小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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カテゴリ:欧州表現の自由( 104 )


 2005年9月末、デンマーク紙に掲載された預言者ムハンマドの風刺画が世界的なトピックになった1つのきっかけは、同年末、デンマーク内のイスラム導師アブラバン氏が中心になって、風刺画(掲載されていない分もあったという)を携えて中東諸国を回ったことだったと言われる。06年年明けに欧州各紙、雑誌が再掲載し、大きな問題になってゆく。

 このアブラバン師が、BBCラジオでインタビューされている様子を私は自宅で聞いていた。コペンハーゲンのモスクで記者会見が行われ、BBCの記者は「あなたが騒動を広めたんですね。何故そんなことをしたのか」と、詰問調で、質問をしていた。糾弾する感じだった。ダミ声で答えるアブラバン師。「わけの分からない、怖いイスラム教イマーム」というイメージが伝わってきた。

 しかし、本当かな?とも思った。どうして最初から相手を悪人として問い詰めるのか?この人物が「悪人」なのかどうか、私には分からなかったが、もしそうだとしても、最初から戦闘態勢の質問は、いかにも西欧的だとは思ったが、何か重要なヒントがこぼれ落ちる部分があるのではないかとも思った。

 コペンハーゲンに06年02月行き、アブラバン師に会う機会を得た。

 師はなぜか、毎週金曜日の説教を英語で行っていた。「何故デンマーク語でやらないのか、と批判がある」と地元紙の記者が教えてくれた。この記者自身、アブラバン師が非常におもしろいキャラクターであると見ており、「密着取材をしたい」と話していた。

 師が来るモスクは、2階建ての建物をモスクとして使っているだけなので、外側から見ただけではモスクとは分からない。

 説教を終えたアブラバン師が、私と地元紙記者が待つ場所にやってきた。祈りをする場所の上にある図書館兼応接間には、黒いソファーと低いテーブルが置かれている。テーブルの上にはチョコレートの箱やお茶が並べられた。

 風刺画騒動がおきてからは、説教の後、毎回記者会見を開き、世界中からやってきた記者と会話をしたという。その日は私を含めて取材者は二人だけ。チョコレートを勧められ、お茶を飲みながらの取材だった。穏やかな、あたたかみを感じさせる雰囲気があった。パレスチナ人だが、「デンマークは自分の国。この国を愛している。民主主義を愛する」といっていた。
 
 そのほぼ1年後、アブラバン師は60歳でがんで亡くなった。

 06年の秋には、一連の騒動に疲れ果て、体調を悪くし、「デンマークを出たい」とも言っていたという。最後に私が電話で話したとき、「体調は何とか戻った。デンマークにいることにした」と言っていたのだが。妻と7人の子供を後に残した。


ベリタ2006年03月04日掲載

「イスラム教徒の価値観に理解を」

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  デンマークで最もよく知られているイスラム教イマーム(導師)のアーマド・アブラバン師は、イスラエルの海港ジェッファでパレスチナ人家族の子供として生まれ、1984年に政治的亡命者としてデンマークにやって来た。預言者ムハンマドの風刺画掲載への抗議の一環として、昨年末、エジプト、レバノンなどの中東諸国を訪問したグループの一人だ。新聞に掲載された風刺画とともに、ムハンマドをブタに見立てた写真なども持参し、中東諸国の中で反デンマーク感情を扇動した人物とも言われている。コペンハーゲン市内のイスラム教礼拝所の1つで、金曜礼拝の儀式を終えて声を枯らせたアブラバン師に話を聞いた。
 
▽イスラム教徒挑発が目的 
 
――これまでの経緯を確認させて欲しい。風刺画を掲載したユランズ・ポステン紙とはどのようなコンタクトをとってきたのか? 
 
 アブラバン師:昨年12月8日、掲載を企画したユランズ・ポステン紙の文化部長フレミング・ローズ氏らと面会した。ムハンマドに関する知識を深めるためのセミナーを一日か二日で共催しないか、と誘った。ユランズ・ポステンやイスラム教徒のコミュニティーが資金を出して、大学にも協力を呼びかけよう、と。こうしたセミナーを開くことで、デンマークは反イスラム教ではないというメッセージを世界中に広げることができる、と言った。 
 
――会談はどのような雰囲気で進んだのか?対立的? 
 
 アブラバン師:和やかな雰囲気で進み、ローズ氏と握手もした。 
 
――今回の12枚の風刺画のどこが侮辱になるのか? 
 
 アブラバン師:最も侮辱的だったのは、一連の風刺画が、ムハンマドやイスラム教に対して否定的なイメージを伝えていた点だ。 
 
 誰しもがテロリストのことを話すこの時代に、爆弾の形をしたターバンを巻いたムハンマドの風刺画があれば、ムハンマド自身が、そしてイスラム教徒たちがテロリストだという印象を与えるだろう。非常に悪いイメージだ。 
 
 ユランズ・ポステン紙の編集長カーステン・ユステ氏は、社説の中で、頻繁に「暗闇の人々の脅し」という言葉を使ってきた。イスラム教を信仰する人々を、彼は「暗闇の人々」と形容していた。掲載にイスラム教徒を挑発する目的があったことは確かだ。 
 
 ――デンマーク政府に謝罪を要求したのか? 
 
 アブラバン師:決してそんなことは要求していない。決して。 
 
 私たちは、首相宛に公開書簡を書いた。何故私たちが(11月から12月にかけて)中東諸国を訪れたのかを説明した手紙だ。この手紙の中で、これは政府の問題ではない、ユランズ・ポステンの問題だ、と書いた。 
 
 ――では、ユランズ・ポステンに謝罪を要求したのか? 
 
 アブラバン師:していない。ユランズ・ポステンへの英語の手紙を一緒に読めば、分かる。フレミング・ローズ氏に手渡した手紙の中では私たちはこう書いた。「私たちは、両者が勝つような状況を作りたい。私たちは、デンマーク政府や制度、人々に対して怒っているのではない。大きく考え、大きく行動したい」 

 「現在の状況は一触即発の雰囲気になっている。私たち全員が力をあわせてこの状態を変えなければならない」 

 「私は楽観的だ。ゲームのルールは変わるだろう。大学の教授などに話しかけて、ムハンマド・セミナーなどを開いたらどうだろう。ムスリムコミュニティーが75%を払い、デンマークの大学が払い、ユランズ・ポステンは5%払うという形ではどうだろう」。 
 
 この提案をいくつかの大学にも送った。 
 
▽真剣な反応示さぬ政府・新聞社 
 
――反応は? 
 
 アブラバン師:大学側の答えは否定的だった。 
 
 今年1月12日には、公開書簡を首相に送った。この中で、私たちはデンマーク国民であり、他の国民と同様の平等な扱いが欲しい、と書いた。中東諸国を訪問したのは、風刺画問題に関して、文化的かつ知的アドバイスを受けるためだった、と説明した。そして、私たちイスラム教徒のコミュニティーは首相を支持する、と書いていた。 
 
 この書簡以前にも、文化大臣宛てに昨年から、意見交換のための書簡を送っていたが、返事はなかった。 
 
 政府や新聞社に声をかけても、何度も何度も何の反応もない、という状況が続いていた。 
 
 ――確認だが、これまでに、政府にもユランズ・ポステン側にも謝罪の文面を要求したことはないのか? 
 
 アブラバン師:ない。しかし、いつでもまともに扱ってもらえなかった。話を一応は聞いてくれたとしても、答えに真剣さがなかった。結果的に、中東諸国の訪問につながった。 
 
 ――訪問をすることで、デンマークに対する憎悪感を扇動した、という報道がされているが? 
 
 アブラバン師:そんなことはない。カイロ大学などでイスラム教の権威に会ったのだが、カトリックの人がローマのバチカンに行って相談するのと同じだ。私たちは、デンマークの指導者たちが私たちを真剣に受け止めていない、聞いてくれない、と感じていた。そんな時、私たちは道に出て抗議デモを組織化するような行動はとらない。中東に行って、スピリチュアルなリーダー達に会って、これからどうするべきかを相談したのだ。 
 
 ――ユランズ・ポステン紙に掲載されていない、しかしムハンマドを侮辱するような風刺画や画像などを持って行き、このおかげで怒りを故意に増幅させた、とも報道されているが? 
 
 アブラバン師: 単なる疑惑だ。どれが掲載された風刺画でどれがそうでないのかは、一目見ればすぐ分かる。イスラム教徒が侮辱されている状況の説明をしたかっただけだ。問題の指摘はできたと思っている。 
 
▽スケープゴート探し 
 
 ――BBCを初めとした西欧のメディア報道では、あなたを悪者として描くものが多いが、どう思っているか。 
 
 アブラバン師:それはそれで生きていくしかない。私たちは独立した宗教グループだ。人材がたくさんあるわけではないし、新聞やテレビ局を持っているわけでもない。しかし、神が助けてくれる。 
 
 世界中の10億人にも上るイスラム教徒が感じている風刺画掲載への怒りに耳を傾ければ、真実が分かる。紳士、淑女の皆さん、全人類のみなさん、私たちは全員、人間だ。しかしそれぞれ違う。中にはイスラム教を信じている人もいる。イスラム教徒にはイスラム教徒の価値観がある。この点を最も訴えたかった。 
 
――あなたは「過激的な(ラディカルな)イマーム」と言われているが、これは正しいと思うか? 
 
 アブラバン師: 自分ではいえない。デンマークでは20年間、ラディカルなイマームということになっている。しかし、イスラム教は過激な宗教ではないと思っている。これもまた不正確な報道なのだ。 
 
――世界中のイスラム教徒が各地でデンマーク製品のボイコットを始め、抗議運動が広まっていった時、あなたは中東のテレビ局アルジャジーラの取材の中ではボイコットを奨励し、同じ日のデンマークのテレビではボイコットをしないように、と言っていた。このため、ラスムセン首相は、あなたのことを「二枚舌の人物」と呼んだが。 
 
 アブラバン師:誰かスケープゴートを探そうとして、必死なのだろう。二枚舌のことを言うならば、イスラム教徒を侮辱するつもりではなかったと言いながら、あのような風刺画を掲載するというのは、どう考えるべきか。 
 
 例えば、フレミング・ローズという名前のラディカルなイマームがいるようなものだ。ユランズ・ポステンは、毎日のようにイスラム教やムスリムに関する否定的な文脈の報道をしてきた。ユランズ・ポステンもラディカルなイマームとしての面があったのだ。 
 
 批判的であることは、民主主義の権利だ。しかし、誰かを2枚舌だというなんて、こういっては申し訳ないが、政府こそ二枚舌なのではないか。中東で、ムスリムたちをだましたり、うそをついている。だから人々は怒りを感じているのだ。 
 
▽文明の発展に力を合わせたい 
 
――「表現の自由」をどうするべきだと思うか? 
 
アブラバン師:欧州や世界が、この問題をもう一度じっくり考えてみることを望んでいる。政府の上層部は表現の自由を弁護し続けているが、私たちは、モラル上のそして倫理上の配慮が伴うべきだ、と思っている。 
 
 表現の自由は、内戦を引き起こすためにあるのではなく、他人を侮辱するためにあるのでもないだろう。表現の自由とは、人種上あるいは宗教的背景の違いを盾にして、他人を貶めるためのものではない。この点に同意して欲しいのだ。これが、最初からの私たちの要求だ。 
 
 ユランズ・ポステンのユステ編集長は、もし風刺画がこれほどの怒りをかうのだったら掲載していなかった、と今は書いている。掲載が間違いだったと認めた、と私たちは受け止めた。 
 
――イスラム教徒に対するメッセージは何か? 
 
 アブラバン師:金曜礼拝の時にも言ったが、平和的な手段での抗議を勧めている。私は将来に関して非常に楽観的な思いを抱いている。世界中が、叫び声を上げているイスラム教徒たちの存在に気がついたからだ。世界中が目覚めた状態になったのだと思う。 
 
――西欧に住みながら、西欧に敵対心を抱いているのか、あるいはその価値観に反対してるのか? 
 
 アブラバン師: 反対していない。敵対心もない。例えば、たくさんのジャーナリストが西側や日本から来たが、ここでゲストとして迎えている。欧州に住むイスラム教徒として、文明の発展に参加したい、と思っている。 
 
 世界中の非ムスリムの人たちには、客観的に物事を見て欲しい、と思う。メディアには正しい文脈を伝えて欲しい。 
 
 小さいときに虫歯があって、父に歯医者に連れて行かれたが、私は怖かったので、痛くない歯を見せた。結局、おかげで今でも同じ虫歯に悩んでいる。もし、ジャーナリストや政治家が違う歯を見ていたら、私の子供のときのように、虫歯を治すことはできない。私たちは、協力して、虫歯を治療し、痛みを取り去らなければならないと思う。  (つづく) 

by polimediauk | 2007-07-10 19:09 | 欧州表現の自由

  ロンドン、グラスゴーテロ未遂事件があってから、英政府の言葉の使い方・レトリックが変わっているなと思っていたら、6日午後1時のニュースでも、「変わっている。今のところは、良いと思う」と話すムスリムの団体の人がインタビューに出ていた。

 何が変わったかというと、テロ事件(未遂)があったからといって、緊急に新しい法律を作るとか、パニック的な動きをしていないこと、「パニック的な動きはしない」と宣言していること。また、今回のテロ未遂を「犯罪行為」と呼び、「すべての人がこれをなくするよう協力しよう」というような表現を使っている。

 ブレア政権のときは、特に2005年の7・7ロンドンテロ以降、「イスラム教過激主義」が「敵」で、「テロの戦争」という言葉が良く使われていた。ムスリムたち全員が悪者扱いされた雰囲気があった。もはや、ブラウン首相になってからというもの、誰も政府関係者は「テロの戦争」ウオー・オン・テラーという言葉を使っていない。避けているのだろう。あまりにも「敵と味方」と単純に二分する言い方だし、一定の政治的意味合いが出てしまう。

 今回は移民融合コンサルタントのアルマジド氏のインタビューだが、2006年2月に初めて会った。風刺画を掲載したユランズ・ポステン紙に長年コラムを書いている人だった。2月の時点では、最後は明るく話してくれたが、それから半年後、暗い話になっていく。

「新たな対話の機会が開けた」
ベリタ2006年02月27日掲載
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  540万人のデンマーク国民のうち、イスラム教徒は20万人といわれる。 シリア出身のファーミー・アルマジド氏(59歳)は、移民のホスト社会への融合問題のコンサルタントで、イスラムの預言者ムハンマドの風刺漫画を掲載したユランズ・ポステン紙のコラムニストの一人でもある。同氏は漫画の掲載を、「挑発だけを目的とした馬鹿げた行動」で、デンマークの対外イメージに大きな打撃を与えたと批判する一方、「最終的には、この騒ぎがムスリムと非ムスリムの国民の間の新たな対話のきっかけになる」と楽観視もしているという。
 
 デンマーク在住35年のアルマジド氏は、自分を「元ムスリム」、「イスラム教のバックグラウンドを持つ人物」と呼んでいる。テレビやラジオのコメンテーターとしても著名で、デンマークの融合問題担当大臣のアドバイザーの一人でもある。『イスラム教徒がやってきた』を初めとして多数の著作を持つ。コペンヘーゲン市内にある氏のオフィスで話を聞いた。 
 
▽ムスリム認識に変化の兆しも 
 
──事態をどう評価するか? 
 
 アルマジド氏:2つの側面がある。国際的な面と国内の話だ。まず国際的な観点から見ると、いかにもまずい状況だ。デンマーク製品のボイコットが続いているため、中東諸国でデンマークの食品会社がマーケットシェアを失いつつある。40年かけて築き上げてきたシェアが崩れるのはあっという間だ。オランダやフランスなどの競争相手を前に、元のシェアを取り戻すのは非常に難しいだろうし、時間もかかる。例えば、サウジアラビアではボイコットのおかげで約3000人が職を失う。 
 
 ひとつ注意すべきなのは、不買運動が最近起きたのではない点だ。昨年秋の掲載直後からアラビア語の新聞報道やネットでの情報を注意してみてきたが、中東諸国の人々が情報を交換し合ってデンマーク製品の不買運動が広がってきたことが分かる。政府が命じたのではなく、その前に国民レベルで不買運動が起きていた。 
 
──きっかけは?9月末の掲載直後からか? 
 
 アルマジド氏:(10月に)ラムスセン首相が、イスラム諸国からの大使との会見を断ったのがきっかけだ。外国の大使に「会いたくない」と言うのはまずいと思う。 
 
 また、1~2年ほど前から、デンマークは米国と一体化していると見られるようにもなっていた。イラクに派兵している点からも、米国側についている国、反アラブ、反ムスリムというイメージができていた。こうした中、風刺画事件が起きた。 
 
 国内の背景要因としては、この5年間で、反外国人、反ムスリムを表に出すデンマーク国民党が支持を増やしてきた。他の団体が国民党の党員の発言に対して抗議をすると、政府は、「表現の自由」だという。国民党をかばうのは、政権党だけでは国会の過半数を占めることができないからだ。 
 
 しかし、変化の兆しは現れている。 
 
 先日も、イスラム教の25の墓が襲撃を受けた。首相がテレビに出て、こうした行為を非難し、犯人を見つける、と宣言した。しかし、昨年、コペンハーゲンでは100のイスラム教徒の墓が攻撃を受けていたが、当時は誰も何も言わなかった。現在では、イスラム教徒たちをもっとまともに扱われなければならない、と政治家がいうようになっている。風刺画掲載の良い結果のひとつだと思う。 
 
 また、図書館でコーランを借りる人が増えて、在庫がなくなった、とラジオで聞いた。イスラム教について知りたがっている人が増えている証拠だ。 
 
──風刺画事件以前に、ムスリムに対する他の国民の視線はどうだったのか? 
 
 アルマジド氏:デンマークの20万人のムスリムのうちで、2000~5000人ぐらいがかなりの保守派だ。原理主義者といってもいいだろう。しかし、80~90%はそうでない。働いているし、デンマークに貢献している。この点が、前は分かってもらいにくかった。 
 
 ある日、テレビに出演した後で、ある女性が電話をかけてきて、「今すぐ国に帰れ。デンマークの福祉制度の恩恵を受けるな」と言った。私は、住所を教えてくれたら私の税金の支払い証明書を送る、といった。多くの人は、「外国人だったら、何かごまかしをしているだろう、税金を払っていないのでは」と、自動的に考える傾向があった。 
 
 スエーデンの学会に出席したとき、デンマークでは外国人は「問題」として受け止められるが、スエーデンでは人材と見られると言われたが、風刺画のおかげで、デンマークでも外国人は人材でもある、という議論が出てきたと思う。一方で、極右国民党は、もし今選挙があれば、国会で8議席増やすことができるだろうと予測されている。左と右の陣営がどちらも強くなったと言える。 
 
▽言論の自由は何かを傷つけるためではない 
 
──ユランズ・ポステンのコラムニストとして、掲載前後の話を聞かせて欲しい。 
 
 アルマジド氏:掲載された日に電話をもらい、どう思うかを聞かれたので、非常に馬鹿げて見える、といった。私は、宗教も含めていかなるトピックに関しての議論にも参加するし、挑発することもある。しかし、挑発のための挑発はしない。ユランズ・ポステンは、ムハンマドがテロリストであるかのような風刺画を掲載した。それで、一体何をしようというのだろうか?見えてこない。 
 
──なぜ掲載したと思うか? 
 
 アルマジド氏:みんなに聞かれる。新聞自身もなぜ掲載したかを自分たち自身に聞いているところだろう。なぜこんな馬鹿なことをしたのか、と。 
 
 ジャーナリズムでは言論の自由がなければ生きていけない。最優先事項だ。そう思わないなら、ジャーナリズムを辞めるべきだ。しかし、この風刺画自体はこれと一体どんな関係があるのか? 言論の自由があるからといって、「デンマーク人は全員馬鹿だ」と私は言ったりはしない。きっと、「それで?」と問い返されるだけだ。 
 
 言論の自由、表現の自由は、何かを傷つけるためでなく、何かを築き上げるために存在していると思う。 
 
 社会の中には宗教が人生の中心とする人もいる。イスラム教に限らず、信仰が生活の大部分を占める人たちを、ユランズ・ポステンが笑いの対象にするのは馬鹿げていると思った。笑うことで、相手との対話を止めてしまう。 
 
 少し前に、キリストが描かれているビーチサンダルが販売されたことがあった。歩くたびにキリストの肖像を踏むことになった。抗議が起きて、製造していた会社はサンダルを引き上げた。 
 
 こうしたことを考えあわせると、ユランズ・ポステンが、宗教がらみの動きをすればどうなるかは承知していたはずだ。挑発のための挑発で、馬鹿げた行為だった。 
 
 ユランズ・ポステンには多くの優れた記者がいる。イスラム教に関する専門の記者もいる。しかし、彼は今回はまったく蚊帳の外に置かれ、掲載日に見て、驚き、私のところに電話をしてきた。ごく小さいグループだけで掲載を決めたのだろう。 
 
──「挑発のための挑発」だったというが、フランスやドイツの新聞はユランズ・ポステンの支持に回った。これをどう見るか? 
 
 アルマジド氏:テーマが変わったのだと思う。表現の自由に限度があるべきか? この質問にほとんどの人はノーというしかない。限度を設定するのは独裁者だけだ。 
 
 しかし今回の12枚の風刺画に限って言うと、表現の自由とは別の問題だと思っている。挑発目的の、相手との対話を望んでいない、馬鹿げた行為だった。 
 
──世界のほかの国では、抗議をしたイスラム教徒たちが、デンマーク大使館を襲撃したりなど、暴力行為に出た。死者もでたが。 
 
 アルマジド氏:いかなる形の暴力の行使にも反対する。テレビで大使館が襲撃されている様子を見て、泣きたくなった。BBCやアラビア語のテレビ局のインタビューで、暴力をやめるように、と何度も呼びかけた。 
 
▽移民融合策は失敗したが… 
 
──デンマークの移民融合策をどう評価するか? 
 
 アルマジド氏:失敗したと思う。1980~90年代、イラクやソマリアから政治的亡命者が来た。高等教育を受けた人たちで、まさにデンマークが必要していた人材だった。しかし、見下ろす態度で扱われたので、他の国に行ってしまった。 
 
 米国のシリコンバレーに行けば、スカーフをかぶった人やシーク教徒の人が働いている。デンマークでは、まずスカーフを脱がないと雇わない、という考え方をする。 
 
 デンマーク人は考えを変えないといけない。デンマークの外に世界があることを知るべきだ。デンマークで起きたことが世界中に影響を及ぼすこともあることを知るべきだ。現状は、デンマークが世界と考える人が多い。 
 
──将来は? 
 
 アルマジド氏:楽観している。楽観的過ぎるかもしれないが、物事の良い面を見たい。過去の誤りを変えることはできない。過去から何かを学ぶべきだ。ユランズ・ポステンが馬鹿げた風刺画を掲載した。しかし、いつまでも繰り返して言う必要はないだろう。1回でいい。これから、何ができるかを考えよう。
by polimediauk | 2007-07-07 00:48 | 欧州表現の自由
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  ロンドンとグラスゴーのテロ未遂で逮捕された8人の結びつきが詳しく新聞やテレビで報道され、やはり読んだり見たりしてしまう。

 何となく、「またか」と思ってニュースを見ている人は多いのではないか。どうしてここまでなってしまったのか。驚くほど、ぽろぽろ、出てくる。

 水曜日、イスラム教「過激集団」のヒズボタヒリールを何故、解散措置にしないのか、とキャメロン保守党党首が、首相に議会で聞いていた。

 首相はうまく答えられなかったが、リード元内相が、解散措置にしたかったが、裁判では解散措置をするほどの証拠がなかった、と答えていたようだ。

 英国のヒズボタヒリールの人に話を聞いたことがあったのだが、どこが「過激」となるのか?と思った。確かに、英国をイスラム社会・シャリア法で統治される国にしたい、というビジョンを持っていると言われた。しかしアイデアを持っているだけでは、政府は解散措置にするわけにはいかないのだ。まだまだ疑問で一杯だ。

 デンマークの風刺画事件が世界的に大きくなったのは2006年初頭。このブログでもだいぶ書いてきたが、「現地の生の声」をしばらく出していきたい。

(ベリタ2006年02月26日掲載 )

「ムスリム移民は疑念の対象」 

  イスラム教の預言者ムハンマドの中傷漫画騒ぎは、火元のデンマークではどのように受け止められているのだろうか。人口約540万の国の一新聞が世界に広げた波紋の大きさに、多くの国民は戸惑いを覚えているようだが、この騒ぎで浮き彫りになった様々な問題を真剣に考えようとする人びとも少なくない。首都コペンハーゲンで、ジャーナリスト、移民問題専門家、ムスリム、作家らの声に耳を傾けてみた。 
 
 ユリー・クリスチャンセンさんは、デンマークの通信社リツァウスの外報デスク(2006年2月当時)。現在7ヶ月目の出産休暇中だが、自宅で長男の面倒を見ながら、合間を縫っては原稿を書いてきた。「ここほぼ一ヶ月は、ニュースといえば風刺画の事件ばかり。他にニュースはないの?」と文句を言いながらも、テレビやラジオにかじりついてきたという。 

 コペンハーゲンの北30キロほどにあるヒレロドのカフェで、今回の事件が移民の融合策に及ぼす影響、政府の対応、言論の自由、「寛容」とされるデンマークの国民性などについて聞いた。 
 
▽イメージだけの「寛容な国」 
 
──今、一番の懸念は何か? 
 
 クリスチャンセン:まず、ムスリム系移民の社会融合が今回の風刺画事件のおかげで遅れることになるだろう点だ。新聞は宗教の話ばかりで、ニュースも30分の番組があれば25分は風刺画の話だ。他のニュースはないのか?と思った。阻害されているムスリム系移民の社会融合をいかに進めるか、という話は全くなかったのが残念だ。 
 
──20万人いるといわれるイスラム教徒の国民に対する、デンマーク国民の感情はどうなのか? 
 
 クリスチャンセン:懸念を持っていた、というのが正確だと思う。不審の目を向ける存在だ。例えば、名前がムスリム系を示唆すると、まともな仕事を見つけるのは非常に難しい。 
 
 また、一生懸命デンマーク語を話そうとする外国人に対して閉鎖的だ。例えば私がかつてジャーナリストの研修でオランダに行き、市場にいって一生懸命オランダ語を話そうとしたとき、みんな喜んでくれた。逆にデンマークでは、外国人がデンマーク語を話すとき、まともなデンマーク語でないと喜んでくれない。もしアクセントがあるデンマーク語を話すと、「言っていることが分からない」で終わってしまう。寛容精神が低い。 
 
──デンマークは寛容精神に富む、と聞いていたが。 
 
 クリスチャンセン:イメージだけだ。もちろん、法律などはリベラルだが、人々の心は非常に狭いと感じている。 
 
──今回の事件での政府の対応をどう評価するか?首相側は、独立メディアに干渉できないという理由で、イスラム諸国からの大使との面会を断り、これが問題を悪化させたとも言われているが。 
 
 クリスチャンセン:今から思うと、良くない言い訳だった。そう言えば、問題が消え去ると思っていたのだろう。 
 
──デンマークの旗が燃やされる場面をテレビで見て、衝撃だったか? 
 
 クリスチャンセン:それ自体はショックではなかった。他のニュースがないのだろうか、他の情勢を知りたい、と思った。良い面を見ようとして、少なくとも国旗は売れたのだ、と考えていた。 
 
▽表現の自由には慎重さが必要 
 
──ユランズ・ポステンは、風刺画を掲載するべきではなかったと思うか? 
 
 クリスチャンセン:うーん…非常に難しい質問だ。ジャーナリストとしては、表現の自由、報道の自由はもちろん支持する。 
 
 しかしユランズ・ポステンは、デンマークという小さな国のたった一つの新聞が掲載するだけだ、と考えていたのではないだろうか。デンマークの外に世界があることに気づかなかった。この点からは、間違いを犯したのだと思う。メディアにはパワーがある。間違いをすれば、その影響は非常に大きい。何を掲載するかに関して、念には念を入れて考えることが重要だ。 
 
──風刺画自体をどう見たか? 
 
 クリスチャンセン:風刺画は、ある意味では、確かに非常に挑発的だと思った。こんな挑発は、ムスリムたちを疑念の対象としてとらえる傾向が強まっていたデンマークには必要なかったかもしれない。表現の自由は大切だし、タブーがあれば風刺画は描けない。デンマークの風刺画は何でも対象にするし、徹底的に戯画化する。しかし、自殺や中絶の場面が風刺画に出ることはない。タブーが実際にはあるのなら、なぜ預言者ムハンマドの肖像もタブーのひとつとしないのか、とも思う。 
 
▽移民融合策の逆戻りを懸念 
 
──イスラム諸国では大規模な抗議デモがあったが。 
 
 クリスチャンセン:イランなど、人々が非常に暴力的になっている様子をテレビで見た。しかし、例えばシリアだが、人々が自分で思いついて大規模なデモをするということはありえない。政府が何らかの指示を出しているのは確かだ。 
 
 しかし、ああいう反応を見ていると、ある意味では、風刺画の掲載も意味があったと言わざるを得ない。つまり、暴力の威嚇を通じて表現を封じようとしている人々が存在していることが表に出たからだ。こういう状態は変えなければいけない。何かに異論があれば、威嚇ではなく議論をするべきだ。 
 
 デンマークの国民のイスラム教徒に対する見方が、今回の件でどのように変わるのかを注視している。移民の融合策の進展は、今回の事件で、一度に何十年か前のレベルに戻ってしまった。 
 
 反移民、反ムスリム感情を増幅させることを狙ってきた極右のデンマーク国民党はきっと、事態の進展を心から喜んでいるだろう。選挙が今なくてよかったな、と思う。きっと大量の票を得ただろうから。人々が移民に対してポジティブなイメージを持つようになるまでには、かなり時間がかかるだろう。 
 
──例えば国民党はどのような発言をしているのか? 
 
 クリスチャンセン:あるメンバーが、ムスリムはがん細胞だ、と言った。こうした発言を許す雰囲気がデンマークにはある。これは風刺画事件の前からだ。それでも、誰もムスリムのために抗議デモをやったりはしない。ここが恐ろしい点だ。 
 
──風刺画事件の後、デンマーク国民は、「彼ら(ムスリムたち)と私たち(非ムスリム)」という考え方になってしまっているだろうか? 
 
 クリスチャンセン:まさにそうだ。 
 
 メディアにも責任がある。デンマークのメディアは、世論形成に大きな影響力を持つが、移民やムスリムに関して否定的なことのみを書く傾向があると思う。 
 
 成功例の話は少ないが、例えば中国人移民のコミュニティーがあるが、中国系移民たちはほとんどが職を持っており、税金も払っている。生活保護を受けていないので、「良い移民」として受け取られている。移民のためには税金を使いたくない、という感情が人々の中にある。 
 
 デンマークに来るなら、自分たちのように行動し、話して欲しい、と思う人が多い。できれば、自分たちのような外観を持って欲しい、と。そうすれば、私たちは移民たちの存在を気づかないですむ、と。嘆かわしい。フランス人が傲慢だというけど、デンマーク人もすごく傲慢だ。 
 
──デンマークの国民の大部分がキリスト教徒ということだが、実際、どれほど宗教が身近なのか? 
 
 クリスチャンセン:クリスマスの時だけキリスト教徒になる人は多いと思う。この点からは、ほとんどのデンマークの国民からすると、なぜあの風刺画がこれほどの注目を集めているのかを理解するのが難しい。ムスリムに聞くと、預言者ムハンマドに対して、自分の家族、子供や親に対する感情と同じぐらいの、あるいはそれ以上の強い感情を持っているという。これをデンマーク人は理解することができない。自分たちにはそういう感情がないからだと思う。(つづく) 
 
<デンマーク風刺画事件をめぐる主な動き 2005年から2006年2月> 
 
2005年9月30日
デンマークの保守系有力紙「ユランズ・ポステン」紙がイスラム教の預言者ムハンマドの風刺画12枚を紙面に掲載 
10月17日
エジプトの新聞が風刺画の何枚かを転載し、「侮辱」であると表明。 
10月20日
イスラム諸国からの大使らが、デンマーク首相に風刺画に関して抗議 
2006年1月10日
ノルウエーの雑誌が風刺画を転載 
1月26日
サウジアラビアがデンマーク大使を帰国させる。 
1月30日
武装集団がガザ地区にある欧州連合(EU)の事務所を襲撃し、風刺画掲載への謝罪求める 
同31日
ユランズ・ポステンが謝罪。デンマーク首相は謝罪を歓迎するが報道の自由を支持 
2月1日
フランス、ドイツ、イタリア、スペインの新聞が風刺画を転載。この後、欧州を中心に転載する新聞が増えてゆく 
同2日
転載をしたフランス・ソワール紙の上級編集者が解雇される 
同4日
シリアのデモ参加者が首都ダマスカスのデンマーク及びノルウエー大使館を襲撃。国連事務総長アナン氏が事態の沈静化を呼びかけ 
同6日
アフガニスタンやソマリアでデモ参加者が命を落とす 
同7日
イランがデンマークとの外交関係断絶を宣言。テヘランにあるデンマーク大使館を数百人のイラン人らが襲撃。 
同8日
フランスの週刊誌が風刺画を転載。シラク仏大統領が「挑発的」と批判。 (資料:BBC他) 
by polimediauk | 2007-07-06 05:51 | 欧州表現の自由

 ロンドン、グラスゴーとテロ未遂事件が続けて起きたため、イスラム系テロ対策をどうするかに話題が集まっている。イスラム社会では、お決まりのようにムスリム・カウンシル・オブ・ブリテン(英ムスリム評議会)の代表が「テロは許されない行為だ!」と声明を出すはめに陥り、テレビやラジオの討論番組には若きイスラム教徒たちが呼ばれて質問を受けたり、お互いに批判しあったり、「あの容疑者はとってもいい青年だったけど、アルカイダのビデオを見ていた」と証言する元友人たちが出る・・・という流れになっている。

 そして、イスラム教徒を「穏健派」と「過激派」に分ける。「穏健派はいいけど、過激派は困る、90%以上が穏健派だけどね・・・」と政治家たちが話す。と同時に、イスラム教徒たちは「僕たちは一人一人違うし、穏健派と過激派に分けるのもナンセンスだ」という。両方の議論がかみ合っていない。

 欧州に住む全員にとって、イスラム教徒の件は、いかに隣人と生きるか、つきあうかの問題のような気がする。西欧側からすると価値観が違うかのように見える(本当はそれほど違わないし、衝突も本当は少ないと私は思っているけれども)隣人といかに生きるか。イスラム文化に関してはたくさん無知と偏見がある。リベラルと自認する西欧人と話してみれば、100人が100人、イスラム文化に偏見があるように思える。(逆に、西欧文化の価値観で生まれ育った私・私たちには欧米文化を必要以上に良いものと見なす考え方があるのだろうが。)

 問題は、幻想だったかもしれないが、西欧人には自分たちはリベラル、民主主義、異なる価値観に寛容のようなイメージがあって、ところがイスラム文化に関しては、受け入れることができないのが本音だが、その本音を言えないか、あるいは自分が偏見を持っていることを容易には認めない。「偏見を持つことは恥ずかしいこと」だからだ。

 いかにして、イスラム教徒の隣人と衝突なしにやっていくか、互いの価値観を認めて生きていくか、時には自分のこれまでの価値観や文化を相手に合わせるために変えていけるかー欧州は今こうしたプロセスの渦中にあると思う。非常に大きな流れだと思う。

 欧州を笑ってばかりもいられない。日本人である私が日本にいたら、少数民族の価値観のために、(国内の大多数を占める)日本人の文化・価値観を変えることに同意できるか?(ひょっとしたら、日本人の方が自分自身を変えやすいのかもしれないが。)

 いずれにしろ、イスラム文化との付き合い方(に苦しむというの)は非常に欧州的な問題ではないかと思う。先日、米国に住む学者がロンドンに来て、オランダのイスラム移民に関する講演を行った。先住オランダ人とイスラム教徒の国民の間で価値観と衝突が起きていて、これが問題になっている、ということを9年近くかけて調査した本を出した人だ。オランダに住む学者との共同研究だ。

 講演の後、この学者のところに行き、イスラム文化との価値観の衝突が起きているのはオランダばかりでなく、欧州のほかの国でもそうだ、というような話になった。どうしたらいいのか、処方箋を聞きたい、と言った。隣にいた、英国に住むイスラム教徒の若い青年も、「アドバイスが欲しい」という目で学者の言葉に耳を傾ける。学者は、大きいため息をつき、「一言だけ言いたい。私が住むカリフォルニアで、よく使う言葉だ。チル・アウト(まあ、落ち着けよ)」。

 私は、頭が空っぽになるのを感じた。チル・アウトできないから苦しんでいる。自分自身が譲れないと思う「何か」を持っているからこそ、苦しむ。「考えるのをやめろよ」と言われた思いがした。

 いずれにせよ、何かが欧州で起きている。欧州専門の学者だったら、もっと的確に何が起きているのかを言えるのかもしれないが、私は残念ながらそうではない。そこで、衝突があった現地に行って、人に会って、話を聞いてみようと思った。生の言葉を聞きたかった。

 そういうことを2005年ごろからやりだした。もっと早く出たかったけれども、なかなか資金繰りがうまくいかなかった。

 このテーマの「ルポ」ものを主にベリタに書いてきたが、今回、ある程度ブログに出してもよいという許可が出たので、次回から順次出していきたい。(一部は既に「オランダの表現の自由」の項目に出ているが。)

 拾った生の声を届けたい。


 追記:「チル・アウト」の言葉が頭から離れなかったが、講演の質疑応答の中で、ムスリムのジャーナリストがいて、「あなたの本は処方箋を書いていない。こんな本を書けば、イスラムフォビアが増えるばかりだ」と言った。当の学者はしばし沈黙し、「ほらね、こんなコメントが議論を止めさせるのです。私の人生のモットーを聞きたいなら、一言だけだ。アイロニーだ。人生はアイロニーだ」と言ったのである。私は今、この言葉をかみ締めている。彼が言いたかったのは、オランダは70年代、モロッコやトルコから労働力を入れた。数年して母国に帰ってもらうつもりだったが、オランダの人権団体などが外国人労働者の権利を守るために働き、結局は長期滞在となった。家族を呼ぶようにもなった。モスクが必要だ、学校が必要だ、と言えば、税金を使って支援してきた。その結果が、こうだ(関係が悪化)、ということを言いたかったのだろうと想像した。善意をつくして相手のためにやったつもりが、感謝もされない状況になってしまったのだ。まさにアイロニー。皮肉だ。深いな、と思った。
by polimediauk | 2007-07-05 07:22 | 欧州表現の自由

オランダの恥



 「スレブレニツァ虐殺事件」は、オランダにとって重い意味を持つようだ。〔この町の読み方はいろいろあるようだ。)

 elmoiyさんにご指摘いただきネットを見ると、ヤフーなどから時事通信の記事他が出た。

国連とオランダを提訴=スレブレニツァ虐殺事件の遺族
6月5日6時0分配信 時事通信
【ブリュッセル4日時事】ボスニア・ヘルツェゴビナ内戦末期の1995年、東部スレブレニツァでセルビア人勢力に虐殺されたイスラム系住民約8000人の遺族が、虐殺を傍観したとして、国連とオランダ政府の責任を問う集団訴訟をオランダ・ハーグ地裁に起こした。
 原告は、オランダに設立された遺族会「スレブレニツァの母たち」に属する遺族約6000人で、国連とオランダ政府の責任を認定するよう求めている。金銭的な補償は求めていない。
 これとは別の遺族10人は、一人当たり2万5000ユーロ(約410万円)の損害賠償を請求している。
 

 おそらく、これに日本の場合の戦後処理・謝罪などに状況的には類似したものを見る方もいて、「お手並み拝見」ということになっているのかもしれない。

 オランダの学者Rudy Andeweg と言う人の書いたオランダ政治の本によると、スレブニツアの事件は、オランダ人にとって、トラウマになっているという。(第2次世界大戦で、ユダヤ人を十分に守りきれなかったことも、もう1つのトラウマらしい。)

 アンデウエグ(ウエフという発音かもしれない)教授によると、使命から戻ってきたオランダ兵に関する調査は不十分なもので、途中で聞き取り資料がなくなったり、オランダ戦争資料機関(Netherlands Insititute for War Documentation=NIOD)の調査の出版が遅れたりなどしたという。

 虐殺から7年後の2002年、NIODが調査結果を報告した。http://www.srebrenica.nl/en/ 政府が明確な目的なしに、「安全」とする場所にオランダ兵を送ったことを厳しく批判した。調査出版から1週間で、時の政府が責任を取って辞職。オランダ政府が、議会の中の対立や政党同士の対立以外の理由で崩壊するのはオランダ現代史上、初めてだったという。約4週間後には総選挙が行なわれる予定だったので、それが早まったことになったが、象徴的な意味があったという。議会も独自の調査を行ったと言う。

 実際、この事件とは何だったのか?この本からの簡単な抜粋だが:

 1992年、ボスニア・セルビア軍によるスレブレニツァ(イスラム教徒の町)の占拠後、国連安保理は、スレブレニツァが「安全な場所」とし、国際連合保護軍の保護下に置くことにした。イスラム教徒の指導者たちも国際連合保護軍の手で非武装化することに合意し、セルビア軍も撤退を約束。

 国連が「安全な場所」としたのは、妥協の産物で、一時的なものであり、多くの国がまだ安全ではないと思っていたという。そこで、他の国はここに国連保護軍の一部として自国の軍隊を送りたがらなかった。クリントン米大統領は射撃の的になると言ったそうである。

 そこで、スレブレニツァを守るという目的で派遣されたのがオランダ軍だった。全体で800人。当時オランダ軍関係者、同盟国、国内の評論家たちは「危険だから送るな」と反対をした。

 しかし、政府としては、エスニック・クレンジングが起きている、戦争犯罪が起きている、という報道を聞き、オランダとして何かをするべきだ、倫理的に何もしないでいるわけにはいかない、という世論を無視することができなかった。

 また、ユーゴスラビアの将来を決める主要国の中に、オランダも入りたいという野望、冷戦後に出来たオランダの「ラピッド・デプロイメント・フォース」という軍隊の力を試したい、という思いも政府側にあったという。

 しかし、総勢800人のオランダ軍は厳しい状況に置かれた。スレブレニツァに入るまでにボスニア・セルビア軍が一帯を支配していたので、食料や武器も含めた供給をボスニア・セルビア軍が牛耳る形になった。スレブレニツァのイスラム教徒の指導者たちは、こんな少人数の軍隊が自分たちをボスニア・セルビア軍から守ってくれるとは信じられず、武器を手放すことをしぶった。食糧確保のために、セルビア軍がいる場所に入って、食料を得る指導者もいた。

 ボスニア・セルビア軍は、国連軍(オランダ兵)がスレブレニツァの非武装化をなかなか進められない様子を見て、「それなら自分たちがやる」と言い出した。オランダ軍はジレンマに陥った。イスラム教徒の非武装化を力を使って行なうほどの軍力がなく、かつ、ボスニア・セルビア軍に対しては相手から攻撃を受けない限り、こちらからは攻撃できない状態に置かれていた。

 オランダ軍は自分たちでリスクをとりたがらなくなり、ボスニア・セルビア軍に人質にされる可能性を怖がった。1995年、誰も支援をする人がいない状態のスレブレニツァは、再度ボスニア・セルビア軍に占拠された。

 当初、オランダ軍兵士が攻撃されなかったということで、オランダ国内で安堵が広がった。オランダ政府高官が〔クロアチア首都〕ザグレブに飛び、祝賀会が行なわれた。オランダのテレビで、ボスニア・セルビア軍の司令官らとオランダ軍が祝杯をあげる場面と同時に、オランダ軍兵士がスレブレニツァの市民を移動させる場面が放映された。次第に、ボスニア・セルビア軍はスレブレニツァの市民を非武装化させただけでなく、殺害していた(男性全員が殺害されたとも言われる)ことが明らかになった。第2次世界大戦以降最大の大量殺戮の1つ、とまで言われた。

(Governance and Politics of the Netherlands by Rudy B Andeweg and Galen A. Irwin より)

 (上はあくまでも抜粋なので、もっと詳しい資料も各自参考にしていただきたい。)
by polimediauk | 2007-06-07 21:36 | 欧州表現の自由

 (日本語では「世界報道自由デー」と呼ぶようだ。)

 3日の午後、ロンドンの外国プレス協会でロシアの報道状況に関して、2人の専門家が話をした。

 2人は午前中の「世界報道自由デー」の討論にも出ていたが、ロシアのシンク・タンク、デモス・センターのタチアナ・ロクシナさんと、ジャーナリストで「極限状態のジャーナリスト・センター」の所長オレグ・パニフィロフ氏。

 両者共にプーチン下のメディアがいかに自由がないか、いかにジャーナリストたちがひどい状況に置かれているかを詳細に報告。英国にいると、こういうネガティブな話しか聞こえてこないのだが、一体、こういう意見は少数派なのか、主流なのか?

 英国王立国際問題研究所のロシア班の人の話によると、「プーチンはコントロール・フリークのようなところがある」そうである。(余談だが、英メディアでは、インディペンデントが親ロシア、タイムズとテレグラフが反ロシア的記事が多いという。)「ロシア政府は、西欧がロシアをどう見るか?を大変気にする傾向がある」。昨年ぐらいから始まったばかりの英語のテレビ局で「ロシア・ツデー」というのがあるが、「ロシアには独立メディアがある、ということを示すためにできた」とこの人は見ていた。

 通訳を通して話したオレグ・パニフィロフ氏の話は:

「ロシアでは共産主義がかつては長く続いており、『報道の自由』、『表現の自由』という概念が長らくなかった。元共産圏だったポーランドもそうだった、と人は言うが、ポーランドが共産主義国家だったのはたかだか50年ほどに過ぎないのだ」

 「ジャーナリストへの規制が出来てきたのは1990年代。結構最近だ。言論の自由がない時代が長かった。学生にジャーナリズムを教える先生たちも、自分たちは古いスタイルのジャーナリズム、つまりは言論の自由がなかった時代の考えに基づいて教えている。学校ではジャーナリズムのテクニックを教わる、ジャーナリズムについて教わる、というよりも、文学を題材として学ぶ」  

 「政府はプロパガンダを教えたがっている」

 「ロシアにはジャーナリストを守る法律がある。例えば憲法21条だ。これは、検閲を禁じ、言論の自由を唱えている。しかし、これが現実に実行されていないのだ」

 「最も自由があったのはエリツイン大統領の時代だったと思う。プーチン大統領になってすべてが破壊された。ロシアには5つのテレビのチャンネルがあるが、これは全て政府が支配している。第一次チェチェン紛争(1994―1996年。ロシア連邦からの独立を目指すチェチェン独立派武装勢力と、それを阻止しようとするロシアとの間で発生した紛争)の時、ジャーナリストが何が起きているかを世界に報道した。第2次戦争の時(1999-)、政府は報道を止めようとした」

 「今、本当の情報を欲しい人はNGOから得る。しかし、97%の国民は情報をテレビにたよっている」

 「ジャーナリストは危険にさらされている。殺された人、攻撃された人。毎年20人のジャーナリストが殺されているが、直接仕事に関わりがある理由で亡くなったとはされない。また、毎年50人ほどのジャーナリストが刑事犯罪に問われる。過激主義、テロ関連、中傷などの罪だ」

タチアナ・ロクシナさん

 「今、ロシアでテレビのニュースを見ると、どのニュースもほとんど同じで、非常に衝撃を受ける。全体主義的国家になっている。国会もプーチンの政党が独占している。野党勢力が破壊されている。声を出せるのはNGOだけだ。NGOの活動も制約を受けるが」

 「チェチェンの状況に関してだが、政府の見解は、チェチェンの事態は正常で、最も安全な場所、としている。実際は、犯罪が多発する、無政府状態の場所だ。ロシアの法律外にある。1994年前に何が起きたかを話すことはタブーだ」

 ちなみに、朝日新聞記事(今年3月8日)によると、91年のソ連崩壊から現在までに、ロシアでは200人以上の記者が殺害されたり、不審死しているという。チェチェン紛争における当局の弾圧を批判してきたアンナ・ポリトコフスカヤ記者が、昨年10月に射殺されたが、殺されたジャーナリストたちの事件の多くが未解明のままだそうだ。今年3月2日、「ロシアの有力紙で政財界に読者が多いコメルサント紙」のイワン・サフロノフ記者が自宅階段の踊り場の窓から転落死した。検察当局は自殺と見て捜査中(もう結果が出ているかもしれない)だった。何者かに殺害の可能性も否定できないようだ。

 ・・・英語圏ではこのようにロシアのメディア状況が大変なことになっているという報道が多い。一体、実際ロシアに住んでいる人はどう思っているのだろうか?(もし「それほどひどくない」と思われる方がいたら、コメントなどお寄せください。)また、ロシアのメディア状況でもう1つ疑問なのは、いわゆる西欧型(?)言論の自由という考えだけでは、理解できないのではないか、という点だ。ではどうやって、何をものさしとしてみるのかというと、私も分からないのだが。ロシアはロシアであって、英国でも米国でもフランスでもないような。とにかく、「プーチン=怖い=言論の自由なし」という論調ばかりが目に付く。

 タチアナ・ロクシナさんの午前中のスピーチはガーディアンで読めるようになっている。ベリタに無料記事で掲載中。気づかなかったが、彼女も「9・11テロ以降の言論の不自由さ」をスピーチの中で指摘していた。国家がテロ攻撃を口実にしてメディア統制・攻撃をするようになっている、と。

ベリタ無料記事 

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200705070229351
by polimediauk | 2007-05-06 23:59 | 欧州表現の自由

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(写真はロシアのデモス・センターのタチアナ・ロクシナさん、写真提供UNESCO)

 UNESCO「世界報道の自由の日」の集まりが、3日、ロンドンでいくつかあった。午前中開催されたのは、UESCO英国支部の主催の「世界の報道の自由は後退しているか?」というテーマのイベントだった。参加者はメディア関係者や一般市民、学生など。ロシアからのゲスト、英政治ブロガー、他メディアコメンテーターが、「後退している」、「後退していない」の2つの側に分かれてディベートを行なった。

 2006年は殺害されたジャーナリストの数がこれまでにないほど増加しており、「最も血なまぐさい年」とも言われているそうだ。

 パネリストの一人がロシアの人権関係のジャーナリストでデモス・センターhttp://www.demos-center.ru/projects/649C35 というシンクタンクの代表でもあるタチアナ・ロクシナさん。チェチェン問題を書いてきたジャーナリストで、昨年殺害されたアンナ・ポリトコフスカヤさんに言及した。「いかにジャーナリストが傷つきやすい状態で生きているかが分かった」。

 「ロシアでは、独立プレスというのは殆どない」、「ロシアの人が情報を得るのはテレビ。テレビは国家がコントロールしている」。

 おそろしい話となったが、質疑応答の時間になり、元BBCのモスクワ特派員スティーブン・ダルジエル氏が、「プーチン時代になって報道の自由が減ったというのはあたっていないのではないか。(その前の)エリツイン時代は共産主義だったのだ。あの時代の方が自由がなかった」と指摘。

 ロクシナさんは、むっとした表情で、「私たちはロシアで生きている(住んでいない人には分からない、とう意味だろうか)。プーチンはチェチェン問題を皮切りに、報道の自由を殺したのだ」と反論。

 作家で元BBCジャーナリストのニック・ジョーンズ氏もコメンテーターとして発言。彼も報道の自由が後退している、という意見。それは、(おそらくマードックを指してだが)、メディアが数少ない所有者に独占されつつある。だから、報道の自由が狭められている、と指摘した。

 討論の内容はロシアに比重がかかったものとなり、最後、参加者が挙手でこの日のテーマに賛同するかを聞かれた。60人ほどが手をあげた中で、50数人が「後退した」。私もこの中の一人だった。

 私自身が「後退した」理由の1つで、議論に出なかった要素に、「テロの戦争のレトリック」があるのではないかと思った。確か、一時、チェチェン問題に関し、プーチン大統領も「これはテロの戦争だから」という言い訳をしていたような記憶がある。「テロとの闘い」といってしまえば、何でも許されるような雰囲気がある。全てがとまってしまう。言い訳になるのだ。無実の人がテロ容疑で捕まって、後で無罪になっても、その汚名ははらされない。「テロとの闘い」で捕まったのだから、仕方ない、と。キューバにあるグアンタナモ基地収容所に拘束されている人も、普段なら正当な裁判を受けるべきだが、裁判まで行かない場合がほとんどで、ずっと拘束されたままだ。

 前にも書いたが、この中の一人にアルジャジーラのサミ・アルハジ記者がいる。5年間拘束されっぱなしだ。アルジャジーラ・アラビア語放送ではテレビで「サミをすくえ」というキャンペーンをやっているそうだが。もともとスーダン人で、アルジャジーラの仕事でアフガニスタンに行き、捕まった。戦闘地にいたわけではないのだが。

 UNESCO討論の会場には、「BBCのアラン・ジョンストン記者を救え」というポスターが貼ってあった。3月中旬、パレスチナ地区で誘拐されたのだ。

 しかし、他の参加者とも話していたのだが、「BBCはお金があるから、大々的にキャンペーンができる」、「無実だが捕まっているジャーナリストは世界中にたくさんいるのに・・」という思いがした。オーマイニュース英語を読んでいたら、パレスチナ人の人の話で、何と、パレスチナでは誰が誘拐したか、周知だという。犯人がほぼ分かっていても手が出ない状態。政府同士が情けないのか、政治的意思がないのか。


http://commentisfree.guardian.co.uk/tatiana_lokshina/profile.html
http://commentisfree.guardian.co.uk/category/world_press_freedom_day/
by polimediauk | 2007-05-06 00:03 | 欧州表現の自由

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         (昨年2月のロンドンでのデモの様子)

 何度もしつこく書いてきたが、デンマークの風刺画掲載が大きな論争として世界中に波紋を広げてからそろそろ1年が経つ。2006年1月、ノルウエーの「マガジネット」が再掲載したのがきっかけだった。2月になって、フランスやドイツの新聞もこれにならい、どんどん広がっていった。

 現在デンマークではどのような状況になっているのかを、インタビューを中心として、オンラインの「ベリタ」に出す予定で、今日からその第1回が始まった。(ご興味のある方はwww.nikkanberita.com)昨年2月、9月、10月、そして今年になってからも取材を続けた分をまとめたものだ。デンマークの話が中心だが、話を世界に広げると、様々な見方ができて、一人では難しかった。イスラム教世界対欧州社会(=キリスト教世界)の価値観の衝突、という面もあったわけだが、これはデンマークだけに固有の問題ではない。今後もきっと何らかの形で同様の現象があるだろう。

 「論争」というレベルだけでなく、未だに事件の影響下にいる人たちもいる。

 例えば、イエーメンでは、イエーメン・オブザーバー紙に風刺画を再掲載した(昨年2月時点で)編集長ムハンマド・アッサディ氏が、イスラム教を侮辱した罪で、罰金の支払いを命じられている。これが昨年の12月。11月には、また別のイエーメン紙(アルライアラアーム紙)の編集者カマル・アルアラフィ氏が、1年の禁固刑を命じられている。氏は控訴の予定であるという。(BBC)

 私にとってショッキングだったのは、ある英国人男性が、昨年2月の風刺画抗議デモに参加して、「殺せ、デンマーク人を殺せ」と叫んでいたために、有罪となったことだ。バーミンガムのウムラン・ジャベドという男性で、デンマーク大使館前の抗議デモに参加し、「デンマークを、米国を爆撃せよ」と言っていたので、人種偏見を扇動したことになった。本人はスローガンとして言っていただけで、今は後悔しているというが。確かに怖いことを言っていたわけだが・・・。

http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/6235279.stm
 
by polimediauk | 2007-01-06 23:08 | 欧州表現の自由

ーー反イスラムの本が人気

  この1年でデンマークで大きく変わった点といえば、反イスラム感情の高まりが挙げられる。

 デンマークでは現在外国人人口が8%ほどだが、反移民感情が表面化してきたのは1990年代以降。移民たちはデンマークの社会福祉制度や文化を脅かす存在、重荷と見られるようになってゆき、反移民のデンマーク国民党が人気を博すようになった。

 2001年には、9年続いてきた社会民主党率いる連立政権を破り、右派連立政権が成立している。厳しい移民規制策の実行を公約とした自由党が票を伸ばし、保守党と組んで新政権を樹立。

 今年9月、ある知識人の夫婦が書いた本『イスラミストとナイービスト』が発売され、あっという間にベストセラーとなった。「イスラミスト」とはイスラム教原理主義者・過激主義者を指し、「ナイービスト」とは作家の造語で、「原理主義者に甘いナイーブな人たち」を指すと言う。

 本はカレン・ヤスパーセン氏とラルフ・ピッテルコウ氏の共著で、ピッテルコウ氏は社会民主党の党員で元文学部の教授だった。社会民主党党首で首相だったポール・ニューロップ・ラスムセン氏(現首相のラスムセン氏とは別人)のアドバイザーだったが、現在は『ユランズ・ポステン』のコラムニストだ。

 妻のヤスパーセン氏は前政権で内務大臣を務めたことがある。以前は親移民の立場をとっていた政治家、アドバイザーが、いわば180度転換をしたことになる。

ーー「民主的」イスラム教徒たち

 この本の題名にも使われているが、現在のデンマークでは、もしイスラム教徒であれば、自分は「イスラミスト」なのか、あるいは「民主的イスラム教徒」なのかを明確にしなければならない、という雰囲気がある。民主的イスラム教徒でなければ、イスラミストと見なされるのだ。

 こうした雰囲気の背景となったのは、2月上旬、シリアからの難民で現在は社会自由党の国会議員ナッサー・カーダー氏が中心となって立ち上げた、「民主ムスリム・ネットワーク」というグループの発足だ。

 風刺画をきっかけにイスラム諸国でデンマークの国旗が焼かれたり、大使館が攻撃を受けたりしたが、自分たちはこうした過激行為に走るイスラム教徒とは一線を画する、「民主的な」イスラム教徒であることを伝えたい、と考えたイスラム系国民が中心となったネットワークだが、デンマーク国民もこれに一斉に支援を送った。

 ラスムセン首相もカーダー氏らを官邸に招き、政府がイスラム教徒のために何かしている、という印象を与えることに成功した。カーダー氏は、今秋、『ユランズ・ポステン』紙が創設した「自由の表現賞」を受賞した。

 一方、昨年末、風刺画を携えて中東諸国を訪ねたイスラム教徒たちも『ユランズ・ポステン』同様、「教訓を学んだ」と話す。

 北コペンハーゲンのモスクに所属するカシーム・アーマド氏は、今後、もしデンマークのメディアがイスラム教や預言者を冒涜するような報道をしても、「一切コメントを出さない」という。「こちらの思いを分かってもらえると思っていたが、甘かった」。今後は「民主的方法で闘っていく」。

 氏のグループは、風刺画に感情を傷付けられたとして、『ユランズ・ポステン』側に賠償金を求める裁判をデンマークで起こした。

 10月末、裁判所は風刺画が「イスラム教徒の一部の名誉を傷付けたことを否定できないが、イスラム教徒を矮小(わいしょう)化する目的で描かれたのではない」として、訴えを却下した。アーマド氏は、今後も「必要があれば裁判所などを通じてこちらの主張を出していきたい」と語る。

 『ユランズ・ポステン』のユステ編集長は、判決は風刺画を掲載する権利を再確認させた、と歓迎。しかし、「世界には過激な人々が存在しており、この問題を解決したくないと望んでいる。いつまでも溝を作り、これを維持するために風刺画論争を使うだろう」と見通しを述べた。

 ラスムセン首相は、今年10月3日、デンマークの国会開会スピーチの中で風刺画事件に言及し、国内には「私たちの社会の基本原則を認識しない人々がいる」として、デンマーク社会の基本原則は「自由、心の広さ、民主主義」と定義した。

 「デンマークには表現の自由がある、女性と男性は平等、政治と宗教の区別をつける」。

 ユステ氏の言う「過激な人々」も首相の「基本原則を認識しない人々」も、一部の移民、特にイスラム教徒を指すのは明らかだ。

 今回の事件は、世界中で「風刺画問題」と呼ばれたが、デンマークでは「ムハンマド危機」となる。イスラム教、預言者ムハンマド、あるいはイスラム教徒自体に問題があるようなニュアンスが出る。また、表現の自由の是非はイスラム系移民の社会融合と関連付けて語られる傾向があった。

 この傾向は多かれ少なかれ、イスラム系移民を抱える欧州諸国で共通しており、ローマ法王の件に限らず、今後も、デンマーク風刺画事件の再来が欧州各国で起きるのは避けられないように見える。
(終わり)

 (その1とその2は新聞通信調査会報12月号掲載の再録です。)
 http://www.chosakai.gr.jp/index2.html
by polimediauk | 2006-12-02 07:59 | 欧州表現の自由

 今年2月、デンマーク紙の風刺画掲載が世界中で大きな事件に発展したことをまだ覚えている方はいらっしゃるだろう。今年9月にはローマ法王のイスラム教に関する否定的と受け取られる発言があって、やや似た状況も起きてしまった。

 風刺画掲載そのものは昨年の9月で、そういう意味では、デンマーク国民からすると、丁度1年経ったことになる。

 果たしてデンマークは、そして表現の自由はどう変わったのだろう?そして、人々はどんなことを考えて生きているのだろう?もちろん、風刺画のことなど、考えないで生きている人のほうが多いには違いない。それでも、ムスリム国民、非ムスリム国民との間の関係には何か変化があるのか、ないのか?

 そんなことが気になって、9月末から10月上旬にかけて、コペンハーゲンを再度訪れてみた。2月の風刺画事件の渦中に行ったのが初めてなので、今回が2回目となった。

 その結果を、新聞通信調査会というところの「調査会報」12月1日発売号に書いた。
 
 以下はその再録(若干プラス)である。

 ブログで読むと文章がかたく、やはり、紙とウエブは違うなあと自分でも思うのだが、お許しいただきたい。

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高まる反ムスリムの機運
 風刺画事件から1年

 デンマークの保守系新聞『ユランズ・ポステン』が、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画12枚を掲載したのは昨年9月30日だった。

 掲載直後、国内ではそれほど大きな議論にはならなかったが、今年になって欧州の数紙が風刺画の一部を再掲載し、表現の自由をめぐる国際的な論争に発展した。

 掲載から1年後のデンマークでは、表現の自由論争はすっかり影をひそめたが、人口の5%を占めるイスラム教徒に対する反感が強まった点が目立つ。

 「民主的イスラム教徒」のネットワークを築き上げた政治家が人気を博し、「民主的」と自ら名乗らないイスラム教徒は、イスラム原理主義者=テロリストに近い、と見なされる。

 最初に、これまでの論調の流れを振り返る。

ーー国際的論争へと発展

 人口540万のデンマークで、最大の発行部数を誇る保守系新聞『ユランズ・ポステン』の文化部長フレミング・ローズ氏は、通信社の記者から、あるデンマークの児童作家がムハンマドの生涯に関する本を書いたところ、挿絵を描く画家を見つけられずに困っている、という話を聞いた。

 イスラム教では預言者を描く行為を冒涜(ぼうとく)とする。イスラム教徒からの報復を恐れて挿絵を描くことを断ったという件を知ったローズ氏は、同様の「自己規制」が、最近、幾度となくデンマークを始めとする欧州諸国で起きていることに気付いたという。

 ローズ氏は、表現の自由に挑戦する意図で、ムハンマドの風刺画を掲載することを企画した。

 集まった12の風刺画の中には、ターバンをかぶった、ムハンマドを思わせる人物がおり、そのターバンの先が爆弾とつながっているものもあった。

 国内に20万人いると言われるデンマークのイスラム教徒の中で、モスクなどに頻繁に通うのは一万から2万人と言われている。この中の一部が一連の風刺画に衝撃を受け、『ユランズ・ポステン』側からの「誠意ある回答」がなかったため、エジプトをはじめとする中東諸国を風刺画の見本(豚の顔をしたムハンマドの絵など、掲載されていない風刺画も入っていた)を携えて訪問した。

 前後して、在デンマークのイスラム諸国からの大使がラスムセン・デンマーク首相との会談を希望したが、首相側は「独立メディアの報道の自由には干渉しない」方針からこれを拒否。これを機にイスラム諸国の外交筋の中で風刺画掲載が問題視されるようになった。

 今年1月にはノルウエーの雑誌が、2月にはフランス、ドイツを皮切りに欧州の数紙が風刺画を「表現の自由を守る」ために再掲載したことで、あっという間に、表現の自由をめぐる国際問題に発展した。

 中東諸国の1部ではデンマーク大使が送還され、デンマーク大使館前ではイスラム教徒による抗議、デンマークの旗を焼く、という行為が起きた。結果、イスラム諸国では50人以上が死亡した(BBC他)。


ーー世論は掲載をおおむね支持

 風刺画掲載に関する国民の一般的な認識だが、表現の自由を支持する声が過半数を占めながらも、イスラム教徒を挑発するような風刺画掲載はよくないと考える人も少なからず存在している。

 今年9月30日付『ユランズ・ポステン』紙上に掲載された世論調査によると、九月上旬時点では53%が風刺画掲載を支持していた。理由は「表現の自由を表していたから」。一方、38%が「掲載は間違いだった」と見ている。9%が「分からない」。同様の調査を昨年11月上旬行ったところ、54%が掲載を支持し、25%が「間違っている」、21%が「分からない」、と答えていた。

 この調査を見る限りでは、掲載を支持しない人は今年になって増えている。デンマークのメディアを通じてさまざまな議論があった結果として、あるいは世界中に問題が広がっていった様子を目撃して、「掲載は間違っている」と思うようになったのだろうか。

 筆者が、今年2月以降デンマークを訪れ、さまざまな知識人にインタビューしたところ、表現の自由が重要である点に関しては全員が一致していた。それでも、「表現の自由を行使する権利はあるが、果たして今回のような形で、行使する必要性があったのだろうか」と疑問視する声も聞いた。

ーー1周年日の報道

 掲載から1年後の今年9月30日、デンマーク紙はそれぞれトップ記事扱いで事件を振り返った。

 まず問題の発端となった『ユランズ・ポステン』はカーステン・ユステ編集長のインタビューを掲載。ユステ氏は、「大きな出来事だったが、自分たちの信じることを最後まで貫くことができ」、移民のデンマーク人たちが何を考えているのかを「健全な議論を通じて理解できた。結果としてよかった」と述べた。
 
 世界中に論争が飛び火し、1部のイスラム諸国では抗議運動中に命を落とした人もいることに関しては、「他の国で起きたことに私たちは責任はないと思う。それぞれの国で固有の事情があったのだと思う」。

 『ユランズ・ポステン』の編集方針は事件の後も「変わっていない」が、もし同様の状況に遭遇した場合、事前に「よく熟考する」としている。また、「預言者を描くこと自体がタブーとは思わなかった。これほど強い侮辱感を相手に与えるとは思わなかった」と、イスラム教に関する知識や想像力の面で足りなかった部分があったことを率直に認めた。

 それでも、「国民の大多数も知らなかったのだと思う。私たちだけが無知だったのではない。教訓を学んだ」と続けている。

 今後、ムハンマドの風刺画を新たに掲載するかどうかに関しては「しない」と答えている。

 今年9月、ローマ法王ベネディクト16世がドイツの大学でのスピーチで14世紀のビザンチン帝国皇帝の言葉を引用し、ムハンマドがもたらしたものは邪悪と冷酷だったと発言した一件があった。この時、風刺画事件をほうふつとさせるような、非難と抗議運動がイスラム諸国で起きたが、ユステ編集長はこの件に触れ、現在では「表現の自由、言論の自由の度合いは減少した。法王の発言は大学での知識層相手のスピーチの一部だった。それでも攻撃された。これでは、イスラム教に関して学問的議論をすることができない」とし、欧州の「文明の根幹に対する攻撃」と感じたという。

 一方、ライバル紙『ポリティケン』の方は、ローズ文化部長のインタビュー記事を掲載した。氏は現在長期休暇中となっており、米国で講演などをしながら生活している。他の数人の諷刺画家同様、イスラム教過激主義者からの脅しを受け、護衛付きの生活だ。

 ローズ氏は昨年の風刺画掲載時の紙面で、「イスラム教徒は特別な扱い、特別な条件を社会に期待している」が、「西欧の民主主義と表現の自由の価値観の中では、嘲笑(ちょうしょう)され、侮辱されることを我慢しなければならない」と書いた。「私たちは自己規制の下り坂を駆け下りている」と表現の自由に危機が起きていると指摘した。

 現在でも諷刺画掲載は「十分に意味ある行為だった」と考えており、世界中で数人が命を落とした件は「残念に思うが、自分は関係しているとは思わない。決定を後悔していない」と繰り返した。

 ムハンマドの新たな風刺画を将来的に掲載するかと聞かれ、ローズ氏は、「仮定の話には答えられない」としている。

 ローズ氏、ユステ編集長ともに、『ユランズ・ポステン』側の掲載は正しい判断だったとする姿勢を、現在まで貫き通している。

 (続く)

(追記:この編集長インタビューだが、その他のコメントとして、「この事件のおかげで新聞の名前が世界中に知れ渡った。良い新聞だということが広まって、良かった」という部分があった。私は???と思っていた。むしろ、「困った新聞」(あたっているかどうかはともかく)というイメージが世界全体に広まったと思うのだが。不思議である。全くの認識のギャップだ。)
by polimediauk | 2006-12-01 09:00 | 欧州表現の自由