小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk
プロフィールを見る
画像一覧

カテゴリ:欧州表現の自由( 103 )

 (日刊ベリタに中東側から拾った話が出ているが。nikkanberita.com)

 ガーディアンやAPの報道で知ったのだが、デンマークではまた風刺画関連の事件が起きている。

 まず、6日、デンマークの国営テレビが、あるビデオを流したそうである。これは、芸術家団体 「デンマークを守る・Defending Denmark」というグループが作ったビデオだった。この団体は、右派政党デンマーク国民党の若者支部に入り込み、昨年夏のパーティーの様子を撮影した。

 この中では、若者支部のメンバーが、アルコールを飲み、ある女性がらくだの頭にイスラム教の預言者ムハンマドの頭がついた風刺画をカメラに向かって見せている場面がある。このらくだは、ビールの缶をしょっている。また別の風刺画では、ターバンをかぶり、ひげを生やした男性と「+」というマークと爆弾の絵があり、「=」のサインの右側には、核爆発のマッシュルームの雲があった。極右団体の実態を見せるために、撮影されたという。

 このビデオは、デンマークのDRTVとTV2で、6日放映された。

 しかし、中東諸国から反発が出て、デンマーク政府は、ガザ、ヨルダン川西岸、サウジアラビア、レバノン、エジプト、イラクなどへの旅行には注意するように、と発表。
 
 9日は、在デンマークの中東大使数人が、外務省で会談の時間を持ったという。

 ビデオをウエブに載せた数紙は、同日、ビデオを削除した。

 デンマーク首相は、「このビデオは、デンマーク国民を代弁していない」と、8日、述べたという。
by polimediauk | 2006-10-10 18:25 | 欧州表現の自由
 デンマークでは、3日、国会の新たな会期が始まった。首相のスピーチの中で例の預言者ムハンマド風刺画に関連することをいうかも知れず、それを聞けるかもしれないと思い、国会議事堂の建物まで歩いていった。

 英国と違うのは、議事堂前をマシンガンを抱えた警察官が見張っていないことだ。議事堂裏口のようなところに人が集まっていたので、自分も並んでみた。何を待っているのかと聞くと、国会開催には女王が来るそうで、みんな一目見ようと待っていたのだった。外側に向かった階段には赤いじゅうたんが敷かれていた。数十人が、物静かに待っていた。

 しばらくして、女王一家が出てきて、プロのカメラマンに混じって、私も思わずデジカメで撮っていると、一段落してから、今度は小学生たちがやってきて、その赤いじゅうたんの上に寝転がって、ごろごろ転がっていく。こういうことをするのが、「慣習」だというのだ。

 なんとも愛らしい光景に見とれていると、文化大臣がデンマーク記者数名の質問にあっている。私も中に入って、「風刺画事件を今はどう思うのか?」と聞いてみた。

 大臣は、「表現の自由を守る、という原則や、メディア報道に対して政府としては中立を守る、という姿勢を維持できたことに満足している。これからも中立の立場を守りたい」、「すべてのイスラム教徒が悪いわけではない。過激なイスラム原理主義の人とではなく、大部分の民主的な、穏健派イスラム教徒たちとともにやっていきたい」。(デンマークでは、こうやって、「分ける」ことが大流行なのだ。)

 私は軽装で、フリースのジャケットにリュックサック姿。突然現れていろいろ聞いても、答えてくれる、と言うのは欧州では基本的に同じかもしれない。

 デンマークではいろいろなことが起きていたが、人の立場によって見方はずいぶん違う。しかし、イスラム教徒の国民に対する警戒感は、1年前の9月30日、デンマーク紙ユランズ・ポステンが例の風刺画を掲載する以前に比べて、強くなったような気がした。いくつかのそれを裏付ける世論調査も、あった人に見せてもらった。

・・・と言っても、例えば国内のイスラム教徒が「とても」生きにくくなっているか、というと、そうでもない。そう書くと、話的にはおもしろいのだろうが。実際、イスラム教徒に国民が最近殺された国(オランダ、英国)での、非イスラム国民のイスラム国民に向ける目と言うのは、やはり言論の自由問題があった国――デンマークーとはまた違う。

 最も希望が持てたのは、若いイスラム教徒の青年たちだった。彼らはほんの一部の人たちなのかもしれないが。デンマークで生まれ育った青年たちはすべてを超越している感じがした。多くが「自分はイスラムのバックグランドがあるだけだ」「自分は世俗分離のイスラム教徒だ」「デンマーク人だ」という。洋服、アクセサリー、仕事、考え方が、先住デンマーク人とまったく変わらない。「ムスリム」あるいは「親がイスラム教国から来た」ということで分けるのが意味をなさなくなる。

 結局、デンマークを筆頭に欧州で幸せでないのは、風刺画を掲載する必要を感じた側なのではないか、と思ったりする。問題は、自分たちの言論の自由が脅かされていると感じている側なのではないか、と。(説明不足で申し訳ないが。いつか論理だてて書きたいが。)

 それでも、ユランズポステンで例の風刺画に関わった人々は今でも警護つきだという。これもまた事実なのだ。

 今人気を集めているのが、デンマーク民主ムスリムネットワークと言うグループ。「民主的な、穏健派のグループ」と言うわけだ。自分たちは原理主義者とは違う、と。これを推進しているのがシリア出身の政治家ナーサ・カーダー氏。彼の知人でネットワークの広報を担当している男性にあった。

 彼は、自分自身、世俗派で、デンマーク人女性と結婚しており、子供もいる。「ムスリムとしてのバックグランドがあるだけ」だそうだ。それでも、風刺画には腹がたったという。「ムスリムは、世俗社会に生きるなら、侮辱を受け入れるべきだ」という、風刺画についた文章の方に腹がたったという。
 
 最近、ユランズポステン紙は、このネットワークのカーダー氏に、「表現の自由賞」を与えたという。

 デンマークのムスリムたちは、「民主的ムスリム」か、「原理主義のムスリム」かどっちかに区分けされることになった。原理主義ではなく、わざわざ民主的と宣言したくもない、多くのムスリムたちは、「あーあ」という感情がある、と聞いた。

 ただの、普通の、「ナントカのナニガシ」ということは、許されない、と言うことだ、もしムスリムなら。

 デンマーク首相の国会演説は、なんと、9・11テロの話から始まった。あれから世界が変わったのだと言う。そう、ブッシュ氏やブレア氏の論理とそっくりなのだ。そして、デンマークはイスラム原理主義者と戦っていかなければならない、というのだった。

 国内向け国会開会の演説で9・11が最初に来るとは、驚いてしまった。
 
by polimediauk | 2006-10-06 05:35 | 欧州表現の自由
 イスラムと西欧の問題(問題があるとして、だが)を考えるとき、「テロの戦争」やアルカイダ、アフガニスタンの戦いやイラク戦争などを自分の中でどことなく関連付けてきたが、フランスのアラブ学者ジル・ケペル氏の「ジハードとフィトナ」(NTT出版)を読んで、改めて、アルカイダなどの一連のテロといかに闘うかという部分と、西欧社会の中のイスラム教徒の処遇などをはっきりと分けて考える必要があることを再発見している。

 ケペル氏の本はオリジナルがフランス語で、英訳版を既に手にしていたが、翻訳のせいなのか、自分の中東問題に関する知識が少ないせいなのか、なかなか最後まで読み進むことができず、そのままになっていた。(このブログを通じて、コメントを残された方が、和訳が出ていることを教えてくれた。やはり日本語だとかなり読みやすい。)

 この中で氏はアルカイダ・オサマ・ビンラディンとNo2のザワヒリ氏が何故米国テロを起こすようになっていくのか、どんな影響があるのかを詳細に書いている。

 そして、未だに米国がアルカイダのテロを根絶できていない、ビンラディンを捕まえていない理由として、目標を間違えている、という指摘があった。つまり、アフガニスタンのタリバン勢力を倒す、イラクのサダム・フセイン政権を崩壊させる、といった、米側の中東での目標があって、この目標達成ために様々な点でリソースが使われたために、ビンラディンを捕まえる、アルカイダ・テロの根絶という面には十分に力がさけなかった、という指摘で、改めて目からウロコの思いがした。

 法王の話に戻るが、一ツ橋大学の内藤教授が彼の考察をブログに書いている。もしご関心がある方は:
http://www.global-news.net/ency/naito/daily/060925/01.html


 法王問題が一段落したと思ったら、今度はドイツの話だ。
http://www.timesonline.co.uk/article/0,,3-2376967.html

 タイムズの27日付。ドイツであるオペラの上演をしようとしたら、中には預言者ムハンマドの首を切る場面がでてくるので、主催者側が、製作サイドに何らかの危険が生じると困るので、突如、題目を変えてしまった、という。自己検閲だが、ムハンマドの話となると、どうしてもこうなってしまうのだろうか?

 29日から、デンマークに行く予定だ。ムハンマドの問題の風刺画が掲載されたのが、昨年の9月30日だった。果たして、1年後、何が変わったのか、あるいは変わっていないのかを見てきたい。
by polimediauk | 2006-09-28 08:06 | 欧州表現の自由

ローマ法王の「何故?」

c0016826_7572469.jpg ローマ法王発言事件(!)で、謝罪も出たことでもあり、この件に関して書くのを止そうと(いったんは)思ったのだが、トラックバックをしてくださった方のブログに行くと、ものすごく熱心に、丁寧に考えている方がいらっしゃることが分かり、私も、今日読んだ新聞で分かったことを、自分の胸に秘めることなく、少し足してみたい。

 まず、もう既に他の方がやっていらっしゃることを望むが、やはり、欧州の中でイスラム教とキリスト教が覇権争いを長い間してきた、という点を、1つ考えなければならない。現在でも、その覇権争いが続いている、という見方も一般的になっている。

 サンデータイムズ17日付の記事Pope vs Prophet(教皇と預言者)によると、「19世紀まで、法王は宗教の自由と世俗主義(政治と宗教の分離)に反対する立場を取ってきた。19世紀後半のピウス法王は他の宗教に対する尊敬の念を持つのは『狂気だ』と述べている」

 「歴史的なUターンになったのは1960年代半ば。ようやく、米国のような宗教の多元性を認めるようになったという。しかし、伝統的カトリック信者からすると、この方向は歓迎されていない。法王が絶対に正しい存在であり、カトリック教が真実の全てとするならば、どうして他のキリスト教の宗派を認めることができようか?」

 「前法王は・・(中略)・・・宗教の多元性を受け入れていた。無神論の国でも、カトリック教を信じる権利がある、と。」

 「しかし、1999年、将来ベネディクト16世となる法王、当時のジョセフ・ラトツインガー氏は、カトリック教以外の全ての信仰には欠点がある、とする文書を世界中に向けて書いたことがあった」。

 前法王と現法王のアプローチの違いを書いたのは、17日オブザーバー紙のPope Benedict’s long mission to confront radical Islamだった。

 「ベネディクト法王は、友人たちが言うように、キリスト教徒とイスラム教徒の間の対話を心の底からすすめようとしている。しかし、テロの暴力と、一部のイスラム教徒の指導者たちがこれを支援していることが、対話の大きな障害になる、とも思っている」。

 「9・11テロの後の法王(当時はまだ法王ではない)のコメントが、こうだった。『このテロとイスラム教を結び付けないことが重要だ。関連付けは大きな間違いだ』とバチカン・ラジオに語った。しかし、その後すぐに『イスラム教の歴史には、暴力の傾向がある』と。」

 「『イスラム教には(暴力に向かう傾向を持つ流れと)、神の意思に完全に自分をゆだねるという流れがある。(後者の)ポジティブな流れを助けることが重要だ。もう一方の流れに打ち勝つ十分な力を維持するために』と」。
 
 「前の法王はこんなことは言わなかった。ジョン・パオロ法王の念頭にあったのは共産主義だったからだ。法王庁にとって、そして米国にとって、イスラム教とはマルキシズムと闘う貴重な同志だったからだ」

 「ジョン・パオロ法王は、イスラム教のモスクを訪れた最初の法王だった。法王庁の組織の中の、他の信仰との連絡業務を行うインター・リリジャス・ダイアローグというグループのトップには、イスラム教の専門家をあてていた」

 「現在のベネディクト法王にとって、主な対決相手は、攻撃的なイスラム教過激主義と、政教分離が進む西側社会だ」

 「今回、法王になってから、イスラム教とテロを結びつけて言及したのは初めてだった」

 現法王が前法王とどのように違うのかを書いたBBCの記事はここに。
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/5352404.stm

 ちなみに前任の法王はポーランド人で、現在の法王はドイツ人である。(ドイツ人であることが、今回のスピーチやイスラム教に対する態度に関して何らかの特別な意味合いがある、と読む人もいる。私もそういう面を感じているが、まだ十分に裏づけができていない。BBC他によると、今回の記事には直接関係ないが、ナチの少年隊ヒットラー・ユースというグループのメンバーでもあったそうだ。http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/5024324.stm)

 このBBCの記事では、今年5月、アウシュビッツを訪れた様子が書かれている。当初訪問の予定はなかったそうだが、「個人的にどうしても行きたい」ということで、時間をとったようだ。一人で歩き回る時間ももうけ、感動的な訪問となったようだ。

 今回の謝罪までの流れで、結局は、本当に良い対話につながるといいのだが。

 過去の歴史(11世紀から数世紀に渡り、キリスト教徒の十字軍遠征を通して、お互いの勢力地の奪回、再奪回という歴史が)を見ると、言葉(や、風刺画)など、表現上の(思想上の、ともいえるのだろうが)ことで議論やデモ(イスラム原理主義勢力の強いソマリアでは修道女が発砲され命を落としたものの)などになる、という現在の「戦い」は、まだいい方なのだろうか?
by polimediauk | 2006-09-18 08:00 | 欧州表現の自由
 前回、言葉が足りないように感じたので、BBCラジオのTODAYの中の会話の大枠を再現してみたい。(9月16日放送分。来週の月曜日の朝6時前までは、おそらく16日付分が聞けると思う。放送開始後1:35分頃より。http://www.bbc.co.uk/radio4/progs/listenagain.shtml)


 オックスフォード大学の教授タリク・ラマダン氏とウエールズ・カーディフ大司教ピーター・スミス氏がゲストだった。

―スピーチに怒りを感じているか?

 ラマダン氏:怒りを感じない。全体の文脈の中で考えるべきだ。最善の言葉ではない、と思った。14世紀の言葉を引用している。こんなことをする正しいときではないし、正しいやり方ではない。私たちは落ち着いて、合理的にこの問題を考えるべきだ。法王はジハードなどの問題を問いかけている。もっと重要なことにはイスラム教の合理性と欧州の伝統に関して話している。ただ、やり方がよくない。

―つまり、(暴力を用いるジハードに対する)問い自体は正しいわけですね?

 ラマダン氏:もちろんだ。イスラム教の名の下で、ジハードということで人を殺す人々が世界中にいる事態に、イスラム教徒たちは直面している。米国だけでなくイスラム諸国でも起きている現象だ。

 こうした人たちに対し、私たち(=イスラム教徒たち)は、ジハードは「聖なる戦い」でなく、抵抗のことであること、心の中の抵抗であること、抑圧されている状態での抵抗であることを明確にしなければならない。しかし、戦争の倫理性というのがイスラム教にあるので、これも説明しないといけない。それにしても、法王は、引用を使ってイスラムにはジハードの問題があると言っておきながら、何故そうなるのかなどを言わないので助けにならない。

―イスラム教を攻撃しているわけではない、ということを、法王がもっとはっきりさせるべきだったと思うか?

 スミス氏:もちろん、イスラム教を攻撃していたわけではないし、それが目的ではなかった。

 レクチャーはかなり学問的だと思った。「信仰と合理性(faith and reason)」というのは彼が長年考えてきたテーマだった。私が見たところでは、数世紀に渡り、宗教のために暴力を使うことが正当化されるべきかどうかを議論していた、ということを指摘したかったのだろう。もちろん、結論は、「正当化されない」、ということだ。どの宗教にもいえることだが、もし合理性を失えば、信仰は暴力的、狂信的になる、と。

―前任の法王がイスラム教も含めた全ての宗教の信者とともに祈ったときに、現法王は複雑な気持ちを抱いていた、と聞く。また、まだ法王になる前、トルコがEUに入ることに反対していた、という。人々が法王の真意について疑わしい思いを抱くのも無理はないのでは。

 スミス氏:不幸なことだ。彼には以前会ったことがあるが、正直な人物だ。ものごとをよく考えている。トルコのEUの件は、欧州の地理的な範囲を指していたのだろう。

―いや、欧州を地理的でなく文化的集合体と見ていた、と聞く。キリスト教文化のルーツがあるのが欧州、と言っていた、という。

 スミス氏:法王は欧州に関していろいろ前から書いている。欧州はいろいろ変わったが、キリスト教的価値観に基づいて作られた。トルコや東欧はイスラム教的価値観が強い。法王が言いたかったのは、異なる文化の間で議論があるべきだ、ということだった。

―欧州の文化の議論についてどう思うか?

 ラマダン氏:これは深い問題だ。法王になる前、欧州のアイデンティティーに関して(否定的な)態度を持っていた人物だ。

 このレクチャーでも、もし宗教と合理性を切り離せば暴力に通じる、といっている。しかも、この箇所はイスラム教の伝統は合理性とつながっていない、と言った後に来る。

 これは一体どういう意味か?イスラム教は欧州の中心となるアイデンティティーの外にあるということか?つまり、これから行く予定のトルコさえも、この伝統の一部ではない、ということだろうか?こうした見方は危険だし、間違っている。欧州はキリスト教の伝統だけの場所ではない。イスラム教の伝統も入っている。

―つまりあなたは、法王が、イスラム教が合理的な宗教でないと言っている、と見ているのか?キリスト教的見方からすれば、ということだが?

 ラマダン氏:(そうだ。)法王は、キリスト教的伝統が合理性とつながっているほどには、イスラム教的伝統は合理性と結びついていない、と言っている。これは間違っているし、多元的価値の欧州の将来にとって危険な考えだ。イスラム教を合理性の範囲の外に置くことで、欧州の範囲の外に置いている。危険だ。

―同意するか?

 スミス氏:ラマダン氏の指摘した点が重要だということは認めるが、意見には同意しない。欧州・キリスト教の伝統では哲学や神学は一緒に働くが、私の印象では、イスラム教の伝統ではそうはならない。

 ラマダン氏:それは真実でなく、そういう印象がある、ということを言っているにすぎない。

―もし法王が、イスラム教が欧州の伝統の枠の外に存在し、宗教としては合理性とかけ離れている、と解釈しているとすれば、こっちの方がものすごく重要な問題だが。

 スミス氏:だから、私はその点ではラマダン氏の意見に合意しない。法王が言っているのは、2つの異なる宗教的伝統が発展してきた、と。現在のような政教分離の欧州の文化の中で、私たちがしなければならないのは、それぞれの文化や伝統が互いをどう見ているのかを理解することが重要だ、といっているのだと思う。

 議論の流れをうまい具合に説明できたかどうか?やや心配だが。

 もしかすると、今回の一連の流れで、イスラム教に対する言論の自由がない・窮屈だなあと思っている方もいらっしゃるかもしれない。

 こうした窮屈さを打破したいという思いが、きっと、今年2月話題になった、デンマークの預言者風刺画事件の背景にもあったろうと思う。

 しかし、イスラム教徒側が、「言うな」と必ずしも言ってるのではない。

 欧州といえば、キリスト教文化圏、というのがある意味では一番シンプルだろうけれど、そういってはいけないのが現実となっている。欧州=キリスト教文化の場所、という概念を表明した人は、(言論で)攻撃される。新聞記事として掲載されてしまう。イスラム教徒からの攻撃、というよりも、特に多文化主義(といわれる)英国では、その人は浮いてしまうし、「右」的な見方をされる。言えない事は、結構いろいろあるのである。イスラム教側に言われて、口止めをしている、というよりは、自分たち自身が課した「言ってはいけないこと」の中で、動けなくなっているようにも見える。

 去年4月、宗教と欧州について書いた。前法王とトルコのことに触れている。ご関心のある方はーー。http://ukmedia.exblog.jp/m2005-04-01/#1427712

 **前のエントリーにコメントを残してくださった方のご指摘に、大学での発言だったからではないか?という説明があった。その要素もかなりあったと思える。
by polimediauk | 2006-09-17 01:09 | 欧州表現の自由
預言者ムハンマドはどうやってイスラム教を広めたか

 ローマ法王が12日、ドイツで行ったスピーチの内容に、世界各地のイスラム教国家で反発がおき、インドではローマ法王に似せた人形を人々が焼く、という行為があった。

 そのスピーチの内容の抜粋の英訳がBBCのウエブサイトに載っていたが、そのまま訳すのが難しい。言葉をじっくり聞いて、考える・・・という性格のものなのだろう。また、キリスト教に造詣の深い方は、深く読めるだろうと思う。

 テレビ画面で見た限りは言語はドイツ語のようだったが。(法王はドイツ人。)
http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/europe/5348456.stm

 全訳もPDFであった。
http://news.bbc.co.uk/1/shared/bsp/hi/pdfs/15_09_06_pope.pdf

 オリジナルのドイツ語でどうだったか、キリスト教の教義との関連ではどうなるのか、この2点での私の知識が十分でないため解釈の上でギャップがあるかもしれないことを最初にお断りしておきたい。

 英訳読後の現時点では、「イスラム教批判ではない」(ローマ法王庁の話)だとするにはやや無理がある印象を持った。イスラム教批判が目的ではない、としても、結果的に批判になってしまった状況があるのではないだろうか。一方、「直接的には」批判ではない、と言えないこともない。つまり、いくつかのカバーというか、保護幕がつけられている仕組みになっているからだ。

 まず、スピーチは、「14世紀のビザンチン帝国のある皇帝と知識層のペルシア人の男性との会話」の中の言及を、法王が引用した、という形になっている。そして、イスラム教や預言者ムハンマドに関して否定的な言葉を言っているのが、この皇帝となる。つまり、「14世紀の皇帝はこう言っている」、と法王は言っているだけなのだ。

 この皇帝とペルシャ人男性がイスラム教とキリスト教に関して会話・対話をしていたという。ここで、皇帝は、宗教と暴力の一般的な関係に関して話し出す。そして、預言者ムハンマドがもたらしたものは、「悪と非人間性だけだ」として、具体例として、信仰を「剣で(つまり暴力で)広げた」としている。

In the seventh conversation...the emperor touches on the theme of the holy war. Without descending to details, such as the difference in treatment accorded to those who have the "Book" and the "infidels", he addresses his interlocutor with a startling brusqueness on the central question about the relationship between religion and violence in general, saying: "Show me just what Muhammad brought that was new, and there you will find things only evil and inhuman, such as his command to spread by the sword the faith he preached."

 そして、暴力を使って信仰を広げることがいかに不合理なことかを、皇帝は説く。「神の摂理や自然の摂理は暴力とは相容れない」からだ。宗教指導者は、暴力や脅しを使わずに、上手に話し、適切に説いて人を納得させるものだ」。

 「理性に沿って行動をしないことは、神の摂理に反する、というのが、暴力反対への根拠」と続け、皇帝にとってはこのことは自明のことだが、イスラム教の教えでは、神は全てを超越するので、神の意思は、理性的活動も含め、私たちが考えるいかなるカテゴリーによっても制限されない」。
The decisive statement in this argument against violent conversion is this: not to act in accordance with reason is contrary to God's nature. The editor, Theodore Khoury, observes: For the emperor, as a Byzantine shaped by Greek philosophy, this statement is self-evident. But for Muslim teaching, God is absolutely transcendent. His will is not bound up with any of our categories, even that of rationality.

 そこで、理性に沿って行動しないことは神の摂理に反する、と考えることは常に真理であるのかどうか?・・・と議論が進む。

 今知りたいと思うのは、何故「今」「法王が」「こんな形で」イスラム教に言及したのか?だ。

 大学でのスピーチだったが、学生や学者だったら議論を触発するために様々なことを言うだろうが、法王という立場にいる場合、その一言一句は、世界中で自分でも思っても見なかった方向に展開する場合がある。どうしても、一種の政治的な意図があると受け取られるてしまう可能性が高い。

 そこで、15日の夜、英テレビを見て反応がどのようなものか、注目していた。スカイテレビは視聴者からの電話を受けつけ、スカイもそうだったがBBCニュース24でも、イスラム教側、キリスト教側のコメンテーターを招き、意見を聞いていた。

 キリスト教側のコメンテーターは、「カトリック教のトップとして、自分が信じることを言ったまでだ。当然だ」と言い、ローマ法王庁側が「イスラム教批判の意図はなかった」とするコメントを紹介。イスラム教側は「ムハンマドと暴力のことを言うなら、なぜキリスト教の十字軍のことも同時に言わないのか。バランスがおかしい。したがって、イスラム教徒への攻撃だと言っていいと思う」。

 キリスト教徒でもイスラム教徒でもない私は、スピーチが、はっきりと、ムハンマドと暴力の関わりを言っているので、これを「イスラム教批判ではない」と言うことで議論が進むのは、おかしいなあと思って聞いていた。これまでの歴史では宗教に暴力が絡んだケースは多々あった。ことさらムハンマドの例をローマ法王として出したのは、たとえ無意識であったにせよ、その「無意識」部分の裏が知りたい、と思って聞いていた。

 そこでヤフージャパンを見ていたら、次の記事が出ていた。

<ローマ法王>「聖戦」批判を擁護…独首相「意図を誤解」

 ローマ法王ベネディクト16世の出身国ドイツのメルケル首相は15日、イスラム原理主義の「聖戦」を批判した法王の発言に対するイスラム社会の反発について、「法王の発言の意図を誤解している」と述べ、法王を擁護した。法王の発言について「宗教に名を借りたあらゆる暴力を断固として拒絶する内容だった」と評価した。
(毎日新聞) - 9月16日10時28分更新


 ドイツ語ではそうなっているのかもしれないが、「イスラム教原理主義の聖戦を批判した」・・・というのは、どうなのだろう?英訳では、はっきりと、「ムハンマドが暴力を使って宗教を広めた」(皇帝の発言として)といっており、原理主義の聖戦批判というよりも、もっともっと強いと思うが、どうだろう?

 ・・・それはそれとして、「宗教に名を借りたあらゆる暴力を断固として拒絶する内容だった」というのは本当だと思うのだが、それにしても、ムハンマドと暴力を結びつける言葉を引用しながら、「キリスト教も・・・」というところがないのが、どうにもバランスに欠けている、つまり何らかの無意識的な意図があったのかどうか。この点で、私はテレビに出ていたイスラム教徒のコメンテーターの見方に近い。

 それにしても、欧州にいると、法王のスピーチに対して、「世界のイスラム教徒が過剰反応をしている」という論理がでてしまうのが、じれったいような思いがする。しみじみ、「イスラム教徒」は、欧州にとって、「他者」なのだろうな、と思うからだ。(本当は他者でなくても、そういう風に意識する、という意味で。)

 まだまだ論争は続きそうだ。

―欧州とキリスト教

 暴力うんぬんという部分から離れ、もう1つ、このスピーチで私自身が?と感じた部分があった。それは、欧州という概念に関わる点だった。

 今、欧州では、欧州=キリスト教文化、と言い切ってしまうことは一種のタブーとなっている。地理的にも欧州がどこからどこまでなのか、が自明ではなくなっている。特に、EUに加盟希望をしているトルコ。国民の99%近くがイスラム教徒。しかし政教分離の国。トルコがEUに入ることに関して、EU加盟国内でも抵抗がある。トルコは欧州といえるだろうか?

 EUでは新憲法を作ろうとしており、これは昨年フランスとオランダの否決で、一時停止状態だが、草案を作っているときに、「キリスト教」文化をシェアする・・・という表現を入れないことになった。EUの中で政教分離を徹底させたいという流れが1つの理由だ。

 しかし、実際にはキリスト教をベースにした文化が共有されていることは事実。

 それでも、欧州の中にイスラム教を含めた異教徒の移民が増えている中で、欧州=キリスト教文化、と言い切ることができない雰囲気ができている。

 今回の法王のスピーチの中で、宗教(=キリスト教)にも理論・理性を求めるのが欧州の伝統・文化だが、他宗教(=イスラム教)は、神が一切のものを超越する考えをとる、という発言が引用されている。つまりは、イスラム教は欧州の宗教(=キリスト教)とは異なる価値観を持った宗教、欧州文化にそぐわない宗教、という見方が表現されている。

 この点が、ムハンマド=暴力で宗教を広めた・・という部分の裏の考えとして、今後、多くのイスラム教徒の移民を抱える欧州で議論が広がる可能性もある。

 16日朝、BBCのTODAYという番組で、何度かこの問題に関して報道があった。特に8時30分頃からの議論を、ご興味のある方は聞いていただきたい(ウエブから後で聞けるようになっている)。 http://www.bbc.co.uk/radio4/progs/listenagain.shtmlから、TODAYという項目を選び、放送開始から1:35分経ったところから開始。

 イスラム教学者タリク・ラマダン氏はこの番組の中で、この後者の部分を指摘していた。もう一人、ウエールズのカーディフ大司教ピーター・スミス氏は、スピーチは「相互理解を提唱する」という意味の、学問的な問いかけだった、と評価。

 キャスターがラマダン氏に、「イスラム教徒の学者として、ムハンマドの箇所を読んで怒りを感じたか?」と聞かれ、氏は、「怒っていない。しかし、14世紀の皇帝の発言をこのような形で出したのは不合理だと思うし、まずいときにまずいやり方のスピーチだと思った」。

 「イスラム教徒の側にも考えるべき点はある。現在、イスラム教の名の下で、宗教を理由として、暴力が行われていることは事実だ。イスラム教徒が直面しなければならない問題だ。問いを発すること自体は正しい」。

 「しかし、欧州の宗教や文化の下では論理付け・理性(リーゾン)が可能だが、イスラム教はそうではない、としたところに大きな問題を感じた」。
by polimediauk | 2006-09-16 16:29 | 欧州表現の自由
 今年の8・10英国旅客機テロ未遂事件の後、英国では、イスラム教徒(あるいはイスラム教徒風に見える)国民に対する、実態のありそうでなさそうな恐れの感情が非イスラム系国民の間で強まっている。

 昨年の7・7ロンドンテロの後も、地下鉄の中でリュックサックを持ったアジア家風貌の男性がいて、電車が急停車したりなどすると、怖い、という思いを持つ人はいたと思うが、今回は、一層それが強くなっている。

 その直接のきっかけは、(前提として未遂計画があったのだとしても)「想像できないほどの規模の大量殺戮」が起きる可能性があった、と繰り返した政府筋、およびこれを大々的に報道したメディア報道にあるように思う。

 一体、「想像できないほどの規模」とは、どんなものか?こんなことを言われたら、誰だって心配になるし、恐怖感が募る。

 これは英国ばかりではなく、オランダでも似た現象が起きているようだ。

 アムステルダム発の飛行機の中に「イスラム教徒風で」「なにやら不審な行動をしている」とされたインド人の乗客数人がいた、という。他の乗客が心配になり、途中で飛行機はアムステルダムに戻り、この数人が逮捕される、という騒ぎがあった。テロとは何の関係もない、ということで、間もなく釈放されたという。

 欧州に住み、イスラム過激主義に染まった若者たちが起こすテロをどうやって防ぐのか?どの国も悩んでいる。

 6月、オランダの移民研究所の研究者たちが発表した報告書によると、イスラム教、あるいはイスラム教徒に対する、政治家や知識人の否定的な発言を減らすことが第一歩だそうだ。
http://www.radionetherlands.nl/currentaffairs/islamned060616

 これはオランダの特殊事情もあるかもしれない。2002年に動物愛護家に殺害された、人気があった政治家ピム・フォルトイン氏は、「イスラム教は後進的な宗教だ」と言ったりなどしていた。2004年に殺害されたオランダの映画監督テオ・ファン‘ゴッホ氏は、自分の犬に「アラー」という名前をつけていた。著名人、政治家などのイスラム教、イスラム教徒に対するきつい表現がメディアをにぎわしていたようだ。

 もちろん、全ての国民がこういう物言いに賛同するのではないのだが、言葉は頭の中にインプットされて、残ることも多い。

 英国では新規のEU加盟国(特にポーランド)からの移民が思ったよりもかなり多かったので、「英国は移民だらけになる」「大変だ!」といった議論が最近表に出ている。

 この要素と、テロ未遂事件の影響から、「多文化主義は間違っていたのではないか」「もっと移民(移民2世も含め)は社会の中に融合・融和するべきだ」という意見が強くなっている。

 しかし、特に過去60年ほど、元植民地だった国からの移民がすっかり根付いている英国には、オランダのフォルトイン氏やファン・ゴッホ氏のような人はいない。BNPという極右の政党があるが、票を伸ばしているとはいえ、まだまだ大きな政治的勢力にはなっていない。

 オランダとの比較で考えると、英国は融合がかなり進んでいる国と思うのだが。英新聞だけを読んでいると、「危機」状態にあるかのような錯覚に陥ってしまう。
by polimediauk | 2006-08-29 18:49 | 欧州表現の自由

オランダ内閣総辞職


 アヤーン・ヒルシ・アリ(元)議員の国籍はく奪問題がきっかけとなって、オランダの内閣が、30日、総辞職となった。alfayoko2005さんが指摘してくださったように、オランダの政治史に、ヒルシ・アリ氏は名前を残すことになった。私自身、驚いてしまった。

 オランダの政治は、長いこと、退屈なことで知られていたようだが、ここ数年、変わってきたようだ。

 
(読売記事+若干変更―名前部分のみ)

オランダ内閣総辞職、移民議員の国籍はく奪めぐり

 オランダ・バルケネンデ政権の全閣僚が30日、ベアトリックス女王に辞表を提出、3党連立内閣は総辞職した。

 ソマリア出身の女性でイスラム社会における女性解放を訴えている元下院議員アヤーン・ヒルシ・アリさん(36)のオランダ国籍はく奪問題をめぐり政局が混乱、連立が崩壊した。

 リタ・フェルドンク移民相は5月、ヒルシ・アリさんが亡命申請時に姓や生年月日を偽った」として、国籍のはく奪を決定。ヒルシ・アリ氏は議員辞職した。

 だが、虚偽申告についてはヒルシ・アリ氏がすでに公にしていたことなどから、「決定は政略がらみだ」との批判が国会で高まり、政治問題に発展した。
(読売新聞) - 6月30日20時12分更新


 オランダは、3つの政党の連立政権だったが、この中で最も小さいD66という政党がフェルドンク移民相の辞任を要求。これがかなわなかったため、内閣から抜けることを表明。連立がくずれた。

 今後の過程はいくつかのオプションがあるようだが、D66抜きの2つの政党(CDAとVVD)で短期の政府を作り、今年秋に総選挙、というパターンが1つ。元々2007年5月に総選挙が予定されていたが、オランダ各紙によると、早まる見込みが高いようだ。

 これまでの経緯の若干の補足だが、フェルドンク移民相はヒルシ・アリ氏の国籍をはく奪しないことを発表していたが、このとき、ヒルシ・アリ氏の声明文も同時に発表され、この中で、ヒルシ・アリ氏はフェルドンク移民相は今回の一連の国籍問題に関して一切の責任はない、と表明していた。28日、オランダの議会はこの問題を討議する中で、ヒルシ・アリ氏の声明文が書かれたのは、ヒルシ・アリ氏がフェルドンク移民相から圧力を受けたからではないか、という点が焦点となった。

 政府側はこの疑惑を否定し続けたが、バルケネンデ首相が答弁の中で、ヒルシ・アリ氏の声明文が付帯されたのは、「移民相の今後のために」という趣旨の発言を「ついうっかり」してしまい、何らかの政府の圧力があったのでは、という疑念をさらに深める結果となったようだ。29日の未明まで続いた議論の後で、30日、総辞職となった。

 バルケネンデ氏が首相になったのは2002年。連立を組んでいたリスト・ピム・フォルトイン党の内紛により、いったん政権が崩壊し、総選挙の後、2003年から2期目だった。
by polimediauk | 2006-07-01 09:00 | 欧州表現の自由

ラマダン氏―2 雑感



 前回、タリク・ラマダン氏のことを書いたのだが、会見時から頭に残って離れない疑問があった。

 それは直感のようなものなのだが、一人のムスリムとして、西欧社会(イスラム文化がメインではない社会、キリスト教的価値観の社会、と想定した上で)に向かって発言をするときに、西欧社会の中の「ムスリム観」を前提として話していたようだった。この点に私が違和感を持ったのには理由がある。

 英メディアを見ていると、特に7・7ロンドンテロ以降その傾向が強いが、ムスリムたちに対するネガティブな報道が多い。「ネガティブ」というのは、報道のスタイルがそうだというよりも、もっと根っこの部分のことだ。つまり、議論の最初の出発点が、「ムスリム(あるいはイスラム教)=問題」、だから、「何とかしなければならない存在」、となっているように見える。

 私はこの点に疑問を感じるようになった。欧州とムスリムという問題を考えるとき、むしろ、西欧社会側に問題があるのではないか、と思うようになったからだ。

 それは、英国、オランダ、デンマークなどの欧州の国でムスリムたち、非ムスリムたちに、ムスリムを巡る問題に関して、あるいは表現の自由に関わる問題に関してここ1年ほど取材してきて感じたことだ。特に今年2月デンマークに行って、「え?」と改めて思ったのだが、デンマークにいる・欧州に住むムスリムたちは、西欧社会で暮らすことを特に不都合だとは思っていない。西欧で生まれた世代も多いし、かつ、移民としてやってきたムスリムたちも、元の国に帰ろうとは思っていない。差別はあるかもしれないし、特に9・11テロ以降、否定的な視線を感じることもあるだろう。警察の路上質問に捕まる可能性も高いかもしれない。

 それでも、西欧社会にいつづけることを望んでいる。

 すると、一体、問題は何なのか?と考えると、どうも、ホスト国側の西欧社会の知識人なり、メディアなりが、ムスリムたちを「何らかの対処をする必要がある存在」と見ているのではないか、と思っている。

 ラマダン氏の話しに戻ると、ムスリム側に問題がある、という前提で話しているようなニュアンスを感じた。それは西欧社会でそういう前提があるからそれに乗っ取って、話を進めているのか、彼自身が少しでもそう思っているのか?見極めが難しかった。

 長々と雑感めいたことを書いたが、7・7ロンドンテロの1周年がもうすぐ来る中で、結局のところ、自分たちにとっては身近でない宗教を信じ、スカーフや長いチューニック風ローブなど、着ているものも異なるムスリムたちに対する、知識層のとまどいが欧州社会にあるように思う。(おそらく、米主導の「テロの戦争」という看板が下りれば、ムスリム=問題、という見方はしずまっていくような気がするのだが。)


 (追記)
 私の解釈は別にしても、ラマダン氏のインタビュー記事が、英雑誌「プロスペクトProspect」に載っている。ウエブでも読め、今ならダウンロードも可だ。

 http://www.prospect-magazine.co.uk/article_details.php?id=7571
by polimediauk | 2006-07-01 08:29 | 欧州表現の自由

(捕鯨の件で、皆さんから、貴重な意見をいただき、ありがとうございました。
せめてエコノミストの記事ーー商業捕鯨を支持しているーーを後で載せたいと思いながら、日が過ぎていることをお許しください。この記事を見逃した方のために、下にコピーしておきます。また、この件に関しては、少なくとも英国ではグリーンピースがかなり力を入れていたようです。)

 オランダの政治家アヤーン・ヒルシ・アリ氏は、イスラム教徒(元?)でありながら、イスラム教が後進的だとして批判している。もともとソマリアからの難民で、オランダに来て、オランダ国籍を取得し、国会議員になった。

 ところが、難民申請の時に、年齢や難民となった理由など、虚偽の申告をしていた、として、先日、国籍そのものがはく奪されるのでは、という事態が起きていた。

 イスラム教批判者として知られるヒルシ・アリ氏。前にここで何度も書いているが、「服従」という映画の脚本を書いて、イスラム教過激派から殺人予告がでていたため、厳重警護下で生活してきた。

 国籍はく奪の可能性が報道され、かつ、ヒルシ・アリ氏の居住地の近所の人たちが、立ち退きを求める裁判を起こして勝っていたので(ヒルシ・アリ氏が住んでいると、イスラム教過激派に襲われる可能性が高いので、いやがられて)、ヒルシ・アリ氏は会見を開き、オランダから出る、と言っていた。米国のシンクタンクに勤める、と。

 欧米系メディアはいっせいにこれを報道した。オランダの寛容精神が失われた、イスラム教を批判する国会議員がオランダを出ざるを得ないとは、困ったことだ・・・という文脈である。

 そして、つい最近になって、国籍はく奪とはならないことに決まったようだ。

ーラマダン氏の見方

 ヒルシ・アリ氏は米国を中心としたメディアでは、好意的に書かれることが多いのだが、オランダ国内だとまた随分見方が違う。特に、イスラム教徒の国民の間で、評判が悪い。

 実際、イスラム教徒の女性たちからは、「ムスリムだからといって、男性に服従的なわけではない」、「イスラム教徒であること自体が間違っているかのように言われるのは、たまらない」など、かなり反発の声を聞いた(アムステルダムでのメディア会議がその例。既に書いたが。)

 こういう点が、英国のメディアではほとんどカバーされておらず、居心地の悪い思いを感じながら、各報道を読んでいた。

 今日、欧州に住むムスリムの問題をこの20年間考え続けている、タリク・ラマダンという人が、ロンドンに来た(写真左上)。そこでテロの話、ムスリムと西欧社会の共存などの話があった。

 ラマダン氏は、言っていることが非常に分かりやすく(ムスリムたちも欧州社会側も、歩み寄ることが大切など)、注目していた人だった。もともとエジプト人で、長いこと、スイスに住んでいた。今はオックスフォードにいる。

http://www.tariqramadan.com/rubrique.php3?id_rubrique=13


 彼がヒルシ・アリ氏に関してどう思うのか、興味があった。

 氏にこれを聞くと、

 「2週間前に会った。彼女が主張していることは、あたっていることもあるだろうが、言っていることには同意しない。、また、やり方がよくない。イスラム教が全部ダメ、イスラム教だからダメ、というのはおかしい。つじつまがあわない。また、聞いていると、超ネオコンのような話し方をする。会ったときに、彼女が言うには、『イスラム教が全部悪いと思っているわけではない』。だったら、そう言いなさい、と言ったのだが。」

 やはり、故意に、相手を挑発するために言っている部分がある人物のようだ。

 欧米では好意的に受け取られるのは何故だろう?

 「右派が彼女を利用しているからだと思う」。

 ラマダン氏に一問一答をのぞむジャーナリストの列は、長く続いていた。

ーーーー

エコノミスト記事

Too much blubber

Jun 15th 2006
From The Economist print edition

It is time to look rationally at the idea of resuming whaling

“NUKE the whales” was the message on a badge once popular with those tired of the self-righteous posturing of the extreme wing of the environmental movement. It has not come to that. But a subtler threat to the great beasts is afoot. Japan wants to resume commercial whaling—and it may eventually get permission to do so.

Japan is accused of buying votes on the International Whaling Commission, the body that regulates the whaling industry, which is starting its annual meeting on June 16th in St Kitts. Founded in 1948 by seven countries with large whaling fleets, namely America, Australia, Britain, France, Norway, South Africa and the Soviet Union, the commission has attracted some odd members recently. Many of them are small places with no history of whaling: Kiribati, the Marshall Islands and St Kitts itself, for example. Several, such as Hungary, Mali, Mongolia and Switzerland, are landlocked. What many of these new members have in common is that they are recipients of Japanese aid money. Some are even said to have had their subscriptions to the commission paid by Japan.


Environmentalists are up in arms. In 1986 the commission agreed to a moratorium on commercial whaling (though Norway opted out). Overturning this moratorium is Japanese government policy. At the moment, it does not have enough support to do so (three-quarters of the commission's 70 members would have to be in favour) but Japanese officials believe their country has enough allies at this year's meeting to make some progress. In particular, Japan is suggesting that future ballots should be secret. Winning that change would require only a simple majority, and with secret voting waverers might be more ready to vote Japan's way in future.

Yet all this criticism of underhand tactics rests on an untested assumption—that the moratorium should not be lifted. Is that assumption correct? The moratorium has certainly been a success. Whale numbers are rising. Even the blue whale, the largest mammal, is recovering slowly. Some humpback-whale populations are growing at 7% a year. And no one, not even the Japanese, is talking about resuming hunting still-rare blue whales or humpbacks just yet.

Yet the commission's convention is clear: its purpose is to conserve whales in the context of a commercial fishery, not because they are “charismatic megafauna” that should be preserved for their own sake. In this context, it is perfectly reasonable for Japan to want to re-examine the moratorium.



Conscious decisions
The idea of charismatic megafauna hardly existed in 1948. There needs to be an honest debate about how humanity should treat whales. Both sides muddy the waters. Conservationists protest about the methods used to kill whales, saying they are cruel. They might be, but that is not the point, unless there really is a lobby that would accept the humane killing of whales. On the other side, the Japanese and their Icelandic allies hunt minke whales, which are still reasonably abundant, under the guise of scientific research. In practice, this is commercial fishing with a side order of science.

Should whales be treated like any other type of animal which some humans want to hunt, namely protected when rare, but hunted when common? Or is there something special about them that means that they should never be hunted? Biologists have come to recognise that great apes (chimpanzees, gorillas and so on) have mental faculties of self-awareness and consciousness that they share with humans but that neither shares with, say, monkeys. A few other big-brained social mammals, such as elephants, are thought by some to have evolved similar capacities. Whales may be among these species. Some places—Spain, for example—are discussing changing the law to recognise this distinction in apes. But on whales, there are no data.

In the absence of data, the commission should stick to its brief. But here is a suggestion: put the whole thing on a proper economic basis. The Japanese fleet is heavily subsidised. Without government cash, there would be less enthusiasm to hunt a creature ever fewer Japanese want to eat. Sadly the commission has no remit over that; but, if it does vote to resume commercial whaling (as it has the right to do), it should not create a system of quotas allocated by country. Instead, it should put whale-hunting rights up for auction, allowing both killers and conservationists to bid. The chances are that those who prefer whales to swim free would be able to outbid the few remaining humans who like eating them.
by polimediauk | 2006-06-29 06:42 | 欧州表現の自由