小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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カテゴリ:欧州表現の自由( 104 )


関係は「修復」したか?

 ロンドンでの同時爆破テロの実行犯グループの大部分は自国で生まれ育ったイスラム教徒の男性たちだった。まだ犯行の動機は分かっていないが、国内のイスラム教過激派グループやパキスタンにあるイスラム教の学校が何らかの形で思想的な影響を与えたのではないか、という仮説が有力になっている。

 外国からやってきたテロリストではなく、「自国で生まれ育った」という点がポイントで、今後いかにして同様のテロ行動を防ぐことができるか?に関心が集まっている。

 「自国で生まれ育った」「イスラム教徒の」テロ行動・殺害行動の象徴的先例ともいえるのが、オランダで昨年末起きた、映画監督殺害事件だ。7月中旬の裁判では、イスラム教徒過激派グループに所属していたと見られるムハンマド・ブイエリ被告が「イスラム教の名の下での犯行だった」「もし釈放されれば、同様の行動を起こす」と法廷で語り、オランダ国民にとっては新たな衝撃となった。26日には裁判の結果が出るが、終身刑になる見込みとされており、かつ他の受刑者から隔離された状態にするべきだ、という声も出ている。

 ロンドンのテロの実行犯グループの大部分がパキスタン系英国人で、リーズ市出身だったため、地元のイスラム教コミュニティーに何らかのバッシングがあるのでは?という懸念が出てきた。今のところ、今回の事件があったからといって、英国でイスラム教徒とイスラム教徒ではない人々の間に大きな亀裂ができたとはいえないようだが、ここ2,3年の間にイスラム教徒の移民対先住のオランダ人という対立が表面化したと言われているのがオランダだ。

 BBCの夜のニュース解説番組「ニューズナイト」では、殺害されたオランダの監督テオ・ファン・ゴッホ氏の友人でテレビのプロデューサーでもある、ハイス・ファン・デ・ウエステラーケン氏をインタビューしている。

 この番組の中で、BBCのキャスターは「ファン・ゴッホ監督殺害の後で、現在ではイスラム教徒と非イスラム教徒の市民との間の関係は修復しましたか?」と聞いた。「修復するとは、どういう意味ですか?」とファン・デ・ウエステラーケン氏は聞き返している。キャスターが質問を繰り返し、答えは、「修復するどころか、亀裂はますます深くなっていると思う」だった。そんなに簡単に衝撃が消えるわけがない、と言いたそうな感じだった。

 オランダでは、表現の自由が暴力で封じ込められた、という面での衝撃も大きかったようだ。

 先日、オランダの各地を訪ね、ファン・デ・ウエステラーケン氏を含む知識人らにインタビューした。その時の様子をいくつかに分けて紹介させていただきたいが、まず、日本新聞協会が出している月刊誌「新聞協会」の7月号に掲載された記事を再録させていただきたい。(この中で、「イスラム教徒の移民」は原文のまま「イスラム系移民」と表記されていることをお断りしておきたい。)

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オランダ社会の「寛容精神」の行方 ―映画監督殺害事件に揺れる表現の自由

 異なる価値観に対する寛容精神を自負するオランダで、昨年十一月、ショッキングな事件が起きた。著名画家ビンセント・ファン・ゴッホの遠い親戚にあたり、人気コラムニスト、トークショーのホスト、映画監督のテオ・ファン・ゴッホ氏が、自宅のある東アムステルダムから仕事場に向かう途中、イスラム教徒の移民の男性に殺害されたのだ。監督は同年八月、イスラム教を批判した短編映画「服従」を製作していた。

 この事件はオランダばかりか欧州全体を震撼させた。まず、表現の自由が侵されるのは、欧州社会の根幹を成すリベラルな価値感からは到底許せない事態だった。また、増えるイスラム系移民の融合策に悩む欧州各国にとって、この殺害が「移民」、しかも「イスラム教徒」が引き起こしたために、一つの象徴的事件として受け止められた。

 事件から八ヵ月後のオランダでは、現在も衝撃の余波が消えていない。ファン・ゴッホ氏が毎週コラムを書いていたフリーペーパー「メトロ」は、今日に至るまで、氏の顔写真の他は白紙のコラムを印刷し、暴力で表現の自由が封じ込められたことへの抗議を表明し続けている。社会の中のイスラム系移民に対する視線はより厳しいものとなっており、オランダの寛容精神の揺らぎや、多文化主義の失敗を指摘する声もある。首都アムステルダムを訪ね、現状と今後を探ってみた。

―メッセージ性を持った殺害

 殺害事件を振り返ってみる。昨年十一月二日朝、ファン・ゴッホ監督は、新作映画「〇六・〇五」の打ち合わせのため、自転車で、友人と設立したテレビ・映画製作会社に向かった。何もなければ十五分ほどで会社に到着する予定だったが、アムステルダム市役所の前を通りかかったところでイスラム教徒過激派の一員でモロッコ系移民のムハンマド・ブイエリ容疑者が発砲。向かい側の道にたどり着いたものの、さらに数発の銃撃により死亡。ブイエリ容疑者は監督の喉元をかききり、胸に手紙をナイフで留めた。

 手紙はイスラム教徒たちに向けて書かれており、映画の脚本を書いたソマリア出身で元イスラム教徒の女性政治家アヤーン・ヒルシ・アリ氏〈オランダ存任〉、米国、オランダ、欧州への聖戦を開始するよう呼びかけていた。事件以前からイスラム教のモスク、学校などへの放火、逆にキリスト教系学校などへの放火や攻撃が相次いでいた。

 容疑者が保持していたメモにヒルシ・アリ氏への殺人予告が書かれていたため、氏は数ヶ月身を隠さざるを得なくなった。現在でも厳重な警護がついている。ヒルシ・アリ氏のみばかりか、以前から移民やイスラム教徒に対して否定的な発言をしてきた右派政治家ヘールト・ウイルダース氏も、近年イスラム過激派から殺害予告を受けており、ヒルシ・アリ氏同様に厳重警備下にある。

―教材として製作された「服従」

 「服従」は約十一分の作品で、国営テレビで放映された。現在、二分ほどの短縮版がインターネットなどで見ることができるが、全体像の公開は行われていない。五月にイタリアで上映されたが、これも短縮版だった。アムステルダムにある「服従」の製作会社コラム・プロダクティーズを訪れると、「視聴のみ」という条件付で、全体像を見ることができた。

 映画は、比較的シンプルな構成となっている。イスラム女性の伝統衣装で、床までの丈の黒い「ブルカ」に身を包んだ女性が、部屋の中央に立ち、自分のこれまでの人生を神に向かって話す、というもの。顔面は目だけが見えるようになっている。黒い装束は通常、女性の体全体を隠すものだが、この映画の中では首から下の中央部分が黒いシースルーの布になっている。肌色のパンティーは身につけているものの、乳房、足が透けて見える。

 この女性の後ろに、白いウエディングドレスを着たもう一人の女性がいる。背中にはコーランの文章が書かれている。顔や背中には殴られた傷跡があり、痛々しい。

 黒いブルカ姿の女性は、初めての男性との出会い、強制された結婚生活、父親の友人にレイプされたことなど、これまでの自分の人生を語る。殴打された女性の顔、コーランの文字、シースルーの装束から透けて見える女性の体の映像を見ながらこの語りを聞いていると、「人間性を否定され、理不尽な状況にいるイスラムの女性たち」というメッセージが強く浮かび上がってくる。

 使用言語は英語で、どうしてオランダ語ではないのかを「服従」のプロデューサーのハイス・ファン・デ・ウエステラーケン氏に聞いて見ると、「元々、ムスリムの女性たちの処遇に関して、世界の各国で議論をするための素材として製作したため」ということだった。

 「服従」を作るきっかけは、監督と政治家ヒルシ・アリ氏が友人同士で、彼女のアイデアを形にすることにかねてからイスラム教を批判していた監督が同意したからだという。

 自分自身もイスラム教徒だった下院議員のヒルシ・アリ氏は本人の意思とは無関係に強制的に結婚相手を決める制度から逃れるためにオランダにやってきた。イスラム教は女性たちを「赤ん坊を産む機械として扱っている」として批判し、「イスラム教の教義はリベラルな民主主義とは合致しない」というのが持論だ。「メトロ」の五月二十七日号のインタビューの中で、殺害予告が今後も続いても、「服従」の中でイスラム教の女性たちが不当に扱われている、とした主張を撤回するつもりはない、と語っている。

 6月中旬には、BBCのインタビューの中で、続編製作の意思を表明した。


〈続く)
by polimediauk | 2005-07-19 00:46 | 欧州表現の自由

欧州と宗教ー3


深まる世俗化

 現在、ローマ法王の葬儀報道が続いているため、やや意外に思う向きもあるかもしれないが、欧州の中でキリスト教離れが進んでいる・・・という側面を見てみたい。

 新聞通信調査会の4月号会報に掲載の、「欧州と宗教」の記事の結論の部分になる。

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 二十五カ国に拡大した欧州連合(EU)に目を向けると、キリスト教を政治から切り離す、脱宗教化傾向が年々強まっている。

  昨年十月、欧州委員会の司法・内務担当委員に就任予定だったロッコ・ブッティリオーネ氏の人事が撤回された。「同性愛は罪」「女性は子供を持ち、男性の保護を受ける権利がある」などと発言したことがきっかけとなり、「司法・内務担当には不適格」と欧州議会が人事承認を拒否したためだ。

  イタリア出身の同氏はカトリック保守派で、ローマ法王とも親しい。同性愛に対する否定的な態度など、カトリック教徒としての価値観を表明したために反発を招いたと見る向きも多い。ブッティリオーネ氏自身も「私の信仰が人事の邪魔になったのだと思う」と、今年二月、BBCワールド・サービスの番組の中で語っている。

  同番組の中で、ローマ法王庁のマルチノ枢機卿は、EUは「世俗主義の行き過ぎ」と批判する。その一例がEU憲法の文言だ。

  六月に草案が決定した憲法策定の過程で、ドイツ、イタリア、ポーランドなどはキリスト教をEUの基本価値として明記するべきとしたが、フランスやスペインなど政教分離を推し進める国々はこれに反対した。最終的な文面は、EUは「欧州の文化的、宗教的、人類愛的遺産からインスピレーションを得る」となり、「キリスト教」は入らなかった。

 EU内の政教分離志向は、キリスト教をベースとした道徳的、宗教上の価値観の維持が重要とされる米国とは対照的だ。再選を果たしたブッシュ米大統領は勝利演説の中で「家族と信仰の最も深遠な価値を維持することに力を尽くす」、と国民に宣言している。

ートルコ対欧州

 昨年十二月中旬、EUは、全人口の九十九%がイスラム教徒であるトルコとの加盟交渉を今年秋から開始することを決めた。

  トルコの加盟を巡り、宗教の観点からは現在の欧州のとらえ方に相反する二つの考え方あることが明瞭になった。一つは、トルコがイスラム教の国であることから、キリスト教をベースにする価値観を持つ欧州とは相容れないとする考え方だ。欧州憲法の草案作りの中心的存在だったジスカールデスタン元仏大統領がその代表格だ。

 もう一つは宗教色を取り除こうとしてるEUに、信仰心の篤い国が入ることへの違和感だ。昨年九月、ウオールストリート・ジャーナルの欧州版の中で、ジャンピエール・ラフラン仏首相は、「世俗主義の川床にイスラムの川が入るのを、私たちは望むだろうか?」と疑問を投げかけた。

 理由付けは違うが、どちらの場合もトルコを異質な存在として見ている点では一致している。

―共生の道は?

  仏政治学者ジル・ケペル氏は、欧州の今後に関し、オランダの例など「キリスト教世界対イスラム・異教徒」といった対立する二つの世界の衝突事件が目につくが、本当の闘いは、「信仰の価値観と欧州社会の価値観との整合に悩む、欧州で生まれ育った移民二世、三世の心の中で起きている」と指摘する。
 
  「価値観の違いを自分自身の中でどう折り合いつけていくのかー。移民たち自身の変化が欧州の将来の鍵を握る」。

 (新聞通信調査会 http://www.chosakai.gr.jp/index2.html)
by polimediauk | 2005-04-09 03:11 | 欧州表現の自由

欧州と宗教ー2


キリスト教批判は許される?

 シーク教徒の反対で公演中止となった演劇「不名誉」の事件と表裏一体を成すケースが、米テレビ番組「ジェリー・スプリンガー・ショー」のミュージカル版「ジェリー・スプリンガー・ザ・オペラ」のテレビ放映だった。

  米テレビのホスト、ジェリー・スプリンガーが悩みを持つ視聴者をスタジオに呼んで話を聞くという設定の米番組は、英国でもミュージカルとして大人気になった。ミュージカルの中ではわいせつな言葉、下品な言葉が多用される。オムツ姿になりマザコンであることを告白する俳優が、実はキリストであったことが分かるという展開だ。

 今年一月、英BBCがテレビで放映することになった。五万件近い抗議が視聴者から寄せられた。公共放送であるBBCでの放映にふさわしくない、また、キリスト教を侮辱しているという理由から放送中止を求めた。

  芸術作品を通じての様々な解釈や批判に慣れているはずのキリスト教信者及び支持者らが大掛かりな反対行動をとることは異例だったが、BBCは「オペラ」を予定通り放映した。「多くの人に広い視聴の機会を与えることは、公共放送としての役割だ」と抗弁した。

 しかし、「不名誉」の場合のような、劇作家に殺害の脅しをかけるほどの強い抗議が国内のキリスト教以外の信者、例えばイスラム教徒などから出ていたら、BBCはこの番組をすぐに放映中止にしていたのではないか?という疑問の声が英各紙の投稿欄に掲載された。

 キリスト教に関しての批判は許容されても、シーク教、イスラム教など他宗教の批判は、「政治的に正しくないもの」として、タブーになりつつあるのではないか?こうした思いを人々が抱いた「オペラ」事件だった。

ーオランダの映画監督殺害事件

 公演や放映の中止どころか表現者の暗殺にまで発展し、しかも逮捕されたのがイスラム教信者ということで、イスラム系を含む移民が増える欧州全体を震撼させたのがオランダの事件だった。

 昨年十一月初旬、映画監督テオ・ファン・ゴッホ氏が、イスラム教信者のモロッコ人に暗殺された。監督は、同年八月オランダ国営テレビで放映された短編「服従」で、イスラム社会の暴力的な女性差別を厳しく批判していた。ゴッホ氏は十九世紀後半の印象派画家ビンセント・ファン・ゴッホの遠縁にあたる。

 ゴッホ氏がイスラム問題に関して発言をするようになったのは、イスラム過激派による二〇〇一年の米国大規模テロの後からだ。「アラーはよく知っている」と題された本の中では、イスラム教は好戦的、イスラム教の礼拝を行う導師は女性を憎悪していると書いていた。

 十一分の作品「服従」の脚本を担当したのは、「イスラムの教えは、民主主義社会の価値観と合致しない」とする持論を持つソマリア生まれの女性国会議員アヤーン・ヒルシ・アリ氏だった。作品は、コーランが家庭内暴力の元になっているとし、被害者の女性たちがシースルーのガウンをまとって出演する。ガウンを通して、女性達の体に描かれたコーランの文字が読める設定になっていた。

  検察側の調べによると、逮捕されたムハマンド・ブイエリ容疑者(既に犯行を認めている)は、白昼、監督を路上で銃撃。数発撃った後、監督の喉をかき切り、胸にナイフで手紙を突き刺した。手紙は、オランダ人はユダヤ人の支配下にあり、議員のアリ氏、アメリカ、オランダ、欧州及び異教徒たちへの聖戦を開始するよう呼びかけていた。

 暗殺後、各地でモスク(イスラム教礼拝所)やイスラム教の学校への放火、それに対抗するプロテスタント教会への放火などの事件が続き、宗教紛争の様子を呈した。

ー多文化主義を奨励

  紛争の背景には、オランダ内のイスラム系移民人口の増加がある。

  オランダの全人口一六三〇万人の内、一六〇万人が非西欧系の移民及びその子孫とされ、その中の約百万人がイスラム教徒となっている。国内の非西欧系人口のうち、約半分がオランダで生まれている。

 イスラム教徒の割合は、主要都市では上昇し、アムステルダムでは十三%、ロッテルダムやハーグでは十%以上となる。学校によっては、イスラム教徒の子供が過半数となっているところもある。

 欧州の中でも特に寛容精神が高いと自他共に認めていたオランダは、様々な異なる文化や人種の人々が共に暮らし、互いの文化を尊重する多文化社会を維持することを国の政策としてきた。国内の移民、特にイスラム系移民に対する見方が変わってきたのは、米国大規模テロ以降だと言われている。

 ゴッホ監督がオランダで生まれ育ったイスラム系移民によって殺害されたことが分かると、移民問題担当大臣のリタ・フェルドンク氏は、「オランダの寛容精神はここまで来てしまった。これ以上は許してはならない」と述べた。

 何故、寛容精神が暗殺にまで発展してしまったのか?

  「ジハード」(未訳)などの著書がある仏政治学者ジル・ケペル氏は、オランダの多文化主義の失敗が原因だったと指摘する。「オランダは、文化的融合の必要性がないとし、それぞれ異なる文化を尊重する多文化主義を奨励してきた」。

  しかし、多文化主義とはアパルトハイト(人種隔離政策)を丁寧に言ったものではないか、とケペル氏は問う。社会を分断化し、破壊的な動きにつながる可能性もある。「多文化主義を信望しすぎ、融合への努力を怠ったために、オランダ社会の亀裂が露呈してしまった」。

(EU全体ではどうなっているのか?-続く)
by polimediauk | 2005-04-08 22:17 | 欧州表現の自由

欧州と宗教ー1


表現の自由はどこまで許されるのか

 「宗教」というと、日本では一般的になじみが少ないテーマだとは思うが、最近の欧州を読み解く大きなテーマの1つになっている。

 背景の要因として、キリスト教圏とされてきた欧州に増えつつある移民たちの、キリスト教以外の宗教の価値観に基づく物の見方と欧州の既存の価値観をベースにしたものの見方との摩擦があるようだ。この結果、表現の自由が制限されたり、表現者が殺害される、といった事件が起きている。

 一方、欧州連合(EU)に注目すると、宗教と政治とを切り離す世俗化が進んでいる。脱宗教化を政治の上では目指す欧州で、表現の分野では、逆に宗教問題に悩む、といった状況がある。

 宗教と欧州における表現の自由に関して、新聞通信調査会が出している会報4月号にまとめてみたので、以下に転載させていただきたい。

ーーー

「宗教」に揺れる欧州
―異教徒の挑戦、世俗化の進行

 宗教が、欧州のキーワードになってきた。宗教上の理由を盾にして芸術作品を取り下げさせたり表現者の口を封じる事件が、ここ数ヶ月相次いでいる。表現の自由、異質なものに対する寛容さなど、欧州社会の根底となるリベラルな価値観に挑戦する動きが背景にある。一方、「キリスト教世界=欧州」というかつての図式は崩れつつあり、欧州連合(EU)に至っては「世俗化の行き過ぎ」という批判も出ている。

 英国、オランダの具体例と、EU内の流れを追ってみた。

―英シーク教徒の抗議で公演中止

 昨年十二月、英国中部バーミンガム市で上演されていた演劇「不名誉」が、シーク教徒の抗議デモと一部のデモ参加者の暴力行為の末、公演中止となった。

 シーク教は、約五百年前、インドのパンジャブ地区でイスラムの影響を受けてヒンドゥー教から派生した。世界中には二千万人のシーク教徒がいるといわれ、世界で五番目に信者数の多い宗教となっている。英国には六十万人のシーク教徒がおり、バーミンガムには三万人が住む。

 「不名誉」はシーク教徒の生活を描いた作品で、寺院内での殺人、同性愛、性的虐待などの場面がある。自分自身もシーク教徒の女性劇作家ガープリート・カウア・バーティさんが、「地元シーク教社会の不公平さや欺瞞に徹底的に抵抗するために」書いた、という。ハイライトの一つは、同性愛者としてコミュニティーから追放された年老いた男性が、逃げようとするシーク教徒の少女を寺院の中でレイプするシーンだ。

 地元シーク教徒側は、寺院をレイプや殺害が起きる場所とすることは「神を冒涜する」と主張。寺院をコミュニティー・センターに変えてほしいと要望していた。

劇場側は設定の変更を認めず、公演の初日からシーク教住民らが劇場前で抗議のデモを開始した。数日後、近隣のパブで酒を飲んだ若者らがデモに参加し、この内の何人かが劇場の窓や機材を破壊、警官数人も軽症を負った。観客の身の安全を重要視した劇場側が公演中止をやむなく決定。公演を再開すれば殺すという脅迫を受け、劇作家のバーティさんは自宅以外の場所に身を隠すことを余儀なくされた。

公演中止は大きな注目を集めた事件となった。国民の多くが、個人の思想、表現、信仰の自由を保障するリベラルな社会の大原則が侵されたと受け取った。

英国には、時の政府や王室など既成権力を批判し、嘲笑する文化がある。国民の七十%が信者というキリスト教も例外ではない。シーク教徒が宗教上の理由で「不名誉」の公演を中止させ、しかも暴力が介在したということで、非難が殺到した。

人権団体「リバティー」のバリー・ハーギル氏は、BBCオンラインの取材の中で、「人には、演劇を観にいかない、あるいはボイコットする、平和的に抗議をする権利があると思う。しかし、暴力を使って公演を中止する権利はない」と、多くのリベラル派の気持ちを代弁した。賛同者らは、公演の再開を訴えた。

 一方、シーク教徒で抗議者の一人だったモハン・シング氏は「表現の自由もいいが、限界がある。英国の、そして世界のシーク教徒を悲しませて、それでいいのだろうか」と疑問を投げかけた。

 リベラル派とシーク教徒側の溝は埋まらず、議論は平行線で終わった。年が明けた現在でも、バーティさんは身を隠したままだが、一月、発表した声明文の中で、「シーク教徒を侮辱するつもりはなかった」、としている。

(続く)


新聞通信調査会
http://www.chosakai.gr.jp/index2.html



 
by polimediauk | 2005-04-08 18:01 | 欧州表現の自由