小林恭子の英国メディア・ウオッチ ukmedia.exblog.jp

英国や欧州のメディア事情、政治・経済・社会の記事を書いています。新刊「英国公文書の世界史 一次資料の宝石箱」(中公新書ラクレ)には面白エピソードが一杯です。本のフェイスブック・ページは:https://www.facebook.com/eikokukobunsho/ 


by polimediauk
プロフィールを見る
画像一覧

<   2005年 05月 ( 16 )   > この月の画像一覧

紙面がそのまま読める


新聞の工夫

c0016826_7475496.jpg 新聞社がオンラインサイトを作るのは当たり前のことになっているが、ただニュースを流すだけでなく、新聞紙面がそのままの形でサイトの画面上で読める、というサービスを開始しているところもある。

 日本では始めたところはあるのだろうか?例えばイギリスやオランダでも、こうしたサービスがある。一定の購読料を払うと読める、という仕組みだ。前に、アメリカの週刊誌ビジネス・ウイークがやっているのを見たことあったので、こうした動きはアメリカのほうが進んでいるかもしれない。

 とりあえず、どんな風になっているのかを見ていただきたい。

英ガーディアン
http://digital.guardian.co.uk/demo/

英ファイナンシャル・タイムズ
http://specials.ft.com/vtf_pdf/240505_FRONT1_LON.pdf
〔定期購読者向けに、PDFで配布〕

オランダ・デ・テレグラーフ
http://telegraaf-i.telegraaf.nl/daily/2005/5/24/TE/TE_2S_20050524_1/pagina.php

ガーディアンとテレグラーフは同様のことをしているようだが、上の例では一番実際の使用感が分かるのがテレグラーフだったので、ご参考までに。オランダ語が分からなくても、やろうとしていることが、分かるようになっている。

 あの手この手で読者をつかむ・・・そんな努力の一環だろうか。サイト上で新聞紙面そのものがきれいに出るのを見るのは、どことなく楽しい。

 ガーディアンの場合、今月上旬の総選挙時には、選挙結果の解説を政治部長が録音したものを流したり、ブレア首相の勝利宣言のスピーチ(BBCから借りた画像)などもサイトから見ることができた。段々、「新聞=紙」という定義から外れた存在になっているようだ。

 また、先週オランダに行ってきたが、駅の構内にいると、無料新聞のメトロと、これに対抗するスピッツという同様の無料新聞が、スタンドに置かれていた。駅の出口でも、それぞれの新聞を手に持つ販売員が、通勤客に手渡す光景を目にした。

 自宅購読率の高い日本では、こうしたことをしなくてもいいのかもしれないが、新聞競争の現場を垣間見たように思った。

〔追記)日本の新聞、他

kockoさん、ありがとうございました。産経は紙面がそのまままでも、一ヶ月2100円とは、紙の新聞料金よりも安いようですね。海外にいると日本の新聞〔紙)はとても高くて手が出ませんでしたが〔最も安い大手新聞でも月に約7000円)、これくらいの値段ですと、買おうかなと思いますね。デジタル版ガーディアンは、日曜版のオブザーバー紙を含んだ値段で日本円で約2000円、月曜から土曜のガーディアンのみだと1800円ほどでした。

オンラインで、無料で、過去の記事も含めてほとんど無料で読めるのは、イギリスの大手新聞ではガーディアン、デイリーテレグラフなどでしょうか。タイムズやインディペンデントは一定期間を過ぎると記事を一本毎に買うシステムになります。

フィナンシャルタイムズは定期購読料が月に約4800円に加え、過去の記事をオンラインで読む契約に年に約1万円、さらに他社の記事やPDF判などを見たい場合は月に2600円ほどかかります。高いです。

それでも、過去記事が無料でオンラインで読めるガーディアン、オンライン購読料を払わないとたくさんの記事が読めないようになっているファイナンシャル・タイムズのどちらも、英国内よりも海外からの購読者が圧倒的に多く、大人気となっているようです。英語という言語を使っているために、海外からの購読者がとれる、というのは、強みかもしれません。
by polimediauk | 2005-05-25 07:46 | 新聞業界

ジョーク?

 米軍管理下に置かれているフセイン・元イラク大統領の下着姿の写真が20日付けの英タブロイド紙「サン」で公開され、アラブ諸国で反米感情が高まっていると言う。英タイムズ紙21日付は、元大統領の弁護団が米政府とサン紙を訴える、としている。

 サンはどんな言い訳をしているのか?

 その前に、若干の流れを見てみたい。それぞれ、21日付の日本のメディア報道から。

フセイン下着姿写真の流出、アラブ社会に対米不信感 〔読売新聞オンライン〕
 【カイロ】英大衆紙「サン」がイラク元大統領サダム・フセインの下着姿などの写真を掲載した問題で、イラク国内をはじめアラブ世界は、一部欧米メディアの報道姿勢に困惑と怒りを示すと共に、問題の写真を提供したのが米軍関係者であったことで、対米不信感を強めている。

 「倫理的、職業的理由から、この写真は放映しません」。カタールの衛星テレビ「アル・ジャジーラ」のアナウンサーは21日、サン紙の写真掲載を報じるニュースで視聴者にこう説明した。

 同テレビは、アブグレイブ刑務所での米軍によるイラク人被収容者に対する虐待写真については繰り返し放映した。しかし、広報担当者はAP通信に対し、今回のフセイン写真について「イラク人の品位を傷つけるもの」と述べ、サン紙報道への不快感をあらわにした。

 イラク国内の反応もおおむね同様だ。バグダッドの飲食店経営カジム・ジャワドさん(33)(イスラム教シーア派)は「なんでこんな写真を掲載するのか。テロリストをわざと刺激し、内戦を引き起こす狙いとしか思えない」と述べ、米軍への不信をぶちまけた。

留飲下げる人、「米策略」説も=イラク元大統領の獄中写真-バグダッド 〔時事通信〕

 【カイロ】英大衆紙サンが掲載した獄中のサダム・フセイン元イラク大統領の写真は、同国(注=イラクのこと)でも大いに話題となった。首都バグダッドでは、かつての独裁者のみじめな姿に留飲を下げる人がいる一方、米国の策略とみる人もいる。

 フセイン政権時代に投獄されたことのあるタクシー運転手、アブアリさん(50)は、元大統領の下着姿や洗濯をしている写真について、「自分も獄中で服を洗い、あまりに暑いので下着姿になったりした。今、わたしを刑務所に入れた男が同じことをしている。いい気味だ」と話した。

 バグダッド大学のハシェム・ハサン教授(メディア論)は、これらの写真が米国防総省の承認を得ずに流出するはずがないと指摘した上で、「米国の目的は、元大統領を英雄とみる支持者のフセイン像を覆すことにある」と解説した。

 一方、写真の中で元大統領がはいていたタイプの下着が今後、「サダム」と呼ばれることになったという冗談も出回っているという。

損害賠償1億円求め提訴か=下着写真掲載でフセイン元大統領 〈時事〉

 【ロンドン】21日付のタイムズ紙など英国の複数のメディアは、下着姿の写真が英大衆紙サンに掲載されたイラクのフセイン元大統領が同紙を相手取り、100万ドル(約1億0800万円)の損害賠償を求める訴訟を起こすと報じた。

 タイムズによると、フセイン元大統領の弁護士は「サンの写真掲載は(戦争捕虜のプライバシー保護を規定した)ジュネーブ条約に違反する」と主張。サンに加え、元大統領をイラク国内の施設に収容している米政府も訴えることを決めたと述べた。 

一方、別の弁護士は英大衆紙デーリー・メールに対し、訴訟はサンの発行地である英国で計画されていることを明らかにした。


〈記事貼り付け終わり〉

 サン側の言い分だが、タイムズ紙によると、サンのマネジング・エディターのグラハム・ダッドマン氏のコメントで、「写真はすばらしい、アイコンにもなるような種類のもので、もしその場にいたらどんな新聞も、雑誌も、テレビ局も外に出すことをしないでいられるのか、と聞きたい。この男は少なくとも30万人を殺している。誰かが写真を撮ったからといって、可愛そうだと思うべきだろうか?〈収容所で〉虐待されているわけでもなく、ズボンを洗っているだけだ。現在のアドルフ・ヒットラーなんだ。可愛そうに思うべきだ、なんていわないで欲しい」。

 タブロイド紙独特の、「懲罰主義」(裁判官などに代わって、「悪者」を懲らしめるという考え方。人々の感情論に訴えかけ、行為を正当化する)が良く出ているコメントだと思った。新聞・メディアが、誰をどう罰するかを決める、というのは、怖い話ではないだろうか?

 個人的には、「そっくりさん」がポーズをとったようで(有名人をテーマにしたそういう写真本が既に出ている)、紙面に載った写真を見たときに、驚きと共に若干のユーモアの意味合いも〈不謹慎かもしれないが)感じた。、サンとしては、人々の度肝を抜きたい、スクープを載せたい、発行部数を(さらに)伸ばしたいというのが本音であって、ジャーナリズムの追求、モラル、人権保護などは全く眼中にないのが分かる。こういう言い方はアラブ・中東の人からすれば残酷かもしれないが、サンとしては、一種のジョークとして、楽しんでこういう写真を載せているふしがある。〈例えば、東スポの見出しなどのノリである。)

 サンによると、写真は、フセイン元大統領を支持するイラク人達による暴動を和らげることを願う米軍関係者から入手した、という。

 「サダム・フセインはスーパーマンではなく、神様でもない。老化する、みすぼらしい男なのだ。イラクの人々がフセインをこのように見るようになること、神話を打ち砕くことが重要だ」と関係者はサンに語ったという。「これで、もしかしたら、まだフセインを支持する狂信者達のパッションを少しはなくすることができるかもしれない。もう終わったんだ。フセインのバース党が支配した邪悪な日々は絶対に戻ってこないー写真がその証拠だ」。

 21日付のサン紙は、さらに同様の写真を掲載。フセイン元大統領が祈っているような写真もあった。

 弁護団の訴訟が実を結ぶ可能性は低い、というのがタイムズ紙にインタビューされた法律関係者の結論だ。写真掲載はジュネーブ条約の違反と言う点までは言えるものの、まず訴訟を実行するだけのお金をフセイン元大統領があるのかどうか、という点がある。また、サンが、これまでプライバシー侵害を訴えられると反論として使ってきた、「写真を公開することは、公的利益にかなうものだった」とする説明が、たとえ裁判沙汰になっとしても、有利になる可能性もある。モーリス・メンデルソン氏という弁護士は、タイムズ紙に対し、ジュネーブ条約の下であっても、拘束された戦争捕虜が国家を訴える権利はない、としている。
by polimediauk | 2005-05-23 01:24 | 新聞業界
 オンライン新聞日刊ベリタのもう1つの無料記事で、マレーシアの新聞業界の話が出ている。

 これを読むと、日本の新聞業界はアジア型なのかな、と思ったりする。

(以下、貼り付けです。)

2005年05月19日掲載
今なお「新聞王国」のマレーシア 部数、広告収入とも絶好調

 【クアラルンプール19日=和田等】インターネットの普及や電波媒体の人気に押されて世界的に新聞離れが加速しているが、マレーシアではまだまだ新聞が「元気」だ。多民族・多mな言語国ゆえ、新聞売りスタンドや雑貨店の店頭に並ぶ新聞もマレー語、英語、中国語、タミール語と多彩だが、本紙とは別に特集、地域情報やイベント情報、経済情報、文化・芸能情報を専門に載せた別刷りのセットを折り込んで、総ページ数が100~150ページに達する新聞もある。 
 
 カラー印刷もふんだんに使い、まるで雑誌並み。これで1.2リンギット(35円弱)前後だから実に「お得な情報源」だ。新聞1部の値段は缶ジュース1本よりやや安い。これだけ新聞が充実していることもあってマレーシアでは雑誌を読んでいる人をほとんど見かけないといってもいいほど。 
 
 新聞がこうした「豪華絢爛さ」を保てるのも購読部数と広告収入が堅調さを保っているからだ。調査会社ACニールセンがさきごろ発表したメディア指数調査によれば、マレーシアの主要紙は軒並み購読部数を増やすか、悪くてもほぼ現状を維持している。 
 
 たとえば、2004年1~12月期の平均購読部数を2003年10月~04年9月期の平均購読部数と比較してみると、マレー語紙の「ハリアン・メトロ」は4.9%増の121万8000部、同「ベリタ・ハリアン」が1.2%増の147万3000部、マレー語紙トップの「ウトゥサン・マレーシア」が微増ながら0.3%増の151万部と、それぞれ購読部数増を達成。 
 
 英字紙では、トップの「ザ・スター」が6.1%増の110万9000部、「マレー・メール」が23.4%増の13万2000部、無料英字紙の「サン」が4.8%増の17万3000部、政府系の老舗英字紙「ニュー・ストレーツ・タイムズ」は0.3%マイナスの32万2000部となったものの、日曜版の「ニュー・サンデー・タイムズ」は7.4%増の30万3000部となり、それぞれ部数を伸ばした。 
 
 華字紙をみると、トップの「星洲日報」が0.9%増の110万9000部、「中国報」が1.5%増の74万1000部と、ともに部数増を達成。タミール字紙では、「ナンバン」が2%増の24万7000部、「タミール・ネサン」が2.9%増の14万4000部と、こちらも部数を伸ばしている。 
 
 ちなみに、マレーシア(総人口2570万人)の民族別人口構成比はマレー人が60%強、華人が25%、インド人が7%で、残りはその他の民族となっている。 
 
▽広告費の大半占める新聞 
 
 広告収入の面でも新聞は好調だ。ニールセン・メディア・リサーチ・マレーシアによれば、2004年に活字媒体や電波媒体などに対する広告支出の総額は2003年比で17%増となる44億リンギット強(1230億円強)に達した。広告支出総額が2桁の伸びを記録したのは2000年以降では初めて。なお、この広告支出には、有料テレビ局「アストロ」やウェブサイトなど「新興メディア」に対する広告支出は含まれていない。 
 
 04年の広告支出のうち、最大の支出先となったのが新聞で全体の60.5%を占めた。新聞に対する広告支出は前年比でも13%伸びた。次いでテレビの構成比が29.4%、ラジオが3.8%、雑誌が3.7%となっている。 
 
 マレーシアで「旧来型メディア」の中で新聞が「強さ」を保っている一因として、これまで政府系2局、民放2局とテレビ局の数が少なく情報の選択肢が限られていることをあげる向きもあったが、昨年には民放テレビ局2局が新規参入。今後、新聞の広告シェアを食っていく恐れも出てきた。実際、04年のテレビに対する広告支出は、新聞の伸び(13%)を大きく上回る前年比30%増を記録した。また、テレビの多様化によって新聞離れが始まる可能性もある。 
 
 しかし、広告収入の面では今のところ新聞は安泰だ。前年同期比5%増となった今年第1四半期の広告支出においても、新聞はシェア62%をキープ、テレビは28%、ラジオが4%、雑誌が4%、その他が2%と、昨年の状況と大きな変動はない。 


(引用・貼り付け終わりです。)
by polimediauk | 2005-05-23 00:14 | 新聞業界
 オンライン新聞日刊ベリタ(www.nikkanberita.com)に、無料記事としていくつかメディア関係の記事が載っていたので、紹介してみたい。

 1つめはライブドア。ライブドアに関しては様々なことが書かれ、現在でも日本では継続して報道が続いていることだろう。

 日本の外にいると、細かいニュアンスまではよく分からないが、「どうしてライブドアが国民的議論になるのか?」「どうしてこれほどまでに熱が入った議論になっているのか?」に興味が湧いた。

 「お金でなんでも買おうとする」「メディアの公共性への不理解」ということでライブドアを批判すれば、では既存のメディアはどうなのか、あるいは海外に進出している日本企業の一部が「お金を盾に」という目で見られている部分はどうしたらいいのか、市場原理主義・マーケットエコノミーを日本は信奉しているのではなかったか?などの疑問につながる。また、大きくなったとはいえ(読者は200-300万人?)、ネット・ポータルとしてのライブドアにはコンピューターの電源を入れてアクセスする作業があってはじめて、つながるので、テレビやラジオほどには影響力があるとは思えず、どうして無視できない存在になるのかなと思ったりもした。既存メディアを買収したとはいっても、日本にはたくさんのチャンネルがある。つまらないチャンネルは淘汰されるのではないか?

 ベリタの記事で永井浩さんが書いているように、新しいところ、注目すべきところは、やはりネットと放送の融合ではないか、と思っている。

 ライブドアの存在で日本がこれほど大きく揺れるようだと、欧州で人気の「フリーペーパー」(既存の新聞の内容を若干簡素にした無料新聞。通勤客を中心に大人気)が、もし日本に到来したら、一体どうなることか、と思う。おそらく、到来することはないだろうが・・・。既存の新聞のライバルになるようなメディア、新聞市場を直接侵食するようなライバル新聞の存在を、既存新聞社側が許すはずがない。

〔以下は貼り付けです。)

【コラム】「海老沢ホリエモン」考 市民を置き去りにしたメディア再編論議 〔5月19日)

 16日公示の今年の長者番付(04年分高額納税者)で、ニッポン放送株をめぐり数百億円を動かしたホリエモンことライブドア社長、堀江貴文さんの納税額が意外と少ないことが話題になった。フジテレビを巻き込んだ攻防劇はひとまず幕を下ろしたかに見えるが、まだ波乱が予想される。今後の展開によって、彼の来年の番付ランクがどう変動するかはさておき、久しぶりに「時の人」がメディアに登場した機会に、ホリエモン騒動とは何だったのかをあらためて振り返ってみるのも無駄ではあるまい。(ベリタ通信=永井浩) 
 
 桜の開花が待ち遠しくおもわれる一夜、私は東京の湯島天満宮に、柳家小はん師匠の落語独演会を聴きに行った。出し物はふたつ、いずれも江戸を舞台にした古典で、がまの油売りと富くじを題材にしたものだった。前者には、海老沢ホリエモンなる怪しげな人物が登場する。NHKの海老沢勝二前会長とライブドアの堀江貴文社長をもじった創作で、原作では別名にちがいない。 
 
ライブドアとフジテレビの攻防はこんなところにも影を落としているんだな、とニヤニヤして聴いていると、富くじの噺でも師匠はこれを枕にふった。堀江社長が「この世にカネで買えないものはない」とうそぶいてひんしゅくを買っていることにふれ、「では、1億円の小切手を受け取った元首相は?」とチクリ。そして、1億円はおろかライブドアとフジテレビ、ニッポン放送の攻防でとりざたされる数百億円の世界とは無縁の庶民が、それでも一攫千金を夢見てくりひろげるドタバタ騒ぎへと、江戸時代の富くじを題材に面白おかしく噺を進めていく。 
 
▼拝金主義はホリエモンだけか? 
 
 堀江社長の評価は、さまざまな調査で「支持」と「不支持」がほぼ拮抗している。「不支持」の理由は、「この世にカネで‥‥」にみられるような言動が反発をまねいているようだ。たしかにこの言葉はいただけないが、ではそれを批判するならホリエモン以外にだって当てはまるのではないのか、というのが小はん師匠のチクリなのである。 
 
 政府・自民党のエライ政治家たちには堀江氏への風当たりが強いようだが、では札束で政治を左右しようとする金権政治はどうなのか。橋本派の1億円献金問題は氷山の一角にすぎない。あるいは、日本の国連安保理常任理国入りに対してアジア諸国が積極的な支持を表明しないのはなぜなのだろう。これらの国々から見ると、日本政府は国際的な地位や名誉をカネで買えると思い込んでいて、金銭的な力では買えないもっと大切なものに価値を置こうとしない、と映っているからなのではないだろうか。 
 
 たとえば、今年は1965年の日韓国交正常化から40周年にあたり、韓国側では日韓条約などをめぐる見直しの動きがみられるという。多くの韓国国民にとっていまだに釈然としないのは、韓国側が国交の前提として強く求めつづけてきた日本の植民地支配への謝罪を日本側が最後まで認めず、経済協力で決着を図ろうとしたことである。韓国をふくむアジア各国の元従軍慰安婦たちの多くは日本政府に、「金銭的な償いはいらない。欲しいのは、日本政府からの謝罪のひと言なのだ」と訴えつづけているが、日本政府は聞く耳をもとうとしない。 
 
▼「メディアの公共性」の正体 
 
 ライブドアへのもうひとつの批判は、メディア戦略がはっきり示されていないというものだ。カネにまかせて既存の大手メディアを買収することだけに急では、ジャーナリズムの基本精神が失われかねない、というのだ。そこでライブドアの攻勢への防御としてフジテレビ、ニッポン放送陣営がもちだしたのが、「メディアの公共性」である。 
 
 たしかに堀江社長の発言には、メディアの社会的役割やジャーナリズムへの理解が不十分な点があることは否定できない。しかし、これまで「面白くなければテレビじゃない」と言ってきたフジテレビはじめ、視聴率競争を最優先してきた大手テレビが、にわかに「メディアの公共性」をふりかざしてもピンとこない。「皆さまのNHK」を看板にしてきた公共放送が、じつは海老沢会長のもとでは永田町の目を気にしながら番組制作してきたことも、戦時性暴力をテーマに元慰安婦らの証言を取り上げた番組が改変されたことで明らかになった。 
 
 だから、ライブドアもNHKも民放も政治家も同じ穴のムジナ、いや「海老沢ホリエモン」なのだというのではない。問題は、ライブドア旋風がなぜこれほど大きな話題となるのかである。米国流のマネーゲーム、堀江社長のキャラクター、新旧世代の対立と時代の閉塞感など、さまざまな要因があげられるが、見落としてはならないのは、この騒ぎがメディアの再編という大きな時代のうねりの一環だという事実である。 
 
▼放送と通信の融合時代の幕開けだが‥ 
 
 ライブドアがめざしているのは、インターネットと放送の融合、つまり通信と放送の融合である。これまで電波は国民の希少な公共財とされ、テレビ局は放送法と電波法に守られて放送免許を割り当てられてきた。これによって報道、ドラマ、バラエティー、音楽などのコンテンツ(番組)を独占的に電波によって流すことができ、それがテレビ局の高収益を支えてきた。だが、デジタル化が進み、インターネットという新しいメディアの台頭によって、放送局を通じなくてもインターネットで番組を見ることができるような時代になりつつある。これはテレビ局の既得権をおびやかすものだから彼らがはげしく抵抗するのは当然だし、いっぽう通信会社はメディアに参加して魅力あるコンテンツを獲得することで顧客の増加をめざそうとする。 
 
 このような通信と放送の融合が今後どのように展開し、わたしたちの情報空間をどのように変えていくのかはまだわからない。新しいメディア時代は始まったばかりであり、日本でその時代の扉をやや乱暴なかたちでこじ開けようとしたのがライブドアの堀江社長なのであろう。 
 
 だが、どのようなメディア環境になろうと変わらない事実がある。いかなるメディアも視聴者や読者の支持なしには生き残れない、ということである。 
 
 テレビが登場したときは、活字メディアの衰退が懸念されたが新聞、雑誌などの役割はいぜんとして無視できない。テレビには太刀打ちできない力を発揮できることを、わたしたちが理解しているからだ。インターネットについても同じことが言えよう。インターネットが普及したからといって、テレビがそれにとって代わられることはありえないであろう。メディアがさらに多様化しただけであり、それぞれのメディアがその特長をいかした相互補完関係が進むことが望ましい。 
 
 そしてテレビ局が生き残ろうと、インターネットで多くの番組が流されるようになろうと、私は小はん師匠の噺はやはり寄席や独演会まで足を運んで楽しむであろう。落語はまわりの客といっしょに笑い転げながら聴くのが最高だと思うからである。オペラファンなら、テレビやインターネットで飽き足らないと思えば、多少高いカネを払ってでも生の舞台を観賞しに行くだろう。 
 
 ライブドアとフジテレビの攻防をめぐりメディア再編論議も交わされたが、その多くは技術論が中心で、メディアの主役はあくまでわれわれ読者、視聴者であるという視点が希薄だったようにおもわれる。やがて始まるであろう攻防劇の第二幕は、市民の役割も加えた展開であってほしい。 (本文は、『財形福祉』(財形福祉協会発行)の5月号に掲載されたコラムを一部手直ししたものです) 


〔引用・貼り付け終わり)
by polimediauk | 2005-05-22 16:14 | 日本関連

鯨の話

 朝食を食べながら新聞をめくっていたら、タイムズ17日付のコメント欄に、東京特派員(支局長かもしれない)リチャード・ロイド・パリーRichard Lloyd Parry氏のコラムを見つけた。

 軽いエッセー風のコラムだが、最初は表参道の話から始まり、いかに日本人がペットに異常な愛情を抱いているかについて書いてある。最後の三分の一が、鯨肉の話になる。

 何故、今、鯨の話?

 私は、これだけでこのコラムを読む気力を失った。

 日本は鯨肉を食べる野蛮な国民というイメージ・認識が欧州、少なくとも英国にはある。「野蛮な」という言葉がきつければ、「絶滅に瀕している鯨肉を食べる国」という認識がされている。

 読む気力を失ったのは、結論が最初から見えるように思ったからで、それは、「結局は日本は奇妙な国」という、あまりにも陳腐なメッセージに行き着くだけで、退屈だと思ったのだ。

  今回の記事に関わらず、日本に関する英国の報道を読んでいると、やや偏った感じの印象を時々持つものの、一つ一つは決して嘘ではなく、むしろ、特派員が誠実に取材して書いたもの、報道したものも多く、特にめくじらをたてることは、ない。しかし、私の見た限り、タイムズ紙は時々、あれ?と思うような記事を載せることがある。

 ・・・といって、新聞社側に抗議しても、リチャード・ロイド・パリー記者に問い合わせをしても、始まらない。エッセーには好きなことが書けるし、嘘を書いているわけではないからだ。また、編集長、デスクが、こういった記事を欲しがる、という面がかなりある可能性もある。

 しかし、日本=鯨という発想がアナクロ的で、退屈だとは思ったが、実際に最後まで読んでみると、これはこれでユーモアもあり、笑ってしまった。

 下の訳を読まれた方は、どう受け取られるであろうか?

(以下は、鯨肉の個所の和訳です。)

「12年前、私の初期の訪日の頃、鯨を初めて食べるという経験をした。レストランは新宿にあって、夜が更けるにつれて、鯨のステーキ、鯨の脂肪、鯨のペニスまで食べた。体のサイズと比較すると、全てのほかの動物と比べても鯨は男性器が小さいが、それでも十分に食べる量があった。鯨のペニスは薄切りにされており、生で出された。なかなか噛み切れず、味がなかった。

 もう2度と鯨肉を食べることはないだろう。鯨が、すばらしく知的な、絶滅に瀕した動物であるからではない。市場で購入する鯨肉とされるもののサンプルに関する科学者のレポートを読んだからだ。レポートは、保護されるべき鯨の肉が非合法に販売されているばかりか、鯨肉と称されるものが実は鯨の肉ではないのだった。いるかの肉だったり、馬の肉だったりするのだ。(注:英国では馬の肉は食べない。日本は馬肉を食べる国、とされている。評判はこの点では良くない。)

 鯨肉のレストランで食べたものを思い出した。馬肉のステーキ?大丈夫だ。馬の脂肪?ちょっといやだ。しかし、薄生の、噛みにくい・・・(馬のペニス?)。
 
 一日中、(注:もし食べたのが馬の肉だったら?という)遠いノイズに悩まされた。このノイズが消えない。」

(終わり)
by polimediauk | 2005-05-17 17:25 | 日本関連

原点

 前に、英外務省・国防省が日本の報道機関2社をイラクに招いて、英軍の従軍記者として報道をする機会を作ったことを、書いた。

 http://ukmedia.exblog.jp/m2005-02-01/#862492

 読売新聞と共同の記者が派遣され、日々の紙面に報道記事が出たが、二人はその後、日本新聞協会の雑誌「新聞研究5月号」に記事を寄稿している。

 2つの記事を読んで、新聞記者の原点のようなものを感じ、ぞくっとするほど、感動した。

 規模の大小に関係なく、どこのメディアで働いても、働く人(記者、ジャーナリスト)は一人一人がそれぞれに考えながら生き、仕事をしているし、記者は、個人のレベルでは1人の読者でもある。

 共同通信の鹿野修三さんと読売新聞の飯塚恵子さんの記事は、実際に目にした光景をつづりながら、記者=個人の視点、日本政府や従軍記者として面倒を見てもらった英軍に対する批判などが鋭く、どこかで5月号を手にする機会があれば、是非読んでいただきたい。(ネット上では中を見れないので、いつか入力してここに載せたいが・・・。)
by polimediauk | 2005-05-16 23:18 | 日本関連
宣伝費をもらっているわけではないのだが、韓国で市民記者ブームを作り出したといわれる、オーマイニュースの本が出版されている。ご参考までに。

http://www.bk1.co.jp/product/02539958/?partnerid=02ohta01

c0016826_22355263.jpgオーマイニュースの挑戦
呉 連鎬著
大畑 竜次訳
大畑 正姫訳
大田出版社より

■内容説明
「市民参加型インターネット新聞」の稀有な成功例として世界的に知られる韓国のニュースサイト『オーマイニュース』。その誕生から現在にいたる5年間の格闘の記録。「市民みんなが記者」はどのようにして実現したか?


■著者紹介
〈呉連鎬〉1964年韓国生まれ。延世大学国文科卒業後、米リージェント大学でジャーナリズムを学ぶ、韓国の月刊誌『マル』記者。インターネット新聞『オーマイニュース』代
by polimediauk | 2005-05-16 22:39 | ネット業界

過去と向き合う態度

 日本の歴史教科書がきっかけとなって、中国や韓国で反日運動が起き、日本が戦時中の行為に関して謝罪をすべきだという声が再度上がった。日本側からは、「もうすでに謝罪済み」「中国、韓国側の事実認識そのものが間違っている」など、様々な議論が出た。両者共に平行線になってしまったなあ、と思って、流れを追っていた。

 一体、ドイツはどうしたのか?「今」のドイツで一般に認識されている考え方、社会の価値観を知りたい・・と思っていたら、ドイツの日刊紙Der Tagesspiegel紙の論説委員クレメンツ・ウエルギンClements Wergin氏の記事が、5月10日号のフィナンシャル・タイムズに載っていた。

 「歴史と付き合うための、ドイツから日本への教訓」 German lessons for Japan in dealing with historyと題する記事だ。フィナンシャル・タイムズは親欧州で、時々、欧州からの論客の記事も論説面に掲載される。

 日本、中国、韓国間で、どの歴史解釈が正しいのかを、正確に判断するのは歴史家でもないと難しい。ただ、「歴史に対する態度」なら、「過去に十分に向き合ってこなかった日本」という批判は、あたっていると思わざるを得ない。

 ナチドイツの行為と日本の戦時中の行為をイコールにして見るのはおかしい、という指摘も、ドイツ人ならではの視点だと思った。最後が建設的な話になって、心が救われる思いがした。

 (以下は大体の訳です。)

 
「今週、〔対独戦勝記念式典が開催されるので〕ドイツの残虐行為の記憶を扱った記事が、再び世界中のメディアに出た。

 過去は消えていなかったードイツ人にとっても、近隣諸国にとってもーこれが、ドイツ人の大部分が認めることになった事実だ。おそらく、中国全土で反日デモが起き、東アジアの攻撃の歴史をうまく受け入れることができないでいる日本の失敗に対する不満という形で、今年歴史がよみがえってきたことに、日本も驚いてはいけないのだろう。

 韓国人や中国人の一部は、歴史の取り扱い方に関して、日本はドイツを見習うべきだ、という。これは、日本の戦時の行為をドイツのナチの行為のレベルにまで上げさせることになり、やや不公平だ。しかし、何故日本が、ドイツがそうしたように、歴史と向き合ってこなかったのかを問いかけるのは理にかなっている。特に、東アジアの諸国が新たな地域統合の枠組み作りを考えているならば、日本がドイツの経験から学べることことは多いかもしれない。

 丁度中国で反日運動が高まっていた時に、私は日本を訪問した。与党自民党の政治家から、ドイツの経験に関する奇妙なコメントを耳にした。割と若い議員は、ドイツにとっては、過去の歴史を処理することが簡単だったろう、と言った。「何でもヒットラーが悪かった、ということにしておけばいいのだから。日本は、アメリカ人がそう望んだために、天皇制を維持しなけれならなかった(だから、過去の清算は難しかった)」。

 また、町村外相は、ドイツ人はヒットラーをスケープゴートに使った、と言った。「まるでナチはドイツ人ではなかったかのように話して、何でもナチのせいにした」。

 実際は、逆だった。

 ドイツ社会の中で、戦後間もなくは、少数のナチドイツに加わった人たちが戦争犯罪に手を染めたとする考え方があった。1968年の学生ストの頃からこうした考え方は崩壊しだした。学生たちは、ドイツが戦争犯罪での責任を明確にすることを望んだからだ。

 それから40年間、国民の間で熱狂的な議論が起きて、社会の大部分がナチドイツの犯罪の共犯者であったことに、ドイツ人は直面せざるを得なくなった。歴史はドイツの熱狂的トピックとなった。

 過去のことばかりが話題に上る、と考えるドイツ人は多いが、ドイツ人の残虐行為を記憶に残すには、後悔や良心の呵責を持ち続けることが正しいやり方だ、とする考え方が広く社会の中で受け止められている。ドイツのケーラー大統領が「私達には、こうした苦しみを覚えておく責任がある、過去に関する議論に終わりは無い」と述べている。

 過去を思い出し、現在の問題として考えようという社会のコンセンサスが、日本にはないようだ。

 近年、日本の歴史の教科書の中には、南京の大虐殺での戦争犯罪を省略するようなものも出てきた。日本の歴史に対する態度に関する本を書いた、ドイツの歴史家スベン・サーラー氏によると、日本の教科書が、戦争中の行為を以前より批判的に書くようになったのは、1980年代から1990年代の最初の頃だ。この傾向は、今は逆になったようだ。

 日本が何故ドイツとは違うアプローチをするようになったのかには、いろいろな理由がある。一つには、アメリカの指示の下、天皇制を維持することになったこと。これで、戦時中の行為を批判することが難しくなった。

 また、日本への原子爆弾の投下もある。広島と長崎へでの大きな被害のために、日本人は自分たちが戦争の加害者でなく被害者であると思うようになった。

 多くの日本人は、中国人や韓国人の政治家達は、自分たちの政治的目的のために、反日感情を使っている、という。一理ある。しかし、だからといって、日本が過去とどのように向き合ってきたかに関して、不満を言う理由がない、とはいえない。

 歴史を否定するのは国家のプライドに関わる、と思っている保守派のグループが日本にいる。靖国神社を訪問する小泉首相もそうだ。多くの保守派の人たちは、日本の歴史を批判的に見ることは、日本を国際的、対外的に弱くする、と思っている。ドイツの例をみると、こうした懸念は一部あたっている。多くのドイツ人は、ドイツ人であることを何か肯定的なものとしてみることを難しいと感じているからだ。

 一方では、繰り返し過去の歴史を議論してきたおかげで、社会が強くなったという部分もある。ドイツが「普通の国」になるには、必要なプロセスだった。文明国家の仲間として再度認められるには必要な作業だった。

 過去の償いは、ドイツの近隣諸国が、東西を分けた鉄のカーテンがなくなった後に東西ドイツが統一するための、条件でもあった。現在、日本同様に、ドイツは経済力をばねに、政治的影響力を世界で行使しようとしているし、国連安全保障理事会の常任理事国にもなろうとしている。かつて敵国だったフランスや英国がドイツの常任理事国入りに賛成し、かつての同盟国だったイタリアが反対しているのを見ると、戦後、いかに物事が変わったかと思う。

 こうして、政治の世界でも、過去と向き合うという痛みを伴った努力が実を結んでいる。確かに、謝罪は、片一方だけがして成立するものではない。謝罪を受け止める側にも良い態度が必要だ。この点からは、欧州がドイツに対してとった態度を考えると、東アジア諸国の日本に対する態度ははるかに厳しい。

 欧州では、ある合意がある。それは、ドイツが自ら後悔の念を繰り返す限り、近隣諸国は、過去の歴史を政治的道具としてドイツに対しては使わない、というものだ。この点は、中国や韓国も、欧州から学ぶことがありそうだ。

 しかし、アジア地域のねじれた関係を変えていくのは、日本の動きにかかっている。日本はこれまで数十億ドルの資金を東アジアに投資し、経済の活況をになってきた。政治的投資をする時期にきているのかもしれない。

 将来的に近隣諸国からの信頼を得るために、日本は、おそらく、もっと徹底した過去の実態調査をするべきだろう。

by polimediauk | 2005-05-14 07:40 | 日本関連

BBC職員がストを予定


大規模削減の理由

 3000人-4000人の職員の削減計画に抗議するため、BBC職員が5月23日に24時間スト、5月31日からは48時間ストを計画している。どの番組がどの程度の影響を受けるのかはまだ明らかになっていない(12日時点)が、例年5月末に開催され、人気があるチェルシー・フラワーショーの放映、朝のニュース番組、ランチタイムのビジネス番組などに大きな影響がある、と見られているという。(BBCオンラインによる。)

 こうしたストが起きるきっかけとなった削減計画は、BBCの新社長マーク・トンプソン氏が昨年の12月、発表した。今後3年間で全職員の1割に当たる約3000人の職員を削減する、というもの。(BBCの職員は現在約2万7000人。)

 BBCは、2003年、イラク戦争を巡る政府情報操作疑惑(実は、「疑惑」ではなく、イラクの大量破壊兵器の脅威を誇張していた、という部分は事実だったのだが)を発端に、厳しい時期が続いた。「政府はイラクの脅威を誇張していた」としたBBCの報道の匿名の情報源となった元国防省顧問が自殺し、この自殺の原因を解明するために発足されたハットン独立調査委員会が、2004年2月、「BBCの報道には根拠なし」「誇張はなかった」としたため、責任を取って、当時の社長、会長、及び報道をした記者が一斉に辞任したのだ。

 ニュース報道にプライドを持ってきたBBCの威信は傷つき、トップ二人の辞任に、職員の心も揺らいだ。

 2004年6月には、「ニール・レポート」という報告書を出して、「何故正確ではない報道がなされたのか?」を自己検証。「取材時に、必ずメモをとること」など、取材の基本中の基本が書かれていた。

 新しく着任したトンプソン社長、マイケル・グレード会長は、「どんどん改革を推し進める」と確約。数ヵ月後に出たのが、今後のBBCの活動方針をしたためた「公的価値を作る」という報告書だった。同時に、人員削減策も発表。

 しかし、この削減策は、「やりすぎ」という声が当初から出ていた。

 多チャンネル・デジタル放送がさらに進んでいけば、BBCにチャンネルを合わせる視聴者も減るかもしれない、この時、BBCの以外の他者(例えばBBCの予算案の承認に大きな力を持つ、政府など)がBBCにコスト削減を言うようではダメで、自らがコストダウン策を提示しなければ・・・というニュアンスを持たせながら、トンプソン社長は削減計画を発表した。

 しかし、本当に、BBCはこれほどの削減を今する必要があるのだろうか?

 「政府が指一本切れ、といったのに、腕一本を切ってしまった」と評したのは、ジャーナリストの労働組合NUJの幹部の一人だった。

 昨年12月当時、BBCは2007年から実行となるBBCの活動などを定める「設立許可状」の政府案が出るのを、若干こわごわと待っている状態だった。情報操作疑惑の後、BBCの最大の収入源であるテレビ・ライセンス料の廃止論や、BBCの分割論などが新聞各紙でとりざたされ、シンクタンクなどもこうした提唱をしていたからだ。
 
 3月、政府はライセンス料制度は「少なくとも今後10年間は継続する」とする提案を発表。BBC側にとっては、ひとまず胸をなでおろした展開となった。

 今回の削減案は「批判される前に、自分たちで削減してしまえ」という感が、私もどうしても強いように思う。つまり、一種の政治的動きなのだ。

 時の政府からの編集上の介入をさせないように、その時々で闘ってきたBBC。自分自身のサバイバルのためには、時には自分で自分を痛めつける姿を見せることも必要、と考えたのだろうか。

 本当に、これほどの規模の削減が必要なのか、どうか?「組織を守るための削減策」には違いないが、「質の向上のため」というよりも、政府あるいはBBCの批判者に対する一種のポーズという意味合い「も」、多かれ少なかれあって、犠牲になったのは削減されるBBCスタッフ・・・という部分という構図が見えてしまうのだが・・・。

 一時的にスタッフ削減で「涙を飲んでもらった」としても、ゆくゆく、「より強いBBC]になるためには、仕方ない・・と考えているのだろう。

 



 
 
by polimediauk | 2005-05-13 08:54 | 放送業界

何故?が知りたい

 (日本の)新聞が、読者が最も知りたい、「ある事件が何故起きたか?」という部分を十分に書いていないので、「中途半端」で、不満感が残る・・というようなこと(私が言い換えた文章だが)を、コメントに残された方がいた。

 正直、どきっとした。

 本当に日本の新聞がそうなのかどうか、海外の新聞と比べてもそうなのかどうか?は、私自身、じっくり分析してみないと分からない。日本にいるときに日本の新聞を読み、製作過程の一部で働いていたときには、「何故?という部分を十分に書いていない」とは、あまり感じなかった。何となく、新聞に書いてあること、スタイルなどを、ありのまま、そのままに受け取っていたという部分があった。

 必要な情報が入っていないことを、時々感じたが、「日本の新聞は、既に起きたことをいちいち書かない。これまで報道されたことは、『読者が分かっているもの』として、はぶいて書いてある」と職場の先輩に説明され、その、「既に報道されたこと」を分かっていない自分の知識のなさを恥じるばかりだった。

 そこで、私がコメントを残された方の発言にどきっとしたのは、読者の本音を言い当てていると思ったからだ。

 つまり、「読者」として、あるいは仕事の一環として、自分が新聞に接するとき、「ある事件が何故起きたのか?」のみを知りたくて、実は頁をめくっていることに気づいたからだ。

 私自身は、(これがいいことか悪いことかは別として)いくつか追っているテーマ、自分が関心があるテーマの記事を中心に新聞を読んでおり、もはや、あらゆる事象に関する日々の動きを知るためには新聞を読んではいない。刻々と入ってくるニュースはネットで、それに対する識者のコメントは、ラジオをつけていると、黙っていても入ってくる。

 ある現象に関して、一つでも新しい見方、新しい「何故?」が説明されている新聞記事は心に残るし、こうした記事に出会うと、新聞を読んでいて良かった、と思う。いわば、雑誌と同じ読み方をしているのかもしれない。

 こういう読み方は増えているのだろうか?

 日本の新聞では、解説面が一番好きだったが、ある新聞の解説面担当者が、「特集面があると必ずつぶれるし、段々紙面が減ってゆく」とぼやいていたのを思い出す。(これが全体的傾向とは思わないが。)

 イギリスに来てからは、中東事象を独自の視点で書く、インディペンデント紙のロバート・フィスク記者、外交問題のからくりがいっぺんで分かる、タイムズ紙のブロウエン・マドックス記者などの記事を楽しみに読んでいる。フィナンシャル・タイムズで、1面一杯を使って、その時々のトピックを解説する頁もよく切り取っている。月曜から金曜の週5日、毎日1面全面を使って解説記事を出すには、相当の人手と頭脳がかけられているように思う。

 日本ではどうだろうか。

 解説記事を書く方で、個人的に楽しんで読む記者の方たちがいるが、それぞれの記事が、どうも短いような気がする。例えば通常の解説面で一人が書くような文章の量を、3倍くらいにしてもいいように思うが。その時々のトピックを、1面全部を使って解説する、ということをやっている新聞社も多いようだが、どうも、紙面サイズは同じだが、情報量が少ないように感じてしまうことがある。個人的観測だが。

 いずれにせよ、どんな新聞記事も、読者のほうは、必ず「何故そうなったのか?」が知りたくて読んでいるというのは、真実を突いているように思った。
by polimediauk | 2005-05-13 03:33 | 新聞業界