小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


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誰も表立って言わなかったこと


「ネットは新聞を殺すのかブログ」の27日付に、いささかショッキングなことが書かれている。
http://kusanone.exblog.jp/tb/1692415

知っている人は知っていたが、あえて誰も書かなかったことを、実体験をからめて記したものだ。ちょっと「暴露」めいているが、実際に、この件に関して個人的にも怒りを感じていたのだろう。

ライブドアの堀江社長への様々な批判に対する、1つの答え、という文脈で書かれたものだ。

「日本的経営のよさ」の薄っぺらさ
 米国の日系企業には2種類の「日本人」が存在する。本社からの「駐在員」と、「現地採用者」の2種類だ。「駐在員」と「現地採用者」の給与は、本当にケタが違うことがある。たとえ業務内容がそれほど変わらなくてもだ。わたしが米国に住んでいたころは、「駐在員」の多くは郊外の閑静な住宅地の中の大きな邸宅に住み、「現地採用者」の多くは小さなアパートに住んでいた。「現地採用者」という言葉には差別的な響きさえあった。
 知り合いに、某大手新聞社の現地事務所の責任者がいた。その事務所は取材拠点ではなく、営業拠点だった。彼の仕事は、新聞の拡販と配達だった。彼は「現地採用者」だった。
 その地域の日本人コミュニティーで親睦を目的としたゴルフサークルが発足した。入会資格は、日系企業の社員であるということだけ。ゴルフ好きの彼は早速、入会した。他のメンバーは銀行や商社などの支店長クラスだったが、話上手な彼はそのサークルの中で結構人気者だったという。
 ところがある日、彼がトラックで新聞を配達していたら、ゴルフサークルの仲間である銀行の支店長とばったり出会った。彼はいつものようにニッコリと笑いかけたのだが、支店長の顔はひきつったままだった。支店長はついに何も言わず、立ち去ったという。
 その後、ゴルフ場で支店長と会っても支店長は彼を無視し続けた。その支店長だけではない。ほかの「駐在員」たちも彼を無視するようになった。そして次のゴルフサークルの総会では緊急決議が行われ、会則が変更になった。入会条件が、「日本の本社からの駐在員」に書き換えられたのだった。これは彼から聞いた本当の話である。
 互いに礼儀正しく、敵対的買収などしないのが「日本的経営のよさ」だといわれる。しかしその「日本的なよさ」は異質な物、仲間と認めない者に対してはまったく適用されないことがある。わたしは今までの人生で何度もそれを目にしてきた。なぜならわたし自身もまた、帰国する41歳までは米国法人に入社した「現地採用者」だったからだ。
 メディアやエスタブリッシュメントがホリエモンバッシングを続ける中でも、ホリエモンを支持し続ける人の多くは、そうした「日本的経営のよさ」の薄っぺらさを見透かしているのかもしれない。


 〔以上、ネットは新聞を殺すかブログより)

 〔追記)私自身は海外勤務として特派されたことも、「現地採用」されたこともないが、日本の会社の「契約社員」として働いたことがある。また、イギリスに住んでこの話をほうふつとさせるエピソードにもたびたび出くわした。
by polimediauk | 2005-02-27 18:34 | 新聞業界

「バスラに行ってみませんか?」

 ・・・というメールが、英外務省から来たのは昨日だった。

 イラクのバスラから撤退するオランダ軍を引き継ぐのが英軍。この引継ぎの様子とバスラ市内の見学を含んだ取材旅行だ。英軍と常に行動を共にし、来月頭から9日間ほど滞在する。

 戦争は終わっているものの、一種の「従軍記者」状態となる。必要な保険は自分で加入しておくこと、防弾用具は「もし持っていないなら」、貸します、とのこと。

 英外務省と国防省のジョイントのプロジェクトだが、宿泊費他の費用は全て国防省が持つ。つまり、英国民の税金だ。

 在英外国人記者の中から、オーストラリアから1名、オランダから1名、日本からは2名(そのうち1名は在中東の日本人記者)で、日本からは読売と共同の2社が選ばれたことを、新たなメールで知った。「失望させて申しわけないが、競争が激しかった。またの機会を作るので、待っていて欲しい」と、している。
 
 ・・・しかし、国民の税金を使って、他国のジャーナリストのために、どうしてここまでやるのだろう?

 考えて見ると、やはり対外宣伝というか、プロパガンダなのだろう。

 といってしまえば、見もふたもないように聞こえるかもしれないが、選挙も終わり、現状がこうなっている、ということを外国メディア自身の言葉で語ってもらいたい、と。

 日ごろから、英外務省は、こうしたことに力を入れていることを、前に書いた。省内に外国メディア担当課を作り、頻繁に様々なプログラムを提供し、ブリーフィングや取材旅行を企画・実行している。広い意味でのプロパガンダ、願わくばイギリスのいい面を世界に広く知らしめて欲しい、というのが狙いだと聞いた。

 しかし、今回、参加する記者・メディア側にとっても、かなり利点があるだろう。やはり実際に見る、体験するのと、本やネットだけで情報を得るのは、違う。いわゆる「従軍」待遇で取材をすることに批判があるのは承知しているが、あらゆる機会を利用して、数多く見ておくことは、どんなことでも重要だと思う。

 イギリスの場合、こうした取材の後でかなり批判的な記事を書いても、それによって仲間はずれにされるということがない。

 この点でイギリスは太っ腹だなと思っていたが、上がいた。

 フィンランドに取材に行ったとき、官僚が、フィンランドの教育システムの悪い点を私に話す。「どうして自分から欠点をジャーナリストに話すのか?」と不思議に思って聞くと、官僚は、担当する分野に関してジャーナリストに取材されたとき、良い点だけでなく、悪い点に関しての情報も公開することが法律で決まっている、という。

 話が飛んだが、本当に様々な考え方の国があるものだ。

 

 
by polimediauk | 2005-02-26 02:26 | イラク
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(エリザベス女王 BBCオンラインより)

女王を戯画化し、首相をおちょくっても平気

 ある国の報道の自由度をどこではかるか?はいろいろあるだろう。

 ここでは、その国のトップをどこまで自由に批判できるか、という観点から見てみたい。

 2月24日付のデイリーテレグラフに2つの例が出ていた。デイリーテレグラフは高級紙と呼ばれ、日本の朝刊紙にあたる。

 オピニオン面の風刺画が、エリザベス女王だ。顔の片側を手で隠している。「見たくない」ということだろう。これは、息子のチャールズ皇太子とカミラ・パーカー・ボウルズさんの再婚で、ウィンザーの市民公会堂での挙式にエリザベス女王は出席しないと発表した、というニュースを踏まえてのものだ。

 控えめな挙式を望む皇太子らの意思を尊重したとしているが、英王室では前例がないため、女王は皇太子の再婚を心から喜んでいないのではないか、という説も流れた。前日のタイムズ紙では、怖い顔をしているエリザベス女王のクローズアップを載せ、いかにも「再婚に対して、怒っている」かのような印象を与えた。

 問題は、真相が闇の中ということで、本当に怒っているのかどうかは、分からない点だ。憶測だけで、「怒っている」、「挙式を見たくないと思っている」としてエリザベス女王がいかにも怒っているような写真を載せたり、顔を隠すような風刺画を出すというのは、日本ではありえない光景だ。

 その下は、トニー・ブレア英首相の寄稿で、厳格化する反テロ法案に関して書いている。「私は傲慢ではない。国民の安全に対して責任を持っている」という題がついている。

 このブレア氏の原稿の下が、ボリス・ジョンソンという野党・保守党議員のコラムで、題名が「ブレアよ、残念だが、(軽蔑の念をこめて)ふーんだ、というしかない」。いかにも人を食ったような題名で、ブレア氏の原稿に対する反論になっている。

 デイリーテレグラフは保守党の御用新聞とも思われ、保守党支持の姿勢を出すことが多い。いわばブレア氏は「敵の陣営の新聞」にあえて原稿を寄稿したわけだが、それにしても、このような紙面の取り扱いでは、日本人の感覚からすると、寄稿者は激怒するだろうし、まずこのような紙面作りには日本ではならないだろう。

 イギリスでも、ブレア首相は、おもしろくない、と思ったかもしれない。

 しかし、特にこれが問題になることはなく、「ま、こんなものであろう」と、読者も、おそらく首相官邸も、エリザベス女王も、思っているはずだ。

 こうして、また一日が過ぎてゆく。

 私は、イギリス式がいいと必ずしも思わないが、これがイギリスでは現実なのだ。

 BBCが製作中の昭和天皇に関するドラマは、今年後半放映されるということで、週刊新潮に現段階での脚本の一部が流れ話題になった。「偏った天皇像」が描かれている、として一部の人の怒りをかったようだ。

 しかし、「国の象徴、トップでも、批判や風刺の対象になるし、人は言いたいことを言う」ということが徹底しているイギリスのメディア文化があることを、背景として頭に入れておくと、例えBBCの昭和天皇像が「偏った」ものであっても、それほど怒りを感じないのではないだろうか。偏っていても人は「それはそれ」として平気で鑑賞する下地があることを理解すると、いろいろなことに納得がいくようだ。

 「いろいろな意見があっていい」という姿勢が、日本に比べると、イギリスでは徹底している。
 
 しかし、本当に何でも言っていいか?というと、そうではない。タブーは意外と多く、その1つに宗教、人種がらみのコメントなどがある。
by polimediauk | 2005-02-25 03:52 | 英国事情

「屈するわけには断じていかない」

(「英国メディア・ウオッチ」としながら、日本のメディアの動きから目が離せなくなっている・・。)

ライブドア及び堀江社長の動きに関して、日本ではバッシングが段々強くなっているように感じられる。

22日付の毎日新聞に、全く違う評価が2つ載っている。

1つは編集局の方のコメントで、ジャーナリストの江川紹子さんのインタビューに応えて「新聞とかテレビを我々は殺していく」と堀江社長が語った部分に、遺憾の念を表明している。

すでに日本の既存マスコミにいる人であれば、怒りを感じるのも無理はない。おそらく、真剣にやってきた人ほど、頭にくるだろう。最後まで読むと、言葉がかなりきつい。2,3度読んでみて、怖いほどの怒りを感じた。

ところが一方、同じウエブサイトで、インテリジェンスという会社が、転職サービスとタイアップした記事のようだが、ライブドアの事業の明るい未来図を書いている。

何故ライブドアが放送事業に進出したいのかを分析し、「テレビでもブロードバンド経由でも同じ番組を見られる」ようになったとき、「番組がポータルサイトになる」。「これならCMを使わずに広告収入を得ることができる上、金脈といって差し支えないほどの潜在的な利権がある。これが借金をしてまでもライブドアが放送事業に参入したい本当の理由」としている。

ライブドアの堀江社長の発言云々ではなく、「将来、何をやろうとしているのか?」に注目している。

推測だが、最初の記事を書いた方よりは、年齢が若い人が書いたのではないか?何の根拠もないが、どことなく、世代間の感覚の違いを感じる。「偏見」といわれそうだが、同じ日本に生きながら、「全く違う空気」、気配、を2人の記者の背後に感じる。

以下、貼り付けします。

http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20050221k0000m070113000c.html

発信箱:
風雲児の新聞観について 山田孝男(編集局)
 ライブドアの社長をめぐる騒動は4年前の田中真紀子旋風を思い出させる。既成秩序の破壊を待望する側から見れば痛快な革命家であり、その人物を疑う側から見れば破壊をもてあそぶ悪魔である。野球と株に疎く、今までぼんやり眺めてきた私だが、彼が新聞を語りだしたことで見えてきたものがある。メディア業界の旧弊を突く彼の批判は鋭いが、自己膨張以外に行動規範がなく、適法なら何でもやるという彼の流儀に屈するわけには断じていかないということである。

 彼はジャーナリストの江川紹子さんのインタビューに応えて「新聞とかテレビを我々は殺していく」と語っている。彼によれば、新聞の編集は本質的に無意味な作業である。ニュース判断も解説も「報道の使命とか言っちゃったりする大マスコミの自意識過剰の押しつけ」に過ぎない。良い記事とはインターネットのアクセス数が多い記事であり、テレビの視聴率至上主義をさらに徹底したところに理想があるというわけだ。

 新聞はしばしば独善に陥るが、だから記者が公益を探る営みは無意味だというような極論を受けいれるわけにはいかない。今と同じように価値観の大転換期だった敗戦直後、ヤミ金融「光クラブ」を起業し、経営破たんで自殺(1949年)した東大生、山崎晃嗣(あきつぐ)の語録にこんな一節がある。「私は法律は守るが、モラル、正義の実在は否定している。合法と非合法のスレスレの線を辿(たど)ってゆき、合法の極限をきわめたい」(保阪正康「真説・光クラブ事件」角川書店)。報道の使命をわらう風雲児の言説に通じる趣がある。(編集局)


http://tenshoku.inte.co.jp/msn/news/0188.html

通信+放送で生まれる未来のテレビ

ライブドアによるニッポン放送の株式買収には驚かされた。投資なのか投機なのか、堀江社長は借金をして株を買ったという。


ライブドアはなぜ放送事業に参入したいのか?


なぜライブドアはニッポン放送株を買ったか? 堀江社長は通信と放送の可能性についてコメントしている。わかりやすい例として挙げたのが放送局のWebサイトだ。放送局のWebサイトは非常に高いアクセス数を持つが、番組の紹介に留まっていると堀江氏。対してYahoo!やmsnなどの大型サイトではニュースや天気予報などさまざまな情報を提供している。ライブドアと提携することで、放送局のサイトをポータル化し、ビジネスチャンスを広げることができる、というのが堀江氏の意見だ。

またHDDレコーダーの普及で録画が当たり前になると、視聴者はCMを飛ばして見るようになる。そのため、いずれCMに頼ったテレビ局のビジネスモデルは成り立たなくなる。だからライブドアのようなIT企業のビジネスモデルを導入することで、放送局も新しいビジネスモデルを構築できると主張する。

だから放送事業へ参入するというのだが、理由はそれだけなのか? 

ブロードバンドの普及はIT業界に新たなチャンスを生み出そうとしている。ブロードバンド経由での動画配信は日常化しつつあり、5.1chハイビジョン放送のストリーミング配信に必要な回線速度は6Mbpsといわれている。光ファイバ通信は最大100Mbps、実測値でも20Mbpsは超えており、動画配信に限ればオーバースペックだ。

つまりテレビでもブロードバンド経由でも同じ番組を見られるようになっているわけだ。CMを打つ企業にとってはテレビとラジオに加え、新しい媒体が登場したことになる。そしてこの新しい媒体はCMを必要としない。

通信の強みは放送と違って1対1でデータをやり取りできることにある。たとえばドラマを見ていて、登場人物の着ている服を欲しいと思ったとしよう。テレビ放送の場合、視聴者はあとで雑誌で情報を調べ、店まで買いに行くしかないが、そこまでして買う人は稀だ。しかし通信ならどうだろう? 番組を見ながら、ナビゲーションバーをクリックすれば服のメーカーのサイトや楽天のような通販サイトに直結する。クレジットカード登録が済んでいれば、番組中に商品を購入できてしまう。

番組がポータルサイトになるのだ。これならCMを使わずに広告収入を得ることができる上、金脈といって差し支えないほどの潜在的な利権がある。これが借金をしてまでもライブドアが放送事業に参入したい本当の理由ではないだろうか。

通信と放送の融合で生まれる新しい使い方


通信と放送の融合は視聴する側に今までのテレビの常識を超えた、ユニークな使い方を可能にする。

ロケーションフリーテレビ 「LF-X5」はソニーが発売するエアボードシリーズの最新機種。持ち運びできる7インチ液晶モニタ(サイズはA5判)と「ベースステーション」と名づけられた専用サーバから成り、モニタは有線・無線LANと接続、インターネット経由でベースステーションに接続する。ベースステーションにはテレビやDVDを接続しておく。

モニタにはインターフェース機能しかなく、単体ではテレビは映らない(ただしインターネットに接続、Webサイトや電子メールの利用はできる)。ではどうするのかいうと、有線・無線LANでインターネットに接続、ベースステーションにアクセスする。ベースステーションは接続したテレビやDVDの出力データをパケットに変換、インターネット経由でモニタへと配信する。

LF-X5はインターネットに接続できれば視聴環境を問わない。海外からベースステーションにアクセスすれば日本のテレビ番組を見ることができるし、ホットスポットであれば外からでも大丈夫。ベースステーションに接続された機器はモニタ上からリモコン感覚で操作可能だ。

パソコンとテレビの中間的な機器で、同様のコンセプトのデジタル機器には他にマイクロソフトのタブレットPCがある。

今後のテレビを考える上で、どこでも自由に見ることができるというのは非常に大きなテーマだ。放送側でも、地上波デジタル放送のモバイル仕様である「モバHO!」を昨年10月から放送をスタートしており、携帯電話での受信など新しい可能性が考えられる。

放送で見るか? 通信で見るか? NHK東京テレビジョンが開局したのは1953年。それから50年が過ぎ、今、テレビは大きな岐路を迎えようとしている。

by polimediauk | 2005-02-22 06:06 | 日本関連

日本のネットと新聞の将来は?


 雑感になるが、NHK問題、ブログ、ライブドア、及びライブドアの動きに対する様々な企業及び既存マスコミ、市民の反応などを見ていると(といっても、日本の外にいるのでネット上で見ることしかできないが)、日本の大きな関心事が、経済からメディア・マスコミに移ったのかな?と、思えてくる。

 ライブドアの堀江社長がジャーナリスト江川さんのインタビューでも語っているように、日本の大きなトピックといえば、いつも経済。新聞の1面、社会面などで何が大きく扱われているかを見ても、分かる。大きなニュースでは、収賄とか、お金がらみのスキャンダルが多い。

 ・・・ということで、私も日本を離れる直前の2年間は経済・金融記事を書いていた。経済ネタは際限なくあったし、年金なり、貯蓄なり株式なり、給与なり、と、何かしら経済、お金の動きの話をすれば、誰しもが何らかの話題に加わることができていたように思う。

 しかし、イギリスに来て見ると、事態は全く違っていた。

 どこの国もそうであるように国内ニュースのトピック(健康、交通、年金)は大きな関心事であるけれども、国際ニュース(アフリカ・中東他)や、政治、そしてメディアの話が大きいのだった。

 理由はいろいろあるのだが(項を改めて書きたいが)、結果的に、メディアの、社会における存在感が大きいので、イギリスでは、社会のいろいろな要素を分類するとき、必ずといっていいほど、「メディア」が1つの選択肢になる。日本では、そうではない。例えばだが、このエキサイト・ブログでも、「メディア」というカテゴリーは、ない。ニーズがなかったからだろう。

 日本の話に戻るが、メディア・マスコミの存在が大きく注目されだしてきた現在、私たちは、時代の大きな節目にいるのかもしれない。メディアが、経済と同じくらい、あるいはそれ以上に重要な、社会のキーワードになる・・・かもしれない、日本でも。

 ふと、そんな感じがした。

 前置きが長くなったが、こういうことを考えるヒントになったのが、湯川鶴章さんが書いた「ネットは新聞を殺すか」という本だった。

 湯川さんが、新聞通信調査会で昨年末講演をし、それが、「新聞通信調査会報」の2月号で、「報道事業にも食指 IT産業の光と影」という題でまとまった形になっている。

 ホームページからPDFファイルをダウンロードできるので、興味のある方はごらんになっていただきたい。

 http://www.chosakai.gr.jp/index2.html

 ライブドアの堀江社長と楽天の三木谷さんの比較などがある。

 最後のところだけ、紹介したい。

 ネットでのニュース配信だけではもうからない、とする新聞業界の反応に対して、湯川さんの提案として、参加型ジャーナリズムを提唱している。

 「すべての記事をネット上で無料で見せるのではなく、議論を呼びそうな記事だけを載せる。そして読者から寄せられるコメントや情報を主要なコンテンツにし、議論の流れを分かりやすく、見やすく表示する。こうしたサイトなら比較的低コストで構築できるし、紙の事業とのバッティングもない」。

 「インターネットは、人類がこれまでの歴史の中で得た最も優れたコミュニケーションの道具であるというのに、建設的な議論の場にはまだなっていない。報道機関こそが、ニュースを中心とした議論の場を作り上げる必要があるのではなかろうか」。

 「そして、唯一無二の言論空間を作り上げた報道機関がニュースサイトの勝者になると思う」。

 引用終わり。

 ところで、日本でも、英語になるが、もうすでに、オンラインのみで読者からのインプットをどんどん入れている新聞がある。

 JAPAN TODAY という、ニュース・サイトだ。

 http://www.japantoday.com/


 たくさん情報があって、圧倒されてしまうが、誰も日本では注目していないようなので、(英語のせいだろうが)、不思議に思っている。



 
by polimediauk | 2005-02-17 23:59 | 日本関連

「然るべき情報が伝わっていない」

 NHK放送文化研究所「放送研究と調査」(2004年6月号)に掲載された「社会の変容とメディア」の中の、宮台真司さんのインタビュー記事を続けて紹介したい。

 今回はデジタル社会に関しての洞察から始まるが、宮台氏は、日本では、「当然国民に伝えられて然るべき情報が伝わっていない」として、(当時の)現状のままでは、その将来に否定的な見方をしている。

 2005年の現在、ブログの大人気があり、ライブドアが既存メディアの株を取得し、日本のメディア地図に変化が起きそうだ。果たして、どの点が未だ変わらない部分であり、どの部分が既に変わったのだろうか。

 デジタル化の問題からは離れるが、NHKとBBCの番組作りに対する姿勢の違いに関しての言及にも注意したい。

 宮台氏は、NHKでは、万人が分かる番組を作ることを要求されるが、BBCでは、視聴者が「10%しか分からないような番組」でもいい、と言われたというエピソードを披露している。

 これはBBCが放映予定をしている、昭和天皇の番組(2・11のブログで書いたが)にも共通する部分がある。「これが絶対に正しい」という番組を作ろう、万人が賛同する番組を作ろう、という意志が、BBCには最初から、ない。したがって、リサーチを十分にするとしても、BBCが作る昭和天皇の番組は、担当製作者たちによる、「彼らの見方」での昭和天皇像を描くことになるはずだ。「多くの解釈がある中での、あくまでも、1つのバージョン」であることを、BBCも、視聴者も、了解しているーこの部分が、おそらく、日本からすると見えないかもしれないことに、私自身、焦燥感を感じている。


(以下、引用・抜粋です。)

―社会のデジタル化が急速に進んでいるが、その意味をどう考えるか?

 デジタル化は、一方においてダウンサイジングを可能にし、つまり音楽を作ったり映画を作ったり放送メディアのコンテンツを作ったりするときにかかるコストをさげていく一方、もう1つは、分化や「島宇宙化」を推し進めていきます。ダウンサイジング化とほぼ進行する形で受け手の細分化が生じていく、というのがあるわけです。(中略)このデジタル化の1つの利点であるところの細分化をむしろ逆に使ってですね、国民的な関心のあるニュースについて、マルティプル(注「複数の」)リアリティをそれぞれチャンネルが流すことで、多様な入り口出口が構築されればよいわけです。

(中略)

 可能性としては、ダウンサイジング化によって、それこそ市民メディアの勃興が期待できるわけです。しかしそうなっていないんですね、日本の場合はとりわけ。

―現段階では?

 現段階というよりも、システムをいじらない限り、今後ともたぶんそうなるでしょうということですね。日本のさまざまな社会制度や慣行のもとでは、そのポテンシャリティーを使い尽くせない、半分も利用できないで終わる可能性が高いということですね。

 例えば、市民メディアの勃興があるためには、その市民メディアに情報のアクセス権が保証されてなきゃだめなんですよ。ところが記者クラブ制度をはじめ、電波の寡占、新聞の宅配制度、書店の再販や取次店制度などのさまざまな制度的障害によって、デジタルメディアが本来可能にするはずの様々な事象が、出来事が、日本では起きないようになっている。

 例えばデジタルコンテンツって言っても、結局、現在の資本を持っている人間が最終的には権利をすべて握るわけです。実際にそういうふうなつばぜりあいを大手メディアの間で演じているわけです。

(中略)

 ・・・チャンネルがたくさんできればデジタル化によるダウンサイジングもあって、本来ならばそこに多様な市民メディア、市民ラジオ、市民TV,インターネットTV,インターネット放送局が、そうしたものが多様に入り込んで、まさに多様なコンテンツが流れるはずなんですが、日本の場合には残念ながら、チャンネルがいくら増えようとも、基本的には、そこで使われるのは既存のアーカイブスか、アメリカのケーブルTVから持ってきた向こうのコンテンツか、あるいは自分の電波メディアへ流しているものをネットでも流すというそういうことになる。だからコンテンツは決して豊かにならないんです、日本の仕組みでは。

(中略)

 ハードウエアのテクノロジー面での進化は、可能性を開いていますけれども、社会制度はそういう可能性にふたをしているわけで、もうそろそろマインドと制度面を改革し、開放していくことが大事だと思いますね。それはメディアだけじゃないですよ。日本企業はどこでもそうです、建設業からアカデミズムまでみな同じなんですよ。

―デジタル社会の進行とともに生じると言われるデバイド、情報格差の問題については?

 日本の場合には、残念ながら「デバイド」というよりも、むしろそれ以前の「ブラインド」の問題のほうが重要だと思うんですよ、隠されちゃうというね。

(中略)

 根本的な必要情報を知った上で、あるいは、それを知りうるか知りえないかという問題が解決した上でデバイドを問題にすることと、当然国民に伝えられて然るべき情報が伝わっていないというような状況でデバイドを問題にすることは、プライオリティが違うという感じがしますね、それは。

 むしろ、最低限の必要情報さえも伝えられていないことによる、共通前提のなさ、話の通じなさ、あるいは送り手からすると受け手のボリュームの構築のしがたさ、したがってスポンサーからのお金のもらいにくさ、そうしたことが問題だということなんです。

 もう1つは、やっぱりリテラシーの問題が重要です。この場合のリテラシーというのは、ひとつのメディアを見たときに、それをどう受け取るかという判断能力の問題ですね。

(中略)

―メディアの信頼性、公共性の意味するものについて

 日本の国民はメディアをわりに盲目的に信頼するし、メディアもまた簡単に空気を醸成してしまうという部分もありますね。

 さらに、受け手の側がナイーブであるがゆえに、受け手の厳しいまなざしに曝されることがないメディアも、切磋琢磨するチャンスを逸し、明らかに信頼性を欠いた、あるいはその責任にもとるコンテンツが流れていると思います。

―市民の側からは、メディア不信が言われているが

 しかし、問題はかなり矮小化されているいまして、1つはワイドショー的な集団的過熱報道だったりするのですが、問題としてどれだけ重要なのかということについて、きちんと考える土俵がないような気がするのです。

 例えば、主題の切り取りということで言えば、限られた電波メディア、有限の時間リソースの中で何故そのテーマにリソースを大きくするのか。これ、全部価値観が左右する、全く人為的なセットアップですよね。だからやらせ・やらせでないものという議論ではなくて、本質的な議論にしていかなきゃならない。

 つまり、問題は非常に限られた媒体のリソースを常に少数が独占してシェアするということから発しているわけで、しかもそれが全部大手メディアへのぶらさがり構造になっている。これが日本の現実で、メディアだけじゃなくて、まさに日本そのものなんです。

 だからメディアだけが変わるというのは難しいけど、しかし逆に言えばメディアから代わるということも、日本全体を変えるためには重要かもしれませんね。

―NHKについては、公共放送という意味ではどう考えますか。

 ひとつだけ、言いたいと思います。僕がBBCの番組制作に協力した経験から言うと、随分認識に差があると思うんですね。

 NHKの番組に何度も出ていますが、とにかく万人が分かる、誰が見ても分かる番組にしてほしいって言われるんですよね。

 でも、BBCでは逆の経験をしました。BBCはリサーチャーの制度が充実していて、例えば援助交際の番組について僕がネタを提供すると、2週間後に「宮台さん、裏が取れましたので番組やりましょう」って踏み出すんですよ。しかも、かなり専門的な社会学的な仮説についても話していいと言うんです。

 「こんな風な作り方をすると、国内では見た人が10%しか分からないような番組にならないんですか」と言ったら、面白いことを言っていましたよ。「いや、少数者が知っておく必要がある深い情報があり得る。万人が理解できることだけがパブリック・マターではない」とプロデューサーが断言しました。僕は目からうろこでしたよ。

 万人が理解できることは大事です。しかし、万人が理解できない大事なこともたくさんある。それもパブリック・マターだと、僕は思うんですね。デジタル時代というのは、間違いなくそのことの意味を問うてくるし、今後本質的な議論になると思いますね。

―最後に、メディアの役割と課題、可能性について

 メディアの影響力は、これからますます大きくなると思います。

 ただ、メディアの影響と言っても一概には論じられない部分もあるわけです。その手法において、目的において、効果において、それぞれ多種多様な影響力があるわけだから、どういう影響力が減衰し、どういう影響力が増大するのかを見極めるのが大事だと思う。

 それはアーカイブスを見れば分かるように、かつてならば、それこそパブリックな問題において有権者の意思決定の判断材料を提供する、という、メディアの基本的役割をそれなりに果たしていた時代もあったわけだから、逆に弱いものをたたき、強いものにぶら下がり、保身を図り、欲情にこびるメディア、そのようなタイプの影響力は、やっぱり僕は願い下げにしたいと思いますね。

 さらにもう1つ、日本のテレビメディアのまずいところは、放送法に言う不偏不党、これはアメリカの法律をモデルにしたものですけれども、曲解しているわけです。

 不偏不党とは、まずいくつかの意味合いがある。第一に政治勢力に組しないということですよね。もう1つは反論権を保障するということです。この2つでほぼ足りる。

 番組に同じ時間出させろとかいうことは、基本的には関係ない。反論権は同じ番組で保障する必要はない。別のチャンス、同等のチャンスを保障すればいい話です。

 何故放送法が曲解され、許認可行政の間違った放送解釈の下で、おびえる放送局が出てくるのか、本当に恥ずかしいことだと思いますよね。実際に間違った解釈の下で政治的な圧力に屈するわけで、それこそ不偏不党の風上にも置けませんよね。そのへんもちょっと勘違いがあるのかなあと思いますね。

 まあ全体として言えば、感情的であることよりも理性の働きが重要であることを提起するような、欲情にこびるのではない、人々を必要なものに動機付け、ディベートするような。さらに言うならば、火中の栗を拾って、権力に対するチェック機能を果たすようなメディアでなければ、それこそ国民の期待に応えているとは言えないと思うんです。

メディアたるものは、政権の影響力を受けないという不偏不党の保障の下で、ある社会的な理念を提示する責務を持っているし、さらにそれを証明することは、ひとつの重要な憲法上の権利でもあるわけですよ。つまりそれが、メディアが担う表現の自由が持つ本質的な意味のはずなんですけどね。

 メディアの役割は、そうしたことをきちっと果たすことであり、それがメディアの出発点でもあり、可能性の追求ということであるということです。それ以上のものでもないと思います。今一度、メディアの原点を見つめなおすことを期待したいですね。

(引用、抜粋終わり。若干の言葉の編集、注を付け足してあります。)


宮台氏は、1959年仙台生まれ。東京都立大学人文学部社会学科助教授。著書に「制服少女たちの選択」「終わりなき日常を生きろ」「まぼろしの郊外」他。
by polimediauk | 2005-02-16 21:22 | 日本関連

不思議とピタリ

 少々前の記事になるが(2004年6月)、NHK放送文化研究所が出している「放送研究と調査」に、社会学者宮台真司氏のメディア評が出ている。

 宮台氏といえば、「ブルセラ」(もはや誰も口にしない言葉になったが・・・)。「援助交際」という言葉が流行っていたころ、女子高生の気持ちを分析、表現するにはこの人しかいない、と言われていた。

 インタビュー記事の紹介の前に、私が宮台氏に取材したときの話を付け加えたい。1990年代半ば、私はある新聞で教育を担当していたが、神戸の小学生殺人事件が起き、何度か連載記事を企画・執筆した。この時、インタビューした人の一人が宮台氏だった。

 あるテレビ局の喫茶店で待ち合わせしたが、時間になっても、なかなか、宮台氏は現れない。カメラマンと一緒に、右往左往して、30分。ふと、再度喫茶店内に目をやると、氏が既に来ていて、ひっそりと本を読んでいた。あまりにも風景の中に溶け込んでいた氏の姿を、見つけることができなかった私の完全なミスだった。

 約束の1時間の中で、既に30分が過ぎていた。氏に近づき、声をかけると、一瞬(むりもないが)きっとした表情になったが、「時間がないので、急いでしゃべります」といって、立て板に水を流すようにして、しゃべりだした。(質問事項は既に送ってあったものの、彼なりの神戸事件の見事な分析だった。)

 私は、聞くだけで精一杯。非常に頭の回転が早い人だな、というのが印象だった。こっちが一歩足を踏み出したときには、相手は100歩先を行っている。

 取材が終わり、写真撮影となった。外に出て、簡単なポーズを取ってもらうと、気さくで、人懐こい表情になったのを、覚えている。

 さて、記事そのものだが、宮台氏は、インタビューの中で、日本には必要な情報が十分に行き渡っていない、と指摘している。

 イギリスから日本を見ると、情報が遮断されているような、非常に不思議な思いがすることが度々ある。自分自身、何故なのか?を考え続けてきたが、このインタビューが、一つの答えを示しているように思う。


以下は、「社会変容とメディア」という題の記事の引用・抜粋です。

―世界及び日本の動き、それを伝えているメディアについて、どんな感想を?

 適正な判断をするのに必要な情報が十分に国民に行き渡っているとは言えないし、メディアが負っている責任は非常に大きいと思いますね。

 例えば、今回、イラクで起きた人質事件に関してバッシングが起こりました。今回の一連の動きとメディアの関係を見てみますと、ファルージャでアメリカ人4人が殺害された事件では、アメリカ政府は「残酷だから載せるな」という口実でメディアを規制しようとしたけれども、ニューヨークタイムズなどの主要メディアは、映像と写真を載せました。これがメディアの役割です。残酷だから載せないわけじゃなくて、必要な情報であれば、残酷であっても知らせることを公器としての責務とする場面もあるのです。

 しかし、日本では逆に、人質事件の限られた情報の中で、情報管理を含めたバイアスのかかった情報によって形成されたリアリティを背景にして、ご存知のような人質バッシングとなりました。

(中略)

―今回の日本人の反応そのものについてはどう見るか

 これは別に今始まった話じゃないわけですが、現在の日本の閉塞状況の中で、先行き不透明あるいは不安感のよってくるところがよく分からない社会になると、人は、どうしてもバッシングの対象を見つけ、自らを確かめたがるということがありますよね。

(中略)

―メディアの影響力は大きく、人々はメディアを通して社会を認識し、メディアによって組織化されると言われている。

 メディアを通して知る以外に社会を知る方法がないのですから、仕方ありません。(中略)

 ・・メディアの政治利用を目論む人たち、とりわけ時の政権は、自らの延命を図るためにどうしてもマルティプル・リアリティーズ(注:いろいろな現実、現実は1つでなく複数あるとする考え)のうちの一部のみが国民の目に触れるようにし、ほかのものは目に触れないように気を使うわけです。(中略)。しかし、それは国民を一定の方向に誘導する情報の管理、操作ということになる。したがって、それに乗らない為には、可能な限り全てが見られるように努力することが重要です。「残虐だ」あるいは「いや、この残虐をあえて見るべし」という主張もある。だったら、編集された映像も、それ以前の映像も見られるようにする。(中略)各自が何がリアルなのかを自分で構成してもらうしかないんです。

 逆に言えば、メディアが「これがリアリティだ」と提示したとしても、それは「これがリアリティだとわれわれは考えます」ということに過ぎない、それを明示すべきです。

 (中略)別の入り口・出口を持った別のメディアからすると、全く別のセンス、別のムード、別の空気がそこからあふれ出てくるということがありうるということを前提にして送り出す。見る側も受け取る。そういうような成熟した感受性を身につける必要があるということです。

 日本では残念ながらオルタナティブな情報に触れようと思っても、それなりのスキルと意欲と時間を持つ者以外は、例えばネットを通じてオルタナティブな情報にアクセスできるもの以外は、非常に難しいんです。

(中略)

―メディア・リテラシーといったメディアの受け手側の問題も関わってくる。

 そのとおりです。しかし、それは育てなければいけないんです。学校教育という意味ではなくて、メディアに触れる体質そのものがラーニング、学習のプロセスなんです。

 最も良いのは、さっき言った様に多様なリアリティーを一覧できるということです。

 Aというリアリティに触れると、「なるほど、そうか」と思う。Bに触れると「え?こっちのほうがもっともらしい」。Cに触れると、「いや、AもBもやっぱり違う。Cが本当らしい」、そういう風にして、見るにつけ聞くにつけ心が揺れる。「どれが真実なんだろうか」あるいは「私はどれにコミットするべきなんだろうか」ということについて迷う。こういう経験がまさに学習のプロセスを構成する。日本の場合、それがなさすぎるわけです。

 さらに受け取る側で言うと、その情報を見る見方ですね。伝えられたものだけでなく、伝えられていないものの意味を読み解いていくことが重要になるわけです。

そのためにも、多様なリアリティにアクセスし、自ら判断するように心がける、あるいは、自ら判断することができるように、お互いの私人間・市民間のコミュニケーションを活発にしていく、これしかないわけですね。

 国民あるいは市民から見ると、それは入り口あってのものなんです。現にそういう多様なリアリティーが入ってこないと、あるいはそれにアクセスできるような入り口が開かれていないと、適確な判断は無理なんです。

(続く。)
by polimediauk | 2005-02-16 08:51 | 日本関連

「ゴミみたいな記事を無理やり載せたってしょうがない」


 「ネットは新聞を殺すかブログ」のコメント欄に、ジャーナリスト江川紹子さんによる、ライブドアの堀江貴文社長のインタビューが紹介されている。

http://www.egawashoko.com/menu4/contents/02_1_data_40.html

 インタビューは、既存のメディア関係者からすると、驚きの発言で一杯だ。新しい新聞の発行を予定しているというが、何か主張があって出すわけではない、という。

 これまでの、ジャーナリズムはこうあるべきだ、メディアとは、新聞とは・・・といった考え方に揺さぶりをかける言葉が多く、反発を感じる人もいるだろう。しかし、情報の受け手側の真実をついたような部分(「誰もいろいろな新聞を読み比べたりはしない」など)もあり、意外と、読み手側、特に若者層の大部分の気持ちを代弁しているのでは?とも思わせる。


 12月のインタビューだったので、放送業への進出に関しては、「言えない」としている。

(以下、インタビューです。)


堀江貴文・ライブドア社長インタビュー要旨
       2004.12.6 am11:00 ライブドア本社にて 
――「市民記者」を募集したりして、新しいメディア作りに乗り出しているが、何をやろうとしているのかを伺いたい
「あんまりそんな、肩肘張ってないんですけどね」
――規制メディアのどういう点が物足りなくて、新しいメディアを作ろうと考えたのか
「物足りないってこともないんです。元々は、商売で金融系事業をやっているわけですよ、うちは。消費者金融とか証券会社とか。そこで重要なのは、メディアを持つことですよ。
 何故かって言うと、ロイターだってそうじゃないですか。ロイターは元々通信社ですけど、証券取引のシステムを作ったところで大きく伸びたんですよ。それは、ニュースだけ出している日本の通信社との大きな違い。ロイターの収益の9割がロイター・モニター――今はその進化版みたいなヤツになってますが――それが各金融機関にあって、もちろんニュースも流れているんですけど、そこで為替取引もできるわけですよ。
 元々為替は相対でヨーロッパの銀行間で取り引きしていたんですね。今の為替取引の原形を作ったのはロイターなんですね。
――ロイターというと、私は戦争の現場などでの取材活動が思い浮かぶが
 あそこはコスト・センター。プロフィット・センターは為替部門なんです、実は。
 うちもインターネットのロイターとか……(金融情報サービス会社の)ブルームバーグも、債権のリーディングシステムが一番の収益の柱なんですね。マイケル・ブルームバーグは元々メリル・リンチ(ママ )にいた人で、そこのプログラマー(江川注=実際はソロモン・ブラザース証券のディーラー)。彼はシステムを作っているところから、そのシステムを広めるためにはニュースが必要だと、メディアの重要性を認識して、(新しいメディアを)作ったんです。
――経済、金融関係のニュースを発信していく、と。
 インターネット時代の金融会社を大きくしていくためにはどうしたらいいのかっていう流れの中で、メディアを持たなきゃいけないっていう話になったわけですよ。発想はブルームバーグさんと全く一緒。
 ロイターもブルームバーグも、企業内に情報配信システムをまず設置して、取り引きをそこでしてもらってサヤを抜くみたいなビジネスがメインになっているのは確か。それをやりたくて。
 ライブドアはポータルサイトの会社なんだけど、証券もやってる。ユーザーが自然と、証券をやるならライブドア証券で、という流れを作っていきたい。
 その中で、さらに信用とか格を上げていくためには、もっとメディア寄りのイメージをつけるのが得策だろう、と。
――では、政治や社会、文化のニュースも扱う?
 まあ、おまけなんですけどね。別にそこで儲けようとは思っていない。トントンでやれればいいな、と。
――今までのメディアとの違いが見えてくるのは、もう少し先になりそうか。
 う~ん、まあ。それ(=違い)がメインなんじゃなくて、我々がメディアを作ることがメインなんです。やりたいのは、そこ。
――プロ野球の一件でメディアにいろいろ取り上げられた。そこで不満を感じたことが動機付けになってはいないのか。
 全然なってないです。そういうことじゃないんです。
――テレビの買収とか新聞などの紙媒体を持つことに関心は?
 それはもちろん関心はありますよ。なぜかっていうと、最終的にはみんなインターネットになっていくんですけど、特に日本は(それが)遅くなるだろうなと思っている。日本人は、未だに新聞やテレビを信じちゃってるんで。ウソばっかり書いてあるんですけど、ハハハハ……
――それを身もって体験したと?
 身をもってというわけじゃないけど、他の人の話を聞いていても、やっぱりそうですからね。かなりバイアスがかかっている。
 別にバイアスかかってようと、かかってまいと、どうでもいいんですけど、(人々が)信用してるってことは確かじゃないですか、新聞とかテレビを。だから、インターネットに全部いくまでの過程は何年もかかるワケですよ。その間、新聞とかテレビを我々は殺していくんですけど、自分たちが持ちながら殺していった方が効率いいかな、と思って。そういう話ですよ。
 今は力を持っているから、それをどんどんインターネットに置きかえていって、これからはインターネットを信用しなさいよ、と。どんどん誘導していくわけですよ。啓蒙していくわけですよ。
――となると、地上波テレビの買収から?
 まあ、それはどうなるか、分からんですね。免許とるかも分かんないし。それは分からない。
――具体的に動き出しているんですか。
 それは言えない。
――新聞は?
 どうなるか分からない。
――新聞を持つことも考えているのか
 その(=新聞を持つ)方が信頼度が増すと思うんですよ。バンバン拡販して部数を何十万にするとかは考えてなくて、出してるってことで(信頼を)感じると思う。
――市民記者の位置づけは?
 まあ、普通に記事集めて書くだけですね
――せっかく新しいメディアを作るのだから、今までにないものをと思わない?
 思わないですね
――今までにないものを作るからこそ意味があるのでは?
 ベルに意味なんてかくてもいいんですよ(笑)。意味なんてどうでもいいんですよ。我々の目的は、意味あることじゃないんですよ。新しいものを作ること、意味のあることが重要なんじゃない、我々にとっては。
――市民記者を募集するのは、新しいやり方では?
 それも単なるコスト削減策なんですけどね(笑)。
――でも信頼度を上げようというのなら、それなりの質の人を集めないと。
 紙(=新聞)を出してりゃ、みんな信用しますよ。そんなもんですよ。
 (既存メディアの)記者のことなんて、誰も知らないでしょう?読売新聞も、みんなナベツネくらいしか知らないでしょう?
 紙を出して、それが今の紙とそっくりで、例えばうちなんか「東京経済新聞」とかっていう名前にしようかと思ってるんですけど、日経と同じようなロゴで「東京経済新聞」って書いてあって、全く同じような体裁で出ていたら、分かんないじゃないですか。ああなんか格がありそうだな、とか思うでしょ?
――今までにない内容の報道をやりたいというのもない?
 ないですね(笑)。いいんでよ、別に。内容が(今までのメディアと)違うかどうかは。それが目的じゃない。内容も、もしかして違ったモノになるかもしれない。ですがそれはどっちでもいい。
――堀江さんの日記には、「メディアのあり方が変わる」と書いていたが、そういう意図はないのか。
 そうやって煽った方が、みんな期待感を生むじゃないですか。僕はどっちでも……
――今のメディアではあまり報道されていないことも、インターネットを通じて伝えてういこうというのだと思っていたが。
 それは副産物的にそうなるかもしれないですけど、それはどうでもいい。僕にとってはどうでもいい。
――メディアを持つということは、情報を通じて人の考え方を左右する可能性がある。
 そうですね。
――そういうことに関心は?
 全然ないですね。
 今の記者の人は、大マスコミ的な意識っていうか、悪く言うと思い上がって、自意識過剰なところがありますね。
 うちに来る人も、大層なことを考えていて、「堀江さんはどう考えているんですか」「ライブドアにとって悪いことも記事にしますよ」と言うんですけど、そんなの勝手にやってよ。わざわざ報道しなくても、2ちゃんねるとかでうちに悪いことは書かれているわけで、見りゃ分かるわけですから。そこにはウソもホントも書かれていて、(ユーザーは)それを自己責任で判断すると。それを新聞に書かれたから本当なのかっていうと、別に本当ではないかもしれない。ある意味、歪曲して、脚色して記事にしているわけだから。
――歪曲?
 そうじゃないですか。僕の行っていることだって歪曲されていると思う。私は自分自身にストーリーがない人間なのに、何か無理矢理ストーリーを作ろうとする。私はこういう少年時代を送ってきたから今こうなんたおいうストーリーを作りたがるでしょう? そんなもん、ないんですよ。
――それは、(歪曲というより)書く側の分析でしょう?事実を伝えるのに、話の一部だけを取り上げられて歪曲されたとか、そういうことはあるのか。
 ありますね。見出しの付け方ですべてが変わっちゃうじゃないですか。全部読んだら事実なんだろうけど、見出しがそうなっていると、(読者は)なんかそこばっかり見ちゃう。
――2ちゃんねるに書かれていることは、全部本当とは誰も思いませんね
 でも新聞に書いてあることは本当だと思うじゃないですか。でも、ほとんど……とは言わないけど、かなりウソが入っているんですよ、見出しとかで。間違ったことは書いてなくても、書き方で読者の受け取り方は変わるわけでしょ。それを分かって書いているわけじゃないですか、記者も。ライブドアはこういう会社なんだ、と記者が思い込んだら、事実を書きながら、そこに思いを込めることが可能じゃないですか。新聞って、みんなそうなんですよ。それって、思い上がりじゃないのっていうことです。
――新聞も、いくつか比較してみれば……
 みんな見比べたりしないじゃないですか。そんなことするのは一部のマニア。一般市民のほとんどは、朝日新聞の一面に書いてあることは本当だと思っている。ウソじゃないけど、歪曲されているのに。
――では、朝日新聞をとっている人は朝日新聞をやめて、ライブドアの新聞を見て欲しい、ということか。
 それはない。うちはただ新聞を出すだけ、好きな人は読んでね、と。
 紙を出していると、それっぽいじゃないですか。紙を出しているのとないのでは、全然違う。
 今、インターネットのニュースって、あまり信用しないのに、紙の新聞のニュースって、発行部数がしょぼい新聞でも本当かなって思っちゃう。
――出すからには、こういうモノを出していきたいというのはないのか。
 そういうのは、おせっかいですよ。読者は別にそんなもの求めていない。そんなもの押しつけたくもないし。
――編集方針とかはどうするのか。
 そんなもん、何もないですよ。
――何もないと……
 そう思うのが既成概念。ありのままを出せばいいんじゃないですか。
――ありのままを出すというのも方針ですよ。
 方針って言われると、ちょっとアレですけど……
――ありのまま出すといっても、客観報道だって主観が入る。
 うん
――じゃあ、ライブドアの報道は、どういう主観が入るんですか?
 それぞれじゃないですか。だって市民記者が書くんだから。
――でも、デスクがチェックをするでしょう?
 チェックするといってもそれはウソを書いてないかとか、そういうレベルのチェックですから。ウソを書かないというのが重要で、確かめたのかとか、裏を取ったのか、とか。あとは、?てにおは?を直すとか。そういうレベルの話ですから。
――事実が確認されれば、あとはどんな話も載せる、と?
 紙面が許す限りですけどね。あとは人気ランキングだけですよ。
――人気?
 インターネット(のニュースに)アクセスするじゃないですか。そこで何が注目されているか、と。だいたいの記事は、先にネットに出ちゃうわけですよ。注目度が高い記事はアクセス数が多くなる。それを紙にする時に、見出しを大きくする。紙は一日一回くらいしか出せませんからね。
――新聞はいつ発行する?
 まだ決めてない。焦ってもしょうがない、ここまで来ると。紙を出すタイミングは慎重にやらないと。
――新聞を出してもずっと維持するつもりはない、と?
 インターネットに置き換わってくれれば。でも、ずっと続けるかもしれないし、それは分からない。
――規制の媒体やフリージャーナリストなどとの連携は?
(同席のメディア担当役員が、フリージャーナリストはある程度使うことを考えているが、規制の媒体の記者とは関係がない、と説明)
 やっかいですね、大マスコミ意識があるので構えちゃう。もっと気楽にやろうよって。
 悪く言うと思い上がり、自意識過剰なんですね。報道の使命とか言っちゃったりしますものね。
――「報道の使命」というのは思い上がりかもしれないが、そういうのがあるから正確な記事を書こうとか、意味のある報道をしようとかいう動機にもなっている。
 それで暴走しちゃう。読売なんて特にそうじゃないですか。平気で個人攻撃するわけですよ。でもみんな信用してるでしょ?あんなひどいヤツが主筆をやってるのに。
 絶対にバイアスがかかってますよね。そういうのが、報道の使命なのか……分かんないな。どういう気持ちなんですかね。
 野球問題では、どこも明らかにバイアスがかかっていた。読売はうちを潰そうとするし、朝日は盛り上げようとする。明らかに論調っはそうです。で、野球問題が一段落すると、今度は全員で叩きに来ます。来てますよ、朝日なんか特に。
――でも、先日の朝日で大きく紹介されたりもしていた。
 中も一枚岩ではないようですね。
 権力争いで、何年か後に社長を目指そうとする人は、(うちを)潰そうとする。
――「殺される」警戒感か?
 そうでしょうね。殺されるのは間違いない。どうやって延命しようかってことばっかり考えているんですよ。あと10年勤めたら定年だとかいう人は、そうなる人が多い。
 そういうのは、下らなすぎて相手にしたくない。お前ら、そろそろ気づけよって感じ。気づかせようとは思わないですけどね。自分で気づきなさいよ、と。押しつけは嫌なんですよ。僕も押しつけられたくないし。
――ある程度の方向性がないと、何でも載せますというわけにはいかない。
 いいんじゃないですか。自分で判断して下さい、と。それで、世の中の意向はアクセルランキングという形で出てくるんですから、その通りに順番並べればいいだけでしょ。
――みんなが注目すると大きく扱われるが、埋もれている話を発掘できないのでは?
 埋もれていることを発掘しようなんて、これっぽっちも思ってないんですってば。そういうのは情報の受け手、興味を示す人が少ないわけですから。ニッチな情報なわけですから、いいじゃないですか。一応ネットには載せておきますから、(興味のある人が)勝手にアクセスして下さい、と。
――例えば、イラクのこととか、新聞ではもうあまり載らない。でも……
 いいんですよ、(そういうことは)みんな興味ないんですから。興味ないことをわざわざ大きく扱おうとすること自体が思い上がりだと思うんです。
――でも、提供されなければ興味もわかないのでは?
 そうじゃないと思う。興味がないことを無理矢理教えてもらってどうするんですか? 何の価値があるんですか、そこに。気づかせたら、何かいいことあるんですか、ユーザーの人たちに。気づかせることによって、新聞をとっている人に、何かメリットあります?
――知らないより、知っていた方がいいこともある。
 そうですかね。知らないのと知ることで、何か差異がありますか?
――情報を提供しなければ、興味を持つきっかけにもない。
 いいんじゃないですか、別に興味を持たなくても。興味持たないと、いけないんですか?
――いけないと言っているのではないが……
 じゃあ、いいじゃないですか、それで。そういうもんじゃないですか、情報って。それこそ、押しつけじゃないですか。
――「提供」と「押しつけ」は違う 
 みなさん「提供」と言うが、(ニュースの)重みづけはユーザーが判断するもので、押しつけられるものじゃないと思いますけどね。それが暴走につながると思うんですよ。思い上がりにつながって。
――ランキングが悪いとは言わない。確かに一面に何をもってくるかは新聞社の判断で、それが押しつけといえば押しつけでもある。
 うん。
――そうした記事の大小ではなく、今では記事として提供されないものをランキングは低くてもいいから入れていこうとか、そういうことはないのか?
 なるべく入れていこう、とは思わない。操作しようとは思わない。ゴミみたいな記事を無理矢理載せたってしょうがない、ユーザーニーズもないし。
――「ゴミみたいな」とは?
 ランキングで読者の関心が低い、関心がない記事をゴミ記事と言った。価値は相対的に低い、ニッチな情報なんですよ。
――フリージャーナリストでイラクなどを取材している人がいても、今ではなかなか大きなメディアには載らない。そういうのを入れていこうとは思わないのか
 (この話は)重要だといって、あえて能動的に吸い上げようと? それって、メディアの意思が入っているじゃないですか。意思なんて入れる必要ないって言ってるんですよ。載せたいなら、読者の関心が低い記事にはお金は払えないけど、勝手にウェッブサイトに載せる分にはいいですよ。お金は払えないけど、来るモノは拒まずだから。
 ただ、それを紙に挙げる時にはランキングによる。そこのところで情報操作をする気はない。ランキングが一番になれば原稿もありますから、チャンスはありますよ。(そうした記事は)ウェルカムですけど、あえて収集するつもりはない。
 人気がなければ消えていく、人気が上がれば大きく扱われる。完全に市場原理。我々は、操作をせずに、読み手と書き手をマッチングさせるだけだから。
――インターネットでは、まだ既存のメディアからの情報を中心に流しているようだが、いずれそういうものはなくして、自前ですべてやるつもりか。
 既存のものも残る。でも他は全部配信してくれるのに、読売が載らないのは、あそこはうちに配信してくれないから。すごいでしょう? よくそういうモチベーションが湧くな。
――ラジオに関しては?
 ……やってますよ。
――新聞はまだ?
 何が起るか分からない。
 韓国のオーマイニュースなんかは政治ネタが多いけど、日本は政治はダメですよ。経済が一番売れる。政治にはあまり興味がないみたい。それはそれで、いいんじゃないですか。
――役所など、記者クラブに入らないと取材がしにくいところもあるが。
 ゲリラ的にやっていく。どうせ入れてくれませんから。そこで(入るための)努力をしようとは思わない。入れてくれれば入りますけどね。でも、任意団体にはあまり入りたくないんですよ。ここに入らないと免許をくれないという所には入りますが。
――放送免許に関しては、動き出しているのか。
 それは言えません。

by polimediauk | 2005-02-13 17:52 | 日本関連

日英のギャップ?

 9日発売の「週刊新潮」2月17日号に、BBCで今年後半放映される昭和天皇の生涯を描いたドキュメントに関しての記事が載っている。

 タイトルは

 「昭和天皇」人格が歪んだ「身体欠陥者」! 英国BBCのドラマ「勝利した負け犬」の酷すぎる「偏向脚本」

 記事の中で、BBCを「英国国営放送」としている点が若干気になり、コメンテーターの選択が偏っている感もある。しかし、この記事の主張が正しいか正しくないか、またBBCの脚本が偏向しているかいないか、という点は、まだ番組ができていない・放映されていないので、私には現時点で十分に客観的な判断ができない。
 
―戦争ドキュメンタリーが頻繁に放映されている

 こうした番組が放映される背景として、イギリスでは歴史番組の人気が高く、かつ戦争ドキュメンタリー、戦争ドラマが特に好んで見られているという現状がある。週に数度はBBCのチャンネルに限らず、いずれかのテレビ局が放映している。

 いかに第1次及び2次世界大戦で連合軍が闘い、勝利を得たか、いかにナチ・ドイツが残虐だったか、いかに日本軍が連合軍側の戦争捕虜を不当に取り扱ったか・・・。戦後60年経っても、イギリス人は忘れない。テレビで頻繁にこうしたドキュメントが放映されるので、戦後生まれの若い世代にも知識が広まってゆく。

 先月も、BBCは「アウシュビッツ」というタイトルで、アウシュビッツの強制収容所で働いていた人にインタビューをしたドキュメントを数週に渡って放映したばかりだ。

 何故これほど戦争物が多いのか?

 専門家の分析が必要だが、私の見たところでは、やはり戦勝国であるという理由が大きいように思う。戦争宰相ウインストン・チャーチルの博物館が、11日ロンドンでオープンしたが、チャーチルは、2002年のBBCのアンケートで「最も偉大なイギリス人」に選ばれている。

 日本の過去、特に第二次世界大戦前後の歴史や昭和天皇の役割などに関しては、通常の日本人よりもイギリス人の一定の年齢以上の人たち(50歳以上)の方が、詳しいかもしれないほどだ。

 長崎や広島の原爆の意味、昭和天皇の戦争に対する責任など、イギリス側の認識・解釈は日本側の解釈とは随分違う。

 日本に関しての理解者がいない、という意味ではない。しかし、原爆は「必要だった」とする意見を肯定する雰囲気、昭和天皇は「戦争犯罪人」、「責任を取らなかった人」「ずるい人」という認識が存在することは事実だ。

 週刊新潮の記事は、放映予定のBBCの番組が「偏向」している、とする。しかし、その「偏向ぶり」の箇所は、イギリスに暮らしていると、イギリス人が、あるいはイギリスのメディアが通常考える範囲内にあり、特に飛びぬけて偏向している、ともいえない。

 どちらが正しいか?ということでなく、繰り返しになるが、戦勝国イギリスの見方は日本とは違う、という現実がある。

 また、番組制作のためにBBCなりの調査はやるとしても、ある歴史トピックに関して、「偏向がないように」「中立に」「誰もが賛同するような」ということを、最優先事項としていないだろう点にも、注意したい。

 今まで報道されてこなかったことを明るみに出す、大胆な解釈で人目を引く・・ということがないと、番組としておもしろくならないし、やる価値もないだろう・・と考える部分がある。公共放送とはいえ、決して「無色透明」なものを作ろうとしているのではない。

 これを、BBCは「国営放送」と見て、何らかの中立的、無色透明、「公平」な歴史ドキュメンタリーが放映されると思うと、失望するだろう。

 放映は、「イギリスは、日本を、昭和天皇をこう見ている」ことを改めて知る機会になるだろう。イギリスと日本との間の認識のギャップを再確認する機会でもある。

 イギリスでは、王室批判の番組などが日常茶飯事だ。頭のおかしい王がいた、愛人がいた、血友病の家系だ、王室制度そのものがけしからん、などなど、やりすぎでは?と思われるほどのドラマ、ドキュメンタリーが作られてきた。

 こうした、例え自国の王室といえども下劣すれすれのレベルのアングルも含めて、批判するような番組を作ってきたのが、BBCを含めた英テレビ界だ。

 従って、かつての敵国のトップだった天皇の生涯に関するドキュメンタリーでは、しかもその敵国の戦争中の扱いに今だ恨みを持つ国民もいるイギリスだからこそ、容赦なく天皇を批判し、様々な面を暴露する、あるいは自論を展開するだろうことが、想像できる。

 特に日本を、天皇をターゲットにしているのではなく、いつもやっていることの一環なのだった。

 昭和天皇のエピソードは、BBC2の「タイムウオッチ」という枠の番組の中で放映される。「タイムウオッチ」では、歴史を様々な角度から見たドキュメントを放映してきた。今後の予定を見ると、「ロシアの独裁者スターリンを殺したのは誰か?」「故マーガレット王女の悲劇」などとなっている。

(以下は、週刊新潮の記事の抜粋です。)

昨年の秋から暮れにかけてのこと(中略)。イギリスの国営放送BBCのスタッフから(注:政治家らに)出演や取材協力の連絡が入った。内容は以下のようなものだった。

{BBC(英国国営放送)では、昭和天皇の生涯を描くドキュメンタリードラマを製作いたします。「意志なき立憲君主」か、「意志ある大元帥」か。世界のテレビが未だ伝えたことのない分野を、ドラマ仕立ての構成で検証する教育歴史番組です。イギリスBBCにて、ゴールデンタイムに放送されます」(中略)。

BBCの協力要請に応じた宮内庁元記者は言う。「外国メディアは往々にして、天皇戦争責任論など、最初から結論ありきの姿勢で、断罪することがある。それならいやだよというと、いや、いろんな資料を調べて、真実をついたものを作ります、というので、協力しました」

昭和天皇の服装などについて、問われるままに教えたという。

(中略)

「番組への出演依頼のお話を頂戴しまして、そのつもりで検討していました」とは、中曽根康弘元首相の秘書である。だが、実現には至らなかった。「お話をいただいた後、あるところから番組のシナリオを入手しましたが、その内容をみて非常に驚きました。偏見に満ち、初めから昭和天皇を「悪玉」に仕立てようという意図があまりにも露骨過ぎる内容だったのです。即座に、出演依頼をお断りしました」

(中略)

秘書が本人に脚本を見せるまでもなく、出演を断ったドラマとは一体どんなものなのか。

Hirohito: The Loser Winsというのが、英題。日本語タイトルは「ヒロヒトー勝利した負け犬」。

「意味は、戦争で負けたら元首は普通なら没落する。だが、昭和天皇は生き延びてシンボルになり、その下で日本は高度経済成長を果たした。天皇は連合国側の戦争指導者の誰よりも長生きした。つまり、最後に勝利したのが昭和天皇。そういう皮肉なタイトルにしたいのでしょう」とは、秦郁彦日大元教授だ。

シナリオに従えば、まず最初のシーンは終戦直後の皇居。焚き火に侍従たちが重要文書を投げ入れるところからスタートする。

ナレーションが入る。

「1946年。昭和天皇―裕仁―現人神として、20年もの間、日本国民を戦争の惨禍に巻き込んできた。この戦争によって、アジアの人々2000万人、日本人300万人、連合国の兵士6万人の命が犠牲になった。(中略)終戦後速やかに進駐軍が占領を開始したが、天皇を有罪に導くはずの証拠書類は全て燃やされていた後だった」

アジアの犠牲者2000万人という数字は「東京裁判の判決にある200万人の10倍」(秦元教授)といういかにも誇大なものだが、このドラマに一貫して流れるトーンは、昭和天皇を戦争犯罪人として認識していることだ。脚本にはこんなト書きがある。「残虐さの潜む当時の映像を織り交ぜながら、皇室の絢爛な礼式が、昭和天皇の偽善の隠れ蓑である事実を暴いていく」

精神異常者の父

かつて昭和天皇は、大東亜戦争をとめられなかった理由をこう述べられた。

「かかる国民的憤慨を背景として一度、軍が立ち上がったときに、之を抑えることは容易な業ではない」

昭和21年に昭和天皇が側近に語った「独白録」の中のお言葉だが、ドラマでは科白をこう意訳した。

「私は軍国主義者に対して事実上、無力で為す術もなかった」

ナレーターは言う。

「昭和天皇の言動を追うことによって、この人道にもとる国際犯罪のリーダーがいかに罪を逃れ、その後44年間も君臨し続けたか、そしてその背景にアメリカ政府が関与した事実を暴いていく」

要するに、昭和天皇は戦争責任をすべて軍部のせいにして、逃げているというのだ。

(中略)

・・・昭和天皇のお生まれに関しても、まったく事実と異なった認識の仕方をする。
「昭和天皇の生い立ち。特殊な環境で育ったことにより、人格的に歪んだこと。また、身体的な欠陥を持ち、祖父と比べて見劣りがしたことから、自分に与えられた力に固執し、天皇の座に執着したこと。この報告が、戦争開始からマッカーサーとの関係まで、天皇の全行動の背後に潜む」

 人格的に歪み、身体的欠陥・・・どこをどう押せばこんな話が出てくるのか。

(中略)

「精神異常者の父、大正天皇の崩御に従い、裕仁が新しい時代の天皇に即位した」

この言い方も、なんと刺を含んでいることか。

「大正天皇が脳膜炎をわずらっていたことは事実ですが、精神異常とは違います」とは皇室研究科の1人。

(中略)

日中間で果てしない論争が続く南京事件に関しても、「虐殺は20万人とも30万人とも言われている」と中国のプロパガンダそのものの数字だ。さらに誇張しているのが、毒ガスの犠牲者数である。

「また天皇は国際法の禁じる、毒ガスの使用も許可していた。毒ガスによる中国人の犠牲者は270万人に上ると言われている」

これに対し、「270万人とは根拠不明の途方もない数字」とは前出の泰日大元教授だ。

(中略)

ドラマでは、昭和天皇は終戦後、戦争責任を重臣や軍部に押し付け、マッカーサーの擁護の下、生き残る。

「昭和天皇は1989年、88歳になるまで日本に君臨し続けた。その間、日本は高度成長を成し遂げ、再軍備化に余念がない」

(中略)

「昭和天皇は都合の良い時を選んで崩御した。天皇の死後、日本経済は賃貸し始めた。昭和天皇の人生はすべて偽りであり、ただの幻想だった。強い日本経済もただの幻想であり、終身雇用もただのまぼろしだった。この意味で、天皇は日本の象徴だった」

ここまで来ると、昭和天皇へのただの憎悪でしかない。

「この番組は、おそらくハーバート・ピックスの著書『昭和天皇』をベースにしているのでしょうね」というのは、京都大学の中西輝政教授である。ピックス氏はニューヨーク州立大学教授。著書は、4年前にピュリッツアー賞を受賞している。日本語版は3年前に出版されている。

「賞は獲っていますが、欧米の歴史学者や日本近代史の研究者の間では、『トンデモ本』として認識されている代物です。仮定や推測ばかりが目立ち、学問的な価値が認められません。それをベースにBBCが番組を作るのが不思議です。先般のNHKの「女性国際戦犯法廷」の番組ではありませんが、局内に偏った情報を流す人々がいるんじゃないかと疑念さえ生じます」

NHKとは違い、世界のBBCである。こんな偏向番組を放映することは、よもやあるまいと思うのだが・・・。

(引用終わります。)


 BBCの広報を通じて、見解を聞いてみた。

 「歴史番組で知られる『タイムウオッチ』という番組の中の、第2次世界大戦末期を取り上げるシリーズの一環として、ヒロヒト天皇の生涯に関しての番組を制作中です。収録が始まったばかりの段階ですので、通常のテレビの製作現場で起きているように、台本は何度も書き換えがなされます。したがって、後数ヶ月は製作が完了しないので、現時点で番組の正しい判断をすることは不可能です。BBCとしては、この番組で日本人を侮辱するつもりは全くありません。関係者の皆様方には、今年後半、番組が放映されてからご判断いただくことを切に望んでいます。」
by polimediauk | 2005-02-11 21:03 | 放送業界

対抗策

 続けて、日本新聞協会発行の「新聞研究1月号」から、廣瀬英彦さんの、欧州とアメリカにおけるフリーペーパーの記事(「若者をとらえ、都市に浸透」から、一部を紹介したい。

 欧州では日刊フリーペーパーが人気で、いわば「戦争」が起きている、ということだった。そこで、フリーペーパーの進出に対して既存の新聞はどのように対応しているのか?廣瀬氏によると、(1)排斥、(2)対抗的フリーペーパーの発刊、(3)歓迎、(4)共同経営、(5)フリーペーパーへの転換、といった動きが見られるという。

(以下、抜粋紹介です。)

第一の「排斥」は、出版労組員がフリーペーパーのパリでの印刷を拒否したり、トラックで運ばれてきたメトロや20ミニュット(注:それぞれ別のフリーペーパー)の束を路上やセーヌ川に投げ捨てたりといった、すでに触れたような妨害行為が代表的な事例になる。

これと同様の反応はメトロがアメリカに上陸した際も見られた。メトロが00年1月にフィラデルフィアに進出して地下鉄駅構内での配布件を取得したとき、地元の「フィラデルフィア・ニュースペーパーズ」など3社が「メトロへの交通局の優遇行為は違法、不公平」として、連邦地裁に対して発行差し止めの仮処分を申請した。しかし、3社の申請は通らず、メトロは無事フィラデルフィアへの進出を果たすことができた。

だがメトロは配布権と引き換えに、フィラデルフィア市交通局に対し、月額3万ドルの構内使用料、月額1万5千ドルの清掃料、毎号1ページの広告スペースの提供といった負担を求められ、新聞の内容についても「客観的かつ非党派的」「交通局の編集基準に合致」といった制約を課されている。

第2の「対抗的フリーペーパーの発刊」は、北欧版フリーペーパーの進出に対抗して、地元の新聞がみずからフリーペーパーを発行し、相手の勢力拡大を抑えるという対応である。

(中略)

第3の対応はフリーペーパーの登場をむしろ歓迎し、かえってそうした事態を利用しようとする対応である。フリーペーパー問題を国際会議でも取り上げてきた、パリに本拠を置き世界各国の72新聞団体、1万8000紙が加盟する世界新聞協会(WAN)のキルマン広報部長は、「フリーペーパーはなによりも若い、新しい読者を開拓してくれる。これらの読者が新聞を読むことに慣れてくれれば、やがては有料新聞の読者に育ってくれるという希望がある」と語る。

舞台はヨーロッパから離れるが、メトロのアメリカ上陸を契機に、主要都市の各紙がフリーペーパーを発行しあい、「タブロイド・フリーペーパー戦争」と呼ばれる状態を現出したアメリカで、「ダラス・モーニングニュース」がフリーペーパー「クイック」を創刊したのは、「クイックが読者を親新聞に導いてくれ、広告事業を活性化してくれる」が1つの狙いであったと同紙の責任者が語っている。

第4はさらに一歩を進め、既存の新聞が進出してきたフリーペーパーの経営に参加するという洗濯である。スペインの東部で地方紙を発行する「エディシオネス・プリメーラ・デ・アリカンテ」は、メトロと共同で「メトロ・パレンシア・オイ」と「メトロ・アリカンテ・オイ」を創刊した。国際・全国報道はメトロが、地方ニュースはスペイン側が受け持ち、広告収入は折半する。

(中略)

最後に第5は既存の新聞自体がフリーペーパーに移行してしまうという動きである。ヨーロッパではまだ具体的な事例はないが、アメリカでは、「サンフランスシスコ・エグザミナー」が03年3月にフリーペーパーに転換し、ジョージア州アレクサンドリアの「ジャーナル・ニュースペーパー」が傘下の地域判を順次フリーペーパーに移行させている。こうした動きの背景には、「USAトゥデー」のメディア・アナリストが「アメリカには、将来は購読収入が意味をもたなくなうという考えが現れ始めた」と語ったような意識の変化が生じ始めているように見える。
(引用終わり)
by polimediauk | 2005-02-08 18:09 | 新聞業界