターバンの先には爆弾がつながっており、複数の風刺画の中でもっとも論争を呼んだ1枚を作成した。

 ユランズ・ポステン紙は、2005年、国内でイスラム教に関わる言論の自由が狭まっている状態を問題視し、議論を始めるためにムハンマドに関わる風刺画12枚の掲載を計画した。同年9月末、掲載された直後は特に大きな議論が国内で起きたわけではなかったようだ。しかし、デンマーク国内のイスラム教徒たちの数人に聞くと、それほど信心深い人ではなくても、傷ついた、あるいは侮辱に感じたようだ。特に、このターバン+爆弾の風刺画はまるで預言者ムハンマドをテロリストと同一視しているかに見えて、頭に来た人が多いようだ。

 その後、年が明けたあたりから、他の欧州の新聞がこれを再掲載し、世界中で大きな論争が起きた。一部のイスラム諸国ではデンマークの国旗を焼いたり、抗議デモやデンマーク大使館への攻撃が起きた(ただし、一部は政府によるやらせであったという話もある)。

 2006年初頭と07年、デンマークで取材をした。風刺画掲載の発想のきっかけを作ったともいえる、児童作家カーレ・ブルートゲン氏のインタビューも含め、事件の経緯やいくつかの取材を前にこのブログに出してあるので、ご関心のある方はご覧頂きたい。(ブルイトゲン氏のインタビューはhttp://ukmedia.exblog.jp/6495291/ )


風刺画事件 2月のまとめ (大体の概要)
http://ukmedia.exblog.jp/3599239/

デンマーク風刺画 揺れるデンマーク1-8
(2006年取材分)
http://ukmedia.exblog.jp/6444769/

風刺画事件後のデンマーク1-6
(2007年取材分)
http://ukmedia.exblog.jp/8162405/

ユランズ・ポステンの説明(英語)

http://jp.dk/udland/article1292543.ece
by polimediauk | 2010-01-03 06:51 | 欧州表現の自由
 オランダのウイルダース議員が、やはりヒースロー空港で拘束され、その後オランダに戻された。在英オランダ大使の努力もきかなかった。

 本人の事情説明はBBCのビデオで見れる。拘束中に電話でさまざまなメディアとの取材に応じたようだ。

http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/7885918.stm

 夕方、英独立党が開いた会見に行ってみた。もともと、独立党のピアソン卿の招きで議員は英国に来たのである。

 オランダ、デンマークなどからの記者が多かった。英国のメディアは結構すぐ関心を失った感じがした。それでも、英国内の苛立ちは、政府や知識人の中にある、イスラム系住民への遠慮のようなものに対して向けられていた。「イスラム系の人に特別に気を使いすぎているのではないか?」という声をよく聞くのだ。

 ウイルダー氏は12月にも訪英していて、そのときは何も問題はなかったそうである。

 オランダのテレビ界の人に聞いたら、今オランダではウイルダース氏のニュースでいっぱいである。結局、すべてがウイルダースのPR戦略の一部になってしまったのか。ウイルダース氏自身はそのつもりは当初なかったかもしれないが、あまりにも騒動になってしまったので。

 会見場にいた英国独立党のメンバーが何となく「わけも分からずそこにいる」という風にも見えた。不思議の国のアリスのような・・・。オランダでは「表現の不自由さの象徴」とウイルダース氏を見る人が多い、とオランダ・ジャーナリストは言う。コーランを禁止するべきだ、と言っているからである。そのウイルダース氏を表現の自由の権化であるかのように扱うのはいかがなものかー?どの独立党議員もこれにまともに答えられないように見えた。

 昼のBBCの番組で、ピアソン卿が、「ウイルダース氏の結論は同意しない。つまり、ここに来てもらって、彼の理論を議論で論破して、次に進もう・・・と思ったのに」と言っていた。うまいところをついているな、と思った。この観点からは、すべてが一種の笑い事でもあった。

 何かを知らないと、それに関して、幻想を抱くことがある。ピアソン卿はこれを打ち砕きたかったかもしれない。英国の中でウイルダース氏の神格化が起きないといいなと思って、会見場にいた。


(追加:関連参考)

http://www.shinchosha.co.jp/topics/shiono/nami.html

by polimediauk | 2009-02-13 07:15 | 欧州表現の自由
 オランダの反イスラム国会議員、ヘルムート・ウイルダース氏が英国への入国を阻止されたことが、11日、分かった。本人が英国内務省からの手紙を報道陣の前で読み上げた。本人は12日、「それでも英国まで行く」と言っているようだ。

 英国独立党(UKIP)のピアソン上院議員の発案で、ウイルダース議員の反イスラム短編映画「フィトナ」が、12日、英上院議員向けに上映される予定となっていた。

http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk_politics/7882953.stm

http://www.radionetherlands.nl/currentaffairs/region/netherlands/090211-Wilders-UK-ban

 自分自身がムスリムのアーマド上院議員は、ウイルダース議員が英国に来れば「憎悪を引き起こしただろう」として、入国拒否を歓迎した。

 フィトナが公開されたとき、オランダ首相は「何の目的も果たさない。侮辱するだけだ」と述べていた。「公開」といっても、ネット上での公開だ。

 BBCのアドレスからリンクをたどると、この動きに賛成派と反対派の意見が読める。下のリンクに寄れば、同じEU諸国の国会議員の入国を拒否するとはいかがなものか、という意見がオランダ議員の中で出ていることが分かる。

 サルマン・ラシュディーの「悪魔の詩」を巡る騒動で、英国内で焚書騒ぎが起きたのは丁度20年前になる。在英のムスリムたちの中には、「反対運動を起こしてよかった」という人もいれば、「やり方がまずかった」と考える人もいるとBBCの番組が先日紹介していた。

 映画フィトナやウイルダース氏のインタビュービデオはユーチューブでも結構見つかりやすい。特にフォックステレビでの氏のインタビューを見ると、また氏の違う側面が見える。

 今朝のBBCラジオ「TODAY」を聞いていたら、英国知識人はイスラム批判には及び腰ではないか、という聞き方を、司会者が自民党議員にしていた。

 ウイルダース議員が英国に来て、さまざまなメディアのインタビューに応じ、いかに論理が破綻しているか(もし論理が破綻しているなら)、いかに映画が偏っているか・偏っていないかをオープンに議論できる場があれば最もよかったと思う。

 2005年以降、オランダに出かけて、対ムスリム関係の話をいろいろな人から聞いてきたことを振り返ると、何故ウイルダース議員が反イスラムを言うのか(ある意味では反移民でもある)、何故そのようなことを言い出すことになったのか、何故一部のオランダ国民の支持を受けているのか(圧倒的多数は反対、政府もお手上げ状態)の背景が想像できるような気がする。

 増えるムスリム市民に対する漠とした恐れは欧州の一部の国民の中にある。知らないものに対する恐れかもしれないし、ベールで顔をおおうなど自分たちとは違う風習を持つものに対する反発かもしれない。ムスリムのアーマド議員がウイルダース氏への入国不許可を歓迎しているところが、どうも気になる。英国のムスリムはデンマークのムスリムたちと比べて人数が多く、政治的な発言力もあるはずで、よい議論の機会になりえたように思ったのだが。
by polimediauk | 2009-02-12 20:20 | 欧州表現の自由
(追記:中で紹介した、オランダのウエブサイトから見れるはずの映画は、28日夜頃から見れなくなっています。サイトを運営する会社の社員に殺害予告が出たから、というのが理由とされています。)

 オランダの国会議員、ヘールト・ウイルダース氏の反コーラン映画「フィトナ」が昨日、オランダのウエブサイトで公開・放映された。

http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/7317506.stm

 早速見てみた。コーランの教えの一部を紹介しながら、テロで亡くなったり傷ついた人、首を切られた人、ユダヤ人に対する憎しみを教えるクリップをつなげる。オランダや欧州でイスラム教徒が増えて行き、映画監督が殺され、ゲイが攻撃されるクリップも出る。イスラム教徒の恐怖がオランダに押し寄せる新聞記事が紹介される。最初と最後に、デンマークのムハンマド風刺画(ターバンに爆弾がついている)が出る。

 幻想的な音楽に乗って、静かにメッセージが繰り返される。最後はコーランを破くシーンもある(これには後で仕掛けがあると分かるのだが)。

 おそらく、イスラム教徒の人にとっては不快だろう。しかし、いわゆる、表現の自由の範囲内だと思った。もっと気持ち悪いのもウエブ上ではたくさんあるだろう。ただ、国会議員が何故?とも思うけれども。アーチストだったらな、と。

 Geert Wilders で探すといろいろ出てくるが、映画とフォックスニュースのインタビューは以下。

http://www.liveleak.com/view?i=7d9_1206624103

http://jp.youtube.com/watch?v=j0jUuzdfqfc

 フォックステレビのインタビューは1月頃に行なわれた模様で、2部構成になっていてかなり長い。聞いていると、信念があってやっていることが分かる。私がオランダで聞いたムスリムの教師の話や、ムスリムに殺された映画監督の友人やリベラル派教授の言っていることと重なってくるのが不思議だった。

 つまり、習慣や価値観(+宗教)の異なる人々が、移民としてオランダにやってきて、多文化社会という言い方がよくされるけれども、こういう人たちとどうやって生きるのか、という問いがある。大雑把な言い方だが、オランダは多文化・異なる価値観の尊重・維持・奨励策を取ってきたようだ。ところが、本当にそれでいいのだろうか。相手の価値観が自分と価値観とは相当に違い、オランダ社会の自由さを変えるところまできていたとしたら、本当にそれでいいのか、と。この点から、「国会議員だからこそやった」ことにもなるのだろう。

 ウイルダース議員は、「イスラム教の教えそのものがおかしい」と異議申し立てをしている。「何かがおかしいと思っても、それを指摘してはいけないというタブーがある」と。

 この映画でパキスタンやイランでもし何らかの反応があったとしても、それは本当はあまり重要ではなく、真の(アイデアの)闘いは欧州だろうし、オランダ内で模索が続く。他国での反応は本質的な問題ではないだろう。

 ウイルダース氏映画の画面を開くと、右横に推奨された動画がいくつも並ぶ。その中の一つに、米国に住むイスラム教徒の女性の声があった。イスラム教の名前をかたり、テロを起こす人に怒っている。こういう本当の声、素朴な声はなかなか英国のメインメディアには登場しない。

 英国でテレビ離れとか新聞離れが起きるのは、作っている人の頭が「議題を設定して視聴者・読者に流す」形式に凝り固まっているせいもあるかもしれない。見ている方の知りたい・見たいことと、作る側が提供する「知りたいだろう・見たいだろうこと+知るべき、見るべきと思うこと」が一致しないのだ。ネットに人が流れるのは自然なのだろう。

〈さらに追記)
 29日の時事報道で
「反イスラム映画を非難=表現の自由は争点にならず-国連総長
【ニューヨーク28日時事】国連の潘基文事務総長は28日、オランダの極右政党党首がイスラム教批判の短編映画を公開したことを受けて声明を発表し、映画は「不快なほど反イスラム的」であり、「最大限の表現で非難する」と述べた。文明間の融和を訴え続けてきた潘事務総長だけに、強い調子の非難声明となった。
 潘事務総長はこの中で、「偏見に満ちた発言や暴力の扇動は決して正当化できない」と批判。さらに「表現の自由は問題にならない。自由は常に社会的責任を伴うべきだ」と指摘し、「真の断層はイスラム教徒と欧米社会の間ではなく、敵意と対立をあおることに関心を寄せる双方の少数過激派の間にある」と強調した。 
[ 3月29日7時0分 更新 ]

 何となく、「ズレているなあ」という思いを強くした。欧州内では、作品そのもは「たいしたことなかった」というのが一般的なのに・・・。

by polimediauk | 2008-03-28 21:30 | 欧州表現の自由